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2018/03/21

映画『坂道のアポロン』を見に行く(1)

昨年8月のブログで、漫画『坂道のアポロン』について書いたが、その映画版が今月ようやく公開されたので、出不精の重い腰を上げて見に行った。少し前にNHK BSで「長崎の教会」というドキュメンタリー番組を見たが、隠れキリシタンの伝統や、離島の教会で実際に牧師を目指す青年たちの話が取り上げられていた。キリスト教とのこうした独自の長い歴史が長崎にはある。原作で描かれている主人公の一人、千太郎と教会の関係も、もちろんこうした歴史的背景がモチーフになっている。そこに60年代後期という時代背景(1966年-)、米空母が入港していた軍港佐世保とジャズの関係、海を臨む坂と佐世保の風景など、原作者小玉ユキはこれらの要素を基に、佐世保の高校生を主役にして詩情豊かな昭和の青春ファンタジーとして作品を描いている。原作が名作で、ジャズ音を入れアニメ化されたこれも名作が既に発表されているので、さすがに実写の映画版は苦しいかと思っていた。短い時間内に登場人物の造形や物語の細部までは描き切れないので、どうしてもはしょった展開にはなるものの、それでもこの映画は、原作の持つ世界と透明感をきちんと描いていると思った。昭和40年代という物語の時代設定は古いが、大林宣彦監督の作品世界に通じるものがあって、あの時代を思って涙腺がゆるみがちな「老」も、その時代やジャズを知らない「若」も、青春時代を過ごした「男女」なら誰でも楽しめる永遠の青春映画である。とはいえ、まずは原作コミックを読み、アニメを見て、物語の流れと登場人物の魅力を知った上で、この実写映画を見た方が、佐世保の風景や若い俳優陣の演技、原作との違いなどを含めて、より一層楽しめることは間違いないだろう。

この映画の “星” は何と言っても川渕千太郎役の中川大志だ。千太郎が降臨したかのように、まさに原作通りのイメージで、混血のイケメンで不良だが、内面に人一倍の孤独と優しさを秘めた千太郎のキャラクターを見事に演じた演技は素晴らしい。彼はきっと原作を深く読み込んだに違いない。知念侑李演じる西見薫は最初、原作のイメージからすると都会的繊細さと身長が足らない気がするのと、高い声がどうしても萩原聖人を思い出させて、どうかなと思って見ているうちに、段々それが気にならなくなっていったので、やはり内面的演技力のある人なのだろう。小松菜奈は予想通り、原作の素朴で控えめな迎律子のイメージとは違って美しすぎて、どうしてもマドンナ的になってしまうが、共に両親のいない孤独な薫と千太郎の二人を、まさに聖母のように優しく見つめる律子の温かな視線と、微妙に揺れる乙女心をきちんと表現していて、こちらも見ているうちにまったく気にならなくなった。この主役3人は頑張ったことがこちらにも伝わってきた。ムカエレコード店主で律子の父、中村梅雀は得意のベースの演奏シーンが短くて残念。千太郎が兄のように慕う、ディーン・フジオカの桂木淳一(淳兄―ジュンニイ)は、さすがに大学生役はちと苦しいが、ムード、英語、トランペット、歌唱、どれをとってもまさにはまり役。この二人がからむジャズのセッションをもっと見たかった。

覚えている劇中曲は、この映画のテーマ曲でもあり、薫と千太郎のピアノとドラムスによるデュオ<モーニン Moanin’>(原曲アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズ)、<マイ・フェイバリット・シングス My Favorite Things>(ジャズではジョン・コルトレ-ンが有名)の2曲が中心で、他に淳兄がクラブで唄う<バット・ノット・フォー・ミー But Not For Me>(チェット・ベイカーが有名でもちろん歌のモデルのはずだが、この曲だったかどうか記憶が曖昧)、薫のピアノ・ソロ<いつか王子様が Someday My Prince Will Come>(ピアノはビル・エヴァンスが有名)が少々流れた。他にも何曲かあったのだが、画面に集中していたのでよく覚えていない。中川はドラムスの心得が多少あるという話だが、知念はピアノの経験はまったくなく、譜面も読めないので、見よう見まねの特訓で習ったというから、まるで大昔のジャズマンの卵なみだ。しかし二人とも違和感なく、地下室でも、クラブでも、文化祭のシーンでも、ドラムスとピアノのデュオで目を合わせながら楽しそうに演奏していて(どこまで本人の音なのかは不明だが)、即興で互いの音とフィーリングを徐々に合わせて行くという、ジャズの醍醐味であり、大きな魅力の一つをよく表現できていると思った。ラストシーンとエンドロールは、あれはあれでありだろうが、せっかくジャズをモチーフにしてイントロからずっと流してきたのだから、小松菜奈の唄う<マイ・フェイバリット・シングス>で(下手でもいいから)、そのままエンドロールに入って、ジャズのセッションを続けて(吹き替えでOK)締めてもらいたかった。

ところで、時代設定とジャズという背景、主演陣がアイドルを含むメンバーということもあって、この映画の観客年齢層がいったいどういう構成になるのか、という個人的興味が実はあったのだが、映画を見に行ったのがたまたま月曜日の午後ということもあって、貸し切りか(!)と思えるほどの入りで、「層」を構成するほどの観客がいなかったのが残念だった。土日はもっといるのだろうと思うが、そもそも映画の宣伝が少ないような気もする。若い人がどう感じるかはよくわからないが、ジャズ好きだった中高年層に、原作と映画の存在自体をよく知られていないのではないだろうか。ジャズの演奏シーンを含めて、映画館で見る価値のある良い映画なので(見終わった後、誰でも温かい気持ちになります)、ぜひもっと多くの人に見てもらいたいと思う。ちなみに、今回初めて行った映画館では、セリフも音響も、画面と音量のバランスが良く取れていて、『ラ・ラ・ランド』の時のような異常な爆音ではなかったので、ジャズのセッションを含めて安心して最後まで楽しめた。これからはこちらの映画館にすることにした。

2017/08/18

ジャズ漫画を読む (1) 坂道のアポロン

昔はジャズ漫画と言えば、ラズウェル細木の『ときめきJAZZタイム』くらいしか思い浮かばなかった。ラズウェル細木の漫画は、ジャズ史やジャズ・ミュージシャンのエピソード、ジャズマニアのおかしな生態などを、コアなジャズファンが思わず吹き出してしまうような画風とユーモアで描いた、いわばプロフェッショナル・ジャズ漫画だ。したがって読む側にもかなりのジャズ知識がないと、どこが面白いのかさっぱりわからないという特殊な世界である(ただしジャズファンが読むと、自虐的なギャグ漫画のようで大いに笑える)。だが普通の漫画(コミック)の世界だと、クラシック音楽を描いた『のだめカンタービレ』や『ピアノの森』といった有名な傑作漫画が既にあるが、その種の「ジャズ漫画」というのは読んだことがなく、そうしたジャンルがあるのかどうかも知らなかった。クラシック音楽もジャズと同じで最近は聴く人が減っているようだが、クラシックファンだけでなく、日本人は基本的に誰でも学校でクラシックを習うし、自然に耳に入る機会も多く馴染みがあるので、それほど敷居の高さを意識せずに抵抗なく物語に入っていける「潜在読者」の数も多いのではないかと思う。何より、音の出ない絵だけを見ても、記憶されたクラシックの名曲が頭の中で聞こえて来るので、イメージが喚起しやすいのである。しかしジャズはそうはいかず、昔からまず聞く人が限られているし、今は基礎知識もなくジャズを聞いた経験もない人がほとんどなので、まずジャズという音楽そのものを知らないと、漫画といえども、なかなかすんなりと読んで楽しむわけにはいかないだろうと思っていた。そういうわけで、数年前に娘から教えてもらうまで、ジャズをテーマにした普通の漫画作品があるなど夢にも思わなかった。当然その種の(売れそうもない)漫画を書く作家など出て来るはずもないし、たとえいたとしても、どうせたいしたものじゃないだろうと勝手に思い込んでいて、まったく興味もなかった。ところが、遅ればせながらだが、ジャズをテーマにした漫画にも素晴らしい作品があるということがわかったのだ(知っている人はとっくに読んでいたわけではあるが)。

それが『坂道のアポロン』(小玉ユキ/2007-12)で、1960年代後半の長崎県・佐世保を舞台にしてジャズと恋、友情を描いた爽やかな青春物語である。まさに団塊の世代ど真ん中の時代設定もあり、当時夢中になった若者がたくさんいたモダン・ジャズをテーマとBGMにして、昭和的ノスタルジーを強く感じさせる出色のオールタイム・ジャズ漫画だ。そもそもは少女漫画月刊誌に掲載されていたということだが、題材からして作者が若い(かどうかはよく知らないが)女性というのも驚きだ。物語全体に漂う静謐感、詩情が秀逸で、登場人物の造形、物語の展開、ジャズの描き方など、実際に音が聞こえなくとも紙の上でこういう世界が描けるものかとびっくりした。だが文化祭のシーンが象徴するように、当時の日本はジャズの「全盛」時代だったにもかかわらず、若者の間で人気のあったロックやポップスやフォークの陰に隠れたマイナーな存在だったことも、昨日のことのように思い出す。当時はファッションで聞く人もいたので、本当のジャズ好きはさらに一握りの人たちだけだったのだろう。70年代、張り詰めたような政治の時代が終わり、世の中が軽く明るく(?)なって、ジャズもわかりやすいフュージョンに変容し、聴き手も大学を卒業して普通のサラリーマンになると、ポップスばかりか演歌や歌謡曲ファンに「転向」した人も多かった。これには楽器ができなくても誰でも自分で歌えるカラオケ登場の影響も大きかったと思う。そうした大衆とは縁のない音楽、何をやっているのかわからない音楽、金にならない音楽、精神がとんがった連中(変わり者)が好む音楽…という日本におけるジャズのイメージは昔も今も基本的にはそう変わらないのだろう。ただし、気取った大人が聞くお洒落な音楽というスノッブなイメージが付加されたのは、日本が80年代に入って金回りが良くなり、若い時にジャズを聞いた客層を中心にジャズクラブがあちこちにできたりして、ジャズがそこそこ大衆化したバブル期以降である。それまで、つまり「アポロン」前後の時代は、ショービジネスが出自ではあっても、基本的にはシリアスな音楽芸術、難しいが深い大人の音楽、という受け止め方の方が日本では主流だったと思う。つまりジャズが本当にカッコいい時代だったのだ。

この作品はTVアニメ化もされたのでこれも見たが、菅野よう子が手がけた音楽の出来も良く、しかも漫画では想像するしかなかった「ジャズの音」が、ドラマの中では実際に聞こえてくることもあって、放映中は年甲斐もなく嵌った。若手ミュージシャンによるジャズのサウンドトラックも新鮮で、若者だけでなく、おそらく多くの中高年ジャズファン層が支持したこともあって、番組終了後にはアニメ中のジャズをモチーフにしたライヴ公演の企画まであった(残念ながら聞き逃したが)。そして、来年2018年にはついに映画まで公開されるらしい(現在制作中)。予定キャスティングは、私のような年寄には知らない若い人も多いが、脇役のディーン・フジオカ(桂木先輩役)や中村梅雀(律子の父、ベースを弾くレコード店主役。この人は実際にベースを弾くようだ)など、なるほどと思わせる人たちだが、主人公の一人、迎律子役の小松菜奈(この人はなぜか知っている)は漫画とイメージがちょっと違うのかな、という気がする(原作はもっと素朴で地味なイメージ。ただしそれも映画を見てみないと何とも言えないが)。映画の中でジャズをどう描くか、誰がどういう演奏をするのか等楽しみだが、同時に、この映画の観客層がいったいどういう年齢構成や男女比になるのかということにも非常に興味がある。まさか中高年のおっさんばかり、ということはないだろうと思うが…。