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2018/04/06

仏映画「危険な関係」4Kデジタル・リマスター版を見に行く

日本映画の新作「坂道のアポロン」に続き、恵比寿ガーデン・シネマで特別上映されている仏映画の旧作「危険な関係(Les Liaisons Dangereuses 1960)」4Kデジタル・リマスター版を見に行った。この映画のサウンドトラックになっているジャズ演奏の謎と背景については、当ブログで何度か詳しく書いてきた。ただこれまでネットやテレビ画面でしか見ていなかったので、リマスターされたモノクロ大画面で、セロニアス・モンクやアート・ブレイキーの演奏を大音量で聞いてみたいと思っていたので出かけてみた。

18世紀の発禁官能小説を原作にしたロジェ・ヴァディムのこの映画は、その後何度もリメイクされるほど有名な作品だが、その理由は、単に色恋好きのフランス人得意の退廃映画という以上に、男女間の愛の不可思議さと謎を描いた哲学的なテーマが感じら取れるからだろう。もちろん出演するジェラール・フィリップ、ジャンヌ・モロー他の俳優陣が良いこともあるし、ジャズをサウンドトラックにしたモノクロ映像と音楽の斬新なコンビネーションの効果もある。映画の筋はわかっているので、今回は主にジャズがサウンドトラックとしてどう使われているのかということに注意しながら見ていた。この映画の音楽担当の中心だったモンクの<クレパスキュール・ウィズ・ネリー>で始まるチェス盤面のタイトルバックは、再確認したが、アート・ブレイキーのグループ、デューク・ジョーダンたちの名前は出てくるが、画面にアップになってトランペットを演奏するシーンがあるケニー・ドーハムの名前だけ、やはりなぜか見当たらなかった。映画の画面に登場するジャズ・プレイヤーで目立つのは、ドーハムの他、当然ながら当時売り出し中の若いフランス人バルネ・ウィラン(ts)、パリに移住して当時は10年以上経っていたはずのケニー・クラーク(ds)に加え、デューク・ジョーダン(p)の後ろ姿などで、特にもはや地元民のケニー・クラークのドラムス演奏シーンがよく目立つように使われている。

サウンドトラックの楽曲としては、やはりアート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズによる<危険な関係のブルース(No Problem)>が、派手な演奏ということもあって、冒頭から最後までいちばん目立った使い方をされていて、特にジャンヌ・モローの顔のアップが印象的なエンディングに強烈に使われているので、彼らのレコードが映画の公開後ヒットしたというのも頷ける。ただし以前書いたように、この曲はデューク・ジョーダン作曲であり、しかもブレイキー、リー・モーガン(tp)、ボビー・ティモンズ(p)、ジミー・メリット(ds)というメッセンジャーズ側は、バルネ・ウィランを除き映画には出ないで音だけで、代わってジョーダンを含む上記のメンバーが出演している(もちろんセリフはないが)という非常にややこしい関係になっている。モンクの演奏は、この映画のサウンドトラックに使われた1959年のバルネ・ウィランを入れたクインテット(チャーリー・ラウズ-ts、サム・ジョーンズ-b、アート・テイラー-ds)によるスタジオ録音テープが、音楽監督マルセル・ロマーノの死後2014年に55年ぶりに発見されて、昨年CDやアナログレコードでも発表されたので、映画中の演奏曲名もよくわかるようになった。しかしじっと見ていると、いかにもモンクの曲らしい<クレパスキュール・ウィズ・ネリー>と<パノニカ>の独特のムードが、男女間の退廃的なテーマを扱ったこの典型的なフランス映画の内容にいちばんふさわしいことが改めてよくわかる。そしてモンクの他の楽曲もそうだが、当時はやった派手な映画のテーマ曲に比べて、モンクの音楽がどれもまったく古臭くなっていないところにも驚く。監督ロジェ・ヴァディムは、やはりジャズがよくわかっている人だったのだろう。

Les Liaisons Dangereuses 1960
(1959 Rec/2017
Sam Records/Saga Jazz)
「危険な関係」は1959年制作(公開は1960年)の映画だが、この時代1960年前後は、1940年代後半からのビバップ、クール、ハードバップ、モードというスタイルの変遷を経て、音楽としてのモダン・ジャズがまさに頂点を迎えていたときである。ブレイキー他によるハードバップの洗練と黒人色を強めたファンキーの流れに加え、マイルス・デイヴィスによるモードの金字塔「カインド・オブ・ブルー」の録音も1959年、飛翔直前のジョン・コルトレーンの「ジャイアント・ステップス」も同じく1959年、我が道を行くモンクもCBSに移籍直前のもっとも充実していた時期、さらにギターではウェス・モンゴメリーが表舞台に登場し、ピアノではビル・エヴァンスの躍進もこの時代であり、音楽としてのパワーも、プレイヤーや演奏の多彩さも含めて、ジャズ史上のまさに絶頂期だった。ジャズはもはや大衆音楽ではなく、ハイアートとしても認知されるようになり、当時の思想を反映する音楽としてヨーロッパの知識人からの支持も得て、中でもヌーベルバーグのフランス映画と特に相性が良かったために、この「危険な関係」、マイルスの「死刑台のエレベーター」、MJQの「大運河」などを含めて多くの映画に使われた。実は私は「危険な関係」(日本公開は1962年)をリアルタイムで映画館で見ていないのだが、こうしてあらためて60年近く前の映画を見ても、映像と音楽のマッチングの良さは、なるほどと納得できるものだった。1960年代の日本では、のっぺりと明るいだけのアメリカ映画と違って、陰翳の濃いイタリア映画やフランス映画が今では考えられないほど人気があって、何度も映画館に通ったことも懐かしく思い出した。アメリカ生まれではあるが、アフリカやフランスの血も混じったいわばコスモポリタンの音楽であるジャズと、常に自由を掲げた開かれた国フランスの映画は実にしっくりと馴染むのだ。

しかしこの時代を境に、べトナム戦争や公民権運動など、60年代の政治の時代に入るとモダン・ジャズからはわかりやすいメロディ“が徐々に失われてゆき、ロックと融合してリズムを強調したり、ハーモニーの抽象化や構造の解体を指向するフリージャズ化へと向かうことになる。だから、いわゆる「古き良き」モダン・ジャズの時代はここでほぼ終わっているのである。スウィング時代の終焉を示唆する1945年終戦前後のビバップの勃興がジャズ史の最初の大転換とすれば、二度目の転換期となった1960年前後は、いわゆるモダン・ジャズの終焉を意味したとも言える。その後1960年代を通じて複雑化、多様化し、拡散してわかりにくくなったジャズの反動として、政治の時代が終わった1970年代に登場した明るくわかりやすいフュージョンが、メロディ回帰とも言える三度目の転換期だったとも言えるだろう。さらに、アメリカの景気が落ち込んだ1980年代の新伝承派と言われた古典回帰のジャズは、そのまた反動だ。1990年代になってIT革命でアメリカ経済が息を吹き返すと、またヒップホップを取り入れた明るく元気なものに変わる。こうしてジャズは、音楽としてわかりやすく安定したものになると、自らそれをぶち壊して、もっと差異化、複雑化することを指向し、それに疲れると、今度はまたわかりやすいものに回帰する、という自律的変化の歴史を繰り返してきた。別の言い方をすれば大衆化と芸術化の反復である。マクロで見れば、その背後に社会や政治状況の変化があることは言うまでもない。なぜなら、総体としての商業音楽ジャズは、時代とそこで生きる個人の音楽であり、その時代の空気を吸っている個々の人間が創り出すリアルタイムの音楽だからである。聴き手もまた同じだ。だから時代が変わればジャズもまた変化する。ジャズはそうした転換を迎えるたびに「死んだ」と言われてきたのだが、実はジャズは決して死なないゾンビのような音楽なのだ。逆にそういう見方をすると、セロニアス・モンクというジャズ音楽家が、いかに時代を超越した独創的な存在だったかということも、なぜ死ぬまで現世の利益と縁遠い人間だったかということもよくわかる。映画の画面から流れる<パノニカ>の、蝶が自由気ままにあてどなく飛んでいるようなメロディを聴いていると、その感をいっそう強くする。

ところでこの映画は、昨年7月に亡くなった名女優ジャンヌ・モローを追悼して新たにリマスターされたものらしく、公開は同館で324日から始まっていて、413日まで上映される予定とのことだ。しかし私が座ったのは真ん中あたりの席だったが、この映画館の構造上どうしても見上げる感じになるので首が疲れるし、下の字幕と大きな画面の上辺を目が行ったり来たりするので目も疲れる。年寄りは高くなった後方席で、画面を俯瞰するような位置で見るのが画も音もやはりいちばん楽しめると思った。この映画館の音量は、「坂道のアポロン」と「ラ・ラ・ランド」の中間くらいの大きさで、まあ私的には許容範囲だった。観客層の平均年齢は平日の昼間だったので、予想通りかなり高年齢のカップルが多かった。昼間働いている普通の人には申し訳ないようだが、まあ今はどこへ行っても平日の昼間はこんな感じである。また面白そうなジャズがらみの映画が上映されたら行ってみようと思う。

2018/03/22

映画「坂道のアポロン」を見に行く (2)

映画中で演奏されていた曲を聴いていたら懐かしくなって、昔聴いていたLPCDを久しぶりにあれこれ引っ張り出して聴いてみた。みな有名曲なので、当時は耳タコになるくらい聴いていたレコードばかりだ。

オールド・ジャズファンなら知らない人はいない「モーニン Moanin’(1959 Blue Note) は、ドラマー、アート・ブレイキー(1919-90)の出世作であり、このアルバムをきっかけにして、ブレイキーはジャズの中心人物としての地位を固めてゆく。続く「危険な関係」、「殺られる」のようなフランス映画のサウンドトラックのヒットで、ヨーロッパでも知られるようになり、その後1961年に初来日して、日本にファンキーブームを巻き起こし、日本におけるジャズの人気と認知度を一気に高めた功労者でもある。当時のモンク、マイルス、コルトレーンたちが向かったジャズの新たな方向とは違い、50年代半ばから主流だったハードバップの延長線上にファンキーかつモダンな編曲を導入したベニー・ゴルソン(ts)が、より大衆的なメッセンジャーズ・サウンドを作り出してジャズ聴衆の層を拡大した。このアルバムのメンバーは、この二人にリー・モーガン(tp)、ボビー・ティモンズ(p)、ジミー・メリット(ds)が加わったクインテット。録音されたのが「アポロン」の時代より78年前ということもあって、昔はそれほど感じなかったのだが、今聴くと、実にテンポがのんびりしていることに気づく。訳書「セロニアス・モンク」の中で、ブレイキーとモンクとの親しい間柄の話も出て来るが、二人の個人的関係や、“メッセンジャーズ”というバンド名と人種差別、イスラム教(アラーの使者)との関係など、この本を読むまで知らなかったことも多い。このメンバーからはリー・モーガンがブレイクして大スターになるが、ブレイキーはその後もウェイン・ショーター(ts)80年代のウィントン・マルサリス(tp)をはじめ、メッセンジャーズというバンドを通じて、長年にわたってジャズ界の大型新人を発掘、育成してきた功労者でもある。アルバム・タイトルでもある冒頭曲<モーニン>は、NHK「美の壺」のテーマ曲でもあり、日本人の記憶にもっとも深く刻印されたジャズ曲の一つで、まさに「アポロン」の中心曲にふさわしい。

<マイ・フェイバリット・シングスMy Favorite Things>は、もちろんミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」の劇中曲で、日本では今はJRCMでも知られているが、ジャズでこの曲が有名になったのは、ジョン・コルトレーン(1926-67) がソプラノサックスで演奏した同名タイトルのアルバムを発表してからだ(1961 Atlantic)。コルトレーンはその後この曲を愛奏曲にしたが、さすがにこれは聞き飽きた。それ以降ジャズではあらゆる楽器でカバーされてきたし、近年のピアノではブラッド・メルドー(p)のライヴ・ソロのバージョン(2011)が素晴らしい演奏だ。しかしコルトレーンの演奏と、何せ元メロディの美しさと3拍子のリズムがあまりに際立って印象的なので、どういじってもある枠から逸脱しにくいところが難しいと言えば難しい曲だ。そういう点から、むしろオーソドックスに徹したロバート・ラカトシュRobert Lakatos1965-)のモダンなピアノ・トリオ「ネバー・レット・ミー・ゴーNever Let Me Go」(2007 澤野工房)の中の演奏が、手持ちのレコードの中ではいちばん気に入っている。ラカトシュはハンガリー出身の、クラシックのバックグラウンドを持つピアニストで、澤野には何枚も録音している。演奏はクールでタッチが美しいが、同時にハンガリー的抒情と温か味、ジャズ的ダイナミズムも感じさせる非常に完成度の高いピアニストだ。このアルバムは録音が素晴らしいこともあって、タイトル曲をはじめ、他のジャズ・スタンダードの選曲もみな美しく透明感のある演奏で、誰もが楽しめる現代的ピアノ・トリオの1枚だ。

チェット・ベイカーChet Baker(1929-88)は、若き日のその美貌と、アンニュイで中性的な甘いヴォーカルで、1950年代前半の西海岸のクール・ジャズの世界では、ジェリー・マリガン(bs)と共に圧倒的人気を誇ったトランぺッター兼歌手だ。しかし外面だけでなく、メロディを基にしたヴァリエーションを、ヴォーカルとトランペットで自在に展開する真正のジャズ・インプロヴァイザーとして、リー・コニッツも高く評価する実力を持ったジャズ・ミュージシャンでもあった。またベイカー独特の浮遊するような、囁くようなヴォーカルは、ボサノヴァのジョアン・ジルベルトの歌唱法にも影響を与えたと言われている。「チェット・ベイカー・シングスChet Baker Sings」(1954/56 Pacific)は、そのベイカー全盛期の歌と演奏を収めた代表アルバムであると共に、「アポロン」で(たぶん)唄われた<バット・ノット・フォー・ミー>に加え、<マイ・ファニー・ヴァレンタイン>などの有名曲も入った、あの時代のノスタルジーを感じさせながら、いつまでも古さを感じさせない文字通りオールタイム・ジャズ・レコードの定盤でもある。ただし問題はベイカーの人格だったようで、アート・ペッパーやスタン・ゲッツなど当時の他の白人ジャズメンの例に漏れず、その後ドラッグで人生を転落して行き、前歯が抜け、容貌の衰えた晩年も演奏を続けたものの、結局悲惨な最後を遂げることになるという、絵に描いたような昔のジャズマン人生を全うした。

<いつか王子様が (Someday My Prince Will Come)>もディズニーの有名曲のジャズ・カヴァーだが、デイヴ・ブルーベック(p)の「Dave Digs Disney」(1957 Columbia)、マイルス・デイヴィスの同タイトルのアルバム(1961 Columbia)と並んで、やはりいちばん有名なピアノ・バージョンはビル・エヴァンス(1929-80) の演奏だ。エヴァンスはライヴ演奏も含めて何度もこの曲を録音しているが、やはり「ポートレート・イン・ジャズPortrait in Jazz」(1959 Riverside)が、エヴァンスの名声と共に、ジャズにおけるこの曲の存在を高めた代表的演奏だろう。スコット・ラファロ(b)、ポール・モチアン(ds)とのピアノ・トリオによるこのアルバムは、この時代の他の3枚のリバーサイド録音盤と合わせて、言うまでもなくエヴァンス絶頂期の演奏が収められたジャズ・ピアノ・トリオの名盤の1枚だ。収録された他の曲どれをとっても、現代のジャズ・ピアノへと続く道筋を創造したエヴァンスのイマジネーションの素晴らしさ、原曲が見事に解体されてゆくスリルとその美しさ、三者の緊密なインタープレイ、というピアノ・トリオの醍醐味が堪能できる傑作だ。

2018/03/21

映画「坂道のアポロン」を見に行く

昨年8月のブログで、漫画「坂道のアポロン」について書いたが、その映画版が今月ようやく公開されたので、出不精の重い腰を上げて見に行った。少し前にNHK BSで「長崎の教会」というドキュメンタリー番組を見たが、隠れキリシタンの伝統や、離島の教会で実際に牧師を目指す青年たちの話が取り上げられていた。キリスト教とのこうした独自の長い歴史が長崎にはある。原作で描かれている主人公の一人、千太郎と教会の関係も、もちろんこうした歴史的背景がモチーフになっている。そこに60年代後期という時代背景(1966年-)、米空母が入港していた軍港佐世保とジャズの関係、海を臨む坂と佐世保の風景など、原作者小玉ユキはこれらの要素を基に、佐世保の高校生を主役にして詩情豊かな昭和の青春ファンタジーとして作品を描いている。原作が名作で、ジャズ音を入れアニメ化されたこれも名作が既に発表されているので、さすがに実写の映画版は苦しいかと思っていた。短い時間内に登場人物の造形や物語の細部までは描き切れないので、どうしてもはしょった展開にはなるものの、それでもこの映画は、原作の持つ世界と透明感をきちんと描いていると思った。昭和40年代という物語の時代設定は古いが、大林宣彦監督の作品世界に通じるものがあって、あの時代を思って涙腺がゆるみがちな「老」も、その時代やジャズを知らない「若」も、青春時代を過ごした「男女」なら誰でも楽しめる永遠の青春映画である。とはいえ、まずは原作コミックを読み、アニメを見て、物語の流れと登場人物の魅力を知った上で、この実写映画を見た方が、佐世保の風景や若い俳優陣の演技、原作との違いなどを含めて、より一層楽しめることは間違いないだろう。

この映画の “星” は何と言っても川渕千太郎役の中川大志だ。千太郎が降臨したかのように、まさに原作通りのイメージで、混血のイケメンで不良だが、内面に人一倍の孤独と優しさを秘めた千太郎のキャラクターを見事に演じた演技は素晴らしい。彼はきっと原作を深く読み込んだに違いない。知念侑李演じる西見薫は最初、原作のイメージからすると都会的繊細さと身長が足らない気がするのと、高い声がどうしても萩原聖人を思い出させて、どうかなと思って見ているうちに、段々それが気にならなくなっていったので、やはり内面的演技力のある人なのだろう。小松菜奈は予想通り、原作の素朴で控えめな迎律子のイメージとは違って美しすぎて、どうしてもマドンナ的になってしまうが、共に両親のいない孤独な薫と千太郎の二人を、まさに聖母のように優しく見つめる律子の温かな視線と、微妙に揺れる乙女心をきちんと表現していて、こちらも見ているうちにまったく気にならなくなった。この主役3人は頑張ったことがこちらにも伝わってきた。ムカエレコード店主で律子の父、中村梅雀は得意のベースの演奏シーンが短くて残念。千太郎が兄のように慕う、ディーン・フジオカの桂木淳一(淳兄―ジュンニイ)は、さすがに大学生役はちと苦しいが、ムード、英語、トランペット、歌唱、どれをとってもまさにはまり役。この二人がからむジャズのセッションをもっと見たかった。

覚えている劇中曲は、この映画のテーマ曲でもあり、薫と千太郎のピアノとドラムスによるデュオ<モーニン(Moanin’)>(原曲アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズ)、<マイ・フェイバリット・シングス(My Favorite Things)>(ジャズではジョン・コルトレ-ンが有名)の2曲が中心で、他に淳兄がクラブで唄う<バット・ノット・フォー・ミー(But Not For Me)>(チェット・ベイカーが有名でもちろん歌のモデルのはずだが、この曲だったかどうか記憶が曖昧)、薫のピアノ・ソロ<いつか王子様が(Someday My Prince Will Come)>(ピアノはビル・エヴァンスが有名)が少々流れた。他にも何曲かあったのだが、画面に集中していたのでよく覚えていない。中川はドラムスの心得が多少あるという話だが、知念はピアノの経験はまったくなく、譜面も読めないので、見よう見まねの特訓で習ったというから、まるで大昔のジャズマンの卵なみだ。しかし二人とも違和感なく、地下室でも、クラブでも、文化祭のシーンでも、ドラムスとピアノのデュオで目を合わせながら楽しそうに演奏していて(どこまで本人の音なのかは不明だが)、即興で互いの音とフィーリングを徐々に合わせて行くという、ジャズの醍醐味であり、大きな魅力の一つをよく表現できていると思った。ラストシーンとエンドロールは、あれはあれでありだろうが、せっかくジャズをモチーフにしてイントロからずっと流してきたのだから、小松菜奈の唄う<マイ・フェイバリット・シングス>で(下手でもいいから)、そのままエンドロールに入って、ジャズのセッションを続けて(吹き替えでOK)締めてもらいたかった。

ところで、時代設定とジャズという背景、主演陣がアイドルを含むメンバーということもあって、この映画の観客年齢層がいったいどういう構成になるのか、という個人的興味が実はあったのだが、映画を見に行ったのがたまたま月曜日の午後ということもあって、貸し切りか(!)と思えるほどの入りで、「層」を構成するほどの観客がいなかったのが残念だった。土日はもっといるのだろうと思うが、そもそも映画の宣伝が少ないような気もする。若い人がどう感じるかはよくわからないが、ジャズ好きだった中高年層に、原作と映画の存在自体をよく知られていないのではないだろうか。ジャズの演奏シーンを含めて、映画館で見る価値のある良い映画なので(見終わった後、誰でも温かい気持ちになります)、ぜひもっと多くの人に見てもらいたいと思う。ちなみに、今回初めて行った映画館では、セリフも音響も、画面と音量のバランスが良く取れていて、「ラ・ラ・ランド」の時のような異常な爆音ではなかったので、ジャズのセッションを含めて安心して最後まで楽しめた。これからはこちらの映画館にすることにした。

2018/02/22

The Jazz Guitar : ウェス・モンゴメリー

ギターは楽器として手軽なこともあって、今では世界中どこでも誰でも弾くようになった大衆的楽器だ。日本でも演歌から始まり、フォーク、ロック、ジャズどんな音楽でも演奏でき、伴奏もできる。しかし、その手軽で、柔軟で、融通性の良いところが、逆に「奏者としての個性」を出すのが意外に難しい楽器にしている。アコースティック・ギターはまだその個性が出しやすいのだが、モダン・ジャズの場合は何せ音量を上げるために電気を通して音を増幅するという、他のジャズ楽器にはなかったひと手間がかかり、しかも当時は、出て来るサウンドを現代のように様々に加工できなかった。だから少なくとも1950年代後半までのモダン・ジャズ黄金期には、ホーン奏者のように、一音聴いただけで奏者の個性を感じ取れるようなギタリストは、そうはいなかったのである。

The Incredible Jazz Guitar
1960 Riverside
その中で、まさに “The Jazz Guitar"と言えるほどの個性を感じさせるのは、私にはウェス・モンゴメリー Wes Montgomery (1923-68) をおいて他にない。もちろん他のギタリストのレコードも散々聴いてきたが、未だにウェスほど「これぞジャズ」という魅力と香りを感じさせてくれるプレイヤーはいないのである。ただし私的には、ポップ路線に向かう前(つまり大衆的人気の出る前)、1965年頃までのウェスだ。1960年に、トミー・フラナガン(p)、パーシー・ヒース(b)、アルバート・ヒース(ds)というカルテットで吹き込んだリバーサイド2枚目のアルバム『The Incredible Jazz Guitar』(Riverside)のヒット以降、1968年に45歳で急死するまでの、わずか10年足らずの、日の当たった短い活動期間の前半部ということになる。ジャズ・ギターには、ヨーロッパではジャンゴ・ラインハルト、アメリカではチャーリー・クリスチャンというパイオニアがいたし、ビバップ以降のモダン・ジャズ時代になって白人ではタル・ファーロウ、バーニー・ケッセル、ジム・ホールら、黒人は少ないながらケニー・バレルのような優れたギタリストも現れたが、ウェス自身のアイドルだったクリスチャン以降、ソロ楽器の一つとしてのギターの存在を有無を言わせず確立したのは何と言ってもやはりウェス・モンゴメリーである。演奏イディオムそのものに革新的なものはなく伝統的ジャズの延長線にあったが、何よりその創造的演奏技法とジャズ界に与えた影響の大きさにおいて、サックスにおけるチャーリー・パーカー、ピアノのバド・パウエルに比肩する存在であり、ウェス以降のジャズ・ギター奏者はすべて彼の影響下にいると言っても過言ではない。ウェスのギターこそ、ジャズ・ギターの本流であり、それと同時に、60年代後期のA&Mでの諸作を通じて、70年代のフュージョン・ギターへと続く流れを作った源流でもあった。

Echoes of Indiana Avenue
1957-58
2012 Resonance Records
親指によるフィンガー・ピッキングと、オクターヴ奏法、ブロック・コード奏法を組み合わせた圧倒的なドライヴ感を持った独創的プレイによって、ウェス以降ジャズにおけるギターは、アンサンブルの中でフロント・ラインとしてソロも弾ける独立した楽器として初めて認知されたと言える。その影響はジャズ・ギターに留まらず、今日に至るまでのギター音楽に途方もなく深い影響を与え続けている。ウェスは独学で、譜面を読めず耳で覚えたという話は有名だが、もしこれが事実だとすれば、これこそウェスの演奏が持つ独創性とジャズの精神を象徴するものであり、その演奏がいつまでも新鮮さを失わない理由でもあるだろう。つまり、本来ギター同様にコード楽器でもあり、個性を出すのが難しい楽器だったピアノで独創的サウンドを開発したセロニアス・モンクと同じく、ギターというコード楽器を用いながらコードによる呪縛から逃れ、テクニックとイマジネーションを駆使して常に ”メロディ” を軸にした即興演奏に挑戦したところにウェスの音楽の本質と魅力があるからだ。ピアノやオルガンと共演してもサウンド同士が喧嘩することなく常に調和し、ソロも単音のホーン・ソロのようにまったく違和感なく共存できるのも、ウェスの演奏がフィンガーだけでなく、コード奏法を使っていても常にメロディを指向しているからだ。一言で言えば、ギターが単音とコードの双方で常に "唄っている" のである。ウェスのバラード・プレイの素晴らしさも、後のフュージョン・ギターへの流れを作ったのもそれが理由だ。そして何物にも縛られないかのように強力にドライブし、飛翔するウェスの太く温かい音とメロディからは、出て来るサウンドは異なるが、モンクの音楽に通じるジャズ的「自由」を強く感じる。また若い時期1940年代終わりのライオネル・ハンプトン楽団時代を除き、ニューヨークではなくインディアナポリスという閉じられた環境を中心に活動していたことが、この独自のサウンド開発に貢献していたことは間違いないだろう。キャノンボール・アダレイによって発掘され、リバーサイドでデビューする前のこの時代(1957-58年)のウェスを記録したレコード『Echoes of Indiana Avenue(Resonance Records) 2012年にリリースされたが、モンゴメリー兄弟やメル・ラインなど、地元プレイヤーたちと地元クラブで共演する当時のウェスの素顔が捉えられた、貴重な素晴らしい記録である。だがこの制約のために、50年代半ばのハードバップ全盛期にはニューヨークのスター・プレイヤーたちと共演する機会がなく、60年代になってから初めて脚光を浴びた ”遅れてやって来たスター”という経歴もモンクと共通している点だ。したがってこの天才ジャズ・ギタリストの演奏を記録したメジャー・レーベル録音は、1968年に亡くなるまで、上記スタジオ録音によるリバーサイドの諸作以降、ヴァーヴ、A&Mのリーダー・アルバムだけだ。 

Full House
1962 Riverside
今聴いても、とても半世紀以上前の演奏とは思えないような60年代前半のウェスのレコードはどれも名盤と言っても過言ではないが、誰もが名盤と認め、また個人的にも好きなレコードは、上記『The Incredible Jazz Guitar』以外だと、やはりライヴ演奏のダイナミックさを捉えた『Full House』(1962 Riverside)、『Smokin' At the Half Note Vol.1&2』(1965 Verve)いう2作だが、私の場合はもう1作1965年のパリ「シャンゼリゼ劇場」の白熱のコンサート・ライヴがそれに加わる。『Full House』は、ウィントン・ケリー(p)、ポール・チェンバース(b)、ジミー・コブ(ds)という、当時のマイルス・バンドのリズムセクションに加え、ジョニー・グリフィン(ts)が入ったクインテットによる演奏で、サンフランシスコのクラブ(Tsubo club)におけるライヴ録音だ。これはもう、最高のクラブ録音の1枚としか言えないだろう。リズムセクションの素晴らしさ、ジョニー・グリフィンのテナーを従えたウェスの躍動感も文句のつけようがない。

In Paris
1965
2017 Resonance Records
かなりの録音を残したリバーサイドが倒産した後、1964にウェスはヴァーヴに移籍するが、その後19653月のイタリアに始まる生涯でただ一度のヨーロッパ・ツアー時に、パリ「シャンゼリゼ劇場」でのカルテット/クインテットの演奏をフランス放送協会(ORTF)がライヴ録音した。この音源は1970年代になって日本でも『Solitude』(BYG)という2枚組LPでリリースされ、CD時代にいくつかのバージョンもリリースされてきた。ただし、これらはすべて著作権料の支払いのない海賊盤だった
のだという。昨年発売されたResonance RecordsによるIn Paris』(CD/LP) はそこをクリアし、オリジナルテープをリミックスしたもので、モノラル録音だが、それまでのレコードにあったハロルド・メイバーン(p)とリズムセクション(アーサー・ハーパー-b、ジミー・ラブレース-ds)が引っ込んでいた全体のバランスが改善し、メイバーンのあのダイナミックな高速ピアノも大分よく聞こえるようになった。音も全体にクリアで厚みが出て、聴感上のダイナミックレンジが改善されているので、ライヴ当日の、このグループのダイナミックで圧倒的な演奏の素晴らしさがさらに増している。自作の<Four on Six>、コルトレーンの<Impressions>などの得意曲では、まさにめくるめくようなドライブ感で飛翔するウェス最高の演奏が、さらに良い音で楽しめるのは実に嬉しい。昔から思っていることだが、パリに来たアメリカのジャズメンはみな本当に良い演奏を残すのだ。1950年代から、人種差別なくジャズを芸術として受け入れてくれたこの街と聴衆に、彼らはミュージシャンとしておそらく深い部分でインスパイアされるものがきっとあったのだと思う。アメリカではこの頃はフリーやロック指向が強まっていて、ウェス自身も当時はVerveA&Mと続く大衆路線に向かっていた時期だったが、パリの聴衆を前にして、ここでは圧倒的な "ジャズ" を本気で、また実にリラックスして披露している。当時パリ在住だった旧友ジョニー・グリフィン(ts) の<'Round Midnight>などの一部(3曲/10曲)参加も、ジャズ指向とリラックス・ムードの増加に一役買っていただろう。この躍動感溢れるコンサートを捉えた録音は、ジャズ史上屈指のライヴ録音の一つであり、私的にはウェス・モンゴメリーのベスト・アルバムだ。

Smokin' At The Half Note
1965 Verve
続く『Smokin’ At The Half Note』(LP Vol.1&2)は、上記パリ公演から3ヶ月後の1965年の6月から11月にかけての録音で、ウィントン・ケリー(p)、ポール・チェンバース(b)、ジミー・コブ(ds)というピアノ・トリオにウェスが加わった演奏を集めたものだ。当時彼らはレギュラー・カルテットとして演奏を重ねていたようだが、これはその当時にニューヨークのクラブ「Half Note」で録音されたライヴ演奏を中心にしたものだ。現CDはLPのVol 1&2から11曲が1枚に収録されたステレオで、音も非常にクリアな良い録音だ。ウェスと相性の良いウィントン・ケリー・トリオの弾むようなリズムをバックにしたウェスの演奏の素晴らしさはもちろんだが、ラジオ放送用のMCも入って実にリラックスして楽しめるクラブ・ライヴで、上記パリ公演と共にウェスのライヴ録音の傑作だ。

Guitar On The Go
1963 Riverside
もう1枚、個人的に好きなレコードは『Guitar On The Go』(1963 Riverside)である。ジャズファンには誰しも思い入れのあるレコードがあるものだが、これは私にとってはそういうレコードだ。なぜなら、1960年代後半の高校時代に生まれて初めて買ったジャズ・レコードだからだ。田舎のレコード店で、ジャズはたいした枚数も置いていなかったが、当時LPは高価で高校生には大金だったので、最終的にコルトレーンの『Ballads』と、どちらにするか迷った末に買ったのがウェスのこのレコードだった。今思えば、そのときは録音後既に5年ほど経っているわけで、前年1967年はコルトレーン、この年はウェスが亡くなっていたのだ。だからリアルタイムとは言えないが、この演奏を初めて聴いたときの衝撃は今でも忘れられない。1曲目の<The Way You Look Tonight>で、ウェスのギターがスピーカーから流れ出した途端、世の中にこんなにモダンでカッコいい音楽が存在しているのか、というくらい感激し、これで私はジャズ(とギター)に嵌ったわけである。このレコードはウェスにメル・ライン(org)、ジミー・コブ(ds)という旧知の相手と組んだシンプルなギター・トリオだが、今聴いても、軽く流れるようなウェスのモダンなギターと、メル・ラインのハモンド・オルガンが実にリラックスした気持ちの良いジャズを聞かせてくれる。それにこのアルバム・ジャケットもジャズっぽくて良かった。コルトレーンではなくウェスにしたのも実はこのジャケットのせいだ。

この時代のリバーサイドのLPレコードは録音にはバラつきがあるが、ジャケットはモンクに加え、ビル・エヴァンス、キャノンボール・アダレイ、このウェス・モンゴメリーなど、どのレコードをとってもデザインが素晴らしく、ブルーノートと並んでジャズ・レコード史を代表するジャケットだが、リバーサイドは特に知的センスに溢れたデザインに特徴がある。モンク伝記の中では、プロデューサーのオリン・キープニューズはあまり良い人に書かれていなくて、イメージが変わってしまったが、デザイナーとしてポール・ベーコン他を起用するなど、やはり当時のジャズ・プロデューサーとしては優れたアート感覚を持った人だったのだろう。モンクの場合、二人の相性の問題もあったし、キープニューズが上記のような同時代の新進スター・プレイヤーたちのプロデュースに忙しかったために、割りを食ったと言えるのかもしれない。

2018/02/04

”ジャズを考える” ジャズ本

昔は雑誌を含めてジャズに関する本はたくさん出版されていた。大方のジャズファンは、ジャズのレコードを聴きながら、セットでそれらの本を読むのを楽しみにしていたので、私もそうだが、今でも本棚の中に雑誌の特集号を含めて数多くの昔のジャズ本が並んでいる人が多いのではないかと思う。これらは大ざっぱに分けると、(1)ジャズ史やミュージシャンの伝記類、(2)有名レコード(名盤)、有名ミュージシャン紹介と著者の分析・感想、(3)ジャズの「聴き方」の類、(4)ジャズという「音楽そのもの」について考え、語る評論、という4つの形態があったように思う。加えて、ここにジャズとオーディオ、録音との関係を語った本がある。当然だが、これは大体歴史順にもなっていて、まずは啓蒙書、教養書のような(1)で基本的なことを学習し(60-70年代)、実際のジャズを聴こうと(2)で数多くの音源、レコードの存在と内容を学び、聴き(主に70年代)、もっと深く楽しむために(3)でジャズとミュージシャンたちをどう聴いたらよいかを学び(70-80年代)、(4)でさらに深くジャズという音楽全体を理解し、考察する(80-90年代)というように、時代ごとの日本のジャズシーンと聴衆の在り方を反映したものになっている。(ただしジャズを政治思想と結びつけて語る本も70年代にはあったが、それらは音楽書としては除く。)こうして見ると、真面目な日本のジャズファン(聴き手)は、何十年もずっと知識を吸収し学習していたかのようである。つまり学習しないとよくわからないのが日本におけるジャズだった、とも言えるし、本来「場」の音楽だったジャズのライヴ演奏そのものが日本では少なかったために、演奏現場と乖離した、レコードを通した芸術論や抽象論が常に優位に立ってきた歴史を表しているとも言えるのだろう。

昨年2017年は「ジャズ(録音)100年」キャンペーンやモンク生誕100年ということもあって、私のモンク訳書を含めて、珍しく多くのジャズ本が出版されたようだ。モンク訳書は伝記だが、モダン・ジャズと人間としてのミュージシャンの真実と魅力を史実に即して描いたもので、他にいくつか出版された日本のジャズ史に関する本と共に(1)に該当するだろう。その他の何冊かの新刊書に共通しているのは、70年代のフュージョン以降混沌として連続性が失われ、わかりにくくなったジャズ史を一度整理し、現代のジャズの実態、今後のジャズの行方を知りたいという、ジャズに関心はあってもよく知らない若い人たちのニーズを特に見据えた企画だろう。これらは主として (2) のレコード情報 と、(3) のジャズの聴き方に分類できるだろうし、いつの時代にも一定数の読者が存在してきた分野である。一方、近年の売れ筋書籍の特徴はジャズ本というより「ジャズ教則本」の増加だ。アメリカでも日本のamazonでも、ジャズ関連書籍ランキング上位にはこうした教則本の類が並んでいる。前にも書いたが、今はジャズを “聴くだけ” の人が減り、“演奏もする” 人が非常に増えていることが背景にある。素人がカッコ良さと演奏技術の高度さを求めて、ポピュラー音楽の演奏自体を突き詰めて行くと、最後は結局、和声やコード進行で理論化されたジャズに行き着いて、“ジャズっぽい” 演奏を指向するものなので、これは当然の動きだろう。特にいちばんポピュラーで手っ取り早いギターにその傾向が強い。教則本もジャズ教室も昔は数が限られていたものだが、今は教える人や書く人も増えて、いくらでもあるし、ネット動画を併用した教則本も大人気だ。「みんなでジャズを演ろう」という時代である。

東京大学の
アルバート・アイラー
2009 文芸春秋
だがこの傾向に “はずみ” を付けたのは、2000年代に入ってからだが、10年ほど前に書かれた菊地成孔・大谷能生両氏によるジャズ生成の歴史と基本体系を、具体例を入れながら語った一連の著作(『東京大学のアルバート・アイラー』他)ではないかと思う。ジャズ理論や楽譜による講義ではなく、プロのジャズ奏者の立場から音楽としての “ジャズの総体” を語った初めての本格的ジャズ本であり、上記(1)から(4)のジャズ本にはなかった視点で興味深く、かつわかりやすく書かれている。「聴く」ジャズから「演る」ジャズに潮流を変えた転機となったとも言える本であり、この本に触発され、ジャズをずっと身近に感じ、演奏することに向かった人たちも多かったのではないだろうか。それと同時に聴く側ではなく、ジャズ・ミュージシャン側がモノを書き、発信するという流れの始まりでもあった。山下洋輔氏の著作は別として、それ以前は、プロ・ミュージシャンとは音で勝負する存在であり、言葉や文章ではない、という暗黙の前提が世の中にあったからだろう(だが、彼らは本来、概してお喋りな人たちなのだ)。それから10年、今やレコード情報はもちろんのこと、ネット上では私のようなド素人の駄文からプロのジャズ・ミュージシャンまで、世界中であらゆる言説やコメントが洪水のように日夜乱れ飛ぶ時代となった。単行本、雑誌、ネットという伝達形態にもはや境界はなく、今や情報それ自体には大して価値も希少性もない。処理し切れないほどの大量の情報がネットを中心にしたあらゆる媒体に溢れ、コピペとリツイートの氾濫で同じ情報があちこちで飛び交い、その場限りの気の利いた刹那のコメントと、その反応だけにみんなが一喜一憂している。まるで「洞察」や「思考」という言葉があることすら知らないかのようだ(本当に知らないような気もする)。ついには字を読むのすら面倒になって、今は写真や動画など、ひと目でわかるヴィジュアル情報全盛である。何でも早くて短けりゃ良い、というものでもなかろうと思うが、しかしこうなった以上、もう後戻りはできないのが人間だ。

ジャズを放つ
細川周平・編
 1990 洋泉社
一方、もっと昔のジャズ本の中には、今となっては知識情報以上の価値がないものもあるが、特に(4)の「ジャズを考える」というジャンルには、今読んでも興味深く優れた内容の本もある。というか、今では到底書くのが無理だろうという内容の本だ。これは情報の量やその新旧とかいう問題ではなく、思考の量と質の問題だ。いくら新情報を積み上げたところで、思考の深度を補うことはできない。特にバブルの終わり頃からその崩壊後に出版されたジャズ本は、瀕死の状態にあった古典的ジャズへの郷愁と諦観、ジャズの未来の可能性を見つけたいという希望、ジャズシーンに喝(カツ)を入れたいという願望がない混ぜになった、非常に微妙で複雑な当時の状況がよく表れている。今や古典だろうが、『ジャズを放つ』(細川周平・編 洋泉社 1990)はその代表とも言える本で、ミュージシャン(クラシックを含む)、音楽学者、批評家、ライター等、20名の各論者の文章を集めたアンソロジーだが、当時のジャズを取り巻く状況が、ジャズの歴史を遡ることを含めて多面的に描かれた、深みがあり、また非常に読んで面白い本だ。私が持っているのは1990年の初版だが、1997年に新版が出ている。やっつけ仕事のような “ムック本” 全盛の今、これだけの陣容で一冊の本をまとめようとしても、もはやライターそのものの数が足らないだろう。もうジャズを、というより、音楽を聴いて、理屈をこねまわすような面倒くさいことをする人も、それを読む人もいなくなってしまったのだろうと推察する。

ジャズ・ストレート・アヘッド
加藤総夫
1993 講談社
『ジャズ・ストレート・アヘッド』(加藤総夫 講談社1993)は、アマチュアだがビッグバンドでピアノを弾き、編曲も担当していたという加藤氏が雑誌等に書いた80年代後半からの論稿を集めた本で、「奏者」という視点を入れて書かれた初のジャズ本かもしれない。それ以前は、ジャズ批評は主に聴き手側の印象論だけで書かれていたものだが、楽理や演奏体験を踏まえた奏者の側からの視点でジャズの限界と可能性を論じたもので、特にデューク・エリントンの深い研究から生まれたモンク論を含めた独自のジャズ解析と言説は、当時は非常に新鮮で刺激的だった。氏は同時期にもう一冊『ジャズ最後の日』(洋泉社 1993)という同種の本も出していて、こちらも面白い。ただ難点は、従来の印象論を打ち砕こうとする意識が強かったのかどうかはわからないが、あまりに明晰で、独特の屈折した文体は(バブル時代の風潮とも関係しているのか?)、読んでいるうちに段々と追い詰められて、“ジャズ・アンドロイド” に上から説教されているような気がしてくるところだろう(私だけかもしれないが)。加藤氏はその後ジャズからは足を洗い、現在は本業であるお医者さんに専念しているようだが、この30年近く前のジャズの限界と近未来の姿を予見した論稿と、現在のジャズの姿を見比べて、どう思われているだろうか。

ジャズ解体新書
後藤雅洋対談集
1992 JICC
もう1冊は、今やジャズ界の重鎮とまで言われているジャズ喫茶「いーぐる」店主の後藤雅洋氏の対談集『ジャズ解体新書』(JICC 1992)だ。ジャズ喫茶店主の書いた本は後藤氏を含めて当時たくさん出版されていて、私も大部分読んでいたと思うが、ほとんどは基本的知識、レコードとミュージシャンに関する個人的感慨や意見を述べたものだった。とはいえ、聴き込んだジャズレコードの枚数は、みなさん全員が一般のジャズファンの比ではないし、宣伝臭いジャズ雑誌の論評とは違う、それぞれ個性的な聴き方は大いに参考になり、また楽しんだ記憶がある。後藤氏のこの対談本は、油井正一氏、ピーター・バラカン氏、上記の加藤氏、細川周平氏の他、佐藤允彦氏のようなジャズ・ミュージシャンなど、対談相手が多彩で、ジャズを巡るそれぞれの対話の内容が非常に面白い。油井氏との話も傑作だが、特に加藤氏や佐藤允彦氏などの奏者側と、聴き手側のプロとも言える後藤氏とのやり取りが興味深い。加藤氏とはすれ違ったままで終わった感があるが、奏者側と聴き手との対峙という見方もできるし、ある意味ジャズの本質と深く関りのある問題を論じている。またピアニスト佐藤允彦氏とのインプロヴィゼーションを巡る対話は、よくある来日ジャズ・ミュージシャンとの軽いインタビューとは異なる深みと面白さがあり、私の訳書「リー・コニッツ」の対話世界とも通じるものがあって、もっと長い二人の対話が読みたかったほどだ。日本には、こうしたジャズ演奏者の内面に切り込むような内容を持った本や対談は、この本以前も、後もないように思う。 

一つ残念に思うのは、たとえば米国のナット・ヘントフや、ラルフ・J・グリーソン、ホイットニー・バリエットのように、音楽としてのジャズ批評眼だけでなく、人間としてのミュージシャンに対する愛を感じさせ、演奏の背後にある社会や人間の深い世界を読み解く力と、それを読者に伝える能力を有する批評家やライターが、日本にはついに現れなかったように思えることだ(私が知らないだけかもしれないが)。音楽としての歴史の長さと厚みの違いと言ってしまえばそれまでだが、演奏現場と聴き手が、歴史的にも文化的にも密接に結びつくという伝統が浅く、輸入音楽をレコードを通じて理解・吸収するのがまずは第一という、日本古来の海外文化受容の形態から来る特性でもあり、ジャズ・メディアの性格ともども宿命的なものなのだろう。しかしどの国であろうと、良い聴き手のいない音楽は、結局良い音楽とはならない。時々勘違いしている人がいるが、ジャズ演奏ができる人が必ずしもジャズの良い聴き手とは限らないのだ。ジャズに限らず、あらゆる芸術がそうだが、鑑賞・批評は創作とは別の感性と能力を必要とするからだ。だから演奏現場と音楽情報双方でジャズがかつてなく拡散し、音楽としての垣根も低くなり、さらに演奏者の裾野さえも広がってきたこれからは、ジャズの歴史を知り、理論と技術を理解し、かつ優れた感性と分析力を備えた新しい時代の作家や批評家が出現して、ジャズの本当の魅力を広く、わかりやすく伝えていって欲しいものだと思う。(ただし、その音楽をずっと ”ジャズ” と呼ぶかどうかはまた別の話だろうが。)

2018/01/16

「長谷川きよし」を聴いてみよう

年末の船村徹の追悼番組以来、美空ひばり、藤圭子、ちあきなおみ…と演歌系の歌手の歌ばかり聴いてきた(ちあきなおみが唄う「都の雨に」も、船村徹らしい中高年の心の琴線に触れる良い歌だ)。それに今はテレビでYouTubeを見ているので、放っておくと次から次へと勝手に再生し、忘れかけていた歌や、懐かしい歌などが出てきて、ついつい聴いてしまい、止まらなくなってしまうのだ。しかし、昔の演歌や歌謡曲は素晴らしい歌もあるが、基本的に曲の構造がシンプルなものが多いので、続けて聴いているとさすがに飽きてくる。たまに自分で唄っていると、いつの間にか別の曲になってしまうほど、コード進行やメロディが似通っている曲が多いからだ。そこで、正月明けには真逆のようなインスト・ジャズ聴きにいきなり戻る前に、その前段として少し複雑な曲や歌が聴きたくなる。ただし私が好きなのは、独自の世界を持っている「本物の」歌手なので、そうなると大抵聴きたくなるのが、古いジャズ・ヴォーカルと、日本人なら長谷川きよしだ。

ひとりぼっちの詩
(1969 Philips)
長谷川きよしが<別れのサンバ>でデビューしたのは1969年で、対極にあるような歌の世界の藤圭子が<新宿の女>でデビューしたのと同じ年だ。この時代は日本の転換期のみならず音楽史上も最大の変革期で、とにかく若者の数が多く、ロックも、フォークも、グループサウンズも、演歌も、歌謡曲も、初期のJ-POPも、歌なら何でもありの混沌の時代だった。長谷川きよしもデビュー曲で一躍脚光を浴びたが、最初からいっしょくたにされた他のフォーク系の歌の世界とはまったく異質の歌い手だった。だから、いわば初めからある意味で「浮いて」いた。今でも時々「懐かしのフォーク」とかいう類の番組に他の歌手と出演することがあるが、当然ながらやはり「浮いて」いる。最初から独自の歌の世界を持った人であり、そもそも音楽の質が違うからだ。60年代に人気のあったシャンソン・コンクールの圧倒的な歌唱で入賞したのがデビューのきっかけになったように、当時から、彼を支持していたのはシャンソンやジャズなどを好む「大人の」音楽好き、あるいはそうした世界を好むほんの一部の若者であって、同時代の大多数の若者ではなかった。だから長谷川きよしの歌を好む人の層は今でも基本的に限られていると思う。要するに本質的に「大衆」を聴き手とする歌手ではないのだ。<別れのサンバ>で使っているような当時としては複雑なコードを、これもサンバ的リズムに乗せて、ガットギターで弾いて唄う歌手などあの頃の日本には一人もいなかった。シャンソン<愛の讃歌>や<そして今は>を、ギター一本で、大人びた陰翳のある歌唱で、しかもフランス語で唄う若い歌手などもちろんいなかった。だから新鮮だったかもしれないが、正直よくわからないと思った人が当時は多かったと思う。盲目の青年という売り出しイメージが先行したために、暗い歌ばかりのように思われていたが、長谷川きよしの歌の世界は当時のフォークのような日本的なものではなく、シャンソン、カンツォーネ、フラメンコ、サンバ、ボサノヴァ、ジャズなど世界中の様々な音楽の要素が混在した、もっと乾いた無国籍的な音楽で、いわばワールドミュージックの先駆だったのだ。妙な政治的メッセージもなく、四畳半的な貧乏くささもなく、日本的な暗さもなく、熱い青春応援歌でもなく、純粋に曲と歌の美しさだけが伝わって来るような、都会的でお洒落な「非日常」の音楽だった。ある意味リアリティのない音楽とも言えるが、そこが良いという人もいるわけで、超絶のギターとともに、豊かな声量と正確なピッチ、クセのない美声による本格的歌唱が、無色透明の非日本的世界を唄うのに適していた。そういう歌手は、それまでの日本には存在していなかったのだ。70年代初めの銀座の「銀巴里」で、目の前で、ギター1本で「大人の」歌を堂々と唄う、同年齢の長谷川きよしを初めて聴いたときの衝撃は今でも忘れられない。

透明なひとときを
(1970 Philips)
デビュー・アルバム『ひとりぼっちの詩』(1969)は<別れのサンバ>の他に、<冷たい夜にひとり>、<心のままに>、<恋人のいる風景>などフレッシュでシンプルだが、当時の歌の中では断トツで斬新な自作曲が並ぶ。中ではシングル盤B面だった<歩き続けて>が、やはり永遠のラヴソングというべき名曲であり、当時の年齢でしか唄えない名唱だ。2作目のアルバム『透明なひとときを』(1970)は、70年代の作品中ではもっとも完成度の高い傑作だ。ジャケット写真が表すように、デビュー作の暗い、孤独なイメージから一転して、お洒落なボサノヴァの<透明なひとときを>、ジャジーな<夕陽の中に>、<光る河>などの優れた自作曲、さらにジャズ風アレンジのシャンソン<メランコリー>、イタリアンではミーナの<別離>や<アディオ・アディオ>、さらにサンバ風<フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン>のようなカバー曲など、バラエティーに富んだ選曲も良い。いずれにしろ、当時まだ20歳の若者が普通に唄うような曲ではなかったが、彼の本質と歌の世界がもっとも良く表現されたアルバムだった。この初期2枚のアルバムで聴ける曲は、若く瑞々しい歌声もあって、ほとんどが今聴いてもまったく古臭さを感じさせず、それどころか、いまだに新鮮な曲さえある(これらの歌は、たぶん現在はコンピレーションCDで聴くことができる)。その後<卒業>、<黒の舟歌>などのヒット曲も、『サンデー・サンバ・セッション』のような楽しいアルバムもあったが、レコード会社の販売戦略もあったのか、徐々にポピュラー曲寄りで、長谷川きよし本来の美質が生かされていないような歌曲や演奏が増えてゆく。優れた自作曲も減り、迷走しているな、と当時感じた私は、確か70年代の後半、九段会館で行なわれたエレキバンドが参加したコンサートを最後に、彼を聴くのをやめたように思う。もう自分の好きな長谷川きよしの世界ではなくなっていたからだ。

ACONTECE
(1993 Mercury)
その後80年代には、歌手としてもいろいろと苦労したようだ。そして長谷川きよしと久々に再会したのが、バブルが終わった90年代であり、既に(お互い)40代になっていた。当時フェビアン・レザ・パネ(p)、吉野弘史(b)、ヤヒロトモヒロ(perc)というトリオをバックにしたユニットで活動していたが、NHK BSのテレビ番組にこのユニットで出演したときの演奏は実に素晴らしかった。「あの長谷川きよしの歌」が帰って来たと思った。そしてその最高のユニットでレコーディングしたアルバムが『ACONTECE(アコンテッシ)』(1993)である。共演陣の素晴らしさもあって音楽的完成度が高く、歌に集中した長谷川きよしの歌手としての実力がもっとも発揮された最高傑作であり、日本ヴォーカル史に残るレコードだと思う。藤圭子の「みだれ髪」でも思ったが、歌い続けている優れた歌手というのは、若いときの瑞々しい歌ももちろん良いが、技術も声も衰えていない40代の大人として円熟してきた時代が、やはりいちばん歌の表現も味わいも深まる。<バイレロ>、<別れのサンバ>、<透明なひとときを>といった初期の名作に加え、新作<別れの言葉ほど悲しくはない>、さらにいずれも自作の詞を付けたジルベール・ベコーのシャンソン<ラプサン>、ピアソラの<忘却 (Oblivion)>、そして極め付きはカルトーラの<アコンテッシ(Acontece)>で、まさに長谷川きよしにしか歌えない、彼の歌の世界を代表する名唱ばかりである。このCDはその後ずっと再発されずに来たが、今は長谷川きよしのコンサート会場だけで、限定販売されているようだ。

人生という名の旅
(2012 EMI)
その後はライブハウスを中心にした活動を続けていたようだが、2000年代に入ってから、椎名林檎が、あるライブハウスで唄う長谷川きよしを「発見」したことによって、予想もしなかった二人のコラボが実現するなど、再び陽の当たる場所に顔を出すようになった。私もこの時代からまたコンサートやライブハウスに足を運ぶようになった。仙道さおり(perc.)や林正樹(p)をバックにした当時の演奏は非常に楽しめた記憶がある。一時期さすがに衰えを感じたこともあったが、還暦を過ぎた近年はむしろ声量、ピッチともに安定し、美しい声も未だに維持していて、昨年出かけたコンサートでは素晴らしい歌を聴かせてくれた。当然だろうが、年齢と共にあの無国籍性も多少薄れ、歌もギターもどこか日本的になってきたように感じるときもあるが、そうは言っても、やはり歌手としての出自とも言える仄暗いシャンソン風弾き語りが、長谷川きよしがいちばん輝く歌世界であることに変わりはない。歌のバックに伴奏を付けるなら、ピアノがいちばん彼の音楽と声質に合うと思う。ギターを弾く手を休めて、歌だけに集中したときの長谷川きよしの歌唱は本当にすごい。私が好きな近年のアルバムは『人生という名の旅』(2012)で、<Over the Rainbow>や2010年のヨーロッパでのライヴ演奏も収録されているが、特に40年以上前の<歩き続けて>のカップルが、歳月を重ねた後のような<夜はやさし>が、優しくしみじみとしてとても良い曲だ。この曲はライヴで聴いたときも素晴らしかった。

エンタメ全盛の今は、テレビ番組にもレギュラー出演していろいろな歌を唄ったり(唄わされたり)しているし、YouTubeでも、画面にアップになったギターテクニックを含めた長谷川きよしが見られるが、やはり彼の真価はライヴ会場で唄う歌とギターにこそあり、歌手としての本当の実力もよくわかる。コンサート(小規模会場が良い)やライブハウスで、生で、身近で、彼の素晴らしい歌とギターを聴くのがいちばん楽しめるので、未体験の人は、近くで機会があれば、ぜひ一度出かけてみることをお勧めしたい。藤圭子やちあきなおみの歌はいくら素晴らしくとも、もはや二度と生では聴けないが、長谷川きよしはまだ現役の、それも「本物の」歌手であり、あの美声とギターで今も元気に唄い続けているのだから。

2018/01/10

藤圭子「みだれ髪」の謎

天才的な音楽アーティストというのは、常人には理解不能な面があるものだが、当然ながら本人に尋ねたところでそのわけが明らかになることはない。特に、普通に会話していると、まったく常人と変わらないごく普通の人なのに、いざ演奏なり、歌うことなり、その人が自分の「演技(performance)」を始めた途端に、神が降臨したとしか思えないような音楽が突然流れ出して唖然とするアーティストがいる。ジャズの世界にもそうした歌手や奏者がいるし、クラシックでも、昔、五嶋みどりのヴァイオリンを初めて生で聴いたときに、その種の驚きを感じたのを思い出す。音楽には人の心に直接的に働きかける不思議な力があるが、そうした特別な感動は、実はいわゆる「芸の力」とか「プロの技」というべき高度な技量によって生まれるものなのか、あるいは、それ以外の特別な「何か」が演奏中のアーティストを動かしているからなのか、素人には判然としない。最近いちばん驚いたのは、今から多分20年ほど前、1990年代半ばと思われる、あるテレビの歌番組に出演した藤圭子の唄う「みだれ髪」をネット動画で聴いたときのことだ。

藤圭子* 追悼:みだれ髪
YouTube 動画より
年末の船村徹の追悼番組で、東京ドームの『不死鳥コンサート』(1988年)で美空ひばりが唄う「みだれ髪」(星野哲郎・作詞、船村徹・作曲)を聴いて改めて感動したのだが、他の歌手も同曲をカバーしているのがわかったので、YouTubeであれこれ比べて聞いていたときに見つけた動画だった。『藤圭子 追悼:みだれ髪』と題されたこの動画がアップされたのは、藤圭子が自殺した1年後の2014年8月で、既に3年以上経ち、視聴回数は150万回を越えているので、私はずいぶん遅ればせながら見たわけだが、それだけ多くの人がこの動画を見ていることになる(おそらく、その素晴らしさから何度も繰り返し見ている人が多いと思う)。藤はこの曲をカバーとして正式に録音していないので、どのCDにも収録されておらず、聴けるのはテレビ番組をおそらくプライベート録画したこのネット動画だけである。調べたが、当時は宇多田ヒカルのプロデュース活動をしていた時期だったと思われ、90年代の後半は結構テレビに出演していたようだが、コンサートなどで藤自身が頻繁に唄っていた形跡もないようだ。同時期ではないかと思われるテレビ録画をアップした別のいくつかの動画では、他の曲を明るく唄ったり、屈託なく喋る普段の藤圭子の姿が映っているが、「みだれ髪」は唄っていない。したがって記録された藤圭子の唄う「みだれ髪」は、どなたかが投稿した、このときの貴重なテレビ録画映像だけなのだろう(確証はないが)。

番組の構成がそういう前提だったのかもしれないが、まず驚いたのは、この番組で藤が美空ひばりの曲を選んでいることだった。昔のカバー・バージョンが入った藤のCDを調べたが、美空ひばりの曲は見つからなかったので、それだけで珍しい。これも番組の設定なのだろうが、司会者など周囲に聴衆が座っている中、普段着のようなカジュアルな服装をして登場した多分40代半ばくらいの藤圭子は、カラオケのように右手でマイクを握り、イントロの最初の部分では特に変わったところはないが、中頃から、昔の藤ではたぶん見られなかっただろう、和装のときのような左手の「振り」を入れ始め、それが意外な印象を与える(この曲の世界に入ってゆくための儀式のようなものなのだろう)。そして「みだれ髪」の歌に入った途端、カジュアルな藤圭子はどこかに消え去り、あの懐かしい、哀愁を帯びた独特の声と節回しで、完全に「藤圭子のみだれ髪」を唄い出したのだ。聴いた瞬間に思わず引き込まれてしまうその歌唱は衝撃的だった。この曲は美空ひばりの歌のイメージしかなかったので、あまりの歌の世界の違いに唖然としたのである。

哀しい女の心情を切々と謳い上げる美空ひばりは、星野・船村コンビの世界をある意味忠実に、古風に、美しく表現しているのだと思う。それに対して、べたつかない乾いた抒情を感じさせながら、しかし心の底の寂寥と哀切を絞り出すように唄う藤圭子は、まったく別の、救いのないほど哀しい世界を瞬時に構築して、聴き手の心の真奥部を揺さぶるのである。同じ歌詞とメロディで、ここまで別の世界が描けるものかと驚くしかなかった。誰しもが言葉を失うほどのこの歌唱は、まさに「降臨」としか言いようのない、突き抜けた別の歌世界である。1番を唄い終えたとき、じっと静まり返っていたスタジオ中に一気に広がった何とも言えないどよめきと拍手が、いかにその歌が素晴らしかったのかを物語っている。そして、3番を唄い終えると(2番は飛ばしている)、藤圭子は何事もなかったかのように、いや、まるでカラオケで自分の唄う順番を終えた素人のように、にっこりして、照れたように飄々と自分の席に戻ってゆくのだ。私は彼女のこの一連の動作と、唄ったばかりの歌の世界とのギャップに呆然として、その謎を少しでも理解しようと、何度も何度も繰り返しこの動画を見ないわけにはいかなかった。「巫女」とか「憑依」とかいう言葉を、どうしても思い起こさざるを得なかった。

いったい藤圭子の「みだれ髪」にはどういう秘密があるのだろうか? なぜあれだけの歌が唄えるのだろうか? 私はジャズ好きで、美空ひばりや藤圭子の特別なファンというわけでもなかったので、えらそうなことは言えないが、ジャンルに関係なく、少なくともこの二人が歌い手として別格の存在であることはわかる。美空ひばりの没後、様々な歌手が同曲に挑戦しているのをネット動画で聴いた限り、当然のことだろうが美空ひばりに比肩するような歌はなかった。しかしこの当時、歌手活動は既にほとんど休業状態だったと思われる藤圭子がいきなりテレビに出演して、自分の持ち歌でもない、あの美空ひばりの名曲にして難曲に挑戦し、本人に勝るとも劣らない歌唱で平然と自分の歌のように唄ってしまうのである。美空ひばりのためにこの曲を書いたと言われている作曲者・船村徹が、もし藤のこの歌を聴いていたら、どんな感想を持ったのか知りたいと思って調べてみたが、この歌唱についての船村のコメントはネット上では見当たらなかった。そしてその船村徹も昨年亡くなってしまった。

流星ひとつ(文庫版)
沢木耕太郎
(2013/2016 新潮社)
あまりに不思議だったこともあって、沢木耕太郎が書いた『流星ひとつ』(新潮文庫)を、こちらも遅まきながら読んでみた。これは1979年、当時まだ31歳の沢木が、引退宣言後の藤圭子(28歳)とのインタビューを元に書き起こしたもので、諸事情から30年以上未発表だったが、彼女が自殺した直後の201310月に出版した本だ。私が翻訳した『リー・コニッツ』も含めて海外の音楽書籍ではよくある形式だが、日本では今でも珍しい、全編アーティストと著者による一対一の対話だけで構成されたこの本は、売ることだけを目的に書かれた芸能人の商業的なインタビュー本ではなく、一人のアーティストの内面と思想に真摯に迫る、当時としてはきわめて斬新なノンフィクションである。この形式の成否は、アーティスト本人の魅力以上に、聞き手側の人格と感性、さらに作家としての力量にかかっているが、若き沢木は見事に成功していると思う。そして、すべてとは言えないが、少なくとも私が抱いた彼女の歌の謎の一部はこの本で氷解した。

本の前半、少女時代から歌手になるまでの記憶のかなりの部分が、ある意味「飛んで」いて、その当時についていろいろ質問しても、藤は「覚えていない」を繰り返し、沢木を呆れさせている。歌についても「何も考えずに無心で歌っていた」と何度も言い、あの無表情なデビュー当時の藤圭子のままだ。ところが後半に入り、酒の勢いもあって徐々に打ち解けて来ると、「別に」、「記憶にない」とそっけない回答が多かった前半の藤の体温が上昇して行くかのように本音を語り始め、彼女の人生や人格に加え、歌手としての信条が次第に浮かび上がって来る。特に、歌の「心」について自らの信念を語る部分は圧巻だ。そして「面影平野」を例に、自分の「心」に響く(藤は「引っ掛かる」という言い方をしている)歌詞についてのこだわりもはっきり語っている。演歌に限らず、プロ歌手はみな歌の「心」を唄うとよく口にするが、実際に歌の表現としてそれを聴き手に伝えられるほど高度な技量を持つ人は一握りだろう。藤圭子はまさにその稀有な「表現者」の一人だったのだということを、これらの発言から改めて理解した。その生き方と同じく、曲そのもの(歌詞とメロディ)、歌手として唄うことに対するこだわりと純粋さ、ストイックさには感動を覚えるほどで、単に天才という一語ではくくれないものがあることもわかる(これはセロニアス・モンクをはじめ、どの分野の天才的音楽家にも共通の資質だろう)。

そして、インタビューの前半では言い渋っていた少女時代の家庭生活、特に父親に関する凄絶な体験と記憶、よく見る夢の話などを読んでいるうちに、逃げ出したいと思い続けていた過去、封印したいと思っていた原体験が、無表情で「何も覚えていない(=忘れたい)」藤圭子の表層を形成し、同時にあの底知れないような寂寥感を深層で生み出していたのだと思うに至った。少女時代の彼女は、よく言われる「151617と…」という、デビュー当時の月並みなイメージとは比べ物にならないほどの体験をしていたのだ。70年代前半の何曲かにみる圧倒的で、凄みのある歌唱は、いわば表現者として第一級の「プロの芸」と、人には言えない彼女の深層にある「原体験」が、「自分が共感する曲」の内部で接触し、化学反応を起こした瞬間に形となって現れるものだったのだろう。だから、どんな曲でもそれが起きたわけではないし、積み上げたプロの芸は維持できても、ショービジネスで生きるうちに、深層にあった原体験の記憶が時間と共に相対的に薄れ、与えられた曲の世界が変化してゆくにつれて、そうした反応が起こる確率も減って行ったと思う。79年の引退の引き金になったと藤自身が語る74年の喉の手術による声質の変化は、そのことを加速した要因の一つに過ぎないようにも思える。

それから約15年後にこの「みだれ髪」を唄ったときの藤圭子は、プロの芸にまだ衰えはなく、おそらく唯一崇拝していた歌手、亡き美空ひばりへのオマージュという特別な感情を心中に抱いていたのと同時に、星野・船村コンビによるこの曲そのものに、歌手として心の底から共感を覚えていたのだと思う。だから藤にとっては単なるカバー曲ではなく、純粋に「自分の歌」として唄った入魂の1曲だったのだと思う。ただし、少女時代からスターだった美空ひばりの唄う「哀しさ」と、藤圭子の唄う「哀しさ」は、やはり質が違うのである。若い時代、1970年代前半の藤圭子の歌も素晴らしいが、一時引退後の約15年間、別の人生(体験)を生きてきた40代の藤圭子が唄う、ただ一人、美空ひばりと拮抗するこの「みだれ髪」こそ、おそらく歌手としての彼女の最高傑作であり、たった数分間の画も音も粗いネット動画にしか残されていない、文字通り幻の名唱となるだろう。そして何より、この動画の中の藤圭子は、歌だけでなく仕草、表情ともに実に美しく、可憐ですらあり、その映像と歌が一体となったこの動画は、何度も繰り返し見たくなり、我々の記憶に残らざるを得ない「魔力」のようなものを放っている。150万回を越える視聴回数と数多くの賛辞は、それを物語っているのだと思う。 

この歌からまた15年以上が過ぎた後、藤圭子は自ら命を絶ってしまった。藤圭子とおそらく同等以上の才能を持ち、同じような人生を歩んでいるかに見える宇多田ヒカルの歌と声からは、母親と同種の哀切さがいつも懐かしく聞こえて来るので、今となってはその同時代の歌声だけが慰めだ。今年もまた年末、正月といつも通り時は過ぎて行ったが、そうして暮らしているうちに、天才歌手・藤圭子は遥か彼方へとさらに遠ざかって行くのだろう。

2018/01/08

女性ジャズ・ヴォーカル (2) ライヴ録音

楽曲の構成、ミスのない演奏、音質など、全体的な完成度から言えば、まだ音源をいじりまわさなかったモダン・ジャズ全盛期でも、一般にスタジオ録音のアルバムの方が優れているものだ。しかし、あまり「作られ感」が強いレコードは、ジャズのいちばんの魅力である即興性をそいで、演奏から音楽全体が持つダイナミズムを奪ってしまうことがままある。その点、ライヴ音源は演奏そのものだけでなく、「場と時間の音楽」というジャズの本質を自然に捉えた録音が多く、一度限りのその場の空気と、場を共有したプレイヤーと観客両者の息づかいまでも一緒にレコードの中に封じ込めたアルバムもたくさんある。もちろんジャズは実際ライヴで聴くのが最高なのだが、特にヴォーカル・アルバムにはそうしたライヴの魅力を、いながらにして楽しめる名盤が数多い。録音が臨場感に溢れ、リラックスしてまるで客の一人になった気分になれるかどうかが、私にとってはクラブ・ライヴ盤の良否であり醍醐味だ。歌詞を忘れたり、楽器をぶつけたり、マイクコードに足を引っ掛けたりというライヴならではのハプニングが時々起こり、アドリブでそれを笑って切り抜けたりする楽しさを、こちらもその場にいるかのように味わえるのもライブ録音ならではだ。

At Mister Kelley's
Sarah Vaughan
(1957 Mercury)
サラ・ヴォーンSarah Vaughan (1924-90) の『At Mister Kelley’s』(1957 Mercury)は、デビュー8年後、33歳という文字通り彼女の絶頂期に、シカゴのナイトクラブ「Mister Kelley’s」で録音されたライヴ・アルバムだ。彼女はクリフォード・ブラウン(tp)との共演盤(1954)をはじめ、既に何枚かの名盤を録音していたが、このライヴ盤では、ジミー・ジョーンズ(p)、リチャード・デイヴィス(b)、ロイ・ヘインズ(ds)という名人によるピアノ・トリオをバックにして、こじんまりした伴奏で親密に歌っているところが特徴で、サラの歌が本来持つ明るく伸び伸びした躍動感に加え、お得意のスキャットも聴けるし、高い技巧を駆使して非常に微妙なニュアンスまで表現しているところがいい。サラ・ヴォーンの魅力は、巧いのだが、そのテクニックをあまり前面に出さないで、やわらかな情感と適度なジャズっぽさを絶妙にブレンドした歌唱にある。また、<Willow Weep for Me>の途中で何かに躓いたか、何かが倒れたような大きな音をマイクが拾って、サラがすぐに歌に取り入れたりとか、ライヴ・レコーディングらしい楽しいお約束も楽しめるし、観客の笑いや拍手の反応など、あの時代のナイトクラブの雰囲気がよく伝わってくる。オリジナルLP9曲だったが、現CDは追加ボーナストラックで全20曲に「増量」されている。(CD追加トラックでは、ギターや一部ホーンも加わっているので、たぶん同じクラブの別セッションの演奏を録音したものを加えているのだろう。)いずれにしろ、サラ・ヴォーンとジャズ・ヴォーカルの魅力がたっぷりと詰まった名ライヴ・アルバムだ。

At the Village Gate
Chris Connor
(1963 FM)
白人女性ヴォーカルでは、クリス・コナーChris Connor (1927-2009)が、ニューヨークのイースト・ヴィレッジにあったジャズクラブ「Village Gate」で録音した『At the Village Gate(1963 FM) が素晴らしい。こちらはロニー・ボール(p)、マンデル・ロー(g)、リチャード・デイヴィス(b)、エド・ショーネッシー(ds)というカルテットが伴奏している。ロニー・ボールは元々トリスターノ派のピアニストだが、しばらくクリス・コナーの歌伴をしていた人だ。トリスターノ直系のクールで硬質なボールのピアノが、クリスのハスキーな声と、どちらかと言えばドライで滑らかな唱法に非常に合っていて、マンデル・ローのスウィンギングなギターも同じくクリスと相性がいい。クリス・コナーはクロード・ソーンヒル、スタン・ケントンなどモダンな白人ビッグバンドを経てデビューした後、スタジオ録音でも数多くの名盤を残している人だが、当時は30代半ばの女ざかりでもあり、その容姿と共に、このライヴ・アルバムは彼女の語りも多く入っていて、何より全体としてジャズクラブらしいリラックスしたムードが最高だ。付き物のハプニングとして、このアルバムでもクリスが歌詞を忘れる場面が<Black Coffee> で出てくる。前後半でEarly ShowLate Show2部構成になっており、ミディアムからアップテンポの前半、スロー・バラード中心の後半に分かれているが、前半は軽快に、後半はしっとりと、クリスはいずれも余裕たっぷりにこなしている。リラックスしてこの時代のジャズクラブの雰囲気を楽しめるいいアルバムです。

As Time Goes By
Carmen McRae
(1973 JVC)
3枚目は、1973年に来日中だったカーメン・マクレー Carmen McRae (1922-94)が、当時の「新宿DUG」で行なったピアノの弾き語りライヴ録音『As Time Goes By』JVC)だ。ジャズ・ヴォーカルの名盤として有名なレコードだが、今でも日本以外では簡単に入手できないようだ。元々ピアニストでもあったカーメンのピアノ技術の素晴らしさは知られていたが、当時常に同伴していた伴奏ピアニスト(トム・ガービン)の演奏に満足していなかったJVC側が、しぶるカーメンを口説き落として何とか弾き語りの録音にこぎ着けたという逸話がライナーノーツに書かれている。アメリカですら一度もやったことのない弾き語りを、しかもいきなりでアルバム1枚分も弾ける曲がないと最初固辞していたカーメンだったが、1曲だけでも…という熱意にほだされて思い出しているうちについに10曲以上のレパートリーが出てきた、ということだ。バラード中心の選曲で、カーメンの歌もピアノも実に素晴らしい。若い頃からエラ、サラのような派手さではなく、ビリー・ホリデイを手本に歌の表現力で生きてきたように、一行一行の歌詞を大事にして語るように唄うが、そのきれいな発音の英語は当時の他の黒人女性歌手にはなかなか聞けないものだ。したがって名盤『Great American Song Book』(1971 Atlantic)を典型的な例に、クラブ・ライヴで小編成のバックで唄うのが彼女には一番合っている。またニーナ・シモンと同じくピアノの実力もあったことから、一度弾き語りを聴いてみたい、という当時の日本側の興味と企画は実に的を得たものだ。独特の高音による金属的な声は好みが分かれるようだが、当時53歳で円熟期でもあり、その歌のうまさで声質はまったく気にならない。タイトル曲<As Time Goes By>もいいが、マーサ三宅さんも感動した<The Last Time for Love>の味わいがやはり素晴らしい。またオーディオファンの間では、ピアノの鍵盤に当たる彼女の爪の音まで収録されていると、評判になったほど優れた録音のアルバムでもある(多分それには良いオーディオ・システムが必要だろうが)。1970年代は、それまでレコードでしか聴けなかったアメリカのジャズのビッグネームが続々日本にやって来た時代で(本国で食えなくなってきたこともあって)、今思うと日本のジャズファンにとってある意味夢のような時代だった。それにしても、カーメンの録音に限らず、アメリカでは低評価だったプレイヤーや未発表音源の発掘など、バブル前70年代の日本のジャズ関係者は本当にいい仕事をしていたと思う。

2018/01/05

女性ジャズ・ヴォーカル (1)

ビリー・ホリデイやニーナ・シモンのような天才歌手以外にも、サラ・ヴォーン、エラ・フィッツジェラルド、カーメン・マクレーといった有名な黒人女性歌手がいて、名盤も数多く、昔はジャズ・ヴォーカルと言えばまずは彼女たちのレコードを聴いたものだ。ただこういう歌手は、日本人的には濃い、重い、と感じる人も多く、代わってもっと軽くて聴きやすい白人女性歌手も非常に好まれた。アニタ・オデイ、クリス・コナー、ヘレン・メリル、ペギー・リーといった人たちが代表的で、やはり本格的なジャズ・ヴォーカルが楽しめたが、それ以外にも、もっと軽くて、アクの弱い、しかしジャジーな味わいのある白人女性歌手も昔はたくさんいて、そういう歌手の世界もなかなか捨てがたいものだ(その分野のマニアも昔からいる)。私的には、日本の年末はやはり昔の演歌が似合うように思うが、正月に女性ジャズ・ヴォーカルを聴いて1年をスタートするのも悪くない。ただし時節柄、胃にもたれそうな重い歌より、やはり軽く爽やかな、古き良き時代の白人女性歌手の歌でものんびり聴いて過ごす方がいい。ジャズ臭は薄く、中にはポピュラー音楽に近いものもあるが、その代わり現代の歌からは絶対に聞こえてこない、何とも言えない味やノスタルジーが感じられ、たまに聴くと非常に癒されるのである。

Night in Manhattan
Lee Wiley
(1951 Columbia)
黒人以外の女性ジャズ・ヴォーカルとしてはミルドレッド・ベイリー Mildred Bailey (1907-51) がまず挙げられるが、やはり同じスウィング時代に登場した歌手としてはリー・ワイリー Lee Wiley (1908-75) がいちばん有名で、同じような生年だがベイリーより長生きしたこともあって、彼女はモダン・ジャズ時代になってから数多くのレコードを残している。したがって伴奏陣の演奏も古色蒼然としたものではなく、また容姿の印象もあって、ワイリーの歌唱はよりモダンで、あでやかで、かつエレガントだ。代表的なアルバムは、何をさておいても『Night in Manhattan』(1951 Columbia)だろう。素晴らしいジャケット・デザインと、1曲目<Manhattan>のワイリーのハスキーで、しっとりした歌声を聴いただけで、1950年前後のニューヨークにタイムスリップできる。ビバップ以降の、過激で高速のモダン・ジャズが全盛だった時代に、ニューヨークではこうしたゆったりしたヴォーカル・アルバムも作られ、楽しまれていたのである(まあ白人だけだろうが)。ワイリーのアルバムをもう1枚挙げるなら、『West of the Moon』(1956 RCA)だろう。こちらはストリングスをバックに、ワイリーもさらに脂が乗って素晴らしい歌唱を繰り広げており、ややこしい政治問題も顕在化していなかった、シンプルで、明るく、ゴージャスなハリウッド的アメリカ全盛期の空気がそのまま伝わって来る傑作アルバムだ。ノスタルジーあふれるアルバム・タイトル曲がことさら素晴らしい。

Sings Ballads
Rosemarry Cloony
(1985 Concord)
ローズマリー・クルーニー Rosemarry Cloony (1928-2002) は、歌手以外にも女優、タレントとしても活躍した人で、ジャズ、ポピュラー音楽の分野で数多くレコーディングしている。クルーニーの歌唱はとにかく何を歌っても「屈託がない」。声も発音も発声も情感も、くぐもることなく、妙な癖もひねりもなく、きれいに軽やかに出て来るので、こちらも何も考えずに聴け、素直に耳に届くが、やはりそこにはジャジーな味わいもある。これは歌手としての彼女の個性であり、それはそれですごいことだと思う。声質も歌唱もリー・ワイリーの延長線上にあるように感じるが、ワイリーよりは男性的かつクールで、アメリカ白人女性のジャズ・ヴォーカルを代表する人だと思う。西海岸のジャズ・ミュージシャンたち(Scott Hamilton-ts, Warren Vache-cor, Ed Bickert-g 他)によるセクステットが伴奏し、既にベテランになっていたクルーニーが有名バラードのみをゆったりと歌った『Sings Ballads』(1985 Concord)は、数多い彼女のアルバム中でも、そうした個性がいちばん良く出ているレコードだ。録音も非常にクリアで、ストレスがないので、ヴォーカル、ホーンの音色、ギターの響きを含めて、うるさいこと、細かいことを言わずに、ひたすらリラックスして楽しめる最良の女性ジャズ・ヴォーカル・アルバムの1枚である。

Where is Love?
Irene Kral
(1976 Choice)
もう一人素晴らしいと思う歌手はアイリーン・クラール Irene Kral (1932-78) だ。乳がんで亡くなる少し前、1974年に録音された『Where is Love?(Choice) は、彼女が残した最高傑作である。男性的で屈託のないローズマリー・クルーニーとは対照的で、アメリカ人女性とは思えないような屈託のある(?)実にきめ細かな情感を、歌詞一つ一つの言葉に乗せて歌う人だ。こういう白人女性歌手もいるのだ、と初めて聴いたときはびっくりした記憶がある。このアルバムでは、アラン・ブロードベント Alan Broadbent のピアノ伴奏だけで、どの曲もしっとりと語るように歌い上げている。いわばアメリカ風シャンソンの趣があって、小さなサロンで、彼女が目の前で歌っているような、非常に親密で不思議な感覚を覚えるアルバムである。トリスターノの弟子だったとは思えないような、歌に寄り添うブロードベントの非常に繊細なピアノも美しい。後年ダイアナ・クラールもカバーした<When I Look in Your Eyes>をはじめ、どの曲も素晴らしいが、個人的好みを言えば、やはり冒頭のごく短い<I like You, You’re Nice>の、語るがごとき歌唱が絶品だと思う。

ただ、これらの古いヴォーカル・アルバムは、どれもLPで聴くのとCD(データも)で聴くのとでは、やはり受ける印象がまったく違う(私は両方持っている)。LPで聴ける濃密な声や楽器の質感、場の空気が、どういうわけか電子化されると嘘のようになくなって、どこかさっぱりしてしまうのである。今のように、最初から音源を加工したりせず、アナログ盤を前提にしたほとんど手を加えていない録音なので、やはり音の鮮度が違う。LPレコードの人気が復活するのも当然だろう。特に昔のジャズ・ヴォーカルは、やはりアナログ盤で聴くと圧倒的に声がリアルになり、歌を聴く楽しみが倍化する。