ページ

2017/09/24

「作曲家」セロニアス・モンク #2

Thelonious Himself
1957 Riverside
モンクは、自分が作った曲の解釈と演奏方法、とりわけ表現すべき「サウンド」に、作曲者として絶対的な確信を持っていたのだと思う昔から言われているように、一人で曲の全体像を表現できるピアノ・ソロがモンクの音楽にとって最善のフォーマットであり、一方バンドでモンクの曲を演奏するサイドマンたちへの要求が人一倍厳しかったのもそれが理由だろう。モンクの曲そのものが持つ難解さとは別に、異なる音楽思想を持ったマイルス・デイヴィスとの意見の衝突や、他のプレイヤーがモンクの曲を演奏するのがいかに難しかったかという多くの逸話も、自分の曲をきちんと演奏できる奏者がいないことをモンクがしばしば嘆いていたのも、そう考えるとよく理解できる。また本書に何度も出て来るように、モンクは自分が作った曲の楽譜を詳細に書き込んでいた。にもかかわらずエリントンやミンガスと同じく、ミュージシャンたちにその楽譜を見せずに、常に音だけ聞かせてメロディを習得させるという徒弟制度のような指導、共演方法を取っていた。その理由も、自分の曲は譜面を見てコード進行を覚えるように頭で理解するのではなく、まず曲のメロディをフィーリングで身体に浸み込ませて欲しい、でないとモンクが期待し、こうだとイメージしている「サウンド」が表現できないのだ、という強烈な自信と信念によるものだったのだろう。

ジャズの場合、既存の曲をモチーフにして曲を作ることも多いが、いずれにしろ「作曲」とはほとんどゼロから音楽を生み出すという創造行為である。ポピュラー曲のように、コード進行によって曲の基本的枠組みが決まっている既存の素材を、プレイヤーが独自に「料理」する伝統的なジャズ即興演奏とは違う想像力と創造力がそこでは必要とされる。メロディ、ハーモニー、リズムを周到に組み合わせて配置する作業(composition)から生まれた、曲のメロディとリズムへの強いこだわり、カウンターメロディの多用、音を間引いたオープン・ヴォイシング、半音階のコード進行、全音音階のランによる「不協和」な音の響き、ポリリズム的な多層リズムによるアクセントの「ずらし」の感覚、長い休符(間)による「無音の効果」の強調、ぎざぎざした極端な音程の跳躍によって生み出すアブストラクト感と意外性、一貫性のある構築的な印象を与える演奏、等々……本書にも書かれているモンクの「演奏」に特有のものだと思われている数々の特長も、「作曲家が、自分の理想のサウンドを探求する過程から生まれた演奏上のアイデアであり技術だ」と解釈すれば、すべて納得がゆく。そして演奏技術においては、天性の音感とリズム感に加え、ストライド・ピアノの先達たちの持っていた左手の使い方と、コード進行ではなく「メロディを基にした無限の変奏」という即興コンセプトを継承したことによって、独自のパーカシブな奏法とヴァリエーションの展開という個性を開発し、ピアノの持てる機能を最大限に使って自らの「サウンド」を表現しようとしていた。モンクは、こうして作曲と演奏の両面で独創的世界を築き上げたのだ。しかも、その音楽が意図的に奇を衒って作られたようなものではなく、聴き手の感性をも開放する、あのモンクの持つ「自由」を指向する精神から自然に生まれているところが素晴らしいのである。批評家ポール・ベーコンが言ったように、まさに「それは、モンクが全体として普段からどういう物の考え方をしているのかという結果であって、小節がここで、ブリッジがそこで、とかいう問題ではないのだ」。

The Transformer
 2002 Thelonious Records
ビバップ、クール、ハードバップ、モード等々、流行したどんな「スタイル」のジャズにもモンクが同調せず、どんな共演相手であろうと、どんなスタンダード曲の演奏であろうと、常に自分の音楽を演奏し続けたのも、モンクが何より「作曲」という、音楽上もっとも知的で創造的な行為の真の遂行者だったからに他ならない。リバーサイドの「セロニアス・ヒムセルフ」における<ラウンド・ミッドナイト>のソロ演奏を仕上げる過程や、スタンダード曲をモンク流に解釈し再構成した演奏も、そのアプローチは直観による即興というより常に作曲的であり、本書に出て来る<I’m Getting Sentimental Over You>のモンク的解釈とアレンジの過程もその具体例である。その時(1957年春)ネリー夫人が自宅で録音した80分以上に及ぶソロによる試行のテープと、その後モンクがコンボによるコンサートの場で行なった演奏までの「変容」の記録を、ロビン・ケリーとThelonious RecordsCD化した2枚組アルバム「The Transformer」(2002年、ルディ・ヴァン・ゲルダーによるリマスター) を聞けば、その過程が一層はっきりとわかる。またネリー夫人に捧げた<クレパスキュール・ウィズ・ネリー>を、数ヶ月かけて作曲する過程の逸話も同じだ。つまり初期のハーモニー解析へのアプローチがそうだったように、曲作りも、アレンジも、モンクは常に長い時間をかけ、何度も実験を重ね、練りに練った音を譜面上に一つ一つ置きながら、独自の音楽を作品として「凍結」していたのである。ホイットニー・バリエットの言葉を借りれば、モンクのインプロヴィゼーションとは、まさにその「解凍」作業だったのだ。しかも、その解凍の手法は毎回異なっていた。だから残されたレコードでの演奏は、数多いモンクの解凍作業の一つを「缶詰」にしたものに過ぎないとも言える。モンクの本当の仕事場だったクラブでのライヴ演奏は、当然ながらずっと鮮度も高く、味わいも深かったことだろう。コルトレーン、ロリンズ、グリフィンたちとの「ファイブ・スポット」における毎夜の「解凍作業」がどれだけエキサイティングなものだったかは想像もつかない(おまけにそこでは、モンクのアクション・パフォーマンスまで見られたのだ!)。一方、モンクの「作品凍結」作業の現場は、おそらくロスチャイルド家が保有している未公開のニカ夫人の録音テープの中に、まだ数多く残されていることだろう。

この「独創を常に指向する作曲家」という資質をキーワードと考えれば、リー・コニッツがインタビューの中で述べている「チャーリー・パーカーは即興の名人というよりも、実はメロディ(フレーズ)を創り出す天才的作曲家だった」という趣旨の見解とも通じるものがある。そしてこれが、作曲家デューク・エリントン直系の系譜にモンクがいること、同じく作曲家だったチャールズ・ミンガスがモンクを崇拝していたこと、またセシル・テイラーやオーネット・コールマンのようなアヴァンギャルドの音楽家(彼らも作曲家=composerである)の始祖がモンクだとされる理由でもある。ということはつまり(今更だが)、モンクは時代ごとの演奏を記録したディスコグラフィーとその個々の評価以上に、生涯で70曲以上に及ぶ作品(曲)リストの方が、重要で意味がある音楽家だということである。そしてエリントン以降、モダン・ジャズの歴史上これほど多くの優れた、かつ独創的な作品、それもジャズ・スタンダード曲を作ってきた音楽家はいないのだ。モンクのレコード(「演奏」の記録である)に、マイルスやコルトレーンやエヴァンスのような「奏者」としての決定的とも言える名盤がないこと、その代わりどのレコードで、どんなフォーマットで、何を演奏しても、常にそれはモンクの音楽であり、かつモンク的水準を超えていて駄作や駄演がないことも、そう考えれば合点が行く。だから1960年代以降、新たな曲作りが徐々にできなくなったために、限りのある既存の自作曲の解釈がついにはマンネリ化し、批判されるようになったという理由もわかる。マイルス・デイヴィスのように、時代に合わせて演奏のスタイルを変化させながら音楽自体を大胆に変貌させてゆくことができなかったのも、頑固さや能力の問題ではなく、モンクが単なるアレンジャーでもインプロヴァイザーでもない、20世紀半ばを生きた自分自身の音楽を創造する作曲家だったからだ。

ジャズとは瞬間に生まれる「場と時間」の音楽であり、それゆえ素材である曲よりも、その場における奏者の解釈と即興演奏にこそ価値があるという暗黙の前提があるので、モンクに関するこれまでの一般的分析や評価も、残されたレコードによる演奏記録に偏ってきたという側面もある。しかしスティーヴ・レイシーに始まる一部のジャズ・ミュージシャンたちは、モンクをジャズのすべての要素を包含した大音楽家として捉え、モンク的世界をどう解釈し、いかにして自身の音楽として消化するか、という探求をこれまでも、そして現在でも行なっている。モンクとはそういう存在であり、またその音楽にはいかなる解釈をも許容する懐の深さと自由がある。モンクは単なるジャズ・ピアニストを遥かに超えたスケールを持つ音楽家だったのであり、米国におけるモンクの死後の評価も、当然ながらエリントンと並ぶ「ジャズ作曲家」としてのモンクである。

Monk's Music
1957 Riverside
1950年代に入っても<リトル・ルーティ・トゥーティ>、<ブルー・モンク>、<リフレクションズ>、<ブリリアント・コーナーズ>、<パノニカ>、<クレパスキュール・ウィズ・ネリー>、<リズマニング>、<ジャッキーイング>などの名曲をモンクは数多く書いている。しかし本書で描かれているように、1960年代になると、年齢のみならず、ドラッグと精神や肉体の病のために創作エネルギーが徐々に衰え、数曲を除き、40年代から50年代にかけてのような独創的な作品をモンクは生み出すことができなかった。したがって60年代に入ってから急に高まった世の中の認証とは別に、作曲家モンクの絶頂期と言えるのは、1941年のケニー・クラークとの共作<エピストロフィー>に始まる約20年間だったと言えるだろう。また「作曲と即興」というモンク独自の音楽が最高度の次元に達していたのが言うまでもなく1950年代後半だった。そして創作のインスピレーションと意欲がさらに衰え、曲作りがほとんどできなくなった1960年代後半からの時期は、「やむなく」奏者としての活動を続け、そこでは依然モンク的水準の演奏を維持してはいたものの、「作曲」という音楽家としてのモンクを支えてきた真の基盤をほぼ失っていたとも言える。その後1970年代初めにウィーホーケンのニカ邸に引きこもり、76年に完全に引退して82年に亡くなるまで、モンクが自分の分身のごとく愛したピアノに一切触れようともしなくなったのは、時代や、精神や肉体の病のために奏者としての演奏意欲がなくなったということ以上に、もはや曲を創作できなくなった「作曲家」としての自分自身に絶望していたことが最大の理由ではなかったのか、というのが本書を読んだ私の想像である。なぜなら、音楽家モンクの創造力のすべてを注ぎ込む容器だったピアノに注ぐべきものが、永遠に失われてしまったからだ。

2017/09/15

「作曲家」 セロニアス・モンク #1

Brilliant Corners
1956 Riverside
「セロニアス・モンク 独創のジャズ物語」のロビン・ケリーの原書には、モンクのアルバム、映像作品の簡単なリストが参考資料として巻末についているだけで、詳細なレコード情報などはない。ただし、初録音情報などを記した自作曲のリストがある。既述のように、この本はモンクの音楽やレコードの分析を主題にしたものではなく、またその種の本は既にいくつも書かれているので、著者も敢えて付け加えるつもりはなかったのだろう。ただし本文中には、年代ごとにレコーディング・セッションと演奏曲に関するかなり詳細な記述がある。しかし、それらは文章の流れの中で触れており、またジャケット写真を含めてリリースされたレコードに関する情報がほとんどないので、読んでいてどのレコードなのか具体的に知りたいと思う読者もいることだろう。今はインターネットで調べればほとんどの情報は個別に辿ることができるが、それでは読者に不親切なので、コニッツの本と同じくジャケット写真付きの簡単なディスコグラフィーを作成して、巻末に参考用として添付しようかと思っていたが、既述の通り大部の本となってしまい、ページ数の制約もあるので、自作曲のリスト共々今回は難しいということになった。そういうわけで、モンクの代表的レコードについて、本書を参照しながら時系列で確認できるようなレコード・ガイドをこのブログ上で書こうかと考えていた。ところが、考えているうちに、それは何か違うのかなと思い始めた。モンクには「ブリリアント・コーナーズ」のような傑作とされる名盤も確かにあるのだが、それは、例えばマイルスの「カインド・オブ・ブルー」やコルトレーンの「至上の愛」、ビル・エヴァンスの「ワルツ・フォー・デビー」のような、誰もが思いつくジャズの決定的名盤とは、一般的人気度という見方は別にしても、どこか「性格」が違うでのではなかろうかという疑問である。

リー・コニッツの時と同じく、モンクの本を翻訳中ずっとモンクのレコードを聴きながら作業していたのだが、何度も繰り返して聴いているうちに改めてその感を深めたことがある。それは、モンクの演奏は1940年代のまだ若い時も、中年になった1960年代も、音楽の骨格そのものにはほとんど変化がないということだ。普通のジャズ・ミュージシャンは、年齢と経験を重ねてゆくうちに、時代と共にその演奏スタイルやサウンドも徐々に進化あるいは変化してゆくものだ。ディスコグラフィーに沿った年代別の聴き方をしていると、素人耳にもそれははっきりとわかるもので、聴き手としてはそこがまたジャズの面白い部分でもある。ところがモンクは、初のリーダー作である1947年のブルーノート録音の時から既にモンクそのもので、最後のスタジオ録音となった1971年のブラック・ライオンの「ロンドン・コレクション」に至るまで、音楽上の造形にはほとんど基本的に変わりがないように聞こえる。もちろん年代や、録音時のコンディションや、共演相手によって演奏には当然ある程度の変化はあるのだが、基本的には30歳代も50歳代の音楽も一緒なのだ。要するに、モンクは最初からずっと「素晴らしくモンク」なのである。本人も、またネリー夫人も語っていたように、何十年も前と何も変わったことはやっていないのに、1950年代の終わり頃になってから音楽家として急に脚光を浴び、世間の認証が得られたのは、「世の中のモンクの聴き方」の方が変化したからだ、ということなのだろう。ジャズ・ミュージシャンとしてこれは特異で驚くべきことに違いないし、ジャズ史にこのような人物は他にはいない。

プロのジャズ・ミュージシャンや批評家、真にコアなモンクファンを別にすれば、おそらく普通のジャズファンは、レコードを聴きながらジャズ・ピアニストとしてのモンクの演奏を楽しみ、聴いているのではないかと思うし、私もこの本を読むまでは長年そういう聴き方をしていた。もちろん作曲家であることも、<ラウンド・ミッドナイト>や<ルビー・マイ・ディア>のような名曲の作曲者であることも知識としては当然知ってはいたが、レコードを聴くときは普通のジャズ・ピアニストを聴くときのように聴いていたし、同じ曲を何度も取り上げていても、代表的レコードから聞こえてくるその個性的な演奏の魅力を単に楽しんでいた。モンクの音楽を分析的に聞いたところで(しかもド素人が)少しも面白くないし、モンクにしかないあの開放感と不思議なサウンド、リズム、メロディを素直に楽しむのがいちばんいいからだ。しかし上述の自分の観察から、またこの本を読んで改めて理解したのは、モンクという音楽家はピアニスト以前に、本質的にまず「作曲家=composer」なのだということだった。

モンクは、即興演奏だけの単なるジャズ・ピアニストではなく、コンポーザー(作曲家)、アレンジャー(編曲者)、インプロヴァイザー(即興演奏家)という3つの資質を併せ持った稀有なジャズ・ミュージシャンだと言われている。タッド・ダメロンのようなビバップの作曲家もいるが、演奏家としてはモンクのような存在感はなく、またジャズの巨人と呼ばれてきた人たち、例えばマイルス・デイヴィスは作曲より、むしろ常に曲と演奏の全体的構造を考えるアレンジャーとしての資質が強く、ジョン・コルトレーンやソニー・ロリンズはほぼ真正のインプロヴァイザーだったと言えるだろう。そしてビル・エヴァンスやキース・ジャレットのようなピアニストを含めて、大方のジャズ・ミュージシャンはこのインプロヴァイザー型である。しかしクラシック音楽の世界では、モーツァルトやベートーヴェンの時代までは、音楽家は一人でこの3つの技術を持っているのが当たり前だったが、その後の歴史でこれらは徐々に分化し、曲を作る人、演奏する人、さらには全体の指揮をする人というように、専業化が進んで今のようになったと言われている(ただしショパンのように、ピアニストの一部には自作曲を演奏した音楽家もいた)。ジャズも初期の段階では、これらの技術は未分化だったが、クラシック同様に徐々に作曲(ポピュラー曲)、編曲、演奏という分化した専門技術から成る音楽となって行ったようだ。ジャズの始祖とも言われるバディ・ボールデンの後、それらの技術を一人で「統合」し、多くの有名曲を作り、編曲し、ピアノを通じてビッグバンドという自らの「楽器」を指揮することで、黒人音楽の伝統の上に高度な水準の音楽を創造した史上初の「ジャズ音楽家」が、スウィング時代に現れたデューク・エリントンである。ジャズ史におけるエリントンの偉大さはそこにあり、そして曲を単なる素材にした即興演奏の価値が一層重視されるようになったビバップ以降のモダン・ジャズ時代に、この3つの要素を統合し、一人3役の能力を持った音楽家として登場したのがセロニアス・モンクなのである。エリントンがモンクの音楽を直ちに理解したこと、モンクとエリントンの互いへの敬意を示す本書中のいくつかの逸話は、したがって非常に説得力のあるものだ。

Genius of Modern Music
1947- 52 Blue Note
モンクは1930年代から既に作曲を始めていたようだが、驚くことに、モンクの作った有名曲の多くが、まだ若かった1940年代(20歳代)に既に作曲されている。本書で描かれているようにモンク初のリーダーセッションとなったのが、1947年モンク30歳の時に、これらの自作曲を引っ提げて臨んだブルーノートへのスタジオ録音である。ブルーノートのアルフレッド・ライオンたちは、194710月から11月にかけて、セクステット、トリオ、クインテットで計3回、19487月にミルト・ジャクソンを入れたカルテットで1回、その後しばらくして19517月に同じくクインテットで1回、最後の録音となった19525月のセクステットで1回、と都合6回の録音セッション(78回転SP盤)を行なっている。1947年の録音では、<ルビー・マイ・ディア>、<ウェル・ユー・ニードント>、<オフ・マイナー>、<イン・ウォークト・バド>、<ラウンド・ミッドナイト>などが、1948年録音では<エヴィデンス>、<ミステリオーソ>、<アイ・ミーン・ユー>、<エピストロフィー>などが、1951年録音には<フォア・イン・ワン>、<ストレート・ノー・チェイサー>、<クリス・クロス>、<アスク・ミー・ナウ>、1952年録音には<スキッピー>、<ホーニン・イン>、<レッツ・クール・ワン>などが収録されている。こうして録音リストを見ると、実は上記ブルーノートにおける録音の時点で、モンクは既に自身の「名曲」の大半を作曲していたことがわかる。したがってこれらブルーノートの初期セッションをLP時代にまとめたレコード「Genius of Modern Music Vol.1,2,3」(Vol.3はミルト・ジャクソン名義)こそ、まさに音楽家セロニアス・モンクの原点だと言える。聴いていると、これらの演奏が1940年代の大部分の聴衆の耳には、あまりに先進的かつ個性的に聞こえ、理解できなかったという話もよくわかる。そして、上記セッションで気づくもう一点は、モンクが、ソロ以外のすべての演奏フォーマット(トリオ、カルテット、クインテット、セクステット)で録音していることだ。ブルーノートはメンバーの構成、人選を当初モンクに一任していたので、ビバップとは異なるコンセプトで自作してきた曲が、それぞれのフォーマットでどのような「サウンド」になるのか、モンクはひょっとして初期の録音の場で周到に実験していたのではないだろうか(あくまで想像です)。

At Town Hall (Live)
1959 Riverside
こうした1940年代のキャリアから見ても、モンクをモンクたらしめているのは何よりも作曲家 (composer) の資質だと言えるだろう(ただし本書に書かれているように、ピアノ奏者としてなかなか認められなかった当時の状況が、結果的にモンクの創造エネルギーをより作曲に向かわせたという一面はあるかもしれない)。そしてエリントンが自らのオーケストラで追求したように、モンクはソロの他に、トリオ、コンボ、さらには後年の「タウンホール」のビッグバンドなど、様々なアンサンブル・フォーマットで、これらの自作曲を「再解釈」しながら、新たな「サウンド」を探求し続けていたのだろう。つまり何よりも「作曲」こそが、モンクという音楽家の真のアイデンティティであり、音楽上の基盤だった。本書に書かれている1959年の「タウンホール」コンサートの準備段階で、モンクと編曲者ホール・オヴァートンの会話を録音したテープは貴重な記録だ。そこでモンクの曲を習得していたオヴァートンに対して、「聴くのは曲じゃない、サウンドだ」と語ったように、自身が作った「曲の構造とメロディ」から生み出し得る様々な「サウンドの可能性」を探求するために、モンクは生涯にわたって自作曲を数限りないヴァリエーションで解釈(アレンジ)し、演奏(インプロヴァイズ)し続けていたのだということが、ド素人の私にも「ようやく」分かったのである。

モンクの音楽は様々に語られてきたが、その全体像を短い言葉で的確に説明するのは不可能だろう。しかし唯一、1982年のモンクの死の直後、ジャズ批評家ホイットニー・バリエットが述べた、「モンクのインプロヴィゼーションは彼の作品が融解したものであり、モンクの作品は彼のインプロヴィゼーションを凍結したものだ」という比喩はまさに至言だと思う。「作曲と即興」が可逆的に一体化したものこそがモンクの音楽の本質だという見方である。普通の耳には摩訶不思議に響くのも、誰にもまねができないのも、思考するジャズ・ミュージシャンをいつまでも触発し続けるのも、そのような音楽は他に類例のない存在だからだ。そしてそこが、与えられた曲を単なる素材にして、自身のアレンジや即興演奏で様々に解釈する「普通の」ジャズ・ミュージシャンとモンクが根本的に違う部分なのだ。

2017/09/07

東京ジャズでリー・コニッツを「見る」

93日(日)の「第16回東京ジャズ」昼の部に出かけた。東京ジャズは2014年以来で、その年はオーネット・コールマンが出演するというので、最後の姿だろうと思って丸の内の東京国際フォーラムまで行ったのだが、何と大ホールに入場してから突然アナウンスがあり、病気のためにコールマンが来日できなくなったという。急遽プログラムを変更して、コールマンの出番は小曽根真がMCで仕切った参加ミュージシャンたちによる即席の大ジャムセッションとなった。これはこれでハプニングが付き物のジャズらしくて非常に楽しく、その時のステージを堪能したことを覚えているが、残念ながらそのコールマンは翌年6月に亡くなってしまった。今はネット映像で何でも見られる時代だが、マイルス・デイヴィス、ビル・エヴァンス、キース・ジャレットのような人たちをライヴで見た経験から言うと、ジャズファンにとって、生きている(本物の)ジャズの巨人を実際に目にする機会はやはり貴重で、一生記憶に残るものだ。ライヴで聞いた音の記憶はすぐに薄れるが、目で見たことはいつまでも覚えているものなのだ。

東京ジャズは今回から場所を渋谷に移し、Hall/ Street/ Clubという3会場がNHKホール代々木公園ケヤキ並木/ WWW(X)の3箇所になった。ところが当日の代々木公園では「渋谷区総合防災訓練」というイベントが同時に行なわれていて、NHKホール横のケヤキ並木と広場周辺では、緊急時の防災グッズを並べた白いテントが林立し、自衛隊による炊き出し(カレー)に長い行列ができ、お祭りの露店なども出ていて、あたりは人で一杯だった。ジャズ祭というのは、いわば「楽しい非日常」の世界だと思うが、防災訓練はあまり楽しくない非日常を想定した催しだ。どちらも非日常だが、これが同時に同じ場所で開催されるとミスマッチの極みで、まさに会場はchaosだった。私の印象ではストリート会場の雰囲気は、いろんな人が入り乱れていて、どう見てもジャズ祭には見えなかった。ステージの奏者もやりにくかったのではないかと思う。避難民の横で呑気にジャズなんか演奏したり聞いている場合か…というような思いがどうしても浮かんで来るのだ。したがって、きれいな丸の内のおしゃれな大人のジャズ祭というイメージだったのが、すっかり庶民的(?)な貧乏くさいムードになってしまい、しかもどう見ても主催者の言う若者の町で…という雰囲気でもない。非常に残念なことで、この日程はどうにかならなかったのだろうか。 

とはいえ、一歩NHKホールの中に入れば、もちろんそうしたchaosとは無縁のジャズの世界ではある。昼の部の最初のセットは ”Celebration” と題して、ジャズ100年(これはジャズが初めて「録音」されてから、という意味らしい)を振り返る企画で、狭間美帆指揮のデンマークラジオ・ビッグバンドと、フィーチャーされたアーティストが時代を代表するジャズを演奏するという趣向だ。ニューオリンズから始まり、スウィング、ビバップ、クール、(ハードバップやモードは多分時間の都合で飛ばして、いきなり)フリー、フュージョン、そして現代という区分けで、ビバップは日野皓正(tp)、クールはリー・コニッツ(as)、フリーは山下洋輔(p)、フュージョンはリー・リトナー(g)、現代はコーリー・ヘンリー(key)という人たちがフィーチャーされた。ニューオリンズのトレメ・ブラスバンドの賑やかなオープニングでコンサートが始まり、アモーレ&ルルが華麗なスウィング・ダンスを披露し、話題の(?)日野皓正は、うっぷんを吹き飛ばすかのように<チュニジアの夜>を圧倒的なエネルギーで豪快に吹き切り、リー・コニッツが登場し(後述)、ピアノに火を付けて燃やしながら演奏した、あの70年安保の時代の映像を写したスクリーンをバックに、山下洋輔が相変わらずパワフルなピアノを聞かせ、リトナーも懐かしいあのギター・テクニックを見せてくれ、ヘンリーは実に今風のサウンドをキーボードで美しく響かせた。これらのセッションはいずれも聞きごたえのある演奏で楽しめたが、特にビッグバンドを自在に操りながら、フィーチャーされた各ミュージシャンを引き立てる狭間美帆の「堂々たる」指揮(バンマス)ぶりには感心した。山下洋輔の教え子で作曲家兼アレンジャーらしいが、まだ若いのにアメリカでも高い評価を受けているようだし、優れた才能を感じさせる人だ。山中千尋もそうだが、今の日本の女性は音楽でも世界に飛び出して活躍していて本当に頼もしい。狭間美帆の音楽は、7月に大西順子とコラボしたモンクの音楽を取り上げたライヴを聞き逃したが、次に機会があればぜひまた聴いてみたい。斬新なアレンジによる現代のビッグバンド・ジャズは、サウンドがパワフルかつ新鮮で、聞いていて非常に楽しくて気持ちがいい。優れた作曲家やアレンジャーが手掛ければ、まだまだジャズを魅力的に掘り下げ、発展させる可能性を大いに秘めているフォーマットだと思った。
2番目のセットはシャイ・マエストロ・トリオ Shai Maestro Trioというイスラエルのピアノ・トリオで、私はこれまで聞いたことがなかった。全体に静謐、クールかつメロディアスなサウンドは、キース・ジャレットのようでもあり、昔聞いたノルウェーのヘルゲ・リエン・トリオを何となく思い出しながら聞いていたが、トリオが生み出す独特のメロディ、リズム、音階にはやはりユダヤ的サウンド特有の世界を感じた。カミラ・メザ Camila Mezaというチリ出身の女性ヴォーカリスト兼ギタリストが途中で加わったが、この人の歌とギターは素朴で、エキゾチックでいながら現代的でもあり、非常に素晴らしかった。このトリオとヴォーカルの生み出すサウンドとグルーヴには独特の響きと美しさがあり、初めて聴いたにもかかわらず、思わず引き込まれてしまうような魅力があった。イスラエル、南米という地理的な広がりだけでなく、ジャズという音楽が持つ懐の深さと裾野の広さ、同時にモダンなビッグバンドと同じく、ジャズの未来の可能性を感じさせる音楽だと思った。続く最後のセットは、チック・コリアとゴンサロ・ルバルカバのピアノ・デュオで、名人2人のインプロヴィゼーションは美しく見事だったが、私はそもそもピアノ・デュオというフォーマットそのものが昔から苦手なので、この演奏は普通に楽しんだだけだ。ピアノは他の楽器に比べるとそれ自体でほぼ完成されていて、1台だけであらゆるサウンドが出せる万能感のある楽器だ。だからソロなら奏者独自の聞かせどころと全体的な完結感があって聞いていてまだ面白いのだが、2台でやると音数が多過ぎて、2者の対話というより饒舌なお喋りを延々と聞かされているような気がして、ひと言で言うと「うるさい」のである。それが好きな人も勿論いると思うので、まあ、これは個人的な音楽の好みの問題です。ちなみに今回のコンサートの模様は、10月下旬にNHK BSでTV放送されるということだ。 

実は私が今回の東京ジャズに出かけた一番の目的は、最後の来日になるかもしれないリー・コニッツを「見る」ことだった。2013年の東京ジャズ出演を見逃したので、コールマンの例もあることだし、今回はぜひ見たかったからだ。来月90歳(!)になるコニッツが、上記 ”Celebration” の「クール・ジャズ」のパートになって、おぼつかない足取りで、エスコートの係員に手を引かれて舞台の袖から出て来た瞬間の姿を見ただけで、私の胸は一杯になった。昨年訳書「リー・コニッツ」の原著者アンディ・ハミルトンから、最近は物忘れが激しくなったようだ、という話をメールで聞いていたので、まさか90歳を迎える今年来日するとは夢にも思っていなかったのだ。そこで知人を通じて、東京ジャズの合間にどこかで個人的に会えないかアレンジを依頼していたのだが(自分の訳書にサインでもしてもらって宝物にしたかった)、ご本人が高齢であり、音楽に集中したいので、という理由で残念ながら直接会うことは叶わなかった。だが、とにかく最後になると思われる舞台上のコニッツの姿を見ることができただけで満足だ。コニッツはピアノとのデュオで<Darn That Dream>を吹き、しかも途中で突然スキャット(だったように思う)で歌い出したのだ! コニッツは歌うのが好きで、そのインプロヴィゼーションが歌うことから生まれるという話は訳書にも書いてある。聴衆は突然のことにきょとんとしたような反応だったが、彼をよく知るヨーロッパの聴衆ならおそらく拍手喝采の場面なのだろう。前日に、ある人から教えてもらった2011年のダン・テプファー(p)とのデュオによるヨーロッパ・ツアーの模様を捉えたドキュメンタリー動画(All The Things You Are, MEZZO)をインターネットで見たばかりだったので(コニッツの素顔を捉えたこの映像は貴重で素晴らしい)、今回のコニッツの外見や所作に6年の歳月をつくづく感じた。しかし、揺らめくように「歌う」独特のフレーズと、何とも言えない微妙なテクスチュアを持ったあの音色は健在だった。90年間ジャズに生きた巨匠が紡ぎ出すアルトサックスの響きには、いかなる批評も感想も超越した美しさと深味があった。続いて狭間美帆指揮のビッグバンドともう1曲演奏したコニッツは、最後もよろよろしながら舞台の袖に消えて行った。オペラグラスのレンズを通して見たその姿を、私は決して忘れることはないだろう。

2017/08/30

訳書「セロニアス・モンク 独創のジャズ物語」出版

ロビン・ケリー (Robin D.G.Kelley) 著 "Thelonious Monk: The Life and Times of an American Original" (2009Free Press) の翻訳に取り組んで来ましたが、セロニアス・モンク生誕100年目の誕生日にあたる10月10日を前にして、9月27日に(株)シンコーミュージック・エンタテイメントから「セロニアス・モンク 独創のジャズ物語」(小田中裕次 訳)という邦訳書として発売されることになりました。本書は謎と伝説に包まれた独創のジャズ音楽家、セロニアス・モンクの生涯とその実像を描いた初のノンフィクションの物語です。

マイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーンのように誰もが知っているジャズの巨人については、邦訳書を含めてこれまでも数多くの本が日本国内でも出版されています。しかし知名度や商業的観点からはマイナーな存在であっても、創造的な素晴らしいミュージシャンはジャズの世界にはまだたくさんいます。アルトサックスの巨匠リー・コニッツ (1927-) の自伝的インタビューから成る私の前訳書「リー・コニッツ ジャズ・インプロヴァイザーの軌跡」(DU BOOKS 2015年)もそうですが、日本ではあまり知られていないジャズの世界、あるいはジャズ・ミュージシャンの人生や音楽を取り上げた海外の優れた書籍を日本語で紹介し、日本のジャズファンに読んで楽しんでもらうことには21世紀の今でも意味があると思っています。「即興演奏」が命のジャズには、「出て来た音がすべてだ」という考え方もありますが、一方で「自由な個人」の音楽でもあるジャズは、ミュージシャン個人の音楽思想や人生を知ることで、その人固有の音楽世界をより深く理解しめることもまた事実です。今年90歳を迎えるリー・コニッツは、来る9月初めの「東京ジャズ」(NHKホール)にも出演が決定しているそうです。2013年の出演に続くものですが、おそらく最後になるかもしれない今回の来日実現にも、この本による日本でのコニッツ再評価がいくばくか寄与しているかもしれないと思っています。

ジャズ・ピアニストにして作曲家でもあるセロニアス・モンク(1917-82)は、コニッツに比べると世界的知名度も高く、また日本でも従来からジャズの巨人として認知されています。モンクとその独創的音楽の魅力を描いた伝記やエッセイは、海外ではモンクの没後くつか書かれていますが、一方音楽家、人間としてのモンクは誰よりも多くの神話と伝説に満ちた人物でもあり、信頼性の高い情報が限られていたこともあって、これまでその真の姿はアメリカ国内でも正確に理解されているとは言えませんでした。ロビン・ケリーの原書は、その人間モンクの実像と魅力に迫ることに初めて挑戦した伝記で、モンクの生涯を追った著者の14年間に及ぶ研究過程で発掘した多くの新情報や事実を駆使して、知られざるモンクの姿を浮き彫りにしたことによって、2009年の初版以降米国では高い評価を得て来た書籍です。この興味深い本を日本のジャズファンにもぜひ読んでもらいたいと思い、著者の許諾を得て、約1年かけて600ページの原書を翻訳し、昨年夏にはほぼ完訳していました。しかし、この出版不況下では、長大な書ゆえ大部となった日本語完訳版の出版に挑戦してくれる出版社がなかなか見つからず、やむなく昨秋著者に状況を説明し、一部を割愛した短縮版とすることを承諾していただきました。しかし、それでもその長さゆえに難しいとする出版社が多く、邦訳書の出版は半ばあきらめかけていました。幸いなことに、最終的にシンコーミュージック様がその短縮版を取り上げてくれることになり、ようやく出版の運びとなったものです。この間、出版の世界のことも多少学びましたが、リー・コニッツの本も、今回のモンクの本も、こうした分野や視点に関心を持ち、出版の意義を理解していただける編集者がいなかったら、いずれも邦訳書として世に出ていません。音楽書にとっては厳しいビジネス環境ですが、訳者として、そういう方々がまだ出版界におられることに感謝しています。

原書の概要は本ブログ2月度のモンク関連記事(モンク考)他に書いてありますので、興味のある方はそちらをご覧ください(邦訳版巻末の「解説」は、このブログ記事を基にしています)。著者ロビン・ケリー氏(UCLA教授)は米国史を専門とするアフリカ系アメリカ人の歴史学者ですが、学者とはいえ、自ら楽器も演奏し、またジャズを含めたブラック・ミュージックへの造詣も深く、これまでも様々なメディアに寄稿するなど、深い音楽上の知識を持った人物です。したがって著者は、ジャズ音楽家モンクの個人史に、自身の専門分野でもあり、かつジャズと不可分の米国黒人史を織り込むという基本構想の下にこの本を執筆しています。原書では、かなりの部分をそうした歴史的事例の記述にさいているために、ジャーナリストや作家が書いたジャズ・ミュージシャンの一般的伝記類とは趣が少し異なりますが、あくまで事実を重視した学者らしい豊富な史料と正確な記述で、モンクの実像を描くことに挑戦しています。邦訳版は、読者が日本人であることと、上記出版上の制約もあり、著者のご理解と了承をいただいた上で、原書の意図を損なわない範囲で、主として黒人史に関わる詳細な記述の一部を割愛し、ジャズと、モンクの人生、音楽を中心にした音楽書という性格がより強い本となっています。しかし、それでも全29章、704ページに及ぶ長編ノンフィクションとなりました。

本書はまたモンク個人の人生と音楽だけでなく、1940年代初めのニューヨークのジャズクラブ「ミントンズ・プレイハウス」に始まるモダン・ジャズの歴史を俯瞰する視点でも書かれており、特にモンクがその歴史上果たした役割と音楽的貢献にも光を当てています。これはチャーリー・パーカーを中心とした従来のモダン・ジャズ創生史では見過ごされて来た側面であり、音楽家として苦闘し続けたモンクの真の独創性をおそらく初めて具体的に描いたものです。また、その過程で生まれたモンクと多くのジャズ・ミュージシャンたち(エリントン、ホーキンズ、ガレスピー、パウエル、ロリンズ、ブレイキー、マイルス、コルトレーン他)との様々な人間的、音楽的交流も描いており、これらの中には従来日本ではあまり知られていない興味深い事実や情報も数多く含まれています。そして何よりも、モンクの魅力と同時に、本書は一人の天才音楽家を支えていた家族、親族をはじめとする周囲の人たちも描いた温かい人間の物語でもあり、歴史的、客観的視点を貫きながらも、本書の行間からは、人間セロニアス・モンクに対する著者の深い尊敬と愛情が滲み出ています。長い読み物ですが、モンクファンのみならず、ジャズに興味のある人たち誰もが楽しめる物語ですので、ぜひ読んでいただけると嬉しく思います。

  • 以下は邦訳書「セロニアス・モンク 独創のジャズ物語」全29章の目次です。
ノースカロライナ州における19世紀奴隷制時代のモンクの曽祖父の話から始まり、誕生から死に至るまで、モンクの生きた年月に沿ってその波乱に満ちた生涯を辿った物語です。

ノースカロライナ / ニューヨーク / サンファンヒル / 伝道師との旅 / ルビー・マイ・ディア / ミントンズ・プレイハウス / ハーレムから52丁目へ / ラウンド・ミッドナイトビバップ / ブルーノート / キャバレーカード / 何もない年月 / 自由フランス / プレスティッジ / リバーサイド / コロンビーとニカ / クレパスキュール・ウィズ・ネリー / ファイブ・スポット / 真夏の夜のジャズ / タウンホール / アヴァンギャルド / 再びヨーロッパへ / スターへの道 / コロムビア / タイム誌と名声 / パウエルと友情 / アンダーグラウンド / ジャイアンツ・オブ・ジャズ / ウィーホーケン

2017/08/25

ジャズ漫画を読む #2 - ブルージャイアント考

注目されているジャズ漫画のもう1作は「ブルージャイアント」(石塚真一/2013-16)だ。単行本は10巻で第1話が完結したが、こちらはまだ続編「ブルージャイアント SUPREME」が「ビッグコミック」に継続連載中である。この作品もジャズを描いているが、女性作者による「坂道のアポロン」が持つどこか抒情的で、文学的な雰囲気とは正反対の熱い男の熱血物語で、「静」に対して「動」のイメージだ。また時代設定のおかげで「アポロン」がいわばファンタジーの世界でジャズを描いているのに対して、「ジャイアント」は現代を背景に、ジャズ・プレイヤーを主人公に据えて真正面からジャズを取り上げているのも対照的だ。常にポジティブだが、ジャズのジャの字も知らない田舎(仙台だが)の高校生・宮本大が、ゼロからスタートしてテナーサックスを学び、世界一のジャズサックス奏者を目指してひたすら猛練習しながら様々な仲間や人間と出会い、徐々に成長してゆくという、いわゆるスポ根ものに近い物語である。ロックやポップスならいざしらず、ジャズの世界でそんなに熱く一直線の人間とか成功物語が今どき存在するのか、そんなに簡単にジャズサックスが吹けるようになるものか…等、常識的的疑問を含めて突っ込みどころがないではないが、おそらく作者はデフォルメという漫画の特技を駆使して、そういう常識や思い込みにも挑戦したかったのではないかと推察する。確かにジャズを題材にして、音の出ない漫画でここまでストレートな描き方をしたのは画期的なことだし、物語もわかりやすく、この種の熱い話が好きな人には魅力があるだろう。とっつきにくいジャズを、若い世代により身近に感じさせることになるだろうし、多分ジャズに限らず自分で実際にバンドをやったり、楽器を演奏する人たちにはきっと響くものがいろいろあるのだと思う。しかし私は楽器は少々やったことがあるが、そもそも人間が熱血型ではないので、物語も画風も最初はいささか暑苦しいなと思っていた。

100年以上の歴史を持つジャズは多彩で奥の深い音楽だ。熱くハードでストレートなジャズもあれば、クールでソフトだが複雑なジャズもあり、また枠に囚われないフリージャズもあるように、様々なスタイルがあって、それぞれ好む聴き手もいる。ジャズの魅力は、エモーション一発ではなく、冷静さ、知性、知識、技術という多面的要素を持った即興演奏が要となった高度で複雑な音楽であるというところにある。時代と共にジャズ演奏のイディオムも、流行も、奏者と聴き手の感性も変わるので、表層的な部分は変化してきたが、優れたジャズに古いも新しいもなく、ジャズが持つ音楽としての本質に変わりはない。ジャズのバンドもメンバーを固定して活動するケースが多いが、通常は短命であり、メンバーは頻繁に入れ替わるのが普通だ。なぜなら、「みんなで仲良く一緒に」ではなく、つまるところジャズが「個人」の音楽だからだ。あくまで独立した「個」と「個」が演奏を通じて互いを理解し、刺激し合い、時には挑戦しながら、より高い次元で他者と音楽的に繋がる瞬間にこそジャズの醍醐味があるわけで、何よりも、それを支える「自由な精神」をリスペクトすることがジャズという音楽の最大の魅力なのだ。何をどう演奏しようが聞こうが基本的には自由であり演るのも聞くのも行き着く先はあくまで個々人の自由な価値観と嗜好である。こうあらねばならない、こうすべきだ、という硬直した思想は最もジャズから遠いものだ。だから一般的に言って、真のジャズ好きが単一価値観のスポ根風を嫌うのは当然であり、当初「ブルージャイアント」にどことなく感じた違和感は、たぶんそのあたりが理由だと思う。

ところが読み進めるうちに、作者の強引なストーリー展開と、これまた主人公の強引な行動(と人間味)につい感情移入して引き込まれてしまい、徐々になかなか面白いと思うようになってしまった(ただしジャズ云々よりも人間ドラマとしてなのだが、自分が意外に単純な人間だということもわかった)。ほとんどセリフのない場面とコマが延々と続いたり、もちろん絵から音は出ないので、楽器の音を表現する擬音とスピード感や迫力を伝える線のオンパレードで、こちら側で想像するしかないのに、なぜか「ジャズ」が聞こえて来るような気がするから不思議だ。演奏中のジャズ・ミュージシャンの一瞬の姿や表情を捉えた昔のスティル写真と同じで、写真を見ただけでその人の音が聞こえて来る、あの感覚と同じなのだろうが、この場合は、そのミュージシャンの演奏を実際にレコードなどで聞いた記憶があって、そこから音楽が脳内イメージとして聞こえて来るわけである。「アポロン」でも同じように、有名なジャズ・スタンダード曲の記憶から湧いてくるイメージがあったのだが、「ブルージャイアント」では、若いミュージシャンの卵たちがオリジナル曲をただひたすら熱く演奏している画が延々と続くだけで、それが具体的にどういう演奏なのかは誰にも想像がつかないはずなのだ。たぶん読者全員がそれぞれ勝手なジャズのイメージを思い浮かべているのだろうが、それでも聞こえて来るイメージは確かにジャズである(私の場合、どちらかと言えばフリー系だが)。作者は当然ジャズを良く知っている人のようだし、昔から小難しい蘊蓄ばかり語ってきた中高年の世界(私も含めて)とか、知識と情報をやたらと詰め込んだ頭でっかちな奏者や、あれこれごった煮のように混ぜ合わせたジャズが増えてきた現状を一度ご破算にして、「熱くひたむきな」主人公の成長物語を通じて、音楽としてのジャズが本来持っていたはずの激しさやパワーという根源的魅力をダイレクトに伝えるために、敢えてわかりやすい物語とシンプルな表現を選択したのだろう。考えてみれば、ジャズをまったく知らない人からしたら、有名曲だろうがオリジナル曲だろうが、伝統的演奏だろうがフリージャズだろうが、多分どのジャズもみんな同じようにぐちゃぐちゃに聞こえるかもしれない。しかし奏者の真剣さや情熱や演奏の持つエネルギーは、聴き手にジャズの知識があろうとなかろうと、誰にでも伝わって来るはずだというメッセージのようにも思える。

ダンスの伴奏が主だった1940年代半ばまでのジャズを別にすれば、即興演奏の技術が高度化し、多様化したビバップ以降のモダン・ジャズには「万人が楽しめるジャズ」というものはなく、ジャズは本質的に自由な個人の音楽となり、また「知と情」を併せ持つ独特の音楽となった。他のポピュラー音楽と違うジャズだけが持つ魅力と深みは、単に聴き手の感情に訴えるだけではなく、同時に知性を刺激し、知的な美しさを感じさせるという「知と情」の独自の音楽的バランスにある。ロックやポップスなどのポピュラー音楽にも「知」の要素はあるが、それは主として言語(歌詞)から想起されるものであり、楽器演奏による音だけで「知」を感じさせる音楽は、クラシックとジャズだけだ。マイルス・デイヴィスの音楽は、この「知と情」が高度にバランスしたジャズの代表である。また後期コルトレーンのように、考え抜いた末に行き着いた熱狂的でエモーション全開の演奏もあれば、一方、頭で考えたジャズの典型のごとくかつて批判されたアルト奏者リー・コニッツのようなクールな演奏もある。だがコニッツが自伝の中で述べているように、出て来た音がいかに頭で考えたようなクールで複雑な音楽に聞こえても、演奏している奏者をつき動かしているのはあくまで自身の内部から湧き出るエモーションであり、彼の内側は熱く燃えたぎっているのである。このようにプレイヤーによって表現の形は様々だが、黄金期の優れたジャズでは、「知と情」が音楽の中で高い次元で見事にバランスしていたのだ。しかし、ジャズが「知」の領域で生み出した、ハーモニーやリズムにおける独自の音楽概念や複雑な演奏技法の多くは、この半世紀の間に他のあらゆるポピュラー音楽の中に見えない形で拡散、浸透し、今や当たり前のものとして吸収されており、かつてジャズと他の音楽を隔てていた境界線はもはや曖昧だ。大衆の感情に直接訴えかける音楽上のパワーとエモーションも、今やもっとシンプルで聞きやすいポピュラー音楽が席捲している。したがって音楽上「ジャズ」だけに残されている核の部分、ジャズをジャズたらしめているものがあるとしたら、それはモダン・ジャズ以降のジャズが獲得した「知」の象徴である「即興演奏」による高度で抽象的な音楽表現だけだとも言えるだろう。だがそれだけでは音楽として多くの聴き手の心を掴むことは難しいのだ。ジャズはこうして一種のジレンマを抱えながら、過去半世紀、芸能と芸術との狭間を漂い続けてきた音楽なのである。「ブルージャイアント」は、ジャズから失われてしまったかのように見える純粋なエモーション、すなわち「情」の持つパワーを再提示し、ジャズを本来の「知と情」の音楽という原点にもう一度回帰させたい、という作者の願望が込められた作品だ――というのが「これまでの」物語を読んだ私の勝手な解釈である。

第10巻で少年期を終えて、物語のベクトルは徐々に「個人」と「自由」というジャズのキーワードに向かいつつあるように思える「世界一」のサックス奏者を目指す主人公が、「個人」と「自由」に常に見えない足枷をはめようとするローカル日本を離れて、まずは一人でグローバルな世界に向かうという展開は当然のことだろう。最初の行き先がジャズの本場アメリカではなく、クラシック音楽の厚い土壌を持ち、ジャズを芸術と認め、様々な音楽を受け入れる知性と懐の深さがあり、歴史的に独自のジャズ、フリージャズ、さらにはジャズを超えたフリー・インプロヴィゼーションの世界を生んで来たヨーロッパ、中でもドイツを選んだことに、主人公が今後体験する「知」の部分に関する何がしかの意味があるのかもしれない。そしてもう一つのキーワードは、アーティストとしてのジャズ・ミュージシャンにとって究極の目標であり、主人公が物語の最初からその片鱗を見せている「独創」(originality) だろう。続編「SUPREME」(2017-) の中で、今後これらをどう描いてゆくのか興味深いが、物語の最後には、様々な体験を経てミュージシャンとして成長しながら自己表現の手法を確立し、真に「独創的な」ジャズテナー奏者となった主人公が、本場アメリカで勝負する舞台が当然用意されているのだろう。いずれにしろ、今までのところ、この作品がジャズの魅力の一面を描いていることは確かで、これまでジャズにあまり馴染みのなかった人たちにも支持されているなら、それはとても良いことだと思う。私的には、今後の展開の中で、作者が考えるジャズの真の魅力を描き切ってくれることを期待したい。

音楽の世界を漫画で描くのは難しいことだろうが、ジャズをテーマにした「アポロン」や「ジャイアント」のような優れた作品が登場したことを思うと、まだまだ「ジャズ漫画」の将来には可能性がありそうだ。ジャズというユニバーサルな音楽をテーマにしながら、紙の上に創作物語、それもヴィジュアルな世界が描けるのは世界中で日本のコミックだけだろう。これからもさらに魅力的で斬新な作品や、それらを生み出す新しい作家が登場することを一ジャズファンとして楽しみにしている。

2017/08/18

ジャズ漫画を読む #1 - 坂道のアポロン

昔はジャズ漫画と言えば、ラズウェル細木の「ときめきJAZZタイム」くらいしか思い浮かばなかった。ラズウェル細木の漫画は、ジャズ史やジャズ・ミュージシャンのエピソード、ジャズマニアのおかしな生態などを、コアなジャズファンが思わず吹き出してしまうような画風とユーモアで描いた、いわばプロフェッショナル・ジャズ漫画だ。したがって読む側にもかなりのジャズ知識がないと、どこが面白いのかさっぱりわからないという特殊な世界である(ただしジャズファンが読むと、自虐的なギャグ漫画のようで大いに笑える)。だが普通の漫画(コミック)の世界だと、クラシック音楽を描いた「のだめカンタービレ」や「ピアノの森」といった有名な傑作漫画が既にあるが、その種の「ジャズ漫画」というのは読んだことがなく、そうしたジャンルがあるのかどうかも知らなかった。クラシック音楽もジャズと同じで最近は聴く人が減っているようだが、クラシックファンだけでなく、日本人は基本的に誰でも学校でクラシックを習うし、自然に耳に入る機会も多く馴染みがあるので、それほど敷居の高さを意識せずに抵抗なく物語に入っていける「潜在読者」の数も多いのではないかと思う。何より、音の出ない絵だけを見ても、記憶されたクラシックの名曲が頭の中で聞こえて来るので、イメージが喚起しやすいのである。しかしジャズはそうはいかず、昔からまず聞く人が限られているし、今は基礎知識もなくジャズを聞いた経験もない人がほとんどなので、まずジャズという音楽そのものを知らないと、漫画といえども、なかなかすんなりと読んで楽しむわけにはいかないだろうと思っていた。そういうわけで、数年前に娘から教えてもらうまで、ジャズをテーマにした普通の漫画作品があるなど夢にも思わなかった。当然その種の(売れそうもない)漫画を書く作家など出て来るはずもないし、たとえいたとしても、どうせたいしたものじゃないだろうと勝手に思い込んでいて、まったく興味もなかった。ところが、遅ればせながらだが、ジャズをテーマにした漫画にも素晴らしい作品があるということがわかったのだ(知っている人はとっくに読んでいたわけではあるが)。

それが「坂道のアポロン」(小玉ユキ/2007-12)で、1960年代後半の長崎県・佐世保を舞台にしてジャズと恋、友情を描いた爽やかな青春物語である。まさに団塊の世代ど真ん中の時代設定もあり、当時夢中になった若者がたくさんいたモダン・ジャズをテーマとBGMにして、昭和的ノスタルジーを強く感じさせる出色のオールタイム・ジャズ漫画だ。そもそもは少女漫画月刊誌に掲載されていたということだが、題材からして作者が若い(かどうかはよく知らないが)女性というのも驚きだ。物語全体に漂う静謐感、詩情が秀逸で、登場人物の造形、物語の展開、ジャズの描き方など、実際に音が聞こえなくとも紙の上でこういう世界が描けるものかとびっくりした。だが文化祭のシーンが象徴するように、当時の日本はジャズの「全盛」時代だったにもかかわらず、若者の間で人気のあったロックやポップスやフォークの陰に隠れたマイナーな存在だったことも、昨日のことのように思い出す。当時はファッションで聞く人もいたので、本当のジャズ好きはさらに一握りの人たちだけだったのだろう。70年代、張り詰めたような政治の時代が終わり、世の中が軽く明るく(?)なって、ジャズもわかりやすいフュージョンに変容し、聴き手も大学を卒業して普通のサラリーマンになると、ポップスばかりか演歌や歌謡曲ファンに「転向」した人も多かった。これには楽器ができなくても誰でも自分で歌えるカラオケ登場の影響も大きかったと思う。そうした大衆とは縁のない音楽、何をやっているのかわからない音楽、金にならない音楽、精神がとんがった連中(変わり者)が好む音楽…という日本におけるジャズのイメージは昔も今も基本的にはそう変わらないのだろう。ただし、気取った大人が聞くお洒落な音楽というスノッブなイメージが付加されたのは、日本が80年代に入って金回りが良くなり、若い時にジャズを聞いた客層を中心にジャズクラブがあちこちにできたりして、ジャズがそこそこ大衆化したバブル期以降である。それまで、つまり「アポロン」前後の時代は、ショービジネスが出自ではあっても、基本的にはシリアスな音楽芸術、難しいが深い大人の音楽、という受け止め方の方が日本では主流だったと思う。つまりジャズが本当にカッコいい時代だったのだ。

この作品はTVアニメ化もされたのでこれも見たが、菅野よう子が手がけた音楽の出来も良く、しかも漫画では想像するしかなかった「ジャズの音」が、ドラマの中では実際に聞こえてくることもあって、放映中は年甲斐もなく嵌った。若手ミュージシャンによるジャズのサウンドトラックも新鮮で、若者だけでなく、おそらく多くの中高年ジャズファン層が支持したこともあって、番組終了後にはアニメ中のジャズをモチーフにしたライヴ公演の企画まであった(残念ながら聞き逃したが)。そして、来年2018年にはついに映画まで公開されるらしい(現在制作中)。予定キャスティングは、私のような年寄には知らない若い人も多いが、脇役のディーン・フジオカ(桂木先輩役)や中村梅雀(律子の父、ベースを弾くレコード店主役。この人は実際にベースを弾くようだ)など、なるほどと思わせる人たちだが、主人公の一人、迎律子役の小松菜奈(この人はなぜか知っている)は漫画とイメージがちょっと違うのかな、という気がする(原作はもっと素朴で地味なイメージ。ただしそれも映画を見てみないと何とも言えないが)。映画の中でジャズをどう描くか、誰がどういう演奏をするのか等楽しみだが、同時に、この映画の観客層がいったいどういう年齢構成や男女比になるのかということにも非常に興味がある。まさか中高年のおっさんばかり、ということはないだろうと思うが…。

2017/08/10

ジャズ映画を見る #2

一般的にジャズ映画と呼ばれている中で一番多いのは、ジャズ・ミュージシャン本人を描いた伝記的映画だ。「グレン・ミラー物語」(1954や「ベニー・グッドマン物語」(1956など白人ビッグバンドのリーダーを描いた映画が古くからあって、私も昔テレビで見た程度だが、いかにも往時のハリウッド的な作りの映画だった記憶がある。我々の世代だと、一番記憶に残っているのは、やはり1980年代の「ラウンド・ミッドナイトRound Midnight」(1986年)と、「バードBird」(1988年)だろうか。(しかし、これらの映画も既に30年も前の作品だと思うと、つくづく時の流れを感じる。当時の日本はバブル真只中で、一方でアメリカはまだIT革命前の不況に喘いでいた時代だった。)

「ラウンド・ミッドナイト」は、フランス人のベルトラン・タヴェルニエ (1941-) が監督・脚本、ハービー・ハンコック (1940-) が音楽を担当した米仏合作映画である。基本はピアニスト、バド・パウエル  (1924-66) がパリに移住していた時代 (1959-64) に、パトロンとしてパウエルを支え続けたフランス人、フランシス・ポードラ (1935-97) が書いた評伝 “Dance of The Infidels”(異教徒の踊り)で描かれたパウエルの物語だが、そこにテナーサックスのレスター・ヤング (1909-59) の生涯の逸話もミックスしている。この二人のジャズの巨人をモデルにした主人公、テナー奏者デイル・ターナー役を、パウエルと同時期にパリに住み、共演もしていたデクスター・ゴードン (1923-90) が演じている。ハンコック(p)とボビー・ハッチャーソン(vib)も実際に役を演じ、またフレディ・ハバード(tp)、ウェイン・ショーター(ts)、ロン・カーター(b)、ビリー・ヒギンズ(ds)、トニー・ウィリアムズ(ds)、ジョン・マクラフリン(g)、さらにチェット・ベイカー(tp)など、当時の錚々たる現役ジャズ・ミュージシャンたちが、ジャズクラブの演奏シーンに登場している。そしてもちろん、映画のタイトル「ラウンド・ミッドナイト」によって、この曲の作曲者であるもう一人のジャズの巨人で、パウエルを兄のように支え続けたセロニアス・モンクへのオマージュも表現している。フランス人監督が、落ちぶれた晩年のジャズの巨人を1960年前後のパリを舞台に描いた世界なので、ジャズ映画とはいえ、映像、演出ともに陰翳の濃い映画全体のトーンはやはりフランス映画的で、ほの暗く、しっとりしていて、アメリカ映画的な乾いた単純明快な描き方ではない。パリ時代のバド・パウエルは様々に語られてきたが、実際はこの映画で描かれた以上に悲惨な状態だったのだろう。しかし、その時代にパウエルが残したどのレコードからも、演奏技術の衰え云々を超えて、天才にしか表現できない味わいと寂寥感が伝わって来る。この映画で描かれているのも、まさに沈みゆく夕陽のような晩年の天才の最後の日々だ。主演のデクスター・ゴードンは、この映画での枯れた演技を高く評価されたが(地のままだという説もあるが)、ハッチャーソンやハンコックも含めて、即興で生きるジャズメンというのは、やはり演技力もたいしたものだと思う。なおデイル・ターナーが娘チャンに捧げた印象的なメロディを持つ曲は、ハンコックがこの映画のために書いた ”Chan’s Song (Never Sad)” という曲である。映画オープニングのモンクの曲 ”Round Midnight” と同じく、ミュート・トランペットのような音でこの曲がエンディングで流れるが、これは両方ともボビー・マクファーリンによる高音スキャット・ヴォーカルなのだそうである。この曲は今やジャズ・スタンダードになっていて、私が好きなのは、マイケル・ブレッカー(ts)のアルバム  ”Nearness of You:The Ballad Book” (2001 Verve) 冒頭の演奏で、ハンコック自身のピアノの他、パット・メセニー(g)、チャーリー・ヘイデン(b)、ジャック・デジョネット(ds)が参加している。この演奏は美しくまた素晴らしい。

映画「バード」は、言うまでもなく天才アルトサックス奏者チャーリー・パーカー (1920-55) の生涯を描いたもので、製作・監督は筋金入りのジャズファンであるクリント・イーストウッドだ。1930年サンフランシスコ生まれのイーストウッドは、少年時代に西海岸にやって来たパーカーの演奏を実際に聴いている。映画中の演奏シーンでは、パーカーの録音から、パーカーのソロ部分だけを抜き出し、その音(ライン)に合わせて、レッド・ロドニー(tp. 1927-94. 実際にパーカーと共演し、映画でも 南部ツアー時の “アルビノ・レッド” として描かれている)、チャールズ・マクファーソン(as)、ウォルター・デイヴィス・ジュニア (p)、ロン・カーター(b)などが実際に演奏した音楽を使うという凝りようである。したがってパーカーの演奏シーンの音楽はもちろん素晴らしい。物語はパーカーの少年時代からの多くの逸話や、相棒だったディジー・ガレスピー (1917-93) との交流も出て来るが、ほとんどはドラッグによって破滅に向かう天才パーカーの苦悩と、それを支えるチャン・パーカー夫人 (1925-99) との夫婦の情愛を描いたもので、映画は当時存命だった彼女の監修も経て制作している。パーカー役のフォレスト・ウィテカーは、演技はともかく、外見(顔や体型や仕草)がパーカーの私的イメージと違い過ぎて、正直どうもピンと来ない。鶴瓶に似ているとかいう話もあったが、実際のパーカーは、もっと凄みもあって(鶴瓶にもあるが)、もっとカッコ良かったんじゃなかろうか、と思う(ジャズに限らないが、いつの時代も人気の出るカリスマ的ミュージシャンは、何と言ってもカッコ良さが大事なはずなので)。それと、チャン夫人の回想が中心になっているためだと思うが、映画全体のムードと流れが暗く、重苦しい。パーカーがドラッグまみれだったのは確かだろうが、本当はもっとあっただろう、ジャズとパーカーの音楽の持つ明るく陽気な部分があまり描かれていないのが残念なところだ(印象に残ったのは、ユダヤ式結婚式のシーンくらいだ)。クリント・イーストウッドのジャズへの愛情の深さは伝わって来るものの、一方で彼の基本的ジャズ観が表れているのかもしれない。

同時期のもう一作は、スパイク・リー (1957-)監督・制作の「モ・ベター・ブルースMo’Better Blues(1990)で、実在のモデルはいないが、1960年代後半にニューヨーク・ブルックリンで生まれたジャズ・トランペッターとその仲間たちの音楽、友情、恋愛、挫折を描いた映画である。フランス人、白人アメリカ人による重厚な上記2本の映画とは違って、もっと若い(当時30歳代初め)アフリカ系アメリカ人の監督が、ジャズとミュージシャンたちをテンポ良く、比較的軽く明るく描いた作品だ(制作費も安かったらしい)。当時スパイク・リーが、クリント・イーストウッドの「バード」に刺激されて制作したという話もあって、リー監督本人も、主人公デンゼル・ワシントンの幼なじみの小男マネージャー役(ジャイアントというあだ名)で、準主役的に登場してコミカルな演技を披露している(田代まさし、みたいだが)。当時まだ30歳台の主役デンゼル・ワシントン (1954-) は実にセクシーでカッコ良く、ジョン・コルトレーンの風貌と、ソニー・ロリンズの外見を足して2で割ったような雰囲気があるし、特にトランペットの演奏シーンでの男っぽい立ち姿は若き日のロリンズのようで本当にサマになっている。音楽も、リー監督とほぼ同世代のブランフォード・マルサリス(sax)、テレンス・ブランチャード(tp)といった一流ミュージシャンが制作に関わっているので演奏シーンでは本格的なジャズが聞ける。クラブにジャズを聴きに来るのは今や(1980年代)日本人とドイツ人ばかりで、黒人はまったく来ないと主人公が嘆くセリフとか、ピアニストの面倒をあれこれと見るフランス人女性のパトロンがフランス語でまくしたてたり、ミンガスの自伝タイトルから取ったジャズクラブ名(Beneath the Underdog)が出て来たり、パーカーやコルトレーンのレコードを偏愛する姿、さらに後半からは疾走するコルトレーンの「至上の愛」をバックに物語が進み、最後に主人公がやっと結婚して、生まれた子供の名前をマイルスにするというオチもあって、ジャズへのオマージュが全編に溢れている。カラフルなエンドロールのバックに流れるジャズ讃歌のような(たぶん)ラップも非常に楽しい。話としては単純だが何よりテンポが軽快なこともあって、同時代の3本の映画の中で、私的に一番ジャズを感じさせたのはこの「モ・ベター・ブルース」だった(もちろん人それぞれの好みによると思うが)。やはり各監督の資質、ジャズ観に加え、過去を振り返るのと、今 (1980年代当時) を描こうとする作り手の姿勢が、映画全体の印象と関係しているのだろう。 

この他、ジャズを取り上げた最近の洋画は、今年封切り時に映画館で見た「ラ・ラ・ランド」で、この映画についてはブログの別の記事で書いている。同じ監督の「セッション」や、一時引退時のマイルス・デイヴィスを描いた「マイルス・アヘッド」(2016)、チェット・ベイカーを描いた「ボーン・トゥー・ビー・ブルー」(2015) などはまだ見ていないが、いずれ機会があれば見てみたいと思う。ミュージシャンの伝記系以外の映画なら、日本でも上野樹里の「スウィング・ガールズ」(2004) があったし、先日テレビでは筒井康隆原作の「ジャズ大名」(1986)をやっていたが、時代劇とジャズという奇想天外な組み合わせ、お遊びたっぷりの演出で非常に面白かった。タモリや山下洋輔まで出演していたのでびっくりした(知らなかった)。こういうジャズを題材に取り上げた映画は、漫画「坂道のアポロン」もついに映画化されるように、すぐれた作者がいて、良いテーマがあれば、これからも作られてゆくだろう。

2017/08/04

ジャズ映画を見る #1

私は映画ファンとは言えないのであまり詳しくは知らないのだが、ジャズを効果的BGMに使った映画は、MJQの「大運河」、マイルスの「死刑台のエレベーター」、モンクとアート・ブレイキーの「危険な関係」、マーシャル・ソラールの「勝手にしやがれ」など、1950年代のフランス映画の名作をはじめとして、古くから数多くあるのだろう。一方、ジャズそのものを題材にした映画もあって、それには「ドキュメンタリー」と、いわゆる「普通の映画」の2通りあり、さらに普通の映画にはおおまかに言えば、ジャズ・ミュージシャン個人を描いた伝記的映画と、ジャズという音楽を題材にしたフィクション映画の2種類がある。 

ドキュメンタリー映画は、ジャズの場合、ミュージシャンたちの古いテレビ番組他の映像記録を集めたものが大部分で、昔からミュージシャン別のそうしたビデオ映像は数多く残されているが、中にはそうではなく、最初から映像作品として制作されたものもある。そうしたドキュメンタリー映画として、古くからいちばん有名なのは「真夏の夜のジャズ」(公開1960年)だ。原題は‟Jazz On a Summer’s Day” (夏の日のジャズ)で、映画としては昼間の屋外シーンがほとんどなのだが、日本的にはこの邦題の方が「いかにも」という感じで受けると考えたのだろう。これはジャズ・プロモーターのジョージ・ウィーンGeorge Wein (1925-) が企画し、1954年から米国ロードアイランド州の保養地ニューポートで始めた野外ジャズ祭、「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」の1958年のコンサートの模様を記録した映画である。ジョージ・ウィーンはその後ニューヨークに場所を移したり、世界各地で「ニューポート」と冠したバンドやジャズ祭を数多く企画しており、バブル時代の日本で流行った野外ジャズ・フェスも、ニューポート・ジャズ祭が基本モデルだ。この映画は、マリリン・モンローの写真などで有名なファッション・カメラマンで、映画監督に転じたバート・スターンBert Stern (1929-2013) が撮影した美しい映像と、登場する数々のジャズ・ミュージシャンたちの演奏、それを聞く聴衆の姿や表情を、ナレーションなしでクールに描いた斬新な演出が光るジャズ映画の傑作である。チコ・ハミルトン、エリック・ドルフィー、セロニアス・モンク、ジェリー・マリガン、ジミー・ジュフリー、ボブ・ブルックマイヤー、ソニー・スティット、ジョージ・シアリングなど当時の新進ジャズ・ミュージシャンに加え、アニタ・オデイ、ダイナ・ワシントン、マへリア・ジャクソンといった女性ジャズ・ヴォーカルやゴスペル歌手、さらにスウィング時代のベテラン大スター、ルイ・アームストロングや、当時人気が高まっていたロックンロールのチャック・ベリーまで登場する。

言うまでもなく、この時代はアメリカという国家の最盛期であり、それはつまり当時のアメリカを代表するハイカルチャーとしての音楽モダン・ジャズの最盛期でもあった。豊かな経済に支えられ、数多くの名盤と呼ばれるレコードが作られ、音楽的にも高度化し、多くのジャズ・ミュージシャンの創造力が最も高まっていた1950年代後半は、あらゆる意味でジャズの黄金時代だった。多くのジャズ・ミュージシャンが一堂に会した貴重なライヴ映像というだけでなく、この映画は、上流階級の保養地だったニューポートの美しい自然、豊かな聴衆の姿とファッション、そして当時最先端の音楽だったモダン・ジャズの3つを融合した、幸福なアメリカとその豊かな文化を象徴的に描いた作品でもある。まだ国外のベトナム戦争も、国内の公民権闘争も激化する前で、差別はあっても黒人と白人が分相応に棲み分け、白人中産階級がゆったりと暮らせ、少なくとも表面的にはまだ穏やかだった最も幸福な時代のアメリカの空気が、この映画の中に封じ込められているのである。映像の素晴らしさに加えて映画のハイライトはいくつもあるが、やはり一番人気はアニタ・オデイ(1919-2006)のヴォーカルだろう。衣装、仕草、表情、そしてもちろんその歌声も歌唱力も素晴らしく、まさにあの時代のアメリカを象徴する映像だ。おそらく当時世界中のジャズファンが、この映画でのアニタには痺れたことだろう。そしてもう一人は短い出演だがセロニアス・モンク(1917-82)だ。モンクは3年前の55年のニューポートに初出演してマイルス・デイヴィス他と共演していたが、この映画はようやくスターとして頭角を表し始めたモンクの実際の姿と音楽を初めて映像で捉えたものだ。特にモンク・グループが演奏する<ブルー・モンク>をBGMに、湾内を競走するアメリカズ・カップのヨットレースとラジオ実況放送、という映像、音楽、実況音声の組み合わせは、ドキュメンタリー映画史に残る斬新な演出であり、この印象的なシーンによってモンクもまた世界的に有名になった。 

ジャズ・ドキュメンタリー映画のもう一つの傑作が、そのセロニアス・モンクの生の姿を映像で捉えた「ストレート・ノー・チェイサー Straight, No Chaser」(1988年制作)である。ドイツ・ケルンの放送局に勤務していたブラックウッド兄弟が1967年にモンクの許可を得て、6ヶ月にわたって日常、クラブ・ライヴでの演奏、スタジオ録音、ヨーロッパ・ツアー時などにおけるモンクの姿を映像に記録し、それをその後ヨーロッパでテレビ放映した2本のモノクロ・フィルムを中心に編集したものだ。当時のモンク・カルテットのメンバーの他、ツアーに参加したジョニー・グリフィン、フィル・ウッズ、さらにネリー夫人やニカ男爵夫人、当時コロムビアのプロデューサーだったテオ・マセロなどの映像と肉声も記録されている。そこに、それ以外のモンクの記録映像や、モンクの死後80年代に新たに撮影したカラー映像を加えたもので、バンドメンバーだったチャーリー・ラウズ(ts)、モンクのマネージャーだったハリー・コロンビー、息子T.S.モンク等のインタビュー、モンク同様ニカ邸で当時暮らしていたバリー・ハリスがトミー・フラナガンとピアノ・デュオでモンクの曲を演奏する映像(その後ろにはアート・ファーマーとミルト・ジャクソンの姿も見える)、さらにウィーホーケンのニカ邸内のモンクの部屋とピアノ、そこからのマンハッタンの遠景、そして1982年のモンクの葬儀の模様などが追加されている。映画化はモンクの存命中から計画されていたようだが、紆余曲折あって、モンクの死後になって最終的にクリント・イーストウッド(1930-)が製作を引き受け、女性監督シャーロット・ズワーリン(1931-2004)が映画を完成させて配給にこぎつけたという。1967年のモンクは全盛期を過ぎ、肉体的、精神的にも苦しんでいた時期で、特にこの撮影は前年のバド・パウエルに続き、エルモ・ホープ、ジョン・コルトレーンという盟友3人を相次いで失った直後であり、精神的には落ち込んでいたはずだが、ピアノを弾き、踊り、くるくる回り、喋り、歩くモンクの動く姿はとにかくファンにとっては面白く興味が尽きない。この映画の素晴らしさは、全編に流れるモンクの代表曲の演奏に加え、演奏中であれ、会話中であれ、街を歩く様子であれ、ほとんど演出、脚色なしの“素の”モンクが捉えられていることだ。ジャズ映画も様々だが、ジャズ・ミュージシャン、それも伝説の人物をこれほど身近な視点でストレートに捉えた映画は歴史上皆無だ。また80年代に撮影されたカラー映像でモンクを語る人たちのインタビューや演奏も、モンクという音楽家を理解するための貴重な証言になっている。モンクファンのみならず、ジャズファンすべてが楽しめる傑作ドキュメンタリー映画である。

この他に、破滅的人生を送ったトランぺッターのチェット・ベイカーを描いた「Let’s Get Lost」(1988)というドキュメンタリー映画もあるが、音楽はともかくとして、人間チェット・ベイカー自身が個人的にあまり好きではないこともあって、私は見ていない。今やインターネット上で、多くの映像が自由に見られる時代となっている。作品としてのジャズ・ドキュメンタリー映画は、古い映像記録そのものに限りがあり、これからジャズを主題に描こうにも時代が違うし、材料(人材を含めて)が手に入らないなどの理由もあって、今後ここに挙げたような傑作映画が作られることは永遠にないだろう。

2017/06/30

オーディオ体型論

オーディオは長年楽しんできたが、ずいぶんと散財もした。ジャズに限らず、我々の世代のオーディオファンはみな同じような経験をしていることと思う。金に糸目をつけないハイエンドに向う人もいれば、できるだけ金をかけず、徹底的に知恵で勝負する人もいるのがオーディオだ。私も振動やノイズ制御、電源やケーブルによる音の変化は体験としては理解したし、コンセントやケーブルなど諸々の小細工も楽しんではいたものの、電気の 基本知識もない文系人間であり、しかも不器用な上に根性もないので、さすがに庭に「自前の電柱」を立てるところまでは行かない中途半端な(?)マニアだった(ジャズもそうだが、どうも自分は中途半端なマニアのようだ)。そして10年ほど前からMacBookをオーディオ専用に使うシステムを構築し始め、その後5年ほど前にやっと行き着いたPCオーディオ・システム(Mac/iTunes/Audirvana/HDD/DDC/DAC/AMP/SP)でほぼ進化(?)も散財も止まった。NASは信号経路が何となく信用できないので、基本的には有線接続機器によるシステムだ。ハイレゾにも今は特に興味はない(何せ昔のジャズには音源そのものがないので)。CDPもアナログプレイヤーもあるが、最近はほとんど使わない。今はCDデータを非圧縮でHDDに取り込んだ手持ちの音源が、できるだけ気持ちよく鳴るようにセッティングしているだけだ。再生ソフトウェアの著しい進化による音質向上も大きいが、PCによる音源情報管理の便利さは、一度味わうともう抜け出せない。大量のレコード(LPCD)から探し出す手間だけでなく、気分によってジャンルやアーティストや曲を自由に選んだり、迅速に並べ替えたりできることは、音楽を聴く上で何より便利で楽しいのだ。特にジャズの場合、素材というべき「曲」を選んで、異なるミュージシャンによる同じ曲の演奏を一気に聴き比べると、意外な発見もあって非常に面白く、この聴き方はPCシステムならではのことだろう。それにアンプとスピーカーさえ決まれば、昔アナログ・カートリッジを替えたように再生ソフトやDACを入れ替えれば、大して金をかけずに音の変化を楽しむこともできる。

アンプはシンプルなデザインが気に入って買ったPrimareのプリとパワーで固定されたままだ。スピーカーもJBLやB&Wをはじめ何台入れ替えたか覚えていないくらいだが、これも45年前にTADにしては安い小型モニタースピーカーを手に入れ、Pioneerのリボンツイーターを上に乗せてから、そのクセのない素直な音が気に入ってずっと使っている。もちろん低域は限界があるが、今の環境と耳には丁度良い。(ヘッドフォンはあの閉塞感が嫌いなので使ったことはない。趣味のオーディオとはスピーカーを鳴らすことだと思っているので)。隣家が気にならず、広いリビングのあるマンションに引っ越したのも、大きなスピーカーを大音量で気兼ねなく鳴らすのが半分目的だったのだが、移ってからは聞く音量もむしろ下がってしまった。大型スピーカーの魅力は捨てがたいが、所詮集合住宅では限界があるし、昔はチマチマしているとバカにしていた小型システムによるニアフィールドの音体験をすると、これはこれでいいものだと(歳のせいか)思うようになった。ジャズ=大型スピーカー=大空間という古典的法則は、=大音量というもう一つの条件が加わらないと結局面白くない。昔のジャズ喫茶はこれらの条件をある程度満たしていたがゆえに、音に興味のあるジャズファンは通ったのだ。神戸の “jamjam” のようなジャズ喫茶はその理想で、デフォルメされた仮想空間なのに、リアルに聞こえるジャズの世界を自宅で創り出すことに昔はみな夢中になっていたもので、オーディオの活況もそれが理由の一つだった。
そのオーディオに熱中していた当時に思いついたことがいくつかある。その一つが「オーディオ体型論」だ。あの頃は様々なオーディオ評論家の先生たちが、アンプやスピーカーやCDプレイヤーなど、どの機器が良いとか、どの組合せが良いとか、毎月のように発表されるオーディオ新製品の評価や自身の意見を語っていた。オーディオ誌も色々あって、毎月のように買ってそれらの批評を楽しみに(かつ結構真剣に)読んで、次に何を買おうかと思いあぐねていた。そうした記事をしばらく読んでいるうちにあることに気づいた。それは、それぞれの批評家には、どうも固有の音の好みがあるようだということだった。つまりA氏が素晴らしいという音と、B氏やC氏が素晴らしいという音は違うのではなかろうかという疑問である。そして長年の読書体験からある法則が思い浮かんだ。それは細身の人、筋肉質な人、太目な人…というように、その評論家の体型と彼が好む音との間には、ある種の相関がありそうだということだった。オーディオに興味のない人が聞いたら何を言っているのかチンプンカンプンの、音の感覚的批評語(音がー細い、痩せた、速い、太い、遅い、華やか、芳醇etc.)で語る評論家それぞれの「体型」と、彼らが「好む音」にははっきりと相関があるように思えたのだ。
たとえば私が好きだった長岡鉄男氏の体型は見たところ小柄で筋肉質だったが、好む音も竹を割ったような、と言われるシャープでハイスピードの音だった。やや小太り気味の菅野沖彦氏は豊潤な音を好んでいそうだった。「ステレオ」誌に登場していたブチルゴム制振の金子英男氏もそうだ。一方、中肉中背の人は、バランスの取れたあまり個性の強くない音が好みのようだ、ということが批評(感想)文をずっと読んでいるとわかってくる。私も痩せていた若い頃は細身でシャープな音が好みだったが、歳を経て体重が増すにつれ、比較的肉厚で豊かな音を徐々に好むようになった。大人になって性格が丸くなったとか、聴覚が徐々に衰えたとかそういうことではなく、単純に物理的に体重が増して体型が変わったことの方が、影響が大きいと思ったのだ。つまり「良い音」というのは人によって異なる。そしてその人の「体型」(骨格と肉付き)と、音を聞いて感じる「快感」には相関がありそうだ、ならばその時の自分と体型の近い人の意見を参考にすれば、求めている音に近づけるかもしれない、というのが結論だった(と言うほど大それた話ではないが、まあヒマだったのだろう)。おそらくスピーカーによる空気の振動と、それが自分の肉体に伝わる骨伝導(共振?)によって、聴覚だけではない自分が肉体的に感じる心地良さが関連しているものと推測されるが、この仮説(?)は今でも有効だと自分では思っている。もう一つ思いついたのが「オーディオマニア短命論」だが、これは差し障りがあるので書くのはやめておく。

音楽を聴くためのオーディオには可変要素が多過ぎるし、良くなるか悪くなるかは別にして、「何をいじっても音は変わる」ことは実感した(駄耳の私にもわかる程度に)。また良い機器というものは確かにあるが、機器単体の物理的性能や科学的測定データと、聞く側にとっての「良い音」にはほとんど何の関係もない…と言えばない。アナログだろうがデジタルだろうが、PCを使おうが、それは同じだ。音に興味のない一般人には感知できない変化に一喜一憂するオーディオの世界がオカルトと呼ばれる所以だが、(上述の仮説が有効なら)聴く側の人間の肉体と感覚がそもそも千差万別なのだから、ある意味当然と言えば当然だ。あるのは「自分にとって良い音」だけである。その「自分」に近い感覚を持つ人の数が相対的に多ければ、それがマジョリティになるし、機器やシステムの評価も相対的に高いということになるのだろう。しかし考えてみれば、抽象芸術である音楽の評価とはすべからくそういうものであり、ジャズレコードの「自分にとっての名盤」も同じことだろう。自分にとって良い音、理想の音を目指しながら「微妙な音の変化を楽しむ過程」こそがオーディオという趣味の本質だと思うが、それがたとえ自分にしか感知できない変化であっても、むしろ自分にしか感知できない変化であればなおさら楽しい、というところが問題(?)なのだ。おまけに自分の体型、肉体、つまり五感も年齢と共に刻々と変化しているわけで、それはつまり(再び上述の仮説が有効なら)自分にとって良い音、理想の音も実は変化しているということに他ならない。つまりキリのない作業が死ぬまで続くということである。それに人間は飽きっぽいし、物欲もある。昔のように、機器を次から次へと買い替える中毒症状に陥る人が出るのもそれが理由だろう。(大金持ちの人は別にして)これを承知で、身を滅ぼさない程度に分相応の金をつぎ込む限り、良い音楽を良い音で聴きたいと願う音楽好きにとって、オーディオという終わりなき趣味はやはり面白い。

2017/06/25

紀尾井ホールで山中千尋を聴く

紀尾井ホールで行なわれた山中千尋の「文春トークライブ」に出かけた。当日6月21日はセロニアス・モンクへトリビュートした新アルバム「Monk Studies」(ユニバーサル)発売日であり、しかもたまたま彼女の21枚目のレコードなのだそうだ。前半はトーク中心、後半はモンクの曲を中心にしたライブという構成。モンクの曲は<ルビー・マイ・ディア>、<リズマニング>、<ハッケンサック>、<パノニカ>という代表曲をエレクトリック・キーボード、エレクトリック・ベース(中林董平)、ドラムス(大村亘)というトリオで演奏。アコースティック・ピアノをトリオで弾いたのは前半冒頭の曲(タイトルは知らない)と、アンコールの<八木節>2曲だけだ。ソロ演奏はなし。文春主催と会場が影響しているのか、この日の聴衆は見たところ普通のジャズ・コンサートとどことなく違う雰囲気で、ジャズでもなければクラシックでもない混成隊のような不思議な構成に見えた。

「極私的5つのピアノ名演と名曲」と題した前半のトークでは、神舘和典氏(音楽ライター)を相手にグレン・グールド、ミシェル・ペトルチアーニ、ジョー・ザビヌル、ポール・マッカートニー、ブラッド・メルドーという5人について、それぞれの奏者の好きな点や裏話を語った。ザビヌルやウェイン・ショーターの天才性や変人ぶり、メルドーのお茶目な性格などの話は面白かった。音楽家、ピアニストとしての影響は、中でもペトルチアーニがもっとも大きいようだ。幼稚園児のときに既に父親が好きだったグレン・グールドのレコードを聴いていて、アンプのイコライザーをいじって演奏中のグールドの唸り声が変化するのを面白がったり、トーレンスのアナログ・レコードプレーヤーをいじりまわしてレコードと針を傷だらけにした話などを聞くと、既にして筋金入りの音楽好きだったと想像される。好きなマッカートニーの曲(ついでながら彼の曲と声には、常に哀愁があると私は思う)にインスパイアされて小学生のときに作曲した2曲を、今の教え子の小学生の女の子が登場してヴァイオリンで弾き、山中千尋がピアノで伴奏した。紀尾井ホールの美しい響きも相まって、両方ともとても良い曲だった。こうした話からも、やはり自由な発想、好奇心が旺盛なこと、もともと作曲の才があること、そして自分ならではの世界を創りたいという願望が小さい頃からあったことがわかる。クラシック・ピアノで入学した桐朋学園を卒業後、アメリカに渡ってバークリーでジャズの道に進んだのも(1997年)、そうした彼女の生まれ持った資質が選ばせたのだろう。まさにジャズ向きな人だったのだ。
そう考えると、今回のセロニアス・モンクへのオマージュと言うべきアルバム「Monk Studies」の意味もわかる。モンクは基本的には作曲家であり、そして束縛を嫌い、誰よりも自由を愛し、誰のものでもない独創的世界を創り出した芸術家だったからだ。さらにその死後になっても、早逝した娘のバーバラ、その遺志を継いだ息子T.S.モンクの尽力でセロニアス・モンク・インスティチュート・オブ・ジャズが設立され、モンク・コンペティションが開催されるなど、アメリカのジャズの発展と未来に向けて非常に大きな貢献もしてきた。そうした日本ではあまり知られていない、あるいは誤解されているモンクの偉大さを、今回のような場でジャズ・ピアニスト本人の口から(初めて)語ってくれたことは、モンクファンとしては単純に嬉しい。当夜のモンク代表曲の演奏も、魅力的だが難しいモンク作品をモチーフにしながら、リスペクトを忘れずに、しかし同時にモンク・ワールドから飛び出して、どこまで自分ならではの音楽世界が提示できるかという挑戦だろう。アコースティック・ピアノではなくエレクトリック・キーボードを使ってオルガンや管楽器のアンサンブル的サウンドを出したり、モンクの音楽の大きな特長である独特の "リズム" を彼女なりに解釈、消化して、現代のリズムセクションとのコラボでどこまで新たな表現として拡張できるか、というのがおそらくテーマだったろう。その意味では非常に斬新な試みだったと思う。またこの日のライブは日本人のプレイヤーが相手だったが、発売したレコードでは米国のプレイヤー、8月末から国内で行なう予定のツアーでは別の女性リズムセクションを選んでいるようだ。それぞれのリズムセクションを相手に、どのような変化を見せながら、独自の表現世界をどう発展させてゆくのか非常に興味深く、また楽しみだ。 

ただし、新アルバムの予備知識はモンクということ以外まったく無しで行ったこと、また会場が紀尾井ホールということもあって、アコースティック・ピアノの演奏を期待していたので、ほとんどがエレクトリック・トリオの演奏だったのには少々面食らった。ライブの場合アコースティックでもエレクトリックでも私はあまり気にしないのだが、おそらくこのホールは音の響きが良すぎて(上品すぎて?)、ジャズ的ダイナミズムが薄まることと、また私にはエレクトリック楽器の音にどうしても残響がまとわりつく感じがした(2曲だけのアコースティック・トリオは音も演奏も素晴らしく、もっと聴いてみたかった)。エレクトリック・トリオの音はジャズクラブで聴けば、もっとジャズ的グルーヴがダイレクトに伝わってくるのだろう(予定しているツアーではクラブ中心のようだ)。しかしモンクファンとして言わせてもらえば、せっかく「Monk Studies」に取り組んだ以上、願わくはその第2弾として、アコースティック・バンドで、ホーンセクションを入れて(ビッグバンド的に)、モンクの世界を現代的解釈とアレンジで再構築する、という試みにもぜひ挑戦してもらいたい。そのフォーマットなら彼女のアレンジ能力もさらに生きるだろうし、モンクの音楽には、そうした挑戦を受け入れるだけの懐の深さと、発展可能性がまだまだあると思う。

それにしても小柄なのに超パワフルな演奏を聴くと、山中千尋はまさに秋吉敏子、大西順子に続く、スケールの大きな日本人女性ジャズ・ピアニストの星だ。アンコールで弾いた彼女の地元・桐生の<八木節>は初めて生で聴いたが、そのスピード感といい、スウィング感、力強さといい、最高だった。さすが上州女子だ。会場では新アルバムCDを販売していて、買えばコンサート後に山中千尋本人からサイン入りクリアファイルを手渡される(ただし握手は不可)という特典付きだったので、近くで顔を見てみたかったが、休憩時間のCD販売時も、コンサート後も、すごい行列(自分と同じような中高年おっさん群?)だったので、行列の嫌いな私はあきらめて帰った。

2017/06/23

3枚の「バラード」アルバム

「全編がバラード」というジャズ・レコードは一般に単調になりがちで、聴き手を飽きさせずに最後まで聞かせるだけの魅力を維持するのは難しい。だから奏者にとっても難易度が高く、同時にジャズ・ミュージシャンとしてのセンスが問われるものであり、昔はよほどの力量と自信がないと挑戦できなかったと言われている(イージー・リスニングやBGM的なレコードはまた別である)。だからそうして残された名盤の数はそれほど多くない。その中でもっともよく知られているのが、ジョン・コルトレーン John Coltrane (1926-1967) がカルテットで録音した文字通りの「バラード Ballads」(1962 Impulse)だ。1960年代、フリーに突き進んでいた頃のコルトレーンが一休みして鼻歌を歌ったものだとか、色々な評価をされてきたが、コルトレーンは既に50年代から歌心のあるバラード・プレイを数多く残しているし、セロニアス・モンクとの邂逅によってその技術とセンスにさらに磨きをかけていた。したがって、このアルバムは当時ジャズの本流にいたコルトレーンが持つ本質の一部を抽出した集大成と言うべきものだろう。今やジャズ・バラードのデフォルトのような存在になっており、誰が聴いても納得の永遠のジャズ・レコードの1枚だ。 

もう一人のテナー奏者ウォーン・マーシュ Warne Marsh は、生涯を通じて「リズム」を極める道を進んだ。譜面上の小節線からの解放と自由を目指したマーシュは、特にリズムに対する優れた感覚を持った真に独創的なインプロヴァイザーだった。その特徴は、独特の複雑なリズム感、高音域の多用、小節線を意識させない漂うような長いメロディ・ライン、そしてトリスターノ派特有のエモーションを排したべたつかないクールな表現だ。マーシュの「ア・バラード・アルバム A Ballad Album」(1983 Criss Cross)は、1987年にロサンジェルスのクラブで演奏中に倒れて亡くなる4年前、晩年のマーシュがバラードに挑戦したアルバムだ。よく知られたスタンダードのバラードやミディアム・テンポの曲で構成されており、ルー・レヴィーの美しいピアノ他とのカルテットによる演奏である。微妙に揺れ動く、漂うようなタイム感で、ゆったりと曲を料理することを楽しむかのような演奏は、トリスターノ派の原点と言うべきレスター・ヤングのあのリラックスした演奏を思い起こさせ、聴く側も全編でその独特の味わいをくつろいで楽しむことができる隠れたバラード名盤である。

1965年生まれのマーク・ターナー Mark Turner は、特に強い影響を受けたミュージシャンとして、上記ジョン・コルトレーンとウォーン・マーシュの2人の名前を挙げている。新世代のテナーサックス奏者とはいえ、コルトレーンは珍しくはないが、マーシュの名前を挙げるのは極めて異例だ。バークリー時代に出会ったトリスターノ派の音楽に、バークリー・メソッドにはない独自性を見て新鮮なショックを受け、その後トリスターノやマーシュの研究を始めたという話だ。このアルバム「バラード・セッション Ballad Session」(2000 Warner Bros.) では、スタンダードの名曲とウェイン・ショーター、ハービー・ハンコック、ポール・デスモンド、カーラ・ブレイなどのオリジナル曲という多彩な選曲によるバラード演奏に挑戦している。ケヴィン・ヘイズ(p)、カート・ローゼンウィンケル(g)、ラリー・グレナディア(b)、ブライアン・ブレイド(ds)によるカルテット、クインテット、トリオと編成も多彩だ。ターナーのテナーはコルトレーンとマーシュを融合し自身の中で消化することによって、固有のサウンドを生み出すことを目指してきたものだろう。このアルバムは、バラード・アルバムをそれぞれ録音している先人二人へのオマージュとして聞くこともでき、全体を通して時折コルトレーンと、とりわけマーシュのサウンドが聞こえて来る。先人に比べると当然ながらモダンで、サウンドの肌合いも乾いているが、同時にずっと深くクールに沈潜してゆく音楽だ。ここでのローゼンウィンケルのギターは、ターナーとの相性も、アルバム・コンセプト的にも素晴らしいと思う。

コルトレーンとマーシュの音楽的方向性を考えると、片や最後はジャズという枠を超えた世界に突き進んだジャズの巨人の一人であるのに対し、片やジャズの枠組みの内部で、白人の非主流派としてどこまで独自の表現が可能かということを深く地道に突き詰めようとした、名声とはまったく無縁の人だ。黒人と白人ということも含めて2人には一見共通項がないように見えるが、非常に思索的で内省的な人格を持ち、生涯にわたって自分の信じる音楽をストイックに追求し続けたという点ではよく似ている。ベクトルの向かう方向が違っただけだ。マーク・ターナーの音楽から受ける印象からすると、おそらく資質的にこの2人に近いものがあるがゆえに、先人の音楽に共通する、範とすべき何かを見出したのだろう。

2017/06/21

ウォーン・マーシュ #2

ウォーン・マーシュ的には生涯で最もハイブロウな作品が、Atlanticレーベルに吹き込まれたワン・ホーンの「Warne Marsh」(1957/58)だろう。LA滞在からニューヨークに戻ったマーシュが、レニー・トリスターノの監修の元に制作したアルバムである(LPのアルバム・クレジットにもSupervision監修としてトリスターノの名前が入っている)。Atlanticには既にリー・コニッツと共演した「Lee Konitz with Warne Marsh(1955)を吹き込んでいたが、メジャー・レーベル初のワン・ホーンのリーダー作ということもあって、師匠ともども力の入ったレコーディングだったのだろう。LAでの諸作は、どれもいかにも西海岸という空気に溢れていて、非常に軽やかで清々しい雰囲気があるが、一方このアルバムは、ピアノはロニー・ボールで同じだが、LAとはまったく雰囲気の違う作品に仕上がっている。特にポール・チェンバース(b)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds) という、当時のマイルス・バンドのパワフルなリズム・セクションとマーシュの共演はどう見ても異色だ。アルバム内容を見ると、ロニー・ボール、チェンバース、フィリー・ジョー とのカルテット演奏が2曲、同じくチェンバース、ポール・モチアン(ds) によるピアノレス・トリオ演奏が4曲、計6曲という変則的組み合わせになっている。なぜだろうと、ディスコグラフィーで確認すると、実は前者のカルテットは19571212日に5曲収録され、後者のトリオは翌1958116日に5曲収録されていることがわかった。したがって、アルバム制作時に前者5曲の内3曲が、後者の1曲が "ボツ" になったということになる。しかも採用された、たった2曲しかないカルテット演奏の内、アルバム冒頭の1曲、<Too Close for Comfort>はなぜか演奏途中で(4分弱で)フェイド・アウトしているのである

この件について書かれたものを読んだことがないので、まったくの想像(妄想?)に過ぎないが、これらの選曲とテープ編集にはレニー・トリスターノの意向(と嗜好)が大きく反映されているような気がする。口を出し過ぎたので結果として「監修」とクレジットすることになったのか、最初から「監修」者なので責任上あれこれ口出ししたのか? とにかく、トリスターノがからむ話はおもしろい。しかし、そういうトリスターノの「メガネにかなった」演奏のみが選択され収録されていると考えれば、このアルバムにおける演奏のレベルと音楽的価値についての説明は不要だろう。さらにLAでの作品と印象が違う理由もわかる。リー・コニッツは、マーシュの特にチェンバース、モチアンとの4曲のピアノレス・トリオ演奏について何度も最高度の賛辞を送っている。これらの演奏からのインスピレーションが、その後コニッツのピアノレス・トリオの名作「Motion」(1961 Verve)の録音に結びついた可能性は十分にあるだろう(これも想像ですが)。蛇足ながら、特にこうしたピアノレス・トリオものを楽しむには、ある程度ステレオの音量を上げて、ベースとドラムスの動きも良く聞こえるようにしないと、レコードとプレイヤーの真価を見誤ります。

この後1959年には、コニッツ、マーシュに当時新進のピアニストだったビル・エヴァンスが加わったクラブ「ハーフノート」でのライヴ録音が残されている(ジミー・ギャリソン-b、ポール・モチアン-ds)。ビル・エヴァンスは、当日教師の仕事のために出演できなかったトリスターノに代わって急遽参加したものだという。だがコニッツ名義のこのレコード「ライヴ・アット・ザ・ハーフノート」がVerveレーベルからリリースされたのは1994年で、何とピーター・インドによる録音から35年後だが、この背景には録音テープを巡るトリスターノとコニッツの師弟間の様々な確執があったと言われている。(コニッツの演奏部分だけトリスターノがテープ編集で削除し、マーシュの部分のみ残して別のレコードとして一度リリースされたという逸話も残っている)。そうしたややこしい背景も理由の一つだったのか、「リー・コニッツ」の中でコニッツが語っているように、ビル・エヴァンスがコニッツの背後ではほとんど弾かず、まるでピアノレス・トリオのように聞こえる場面が多い。またコニッツ本人も認めているように、リズムの点を含めてこの二人は音楽的に相性があまり良くなかったようだ。だが一方のマーシュは、そうした状況だったにもかかわらず、このレコードでも相変わらず素晴らしい演奏をしていると思う。

ウォーン・マーシュのこの時期の他のワン・ホーン・カルテットとしては、これもピーター・インド(b) の私家録音だが、トリスターノ派のメンバーと共演した「Release RecordSend Tape」(1959/60 Wave)がある。緊張感に満ちた高度なインプロヴィゼーションの続くAtlantic盤と違い、こちらは仲間内で非常にリラックスした当時のマーシュの演奏が楽しめる。本アルバムはマーシュ、インドの他、ロニー・ボール(p)、ディック・スコット(ds)というトリスターノ派によるカルテットの演奏が収められていて、時期からすると「ハーフ・ノート」でのライヴのすぐ後に当たる。録音された11曲はスタンダードとマーシュのオリジナルが約半々だ。「ハーフノート」でのマーシュの演奏も冴えわたっていたが、ここでは気心の知れたメンバーということもあってか、伸び伸びと独特のインプロヴィゼーションを楽しむマーシュの様子が伝わって来る好演の連続で、同じくロニー・ボールのリラックスした小気味の良いピアノも楽しめる好アルバムだ。

マーシュはコニッツ同様に、60年代、70年代とそれほど注目を浴びたわけではないが、72年から、チャーリー・パーカーのアドリブラインを5人のサックス奏者がプレイする "スーパーサックス" の一員として参加している。その後リリースされた「クロスカレンツ Crosscurrents」(1978 Fantasy) は、リー・コニッツ、ウォーン・マーシュとビル・エヴァンス、という3人の共演(エディ・ゴメス-b、エリオット・ジグモンド-ds)で、一体どういう音楽になるのか期待一杯だったこともあって(まだVerveの「ハーフノート」ライヴ盤はリリースされておらず、初のエヴァンス・トリオとの共演に興味があった)、最初にアルバムを聴いた時は正直言って少々がっかりした記憶がある。当時はもうみんな年だったせいか、緊張感、躍動感というものがあまり感じられなかったからだが、こちらも年のせいか近年はそれなりの味わいがあるなと感じるようになった。「ハーフノート」盤同様に、ここでもエヴァンスはコニッツのバックではあまり弾いていない。しかしこのアルバム中で唯一、マーシュの短いバラード<Everytime We Say Goodbye> だけは、なぜか最初に聴いて以来ずっと耳から離れず、私にとって永遠のバラードとなった。コニッツのクールで理知的な表現とは異なり、マーシュのバラ―ドには不思議な味わいと温かみがあり、そのふわふわとした、つかみどころのない独特のテナーサックスの音色、メロディライン、演奏リズムには、マーシュにしかない音世界がある。ピッチが揺れるような、ゆらめくようなここでのマーシュのバラードは、聴いていると全身から力が脱けていくような気がするのだが、単なる抒情というものを超えて、遠くから、まるでこの世とあの世の境目から流れて来るかのような、実に摩訶不思議な音の詩になっている。ビル・エヴァンスのピアノも、コニッツのシャープな世界よりも、やはりリズムを含めてマーシュのソフトで柔軟な音世界の方がずっと相性が良いように思う。マーシュは、後年の「ア・バラード・ブック A Ballad Book」(1983 Criss Cross)でも、カルテットでこうしたバラード・プレイを中心に聞かせているので(ピアノはルー・レビー)、この独特の世界に興味がある人はぜひそちらも聞いてみていただきたい。