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2018/12/09

ジャズ・ギターを楽しむ(4)ジャンゴの後継者たち

Djangology
Django Reinhardt
ヨーロッパのジャズは、クラシック音楽の長く、厚い伝統の上に、1960年代からブリティッシュ・ロック、フリー・ジャズ、フリー・インプロヴィゼーションという新たなジャンルの生成と発展を経験したことから、アメリカとは異なる独自のジャズの歴史を築いてきた。中でもギターは、その歴史がもっとも濃厚に表れている分野だ。昨年、映画『永遠のジャンゴ』が公開されて、最近また注目を浴びているジャンゴ・ラインハルト Django Reinhardt (1910-53) だが、チャーリー・クリスチャン Charlie Christian (1916-42) がアメリカで注目される以前から、フランスを中心にしたヨーロッパで、ジプシー(ロマ)音楽と、アメリカで当時隆盛だったスウィング・ジャズを融合したジャズ(現在は “マヌーシュ -Manouche- ジャズ” と呼ばれる)で活動していた世界初のジャズ・ギタリストと言われている(もちろん見方によって、誰が世界初かには諸説ある)。ベルギー人ジャンゴは、1930年代からフランス人ヴァイオリニスト、ステファン・グラッペリと共同で、ホーン楽器やピアノのない弦楽器だけのアンサンブル「フランス・ホットクラブ五重奏団」を率いて、独特のサウンドと、超絶のギターテクニックで人気を博していた。ヨーロッパでは、ホーン奏者やピアニストは、大方がアメリカのジャズの影響の下に成長していたが、ベルギーのルネ・トーマ、イギリスのデレク・ベイリー、ハンガリーのアッティラ・ゾラー、ガボール・サボのようなユニークな人たちがいる一方で、当然ながら1930年代から既に活動していたジャンゴの強い影響を直接、間接的に受けたギタリストが数多く、ヨーロッパのジャズ・ギターは、マヌーシュ・ジャズと、いわゆるモダン・ジャズとが自然に融合してきた長い歴史がある。

Gitane
Charlie Haden &
Christian Escoude

1978 All Life/Dreyfus  
したがって、マヌーシュ・ジャズそのものではないが、ジャンゴ・ラインハルトの影響を強く受けたコンテンポラリー・ジャズ・ギタリストも多い。彼らは自らのアイデンティティとして、ジャンゴへのトリビュートと言うべきマヌーシュ・ジャズ的アルバムを作る一方で、モダン・ジャズは当然として、ロックやフュージョンからの影響も受けた同時代的なジャズも演奏し、それぞれ独自の世界を築いてきた。生年順だとフィリップ・カテリーン Philip Catherine (英, 1942-)、クリスチャン・エスクード Christian Escoude (仏, 1947-)、マーティン・テイラー Martin Tailor (英, 1956-)、ビレリ・ラグレーン Bireli Lagrene (仏, 1966-) などが、ジプシー音楽の伝統を受け継ぐ代表的ジャズ・ギタリストだろう。しかしジャズ的に見ると、ジャンゴの世界は、ある意味でセロニアス・モンクと同じで、オリジナリティが強すぎて、サウンドをコピーしたらそこで終わってしまい、それ以上発展させるのが難しいという性格の音楽だ。マヌーシュ・ジャズの外側で、そのサウンドのエッセンス、あるいはフレーバーを消化してモダン・ジャズとして再構築するのは、非常に難しい挑戦だろうと思う。演奏をイージーリスニング的に振るケースが多いのも、それが理由だろう。ただし、そういう演奏も、マヌーシュの香りをモダンな演奏で楽しめるジャズの一つと考えれば、非常にリラックスして聴ける、独特の音楽としての存在価値は十分にあると思う。私はジャンゴ系の音楽を時々聴きたくなるが、それはジプシー的哀愁とスウィング・ジャズの楽しさが一体となった、独特のフランス的香りを楽しむためであって、ジャズとしてじっくり聴き込もうということではない。現代のギタリストが、それをどう料理してモダンな音楽として楽しませてくれるか、という聞き方だ。したがって、ここに挙げているのも、たまに聴きたくなる、それほど多くはない手持ちのマヌーシュ的ジャズ・アルバムの中から選んだものだ。

Holidays
Christian Escoude
1993 Gitane
フランス人ギタリスト、クリスチャン・エスクードは、若い時期にチャーリー・ヘイデン(b)とのデュオ、『Gitane』(1978 All Life/Dreyfus) というジャンゴへのトリビュート作を作っている。全7曲のうち、ジョン・ルイス作<Django>とヘイデン作<Gitane>を除き、ジャンゴ・ラインハルトの曲だ。ギターとベースが空間で対峙し、ヘイデンの重量感のあるベースとエスクードの鋭角的でエキゾチックなギター、という両者のサウンドをリアルに捉えた録音の良さもあって、デュオとしては珍しく聴き手を飽きさせない、聴きごたえのあるアルバムだ。30歳というエスクードの若さと、相手がヘイデンということもあって、どこか緊張感に富むこのアルバムは、数ある「ジャンゴもの」の中で、いちばんジャズを感じさせる作品だと思う。エスクードはその後、そのものずばりの『Plays Django Reinhardt(1991 Emarcy)という、大編成のストリングス入りのアルバムを発表している。これはかなり編成と編曲に凝った多彩な演奏が続き、いささかまとまりのないアルバムのように感じるが、もう1作『Holidays』(1993 Gitanes) は “Gipsy Trio” と称しているように、ギター3台に、アコーディオン、パーカッションを加えたマヌーシュ的編成で、映画『Deer Hunter』のテーマなどを含めて選曲も良く、全体に静謐で、モダンなサウンドが非常に美しいアルバムだ。

Spirit of Django
Martin Tailor
1994 Linn
ステファン・グラッペリのバンドに長年在籍していたマーティン・テイラーも、90年代からソロ演奏活動と併行して、“Spirit of Django”というグループ活動をしながら同名の『Spirit of Django』(1994 Linn) というアルバムを残している。テイラーもジプシー系だがUK出身なので、フランスのジャンゴ派ギタリストたちに比べるとサウンドがずっとクールでモダンである。1994年に亡くなったジョー・パスと入れ替わるように登場したテイラーは、ヨーロッパのジョー・パスとも言うべき人で、『Artistry』(1992 Linn)をはじめ、何作か作っているソロ・アルバムがいちばんテイラーらしい。ソロにおけるテイラーの卓越した技術と表現力は、ギターファンなら誰しもが認めるところだ。そのギターテクニックと破綻のないオーソドックスな演奏は、何を聞いても安心して聴けるが、単に技術的に高度なだけではなく(今はそういうギター弾きはいくらでもいる)、ジャズのスピリットとグルーブがどの演奏にも感じられるところがパス後継者にふさわしい。安定したベースランニングに支えられた歯切れのいいリズム、流れるようなメロディ・ライン、優れたヴォイシングによるよく響く美しい音色がテイラーの特徴だ。パスとの違いは、UK出身ジャズメン一般に言えることだが、紳士の国らしくその演奏が「折り目正しい」ことだ。バタ臭くブルージーな味わいは余りなく、音楽の語り口が淡泊で上品である。このアルバムでは多彩なバンド編成(ギター2台、サックス、アコーディオン、ベース、ドラムス)を駆使して、ジャンゴ作の3曲の他、自作曲、スタンダードなど全11曲を演奏しており、滑らかなフレージングと美しいサウンドで、ジャンゴの音楽の精神を伝えている。

Gipsy Project & Friends
Bireli Lagrene
2002 Dreyfus
フランスのビレリ・ラグレーンは、ジャンゴの再来と言われていた天才少年時代から超絶テクニックで有名で、コンテンポラリー・ジャズの世界で活動する一方、ジプシー・プロジェクトと称して何枚かのマヌーシュ的アルバムを出している(ただラグレーンの技術はすごいと思うが、ジャズ側の作品は私には何となくピンと来ないものが多い。)『Gipsy Project & Friends』(2002 Dreyfus)は、ここに挙げたジャズ・ギタリストのレコードの中では、もっとも本家のジャンゴの世界に近い演奏が聞ける。このアルバムでは、編成(5台のギター、ヴァイオリン、ベース)、多彩な選曲(知らないフランスの曲も多い)、素晴らしいスウィング感など、ジャンゴの世界を生きいきと現代に再現していると思う。1曲だけだがフランス語ヴォーカル(Henri Salvador)もあって、聴いていてとても楽しめる仕上がりのアルバムになっている。

The Collection
Rosenberg Trio
1996 Verve
最後の1枚は、オランダのジプシー音楽グループ、ローゼンバーグ・トリオ Rosenberg Trioだ。ジャンゴの血を引くと言われるストーケロ・ローゼンバーグ Stochelo Rosenberg (1968-) が親族と結成したギター・トリオで、1989年にデビューし、メンバーは変わっているが今でも活動しているようだ。私が持っているのは『The Collection』(1996 Verve) という、当時の彼らの4作品から選んだ演奏のコンピレーションCD 1枚だけだ。このグループはいわゆるジャズ・バンドではなく、リード・ギターとリズム・ギターという2台のアコースティック・ギターとベースのみを使って、ジャンゴの世界を現代風アレンジのギター・アンサンブルで聞かせるというコンセプトであり、マヌーシュ・ジャズの本流と言っていいのだろう。選曲もボサノヴァやタンゴの名曲までカバーし、メリハリのきいたリズムを刻み、鋭く正確なピッキングで高速フレーズを難なく弾きこなすその演奏技術は素晴らしいものだ。

マヌーシュはマイナーな音楽と思われてきたが、最近では奏者や、演奏を楽しむ人も増え、日本でも徐々に支持する人が増えているようだ。天才ジャンゴ・ラインハルトが、ヨーロッパの伝統的ジプシー音楽と、アメリカの明るく、当時としては新しいスウィング・ジャズを融合させて創造したマヌーシュ・ジャズは、哀愁を帯びたメロディでありながら、重くならずに軽快にスウィングし、古くて、しかしどこか新しい、という不思議なサウンドがノスタルジーを感じさせ、理屈抜きに人の心の深部に訴える何かを持っている。つまり「辛く哀しいこともあるが、どこかに希望もある」という人生の機微と真実を、ある意味で哲学的に伝える音楽とも言える。これは、フランスのシャンソンにも、初期のアメリカのジャズにも、ブラジル音楽のサウダージにも通じるフィーリングであり、国や民族に関わらず、人間誰しもが持つ情感を呼び起こす普遍的とも言える音楽の力だ。それが、ジャンゴが生んだマヌーシュ・ジャズ最大の魅力であり、現在も国境を越えて多くの人に聴かれている理由だろう。

2018/05/18

アメリカン・バラード: チャーリー・ヘイデン

アメリカに行ったことがある人なら、飛行機の窓から初めて眺めるアメリカ大陸の広大さに驚くのが普通だ。何せ昔は4時間飛んでも西海岸から東海岸に辿り着けなかったのである。ニューヨークなどの大都市を別にすれば、アメリカという国の大部分は田舎で、場所によっては地上に降りても山や起伏がどこにも見当たらない場所もある。どこまで行っても地平線しか見えない真っ平な土地なのだ。そういう場所で生まれ育った人がどういう世界観や感性を持つようになるのかは、日本のように四方を山で囲まれた狭い土地で育った人間には想像もできない。

Gitane
1978 All Life
アメリカは同時に雑多な人種が入り混じって出来上がった国でもある。植民地から独立して建国したのは1776年(江戸時代中期)であり、日本の明治維新の頃には内戦・南北戦争があって、1865年にそれまで続けてきた南部の奴隷制がようやく廃止され、表向きは黒人が解放されたものの、彼らに国民として当たり前の公民権を与える法律がようやく制定されたのは、それから100年経った1964年、東京オリンピックの年である。それまで奴隷だった黒人に加え、アメリカ先住民、フランス系、イギリス系、アイルランド系、ドイツ系、オランダ系、イタリア系、ユダヤ系、中南米系、アジア系などあらゆる人種が移民として集まり、混在しながら国を形成してきた。日本人のように、生まれた時から同じような顔をして、同じ言語を話し、同じ文化を持つ人たちに囲まれているのが当たり前で、何千年もそれを不思議とも思わず、海という国境線のおかげで「国家」すら意識せずに生きて来た国民と、アメリカ人の世界観や感性が違うのは当然だろう。彼らは “たった” 240年前から、先祖に関わらず「アメリカ」という自分の属する国をまず意識し、次に「アメリカ人である自分」も常に意識しなければならなくなった。常に「自分は何者か」ということ(Identity)を意識しなければ生きて行けないのがアメリカ人なのだ。そのためにはまず、あるべき理想(Vision)を掲げ、そこに到達するための目標(Goal)と道筋(Strategy)を定め、さらにいくつかのステップ(Milestone)を決め、それを他者に提案し、説明し、合意を得ることを常に強いられることになった。個人レベルでも組織レベルでも、このプロセスは同じだ。自らの主張とそれを他者に分かりやすく伝えるためのプレゼンテーション、というアメリカでは必須とされるコミュニケーション技術はこうして生まれ、育まれてきた。この国では、“黙って” いては誰も自分の存在を認識してくれないのだ。それは絶えざる自己表現と、他者との競争というプレッシャーを受け続けることでもある。だがその重圧を担保してきたのが、広大な土地と豊かな資源、それに支えられた豊かな経済、移民に代表される開かれた社会、誰でも多様な生き方を選べる自由、そして誰にでもある成功のチャンス、アメリカン・ドリームだった。

Beyond the Missouri Sky
1997 Verve
そういう国で生きるアメリカ人が感じる見えないプレッシャーは、いくらアメリカ化してきたとは言え、基本的に何でもお上が決めて、それに従い、同じような人間同士が和を第一として組織や共同体に従順に生きてきた日本人のそれとは違うものだろう。だからその重圧や、そこから逃れてほっとする気分を表現した音楽の印象もどこか違う。差別され続けてきた黒人は歴史的にブルースやジャズという音楽の中で、そのどうにもならない重圧と嘆きを歌うことで、そこから解放されるささやかなカタルシスを得てきたのだろう。一方の白人音楽家も、アメリカのポピュラー音楽の作曲家やジャズ・ミュージシャンに見られるようにユダヤ系の人たちが多く、彼らは黒人ほどの差別は受けなくとも、異教徒としての微妙な疎外感とアメリカで生きる重圧から逃れて、ほっとできる、心を癒す美しい音楽を創り、また演奏してきた。ただし、どんなバックグラウンドを持った人でも、アメリカという新しい国への帰属意識を持ち、そこで生きながら、同時に自分の先祖のルーツを知りたいという潜在的願望は常に持っていることだろう。ジャズは、そうした複雑な人種的、文化的混沌を背景に持つ「アメリカという場所」で生まれた音楽なのだ。果ての見えない大地を感じさせるようなパワーと雄大さ、細かなことにこだわらない自由と寛大さ、現在に捉われずに常に新しい何かを求める革新性を持つ一方で、自分が何者なのかを常に意識せざるを得ない不安と繊細さを併せ持つのがアメリカという国と人とその音楽の特徴だろう。ジャズの中にも、アフリカへの郷愁につながる黒人のブルースの悲哀だけではなく、そうした複雑な背景を持つ「アメリカ人」ならではの哀愁や郷愁を強く感じさせる音楽がある。自らを “アメリカン・アダージョ” と称していたベーシスト、チャーリー・ヘイデン Charlie Haden (1945-2014) のリーダー作や参加作品には、そのような気配が濃厚なアルバムが多い。

Nocturne
2001 Verve
チャーリー・ヘイデンというベーシストは、私にはいわゆるアメリカ人の原型のような人に見える。基本的にアメリカを心から愛し、知性とチャレンジ精神に満ち、人間的包容力と人格に秀で、また善意のコスモポリタンであり、世界の様々な国の人と分け隔てなく協働でき、幅広い人脈を持ち、しかしアメリカ的正義の観点からは他国の政治問題にも口を出し、思想やコンセプトを重視し、またそれを実現するためのプロデュース能力に秀でている……という私の勝手なイメージが正しければ、これは伝統的アメリカ中産階級のリーダー像そのものだ。これに、どんな相手にも合わせられるバーサタイルなジャズ・ベーシストという本来の仕事を加えるとチャーリー・ヘイデンになる。この人間分析が当たっているかどうかはともかく、ヘイデンのキャリアと、そのベースからいつも聞こえてくる悠然とした、豊かで安定した音からすると、あながちはずれていないような気もする。ジャズ史に残る白人ベーシストと言えば、早世したスコット・ラファロや今も活動しているゲイリー・ピーコックなどが挙げられるが、ヘイデンも彼らとほぼ同世代だ。ベースの専門家でもないので、黒人ベーシストと非黒人ベーシストとの演奏上の本質的違いなどはよくわからないが、ニールス・ペデルセンやエディ・ゴメスなども含めて、共通点はどちらかと言えば “ビート” の印象よりも、よく “歌う” ということではないだろうか。ヘイデンはこれらの奏者に比べると高域まで歌いあげることは少ないが、ウッド・ベース本来の低域の太く重量感のある歌を伝える技量にとりわけすぐれていると思う。フリージャズで鍛えられた和声とリズムへの柔軟な対応もそうだ。そして彼のもう一つの特徴が、上記のアメリカ的抒情と郷愁を強く感じさせる演奏と作品群である。

ヘイデンは1950年代末からオーネット・コールマン、キース・ジャレット、ポール・ブレイ、カーラ・ブレイ、パット・メセニーなど数多くの、多彩な、かつ革新的なミュージシャンと共演し、数多くのアルバムを残してきた。ここに挙げた私が好きな4枚のアルバムはそれぞれ異なるコンセプトで作られているのだが、どの作品からも “アメリカン・バラード” とも言うべき、癒しと懐かしさの漂う、ある種のヒーリング・ジャズが聞こえてくるような気がする。ジャズシーンへの本格的参画がアヴァンギャルドだったことを思うと意外だが、アイオワ州出身のヘイデンが子供の頃から聞いてきたヒルビリーやカントリー・アンド・ウェスタン(C&W)という、黒人のブルースとは別種の、これもまた多くのアメリカ人の心に深く染みついた固有のフォーク音楽がその音楽的ルーツとなっているからなのだろう。

Nearness of You
The Ballad Book
2001 Verve
『ジタン Gitane』(1978)は、フランスのジプシー系ギタリスト、クリスチャン・エスクードとのギター・デュオでジャンゴ・ラインハルトへのトリビュートだが、雄大で骨太なヘイデンのベースがエスクードのエキゾチックで鋭角的なギターを支え、最後まで緊張感が途切れず、聞き飽きない稀有なデュオ作品だ。ヘイデンはこの他にも多くの優れたデュオ・アルバムを残しているが、中でもパット・メセニーとの美しいギター・デュオ『ミズーリの空高く Beyond the Missouri Sky』(1997)は、タイトル通りメセニーの故郷ミズーリ州をイメージしたアメリカン・バラードの傑作だ。一方キューバのボレロを題材にし、漆黒の闇に浮かび上がるような甘く濃密なメロディが続くラテン・バラード集『ノクターン Nocturne』(2001)もヘイデン的傑作であり、ゴンサロ・ルバルカバ(p)、ジョー・ロヴァーノ(ts)に加え、ここでも一部メセニーが参加して、究極の美旋律を奏でている。そして、マイケル・ブレッカー(ts)をフィーチャーし、パット・メセニー、ハービー・ハンコック(p)、ジャック・デジョネット(ds)、さらに一部ジェームズ・テイラーのヴォーカルまで加えた『ニアネス・オブ・ユー The Ballad Book』(2001) も、まさしくヘイデン的アメリカン・バラードの世界である。これらのアルバムとそこでのヘイデンのベースを聴くと、私はまず「アメリカ」をイメージし、そして会社員時代に付き合っていた、素朴で善良なアメリカ人の典型のような人物だった、心優しいある友人をいつも思い出すのである。

2017/06/15

リー・コニッツを聴く #7:ピアノ・デュオ

1967年の全編デュオのアルバム「デュエッツDuetts」(Milestone)以来、コニッツはピアノレス・トリオと並んで、デュオのフォーマットを好んできた。インプロヴィゼーションのためのスペースがより広いことがその理由で、自分のコンセプトをより自由に実行でき、かつ相手の音をより緊密に聴くことができるからだ。一方、50年代半ば以降、自身がリーダーのバンドを持たなかったコニッツは、60年代後半からはヨーロッパでの活動が増え、北欧、ドイツ、イタリア、フランスなど各国の現地ミュージシャンとの他流試合を重ねていて、さながら「アルト一本渡り鳥」のような人だった。オーストリアが自身のルーツの一つであり、またその後近年までドイツのケルンに住んでいたように、クラシックの伝統とフリー・インプロヴィゼーションの発展など、ジャズだけでなく様々な音楽を受け入れてきたヨーロッパの懐の深さが、コニッツにとっては居心地が良かったのだろう。そうした経験がその後のコニッツの音楽に影響を与えたとも言えるが、その過程でヨーロッパ各国のミュージシャンとの人脈も形成し、その中から有望な人たちを発掘することにも貢献してきた。

Toot Sweet
with Michael Petrucciani
1982 Owl
ピアニスト、ミシェル・ペトルチアーニ Michael Petrucciani (1962-99) との邂逅もそのひとつであり、1982年にフランスOwlレーベルに録音されたデュオ・アルバム「トゥート・スウィート Toot Sweet」でのコニッツとの共演をきっかけに、ペトルチアーニがアメリカや世界のジャズ・マーケットに初めて紹介されることになった。録音時コニッツは55歳、ペトルチアーニはデビュー間もない19歳でコニッツとは初顔合わせのセッションだった。まだ19歳のペトルチアーニは巨匠との一対一の共演という場に、おそらくさすがに緊張と尊敬の入り混じった複雑な心理だったろうが、コニッツの繰り出すアブストラクトな独特のフレーズに対し、見事に音楽的応答をこなしている。また、このアルバムでのコニッツのサウンドは、厚くハスキーに録れていて、ペトルチアーニの華麗なピアノ・サウンドと好対照だ。それぞれのソロ各1曲を含む6曲はいずれも聴きごたえがあるが、中でも約16分に及ぶ<ラウンド・アバウト・ミッドナイト>と<ラヴァー・マン>という2曲に聞ける両者の長く美しい、かつ刺激的な対話は、「汲めども尽きぬ」という表現がまさにふさわしい即興デュオのひとつの極致だろう。ソロやデュオ作品というのは、ずっと聴き続けるのが結構大変なものが多いが、このアルバムはそうではなく、インプロヴィゼーションを通じた二人の対話には最後まで興味がつきることがない。

Solitudes
with Enrico Pieranunzi
1988 Philology
マーシャル・ソラール他とのイタリア録音がきっかけで、コニッツにとってヨーロッパの中でもイタリアとの交流が特に深いものになった。その後イタリアのレーベルPhilologyに数多くの録音を残しており、エンリコ・ピエラヌンツィ Enrico Pieranunzi とのピアノ・デュオ「ソリチュード Solitudes」(1988) もその1枚である。ピエラヌンツィは自己のソロやトリオでの活動の他、ジョニー・グリフィンやチェット・ベイカーと、また80年代はコニッツとも頻繁に共演していたが、二人が共演したアルバムとして残されているのは本作のみのようである(調べた範囲で)。ピエラヌンツィはクラシック的な構築感のある美しい演奏が多いが、かなりフリー的表現も試みる人で、それは80年代に共演したコニッツの影響が大きいと語っている。このアルバムでは、二人がよく知られているスタンダード全11曲(+別テイク3曲)にチャレンジしている。コニッツはこの後1990年代にもペギー・スターンなどピアニストとのデュオ作品をPhilologyに残しているが、当然のごとく各アルバムには二人の奏者間の対話独特の味があって、それぞれが違い、それぞれが楽しめる。デュオというのは、普通は聴き手にもある種の緊張を強いるものだが、イタリア録音のこれらのアルバムは、お国柄もあってどことなくリラックスしているところが良い。しかし、さすがにピエラヌンツィとのこのCDは、82年のミシェル・ペトルチアーニとのデュオに近いハードなジャズ的緊張感もそこはかとなく漂わせていて、じっくり聴くことを要求する。

Italian Ballads Vol.1
with Stefano Battaglia
1993 Philology
コニッツとステファノ・バターリア Stefano Battaglia (1965-) のデュオ「イタリアン・バラッズ Italian Ballads Vol.1」(1993 Philology)は、タイトルが示すように、よく知られたイタリアのポピュラー曲を素材にしている。この当時66歳のコニッツは2度目の絶頂期であり、安定した、成熟したプレイを聞かせていた時期で、一方バターリアはまだ20代後半の若さで、ライナーの写真ではスキンヘッドの今と違って長い髪をしている。コニッツは80年代以降のデュオ録音では、非常にアブストラクトな表現をするときと、繊細に美しくメロディを歌わせるときがある。他の作品と違ってこのアルバムでは全体としてアブストラクトな表現を避け、丁寧にメロディを歌わせることに徹しており、安定したピッチで、微妙な音色とニュアンスによって「歌う」表現を試みている。素材そのものが通俗的で、感傷的な歌ものだということもあるが、バターリアのクラシカルでクールな美しいピアノ伴奏を得て、それをどこまで洗練されたジャズ・デュオにできるかがテーマだったろう。そして見事にそれに成功していると思う。何も考えずに、深夜いつまでもじっと聴いていたくなるような、クールで美しいデュオである。

Live-Lee
with Alan Broadbent
2000 Milestone
「ライヴ・リー Live-Lee(2000 Milestone) は、ロサンジェルスのクラブ「ジャズ・ベイカリー」でアラン・ブロードベントAlan Broadbent (1947-) とのデュオをライヴ録音したアルバム。全11曲で、スタンダード中心の選曲だが、お馴染みトリスターノの<317 East32nd>と<Subconscious-Lee>も取り上げている。ブロードベントはニュージーランド出身という珍しいピアニストで、コニッツが完全に師の元を去った後のトリスターノ・スクールで、1966年から約2年間トリスターノに直々に師事した人だ。その間コニッツたちと同じく、レスター・ヤングのソロを研究するという指導を受けている。その後ウッディ・ハーマンをはじめ、ネルソン・リドル、ヘンリー・マンシーニ等の楽団編曲の経験を経て、歌手ナタリー・コールの伴奏者、編曲者、さらにチャーリー・ヘイデンのカルテット・ウエストに参加、また歌手ダイアナ・クラールの編曲者としても活動し、グラミー賞も2度受賞している。しかしこのアルバム以前にコニッツとの共演記録はない。そういうわけで、このアルバムはトリスターノ・スクールの先輩と後輩による同窓デュオのようだとも言える。ブロードベントは、歌手アイリーン・クラール Irene Kral (1932-78) との素晴らしいデュオ・アルバム、「ホェア・イズ・ラヴ? Where Is Love?(1974 Choice) での寄り添うような見事な歌伴が記憶に残っているが、その後も女性ヴォーカリストの伴奏を手がけているように、非常に繊細な表現をする人だ。ここでのコニッツのプレイはいつも通り、時々出て来るアブストラクトな感じと、メロディアスな部分が微妙に入り混じっていて、2人の対話が不思議な心地良さを感じさせるデュオ・アルバムとなった。