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2022/08/20

夏のジャズ(2)

夏場にはラテン系など、音数の多い賑やかな音楽を楽しむという人もいるだろうが、私の場合、基本的には音数があまり多くない、空間を生かした、文字通り風通しの良い音楽に「涼しさ」を感じる。夏に聴きたくなるジャズというと、前記事のように、どうしてもギター中心のサウンドになるが、ホーンも、ピアノも、ヴォーカルも、それぞれやはり夏向きの演奏はあるし、またそういう奏者もいる。

In Tune
(1973 MPS)

「山本潤子」の記事で書いたが、80年代はじめに「ハイ・ファイ・セット Hi-Fi Set」が出したジャズ寄りのレコードを集中して聴いていたところ、夏場に聴く「ジャズ・コーラス」も、なかなか気持ちがいいものだと改めて感じた。そこで(ご無沙汰していたが)昔ずいぶん聴いた、オスカー・ピーターソン Oscar Peterson (1925-2007) が自身のトリオ名義でプロデュースした男女4人組(女声1人)コーラス・グループ 、"シンガーズ・アンリミッティド The Singers Unlimited" の『In Tune』(1973) を久々に聴いてみた。"The Singers Unlimited" は、70年代に『A Capella』他の美しいコーラスアルバムを数多くリリースしているが、1971年に録音されたメジャー・デビューとも言える本アルバムでも非常に気持ちの良いコーラスを聞かせている。ピーターソンのピアノは個人的にはあまり趣味ではないが、このアルバムではピアノトリオがコーラスの背後で控え目な演奏に徹していて、かつMPSらしいソリッドな音質もあって、どのトラックも楽しめる。特に好きだったLPのB面1曲目「The Shadow of Your Smile」の冒頭のアカペラのコーラスハーモニーは、夏場に聴くとやはり気持ちが良い(CDでは6曲目)。

 In Harvard Square
 (1955 Storyville)
ホーン楽器だと、夏場はやはり涼しげなアルトサックス系がいい。そこで文字通り「クールな」リー・コニッツ Lee Konitz (1927-2020) を聴くことが多い。どちらかと言えば、あからさまな情感 (emotion) の発露が低めで、抽象度が高いコニッツの音楽は、聴いていて暑苦しさがないので基本的に何を聴いても夏向き(?)だ。だが私の場合、トリスターノ時代初期のハードなインプロ・アルバムはテンションが高すぎて、あまり夏場に聴こうという気にならない。頭がすっきりする秋から冬あたりに、集中して真剣に音のラインを辿るように聴くと、何度聴いてもある種のカタルシスを感じられる類の音楽だからだ。だから夏場に聴くには、1950年代半ばになって、人間的にも丸みが出て(?)からStoryvilleに吹き込んだワン・ホーン・カルテットの3部作(『Jazz at Storyville』『Konitz』『In Harvard Square』)あたり、あるいは50年代末になってVerveに何枚か吹き込んだ、ジム・ホールやビル・エヴァンスも参加した比較的肩の力を抜いたアルバム(『Meets Jimmy Guiffree』『You and Lee』)とかが、リラックスできていい。ここに挙げた『In Harvard Square』は、Ronnie Ball(p), Peter Ind(b), Jeff Morton(ds) というカルテットによる演奏。Storyville盤は3枚ともクールネスとバップ的要素のバランスがいいが、このアルバムを聴く機会が多いのは、全体に漂うゆったりしたレトロな雰囲気と、私の好きなビリー・ホリデイの愛唱曲を3曲も(She's Funny That Way, Foolin' Myself, My Old Flame)、コニッツが取り上げているからだ(コニッツもホリデイの大ファンだった)。

Cross Section Saxes
(1958 Decca)
リー・コニッツのサウンドに近いクールなサックス奏者というと、ほとんど知られていないが、ハル・マキュージック Hal McKusick (1924-2012) という人がいる(人名発音はややこしいが、昔ながらの表記 "マクシック" ではなく、マキュージックが近い)。上記リー・コニッツのVerve盤や、『Jazz Workshop』(1957) をはじめとするジョージ・ラッセルの3作品に参加していることからも分かるように、そのサウンドはモダンでクールである。本作『Cross Section Saxes』(1958 ) の他、何枚かリーダー作を残していて、いずれも決して有名盤ではないが私はどれも好きで愛聴してきた。押しつけがましさがなく、空間を静かに満たす知的なサウンドが夏場にはぴったりだ。1950年代後期、フリージャズ誕生直前のモダン・ジャズの完成度は本当に素晴らしく(だからこそ ”フリー” が生まれたとも言える)、黒人主導のファンキーなジャズと、主に白人ジャズ・ミュージシャンが挑戦していた、こうしたモダンでクールなジャズが同時に存在していた――という、まさにジャズ史の頂点というべき時代だった。本作もアレンジはジョージ・ラッセルや、ジミー・ジュフリーなど4名が担当し、マキュージック(as, bc他) 、アート・ファーマー(tp)、ビル・エヴァンス(p)、バリー・ガルブレイス(g)、ポール・チェンバース(b)、コニー・ケイ(ds)他――といった多彩なメンバーが集まって、6人/7人編成で新たなジャズ創造に挑戦する実験室(workshop)というコンセプトで作られた作品だ。このアルバムの価値を高めているのも、デビュー間もないビル・エヴァンスで、ここで聴けるのはマイルス・デイヴィスの『Kind of Blue』(1959) 参加前夜のエヴァンスのサウンドだ。その斬新なピアノが、どのトラックでもモダンなホーン・サウンドのアクセントになっている。

Pyramid
(1961 Atlantic)
夏場に、ギターと並んでもっとも涼しさを感じさせるのがヴィブラフォン(ヴァイブ)のサウンドだ。モダン・ジャズのヴァイブと言えば、第一人者はもちろんMJQのミルト・ジャクソン Milt Jackson (1923-99) である。MJQと単独リーダー作以外も含めると、ジャクソンが参加した名盤は数えきれない。何せヴァイブという楽器は他に演奏できる人間が限られていたので、必然的にあちこち客演する機会が多くなって、特に大物ミュージシャンのアルバムへ参加すると、それがみな名盤になってしまうからだ。1940年代後半から50年代初めにかけてのパーカー、ガレスピー、モンク等との共演後、1951年にガレスピー・バンドの中から "ミルト・ジャクソン・カルテット(MJQ)" を立ち上げるが、翌52年頃からピアニスト、ジョン・ルイス John Lewis (1920-2001) をリーダーとする "モダン・ジャズ・カルテット(こちらもMJQ)" (パーシー・ヒース-b, ケニー・クラーク後にコニー・ケイ-ds) へと移行した。よく知られているように、MJQはジャズとクラシックを高いレベルで融合させ、4人の奏者が独立して常に対等の立場で演奏しながら、ユニットとして「一つのサウンド」を生み出すことを目指したグループで、ルイスの典雅なピアノと、ジャクソンのブルージーなヴィブラフォンがその室内楽的ジャズ・サウンドの要だった。その後70年代の一時的活動中断を経て、1997年までMJQは存続し、ジャクソンはその間ずっと在籍した。MJQの名盤は数多いが、モダン・ジャズ全盛期1959/60に録音された『Pyramid』は、比較的目立たないが、彼らのサウンドが絶妙にブレンドされた、クールで最高レベルのMJQの演奏が味わえる名盤だ。

Affinity
(1978 Warner Bros)
ピアノはそもそもの音がクールなので、夏向きの音楽と言えるが、やはり「涼し気な」演奏をする奏者と、そうでないホットな人はいる。ビル・エヴァンス Bill Evans (1931- 80) はもちろん前者だが、上で述べたコニッツの場合と同じく、夏場はリラクゼーションが大事なので、エヴァンス特有の緊張感のあるピアノ・トリオよりも、ハーモニカ奏者トゥーツ・シールマンToots Thielemans (1922-2016) 他との共演盤『Affinity』あたりが、いちばん夏向きだろう(マーク・ジョンソン-b、エリオット・ジグモンド-dsというトリオに、ラリー・シュナイダー-ts,ss,flも参加)。これは1980年に亡くなったビル・エヴァンス最晩年の頃の演奏で、若い時代の鋭く内省的な演奏というよりも、どこか吹っ切れたような伸び伸びした演奏に変貌していた時期で、本作からもそれを感じる。ベルギー生まれのシールマンは、1950年代はじめに米国へ移住後、数多くのジャズやポピュラー音楽家と共演してきたハーモニカの第一人者。夏場、特に夕方頃に聴くハーモニカの哀愁を帯びたサウンドは清々しく、とりわけ「Blue in Green」などは心に染み入る。

The Cure
(1990 ECM)
キース・ジャレット Keith Jarret (1945-) の健康状態に関するニュースが聞こえてくると、ジャズファンとしては悲しいかぎりだ。ついこの間もバリー・ハリス(p) の訃報を聞いたばかりで、20世紀のジャズレジェンドたちが一人ずつ消えてゆくのは、本当にさびしい。ピアノを弾くのが困難でも、キースには、せめて長生きしてもらいたいと思う。そういうキースのアルバムは、すべてが「クール」と言っていいが、演奏の底に、何というか、ジャズ的というのとはまた別種の「情感」が常に流れているところに独自の魅力があるピアニストだと個人的には思っている。80年代以降の「スタンダード・トリオ」(ゲイリー・ピーコック-b, ジャック・デジョネット-ds) 時代のレコードは、ほぼ全部聴いていると思うが、私の場合ここ10年ほどいちばんよく聴くのは、トリオも熟成した後期になってからのレコード『Tribute』(1989) や、ここに挙げた『The Cure』(1990) だ。モンク作の「Bemsha Swing」(実際はデンジル・ベスト-ds との共作)や、自作曲「The Cure」、エリントンの「Things Ain't…」など、ユニークな選曲のアルバムだが、なかでもバラード曲「Blame It on My Youth」(若気の至り)の、ケレン味のないストレートな唄わせぶりが最高に素晴らしくて何度聴いたか分からない。この後ブラッド・メルドーや、カーステン・ダールといったピアニストたちが、この曲を取り上げるようになったのは(キース自身、その後のソロ・アルバム『The Melody at Night, with You』(1999) でも再演している)、ナット・キング・コール他の歌唱でも知られるこの古く甘いスタンダード曲を、クールで美しい見事なジャズ・バラードに昇華させたキースの名演に触発されたからだろう。ニューヨーク・タウンホールでのライヴで、相変わらず響きの美しい、気持ちの良い録音がトリオの演奏を引き立てている。

Mostly Ballads
(1984 New World)
もう一人は、まだ現役だが、やはり白人ピアニストのスティーヴ・キューン Steve Kuhn (1938-) だろうか。若い頃は耽美的、幻想的と称されていたキューンのピアノだが、私的印象では、どれも凛々しく知的な香りがするのが特徴で、一聴エモーショナルな演奏をしていても、その底に常にクールな視座があり、ホットに燃え上がるということがない。しかしその透徹したサウンドはいつ聴いても美しく、またクールだ。初期のトリオ演奏『Three Waves』(1966) や、ECM時代のアルバムはどれも斬新でかつ美しい。本作『Mostly Ballads』(1984) は私の長年の愛聴盤で(オーディオ・チェックにも使ってきた)、ソロとベース(ハーヴィー・シュワルツ Harvie Swartz)とのデュオによる、静かで繊細なバラード曲中心の美しいアルバムだ。響きと空気感をたっぷりと取り込むDavid Bakerによる録音も素晴らしく、大型スピーカーで聴くと、キューンの美しいピアノの響きに加えて、ハーヴィー・シュワルツのベースが豊かな音で部屋いっぱいに鳴り響くのだが、小型SPに変えてしまった今の我が家では、もうあのたっぷりした響きが味わえないのが残念だ。

Complete
London Collection
(1971 Black Lion)
「クール」とか「涼しい」をテーマにすると、どうしても白人ジャズ・ミュージシャンばかりになってしまうが(自分の趣味の問題もある)、ピアノではもう一人、実はセロニアス・モンク Thelonious Monk (1917- 82) の演奏、それもソロ・ピアノは暑苦しさが皆無なので、夏に聴くと非常に心が落ち着く気持ちの良い音楽だ。モンクのソロ・アルバムの枚数は4枚しかないが、もう1つが、モンク最後のスタジオ録音になった『London Collection』(1971) のソロで、録音もクリアで聴いていて非常に気持ちが良い。3枚組CDでリリースされた本作品のソロは、alt.takeを含めてVol.1とVol.3に収録されていて、晩年になってもソロ演奏だけは衰えなかったモンクが楽しめる。LP時代には発表されず、CD版のVol.3の最後に追加されたソロで、「Chordially」と名付けられた「演奏」は、モンクが録音本番前に様々な「コードchord」を連続して弾きながらウォーミングアップしている模様を約9分間にわたって記録した音源だ(ちなみに、英語の "cordially" は、「心をこめて」という意味の副詞である。タイトル "chordially" は、モンクらしい言葉遊びだろうと推測している)。翌1972年からウィーホーケンのニカ邸に引き籠る前、欧州ツアー中のロンドンで記録された文字通りセロニアス・モンク最後の「ソロ演奏」であり、比類のない響きの美しさがなぜか胸に迫って、涼しさを通り越して、もの悲しくなるほど素晴らしい。

2020/12/13

スティーヴ・レイシーを聴く #2

スティーヴ・レイシーが1965年に米国を去る前に残した(正式にリリースされた)リーダー作は4枚で、その昔、私が聞いていたレイシーのレコードも、実を言えば、それらのアルバムだけだ。離米直前の本書#4のインタビュー(さよならニューヨーク)で「過去のレコードはもう聴きたくないし、これからも聴かないだろう」と語っているように、60年代に入ると、自分が今現在追及している音楽は見向きもされず、録音はおろか演奏の場さえなかった当時のレイシーは過去を振り返るような気分でもなく、またそんな余裕もなかったのだろう。50年代後半から60年代初めにかけての、当時レイシーが研究していたモンク作品を中心にしたこれら4枚のアルバムは、まだレイシー自身の音楽を確立していない習作というべきものだ。とはいえ、それだけに、ハードバップからモード、フリーへと急速に変化しつつあった当時のジャズを背景に、今は上掲の2枚のCDに収まっている、まだ発展途上にあった若きレイシーの瑞々しいソプラノサックスのサウンドの変化を聴くのは楽しい。またレイシー自身も後年のインタビューでは、こうした若い時代の演奏を肯定的に振り返るようになっている(たいていのジャズ・ミュージシャンは、年を経ることで自分の過去の演奏への見方を変えるようだ)。

1957年のギル・エヴァンス盤の録音(9, 10月)の翌11月にレコーディングされたのが、23歳のレイシーにとって初めてのリーダー作『ソプラノサックス Soprano Sax』(Prestige 1958) である。このメンバーはデニス・チャールズとビュエル・ネイドリンガーというセシル・テイラーのグループのメンバーに、ピアニストとしてウィントン・ケリーWynton Kelly (1931-71) が加わったカルテット編成で、モンク作の1曲(Work)を除き、エリントン(Day Dream他)、コール・ポーター(Easy to Love) の作品など、スタンダード曲を中心に演奏したアルバムだ。曲目に加え、初リーダー作の録音で緊張していたこともあって、セシル・テイラーやギル・エヴァンスとの前記2作品に比べてやや無難な演奏に終始している印象がある。レイシーのソプラノサウンドは相変わらず滑らかでメロウだが、とにかく全員が冒険していない普通のハードバップ時代の演奏のように聞こえる。サウンド的に、やはりウィントン・ケリーのピアノの影響が大きいのだろう。中ではモンク作<Work>のサウンドだけが異彩を放っていて、やはりいちばんレイシーらしさが感じられる演奏だ。とはいえ、1曲目の<Day Dream>のレトロなイントロとメロディが滑らかに流れてくると、どこか懐かしい音にホッとしてなごむ。ご本人は満足していなくとも、私的には十分楽しめるアルバムだ。

初リーダー作の1年後、1958年10月に録音されたのが『リフレクションズ Reflections』(New Jazz 1959) である。当時モンク作品を演奏していた人間はほとんどいなかったそうで、アルバム・レベルでモンクの曲を複数取り上げた最初のミュージシャンは、実はフランスのバルネ・ウィランだった(『Tilt』1957)。レイシーのこのアルバムは全曲がセロニアス・モンク作品という世界初の試みであり、しかも<Four in One>、<Bye-Ya>、<Skippy>といった、モンクの中でも難しそうな曲ばかり取り上げているところにも、レイシーの意気込みが伺える。ここでは、ピアノに気心の知れたマル・ウォルドロン、ドラムスにまだコルトレーン・バンドで売り出し前のエルヴィン・ジョーンズというメンバーに声を掛けている。レイシーと音楽的相性の良さが感じられるこの二人が、本アルバムの出来に大きく寄与していることは間違いない(マル・ウォルドロンとレイシーは、ヨーロッパ移住後も親しく交流していた)。ところで本書のレイシーの話では、実はベースはネイドリンガーではなく、当時モンク・バンドのレギュラー・ベーシストだったウィルバー・ウェアの予定だったが、ウェアがリハーサルに現れなかったので(例によって飲み過ぎか?)、ピンチヒッターとして急遽ネイドリンガーを呼んだのだという(もしウェアが参加していたら、もっと良い作品になった可能性があるとレイシーは言っている……)。しかしモンク作品に集中し、その後のレイシーの音楽上の道筋を明確にしたという点からも、いずれにしろこのアルバムは50年代レイシーの記念碑と言うべき作品だろう。リズミカルな難曲に加え、<Reflections>と<Ask Me Now>というモンクの代表的バラードを2曲選んだところもいい。モンク自身でさえ、当時はあまり演奏しなくなったような曲まで選んだこのレコードをレイシーから献呈されて、モンクは喜び、演奏も褒めてくれたらしい。ついでに40年代末のブルーノート盤以来10年間演奏していなかった<Ask Me Now>を、その後は自分でもレパートリーとして取り上げるようになったのだという。

 1960年5月にジミー・ジュフリー Jimmy Giuffre (1921-2008) とカルテットを組んで、短期間「ファイブ・スポット」に出演したレイシーだったが、ジュフリーのコンセプトと折り合わず、そのグループは長続きしなかった。しかし、オーネット・コールマンの前座だった、わずか2週間のその出演時にレイシーを聴きに来たのがニカ夫人にけしかけられたモンクであり、もう一人がジョン・コルトレーンだった。その演奏を聴いたモンクは、(ジュフリーGの演奏は気に入らなかったようだが)その後自分のカルテット(チャーリー・ラウズ-ts、ジョン・オア-b、ロイ・ヘインズ-ds)にレイシーを加えて ”クインテット” を編成し、テルミニ兄弟が「ファイブ・スポット」に加えて出店したクラブ「ジャズ・ギャラリー」に、4ヶ月にわたって出演した。そして「ファイブ・スポット」でレイシーのソプラノサックスのサウンドを聴いたコルトレーンは、その後自分でもソプラノを吹き始めた。その年の11月に録音されたレイシー3作目のリーダー・アルバムが、『ザ・ストレート・ホーン・オブ・スティーヴ・レイシーThe Straight Horn of Steve Lacy』(Candid 1961) である。メンバーを一新して、チャールズ・デイヴィスのバリトンサックスとレイシーのソプラノの2管、ベースにはジョン・オア、ドラムスにはロイ・ヘインズという当時のモンク・バンドのリズムセクションという異色の編成で ”ピアノレス” カルテットに挑戦したレコードだ。これは2管のモンク・クインテットとして、「ジャズ・ギャラリー」で夏の4ヶ月間演奏した直後のタイミングなので、モンク直伝のサックス2管によるユニゾン・プレイなど、当然そのときのモンク・バンドの編成とメンバーから生まれたアイデアに基づくアルバムと考えていいのだろう。選曲は、相変わらずモンクの難曲3曲<Introspection>、<Played Twice>、<Criss Cross>を選び、セシル・テイラーの2曲<Louise>、<Air>と、1曲だけマイルスの<Donna Lee>(パーカー作という説もある)を取り上げているが、モンクのグループとの共演直後ということもあって、レイシーの創作意欲と挑戦的姿勢がとりわけ感じられる作品だ。オーネット・コールマンの登場後でもあり、レイシーが60年代フリー・ジャズへと向かう兆しがはっきりと聞き取れるのがこのアルバムでの演奏だ。

米国でのレイシー最後のリーダー作となったのが、モンクの曲をタイトルにした1961年11月録音の『エヴィデンス Evidence』(Prestige 1962)だ。オーネット・コールマンのグループにいて、レイシーと個人的に親しかったトランペットのドン・チェリー Don Cherry(1936-95)、同じくオーネットのグループにいたビリー・ヒギンズ Billy Higgins (1936-2001) をドラムスに、モンク作品を4曲(<Evidence>, <Let’s Cool One>, <San Francisco Holiday>, <Who Knows>)、エリントンを2曲(<The Mystery Song>、<Something to Live for>) 選曲している。同世代のドン・チェリーは、レイシーが兄弟のようだったというほど一緒に自宅で練習した仲で、フリー・ジャズへ向かうレイシーに音楽的ショックと強い影響を与えたプレイヤーであり、レイシー同様チェリーも60年代からヨーロッパで活動し、70年代に移住した。当然ながら、このアルバムで聴けるのは、モンクの影響圏から脱出し、いよいよフリー・ジャズへ向かって飛び立とうと助走に入ったレイシーの音楽である。レイシー自身、米国時代のアルバムの中では、ギル・エヴァンスとの共演盤と並んで本作をもっとも評価している。

ところで、他のメンバーに比してこのアルバムのベーシストが、「カール・ブラウン Carl Brown」というまったく聞いたことのない奏者なので、今回あらためて背景を調べてみた。アメリカのネット上のジャズ・フォーラムで、同じ質問をしている人がいて、何人かがコメントしている。これは当時オーネットと共演していたチャーリー・ヘイデン Charlie Haden (1937-2014)  が、何らかの理由で偽名で録音したのではないか、という意見もあって(ナット・ヘントフのライナーノーツに、ビリー・ヒギンズがレイシーに紹介したと書かれていることもあり)、関係者がいろいろ過去の話をしているのだが、結論はやはりヘイデンとは別人の実在したベーシストだったらしい。いくつか証拠(evidence) もあって、Atlantic向けにレイシーがヒギンズとトリオで録音した、以下の未発表音源3曲のメンバーにもカール・ブラウンの名前が記載されていることも、証拠の一つとしてあげられている。このときはAtlanticにドン・チェリーも録音していたそうだが、いずれもオクラ入りとなってリリースされなかったのだという。いずれにしろ、60年代に入ってからのレイシーの意欲的な2作は、当時は音楽的に過激すぎてまったく注目されずに終わったのだという。

[NYC, October 31, 1961 ; 5749/5752 Brilliant Corners Atlantic unissued;  Steve Lacy (ss), Carl Brown (b), Billy Higgins (ds) ; <Ruby, My Dear>, <Trinkle, Tinkle>, <Off Minor>]

2020/10/25

訳書『スティーヴ・レイシーとの対話』出版

表題邦訳書が10月末に月曜社から出版されます。

20世紀に生まれ、100歳を越えた音楽ジャズの歴史は、これまでに様々な視点や切り口で描かれ、もはや語り尽くされた感があります。しかし「即興 (improvisation)」 こそが音楽上の生命線であるジャズは、つまるところ、限られた数の優れた能力と個性を持つ「個人」が実質的に先導し、進化させてきた音楽です。こうした見方からすると、ジャズ史とは、ある意味でそれらのジャズ・ミュージシャンの「個人史」の総体であると言うこともできます。大部分がミュージシャン固有の知られざる実体験の集積である個人史は、その人の人生で実際に起きたことであり、ジャズの巨人と呼ばれた人たちに限らず、多くのジャズ・ミュージシャンの人生には、これまで語られたことのない逸話がまだ数限りなくあります。そこから伝わって来るのは、抽象的な、いわゆるジャズ史からは決して見えてこない事実と、時代を超えて現代の我々にも響く、普遍的な意味と価値を持つ物語やメッセージです。変容を続けた20世紀後半のジャズの世界を生き抜いた一人の音楽家に対して、半世紀にわたって断続的に行なわれたインタビューだけで構成した本書は、まさにそうした物語の一つと言えます。

スティーヴ・レイシー (Steve Lacy 1934-2004) は、スウィング・ジャズ時代以降ほとんど忘れられていた楽器、「ソプラノサックス」をモダン・ジャズ史上初めて取り上げ、生涯ソプラノサックスだけを演奏し続けたサックス奏者 / 作曲家です。また「自由と革新」こそがジャズの本質であるという音楽哲学を生涯貫き、常に未踏の領域を切り拓くことに挑戦し続けたジャズ音楽家でもあります。1950年代半ば、モダン・ジャズが既に全盛期を迎えていた時代にデビューしたレイシーは、ジャズを巡る大きな時代の波の中で苦闘します。そして1965年に30歳で故郷ニューヨークを捨ててヨーロッパへと向かい、その後1970年から2002年に帰国するまで、33年間パリに住んで音楽活動を続けました。本書は、そのスティーヴ・レイシーが米国、フランス、イギリス、カナダ他の音楽誌や芸術誌等で、1959年から2004年に亡くなるまでの45年間に受けた34編のインタビューを選び、それらを年代順に配列することによって、レイシーが歩んだジャズ人生の足跡を辿りつつ、その音楽思想と人物像を明らかにしようとしたユニークな書籍です。本書の核となるPART1は、不屈の音楽哲学と音楽家魂を語るレイシーの名言が散りばめられた34編の対話集、PART2は、ほとんどが未発表のレイシー自筆の短いノート13編、PART3には3曲の自作曲楽譜、また巻末には厳選ディスコグラフィも収載されており、文字通りスティーヴ・レイシーの音楽人生の集大成と言うべき本となっています。

原書は『Steve Lacy; Conversations』(2006 Duke University Press) で、パリから帰国してボストンのニューイングランド音楽院で教職に就いたレイシーが2004年に亡くなった後、ジェイソン・ワイス Jason Weiss が編纂して米国で出版した本です。編者であるワイスは、1980年代初めから10年間パリで暮らし、当時レイシーとも親しく交流していたラテンアメリカ文学やフリー・ジャズに詳しい米国人作家、翻訳家です。本書中の何編かの記事のインタビュアーでもあり、また全体の半数がフランス語で行なわれたインタビュー記事の仏英翻訳も行なっています。「編者まえがき」に加え、各インタビューには、レイシーのその当時の音楽活動を要約したワイス執筆の導入部があり、全体として一種のレイシー伝記として読むことができます。

一人のジャズ・ミュージシャンの生涯を、ほぼ「インタビュー」だけで構成するという形式の書籍は、知る限り、私が訳した『リー・コニッツ』だけのようです。しかしそれも、数年間にわたって一人の著者が、「一対一の対話で」集中的に聞き取ったことを書き起こしたもので、本の形式は違いますがマイルス・デイヴィスの自叙伝もそこは同じです。それに対し本書がユニークなのは、45年もの長期間にわたって断続的に行なわれたインタビュー記事だけで構成していることに加え、インタビュアーがほぼ毎回異なり、媒体や属する分野、職種が多岐にわたり(ジャズ誌、芸術誌、作家、詩人、音楽家、彫刻家…他)、しかも国籍も多様であるところです。このインタビュアー側の多彩な構成そのものが、結果的にスティーヴ・レイシーという類例のないジャズ音楽家を象徴しており、それによって本書では、レイシーの人物とその思想を様々な角度から探り、多面的に掘り下げることが可能となったと言えます。ただし、それには聞き手はもちろんのこと、インタビューの受け手の資質も重要であり、その音楽哲学と並んで、レイシーが鋭敏な知性と感性、さらに高い言語能力を備えたミュージシャンであることが、本書の価値と魅力を一層高めています。

本書のもう一つの魅力は、レイシーとセロニアス・モンクとの音楽上の関係が具体的に描かれていることです。モンクの音楽を誰よりも深く研究し、その真価を理解し、生涯モンク作品を演奏し続け、それらを世に知らしめた唯一の「ジャズ・ミュージシャン」がスティーヴ・レイシーです。私の訳書『セロニアス・モンク』(ロビン・ケリー)は、モンク本人を主人公として彼の人生を描いた初の詳細な伝記であり、『パノニカ』(ハナ・ロスチャイルド)では、パトロンとしてモンクに半生を捧げ、彼を支え続けたニカ男爵夫人の生涯と、彼女の視点から見たモンク像が描かれています。そして本書にあるのが三番目の視点――モンクに私淑して師を身近に見ながら、その音楽と、音楽家としての真の姿を捉えていたジャズ・ミュージシャン――というモンク像を描くもう一つの視点です。レイシーのこの「三番目の視点」が加わることで、謎多き音楽家、人物としてのモンク像がもっと立体的に見えて来るのではないか、という期待がありました。そしてその期待通り、本書ではレイシーがかなりの回数、具体的にモンクの音楽と哲学について語っており、モンクの楽曲構造の分析とその裏付けとなるレイシーの体験、レイシー自身の演奏と作曲に与えたモンクの影響も明らかにされています。ニューヨークのジャズクラブ「ファイブ・スポット」と「ジャズ・ギャラリー」を舞台にした、ニカ夫人とモンク、レイシーの逸話、またソプラノサックスを巡るレイシーとジョン・コルトレーンの関係など、1950年代後半から60年代初頭にかけてのジャズシーンをリアルに彷彿とさせるジャズ史的に貴重な逸話も語られています。そして何より、モンクについて語るレイシーの言葉には常に温かみがあり、レイシーがいかにモンクを敬愛していたのかが読んでいてよく分かります。

本書で描かれているのは、ジャズの伝統を継承しつつ、常にジャズそのものを乗り越えて新たな世界へ向かおうとしたスティーヴ・レイシーの音楽の旅路と、その挑戦を支えた音楽哲学です。20世紀後半、世界とジャズが変容する中で苦闘し、そこで生き抜いたレイシーの音楽形成の足跡と、独自の思想、哲学が生まれた背景が様々な角度から語られています。レイシーが生来、音楽だけでなく写真、絵画、演劇などの視覚芸術、文学作品や詩など言語芸術への深い関心と知識を有するきわめて知的な人物であったこと、それら異分野芸術と自らの音楽をミックスすることに常に関心を持ち続けていた音楽家であったことも分かります。後年のレイシー作品や演奏の中に徐々に反映されゆくそうした関心や嗜好の源は、レイシーにとってのジャズ原体験だったデューク・エリントンに加え、セシル・テイラー、ギル・エヴァンス、セロニアス・モンクという、レイシーにとってモダン・ジャズのメンターとなった3人の巨匠たちで、彼らとの前半生での邂逅と交流が、その後のレイシーの音楽形成に決定的な影響を与えます。

さらにマル・ウォルドロン、ドン・チェリー、ラズウェル・ラッドなど初期フリー・ジャズ時代からの盟友たち、テキストと声というレイシー作品にとって重要な要素を提供した妻イレーヌ・エイビ、フリー・コンセプトを共同で追求したヨーロッパのフリー・ジャズ・ミュージシャンや現代音楽家たち、テキストやダンスをミックスした芸術歌曲(art song)や文芸ジャズ(lit-jazz) を共作したブライオン・ガイシン他の20世紀の詩人たち、ジュディス・マリナや大門四郎等の俳優・ダンサーたち、富樫雅彦や吉沢元治のような日本人前衛ミュージシャン――等々、スティーヴ・レイシーが単なるジャズ即興演奏家ではなく、芸術上、地理上のあらゆる境界線を越えて様々なアーティストたちと交流し、常にそこで得られたインスピレーションと人的関係を基盤にしながら、独自の芸術を形成してゆく多面的な音楽家だったこともよく分かります。

翻訳に際しては、いつも通り、原文の意味が曖昧に思える箇所は著者にメールで質問して確認しています。ワイス氏によれば、本書は英語版原書と今回の日本語版の他は、数年前にイタリア語版が出版されただけで、オリジナル記事の半数がフランス語のインタビューであるにもかかわらず、フランス語版は出ていないそうです(イタリアのおおらかさと、フランス国内で芸術活動をする《アメリカ人》に対するフランス的反応のニュアンスの対比は、本書中のレイシーの発言からも想像できます)。

なお、この本はレイシーの音楽人生と思想に加え、フリー・ジャズを含めた曲の構造とインプロヴィゼーションの関係、またソプラノサックスとその演奏技術に関するレイシーの哲学や信念など、ジャズに関わる専門的なトピックもかなり具体的に語られています。そこで今回は、サックス奏者で批評家でもある大谷能生さんに、プロのミュージシャンの視点から、レイシーとその音楽に関する分析と考察を別途寄稿していただくことにしました。タイトルは『「レイシー・ミュージック」の複層性』です。どうぞ、こちらもお楽しみに。

(*) 月曜社のHP/ブログもご参照ください。https://urag.exblog.jp/240584499/

2020/03/26

Play "MONK"(3)

一部のモンク作品はジャズ・スタンダードになっているので、多くのピアニストがこれまでも取り上げているが、取り組む対象としてはやはりハードルが高い音楽だろう。当たり前に弾いたのでは面白味がないし、モンクのまんまコピーもやりたくないし、かと言ってモンク自身を超えるような個性的表現は、当然ながら簡単にできるものではないからだ。だから数曲を取り上げるだけでなく、全曲あるいはほとんどがモンク作品というアルバムを作るのはさらにハードルが高い挑戦で、よほどのモンク好きピアニストでないとやれないだろう。モンクが亡くなった1980年代初めには、トミー・フラナガン チック・コリアが、ピアノ・トリオで演奏したアルバム(フラナガンは『Thelonica』1982 Enja、コリアはTrio Music』1982 ECM -ただしアルバム中の全7曲)をリリースしているが、調べてみると、その後ピアノによるモンク・トリビュート作品というのは意外と少ない。

In Walked Thelonious
Walter Davis Jr
1987 Mapleshade
ウォルター・デイヴィス・ジュニア Walter Davis Jr. (1932 - 90) の最後のレコードとなったのが、ソロ・ピアノで全曲モンク作品を演奏した『In Walked Thelonious』(1987 Mapleshade)である。ウォルター・デイヴィス・ジュニアは、ドナルド・バード(tp) 等と共演したブルーノートの『Davis Cup』(1959)というレコードが日本ではいちばん有名だが、60年代に一時引退しているので、その後はほとんど名前を聞かないピアニストだ。元々モンクの影響の濃い奏者だったようだが、モンク作品をソロで14曲演奏したこのレコードには、単なるモンク集とは別種の何かが感じられる。モンク好きな人に聴いていただければ分かると思うが、フランスで録音されたこのソロ演奏は、どこか神がかり的なところがある、あるいはまるでモンクが憑依したのでは……と思わされるようなところがあるピアノなのだ。単にモンクをコピーしたとか、そういう次元の話ではなく、あたかも「モンクならこう弾いただろう」と思わせるように別のピアニストが弾いている、という感じなのだ。そう思ってライナーノーツを読んでみたら、実はCDのタイトル『In Walked Thelonious』(もちろん<In Walked Bud>のもじり)とジャケットのイラストが表す通り、パリで録音準備のために2ヶ月間こもって集中練習していた地下スタジオで、デイヴィスがある晩一人でピアノに向かっていると、そこへ「モンクが入って来て」、3時間にわたって、彼にテンポやコード、ストライドのフィーリングなど、モンク作品の演奏方法を細かに教示したというのだ……。

デイヴィスからこの話を電話で聞き、ライナーノーツを書いたプロデューサーのピエール・スプレイ Pierre Sprey (1937 - )という人は、仏米ハーフの防衛アナリスト兼レコード・プロデューサーという珍しいバックグラウンドを持った人で、ハイエンド録音にもこだわりがあり、マルチ・チャンネルは使わず本CDも2ch録音で音の鮮度にこだわって録音しているという。それもあって、このCDのサウンドは素晴らしい。デイヴィスは、録音中も誰かが傍らで聴いているような仕草で演奏していたという。見た目もそうだが、やはり不思議な人物だったらしいウォルター・デイヴィス・ジュニアのモンク幽霊譚の真偽はともかくとして、誰が聴いても、まるでモンクが弾くソロピアノのような演奏であることは確かだ。<Round Midnight>を除き、全曲3分以下の短い演奏であるところもモンクっぽい。レアなCDだが、モンクが好きな人は、ぜひ探して自分の耳で確かめていただきたい。演奏はもちろん(モンクが弾いているので?)素晴らしい。
* 収録曲は以下14曲。
Green Chimneys /Crepuscule with Nellie /Gallop's Gallop /Ask Me Now /Round Midnight -1 /Trinkle Twinkle /Ruby, My Dear /Monk's Mood /Off Minor /Panonica /Bye-Ya /Ugly Beauty /Criss Cross /Portrait of an Ermite (=Reflections) /Round Midnight -2

Portraits of Thelonious Monk
Randy Weston
1989 Verve
ロビン・ケリーのモンク伝記には、これまで知られていなかった(モンクのおかしな)エピソードがたくさん出て来るが、中でもモンクとアフリカの関係については、南アのダラー・ブランド(アブドゥーラ・イブラヒム)との話や、ガーナ出身のガイ・ウォーレン Guy Warren(1923-2008)というアフリカン・ドラム奏者との出会いの話が面白い。ウォーレンはシカゴにいた頃『Africa Speaks、America Answers』(1956)というアルバムを発表した後(ロビン・ケリーが同名の本を書いている)、NYでモンクと会い、モンクはウォーレンとアフリカのことが大いに気に入って二人は意気投合した。モンクが四六時中かぶっていて、<中国人の帽子>とみんなが呼んでいた有名な麦わら帽子が、実はウォーレンが後にアフリカから送ってきた、ガーナの農民がかぶる帽子だったことも明らかになる。ウォーレンの勧めで、モンクはどうも本気でアフリカ移住を考えたようだが、ネリー夫人の反対で諦めたらしい。2メートルを超える巨躯、ランディ・ウェストン Randy Weston (1926-2018) の『Portraits of Thelonious Monk; Well, You Needn't』(1989 Verve) は、そのアフリカ色に満ちた、全曲モンク作品というアルバムだ。

ブルックリン生まれのウェストンは、ジャマイカ出身で<汎アフリカ思想>を持った父親が経営していたレストランにやって来るジャズ界の大物たちを子供の頃から知っており、モンクもその一人だった。少年時代に、モンクのアパートメントでピアノのレッスンも受けている。1954年に、リバーサイド初となるモダン・ジャズを録音し、その縁で同社にモンクを紹介したのもウェストンだ。その当時、後に「Renox School of Jazz」が設立されるバークシャー・マウンテンの「ミュージック・バーンズ」という音楽施設付きホテルで皿洗いをしながら、住み込みピアニストをしていたときにも、モンクのグループに仕事を紹介している。そこで、当時ジャズを支持していた著名な音楽学者マーシャル・スターンズ他のアカデミックな知識人たちと出会ったことで、ルーツ・アフリカへのウェストンの知的興味と理解がさらに深まり、60年代後半にはついに5年間アフリカ(モロッコ)へ移住している。モンクとはその後も生涯にわたって交流があり、葬儀にも参列した。またウェストンは2018年に亡くなるまでに何度も来日し、京都の上賀茂神社他でソロ演奏を行なうなど、日本ともゆかりがある音楽家だった。このCDでは、おそらく誰よりもモンクを深く理解し、リスペクトしつつ、モンクを通してアフリカにつながる何かを追求しているかのような演奏だ。どの曲からも常にアフリカ的、あるいはカリブ的リズムに支えられたウェストン独自のサウンドが聞こえて来る。モンクが聴いたらきっと大喜びしたことだろう。共演メンバーはJamil Nasser(b), Idris Muhammad(ds), Eric Asante (perc.)。
* 収録曲は以下7曲。
Well You Needn’t /Misterioso /Ruby My Dear /I Mean You /Functional /Off Minor-Thelonious

Plays Thelonious
Fred Hearsch
1998 Nonesuch
90年代になると、1998年にフレッド・ハーシュFred Hersch (1955-) がソロ・ピアノで全曲モンク作品に挑戦した『Plays Thelonious』(Nonesuch) を発表している。ハーシュ初のソロ・アルバムがモンク集であり、70年代にシンシナティでピアニストとして活動を開始して以来、どのコンサートやクラブ演奏でも必ずモンクの曲を取り上げてきたということからも、ハーシュのモンクの音楽へのリスペクトが分かる。このCDの録音時点(1997)では、スティーヴ・カーディナスによる初のモンク楽譜集『Thelonious Monk Fake Book』がまだ発表されていなかったので、それまではすべて自分の耳で聴き取って演奏してきたのだという。これは、白人でユダヤ系のゲイであると自ら公表し、繊細で耽美的演奏が持ち味のハーシュが、黒人で男らしいジャズ・ミュージシャンの代表的人物の一人だとされてきたモンクの作品にソロ・ピアノで挑戦するという――正反対のキャラ同士のある種倒錯したような世界だが、どこまで音楽的に調和できるのか、あるいはそこに不思議な融合が生まれる、もしくは化学反応が起こるのか、実に興味深い試みではある。結果は……聴く人それぞれの好みだろうか…。
*収録曲は以下14曲。
'Round Midnight /In Walked Bud /Crepuscule With Nellie /Reflections /Think Of One /Ask Me Now /Evidence /Five Views Of Misterioso /Let's Cool One /Bemsha Swing /Light Blue/Pannonica /I Mean You /'Round Midnight Reprise

Joey Monk Live !
Joey Alexander
2017 Motéma
その後しばらくして2010年代になってから、オーソドックスなエリック・リードEric Reedの全曲モンク集、野心的な山中千尋がエレピでモンクに挑戦というアルバムを発表しているが、もう一人個人的に印象に残ったのはジョーイ・アレキサンダーJoey Alexander (2003-) という、21世紀生まれ(!)で、まだ16歳のインドネシア出身のピアニストのアルバムJoey Monk Live!』 (2017 Motéma)だ。実は、あまり期待していなかったのだが、聴いてみてびっくりした。6歳で初めて弾いたピアノが父親が好きだったモンクの曲で、そのままジャズを弾くようになったのだという。まさに ”神童” で、リンカーン・センターでのこのライヴ・アルバム録音時はまだ14歳だったというから驚きだ。おまけにインドネシアのバリ島生まれ(今はNYCに移住したらしい)というから、まさにグローバル化した21世紀のジャズシーンを象徴するようなミュージシャンと音楽である。Scott Colley(b), Willie Jones III(ds) とのトリオが5曲、2曲がソロ演奏だが、いずれも斬新なモンク解釈で非常に楽しめるアルバムだ。というか、モンクの音楽が違和感なく、すっかり身体に染み付いているかのように自然な演奏なのである。しかもこの録音が全部ライヴ演奏であるところがすごい。ただし過去にも神童と呼ばれたこういう早熟なジャズ・ピアニストが何人かいたが、みんないつの間にか消えてしまうので、ジョーイ君にはこのまま成長して(W・マルサリス師匠の影響を受けすぎないことを望む)、新世代モンク弾きを代表するピアニストとして大成してもらいたいものだと思う。
* 収録曲は以下7曲。
Round Midnight /Evidence /Ugly Beauty /Rhythm-A-Ning /Epistrophy /Straight, No Chaser /Pannonica

2020/03/07

Play ”MONK"(2)

The Thelonious Monk
Orchestra at Town Hall
1959 Riverside
モンク作品をラージ・アンサンブルで演奏する、というコンセプトは魅力的だと思うが、それを最初に手掛けたのはモンク自身だった。1959年のRiverside時代に、当時ジュリアード音楽院の教授で大のモンク・ファンだったホール・オヴァートン Hall Overton (1920-72) との共同編曲で、モンクはビッグバンドのコンサート・ライヴ『The Thelonious Monk Orchestra At Town Hall』を録音し、さらに1963年にはコロムビアでもう一作同じくオヴァートンとライヴ・コンサート・アルバムを残している(Big Band and Quartet in Concert』)。いずれもテンテット(10人編成)で、モンクの過去のコンボ演奏のサウンドを、より大きな編成のバンドによる演奏で拡張するというコンセプトであり、自分の過去のレコード演奏をオヴァートンと綿密に分析しながら、最終アレンジメントを仕上げていったとされている。いわばある種の "Monk Plays Monk" である。モンクはその後のヨーロッパ・ツアー時にも同様の編成でコンサートを行なっているので、このアイデアとフォーマットにはモンク自身がずっと興味を持ち続けていたようだ。(詳細は本ブログ 2017年10月の「モンクを聴く#9: Big Band」をご参照)

モンクはソロが良いと昔から言われてきたのは、まず曲が難しいこともあるが、モンクの意図と彼がイメージしているサウンドを理解し、実際に演奏でそれを表現できる奏者が限られていたからだ。そのスモール・コンボではなかなか完全には表現し難い、複雑なリズムとハーモニー、内声部の動きを持つモンク作品のサウンドを、 ”ラージ・アンサンブル” によって表現するのは、アレンジャーにとってさらにハードルが高いはずだが、確かに非常に興味深いチャレンジではあるだろう。モンク本人でさえそう感じていたからこそ、何度も挑戦したわけだが、モンクが直接関与した編曲に基づく演奏すら当初酷評されたように、成功させるのは簡単ではない。そもそもモンクの音楽自体が当たり前の語法に則っていないし(それが魅力なわけでもあり)、小編成コンボでもサウンド的に満足していたわけではない曲を大編成バンドで拡張して表現するのは、前にもどこかで書いたが、大キャンバスにほぼ即興で抽象画を描くようなものなので、成功させるには並大抵ではない編曲能力とセンス、演奏能力が要求されるからだ。しかし難しいが、仮に成功したら、他の音楽や演奏では決して味わえない素晴らしく魅力的なジャズになる可能性もある。

以下に挙げるのは、これまでに私が探して聴いた「ラージ・アンサンブルによる全曲モンク作品」というレコードだが、もちろんド素人の私に演奏の優劣を判断する能力はないので、あくまで参考として個人的な印象を書いただけである。演奏の評価はプロの音楽家や、聴き手それぞれの視点や嗜好で判断すべきことだが、いずれにしろこの聴き比べは、モンク好きなら楽しめる作業であることは確かだ(ただ、モンク好きでビッグバンドも好き、あるいはビッグバンド好きでモンクも好き、という人がいるのかどうかはよく分からないが…)。それに、レコード(CDでもデータでも)の場合、大型スピーカーで大音量で鳴らせれば別だが、中型以下のスピーカーで聴くビッグバンドは正直言って魅力が半減する。どうしても、迫力に欠け、低域に比べて高音部がやかましく聞こえるからだ。ライヴで聴く優秀な大編成バンドのジャズ・サウンドは、一度聴くと病みつきになるくらい素晴らしいのだが……。

90年代ではまず、ドラマーで息子のT.S.モンク(1949-) がドン・シックラー Don Sickler(1944-)の編曲で、上記モンク録音を参考にしながら、父の生誕80周年に共同で発表した、10-12人編成のオールスターバンドによる父親へのトリビュート・アルバムMonk on Monk』(1997 N2K)がある。豪華オールスターに気を使いすぎたのか、どの曲も整然とアレンジされすぎていて、モンク的破綻(?)や意外性がなく、どこか物足りないという感は否めないが、古臭くはなく、かと言って新しさを狙った風でもなく、非常にオーソドックスなアレンジの演奏だ。しかし、なにしろヴァン・ゲルダ―による現代的なクリーンで厚みのある録音で、きっちりとアレンジされたモンクの名曲を、モンクをよく知る一流プレイヤーたちが次から次へと演奏するサウンドを聴いていると、これはこれで単純に気分が良く、私的にはとても楽めるレコードだ。(収録曲、メンバー詳細等は、2017年11月の本ブログ 「モンクを聴く#15:Tribute to Monk」 をご参照)

The Bill Holman Band
Brilliant Corners
The Music of Thelonious Monk
1997 JVC
同じ時期(1997年)に発表されたもう1枚が、JVCがプロデュースしたビル・ホルマンBill Holman(1927-)のバンドによる『Brilliant Corners:The Music of Thelonious Monk』だ。ホルマンは、スタン・ケントン直系の西海岸の伝統的アレンジャーで、能力とセンスは折り紙付きなのだろうが、モンクの音楽との相性がどうかと思っていた(60年代末に、モンク/オリヴァー・ネルソンというCBSでの残念な組み合わせの前例があるので)。結果は予想通りというべきか、確かに流麗、ゴージャス、モダンな演奏は素晴らしいのだが、洗練されすぎているためか、ごく普通のビッグバンドのサウンドのように聞こえ、モンクを全面に出してタイトルを謳うほどの個性的なモンク解釈が感じられないような気がする。だが、たぶんこれは好みの問題なのだろう。
* 収録曲は以下の10曲。
 Straight, No Chaser /Bemsha Swing /Thelonious /'Round Midnight /Bye-Ya /Misterioso /Friday the 13th /Rhythm-A-Ning /Ruby, My Dear /Brilliant Corners

Standard Time Vol.4
Marsalis Plays Monk

 1999 Sony
まったく知らなかったのだが、意外なことに、ウィントン・マルサリス Wynton Marsalis(1961-) がモンク作品をノネット編成で演奏した『Standard Time Vol.4: Marsalis Plays Monk』というレコードをリリースしている(1999 Sony ただし録音は93/94)。超有名曲をあえてはずした選曲になっているところが、ウィントンらしいと言えようか。予想されたことだが、印象としてはまさしくマルサリス的モンクで、まったく別の音楽(クラシック?)のように聞こえるところもある。何というか、熱さとか、ユーモアとか、ウィットとか、温かみとか、基本的にモンクの音楽の属性というべき要素がことごとく除去されて、全体が蒸留されたような、アクのないサウンドだ。ニューオリンズのように聞こえる部分もあって面白い工夫も見られるのだが、基本的には滑らかで上品、低刺激なモンクなので、大きく好みが分かれるだろう。とはいえ、これらの演奏から、マルサリス的解釈による作曲家モンクへの敬意というものが、素人の耳にもどことなく伝わって来ることも確かだ。
* 収録曲は以下の14曲。
Thelonious /Evidence /We See /Monk's Mood /Worry Later/Four in One /Reflections /In Walked Monk (Marsalis) /Hackensack /Let's Cool One /Brilliant Corners /Brake's Sake /Ugly Beauty /Green Chimneys

考えてみると、上記3枚のCDはいずれも1990年代の演奏と録音であり、アレンジャーも参加プレイヤーたちも、モンクと同時代を生きていたメンバーがほとんどだ。だから1950/60年代のモンクの天才と斬新さを記憶し、みんなが身体でそれを覚えているがゆえに、基本的にモンクのイメージをなぞるような正統的リスペクトになるのかもしれない。そう思って聴けば、これらはいずれも良くできた楽しめるレコードだろう。

それから20年近くを経て、ピアニストのジョン・ビーズリーJohn Beasley (1960-) がMONK’stra Vol.1』&『Vol.22016&2017 Mack Avenue)という2枚のアルバムを発表している(Vol.1 /9曲、Vol.2 /10曲)。モンクを大編成バンドで演奏すべく2013年に結成された「モンケストラ」は、基本15/16人編成のラージ・アンサンブルで、こちらはアレンジャーも若く、生きた時代も違うので、好き勝手とまでは言わないが、かしこまらないで、現代のリズムやグルーヴを大胆に取り入れたかなり遊びの精神が入った多彩なアレンジになっている。そもそもモンク自身がある意味ルール破りの達人だったわけで、こうした型破りな挑戦は、現在のアーティストがモンクをリスペクトする一つの方法でもあるだろう。しかし私的には、2作品ともに全体としてあれこれ奇を衒いすぎた感が強く(いじりすぎでうるさい)、あまり「ジャズ」的なグルーヴを感じさせないのが残念だ。それとビル・ホルマンもモンケストラもそうだが、いずれも西海岸のビッグバンドだ。これはあくまで個人的感覚にすぎないが、そのせいかサウンドがどことなく(オリヴァー・ネルソン盤ほどではないにしても)、モンクにしてはやや明るく、きらびやかすぎるように聞こえる。個人的には、モンクの音楽はやはり、ニューヨークの景色に似合った、しぶく艶消しのサウンドがよく似合うように思う。

The Monk; Live at Bimhuis
狭間美帆
2018 Universal
The Monk: Live at Bimhuis』(Universal) は、狭間美帆がオランダの ”メトロポール・オーケストラ” を指揮して、モンク作品全7曲を演奏した最新CDだ2017年10月(狭間が出演した「東京ジャズ」のすぐ後)にアムステルダムの「ビムハウス」で、モンク生誕100周年記念コンサートの一環としてライヴ収録された演奏で、7曲のうち<Round Midnight>、<Ruby My Dear>など4曲は、モンクの ”ソロピアノ” 演奏を元にして編曲したものだという。作曲家モンクの頭の中で ”鳴り響いていたはずの音” を、オーケストラのサウンドで表現するという試みであり、これはモンクがホール・オヴァートンと「タウンホール」コンサート向けに行なった編曲手法と同じだ。世界で唯一と言われるジャズ・フィルハーモニック・オーケストラによる斬新な演奏は、モンク的フレーバーを感じさせながら、何よりもカラフルな「現代のジャズ」を感じさせるところが素晴らしい。上記2枚の録音のLA的輝きよりも、サウンドにヨーロッパ的陰翳と、ある種の重さが感じられるところも私的には好みだ。単なるアレンジャーではなく、作曲家という狭間のバックグラウンドが、こうした斬新なアレンジと演奏を可能にしているのだろう。狭間美帆は2017年の「東京ジャズ」で自ら指揮し、素晴らしい演奏を聞かせてくれたデンマークラジオ・ビッグバンドの首席指揮者に2019年10月から就任しており、今後も益々活躍が楽しみな作曲家・アレンジャーだ。秋吉敏子に次いで、日本のジャズ界から世界で活躍するこうした才能が現れたことを非常に嬉しく思う。今年2020年5月の「東京ジャズ(プラス)」にも3年ぶりに出演するらしいので、今から楽しみにしている。
* 収録曲は以下の7曲。
Thelonious /Ruby My Dear /Friday The 13th /Hackensack /Round Midnight /Epistrophy /Crepuscule With Nellie

2019/05/07

映画『ビル・エヴァンス タイム・リメンバード』を見に行く

たぶん、昔からの大方のジャズファンはそうではないかと思うが、レコードも散々聴き、関連情報も何度も見聞きし、伝記(『How My Heart Sings』, 1999, Peter Pettinger 著) も読んでいるので、正直、今更ビル・エヴァンスの伝記映画も……と思っていた。モンクと違って、エヴァンスには内外の文献情報だけでなく映像記録も多く、それをネット上でもかなり見ることができるので、DVDがあるのも知っていたが、持っていなかったのだ。しかし「日本だけの劇場公開」というコピーについ釣られて、(ヒマなこともあり)話題の映画『ビル・エヴァンス タイム・リメンバード(原題 Time Remembered : Life & Music of Bill Evans)』(2015、ブルース・スピーゲル監督)を見に、連休中に吉祥寺まで出かけた。PARCO の地下に映画館(UPLINK)があるのもまったく知らず、一時住んでいて、その後もよく来た久々の吉祥寺では、ほとんど浦島太郎状態だった。人が多く、活気があって、雑然とした街並みは相変わらずだが、やたらと増えた知らない店やカフェやらで、周辺の景色はずいぶん変わっていた。そもそも、昔よく行ったジャズ喫茶 “Funky” は、このPARCOのあたりにあったのだ。今は少し移動した場所で飲食店(名前は “Funky” で同じ)になっているが、うす暗い地下で鳴り響いていたJBLパラゴンの強烈な音は今でも覚えている。1970年代半ばのことだ。

Live in Tokyo
CBS/Sony 1973
ビル・エヴァンス (1929 -1980) はもちろんその当時は現役で、何度か来日もしていた。前にもどこかで書いたが、私は確か二度目の来日時(1976年?)に、新宿厚生年金会館での公演を見たように思う。1973年の初来日時のレコード(郵便貯金ホール)の写真を見ると、もう髪と髭を伸ばしたあの70年代のエヴァンスの風貌なので、二度目もほぼこの姿で登場したはずだが、どういうわけかそれもよく覚えていない。そのときも、この映画のパンフも含めて写真によく使われているように、首を90度前屈してピアノにのめり込むような例の姿勢で弾いていたと思うのだが、実際そうだったと言い切る自信はない。単にそういう刷り込まれたイメージを反芻しているだけかもしれないし、あるいは実際にそうだった可能性もある。だが、いつの時代も、どんなジャンルでも、アーティストにとってそうしたイメージは大事だ。ひと目でその人だと認識できるヴィジュアル・イメージと、加えてジャズの場合は特に音そのもの、その人にしか出せないサウンド・イメージが重要である。何かに憑かれたように首を傾けてピアノを弾くビル・エヴァンスのヴィジュアル・イメージは、彼の人生を描いたこのドキュメンタリー映画の中でも ”正しく” 表現されていた。上映中ずっと流れ続ける、美しいが、常に深い翳のあるピアノ・サウンドも、まさしくエヴァンスの人生そのものを表現していた。

New Jazz Conceptions
1957 Riverside
この映画は、ロシア系移民の子孫であるエヴァンス の51年という比較的短い生涯を、駆け足で最初から辿るドキュメンタリーで(上映時間は1時間20分だ)、ほとんどがレコードを中心とした音源、残されたエヴァンスのインタビュー音声、演奏を記録した映像(たぶんテレビ)に加え、親族やミュージシャンたちへのインタビューで構成されている。ポール・モチアン(ds)、ジャック・デジョネット(ds)、ゲイリー・ピーコック(b)、チャック・イスラエルズ(b)など、エヴァンス・トリオで共演したミュージシャン、ジョン・ヘンドリックス(vo)、トニー・ベネット(vo)、ジム・ホール(g)、ビリー・テイラー(p)、ドン・フリードマン(p) などのエヴァンスと同時代のミュージシャンや、Riversideのプロデューサーだったオリン・キープニューズ(ずいぶん太って別人のようだ)、唯一の現役(?)ピアニスト、エリック・リードなどが次々に登場して、それぞれエヴァンスの音楽や行動についてコメントしてゆく。ただし、流れる音楽もそうだが、インタビュー画面も急ぎ足、かつ細切れ、つぎはぎのパッチワークのようで、画面展開が目まぐるしい印象があり、もっと各人のコメントをじっくりと聞いてみたい気がした。しかし、そのほとんどが故人となった今では、エヴァンスを語る彼らのコメントは貴重なものだし、動くスコット・ラファロ (b) の映像も良かった。親族や関係者(非ミュージシャン)たちのコメントは、これまで見たことがなかったし、身近な人間として彼らが見ていたいくつかの逸話が初めて聞けて、これらは興味深かった。エヴァンスの出自と家庭、内向的で利己的な性格、クラシックの知見がマイルス他のジャズ界に与えた音楽的影響、ジャズの世界で繊細な白人が美の探求者として生きる過酷さ、生涯抜け出すことができなかったドラッグの泥沼など、ある程度知っていたことではあるが、映像でそれらを年代順に辿ると、あらためてエヴァンスに対する様々な思いが浮かんでくる。映画館のスクリーンが予想外に小ぶりで拍子ぬけしたが、器が小さいこともあって、音量を含めた音響面に関する不満はなく、ピアノ、ベース、ドラムス、各楽器の音が、それぞれ深く、かつクリアにバランスよく聞こえた。唯一の不満は日本語字幕の表示で、背景が明るいとよく読めない画面がかなり多かった(こっちの年のせい?)。たぶんテレビ映像では問題ないのかもしれないが、映画館のスクリーンでは、これは問題だろう。もう少し何とかならなかったものだろうか。

Everybody Digs Bill Evans
1959 Riverside
音楽面では、代表的レコードをかなりの枚数取り上げていたが、これもダイジェスト版CDのようで目まぐるしく、エヴァンスのレコードや演奏をよく知るジャズファンは別にして、馴染みのない人たちのために、もっとじっくりと聞かせる方がいいのではないかと感じた(元のDVDがそういう作りなので仕方がないが、モンクの映画ではもっと個々の演奏をきちんと聞かせている)。今振り返れば、晩年の一部の演奏を除き、基本的にエヴァンスの作品に駄作はなく、すべてが素晴らしいとしか言えないが、スコット・ラファロ と共演したRiversideの諸作は当然として、私的エヴァンス愛聴盤は①『New Jazz Conceptions(1956)、②『Everybody Digs Bill Evans(1958)、そして③『Explorartions(1961)というピアノ・トリオ3枚である(数字は録音年)。溌溂として、新鮮で、切れ味の良い①、ジャズ・ピアノにおけるバラード・プレイの極致と言うべき演奏が収められた②、三者の深く味わいのあるインタープレイが全編で聞ける③の3枚は、何度聴いても飽きるということがない。映画でも、特に②と③が名盤として紹介されていたが、意外だったのは、私がいちばん好きな③が、実は三人(エヴァンス、ラファロ、モチアン)の人間関係がぎくしゃくしていた時に録音されたものだ、という話だった。これは知らなかったので帰ってから確認すると、伝記にもそういう逸話が短く書かれていた。ラファロからも注意されていたように、エヴァンスのドラッグ耽溺が原因だった。このアルバムに聞ける、何とも言えない憂い、沈潜したムードと不思議な緊張感が漂う美は、そのことが背景にあったからのようだ。これが、体調も良く、みんなで仲良くやっていれば良い演奏が生まれるわけではない、というジャズの持つ不思議さなのだろう(演奏者自身のその時の意識と、聴き手側が受け取る印象の違いということでもある。こうした例はジャズではよくある)。また、若きエヴァンスが風にそよぐカーテンの向こうから端正な顔でじっとこちらを見ている、一見、知的で静かで美しいが、どことなくこの世の世界とは思えないような不思議な印象を与えるジャケット写真が、実はゴミため のように乱雑なエヴァンスのアパートメント自室内で、いちばんそれが目立たない窓際で撮られたものだった、というエピソードも実にエヴァンス的だ。つまり、内部(精神)に満ちた混沌、葛藤と、外部に向けて表現された美の世界(演奏)とのギャップである。ただし、エヴァンス的にはそれで ”均衡” していたのだとも言えるが。

Explorations
1961 Riverside
ビル・エヴァンスの人生は、大まかなことはほぼ知っているので、映画の中にそれほど目新しいエピソードはなかった。エヴァンスには、セロニアス・モンクのような神話や謎めいた逸話はなく、モンクの傑作ドキュメンタリー映画『ストレート・ノー・チェイサー Straight, No Chaser』(1988、クリント・イーストウッド制作)のように、本人の日常の行動を間近に追った映像記録も映画中にほとんどないので、映像そのものに特に新鮮な驚きはない。ただ、盟友スコット・ラファロの事故死(1961年)によるショックから徐々に立ち直り(ドラッグからは逃れられなかったが)、70年代に入ってから再婚して子供も生まれ、束の間の幸福そうな結婚生活の一部を記録した映像は、初めて見たこともあって、その明るい雰囲気が意外であり非常に印象的だった。それがエヴァンスの人生で最良の瞬間だったのかもしれない。しかしそのときでさえ、長年にわたって彼を支えてきた前妻(内縁)の自殺(1973年)という死の影をエヴァンスは引きずっていたのである。その後、再びドラッグに溺れ、新しい家族とも別れ、さらに幼少期から彼のただ一人の庇護者であり、敬愛してきた兄の自殺(1979年)という一撃で、エヴァンスの人格と人生は完全に崩壊する。

チャーリー・パーカー以降、モダン・ジャズ時代のジャズマンの多くがドラッグで破滅的人生を送ったのは周知のことで、エヴァンスもその一人だった。しかし同じように生涯ドラッグ漬けで、最後には肉体も精神も崩壊したセロニアス・モンクの人生が、全体に奇妙で、おぼろげで、くすんだような色彩なのに、どこかゆったりとして、その音楽同様に明るさとユーモアさえ感じさせるのと対照的に、この映画で描かれている死をモチーフにしたかのような人生、そしてリー・コニッツが指摘したように、何かに追われるがごとくオンタイムで前のめり気味に弾くピアノと同じく、に急いだエヴァンスの人生の印象は、ずっと暗く沈んだ色調のままである。その色調こそが、まさしくエヴァンスが弾くピアノの根底にあるもので、ジャズファンが愛するビル・エヴァンスの、ピュアで、深く、沈み込むような濃い陰翳を持つサウンドの美しさは、そうした彼の人生から生まれたものだったことがよくわかる。

2019/03/15

ニカ男爵夫人を巡る4冊の本

The Baroness
Hannah Rothschild
2012
1955年、スタンホープ・ホテル自室でのチャーリー・パーカー変死事件の後、タブロイド紙やゴシップ記者に常に追い回されるようになったニカ夫人は、インタビューを含めて公の場から姿を隠すようになった。以降ニカ夫人への直接インタビューを公表した記録は、1960年の「エスクワイア」誌でナット・ヘントフが書いた記事 "The Jazz Baroness" だけで、それ以外で公に残されているのはモンクのドキュメンタリー映画『Straight, No Chaser』(1988年)の中で話す本人の姿と音声だけである。ロビン・ケリーの『Thelonious Monk』にも、ニカ夫人はあちこちに登場するが、この本はあくまでモンクの人生を中心に、アメリカ黒人史とジャズ史、ネリー夫人や親族、マネージャーなど、モンクを支えた周辺の人々を描いた物語なので、当然ながらパトロンとしてその一人だったニカ夫人の人物としての造形にそれほど記述を費やしているわけではない。一方、今回出版したイギリスのハナ・ロスチャイルドの『The Baroness; The search for Nica, the rebellious Rothschild』(2012年)は、原書タイトルからもわかるように、ニカ夫人の実家であるイギリス・ロスチャイルド家、彼女の出自、経歴などを初めて詳細に語った本で、前半部で主としてロスチャイルド家に関わる物語、後半部でニューヨーク移住後のジャズとモンクとの関係を描いている。著者がロスチャイルド家の一員であることから、厳格な秘密主義を貫く同家情報へのアクセス上の有利さを生かして、ケリーのモンク伝記にはあまり書かれていなかったニューヨーク移住に至るまでのニカ夫人の半生と、その背景がよくわかる構成と内容になっている。またロスチャイルド・アーカイブから引用した幼少期のニカ夫人や家族を撮影した多くの初出写真は非常に貴重だ(残念ながら、邦訳版にはすべてを収載できなかったが)。海外の読者の反応を見ると、やはり前半のロスチャイルド家に関する部分により興味を感じている様子がうかがえる。これは物語としての新鮮さと面白さもあるが、謎多き同家に対する西欧世界の関心の高さを示すものと言ってもいいのだろう。しかし一方で、後半のニューヨーク移住後のニカ夫人とジャズやモンクとの関わりについて言えば、情報の絶対量が少なく、ケリーのモンク伝記など既存文献と重複した部分や引用が多いことと、著者のジャズに関する知識に限界があるという背景もあって、コアなジャズファンの見方からすると、やや物足りなさを感じる可能性はあるだろう。合わせ鏡のように両書を読めば、モンクとニカ夫人の実像が更に見えて来ることに間違いはないが、実はアメリカでは、この2冊の他にもニカ夫人を取り上げた書籍がほぼ同時期に出版されている。

Nica's Dream
David Kastin
2011
その1冊は、デヴィッド・カスティン (David Kastin) が書いた『Nica’s Dream; The Life and Legend of the Jazz Baroness』(2011年) である。カスティンはニューヨークの名門スタイベサント高校(モンクが中退した学校)で、英語教師をしながらジャズやアメリカ音楽に関する記事を書いてきた人で、2006年に「Journal of Popular MusicSociety」誌にニカ夫人に関する記事(Nica's Story) を寄稿し、それが好評だったこともあって、その後もインタビューや調査を続けながら、5年後の2011年にこの本を出版している。この本は未邦訳だが、その一部が村上春樹の翻訳アンソロジー『セロニアス・モンクのいた風景』(2014年 新潮社) の中に収載されている。ニューヨーク在住の米国人音楽ライターであるカスティンの本は、イントロをパーカー変死事件で始め、ニューヨークのジャズシーンにおけるニカ夫人の存在に比重を置いており、ハナ・ロスチャイルドの本に比べると、当然ながらジャズ関連情報の量、洞察の質の両面で、よりジャズ寄りだが、一方でニューヨークに来る前のロスチャイルド家側を中心にした彼女の来歴情報は、同家の強固な秘密主義によって入手するのが難しかったと著者自身が語っている。カスティンのアプローチは、ジャズとニカ夫人の関係を、ケリーと同じくノンフィクション作品として正攻法で正確に描こうとしている。一方、ハナ・ロスチャイルドの本はカスティンの淡々とした筆致とは対照的でニカ夫人本人や彼女の兄姉をはじめ、ロスチャイルド家の親族たちと実際に面識があり、彼らに対する情愛と一族の異端児の物語としてのロマンを常に感じさせるが、ノンフィクション作品としては細部が多少甘い部分がある。残されている記録の大元は同じなので、両書で取り上げているエピソードに大きな違いはないが、事実関係についての細部の語り口が違う。ハナは次作では小説 (『The Improbability of Love』2015) を発表しているように、映像作家でもある彼女は、細かな事実を積み上げてゆくことよりも、むしろストーリー・テラーとしての資質が強い人なので、ハナの本は物語性が強く、ノンフィクションというよりも小説を読んでいるような気がしてくるのが特徴だ。したがって、このへんは読者側の好みもあるだろうと思う。あるいは、ロスチャイルド家を中心としたニカ夫人の前半生とその人物像はハナの本で、ジャズやモンクの音楽との関係を中心とした後半生はカスティンの本で、という読み方もできるだろう(掲載写真も前者は主としてロスチャイルド家関連、後者はニューヨーク時代が中心である)。私がハナの本を邦訳した理由は、やはりロスチャイルド家側を核にしたニカ夫人の人物と経歴描写の具体性と物語性が新鮮で、そこにより強い興味を抱いたからだ。

Three Wishes
Nadine de Koenigswarter
2006 (仏) / 2008 (米)
もう一冊『Three Wishes; An Intimate Look at Jazz Greats』(2008年) は、文章ではなく、写真と短いインタビュー回答文によるユニークな構成の作品で、ニューヨーク時代のニカ夫人とジャズ・ミュージシャンたちの交流が、いかに広範かつ親密で、想像以上にものすごいものだったかという事実を衝撃的に示す、いわばジャズ・ドキュメンタリー書籍だ。上記の本では想像するしかなかった彼らの実際の交流の模様と関係が、ニカ夫人自らがポラロイド・カメラで撮影した数多くのジャズ・ミュージシャンの写真の中にリアルに残されているからである。そして、"If you were given three wishes, to be instantly granted, what would they be?"  (今すぐかなえてもらえる3つの願い事があるとしたら、それは何かしら?) というニカ夫人の質問に対して、セロニアス・モンクに始まる約300人のジャズ・ミュージシャンの回答(1961年から66年)をニカ夫人が書き留め、それが上記写真群と併せて掲載されている。中にはバド・パウエルのパトロンだったフランシス・ポードラの写真や回答(フランス語風の英語発音をニカ夫人がそのまま綴っている)や、秋吉敏子の名前もある。超有名人から無名のミュージシャンまで、おふざけから真摯なものまで、バラエティに富むそれらの回答は実に示唆に富んでいて、当時のジャズが置かれた状況から、個々のミュージシャンの性格、人生観、理想、悩み、苦しみまでが短い答の中から見事に浮かび上がっている。モンクやコールマン・ホーキンズ、ソニー・ロリンズ、アート・ブレイキー、ソニー・クラーク、ホレス・シルヴァーといったニカ夫人と特に親しかったミュージシャンをはじめ、マイルス、コルトレーン、フィリー・ジョー、ミンガスなど、綺羅星のようなモダン・ジャズのレジェンドたちの言葉と、大部分がウィーホーケンのニカ邸(Cathouse あるいは Catville)で撮影された、素顔をさらけ出してリラックスしている多くのミュージシャンたちのスナップショットが渾然一体となって、この本自体がまさにモダン・ジャズの世界そのもののようだ。ジャズファンにとっては、今にもそこから音が聞こえてきそうな文字通り夢のような本である。生前出版しようとして果たせなかったニカ夫人の遺志を継いで、ナダイン・ド・コーニグズウォーター(英語読み)という、ハナ・ロスチャイルドと同じくニカ夫人を大叔母とする、フランスのコーニグズウォーター家(ニカ夫人の元夫側)のヴィジュアル・アーティストが、ニカ夫人の子供たちの協力を得て編纂し、2006年にフランスで出版して好評を博し、その後英語版としてゲイリー・ギディンズの序文を加えて2008年に米国で出版されている。私が読んだのはこの英語版だが、仏語版も含めて編集した邦訳版も出版されている(2009年、P-Vine Books)。ただミュージシャンたちの英語の回答はほとんどが短いもので、イメージを膨らませながら彼らの生の言葉を原文で味わうのも楽しいので、興味のある人はぜひ英語版を読まれてはどうかと思う。掲載されているカラーとモノクロ写真の多くは構図も質もプロの撮った写真とは違うし、保存状態も様々だが、何よりミュージシャンたちの飾り気のない姿がどれも生きいきとしていて美しく、彼らを見つめるニカ夫人の眼差しがどのようなものだったか、ということが実に鮮明に伝わってくる。ちなみに、この英語版の表紙に使われている写真は、セロニアス・モンクと、モンクを長年支えたテナー奏者チャーリー・ラウズである。

Thelonious Monk
Robin D.G. Kelley
2009
ハナ・ロスチャイルドが制作したドキュメンタリー映画『The Jazz Baroness』(2008年)も含めて、これらはいずれもニカ夫人の没後20年(2008年)という節目前後に発表されており、おそらく関係者の多くが既に物故したことなどもあって、ロスチャイルド家からの資料提供や使用許諾などが以前より得やすい段階に入り、公表できる環境が整ってきたことが背景にあるのだろう。デヴィッド・カスティンは、ロビン・ケリーとは執筆中から交流していて、互いに情報や意見をやり取りしていたという。またカスティンの本には、ハナ・ロスチャイルドとのインタビューから聞き取った事例も引用されているが、ハナの本でも同じ話が本人の語り口を通して書かれている。またハナ自身もロビン・ケリーにインタビューしている。今回私が邦訳したハナの本『The Baroness』は、長い取材期間を経て、ロビン・ケリーのモンク伝記の3年後、カスティンの本の1年後、2012年に出版されているので、この当時3人のライターが、それまで神話と伝説に包まれていたセロニアス・モンクとニカ夫人の真の姿を描き出そうと、それぞれの視点からほぼ同時期にチャレンジしていた様子が伝わってくる。二人が生きた20世紀半ばという時代、あまりに個性的な彼らの破天荒な生き方、そして両者にまつわる謎を、ジャズという音楽を介して掘り起こし、捉えなおす作業は、3人のライターにとってはさぞかし刺激的かつ魅力的なものだっただろうと想像する。3冊の本には当然ながら重複する部分も多いが、実際どの本もジャズファンなら楽しんで読める内容であり、ニカ夫人に対するそれぞれの著者の視点、力点も違う。たとえば、ケリーは「モンクとニカ」、カスティンは「ジャズとニカ」、ハナは「私とニカ」というそれぞれ固有の視点で描いており、ノンフィクション作品として対象としているニカ夫人との距離感が異なる。しかし事実に関する情報という点からは、相互に補完し合う関係にもなっているために、これら3冊の本によってニカ夫人の実像がより立体的に浮かび上がって来る。そして第三者の文章では決して描ききれない世界を、ニカ夫人自身が捉えたミュージシャンの肉声とヴィジュアル情報でストレートに伝えている『Three Wishes』は、3冊の本が描く物語を補完し、そこに一層のリアルさを付加している本だが、それと同時に単独書として、ジャズ書史上でも唯一無二とも言うべき圧倒的な存在感と魅力を放っている。

これら4冊の本が2008年以降5年ほどの期間に相次いで発表されたことによって、モンクとニカ夫人にまつわる神話や謎が完全に解明されたとまでは言えないまでも、二人の実像らしきものがようやく見えてきたことは確かだろう。しかし、ハナも自著で触れているように、公に報道されたものを除き、故人の生前記録はすべて抹消するというロスチャイルド家の家訓と、伝記を含めて彼女に関するいかなる企画にも協力しない、とニカ夫人の子孫たちが合意していることもあって(『Three Wishes』の写真とインタビューは唯一の例外である)、今後彼女に関する新たな情報が出て来るかどうかは疑問だ。モンクとニカ夫人と特に親しく、いちばん身近で二人を見ていた存命のジャズ・ミュージシャンは、おそらくウィーホーケンのニカ邸で一緒に暮らしていたバリー・ハリスと、二人といちばん親しかったソニー・ロリンズだと思われるが、調べた限りハリスがこれまで二人について詳しく語ったことはないようだ。ロリンズも知人について語ることを基本的に拒否してきた人物のようなので、この可能性も低いだろう。またニカ夫人が、モンクを中心に幾多のジャズレジェンドたちの演奏をジャズクラブ、コンサートホール、ホテル自室、ウィーホーケン自邸で収録していた数百時間に及ぶとされる未公開の私家録音テープも存在するが、それらも依然としてロスチャイルド家の管理下にあって、門外不出と言われている。仮にこれらの録音がいずれ陽の目を見ることになれば、まさにロスチャイルド家が間接的に支援したツタンカーメン王墓発見並みの、ジャズ史上最大の未発表音源発掘となることだろう。それと同時に、音によるドキュメンタリーとして、上記4冊の本の世界にさらなるリアリティと深みを付加することは間違いない。これは20世紀のジャズを愛するジャズファンに残された、最大にして最後の夢というべきものだろう。

1982年にモンクが亡くなった後、予想外の死亡原因となった1988年の心臓手術の前日に、ニカ夫人は病室のベッドで、その少し前に亡くなった姉のリバティとモンクの二人がすぐそこにいるような気がする、と子供たちに語ったという。またモンクを長年献身的に支えたテナー奏者で、ニカ夫人とも親しく交流してきたチャーリー・ラウズが、ニカ夫人と同年同日の11月30日に肺癌のためにシアトルで亡くなっている。同じ年1988年に制作されたモンクのドキュメンタリー映画『Straight, No Chaser』には、ニカ夫人、ラウズの二人も登場しており、「そろそろ、このへんで…」と、まるでモンクが二人一緒に迎えに来たかのようである。知れば知るほどニカ夫人にはまだまだ謎と伝説が多く、その人物と人生に興味は尽きない。

2019/02/17

モンク作 "パノニカ Pannonica" を聴く

今日でブログを始めてちょうど2年経った。内容はともかく、よく続いたものだ。ちなみに、本日217日はセロニアス・モンク(1982年没)の命日である。

ニカとモンク
photo by Moneta Sleet Jr.
(1960s)
ジャズ本の翻訳中は、その本の主人公に関連するレコードを聴きながら作業している。そうすると主人公の人物像、物語や思想のイメージが “降りて来る” 気がして、文章の背景や意味がより正確に理解できるように思えるからだ。『リー・コニッツ』のときは、コニッツ、レニー・トリスターノ、ウォーン・マーシュなどトリスターノ派の音楽を中心に聴き、『セロニアス・モンク』のときは当然モンクのレコードをずっと聴いていた。今回出版した『パノニカ』の翻訳中は、主人公がジャズ・ミュージシャンではなく、しかも前半のロスチャイルド家に関する部分は、イギリスを中心としたヨーロッパの富豪の物語なので、ジャズではなく、どうしてもクラシック音楽が聴きたくなり、珍しくずっとクラシックを聴いていた。だが後半のニューヨーク時代は、主にジャズ・ミュージシャンたちからニカ夫人に捧げられたジャズ曲を選んで聴いていた。本書巻末には彼女に捧げられた20曲のリスト(実際は計24曲と言われている)が掲載されており、モンクの他にも、ソニー・ロリンズ、ホレス・シルヴァー、ソニー・クラーク、ケニー・ドリュー、ダグ・ワトキンス、トミー・フラナガン、バリー・ハリスなど、多くの有名ミュージシャンの名前とニカ夫人にちなんだ曲名が挙げられている。それぞれがニカ夫人のイメージを自分なりに捉え、それを音楽にしているので、比較しながら聴くと非常に興味深いが、同時に彼女がいかに多くのジャズ・ミュージシャンたちから愛されていたのかが想像できる。

Les Liaisons Dangereuses 1960
1959/2017 (Sam Records)
とは言え、訳書『パノニカ』に書かれたニカ夫人の人物としてのイメージを、もっとも生きいきと捉えた曲は、やはり彼女に捧げられた初めての曲であり、モンク自身が作った<パノニカ Pannonica>だろう。モンクの才能と、二人の関係の密度が桁違いなので、これは仕方がない。どことなくアンニュイな響きを持つこの曲のメロディと独特のリズムは、“蝶” のように軽やかに、あでやかにあてどなく飛んで行くニカ夫人のイメージそのものだ。風景や人物のイメージを、音の世界で常に見事に描き出すモンクはやはり天才だ。モンクは傑作アルバム『Brilliant Corners』(1957)で<パノニカ>を初演しているが、ソニー・ロリンズのテナー、アーニー・ヘンリーのアルトを加えたクインテットで、モンクはここではピアノとチェレスタを弾いていて、凝った演奏に仕上げている。その後,Les Liaisons Dangereuses 1960 (仏映画危険な関係』サウンドトラック)』(1959録音/2017リリース),『Alone in San Francisco』(1959),『Criss Cross』(1963),『Monk In Tokyo』(1963),『Monk』(1964) と、都合6枚のアルバムでこの曲を取り上げている。例によってi-Tunesでこれを連続再生すると、モンクがこの曲を毎回どう料理しているのか、その違いが聴けて非常に楽しい。演奏はいずれもチャーリー・ラウズのサックス入りのカルテットだが、『Alone……』は、『危険な関係』サウンドトラック音源が2017年に「発掘」されるまで、モンクによるこの曲の唯一のソロ演奏だった。本ブログ別項 (2017/4/14 & 10/23) で詳細を書いた、サウンドトラックとして使用された演奏(2CD)では、カルテットとソロで<パノニカ>を計4テイク録音しているが (カルテットは、チャーリー・ラウズ-ts、サム・ジョーンズ-b、アート・テイラー-ds)、この発掘音源は録音も奇跡的に良く、またどの演奏も楽しめる。昨年見た4K版映画『危険な関係』では、<クレパスキュール・ウィズ・ネリー>と共に、メイン・テーマとしてずっと流れるモンクの弾く<パノニカ>は、これ以上ない、というほど映画のストーリーと映像にぴたりとはまっていた。この曲をサウンドトラックとして使ったマルセル・ロマーノと、監督ロジェ・ヴァディムのセンスはさすがと言うべきだろう。

Thelonica
Tommy Flanagan
1983 Enja
モンク以外のミュージシャンはどうかと手持ちのCD、レコードを始め、ネット上でも調べてみたが、<ラウンド・ミッドナイト>ほどではないにしても、モンク作品の中では、非常に多くのジャズ・ミュージシャンが取り上げているスタンダード曲になっていることがわかる。モンク音楽の最高の理解者であり、愛弟子とも言えるスティーヴ・レイシー(Steve Lacy 1934-2004)による60年代以降の複数の演奏は当然としても、その他にも、実に多彩なミュージシャンが録音している。私の手持ちレコードでは、やはりトミー・フラナガンのピアノ・トリオ『Thelonica』(1983) に収録された演奏が素晴らしい (ジョージ・ムラーツ-b、アート・テイラー-ds) 。アルバム中唯一のフラナガン自作曲であり、アルバム・タイトルでもある "Thelonica" が表すように、このレコードは、モンクが亡くなった1982年の秋に、トミー・フラナガンがモンク作品だけを演奏して、モンクとニカ夫人の二人に捧げたものである。訳書『パノニカ』には、ニカ夫人がイギリスに住む著者ハナ・ロスチャイルドにアメリカからこのレコードを送った話が出て来る(ニカ夫人の実兄、ヴィクター・ロスチャイルド男爵に聞かせるため)。ごつごつとしたモンク独特の音楽から美しい部分だけを抽出したかのように、<パノニカ>始めどの曲も、まさに流麗なピアノ・トリオに変容させているが、これはこれで実にフラナガンらしいモンク解釈だ。このアルバムは、バド・パウエルの『Portrait of Thelonious』(1961)と並び、同時代のピアニストが心をこめて送った、ニカ夫人とモンクへのもっとも美しいオマージュである。

Now He Sings, Now He Sobs
Chick Corea
1968/CD 2002 Blue Note
 
意外だったのは、チック・コリア(Chick Corea) が<パノニカ>を2回取り上げていることだ。若きコリア2枚目のリーダー作で、ミロスラフ・ヴィトゥス(b)、ロイ・ヘインズ(ds) とのピアノ・トリオによる、今でも斬新なアルバム『Now He Sings, Now He Sobs』(1968LP/2002CD) CD版に追加曲として収録されていている(オリジナルLPは未収録)。もう1枚は『Expressions』(1994) で、こちらはソロ・ピアノである。コリアとモンクの接点はまったく不明だが、上記トリオ作品と同じメンバーによる『Trio Music』(1982)でも、モンク作品をCD1枚分、計7曲演奏しているので、ピアニストとして、モンクに対する何がしかの思いがコリアにはずっとあったのだろう。これらのアルバムでは、独特のモダンなコリア的モンク解釈の世界を聴くことができる。その他のピアニストでは、山中千尋、ホレス・パーラン、シダー・ウォルトン、エリック・リード、菊地雅章といった人たちが<パノニカ>を演奏しているが、特にエリック・リード(Eric Reed) は、2000年代に入ってからモンクをテーマにしたアルバムを3枚リリースしている。<パノニカ>は、ピアノ・トリオによるそのうちの1枚『Dancing Monk』(2011) に収録されているが、山中千尋の『Monk Studies』(2017)と同じく、速いテンポによるユニークで現代的な演奏だ

Carmen Sings Monk
1988 Novus
ピアノ以外では、スティーヴ・レイシーの他にも内外のホーン奏者による演奏も数多い。珍しいのはギターで、比較的最近になってピーター・バーンスタイン(Peter Bernstein) が『Monk』(2008),Signs Live!(2017) という2枚のアルバムで<パノニカ>を取り上げている。前者はギター・トリオによるモンク作品、後者はブラッド・メルドー(p)も参加したカルテットによるライヴ演奏だ。ヴォーカルで唯一と思われるのは、晩年のカーメン・マクレエ (Carmen McRae) のグラミー賞受賞アルバム『Carmen Sings Monk』(1988)だ。チャーリー・ラウズ(一部)とクリフォード・ジョーダンがサックスで参加し、80年代らしいモダンな伴奏をバックに、全曲(alt.を除き14曲)モンクの名曲を唄ったこのアルバムは、カーメン・マクレエにしか表現できない、圧倒的な歌唱によるモンクの世界だ。収録曲の半数に歌詞を書いたジョン・ヘンドリックスが<パノニカ>にも歌詞を付け、<リトル・バタフライ Little Butterfly>というタイトルで唄っている。美しいが、複雑なモンクのメロディに付けられた歌詞を、明快で知的な表現で、余裕でこなすカーメンはやはり本当にすごい歌手である。録音も非常にクリアで、カーメンの正確な歌唱によってモンク作品のメロディがよく聞き取れるので、モンク・ファンだけでなく、普通のジャズ・ヴォーカルとして誰でも楽しめるアルバムだ。モンクは自分の曲に良い歌詞を付けたいという希望をずっと持っていたようなので、生きているときに、旧友ジョン・ヘンドリックスの歌詞、カーメンの歌によるこの素晴らしいヴォーカル・アルバムを聴いたら、きっと大いに気に入ったのではないだろうか。(このアルバムは1988年1,2月に録音され、同年にリリースされているので、その年の11月30日に急死したニカ夫人が聴いた可能性はあるかもしれない。)