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2018/09/18

秋吉敏子、ルー・タバキンのコンサートを見に行く

9月初めの東京ジャズ2018はスキップした。今年も昨年同様、同日に渋谷区の防災訓練が行なわれたらしいが、場所は昨年と違ってNHKそばの代々木公園ではなく別の場所だったようだ(よかった)。最近本を読んだこともあって、代わりに出かけたのが915日に東京文化会館小ホールで行われた、秋吉敏子とルー・タバキンのデュオ・コンサート、"The Eternal Duo" だ。(ただしいつも通り、私の場合コンサートは聴くというより見に行くという要素が強いが)。せっかく上野公園まで行ったので、ついでに動物園で実物を見たことのないパンダでも見て来ようと思ったが、敬老の日の週で、高齢者がタダで入場できるらしくて年寄りでごったがえしそうなので、行列嫌いもあってやめておいた。これまで見なかったのは、パンダには何の罪もないが、レンタル・パンダだと思うと、つい某国の政治的意図が頭に浮かんで素直に楽しめないこともある。ちなみにディズニーランドも行ったことがないが、こちらはもう一つの某国の、わざとらしいカルチャー満載のところにどうも抵抗があるためだ。

今年2018年は、二人がトシコ・アキヨシ=ルー・タバキンというコンビを結成して50周年ということもあり、秋吉敏子単独ではなく、夫君も一緒にということになったそうだ。二人はコンビ結成の翌年1969年に結婚しているので、来年は結婚50周年(金婚式)ということになる。88歳(秋吉)と78歳(タバキン)というから、おそらくジャズ史上最高齢夫妻による有料ジャズ・コンサートになるのではないだろうか(ギネス入り?)。普通なら、老人ホームで逆に誰かが演奏してくれる音楽をゆっくり聞く側にいてもおかしくない年齢である。昨年のリー・コニッツの東京ジャズ出演時が89歳なので、秋吉氏は一歩及ばない(?)が、それにしても二人ともまだまだ元気だ。特に、さすがに若い(?)タバキン氏は、テナーサックス、フルート共に、大きな体全体を武道家のように使った豊かな音で、エネルギッシュに吹き切って、まったく年齢を感じさせないのがすごい。秋吉氏は相変わらず、黒柳徹子氏以外に今はめったに聞けない正しい日本語で、クールな喋りを聞かせたが(私は彼女の話し方が好きだ)、さすがに全身を駆使しなければならないピアノという楽器相手では、時々体力的にきつそうに見えたが(時々鼻をかんでいたので風邪でもひいていたのかもしれない)、それでも全体としてとても88歳とは思えない演奏だった。独特の形状をした小ホールはサイズ、全体に響き渡るアコースティック楽器の音響は良いと思ったが、東京文化会館自体が古い建物(1961年建造)で、座席も昔の日本人体型基準なので、最近のホールに比べるといかんせん座席の前後左右が狭くて、どうもゆったりした気分で聞けない。1990年代に改装しているそうだが、もっと工夫して欲しかった。聴衆層は当然中高年が9割だったが、それでもほとんどがたぶん出演者よりは若い(?)、という何だか不思議なジャズ空間だった。

NHKで放映予定
ジャズ・コンサートでは珍しく、パンフレットにはクラシックのように当日の演奏曲名(全6曲の自作曲名とソロ2曲)と曲の概要が書いてあった(普通のジャズ公演パンフではほとんど曲の紹介はない)。パンフレットの最後に児山紀芳氏の名前と紹介記事が書いてあったが、舞台に登場はしなかったので、児山氏がプロデュースをしたという意味なのだろうか(あるいはパンフ解説?)。デュオ、ソロ、デュオの順で、<Long Yellow Road>から始まり、<花魁譚>、<秋の海>という日本的旋律が聞こえる曲と、ソロ2曲をはさんで<Eulogy>、<Lady Liberty>といういわゆるジャズ曲をミックスした構成で、『ヒロシマ』からの<Hope(希望)>を最後に、コンサートはノンストップ1時間ほどでプログラムが終了した。もう終わりかと唖然としていたら、その後アンコールで3曲追加されたが、それでも終わったのは開始1時間半後の7時半近くだった。短いが、お二人の年齢を考えれば仕方がないだろう。最後は、タバキン氏に支えられるように秋吉氏が舞台後方の独特の音響版の後ろに消えて行った。昨年の東京ジャズでのリー・コニッツもそうだったが、本物のジャズ・ミュージシャンの晩年の後ろ姿には、何ともいえない、どこか胸にじわりと来るものをいつも感じる。

秋吉敏子には1950年代から通算80枚ほどのレコードがあるようで、初期のピアノトリオ、チャーリー・マリアーノとのカルテット時代、1970年代以降のタバキンとのビッグバンド時代などでそれぞれ名盤があるが、私が最近よく聴いているトシコ=タバキンのレコード(CD)は、2006年にカルテットで来日したときの録音『渡米50周年日本公演』(20063月、朝日ホールでの非公開ライブ、TTOCレコード)だ。二人にGeorge Mraz (b)、 Lewis Nash (ds) が加わったカルテットで、今から12年前、秋吉敏子76歳時の録音である。曲目は<Long Yellow Road>、<孤軍>、<Farewell To Mingus>、<The Village Lady Liberty>、<Trinkle Tinkle>、<すみ絵、<Chasing After Love>という7曲で、モンクの<Trinkle Tinkle>以外は自作曲である。秋吉氏がモンクの曲を取り上げるのは珍しいと思うが、これはタバキン氏の希望だったのだろうか? 夫妻共々、本作ではコンサートでもやった<Lady…>のような急速テンポでもまったく年齢を感じさせないほど躍動的で、また<…ミンガス>のようなスローな曲では美しく成熟したバラードを聞かせている。このレコードは盛岡の有名なジャズ喫茶店主、照井顕氏のプロデュースで、当時の新進レーベルTTOCの金野氏が録音したものだそうだが、秋吉氏の名曲をカバーしており、またカルテットでもあることから、秋吉のピアノ、タバキンのサックス、フルート共にクリアに聞こえ、かつムラーツのベース、ナッシュのドラムスのリズムセクションの音も良く捉えられている。加工感のない、ストレートな非常に気持ちの良いジャズ音なので、つい何度も聴きたくなる。できればこういう録音は大口径スピーカーで思い切りボリュームを上げて聴いてみたい。トシコ=タバキンの、スモールコンボでの円熟した、しかし力強い演奏を楽しめる良いCDである。

26歳で単身アメリカに渡り、ルー・タバキンという自分を理解してくれるアメリカ人ジャズマンと出会い結婚し、アメリカでジャズを演奏し続け、ついに彼女にしかない独自の語法とサウンドを獲得した秋吉敏子は、まさにジャズそのものという人生を生き抜いて来た本物のジャズ・レジェンドである。これからもご夫妻で仲良く、まだまだ頑張ってジャズを続けていただきたいと思う。

2017/04/25

誇り高きジャズピアノ職人:トミー・フラナガン

星の数ほどいるジャズ・ピアニストの中でも、デューク・ジョーダンと並んでイントロの見事さとメロディ・ラインの美しさで挙げられる双璧の一人がトミー・フラナガン Tommy Flanagan (1930-2001)だ。ジョーダンには素朴で温かくシンプルな美が、フラナガンの演奏には都会的で洗練された華麗な美が感じられる。二人とも、その辺のピアニストでは逆立ちしても弾けない、美しくて分かりやすいメロディと音を次から次へ紡ぎ出す。

Overseas
1957 Mtronome
特にフラナガンのピアノ・タッチの美しさからは、強い美意識を持つがこれ見よがしにしゃしゃり出ることはなく、しかし決して手を抜かず、いつでも最善を尽くし、最良の仕事をしようとする日本の誇り高い職人気質と相通じるものを強く感じる。端正なその演奏には、ある意味「日本的」気品すら漂っているかのようだ。しかもあれだけ数多くのセッションに参加しながら常に新鮮な聞かせどころがあり、その手のピアニストにままある「どれを聴いても一緒」というマンネリの印象が全くないところがすごい。リズムは勿論、いかに音とフレーズの引き出しが多いか、そしてその使い方にいかに優れたジャズ・センスと高い技術を持っているか、ということだろう。だからフラナガンのリーダー作にハズレはない。どのアルバムも80点以上で、文句のつけようがない。またサイドマンとしてジャズで言う “versatileなプレイヤーという呼称はまさしく彼のためにある。いかなる相手であろうと破綻なく合わせ、サイドで参加したどの演奏でも(アップテンポでもスローでも)、思わず膝を叩きたくなるようなリズムと旋律でピアノを唄わせる部分が必ず出てきて、ジャズの醍醐味を味あわせてくれる。特に惚れぼれするような上品で洗練されたメロディ・ラインはフラナガンの真骨頂だ。

Confirmation
1977 Enja
1950年代にあまたのジャズ名盤に名を連ね、名脇役として知られている一方、自己のリーダー作はウィルバー・ウェア(b)、エルヴィン・ジョーンズ(ds)とのピアノ・トリオ「オーバーシーズOverseas」(1957 Metronome)が最初で、それ以降60年代からはジャズ・ビジネス環境の変化もあり、70年代前半にはエラ・フィッツジェラルドの歌伴を中心とした時期を送るなど10年間ほどは寡作だった。しかし77年に再びエルヴィン・ジョーンズ (ds) を迎えてドイツEnjaレーベルに吹き込んだ、「Overseas」の再演とも言える「エクリプソEclypso」で主役としての登場機会が一気に増加し、その後2001年に亡くなるまでコンスタントに上質なリーダー作をリリースし続けた。特に再び脚光を浴びた70年代後半はバップ復興の流れと、フラナガンもまだ40代で経験、気力、体力ともに充実していたためだろう、全盛期とも言える演奏が目白押しで、Enjaレーベルでの諸作の他、「Montreux ’77 ライヴ」(Pablo)での名演など、どのアルバムも非常に質が高い。

Jazz Poet
1989 Timeless
「コンファメーション Confirmation(1977 Enja) はジョージ・ムラーツ (b)、エルヴィン・ジョーンズ (ds) という上記「Eclypso」と同じメンバーによる演奏で、別take 2曲と、同日録音の他2曲、それに翌78年録音の2曲で編集した言わば「裏Eclypso」である。したがってタイトル曲〈Confirmation (take)〉 などエルヴィンの煽る躍動感溢れる演奏も勿論楽しめるが、全体に歯切れのよい動的な「Eclypso」に比べ、フラナガンのバラード・プレイが美しい 〈Maybe September〉、〈It Never Entered My Mind〉 などの印象から、静的なイメージの強いアルバムだ。ジョージ・ムラーツの深々としたよく唄うベースも聴きどころで、フラナガンの70年代を代表する作品の一つとして誰もが楽しめる優れたピアノ・トリオだ。また80年代以降も何枚もの秀作をリリースしているが、中でも「ジャズ・ポエト Jazz Poet」(1989 Timeless)では、ジョージ・ムラーツ(b)、ケニー・ワシントン(ds)と、タイトル通りフラナガンの美的センスが生かされた素晴らしい演奏が聴ける。特に 〈Lament〉  〈Glad to be Unhappy〉のようなバラード演奏はイントロからして溜息が出るほど美しく、さらにルディ・ヴァン・ゲルダーによる録音がフラナガンの美しいピアノの音色を見事にとらえている。