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2017/05/31

レニー・トリスターノの世界 #3

レニー・トリスターノの音楽コンセプトが、その後アメリカにおけるジャズの深層に様々な影響を与えていたことは事実だが、それを直接継承した音楽家はリー・コニッツやウォーン・マーシュのような弟子の他、一世代後のピアニストで同じく弟子だったコニー・クローザーズなどの限られた人たちだけだったようだ。しかし1970年代に入って、日本でそのコンセプトを継承し、自らのジャズとして追及し続けたミュージシャンが存在した。それがギタリストの高柳昌行 (1932-91) である。 

Cool Jo-Jo
高柳昌行
TBM 1978
「クール・ジョジョ Cool Jo-Jo」(1978 Three Blind Mice) は、弘勢憲二(p&ep)、井野信義(b)、山崎泰弘(ds)からなる高柳昌行のカルテット “セカンド・コンセプト”  がトリスターノ派ジャズに挑戦したアルバムである。選曲はレニー・トリスターノの<317 East 32nd>など2曲、リー・コニッツの<Subconscious-Lee>など3曲、ロニー・ボール作1曲、高柳自作曲が2曲という構成で、CDには4曲の別テイクが追加されている。高柳は当時、阿部薫(as)とのデュオ「解体的交感」(1970) や、“ニュー・ディレクション”という別グループによるフリー・ジャズ追求を経て、一方で伝統的4ビートによるトリスターノ派のクール・コンセプションをこのグループで追求していた。作品タイトル「クール・ジョジョ」(ジョジョは高柳の愛称)はそれを表している。このアルバムに聴ける演奏は、言うまでもなく日本におけるクール・コンセプションの最高峰の記録だろう。高柳のギターは、トリスターノのグループにおけるリー・コニッツの役割になるが、そのラインをコニッツのアルトサックスのラインと比較しながら聴くと実に興味深い。このグループではもう1枚、ライヴ録音として本作の1週間前に吹き込まれたアルバム「セカンド・コンセプト」(ライヴ・アット・タロー)が残されている(ベースは森泰人)。

Second Concept
Live at Taro
1978
高柳昌行の即興思想とアルバム・コンセプトについて、本作録音後の1980年のあるインタビューで、高柳自身がこう述べている。

『クールという言葉でたまたま呼ばれているが、あの音楽の内面は凄まじく熱いものだよ。外面的には冷たく見えても、精神的な部分は手がつけられないほど熱く燃えているんだ。日本でエネルギッシュだとかホットだとかいう言葉で表されるものは身体が燃え上がるような状態を言うようだが、本当は内面的に燃え上がっていなければ、熱いとは言えないと思うな。そして、その燃える部分はやはりアドリブだと思う。ジャズの命は何と言ってもアドリブなんだ。ミュージシャンが自身を最大限に表出できるクリエイティブな部分、アドリブが強烈な勢いを持っていなければだめだ、と今さらのように思うよ。
 トリスターノ楽派の音楽にはそれがあるんだ。平たく言えばジャズってのは、ニグロの腰ふりダンスだ。しかし、音楽として存在し続けるためには高度な内容を持たなければならない。そういう意味で、最も純粋なものを持っているのが、トリスターノだと思うわけ。音の羅列(られつ)の仕方だとか、ハ-モニ-など追求していくと、その高度な音楽性には脱帽するしかないよ。現時点で考えてみてもその音楽性は1歩以上進んでいるよ。建築の世界に移して考えてみればよくわかるが、パーカーは装飾過多のゴシック建築、トリスタ-ノの音楽は、シンプルで優美な直線と曲線を見事に組み合わせた近代建築なんだ。現代にも通じる美の極致だよ。シンプルなホリゾンタル・ライン、それでいて、信じられない程良く考え抜かれた曲線性、そして複雑この上ない音の羅列。<サブコンシャス・リ->なんて<恋とは何でしょう>のあんな簡単なコード進行からあれだけのリフ・メロディを生み出すなんて、ちょっと信じられないものがあるよ。こうして僕がしつこいまでにトリスターノを追う理由の一つがそれなんだ。僕はジャズの音楽家だし、そういうジャズの内面的な質の高さを伝えていきたいんだ。
 猿マネして黒人の雰囲気を伝えるのがジャズじゃないよ。自分の中で、自分なりに消化されたものをアドリブとして表出する。それこそが今僕がやり続けていきたいことなんだ。それを失っちゃったら全部白紙。これは最後の歯ドメでもあるわけ。でも、そういういいものはなかなか理解されないよね。これは明白な事実だから、あえて言う必要もないが、音楽的な純粋さとコマーシャル性は両立しないものなんだ。となれば、首のすげかえを心配してこうした音楽をとり上げようとするプロデューサーがいなくなるのも当然だよね。そこへいくとTBMの藤井(武社長)さんは大将なわけでね。ジャズの本当に熱い部分に真剣に取り組んでくれて、うれしいよね』
高柳昌行に師事していたギタリストには大友良英、廣木光一のような人たちがいるが、本コメントは、同じく一時期師事していたギタリスト、友寄隆哉氏のブログ内論稿から転載したものです。)

リー・コニッツ本人を除き、トリスターノ派の音楽の本質をこれほど正確に表現している言葉はこれまで聞いたことがない。”クール” については、「リー・コニッツ」のインタビューで後年コニッツが述べているのと同じ趣旨のことを語っているし、他のインタビューでのフリー・インプロヴィゼーションに対する思想も、「テーマも何もない白紙から始めるべきだ」というコニッツとほぼ同じことを言っている。2人はジャズ音楽家として共通する哲学を持っていたのだろう。高柳昌行という人は強烈な個性を持ったカリスマ的人物だったようだが、トリスターノ派の音楽を求道者とも言えるほどの情熱を持って理解し、尊敬し、しかも「日本人のジャズ」としてそれに挑戦しようとしていたジャズ・ミュージシャンが、当時の日本(フュージョン時代)にいたことに驚く。悠雅彦氏のライナーノーツによれば、この録音テープを児山紀芳氏が米国に持ち込み、リー・コニッツとテオ・マセロに聞かせたところ、その素晴らしさに二人ともびっくりし、コニッツは予定していた来日時に高柳と共演したいという提案までしたらしい。残念ながら来日がキャンセルになったために、共演はかなわなかったようだ。コニッツの演奏スタイルは、当時はかなり変貌してはいたものの、もし二人の共演が実現していたら、どんなに刺激的で興味深い演奏になっただろうかと想像せずにいられない。