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2017/10/06

モンクを聴く #2 : Piano Trio (1952 - 56)

モンクのピアノ・ソロは美しいが独白特有の緊張感が常に感じられ、ある種の厳しさがあるので(コロムビア盤は別だが)、しょっちゅう聞きたいとは思わない。一方コンボは音楽としては非常に面白いのだが、曲全体の複雑な構造とリズム、ホーンなどバンド編成と声部に気を取られて、モンクの音そのものがやや聞き取りにくい時がある。トリオはその中間で、何よりモンクのピアノの音が中心なのでよく聞こえるし、リズムセクションが入るので活気が出て、モンク独特のリズム、アクセントも、ドラムス相手に瞬時に反応するモンクの意図もよく聞こえて来る。編成がシンプルなので曲のメロディも骨格もよく見え、ひと言で言えば聞いていて分かりやすくて楽しい。絵画で言えば、ソロはデッサン、コンボは油絵、トリオは水彩画に例えられるだろうが、そこは何を描いてもモンクはモンクで、しかも抽象画だ。

Genius of Modern Music Vol.1
(1947 Blue Note)
第10章
しかし、モンクはライヴの場でもそうだが、ピアノ・トリオの録音数も思いのほか少なく、単独アルバムとしてはプレスティッジとリバーサイドに吹き込んだ3枚だけだ。当然ながら「作曲家」モンクとしては、シンプルなトリオよりも、やはり基本的にホーン・セクションを入れた重層的なサウンドで自分の音楽を表現したかったからだろう。録音としては194710月に、ブルーノートに吹き込んだアート・ブレイキー(ds)とジーン・ラメイ(b)とのトリオが最初で、そこでは<ルビー・マイディア>、<ウェル・ユー・ニードント>、<オフ・マイナー>、<イントロスペクション>の自作曲4曲に加え、<ナイス・ワーク・イフ・ユー・キャン・ゲット・イット>、<パリの4月>という計6曲を録音している。モンクはピアノ・トリオのドラマーとしてアート・ブレイキーを好んでいたが、これはやはり1940年代のバド・パウエルとのジャムセッション巡りの時代からの長い交流と師弟関係があって、気心が知れていたことと、ブレイキーのスウィンギングで力強いドラミングがモンクの好みだったからだろう。

Thelonious Monk Trio
(1952/54 Prestige)
第12章 p237
モンク初の単独のトリオ・アルバムは、プレスティッジと契約後の初録音となった1952年の『Thelonious Monk Trio』だ。現在のCDには全10曲が収録され、自作曲8曲、スタンダード2曲という構成で、52年10月録音の4曲にアート・ブレイキー(ds)とゲイリー・マップ(b)を使い、同年12月録音の4曲ではドラムスにマックス・ローチを起用した。本書に書かれているように、ブルーノートでは売れず、仕事のない長く苦しい時期を経て、ようやく新規レーベルと契約して心機一転したモンクの気迫が伝わって来るような、溌剌とした、明るく、力強い演奏が続く。スタジオのピアノの調律が狂っていようとお構いなしに、一緒に鼻歌を歌いながら楽しそうに弾くモンクの声もはっきりと聞こえて来る。トリオというシンプルな編成もあるのだろう、ブルーノート時代の、非ビバップというコンセプトにこだわって頭を使い過ぎたかのような、ある種芸術指向の強い複雑な音楽とは別のモンクの姿が見えて来る。現CD冒頭の<ブルー・モンク>は、2年後の19549月に別途ヴァン・ゲルダー・スタジオで初録音されたもので、アート・ブレイキー(ds)とパーシー・ヒース(b)がサポートしているが、このブルースはまさに 「モダン・ジャズのイメージ」 を代表する演奏だ。モンクも後年この<ブルー・モンク>が大好きな曲だと言っている。後にビッグバンドでも再演した息子に捧げた<リトル・ルーティ・トゥーティ>の活気とユーモア、デンジル・ベストとの共作<ベムシャ・スウィング>の躍動するリズム、ミディアム・スローのバラード<リフレクションズ>、ソロ演奏<ジャスト・ア・ジゴロ>(これも1954年の別録音)の美しさなど、その後のモンク・スタンダードとなる名曲と名演ぞろいだ。ピアノ・トリオというシンプルな編成と全曲3分以内という短さもあって、モンクの素顔を捉えたような飾り気のないストレートな解釈と弾むようなリズムで、RVGリマスター盤の録音も良く、どの曲を聞いても非常に気持ちが良い。シンプルに演奏してはいても、1952年から54年という時代を思えば、ここでのサウンドとメロディは斬新で、開放感に溢れ、モンクがいかに先進的な音楽家だったかがよくわかる。私がモンクを好きになったのもこのアルバムを聞いてからだ。モンクを初めて聴きたいという人がいるなら、ソロやコンボではなく、ピアノ・トリオを、中でもまずこのアルバムを勧めたい。これを聴いて文句があるようなら、縁がなかったと思ってモンクは諦めた方が良い。

Thelonious Monk
Plays Duke Ellington
(1955 Riverside-stereo)
第15章 p282-
モンクの次のトリオ・アルバムは、リバーサイドに移籍後の初録音、19557月の『プレイズ・デューク・エリントン Plays Duke Ellington』である。プレスティッジ盤は2曲を除き、すべてモンクの自作曲だったが、当時モンクのオリジナル曲はまだ大衆向けとは言えないと考えていたプロデューサーのオリン・キープニューズは、もっとわかりやすい曲を演奏したトリオ・アルバムを作って、まずモンクを売り出そうとした。そこで最初に選んだのがデューク・エリントンの作品だった。長い付き合いのオスカー・ペティフォード(b)とケニー・クラーク(ds)というリズムセクションをモンクは選んだ。本書に書かれているように、このアルバムには「リバーサイドに言われたモンクが渋々作った」とかいう見方を含めて様々な評価があったが、大筋としては「控えめな印象」という表現が一番多かったようだ。しかし著者がネリー夫人や息子トゥートの発言として書いているように、尊敬するデューク・エリントンの作品を取り上げたこのレコードの録音に、実際モンクは並々ならぬ意義を感じていたという。ブラシ・ワーク中心のケニー・クラークのドラミングも含めて、プレスティッジ盤に比べて全体的に「モンクらしさ」が控えめで、ある種大人しく、上品な作品であることは間違いない。やはりエリントンという大先達の作品だけを取り上げるという挑戦は、モンクと言えどもかなり緊張して臨んだことは間違いないだろうし、普通のスタンダード曲に比べてエリントンの曲の完成度が高くて、モンク流の解釈と再構成も慎重にならざるを得なかったのかもしれない。本書に書かれた録音時のモンクのエピソード(譜読みにたっぷり時間をかけた)からも、そうした心理があった可能性がある。選曲はエリントンの有名なナンバーのみで、<スウィングしなけりゃ意味ないね>、<ソフィスティケイティッド・レディ>、<キャラバン>など全9曲で、<ソリチュード>のみがソロ演奏である。

The Unique
Thelonious Monk
(1956 Riverside-stereo)
第16章 p304
リバーサイドの次のトリオ・アルバムは、翌19563月、4月に録音した『ザ・ユニーク・セロニアス・モンク The Unique Thelonious Monk』である。オスカー・ペティフォードのベースは変わらず、既にヨーローッパに移住していたケニー・クラークに代わってアート・ブレキーをドラムスに起用している。エリントンに続き、今度は、全曲スタンダードのモンク流解釈をトリオで聞かせようというリバーサイドの戦略だ。<ティー・フォー・ツー>、<ハニー・サックル・ローズ>など、よく知られたスタンダード曲のみ7曲を演奏している。ビリー・ホリデイの愛唱歌だった<ダーン・ザット・ドリーム>は、モンクが最も好んだバラード曲の一つだ。同じくバラードの<メモリーズ・オブ・ユー>のみソロ演奏だが、本書でも書かれているように、この曲を愛奏していたモンクのストライド・ピアノの先生だったアルバータ・シモンズをおそらく偲んだもので、その後モンク愛奏曲の一つともなった。何より曲のメロディ、とりわけ古い歌曲を愛したモンクが両バラードともに慈しむかのように繊細にメロディを弾いている様子が聞こえて来る。このレコードでは、エリントン盤とは異なり、モンク流の曲の解釈と再構成をかなり取り入れており、またアート・ブレイキーの参加がモンクを煽っていたことは間違いないだろう。結果としてこのアルバムは、プレスティッジの自作曲中心のアルバムと対を成す、ピアノ・トリオにおけるモンク流スタンダード解釈のショーケースとなっている。

Thelonious Monk
Plays Duke Ellington
(1955 Riverside-mono)
エリントン盤をはさんで、これら50年代のピアノ・トリオ3作における自作曲とスタンダードのモンク流解釈と演奏を聴き比べてみると非常に面白い。なお、リバーサイドの上記2作品アルバム・ジャケットは、モノラルとステレオ・バージョンの2種類がある。本書に書かれているように、現在CDに主として使われている上記ジャケット写真は、いずれも売り上げ増を狙ったリバーサイドがステレオ・バージョン用に作ったものだ。ちなみに左のジャケットはモノラル盤の『Plays Duke Ellington』オリジナル・ジャケットである。まだ30歳代半ばのスリムなモンクが写っている。

モンクはこの15年後、1971年のアート・ブレイキー(ds)とアル・マッキボン(b)を起用した最後のスタジオ録音『ロンドン・コレクション London Collection Vol.2』(Black Lion)まで、トリオだけのアルバムは録音していない。

2017/06/04

リー・コニッツを聴く #2:Storyville

Jazz at Storyville
1954 Storyville
私的にはリー・コニッツ絶頂期と思えるのが、1950年代中期の Storyville レーベルの3部作で、いずれもワン・ホーン・カルテットである。1枚は、当時ボストンのコープリー・スクエア・ホテル内にあったジョージ・ウィーンが所有していたジャズクラブ「Storyville」でのライヴ録音「Jazz At Storyville」(1954)、もう1枚は同年のスタジオ録音「Konitz」、最後の1枚は「In Harvard Square」で1954/55年に録音されている。「Jazz At Storyville」は、絶頂期を迎えつつあったコニッツの演奏をライヴ録音したことに価値がある。ラジオ放送したものなので、冒頭、中程、最後とJohn McLellandMC3度入っているが、録音もクリアで、当時のジャズクラブの雰囲気が臨場感たっぷりに楽しめる(週末や翌週ライブの案内など)。ロニー・ボール (p)、パーシー・ヒース(b)、アル・レビット (ds)というカルテットで、自信に満ち、イマジネーション豊かな、まさに流れるようなアドリブで当時の持ち歌を演奏するコニッツのアルトは素晴らしい。

Konitz
1954 Storyville
スタジオ録音「Konitz」は、ロニー・ボールに加え、ピーター・インド (b)、ジェフ・モートン (ds)というトリスターノ派のメンバーで固めた演奏である。この時期のコニッツの音楽が素晴らしいのは、言わばクール・ジャズと当時主流だったハードバップのほぼ中間地点にいて、知的クールネスとジャズ的エモーションの音楽的バランスが見事なのだ。それはハードバップ系の他のどのジャズ、どのミュージシャンとも違う、コニッツだけが到達しえた独創的な世界だった。この後のAtlanticVerve時代は、よりハードバップに接近した演奏が増え、ウォーム・コニッツなどとも呼ばれることになるが、そこに奏者としてより円熟味も加わっているので、どちらがいいかは聴く人の好みによるだろう。いずれにしても、私が好きなStoryville時代は、若さ、技量、イマジネーションが3拍子揃った「旬の」 コニッツが聴ける。

In Harvard Square
1954/55 Storyville
グリーンの美しいLPジャケットもあるが、私は特に「In Harvard Square」が当時のコニッツの音楽的バランスが絶妙で好きだ(サポート・メンバーは「Konitz」と同じ)。どの演奏も難解でもないし、気疲れもしない、非常に心地良いジャズだが、音色、紡ぎ出すライン、時折のテンションにはクール・ジャズの魅力が溢れていて今聴いても新鮮だ。これら3枚のアルバムすべてに参加している、トリスターノ派の盟友であったロニー・ボールの軽快でよくスウィングするピアノも、コニッツの滑らかで高度なアドリブを見事にサポートしている。ロニー・ボールもトリスターノとバップ・ピアニストの中間にいて、冷たくもなく、熱すぎもせず、イギリス人らしい小気味の良いピアノを弾く人だ。これら3枚どのアルバムからも、即興演奏に命を懸けたようなストイックで切れ味鋭い1950年前後のコニッツの演奏から、クールネスを基本にしながらも、メロディを意識したより歌心に溢れた演奏に変貌していることがよくわかる。トリスターノの呪縛からようやく解き放たれて、リー・コニッツ自身のスタイルをほぼ築き上げつつあった時代だと言えるだろう。

コニッツのインタビュー本「Lee Konitz」でのこの時期についてのコメントは、プロモーターだったジョージ・ウィーンによる「コニッツLA置いてけぼり事件(LAギグの帰りの切符をウィーンが手配していなかった)」しか出て来ない。著者アンディ・ハミルトンに何故なのか質問してみたが、2人の間ではSroryville時代に限らず、50年代のレコードに関する話はほとんど出て来なかったということだ。著者自身が好きなこの時代のレコードがAtlanticの「ウィズ・ウォーン・マーシュ」で、その話が中心だったこと、それに何せ当時80歳近かったコニッツも、この時代の細かなことはもうほとんど忘れかけていたということらしい。