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2022/08/20

夏のジャズ(2)

夏場にはラテン系など、音数の多い賑やかな音楽を楽しむという人もいるだろうが、私の場合、基本的には音数があまり多くない、空間を生かした、文字通り風通しの良い音楽に「涼しさ」を感じる。夏に聴きたくなるジャズというと、前記事のように、どうしてもギター中心のサウンドになるが、ホーンも、ピアノも、ヴォーカルも、それぞれやはり夏向きの演奏はあるし、またそういう奏者もいる。

In Tune
(1973 MPS)

「山本潤子」の記事で書いたが、80年代はじめに「ハイ・ファイ・セット Hi-Fi Set」が出したジャズ寄りのレコードを集中して聴いていたところ、夏場に聴く「ジャズ・コーラス」も、なかなか気持ちがいいものだと改めて感じた。そこで(ご無沙汰していたが)昔ずいぶん聴いた、オスカー・ピーターソン Oscar Peterson (1925-2007) が自身のトリオ名義でプロデュースした男女4人組(女声1人)コーラス・グループ 、"シンガーズ・アンリミッティド The Singers Unlimited" の『In Tune』(1973) を久々に聴いてみた。"The Singers Unlimited" は、70年代に『A Capella』他の美しいコーラスアルバムを数多くリリースしているが、1971年に録音されたメジャー・デビューとも言える本アルバムでも非常に気持ちの良いコーラスを聞かせている。ピーターソンのピアノは個人的にはあまり趣味ではないが、このアルバムではピアノトリオがコーラスの背後で控え目な演奏に徹していて、かつMPSらしいソリッドな音質もあって、どのトラックも楽しめる。特に好きだったLPのB面1曲目「The Shadow of Your Smile」の冒頭のアカペラのコーラスハーモニーは、夏場に聴くとやはり気持ちが良い(CDでは6曲目)。

 In Harvard Square
 (1955 Storyville)
ホーン楽器だと、夏場はやはり涼しげなアルトサックス系がいい。そこで文字通り「クールな」リー・コニッツ Lee Konitz (1927-2020) を聴くことが多い。どちらかと言えば、あからさまな情感 (emotion) の発露が低めで、抽象度が高いコニッツの音楽は、聴いていて暑苦しさがないので基本的に何を聴いても夏向き(?)だ。だが私の場合、トリスターノ時代初期のハードなインプロ・アルバムはテンションが高すぎて、あまり夏場に聴こうという気にならない。頭がすっきりする秋から冬あたりに、集中して真剣に音のラインを辿るように聴くと、何度聴いてもある種のカタルシスを感じられる類の音楽だからだ。だから夏場に聴くには、1950年代半ばになって、人間的にも丸みが出て(?)からStoryvilleに吹き込んだワン・ホーン・カルテットの3部作(『Jazz at Storyville』『Konitz』『In Harvard Square』)あたり、あるいは50年代末になってVerveに何枚か吹き込んだ、ジム・ホールやビル・エヴァンスも参加した比較的肩の力を抜いたアルバム(『Meets Jimmy Guiffree』『You and Lee』)とかが、リラックスできていい。ここに挙げた『In Harvard Square』は、Ronnie Ball(p), Peter Ind(b), Jeff Morton(ds) というカルテットによる演奏。Storyville盤は3枚ともクールネスとバップ的要素のバランスがいいが、このアルバムを聴く機会が多いのは、全体に漂うゆったりしたレトロな雰囲気と、私の好きなビリー・ホリデイの愛唱曲を3曲も(She's Funny That Way, Foolin' Myself, My Old Flame)、コニッツが取り上げているからだ(コニッツもホリデイの大ファンだった)。

Cross Section Saxes
(1958 Decca)
リー・コニッツのサウンドに近いクールなサックス奏者というと、ほとんど知られていないが、ハル・マキュージック Hal McKusick (1924-2012) という人がいる(人名発音はややこしいが、昔ながらの表記 "マクシック" ではなく、マキュージックが近い)。上記リー・コニッツのVerve盤や、『Jazz Workshop』(1957) をはじめとするジョージ・ラッセルの3作品に参加していることからも分かるように、そのサウンドはモダンでクールである。本作『Cross Section Saxes』(1958 ) の他、何枚かリーダー作を残していて、いずれも決して有名盤ではないが私はどれも好きで愛聴してきた。押しつけがましさがなく、空間を静かに満たす知的なサウンドが夏場にはぴったりだ。1950年代後期、フリージャズ誕生直前のモダン・ジャズの完成度は本当に素晴らしく(だからこそ ”フリー” が生まれたとも言える)、黒人主導のファンキーなジャズと、主に白人ジャズ・ミュージシャンが挑戦していた、こうしたモダンでクールなジャズが同時に存在していた――という、まさにジャズ史の頂点というべき時代だった。本作もアレンジはジョージ・ラッセルや、ジミー・ジュフリーなど4名が担当し、マキュージック(as, bc他) 、アート・ファーマー(tp)、ビル・エヴァンス(p)、バリー・ガルブレイス(g)、ポール・チェンバース(b)、コニー・ケイ(ds)他――といった多彩なメンバーが集まって、6人/7人編成で新たなジャズ創造に挑戦する実験室(workshop)というコンセプトで作られた作品だ。このアルバムの価値を高めているのも、デビュー間もないビル・エヴァンスで、ここで聴けるのはマイルス・デイヴィスの『Kind of Blue』(1959) 参加前夜のエヴァンスのサウンドだ。その斬新なピアノが、どのトラックでもモダンなホーン・サウンドのアクセントになっている。

Pyramid
(1961 Atlantic)
夏場に、ギターと並んでもっとも涼しさを感じさせるのがヴィブラフォン(ヴァイブ)のサウンドだ。モダン・ジャズのヴァイブと言えば、第一人者はもちろんMJQのミルト・ジャクソン Milt Jackson (1923-99) である。MJQと単独リーダー作以外も含めると、ジャクソンが参加した名盤は数えきれない。何せヴァイブという楽器は他に演奏できる人間が限られていたので、必然的にあちこち客演する機会が多くなって、特に大物ミュージシャンのアルバムへ参加すると、それがみな名盤になってしまうからだ。1940年代後半から50年代初めにかけてのパーカー、ガレスピー、モンク等との共演後、1951年にガレスピー・バンドの中から "ミルト・ジャクソン・カルテット(MJQ)" を立ち上げるが、翌52年頃からピアニスト、ジョン・ルイス John Lewis (1920-2001) をリーダーとする "モダン・ジャズ・カルテット(こちらもMJQ)" (パーシー・ヒース-b, ケニー・クラーク後にコニー・ケイ-ds) へと移行した。よく知られているように、MJQはジャズとクラシックを高いレベルで融合させ、4人の奏者が独立して常に対等の立場で演奏しながら、ユニットとして「一つのサウンド」を生み出すことを目指したグループで、ルイスの典雅なピアノと、ジャクソンのブルージーなヴィブラフォンがその室内楽的ジャズ・サウンドの要だった。その後70年代の一時的活動中断を経て、1997年までMJQは存続し、ジャクソンはその間ずっと在籍した。MJQの名盤は数多いが、モダン・ジャズ全盛期1959/60に録音された『Pyramid』は、比較的目立たないが、彼らのサウンドが絶妙にブレンドされた、クールで最高レベルのMJQの演奏が味わえる名盤だ。

Affinity
(1978 Warner Bros)
ピアノはそもそもの音がクールなので、夏向きの音楽と言えるが、やはり「涼し気な」演奏をする奏者と、そうでないホットな人はいる。ビル・エヴァンス Bill Evans (1931- 80) はもちろん前者だが、上で述べたコニッツの場合と同じく、夏場はリラクゼーションが大事なので、エヴァンス特有の緊張感のあるピアノ・トリオよりも、ハーモニカ奏者トゥーツ・シールマンToots Thielemans (1922-2016) 他との共演盤『Affinity』あたりが、いちばん夏向きだろう(マーク・ジョンソン-b、エリオット・ジグモンド-dsというトリオに、ラリー・シュナイダー-ts,ss,flも参加)。これは1980年に亡くなったビル・エヴァンス最晩年の頃の演奏で、若い時代の鋭く内省的な演奏というよりも、どこか吹っ切れたような伸び伸びした演奏に変貌していた時期で、本作からもそれを感じる。ベルギー生まれのシールマンは、1950年代はじめに米国へ移住後、数多くのジャズやポピュラー音楽家と共演してきたハーモニカの第一人者。夏場、特に夕方頃に聴くハーモニカの哀愁を帯びたサウンドは清々しく、とりわけ「Blue in Green」などは心に染み入る。

The Cure
(1990 ECM)
キース・ジャレット Keith Jarret (1945-) の健康状態に関するニュースが聞こえてくると、ジャズファンとしては悲しいかぎりだ。ついこの間もバリー・ハリス(p) の訃報を聞いたばかりで、20世紀のジャズレジェンドたちが一人ずつ消えてゆくのは、本当にさびしい。ピアノを弾くのが困難でも、キースには、せめて長生きしてもらいたいと思う。そういうキースのアルバムは、すべてが「クール」と言っていいが、演奏の底に、何というか、ジャズ的というのとはまた別種の「情感」が常に流れているところに独自の魅力があるピアニストだと個人的には思っている。80年代以降の「スタンダード・トリオ」(ゲイリー・ピーコック-b, ジャック・デジョネット-ds) 時代のレコードは、ほぼ全部聴いていると思うが、私の場合ここ10年ほどいちばんよく聴くのは、トリオも熟成した後期になってからのレコード『Tribute』(1989) や、ここに挙げた『The Cure』(1990) だ。モンク作の「Bemsha Swing」(実際はデンジル・ベスト-ds との共作)や、自作曲「The Cure」、エリントンの「Things Ain't…」など、ユニークな選曲のアルバムだが、なかでもバラード曲「Blame It on My Youth」(若気の至り)の、ケレン味のないストレートな唄わせぶりが最高に素晴らしくて何度聴いたか分からない。この後ブラッド・メルドーや、カーステン・ダールといったピアニストたちが、この曲を取り上げるようになったのは(キース自身、その後のソロ・アルバム『The Melody at Night, with You』(1999) でも再演している)、ナット・キング・コール他の歌唱でも知られるこの古く甘いスタンダード曲を、クールで美しい見事なジャズ・バラードに昇華させたキースの名演に触発されたからだろう。ニューヨーク・タウンホールでのライヴで、相変わらず響きの美しい、気持ちの良い録音がトリオの演奏を引き立てている。

Mostly Ballads
(1984 New World)
もう一人は、まだ現役だが、やはり白人ピアニストのスティーヴ・キューン Steve Kuhn (1938-) だろうか。若い頃は耽美的、幻想的と称されていたキューンのピアノだが、私的印象では、どれも凛々しく知的な香りがするのが特徴で、一聴エモーショナルな演奏をしていても、その底に常にクールな視座があり、ホットに燃え上がるということがない。しかしその透徹したサウンドはいつ聴いても美しく、またクールだ。初期のトリオ演奏『Three Waves』(1966) や、ECM時代のアルバムはどれも斬新でかつ美しい。本作『Mostly Ballads』(1984) は私の長年の愛聴盤で(オーディオ・チェックにも使ってきた)、ソロとベース(ハーヴィー・シュワルツ Harvie Swartz)とのデュオによる、静かで繊細なバラード曲中心の美しいアルバムだ。響きと空気感をたっぷりと取り込むDavid Bakerによる録音も素晴らしく、大型スピーカーで聴くと、キューンの美しいピアノの響きに加えて、ハーヴィー・シュワルツのベースが豊かな音で部屋いっぱいに鳴り響くのだが、小型SPに変えてしまった今の我が家では、もうあのたっぷりした響きが味わえないのが残念だ。

Complete
London Collection
(1971 Black Lion)
「クール」とか「涼しい」をテーマにすると、どうしても白人ジャズ・ミュージシャンばかりになってしまうが(自分の趣味の問題もある)、ピアノではもう一人、実はセロニアス・モンク Thelonious Monk (1917- 82) の演奏、それもソロ・ピアノは暑苦しさが皆無なので、夏に聴くと非常に心が落ち着く気持ちの良い音楽だ。モンクのソロ・アルバムの枚数は4枚しかないが、もう1つが、モンク最後のスタジオ録音になった『London Collection』(1971) のソロで、録音もクリアで聴いていて非常に気持ちが良い。3枚組CDでリリースされた本作品のソロは、alt.takeを含めてVol.1とVol.3に収録されていて、晩年になってもソロ演奏だけは衰えなかったモンクが楽しめる。LP時代には発表されず、CD版のVol.3の最後に追加されたソロで、「Chordially」と名付けられた「演奏」は、モンクが録音本番前に様々な「コードchord」を連続して弾きながらウォーミングアップしている模様を約9分間にわたって記録した音源だ(ちなみに、英語の "cordially" は、「心をこめて」という意味の副詞である。タイトル "chordially" は、モンクらしい言葉遊びだろうと推測している)。翌1972年からウィーホーケンのニカ邸に引き籠る前、欧州ツアー中のロンドンで記録された文字通りセロニアス・モンク最後の「ソロ演奏」であり、比類のない響きの美しさがなぜか胸に迫って、涼しさを通り越して、もの悲しくなるほど素晴らしい。

2018/06/29

ジャズ的陰翳の美を楽しむ(2)

Milt Jackson Quartet
1955 Prestige
ヴィブラフォン(ヴァイブ)という楽器は、その深い響きと音色そのものが、そもそも独特の陰翳を持っている。オールド・ジャズファンは、この音を聞くとあっという間にジャズの世界に引き込まれる。ジャズでヴァイブと言えば、まずミルト・ジャクソン(Milt Jackson 1923-99)であり、MJQでの演奏を含めて、どの参加アルバムもまさにブルージーな味わいがある。売れっ子だったのでミルト・ジャクソンの参加アルバムはそれこそ数多く、スローからアップテンポの曲まで、何でもこなしてしまうが、この『Milt Jackson Quartet』(1955 Prestige) は中でも地味な方のアルバムだ。ジャケットもそうで、よく言えばシブいということになるのだろうが、リーダーのミルトが淡々とヴィブラフォンを叩いているだけで、ホーンもなければ、盛り上がりも、ひねりもない地味な演奏が続くが、なぜか時々取り出して無性に聴きたくなるアルバムの1枚なのだ。カルテットだがパーシー・ヒース (b)、コニー・ケイ (ds) MJQと同メンバーなので、違う点はジョン・ルイスではなくホレス・シルバーのピアノ、それとリーダーがMJQとは違いミルト本人という点だ。シルヴァ-のピアノはサポートに徹して大人しいが、ジョン・ルイスにはないジャズ的な風味を強く加えている。MJQと違ってミルトがリーダーなので、リラックスして実に気持ち良さそうに自由にヴァイブを叩いているのが伝わってくる。スタンダードのブルースとバラードという選曲もあって、ブルージーかつメロディアスで、音楽に雑味がなく、MJQのような “作った” というニュアンスもなく、ミルトの美しいヴァイブの音色とともに、まさしく "あの時代の モダン・ジャズ" そのものというムードがアルバム全体に漂っている。時々妙に聴きたくなるのは、多分このせいだ。

Pike's Peak
Dave Pike
1961 Epic
もう1枚のヴァイブ・アルバムは、白人ヴァイブ奏者デイヴ・パイク (Dave Pike 1938-2015) がリーダーのカルテット『パイクス・ピーク Pike's Peak』(1961 Epic) だ。パウル・クレーの絵を彷彿とさせるジャケットが象徴するように、これも全体に実にブルージーなアルバムだ。パイクはその後ラテン系音楽のレコードを何枚か残しているように、ラテン的リズムが好きだったようで、このアルバムでも<Why Not>や<Besame Mucho>のような躍動感あるリズムに乗った演奏が収録されているが、一方<In a Sentimental Mood>や<Wild is the Wind>のようなスローなバラードも演奏していて、全曲に参加しているビル・エヴァンスのピアノがそこに深みと上品な味を加えている。当時絶頂期だったエヴァンスは、相棒のスコット・ラファロ(b)を突然の事故で失った後の参加で、いわば傷心からのリハビリの途上にあったが、アップテンポでもスローな曲でもさすがというバッキングとソロを聞かせる。このアルバムでは、特にラストの<Wild is the Wind>が、曲そのものがいいこともあるが、パイクの密やかで情感に満ちた演奏と、それに控えめにからむエヴァンスが素晴らしい(ただしキース・ジャレットと同じで、パイクがユニゾンでスキャットしながら弾いているところが気になる人がいるかもしれないが)。

John Lewis Piano
1957 Atlantic
ピアニスト、ジョン・ルイス (John Lewis 1920-2001) MJQのリーダーとして有名だが、個人リーダー名義のソロやトリオ、コンボでも多くのレコードを残している。"ヨーロッパかぶれ" とか言われることもあるが、クラシックの影響の強いその演奏は、"配合のバランス" がうまくはまると、アメリカの黒人によるジャズとクラシック音楽の見事な融合が聴ける作品もある。『ジョン・ルイス・ピアノ』(1957 Atlantic) もそうしたレコードの1枚で、タイトル通りMJQというグループとは別に自己のピアノの世界を追求したもので、静謐で、知的で、深い陰翳の感じられる、ある意味で稀有なジャズアルバムだ。パーシー・ヒース (b)、 コニー・ケイ(ds) というMJQのメンバーに、ジム・ホール、バリー・ガルブレイスというギター奏者を加えた演奏から構成されている。全曲ゆったりとした演奏が続くが、演奏の白眉は、ギターのジム・ホール (Jim Hall 1930-2013)との10分を超える最後のデュオ曲<Two Lyric Pieces (Pierrot/Colombine)>だ。底知れぬ静寂感、深い響きと余韻は、おそらくこの二人にしか表現できない世界だろう。

Chet
Chet Baker
1959 Riverside
ヴォーカリスト兼トランぺッター、チェット・ベイカー (Chet Baker 1929-88) の『チェット Chet』(1959 Riverside)は、基本的にスローなスタンダード、バラード演奏を集めたもので、チェットのヴォーカルは収録されていない。ペッパー・アダムス(bs)、ハービー・マン(fl)、ビル・エヴァンス(p)、ケニー・バレル(g)、ポール・チェンバース(b)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)、コニー・ケイ(ds)と、当時のオールスターを集めた割に、これも一聴地味なアルバムで、演奏メンバーはチェットとベースのチェンバースを除き曲ごとに入れ替わっている。しかし白人チェット・ベイカーは、ヴォーカルもそうだが、トランペットの音色とフレーズそのものに、黒人的なブルージーさとは別種の深い余韻と陰翳を感じさせる稀有なトランペッターであり、このアルバムでも独特のダークかつアンニュイな雰囲気を漂わせ、すべての曲が深い夜の音楽だ。目立たないが、当時チェンバース、フィリー・ジョー共々マイルスバンドにいたビル・エヴァンスのピアノも当然このムードに一役買っている。どの曲もテンポがほとんど変化しないこともあって、単調と言えば単調なのだが、聴いているとついうとうとしてしまうほど気分が落ち着く。サウンドが夜のしじまにしみじみと響き渡る寝る前あたりに聴くと、心地良い眠りにつける。

Take Ten
Paul Desmond
1963 RCA
同じ陰翳でも深く濃いものではなく、明るく淡い光のグラデーションのような微妙な音の響きが感じ取れる繊細な演奏もある。白人アルトサックス奏者ポール・デスモンド (Paul Desmond 1924-77) が、ジム・ホール (g) という最良のパートナーと組んだ、地味だが粋なアルバムがピアノレス・カルテットによる『Take Ten』(1963 RCA)だ。二人が紡ぎ出す美しく繊細な音で全ての曲が満たされ、ジム・ホールのセンス溢れる絶妙なギターと、デスモンドのアルトサックスの美しく長いメロディ・ラインを堪能できる。縦にダイナミックに動くピアノのリズム、コードに合わせているデイブ・ブルーベックのコンボ参加の時とは異なり、ホールのギターの滑らかなホリゾンタルな音の流れに、どこまでも柔らかく透明感溢れるデスモンドのアルトサックスの音が美しく溶け合って、実に洗練された極上のイージー・リスニング・ジャズとなった。<黒いオルフェ> のテーマなどボサノヴァの名曲のカバーも勿論良いが、 <Alone Together>や<Nancy> などのスタンダード・ナンバーの密やかな味わいが素晴らしい。

2017/10/10

モンクを聴く #4:with Miles Davis (1954 - 55)

1917年生まれのモンクは同世代のチャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーと共に、いわばモダン・ジャズ界の先達だったが、若いミュージシャンたちに慕われ、方法はユニークではあっても、私塾を通じて後輩たちに常に「教える」という立場で接していた。本書にいくつも例が出て来るように、モンクを尊敬し、素直に教えに従い、多くを吸収した若いミュージシャンが多かったが、マイルス・デイヴィス1926-1991のように必ずしもそうでない人もいた。音楽家として苦闘したモンクが、ジョン・コルトレーンを擁して自分がリーダーのレギュラー・バンドを初めて持ったのは1957年、40歳の時である。それまで、あるいはそれ以降も、モンクはコンボで様々なホーン奏者と共演しているが、相手が誰であれ常にモンク流の音楽を貫き通した。だからモンクのコンボ演奏は、共演するホーン奏者がどうモンクの音楽と対峙し、反応するか、そして場合によっては変化、成長してゆくのかを聞くところに面白さがある。そして音楽だけでなく、背後にある人間関係まで知った上で演奏を聴くとその興味が倍化する。ジャズとは人間の音楽であり、その本当の面白さは譜面上にあるのではなく、人間と人間が接触することによって音楽上何が生まれるのか、というところにあるからだ。モンクの場合は、あまりに強烈な個性とその不変性ゆえに、相手がどう反応するかの方にどうしても興味が向うが、唯一人、音楽的にモンクと対等に渡り合っていたホーン奏者がマイルス・デイヴィスだった(ただし、モンクの自作曲だけではあるが)。

本書には、有名な195412月のプレスティッジのクリスマス・イブ・セッションを含めて、モンクとマイルス・デイヴィスとの口論や確執めいた話が何度か出て来る。これまでも色々な説があって、マイルス本人の談をはじめ、どれを信じていいのか未だによくわからないが、ロビン・ケリーの本はそれらの情報を仔細に検証した上で書いた最新の説なので、信頼性は高いと見ていいのだろう。マイルスはまだ若いジュリアード時代にモンク作の<ラウンド・(アバウト)・ミッドナイト>を研究し、モンクの演奏指導も受け、後に名演と、同曲名を冠したアルバム(Columbia 1957)まで残しているように、モンク固有の音楽そのものは当然リスペクトしてはいたが、本書にもあるように、モンクの「自作曲以外」では共演したいピアニストではない、と自伝やインタビューではっきり言っている。和声やリズムの感覚、ホーン奏者の伴奏の在り方など、モンクの個性が強烈でマイルスがやりにくかったことに加え、私にはマイルスの音楽が持つ、内へ内へと整然と収斂させてゆくような美意識に対して、モンクの音楽の外へ外へと自由に開いて行こうとする基本的性向が、結局のところ互いにどこか感覚的に相容れなかったのではないか、というように思える。ただモンクは基本的には寛容でおおらかなので、この違和感はやはり神経質なマイルス側がより強く感じていたのではないだろうか。しかし、残された2人の巨人の共演記録はやはりいずれも素晴らしく、ジャズ史に残る名演だと思うが、上記プレスティッジのセッション4曲の他は、翌年1955年のニューポート・ジャズ・フェスティバル出演時の3曲以外残されていない。つまり1954/55年にかけての3枚のアルバムだけである。

Miles Davis
Bag's Groove
(1954 Prestige)
第14章 p269-
1954年のクリスマス・イブ・セッションについては、本書で詳細に書かれている。この時の主役マイルス・デイヴィス(tp)に加えて、ピアノのジョン・ルイスを除くMJQのミルト・ジャクソン(vib)、パーシー・ヒース(b)、ケニー・クラーク(ds)という、これも売り出し中のグループとの共演に、自分をリーダーとする新録音の企画をほとんどしないプレスティッジから、いわばサイドマンとして参加要請されたモンクが内心面白いはずがなかったことは容易に想像できる。当日唯一取り上げたモンク作品は<ベムシャ・スウィング>だけで、これも常にモンクを支持していたプロデューサーのアイラ・ギトラーが、渋るボスのボブ・ワインストックを説得して曲目に入れたものだという。作曲家でもあり、当時は金が必要で、録音による印税も期待していたモンク的にはこれも面白くなかっただろう。本書に書かれているが、このセッションの前、同じ年の3月にブルックリンの「トニーズ」でチャールズ・ミンガス、マックス・ローチと出演した際、モンクの自宅でローチ、マイルスと3人でリハーサル中に、あわや喧嘩になりそうなほど衝突したという2人の前歴もあり、「自分のソロのバックでは弾くな」というマイルスの発言も事実のようなので、あれやこれやで、たぶん現場にかなり緊張した雰囲気があったことは確かだろう。しかし、個人的に何があろうと、いざ共演する場になると、常に素晴らしい音楽を生み出すところがこの二人の偉大さだ。

Miles Davis and
The Modern Jazz Giants
(1954 Prestige)
第14章 p269-
モンクが参加している演奏は、マイルスのアルバム『バグス・グルーヴ Bag’s Groove』冒頭のタイトル曲(ミルト・ジャクソン作)2テイクと、『マイルス・デイヴィス・アンド・ザ・モダン・ジャズ・ジャイアンツ Miles Davis and The Modern Jazz Giants』の、<ベムシャ・スウィング>(モンクーデンジル・ベスト作)、<スウィング・スプリング>(マイルス作)および<ザ・マン・アイ・ラヴ>(ガーシュイン作)2テイクだけだ。録音時の状況は本書に詳しいが、モンクの曲<ベムシャ・スウィング>を除き、モンクはマイルスのソロのバックではピアノを弾いていない。演奏はいずれも素晴らしいが、特にミルト・ジャクソンとからむモンクのコンプやアブストラクトなソロの響きは、とても1950年代半ばの演奏とは思えない斬新さだ。他の曲でも、モンクのソロになると途端に「場の空気」が変わってしまうのだ。同じアルバム中のモンク抜きのマイルス・バンドの、いわゆるハードバップ的演奏と比較すると、そのコントラストが一層はっきりする。伝説となった<ザ・マン・アイ・ラヴ>テイク2は、テーマを吹くマイルスのイントロも、続くテンポを上げたミルト・ジャクソンの流れるようなヴァイブ・ソロも素晴らしい。モンクはその間ずっと控えめだがモンク的なコンプをしていて、ジャクソンのソロが終わった後、リズムセクションにかぶせて元のテンポでスローモーションのようにテーマを弾いているが、突然そこで長い休止に入る。マイルスの短いトランペットのフレーズで、はじかれたようにモンクがインプロヴィゼーションに突入する有名な瞬間とモンクのアブストラクトな短いソロは、何度聴いても鳥肌が立つほど素晴らしく、モダン・ジャズの最高の瞬間を捉えた録音だと思う。なおアルバム「・・・モダン・ジャズ・ジャイアンツ」には、<ラウンド・アバウト・ミッドナイト>も収録されているが、これは195610月のマイルスのマラソン・セッション時の録音であり、当然モンクは参加していない。

Miles Davis
Miscellaneous Davis
1955-1957
(Jazz Unlimted)
第15章 p280
その翌年、1955717日の第2回ニューポート・ジャズ・フェスティバル出演が、2人の最後の共演の場となった。これはモンクがリバーサイド移籍後の初アルバム「プレイズ・デューク・エリントン」を録音する4日前である。モンクは、ジェリー・マリガン(bs)、ズート・シムズ(ts)、パーシー・ヒース(b)、コニー・ケイ(ds)というオールスター・バンドのリーダーとして参加することになっていたが、そこへ直前に主催者ジョージ・ウィーンを説得して参加を決めたマイルスが急に加わったのだという。そこでの演奏の素晴らしさから、ヘロイン中毒を克服したマイルス復活の場として、これもジャズ史では伝説的な話だ。だがロビン・ケリーの本では、彼はこの話には終始懐疑的だ(つまりマイルスの話は誇張されており、それほどの演奏でも観客の反応でもなかった、という見方だ)。この時の模様は、『Miscellaneous Davis 1955-1957』Jazz Unlimited)というレコードに残されている。デューク・エリントンの司会で始まるこのアルバムでモンクが弾いているのは、<ハッケンサック>、<ラウンド・ミッドナイト>、<ナウ・ザ・タイム>(チャーリー・パーカー作)の3曲だけで、この時もマイルスの指示で、<ナウ・ザ・タイム>ではモンクはマイルスのソロのバックでは弾いていない。そして、この<ラウンド・ミッドナイト>の演奏を巡って、演奏後マイルスはモンクのコード進行はおかしいとジョージ・ウィーンに語り、コンサート後の帰りの車中で、マイルスの吹き方は正しくないとモンクが指摘したことで、二人はまたもや口論になって、怒ったモンクが車を降りて一人で歩いてフェリー乗り場に向かったという、これもまた伝説的な話がある。

Miles Davis
Round About Midnight
(1957 Columbia)
ところがこれもジャズ史では有名な話だが、このコンサートの場にいた大会社コロムビア・レコードのジョージ・アヴァキャンがマイルスに目を付け、プレスティッジと契約下にあったマイルスを引き抜いて録音したために(195510月から569月にかけて)、マイルスはコルトレーンを擁した第一次クインテットによる有名な195610月のマラソン・セッションで、契約上プレスティッジ向けに一気にLP4枚分の録音をすることになった。コロムビアでの<ラウンド・アバウト・ミドナイト>(曲)の録音は1956910日に行なわれているが(つまり上記プレスティッジ盤収録演奏の1ヶ月前である)、マイルスがスターとして飛躍するきっかけとなったコロムビア初のアルバム『ラウンド・アバウト・ミッドナイトRound About Midnight』(リリースは1957年)のタイトルが、ニューポートでその演奏をめぐって大喧嘩した相手のモンク作の名曲で、アルバムはモダン・ジャズの名盤となり、しかもアルバム冒頭のマイルスの同名曲の演奏(ギル・エヴァンス編曲)も名演と評価されるなど、なんとも皮肉な巡り合わせというしかない。本書にはこの後日談は書かれておらず、モンクの反応については想像するしかないが、モンクにしてみれば、内心きっと面白くないどころの話ではなかったのではないだろうか(ただしモンクに入ることになる作曲者印税の恩恵は別にして。しかし、本書にあるように、これも3分の1だけなのだ)。

さらに本書によれば、その後ずいぶん経った1969年に、コンサートの場で一緒になった二人は、新たな方向に向かい出したマイルス・グループの音楽を巡って、またもや激しく口論している(きっとそれまでも、他にも色々あったのだろう)。マイルスは後年の自伝などでは常にモンクに対する敬意を表明しているのだが、この二人は、両者ともに独自の音楽哲学と美学を持ったお山の大将なので、両雄相並び立たずという譬えの通り、互いに譲らなかったということもあったのだろうが、やはりよくよく人間的相性が悪かったのかもしれない。マイルスは知的、論理的な合理主義者で、一方のモンクは天才だが、ある意味で論理を超えた哲学者のようでもあったからだ。ただし二人とも黒人として警察にひどい差別的暴力を受けているが、マイルスはリー・コニッツ、ギル・エヴァンス、ビル・エヴァンスたちと共演し、モンクはマネージャーのハリー・コロンビーをはじめ、デヴィッド・アムラム、ホール・オヴァートン、ジェリー・マリガン、ラン・ブレイクらと共演したり親交を結ぶなど、両者ともに白人に対する逆差別はせずに個人の能力や人格を認める人間的度量を持っていた。また公民権闘争の時代にあっても、チャールズ・ミンガスやマックス・ローチのように直接的政治行動には関与しない ”純粋な芸術家” だったというところも共通している。そして、奇しくも1976年のモンク引退と同じ年にマイルスも病気で一時引退し、この2人の巨人がほぼ同時にジャズ・シーンから消えることで、いわゆる「モダン・ジャズの時代」はここに文字通り終焉を迎えるのである。

ちなみに、本日10月10日はセロニアス・モンク100歳の誕生日である(生きていれば)。偶然だが、モンク(1982年没)もマイルス(1991年没)も64歳という同年齢で亡くなっている。あの時代のジャズ・ミュージシャンとしては、2人とも長生きの方だったと言える。もしもこの2人がチャーリー・パーカーと同じように短命(34歳)だったとしたら、おそらくモダン・ジャズという音楽そのものも、ずっと短命だったことだろう。

2017/10/04

モンクを聴く #1:Blue Note Sessions (1947 - 52)

Genius of Modern Music
Vol.1  Blue Note
1947年、モンク30歳の時のブルーノート・レーベル初録音に至るまでのいきさつと、その後の反響は、本書の「第10章」に詳しく書かれている。1947年9月、ダウンビート誌の記者ビル・ゴットリーブによるモンクとの初インタビューが行なわれ、同月「セロニアス・モンクーバップの天才(Genius of Bop)」という記事がダウンビート誌に掲載されたことによって、ビバップで脚光を浴びていたパーカーやガレスピーの陰に隠れ、それまで日陰の身に甘んじていたモンクが、バップの創始者として初めて世の中に広く知られることになった。直後にテナー奏者アイク・ケベックの仲介によって、モンクの自宅を訪れたブルーノートのアルフレッドとロレイン・ライオン夫妻が、それまでの売れない時期にモンクが書き貯めて来た、ビバップの先を目指した斬新な音楽を録音することをその場で決めた。

Genius of Modern Music
Vol.2  Blue Note
モンクの売り出しに奔走したロレイン・ライオンが名付けた「バップの高僧 The High Priest of Bop」というキャッチフレーズは一気に広まり、音楽家モンクのイメージもそれによって広く拡散した。ブルーノートは1947年に3回、1948年にはミルト・ジャクソン(vib)とケニー・ヘイグッド(vo)を加えたセッションで1回録音し、SP盤で売り出したものの、モンクのレコードは思うように売れなかった。1948年の4度目のセッションの後、マリファナ所持を理由に逮捕され有罪判決を受けた結果、キャバレーカードが1年間無効となったモンクは、ニューヨーク市内でクラブ・ギグができなくなり、人前で演奏する機会をほぼ失ってしまう。それでも、ブルーノートはさらに1951年、1952年に各1回、都合6回のセッションを設定した。懸命の売り出し努力と、あの時代にモンクとその音楽の真価を認めたライオン夫妻の慧眼にもかかわらず、結局ブルーノートはモンクを売り出すことができなかった。その音楽があまりに独創的で時代の先を行っていたために、要は大衆どころか批評家の理解と支持さえ得られなかったのだ。こうしてモンクはブルーノートを去り、1952年にプレスティッジと契約することになる。

Genius of Modern Music
Vol.3 Blue Note
下記ブルーノートの6回のセッション、全32曲(別テイク除く)のうち、7曲(たぶん)を除きあとはモンクの作品である。<ラウンド・ミッドナイト>、<ルビー・マイ・ディア>、<オフ・マイナー>、<ミステリオーソ>、<ウェル・ユー・ニードント>、<ストレート・ノー・チェイサー>等々、モンクの名曲の多くがこの時点で既に作曲されていることがわかる。初録音、若手メンバーということもあって演奏は少々荒削りで、後年さらに磨きをかけるモンク的な特長はまだ薄いとは言え、この時点で既にモンクの音楽の骨格はほぼ完成されていることがわかる。若さと、78回転盤の3分という録音時間の制約のために、逆にパワーが凝縮され、どの自作曲からもモンク作品の原石のような力強さと可能性を聞き取ることができる。何より、1940年代後半から1950年前後の時代に、このように斬新な音楽を創造していた天才に驚くほかない。これらは、まさに音楽家セロニアス・モンクの原点と言うべき録音である。

以下は「録音年月順」の6回のセッション記録である。これらの録音はこれまでLP、CDで何度も再発されていて、アルバム・ジャケットも収録曲も曲順もばらばらだが、いずれにしろブルーノートの現CD『Genius of Modern Music Vol.1/2/3』に分散して収録されているはずだ(もしくはComplete Blue Note Recordings)。

1) Sextet: WOR Studios, NYC, October 15, 1947
Idrees Sulieman (tp) Danny Quebec West (as) Billy Smith (ts) Thelonious Monk (p) Gene Ramey (b) Art Blakey (ds)  
  • Humph/ Evonce/ Suburban Eyes /Thelonious  
2) Trio: WOR Studios, NYC, October 24, 1947
Thelonious Monk (p) Gene Ramey (b) Art Blakey (ds)
  • Nice Work If You Can Get It / Ruby, My Dear/ Well, You Needn't/ April In Paris / Off Minor / Introspection
3) Quintet: WOR Studios, NYC, November 21, 1947
George Taitt (tp) Sahib Shihab (as) Thelonious Monk (p) Bob Paige (b) Art Blakey (ds) 
  • In Walked Bud / Monk's Mood / Who Knows / 'Round Midnight
4) Quartet: Apex Studios, NYC, July 2, 1948
Milt Jackson (vib) Thelonious Monk (p) John Simmons (b) Shadow Wilson (ds) + Kenny Pancho Hagood (vo) 
  • All The Things You Are / I Should Care / Evidence / Misterioso / Epistrophy / I Mean You
5) Quintet: WOR Studios, NYC, July 23, 1951
Sahib Shihab (as) Milt Jackson (vib) Thelonious Monk (p) Al McKibbon (b) Art Blakey (ds) 
  • Four In One / Criss Cross / Eronel / Straight, No Chaser / Ask Me Now / Willow Weep For Me
6) Sextet: WOR Studios, NYC, May 30, 1952
Kenny Dorham (tp) Lou Donaldson (as) Lucky Thompson (ts) Thelonious Monk (p) Nelson Boyd (b) Max Roach (ds) 
  • Skippy / Hornin' In / Sixteen / Carolina Moon / Let's Cool One / I'll Follow You