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2022/12/08

訳書『カンバセーション・イン・ジャズ』出版

表題訳書『カンバセーション・イン・ジャズ / ラルフ・J・グリーソン対話集』(トビー・グリーソン編、小田中裕次訳、大谷能生監修・解説)が、リットーミュージックから来年1月に出版されます。

原書『The Ralph J. Gleason Interviews: Conversations in Jazz』(2016 Yale Univ. Press) は、20世紀米国の著名な音楽ジャーナリスト、ラルフ・J・グリーソン(1917 - 75)が、モダン・ジャズ全盛期の1959年から61年にかけて、サンフランシスコの自宅を訪れた当時の一流ジャズ・ミュージシャンたちと行なった私的インタビューの録音テープを元にした書籍です。1975年のグリーソンの死後、90年代になって自宅倉庫で見つかったテープの文字起こし作業を子息のトビー・グリーソン氏が手掛け、そこから選んだ計14名のミュージシャンとのインタビューを編集し、2016年にイェール大学出版局から書籍として初めて発表したもので、大部分が未発表の対談記録です。邦訳版の本書『カンバセーション・イン・ジャズ』は、原書からヴォーカリスト2名を除く12名を選び、編者による導入部分と、インタビューを書き起こしたテキスト全文を収載しています。昔のジャズファンなら誰でも知っている大物ミュージシャンばかりですが、現代の読者は必ずしもそうではないという時代背景を考慮し、各ミュージシャンの略歴およびインタビュー当時の代表的レコード情報を、参考資料として訳者が補足しています。

グリーソンが約2年の間に対談したのは以下のジャズ・ミュージシャンたちです。当時まだ20代半ばの新人だったクインシー・ジョーンズから、絶頂期のコルトレーンやビル・エヴァンス、グリーソンと同年齢で親しかったディジー・ガレスピー(当時41歳)、さらに61歳のレジェンド、デューク・エリントンまで、幅広い年齢層と多彩なミュージシャンで構成されています。

♦ジョン・コルトレーン ♦クインシー・ジョーンズ ♦ディジー・ガレスピー ♦ジョン・ルイス ♦ミルト・ジャクソン ♦パーシー・ヒース ♦コニー・ケイ ♦ソニー・ロリンズ ♦フィリー・ジョー・ジョーンズ ♦ビル・エヴァンス ♦ホレス・シルヴァー ♦デューク・エリントン

Ralph J. Gleason
1960年代にグリーソンが司会をしていたテレビ番組『Jazz Casual』出演時(1960年)のデューク・エリントンを除き、インタビューは全て、西海岸でのライヴやツアーの合間にバークレーのグリーソン邸を訪れたミュージシャンたちが、同家の居間でごくプライベートな環境で行なったものです。ジャズ黄金時代ならではの豪華メンバーに加え、リラックスした環境下で行なわれたフランクな対話であることが、本書のもう一つの価値です。マイルス・デイヴィスをはじめ、多くのアーティストから信頼されていたジャーナリストであり、インタビューの名手でもあったグリーソンの的確で簡潔な質問に対して、本音で語るジャズ・ミュージシャンたちの肉声を捉えている点が、大幅な編集をしがちな雑誌や新聞に掲載されたインタビュー記事との大きな違いです。中でも、インパルス移籍直後のジョン・コルトレーン、ウィリアムズバーグ橋への隠遁事件直前のソニー・ロリンズ、ビジネス的野心に燃える若きクインシー・ジョーンズ、黄金トリオ結成後間もないビル・エヴァンス、新機軸のジャズ・カルテットを成功裡に運営していたジョン・ルイス他MJQ全員のインタビューはきわめて貴重であると共に、当時の彼らの本音や悩みが率直に語られており、ジャズ史的興味が尽きません。

ラルフ・J・グリーソンは、セロニアス・モンク、ディジー・ガレスピーと同年の1917年(大正6年)、ニューヨーク市生まれのジャズ、ロック、ポピュラー音楽批評家です。1930年代、コロンビア大学在学中に米国初となるジャズ批評誌を創刊し、第二次大戦後は「サンフランシスコ・クロニクル」紙の専属コラムニストとして活動。ナット・ヘントフ Nat Hentoff と並ぶ20世紀米国を代表する音楽ジャーナリストとして、サンフランシスコを拠点に西海岸ポピュラー音楽の潮流を主導しただけでなく、ヘントフと同じく、その批評対象は音楽を超えて政治、社会、文化の領域にまで及んでいました。また「ダウンビート」誌の副編集長兼批評家(1948-60)として同誌の他、「ニューヨーク・タイムズ」紙、「ガーディアン」紙等、多数の主要メディアにも寄稿し、フランク・シナトラ、マイルス・デイヴィス、ボブ・ディラン、サイモンとガーファンクルなど、ジャズとポピュラー音楽界の当時の大スターたちへのインタビューや、主要レコードのライナーノーツ執筆も数多く手がけています。さらにジャズだけでなく、西海岸を中心にしたロック分野にも深く関わり、60年代後半からはジェファーソン・エアプレイン、グレイトフル・デッドなどの西海岸ロックバンドを評価、支持し、1967年には音楽雑誌「ローリングストーン」を共同創刊するなど、ロック批評の分野でも活躍していました。

グリーソンはまた、カリフォルニア州モントレーで現在も開催している「モントレー・ジャズ・フェスティバル」の創設 (1958)、テレビ番組『Jazz Casual』(SF/KQED公共放送)の司会(1960-68)、ディジー・ガレスピーの大統領選出馬応援(1964)、デューク・エリントンのドキュメンタリー映画の制作 (1968) など、多面的な活動で20世紀米国文化の根幹としてのジャズ、ポピュラー音楽の価値を語り、ミュージシャンたちを支援し続けました。没後の1990年には、グリーソンの功績を讃えて、ポピュラー音楽に関する優れた「音楽書」に授与される ”The Ralph J. Gleason Music Book Award" が創設されました。21世紀に入ってから途切れていた同賞が、今年(2022年)米国「ロックの殿堂」(Rock & Roll Hall of Fame)、ニューヨーク大学他の共催で、20年ぶりに復活し、2022年度の同賞には『Liner Notes for the Revolution: The Intellectual Life of Black Feminist Sound』(Daphne A. Brooks)が選ばれています。
100年を超える歴史を持つ音楽ジャズを生んだ米国は、ジャーナリズムの国でもあり、ジャズも演奏記録とその批評に加えて、メディアやジャーナリストによるジャズ・ミュージシャンへの「直接インタビュー」を通して、その歴史が記録されてきた音楽です。そこが、輸入音楽としてレコードの鑑賞と録音情報を中心にしてジャズの歴史が築かれてきた日本との違いです。複数のジャズ音楽家と複数のインタビュアーの組み合わせによるアンソロジー形式のインタビュー本は過去に何冊か出版されており、一人の音楽家だけを対象にした本も、マイルス・デイヴィスの自叙伝や私が訳したリー・コニッツ、 スティーヴ・レイシーをはじめ、これまでに何冊か書かれています。しかし「複数の」ジャズ・ミュージシャンを対象に、同時代を生きていた「単独の」人物がインタビューする形式の対談をまとめた本は少なく、ジャズ史的にも貴重です。なぜなら、これによって各音楽家が語る個人的体験や思想だけでなく、その背景となるインタビュー当時のジャズシーン全体が、一人のインタビュアーの固定された視点を通してフォーカスされ、より明瞭に浮かび上がってくるからです。本書は、公民権運動の高まり、ベトナム戦争本格参戦、ロックやポピュラー音楽の爆発的膨張、フリー・ジャズの発展等、激動の1960年代が始まろうとしていた米国で、モダン・ジャズ黄金時代を生きていたミュージシャンたちが見ていた当時のジャズシーンと彼らのジャズ観を、一流の音楽ジャーナリストが鋭く切り取った貴重な歴史ドキュメントとも言えます。

ジャズと米国の歴史は切っても切れない関係にありますが、ジャズレコード、特にすぐれた「ライヴ録音」は、時としてタイムカプセルを開けたときのような驚きと感動を聴き手に与えることがあります。古いインタビュー記録である本書から感じるのも、まさしく同種の新鮮さと驚きであり、60年という歳月を飛び越えて、モダン・ジャズ全盛期のアーティストの肉声と時代の空気が生々しく伝わってきます。そして本書のインタビュー全体を通読することで、1930年代のスウィング時代のビッグバンドから、第2次大戦後のビバップを経て、1950年代のスモール・コンボ中心のモダン・ジャズ時代へと移り変わるジャズ史の流れが、各ミュージシャンの個人史、人間関係、体験談等を通じてリアルに浮かび上がって来ます。

ジャズはまたミュージシャン個人の哲学や思想、感情を「話し言葉」のように楽器の「サウンド」を通じて表現する音楽芸術です。インタビューは逆に、そのサウンド表現に代わって、彼らが文字通り「自分の言葉」で音楽家としての思想を直接的に表現する場です。ミュージシャンの人格や哲学と、彼らの演奏表現のダイレクトな関係にこそジャズの魅力と真実があると考えている私のようなジャズ好きにとっては、この「言語とサウンド」の関係、すなわち各ミュージシャンの音楽的個性と、その背後にある人間性が、彼らの具体的な「言葉」を通して、どのインタビューからもはっきりと伝わってくるところが本書のもう一つの魅力と言えます(どこまでそのニュアンスを翻訳で伝えられたかは分かりませんが)。半世紀以上前の古い記録ですが、本書にはジャズという音楽と、ジャズを演奏するミュージシャンたちをより深く理解し、楽しむためのヒントがたくさん散りばめられていると思います。

その古い記録を、21世紀の今ごろになって翻訳出版するのには理由があります。本書を起点にして、その後20世紀後半に米国で出版されたジャズ・ミュージシャンへの同形式のインタビュー書を何冊か選び、それらをシリーズ化して翻訳出版することを企画しています。ただし私のようなオールドジャズファンの回顧に偏ることなく、ジャズ史的考察と音楽的な背景を、専門家の視点で客観的に分析・検証していただくために、プロの音楽家かつ批評家であり世代的にも若い大谷能生さんに、「Jazz Interviews Vol.1」と題した本書を含めたシリーズ全体の監修と解説をお願いしています。それらのジャズ・インタビュー本を年代順にシリーズ化して翻訳出版することによって、これまである意味で偏っていたり、あるいは曖昧な印象が強かった「20世紀後半のジャズ史」を、ジャズ・ミュージシャンたちの肉声で内部から辿る(日本語の)「オーラル・ヒストリー」として、よりリアルに描いてみたいと考えています。

今後の翻訳対象書籍は既に何冊か選定していますが、現在の出版界の状況から、この企画を実現するにはジャズファンからの強いご支持が必要と思います。本書への感想、あるいは今後の企画に対するご要望、ご提案等をお持ちの方は、リットーミュージック宛、もしくは本ブログ「Contact」を通じて、小田中裕次宛に直接ご意見をお聞かせいただくようお願いいたします。

2017/08/30

訳書『セロニアス・モンク 独創のジャズ物語』出版

ロビン・ケリー (Robin D.G.Kelley) 著 "Thelonious Monk: The Life and Times of an American Original" (2009Free Press) の翻訳に取り組んで来ましたが、セロニアス・モンク生誕100年目の誕生日にあたる10月10日を前にして、9月27日に(株)シンコーミュージック・エンタテイメントから『セロニアス・モンク 独創のジャズ物語』(小田中裕次 訳)という邦訳書として発売されることになりました。本書は謎と伝説に包まれた独創のジャズ音楽家、セロニアス・モンクの生涯とその実像を描いた初のノンフィクションの物語です。

マイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーンのように誰もが知っているジャズの巨人については、邦訳書を含めてこれまでも数多くの本が日本国内でも出版されています。しかし知名度や商業的観点からはマイナーな存在であっても、創造的な素晴らしいミュージシャンはジャズの世界にはまだたくさんいます。アルトサックスの巨匠リー・コニッツ (1927-) の自伝的インタビューから成る私の前訳書「リー・コニッツ ジャズ・インプロヴァイザーの軌跡」(DU BOOKS 2015年)もそうですが、日本ではあまり知られていないジャズの世界、あるいはジャズ・ミュージシャンの人生や音楽を取り上げた海外の優れた書籍を日本語で紹介し、日本のジャズファンに読んで楽しんでもらうことには21世紀の今でも意味があると思っています。「即興演奏」が命のジャズには、「出て来た音がすべてだ」という考え方もありますが、一方で「自由な個人」の音楽でもあるジャズは、ミュージシャン個人の音楽思想や人生を知ることで、その人固有の音楽世界をより深く理解しめることもまた事実です。今年90歳を迎えるリー・コニッツは、来る9月初めの「東京ジャズ」(NHKホール)にも出演が決定しているそうです。2013年の出演に続くものですが、おそらく最後になるかもしれない今回の来日実現にも、この本による日本でのコニッツ再評価がいくばくか寄与しているかもしれないと思っています。

ジャズ・ピアニストにして作曲家でもあるセロニアス・モンク(1917-82)は、コニッツに比べると世界的知名度も高く、また日本でも従来からジャズの巨人として認知されています。モンクとその独創的音楽の魅力を描いた伝記やエッセイは、海外ではモンクの没後くつか書かれていますが、一方音楽家、人間としてのモンクは誰よりも多くの神話と伝説に満ちた人物でもあり、信頼性の高い情報が限られていたこともあって、これまでその真の姿はアメリカ国内でも正確に理解されているとは言えませんでした。ロビン・ケリーの原書は、その人間モンクの実像と魅力に迫ることに初めて挑戦した伝記で、モンクの生涯を追った著者の14年間に及ぶ研究過程で発掘した多くの新情報や事実を駆使して、知られざるモンクの姿を浮き彫りにしたことによって、2009年の初版以降米国では高い評価を得て来た書籍です。この興味深い本を日本のジャズファンにもぜひ読んでもらいたいと思い、著者の許諾を得て、約1年かけて600ページの原書を翻訳し、昨年夏にはほぼ完訳していました。しかし、この出版不況下では、長大な書ゆえ大部となった日本語完訳版の出版に挑戦してくれる出版社がなかなか見つからず、やむなく昨秋著者に状況を説明し、一部を割愛した短縮版とすることを承諾していただきました。しかし、それでもその長さゆえに難しいとする出版社が多く、邦訳書の出版は半ばあきらめかけていました。幸いなことに、最終的にシンコーミュージック様がその短縮版を取り上げてくれることになり、ようやく出版の運びとなったものです。この間、出版の世界のことも多少学びましたが、リー・コニッツの本も、今回のモンクの本も、こうした分野や視点に関心を持ち、出版の意義を理解していただける編集者がいなかったら、いずれも邦訳書として世に出ていません。音楽書にとっては厳しいビジネス環境ですが、訳者として、そういう方々がまだ出版界におられることに感謝しています。

原書の概要は本ブログ2月度のモンク関連記事(モンク考)他に書いてありますので、興味のある方はそちらをご覧ください(邦訳版巻末の「解説」は、このブログ記事を基にしています)。著者ロビン・ケリー氏(UCLA教授)は米国史を専門とするアフリカ系アメリカ人の歴史学者ですが、学者とはいえ、自ら楽器も演奏し、またジャズを含めたブラック・ミュージックへの造詣も深く、これまでも様々なメディアに寄稿するなど、深い音楽上の知識を持った人物です。したがって著者は、ジャズ音楽家モンクの個人史に、自身の専門分野でもあり、かつジャズと不可分の米国黒人史を織り込むという基本構想の下にこの本を執筆しています。原書では、かなりの部分をそうした歴史的事例の記述にさいているために、ジャーナリストや作家が書いたジャズ・ミュージシャンの一般的伝記類とは趣が少し異なりますが、あくまで事実を重視した学者らしい豊富な史料と正確な記述で、モンクの実像を描くことに挑戦しています。邦訳版は、読者が日本人であることと、上記出版上の制約もあり、著者のご理解と了承をいただいた上で、原書の意図を損なわない範囲で、主として黒人史に関わる詳細な記述の一部を割愛し、ジャズと、モンクの人生、音楽を中心にした音楽書という性格がより強い本となっています。しかし、それでも全29章、704ページに及ぶ長編ノンフィクションとなりました。

本書はまたモンク個人の人生と音楽だけでなく、1940年代初めのニューヨークのジャズクラブ「ミントンズ・プレイハウス」に始まるモダン・ジャズの歴史を俯瞰する視点でも書かれており、特にモンクがその歴史上果たした役割と音楽的貢献にも光を当てています。これはチャーリー・パーカーを中心とした従来のモダン・ジャズ創生史では見過ごされて来た側面であり、音楽家として苦闘し続けたモンクの真の独創性をおそらく初めて具体的に描いたものです。また、その過程で生まれたモンクと多くのジャズ・ミュージシャンたち(エリントン、ホーキンズ、ガレスピー、パウエル、ロリンズ、ブレイキー、マイルス、コルトレーン他)との様々な人間的、音楽的交流も描いており、これらの中には従来日本ではあまり知られていない興味深い事実や情報も数多く含まれています。そして何よりも、モンクの魅力と同時に、本書は一人の天才音楽家を支えていた家族、親族をはじめとする周囲の人たちも描いた温かい人間の物語でもあり、歴史的、客観的視点を貫きながらも、本書の行間からは、人間セロニアス・モンクに対する著者の深い尊敬と愛情が滲み出ています。長い読み物ですが、モンクファンのみならず、ジャズに興味のある人たち誰もが楽しめる物語ですので、ぜひ読んでいただけると嬉しく思います。

  • 以下は邦訳書「セロニアス・モンク 独創のジャズ物語」全29章の目次です。
ノースカロライナ州における19世紀奴隷制時代のモンクの曽祖父の話から始まり、誕生から死に至るまで、モンクの生きた年月に沿ってその波乱に満ちた生涯を辿った物語です。

ノースカロライナ / ニューヨーク / サンファンヒル / 伝道師との旅 / ルビー・マイ・ディア / ミントンズ・プレイハウス / ハーレムから52丁目へ / ラウンド・ミッドナイトビバップ / ブルーノート / キャバレーカード / 何もない年月 / 自由フランス / プレスティッジ / リバーサイド / コロンビーとニカ / クレパスキュール・ウィズ・ネリー / ファイブ・スポット / 真夏の夜のジャズ / タウンホール / アヴァンギャルド / 再びヨーロッパへ / スターへの道 / コロムビア / タイム誌と名声 / パウエルと友情 / アンダーグラウンド / ジャイアンツ・オブ・ジャズ / ウィーホーケン

2017/02/17

訳書『リー・コニッツ ジャズ・インプロヴァイザーの軌跡』

今更ですがブログを始めます。
第1稿はリー・コニッツに関する表題自著PRです。

リー・コニッツ  ジャズ・インプロヴァイザーの軌跡』(アンディ・ハミルトン著 2007 ミシガン大学出版局)という翻訳書を、DUBOOKS様より2015年10月に出版しました。私は「本書の翻訳者」ではありますが、同時に「原著の一読者」でもあります。原著の内容に感動したあまり、翻訳者としての経験がまったくないにもかかわらず、無謀にも、いわばボランティアで邦訳版を出版したいきさつがあります(DUBOOKS様の英断に感謝しています)。おそらく普通なら日本では日の目を見ることはなかった本書ですが、幸いなことに、出版後特にミュージシャンの方々から好意的な書評をいただいています。ジャズファンにとってさえあまり人気があるとは言えないコニッツが主人公で、内容もいささか敷居が高そうで、しかも大部のこの本の面白さをもっと多くの人たちに知っていただくには、多少の導入情報が必要ではないかと思い、ここで「原著の読者」としての立場で、ご参考までに本書について以下にレビューさせていただきます。この本は約5年という歳月をかけた対談形式による一種の自伝ですが、その美点は以下の3点です。

まず第1に、読み物として非常に面白いことです(邦訳がどこまでその面白さを伝えているか、自信はありませんが)。対話の中身は時に真面目、時におかしく、長い本ですが読者を飽きさせません。トリスターノ派の固いイメージはまったくなく、リー・コニッツの真面目ではあるけれど、飄々とした性格(たぶん)がよく出ています。時に他のミュージシャンの批判もしていますが、持ち前の人間性から、常にリスペクトを忘れず、また自らの信念、ジャズに対する愛情が根底に感じられるので、まったく嫌味がありません。

第2に、日本でこのようなジャズ本が出版されたことは未だかつてない、ということです(過去何十冊ものジャズ本を読んできた私がそう思うのですから間違いありません)。ジャズの歴史書でも、レコード紹介でも、個人の感想文でも、ジャズの聴き方の類でも、ジャズ理論や楽器の奏法教授でも、自伝と言う名の自慢話でも、未確認情報や逸話を寄せ集めた伝記の類でもありません。レニー・トリスターノやチャーリー・パーカーと同時代を生きた存命のジャズ巨匠が(今年10月で90歳です)、どのような思想でジャズという音楽に取り組み、即興演奏の本質とは何かを追求し続け、人生を賭して求めてきたものは何なのか、そうした奥の深い問題を、なんの脚色もなく淡々と、かつ明快に自分の言葉で語っています。そして哲学の徒、イギリス人のアンディ・ハミルトンが鋭く、しかしわかりやすい言葉で対話することによって、上手にコニッツの考えを引き出しています。併載されている39人のジャズ・ミュージシャン他によるコニッツを語るコメントも、それぞれ実に面白く興味深いです。そこからジャズの歴史も、ミュージシャンたちの思想も、ジャズ即興演奏の本質も浮かび上がって来ます。おそらく、このようなジャズの世界を日本人が書くのは残念ながら難しいでしょう。

第3に、皮肉にもアーティストという言葉がはびこってから「芸術」という言葉も死語になったような時代にあって、一貫して「芸術としてのジャズを追求する」というコニッツ独自の視点で書かれた本であるということです。だからと言って決して小難しい内容ではありません。ショービジネスと芸術、というコインの表裏のような関係は、他のポピュラー音楽にはない20世紀に生まれたジャズという音楽の持つ宿命です。あらゆるジャズ演奏家がこの問題と格闘してきたのだと思います。本書で語るコニッツの話は、純粋にこの音楽を突き詰めるとどうなるのか、という思想と生き方を示す一例です。それはジャズ創生期から今日まで、70年以上にわたってジャズ・ミュージシャンとして生き抜いてきた人物だからこそ語れる話です。

おそらく、本書にいちばん触発されるのは、ジャズに限らず「音楽の演奏」を志している人たちではないかと思いますが(事実そのような反応が多いです)、聴く人、それもジャズファンだけでなく、音楽を愛する人なら何かを感じ取れる言葉が全編に散りばめられています。むしろ、これまで何となくジャズや即興演奏というもののイメージを掴みかねてきた人が読んだら、目からうろこの話として聞ける部分がとても多いと思います。米国における黒人やユダヤ人という出自の問題、すなわちジャズとアイデンティティの関係などは、音楽が消費材のようになってしまった現代においても、「音楽を演る」、「音楽を聴く」ことの意味を根底から問い直したくなるほどです。

ちなみにジャズ好きな村上春樹氏が、この本の原著(Lee Konitz: Conversations on the Improviser’s Art)2007年に米国で出版された後、2011年に小澤征爾氏との対談本を出版しています(「小沢征爾さんと、音楽について話をする」)。ジャズがクラシック音楽に置き換えられていますが、対談によるスタイル、コンセプト、タイトルともに本書に触発されて書いたことは間違いないでしょう。ジャンルは違いますが、両書の対話で語られていることを比較してみるのも一興だと思います。