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2018/06/21

ジャズ的陰翳の美を楽しむ(1)

蝋燭の時代からガス燈へ、さらに白熱電球から蛍光灯へ、そして今LEDへと、その昔、谷崎潤一郎が礼賛したような微妙な明と暗、光と影が織り成す「陰翳」は、少なくとも日本の夜からはほぼ消滅したかのように見える。ところが谷崎が日本の美意識と対照的だとした欧米では、古めのホテルなどに泊まると、うす暗い部分間接照明が多くて、本などまともに読めないくらい部屋の中が暗いことがある。そうしたホテルの部屋は、最初は気が滅入るが、慣れるとその仄暗さが逆に落ち着いた気分にしてくれて、徐々に快適に感じられるようになる。反対に、普段は気にもしていない日本の普通の家屋が(自分の家も含めて)、部屋の隅から隅まで不必要に明るく照らし出していることに気づく。大都市の街中に乱立する電柱と、空を遮る見苦しい電線と同じで、日本人には見慣れて当たり前になって気づいていないのだが、この明るさへの感覚も、戦後の高度成長期のあの白々しい蛍光灯の家庭への急速な普及によるところが大きいのだろう。家の中が “こうこうと" 明るいと、当時はなんだか豊かで幸せになったような気がしたからだ。経済的な豊かさを (物理的に) "明るい" 我が家が象徴しているように思えたし、当時は日本中の家庭が同じように感じていたのではないかと思う。そのかわり、何もかもがのっぺりして見え、光と影が作り出す陰翳の生まれる余地もなく、谷崎の好んだような世界とは程遠い、見事に “明るい” 環境が日本の夜に生まれた。こうした光の世界が、日本人の感覚や感性に長期的に、微妙な影響を与えていることは間違いないのだろう。今は対極にあるような派手なイルミネーションやプロジェクション・マッピングなどが全盛の時代だが、とはいえ、陰翳に対するそうした独特の感受性を日本人がまったく失ったというわけでもなく、ジャズのような西洋の音楽の中に陰翳の美を見出す、という聴き方も伝統的に存在してきた。

ジャズはその出自からしても基本的に夜の音楽だ。ジョージ・ウィーンが企画した1954年のニューポート・ジャズ祭以降、昼間の興行としても行なわれるようになり、ノーマン・グランツによって狭く暗いジャズクラブから明るく大きなコンサートホールへと演奏場所が拡大しても、狭く仄暗いジャズクラブで、ステージ上でミュージシャンが仄かな照明で照らされながら演奏されるジャズが、やはりいちばんジャズらしい。スウィング時代のダンスホールでの伴奏音楽から、演奏そのものを聞かせるモダン・ジャズ時代になってその傾向はさらに強まった。ただそうは言っても、ジャズはブルースを基調にしながらも躍動的な “ビート” が基本の音楽なので、ライブでもレコードでも一般的にはダイナミックな演奏が大半であり、スローな演奏は、たいていの場合一息入れる途中の休憩みたいに扱われてきた。そうした中にあって、決して大名盤とかいうレコードではないが、ほぼ全編がゆったりとしたブルージーな演奏で占められながら、ポップな、あるいは甘ったるいバラード演奏ではなく、シブく、クールで、大人の香りのする、文字通り微妙な “陰翳の美” を感じさせるジャズアルバムも残されている。そしてライブ演奏ではなく、レコードを中心に繰り返し聴いて細部にこだわるという日本のジャズ文化が、ソニー・クラークのような微妙な "陰" を持つピアニストのように、欧米ではなかなか理解されなかったジャズ・プレイヤーの魅力を "発見" してきたことも事実だ。ジャズの世界においても発揮されてきた、この独特の日本的感性はやはり世界に誇れるものだ。そうしたジャズ的陰翳の美を感じさせるアルバムをいくつか紹介したい。

Art
Art Farmer

1961 Argo
トランペットという楽器は、一般的にジャズ・コンボにあっては花形で目立つ存在であるべきで、クリフォード・ブラウン、リー・モーガン、フレディ・ハバードなどよく謳う奏者がその典型だ。一方、ケニー・ドーハム、マイルス・デイヴィスや、このアート・ファーマー(Art Farmer 1928-99)のように高らかに謳い上げず、音を選び、どちらかと言えば穏やかでリリカルな演奏を得意とする奏者もいて、トランペットに限らず日本人は特にこの手の奏者を好んできた。陰翳の美を高く評価し、楽器は鳴らせばいいというものではないと言い、最小の音数とデリケートな奏法で、トランペットのもう一つの世界を提示する名人芸を我々は愛でてきたのである。アート・ファーマーは、ソニー・クラークの『Cool Struttin’』やジェリー・マリガンの『Night Lights』など、吹きまくる作品ではなくブルージーで陰のある作品でこそ、その目立たないが、シブく味わいのある個性が最高に発揮される奏者だ。ファーマーの相棒としてぴったりの資質を持つ、トミー・フラナガンという最高のピアニストによるトリオのサポートを得たこのワンホーン・カルテットによる『アート Art』1961 Argo)は、そのシンプルさと静謐さゆえにベテランのジャズファンも時々帰ってみたくなる世界であり、ジャズの初心者が聴いても、ミディアム・テンポ中心の穏やかで、ソフトな音色とモダン・ジャズのエッセンスを楽しめるアルバムだ。

Modern Art
Art Pepper
1956/57 Intro
アート・ペッパー (Art Pepper 1925-82) も数多くの名盤を残し、特に1950年代の西海岸時代の演奏は多くの人が絶賛するように、どのアルバムを取っても天才的なメロディとアドリブラインに満ち溢れていて素晴らしい。しかしペッパーのもう一つの魅力は、その憂いと湿り気を帯びたような独特のアルトサックスの音色にある。ペッパーのアルトには西海岸の明るい光と影が同居しているのである。ワンホーン・カルテットによる『モダン・アート Modern Art』1956/57)は、そのジャケットとタイトルが象徴しているように、ペッパーの諸作中でもとりわけブルージーで抑えたエモーションと麗しいアルトの音色など、全ての演奏で陰翳と知的な美しさが際立っている。全体に、そこはかとなく漂うノスタルジーもいい。サポートするメンバーもペッパーの名演を引き立て、特にラス・フリーマンの西海岸的ピアノが素晴らしい。本盤のCDは何種類か出ているが、アルトとベースのデュオによる<Blues In> から始まり、<Blues Out> で終わるという構成が示しているように、オリジナルLP収録順に何も追加編集していない盤を勧める。本作のように古典になっているジャズ名盤は、その時代のジャズ作品としてよく考えられたアルバム・コンセプトを持っていて、1枚のアルバム全体の与える印象も込みで作品として完結しているので、そういう聴き方をした方が楽しめるからだ。ただしアート・ペッパーの演奏そのものをもっと聴きたいという人は、<Summertime>などの追加曲が入ったCDを選んだらいいだろう。

French Story
Barney Wilen
1989 Alfa
バルネ・ウィラン (Barney Wilen 1937-96) は別項でも書いたが、1950年代からフランスで活動した名テナーサックス奏者で、映画『危険な関係』ではセロニアス・モンクやアート・ブレイキーなどとも共演している。70年代に一度引退した後、80年代後期に活動を再開し、1990年代になってからは日本のレーベル向けを含めて何枚かCDを吹き込んでいる。バルネのサックスには、ハードボイルド的な硬質さと共に、アメリカの黒人や白人プレイヤーにはない、フランス人の男性だけが持つ独特の抒情と色気のようなものがある。そしてその演奏からは、アメリカにはないヨーロッパ的陰翳の深さが聞こえてくる。フランス映画とジャズの相性の良さについては別項でも書いたが、バルネ・ウィランの演奏と音は、フランス映画独特の光と影のコントラストが常に感じられる映像にまさにぴったりなのだ。『ふらんす物語 French Story』はバルネ復帰直後の1989年に録音され、日本のアルファ・レコードからリリースされたアルバムで、<男と女>、<死刑台のエレベーター>、<シェルブールの雨傘>、<枯葉>など全曲が傑作フランス映画のサウンドトラックや名曲で構成されている。ピアノのマル・ウォルドロンが加わったワンホーン・カルテットによる演奏で、バルネの音といい、ウォルドロンの空間を生かしたモンク的プレイといい、カラーではなく陰翳の濃いモノクロ画面を見ているようなコントラストの強さが感じられる演奏と、それを捉えたサウンドも素晴らしい。現在は別ジャケットによるCDとアナログ盤 (『French Movie Story』) が再発されている。

2017/06/19

ウォーン・マーシュ #1

テナーサックス奏者ウォーン・マーシュWarne Marsh (1927-1987) は、リー・コニッツと共にトリスターノのもう一人の高弟だった。「リー・コニッツ」のインタビューで、インプロヴァイザーとしての同僚マーシュをコニッツは何度も絶賛している。ロサンジェルスの高名な映画カメラマンとヴァイオリニストの母親という芸術家の両親の下で、裕福だが孤独な家庭に育ったマーシュは、1948年から50年代半ばまでニューヨークでトリスターノに師事していた期間を除き、1987年にLAのクラブDonte's 出演中に倒れて亡くなるまで、生涯LAを中心に活動した。サフォード・チェンバレン著の「An Unsung Cat」(謳われざるジャズマン)という伝記でも描かれ、またコニッツの発言からもわかるように、あまり自分を表に出して売り込むような人物ではなかったようだ。そのため脚光を浴びる華やかな場とは生涯縁のないミュージシャンだった。しかしジャズマンらしからぬその内省的で深く沈潜する人格からか、通常のジャズ・ミュージシャンにはない陰翳を感じさせる独特の表現力を持っていた。特にリズムは、生涯にわたってトリスターノのポリリズム的理想を忠実に追求し、類例のないリズム感覚を築き上げた。後年一層磨きをかけた変幻自在のリズムに支えられた、「水底でゆらめくような」としか形容できない不思議なラインと音色の魅力は、マーシュにしか生み出しえなかった独創的な音世界である

Jazz of Two Cities
1956 Imperial
 
トリスターノ・グループのレコードやコニッツの「サブコンシャス・リー」等で、常にサイドマンとして参加していたマーシュが、トリスターノの下を一時離れていた1956年に、故郷のLAに帰って録音した初リーダー作が「ジャズ・オブ・ツー・シティーズJazz of Two Cities」(Imperial)だ。マーシュと同じくトリスターノの弟子だったテッド・ブラウンTed Brown (1927-) と2テナーに、ロニー・ボール(p)、ベン・タッカ―(b)、ジェフ・モートン(ds)というリズム陣 が加わったクインテットによる演奏である。コニッツと同じく、マーシュも50年代半ばのこの頃の演奏が何と言っても最高で、特にこのアルバムでは、おそらく師匠の呪縛から逃れて、明るい故郷LAに戻って演奏したこともあるのか、解き放たれて伸び伸びと飛翔しているかのような実に気持ちのいいプレイの連続である。重たいジャズはどうも…という人にぜひ聴いてもらいたいアルバムだ。トリスターノ派のクールネスとジャズ的エモーションが、高いレベルで程良くバランスした最高度のジャズ的快感を味あわせてくれる演奏の典型であり、今聴いても全く色褪せていない。ロニー・ボールのピアノもその象徴で、トリスターノ的硬質感を保ちながら、実に小気味よくクールにスイングしている。

Free Wheeling
1956 Vanguard
LAにおける同時期のもう1枚は「フリー・ホイーリング Free Wheeling」(Vanguard 1956) で、こちらは同僚テッド・ブラウンのアメリカで唯一のリーダー名義アルバムであり、昔はコレクターズ・アイテムとして有名だった。マーシュに加え、1956年当時(刑務所から)復帰して間もないアルトサックス奏者アート・ペッパー Art Pepper (1925-82) がゲストで参加していたことが、本作の価値と世評を高めたことは疑いない(リズムセクションは上記マーシュ盤と同じ)。トリスターノ派のクールさとは肌合いが違う情緒纏綿たる演奏が魅力のペッパーだが、絶好調だった56年当時の彼を加えたこのメンバーの演奏の出来が悪かろうはずがなく、その邂逅が西海岸ジャズにおける最高レベルの記録として残された。聞いているとマーシュ、ブラウンの2テナーはどっちがどっちかわかりにくいが、ナット・ヘントフによるオリジナル・ライナーノーツには、ペッパーを含めた3人のソロ演奏順が記してある。

Art Pepper with
Warne Marsh
1956 Contemporary
マーシュはまた同時期に録音されたアート・ペッパーのリーダー・アルバム、「アート・ペッパー・ウィズ・ウォーン・マーシュ Art Pepper with Warne Marsh(Contemporary 日本発売) にも参加している(ロニー・ボール-p、ベン・タッカー-b、ゲイリー・フロマー-ds)。復帰後のペッパーは、1956年からチェット・ベイカーをはじめとした共演者と西海岸で矢継ぎ早に録音していたが、LAに戻っていたマーシュとの邂逅もその一つである。当時絶好調だったペッパーはもちろんのこと、そのペッパーを感動させたと言われているこのアルバムでのマーシュも、コニッツとは異なるアルトの名手を相手に素晴らしい演奏を繰り広げている。(これらの録音の一部は、ペッパーの「ザ・ウェイ・イト・ワズ The Way It Was」にも収録されている。)

Warne Marsh Quartet
1957 Mod
e
カルテット編成でマーシュの同時期のワン・ホーン演奏が聴けるのが翌1957年に録音された、ウィリアム・ボックスによるマンガチックな線画ジャケットで有名な「Warne Marsh Quartet」(Mode)だ。ピアノのロニー・ボールに加え、ここではレッド・ミッチェル(b)、スタン・リービー(ds) という西海岸のリズム陣をバックにしてスタンダード曲を中心に演奏しているが、このアルバムでも、Modeレーベルにふさわしい知と情のバランスが絶妙な全盛期のマーシュのテナーが堪能できる。