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2020/03/07

Play ”MONK"(2)

The Thelonious Monk
Orchestra at Town Hall
1959 Riverside
モンク作品をラージ・アンサンブルで演奏する、というコンセプトは魅力的だと思うが、それを最初に手掛けたのはモンク自身だった。1959年のRiverside時代に、当時ジュリアード音楽院の教授で大のモンク・ファンだったホール・オヴァートン Hall Overton (1920-72) との共同編曲で、モンクはビッグバンドのコンサート・ライヴ『The Thelonious Monk Orchestra At Town Hall』を録音し、さらに1963年にはコロムビアでもう一作同じくオヴァートンとライヴ・コンサート・アルバムを残している(Big Band and Quartet in Concert』)。いずれもテンテット(10人編成)で、モンクの過去のコンボ演奏のサウンドを、より大きな編成のバンドによる演奏で拡張するというコンセプトであり、自分の過去のレコード演奏をオヴァートンと綿密に分析しながら、最終アレンジメントを仕上げていったとされている。いわばある種の "Monk Plays Monk" である。モンクはその後のヨーロッパ・ツアー時にも同様の編成でコンサートを行なっているので、このアイデアとフォーマットにはモンク自身がずっと興味を持ち続けていたようだ。(詳細は本ブログ 2017年10月の「モンクを聴く#9: Big Band」をご参照)

モンクはソロが良いと昔から言われてきたのは、まず曲が難しいこともあるが、モンクの意図と彼がイメージしているサウンドを理解し、実際に演奏でそれを表現できる奏者が限られていたからだ。そのスモール・コンボではなかなか完全には表現し難い、複雑なリズムとハーモニー、内声部の動きを持つモンク作品のサウンドを、 ”ラージ・アンサンブル” によって表現するのは、アレンジャーにとってさらにハードルが高いはずだが、確かに非常に興味深いチャレンジではあるだろう。モンク本人でさえそう感じていたからこそ、何度も挑戦したわけだが、モンクが直接関与した編曲に基づく演奏すら当初酷評されたように、成功させるのは簡単ではない。そもそもモンクの音楽自体が当たり前の語法に則っていないし(それが魅力なわけでもあり)、小編成コンボでもサウンド的に満足していたわけではない曲を大編成バンドで拡張して表現するのは、前にもどこかで書いたが、大キャンバスにほぼ即興で抽象画を描くようなものなので、成功させるには並大抵ではない編曲能力とセンス、演奏能力が要求されるからだ。しかし難しいが、仮に成功したら、他の音楽や演奏では決して味わえない素晴らしく魅力的なジャズになる可能性もある。

以下に挙げるのは、これまでに私が探して聴いた「ラージ・アンサンブルによる全曲モンク作品」というレコードだが、もちろんド素人の私に演奏の優劣を判断する能力はないので、あくまで参考として個人的な印象を書いただけである。演奏の評価はプロの音楽家や、聴き手それぞれの視点や嗜好で判断すべきことだが、いずれにしろこの聴き比べは、モンク好きなら楽しめる作業であることは確かだ(ただ、モンク好きでビッグバンドも好き、あるいはビッグバンド好きでモンクも好き、という人がいるのかどうかはよく分からないが…)。それに、レコード(CDでもデータでも)の場合、大型スピーカーで大音量で鳴らせれば別だが、中型以下のスピーカーで聴くビッグバンドは正直言って魅力が半減する。どうしても、迫力に欠け、低域に比べて高音部がやかましく聞こえるからだ。ライヴで聴く優秀な大編成バンドのジャズ・サウンドは、一度聴くと病みつきになるくらい素晴らしいのだが……。

90年代ではまず、ドラマーで息子のT.S.モンク(1949-) がドン・シックラー Don Sickler(1944-)の編曲で、上記モンク録音を参考にしながら、父の生誕80周年に共同で発表した、10-12人編成のオールスターバンドによる父親へのトリビュート・アルバムMonk on Monk』(1997 N2K)がある。豪華オールスターに気を使いすぎたのか、どの曲も整然とアレンジされすぎていて、モンク的破綻(?)や意外性がなく、どこか物足りないという感は否めないが、古臭くはなく、かと言って新しさを狙った風でもなく、非常にオーソドックスなアレンジの演奏だ。しかし、なにしろヴァン・ゲルダ―による現代的なクリーンで厚みのある録音で、きっちりとアレンジされたモンクの名曲を、モンクをよく知る一流プレイヤーたちが次から次へと演奏するサウンドを聴いていると、これはこれで単純に気分が良く、私的にはとても楽めるレコードだ。(収録曲、メンバー詳細等は、2017年11月の本ブログ 「モンクを聴く#15:Tribute to Monk」 をご参照)

The Bill Holman Band
Brilliant Corners
The Music of Thelonious Monk
1997 JVC
同じ時期(1997年)に発表されたもう1枚が、JVCがプロデュースしたビル・ホルマンBill Holman(1927-)のバンドによる『Brilliant Corners:The Music of Thelonious Monk』だ。ホルマンは、スタン・ケントン直系の西海岸の伝統的アレンジャーで、能力とセンスは折り紙付きなのだろうが、モンクの音楽との相性がどうかと思っていた(60年代末に、モンク/オリヴァー・ネルソンというCBSでの残念な組み合わせの前例があるので)。結果は予想通りというべきか、確かに流麗、ゴージャス、モダンな演奏は素晴らしいのだが、洗練されすぎているためか、ごく普通のビッグバンドのサウンドのように聞こえ、モンクを全面に出してタイトルを謳うほどの個性的なモンク解釈が感じられないような気がする。だが、たぶんこれは好みの問題なのだろう。
* 収録曲は以下の10曲。
 Straight, No Chaser /Bemsha Swing /Thelonious /'Round Midnight /Bye-Ya /Misterioso /Friday the 13th /Rhythm-A-Ning /Ruby, My Dear /Brilliant Corners

Standard Time Vol.4
Marsalis Plays Monk

 1999 Sony
まったく知らなかったのだが、意外なことに、ウィントン・マルサリス Wynton Marsalis(1961-) がモンク作品をノネット編成で演奏した『Standard Time Vol.4: Marsalis Plays Monk』というレコードをリリースしている(1999 Sony ただし録音は93/94)。超有名曲をあえてはずした選曲になっているところが、ウィントンらしいと言えようか。予想されたことだが、印象としてはまさしくマルサリス的モンクで、まったく別の音楽(クラシック?)のように聞こえるところもある。何というか、熱さとか、ユーモアとか、ウィットとか、温かみとか、基本的にモンクの音楽の属性というべき要素がことごとく除去されて、全体が蒸留されたような、アクのないサウンドだ。ニューオリンズのように聞こえる部分もあって面白い工夫も見られるのだが、基本的には滑らかで上品、低刺激なモンクなので、大きく好みが分かれるだろう。とはいえ、これらの演奏から、マルサリス的解釈による作曲家モンクへの敬意というものが、素人の耳にもどことなく伝わって来ることも確かだ。
* 収録曲は以下の14曲。
Thelonious /Evidence /We See /Monk's Mood /Worry Later/Four in One /Reflections /In Walked Monk (Marsalis) /Hackensack /Let's Cool One /Brilliant Corners /Brake's Sake /Ugly Beauty /Green Chimneys

考えてみると、上記3枚のCDはいずれも1990年代の演奏と録音であり、アレンジャーも参加プレイヤーたちも、モンクと同時代を生きていたメンバーがほとんどだ。だから1950/60年代のモンクの天才と斬新さを記憶し、みんなが身体でそれを覚えているがゆえに、基本的にモンクのイメージをなぞるような正統的リスペクトになるのかもしれない。そう思って聴けば、これらはいずれも良くできた楽しめるレコードだろう。

それから20年近くを経て、ピアニストのジョン・ビーズリーJohn Beasley (1960-) がMONK’stra Vol.1』&『Vol.22016&2017 Mack Avenue)という2枚のアルバムを発表している(Vol.1 /9曲、Vol.2 /10曲)。モンクを大編成バンドで演奏すべく2013年に結成された「モンケストラ」は、基本15/16人編成のラージ・アンサンブルで、こちらはアレンジャーも若く、生きた時代も違うので、好き勝手とまでは言わないが、かしこまらないで、現代のリズムやグルーヴを大胆に取り入れたかなり遊びの精神が入った多彩なアレンジになっている。そもそもモンク自身がある意味ルール破りの達人だったわけで、こうした型破りな挑戦は、現在のアーティストがモンクをリスペクトする一つの方法でもあるだろう。しかし私的には、2作品ともに全体としてあれこれ奇を衒いすぎた感が強く(いじりすぎでうるさい)、あまり「ジャズ」的なグルーヴを感じさせないのが残念だ。それとビル・ホルマンもモンケストラもそうだが、いずれも西海岸のビッグバンドだ。これはあくまで個人的感覚にすぎないが、そのせいかサウンドがどことなく(オリヴァー・ネルソン盤ほどではないにしても)、モンクにしてはやや明るく、きらびやかすぎるように聞こえる。個人的には、モンクの音楽はやはり、ニューヨークの景色に似合った、しぶく艶消しのサウンドがよく似合うように思う。

The Monk; Live at Bimhuis
狭間美帆
2018 Universal
The Monk: Live at Bimhuis』(Universal) は、狭間美帆がオランダの ”メトロポール・オーケストラ” を指揮して、モンク作品全7曲を演奏した最新CDだ2017年10月(狭間が出演した「東京ジャズ」のすぐ後)にアムステルダムの「ビムハウス」で、モンク生誕100周年記念コンサートの一環としてライヴ収録された演奏で、7曲のうち<Round Midnight>、<Ruby My Dear>など4曲は、モンクの ”ソロピアノ” 演奏を元にして編曲したものだという。作曲家モンクの頭の中で ”鳴り響いていたはずの音” を、オーケストラのサウンドで表現するという試みであり、これはモンクがホール・オヴァートンと「タウンホール」コンサート向けに行なった編曲手法と同じだ。世界で唯一と言われるジャズ・フィルハーモニック・オーケストラによる斬新な演奏は、モンク的フレーバーを感じさせながら、何よりもカラフルな「現代のジャズ」を感じさせるところが素晴らしい。上記2枚の録音のLA的輝きよりも、サウンドにヨーロッパ的陰翳と、ある種の重さが感じられるところも私的には好みだ。単なるアレンジャーではなく、作曲家という狭間のバックグラウンドが、こうした斬新なアレンジと演奏を可能にしているのだろう。狭間美帆は2017年の「東京ジャズ」で自ら指揮し、素晴らしい演奏を聞かせてくれたデンマークラジオ・ビッグバンドの首席指揮者に2019年10月から就任しており、今後も益々活躍が楽しみな作曲家・アレンジャーだ。秋吉敏子に次いで、日本のジャズ界から世界で活躍するこうした才能が現れたことを非常に嬉しく思う。今年2020年5月の「東京ジャズ(プラス)」にも3年ぶりに出演するらしいので、今から楽しみにしている。
* 収録曲は以下の7曲。
Thelonious /Ruby My Dear /Friday The 13th /Hackensack /Round Midnight /Epistrophy /Crepuscule With Nellie

2017/11/02

モンクを聴く #15 : Tribute to Monk

MONK'stra Vol.1
John Beasley
(2017 Mack Avenue)
モンク作品を演奏した ”Play Monk” あるいは ”Tribute to Monk” 的レコードは昔からたくさんある。一つは単に楽曲(素材)として取り上げ、比較的有名なモンク作品を、いわゆるジャズ・スタンダードとして演奏した性格のものであり、もう一つはモンクの音楽、あるいは音楽家モンクに対する尊敬や思い入れを込めて、ミュージシャンが自身のモンク作品演奏を通して文字通りトリビュートしたレコードだ。後者としてはスティーヴ・レイシーの作品(1958) が有名だが、日本でもピアニスト八木正生(1932-91) が全曲モンク作品のアルバム『Masao Yagi Plays Thelonious Monk』を作っているし(1959)モンク全盛期にはジョニー・グリフィンとエディ・ロックジョー・デイヴィスが『Lookin’ at Monk!』(1961) を録音し、その後もランディ・ウェストン、チャーリー・ラウズといったモンクと親しかったミュージシャンがアルバムを作っている。だがこうしたモダン・ジャズ時代以降も、様々なジャズ・ミュージシャンがモンクの音楽の再解釈に挑んできた。今年はモンク生誕100年ということもあり、ジョン・ビーズリー John Beasley (1960 -) の「モンケストラ MONK'estra」がビッグバンドで斬新な試みに挑戦しており(残念ながら今週の「ブルーノート」でのライヴは聞き逃した)、日本でも山中千尋が全曲モンク作品ではないが『Monk Studies』(Universal) というトリオ・アルバムを発表している。しかも1950年代、60年代の多くの芸術家たちを魅了したように、汲めども尽きない謎と魅力があるモンクの音楽と、モンクという存在そのものがジャズ以外の音楽、さらには音楽以外の芸術分野のアーティストでさえ未だに触発し続けている。

Reflections
Steve Lacy Plays
Thelonious Monk
(1958 New Jazz)
第21章 p434
モンクを本格的に研究した最初のジャズ・ミュージシャンが、モダン・ジャズ時代におけるソプラノサックスのパイオニア、スティーヴ・レイシー Steve Lacy (1934-2004) で、その2作目のリーダー・アルバムが、全曲モンク作品に挑戦した『リフレクションズ Reflections: Steve Lacy Plays Thelonious Monk』(New Jazz, 195810月録音)だった。(ただし別項に記したように、フランスのテナー奏者バルネ・ウィランは1957年1月に、全曲ではないがモンク作品を6曲取り上げたアルバム『Tilt
を既に録音している。)ビバップではなく、シドニー・ベシェら、ディキシーランドやシカゴスタイルの古い音楽の影響をルーツとするレイシーが、次に向かったのがモンクに触発されていたセシル・テイラーであり、1957年夏にモンクが登場する半年以上前に、「ファイブ・スポット」にテイラー・ユニットのメンバーとして出演している。テイラーというフィルターを通してモンクを知るようにったレイシーが、他の奏者のような比較的分かりやすいモンク作品ばかり取り上げなかったのは当然だろう。同じくモンクの影響を受けていたマル・ウォルドロン(p)、セシル・テイラーと共演していたビュエル・ネイドリンガー(b)、当時新進のドラマーだったエルヴィン・ジョーンズ(ds)というカルテットがこのアルバムで取りあげたのは、タイトル曲<Reflections>の他、<Four in One>,<Hornin’ In>,<Bye-Ya>,<Let’s Call This>,<Ask Me Now>,<Skippy>という計7曲のモンク作品である。1957年のズート・シムズ(ts) による<Bye-Ya>以外は(当時は未発表だったバルネ・ウィランの<Let's Call This>もある)、それまでモンク以外誰も演奏したことがない曲ばかりだった。レイシーはモンク作品のメロディ、ハーモニー、リズムという構造を徹底的に研究することから始め、モンクが実際にはせいぜい20曲程度の常時レパートリーしかなかったのに対して、50曲以上のモンク作品をレパートリーにできるまで自身の中に吸収したと言われている。

レイシーのソプラノサックスは、モンクと同じく一度嵌ると病みつきになるほど個性的だが、そのメロディとサウンドもモンク同様に常に温かく美しい。モンクだけを演奏したレイシー初期のこのアルバムでは、まるで二人のサウンドが合体したかのように聞こえる。モンク・バラードの傑作で、レイシーがシンプルに淡々と吹くタイトル曲<Reflections>の懐かしさ漂うメロディは、シンプルゆえにいつまでも耳に残るほど印象的だ。モンクに傾倒していたレイシーが書き留めたと言われる有名な「モンク語録」も、これまでにも多くが知られ、また本書にもいくつか出て来るが、どれも実に興味深く、ジャズの神髄を捉えた言葉ばかりだ。レイシーがあるインタビューで述べた、「画家ユトリロがパリのモンマルトルを描いたように、モンクはニューヨークという街そのものを音楽で描いていたのだ」、という表現もまたモンクの音楽の本質の一部を捉えた名言だろう。そのレイシーが初めてモンク・クインテットのメンバーとして共演した、19606月からの16週におよぶ「ジャズ・ギャラリー」での貴重な長期ギグを、リバーサイドがまたしても録音しなかったのは返すがえすも悔やまれる。レイシーは60年代を通じて、ピアノレスというフォーマットでモンク作品の探求を続け、1963年にはラズウェル・ラッド(tb)、ヘンリー・グライムス(b)、 デニス・チャールズ(ds)というカルテットで、2作目となる全曲モンク作品のLP『School Days』(Emanem) をライヴ録音で残している(ただし発表されたのは12年後)。その後ヨーロッパ中心の活動を続けた後、1970年代にはパリに移住し、70年代半ばにはプロデューサー間章を仲立ちにして、富樫雅彦(ds)、吉沢元治(b)ら日本のミュージシャンとも共演している。その生涯を通じて、レイシーの音楽の根底にあったのは常にセロニアス・モンクだった。

A Portrait of Thelonious
(Orig.Rec.1961/
1965 Columbia)
第26章 p563
モンク作品を取り上げた中で別格とも言えるレコードが、バド・パウエル (1924-66) 196112月17日にパリで録音したピアノ・トリオ、『A Portrait of Thelonious』である。これはキャノンボール・アダレイがパリでプロデュースした音源で、実際には1965年になってコロムビアからリリースされている。パウエルがモンク作品を演奏したのは1944年のクーティ・ウィリアムズ楽団時代の<Round Midnight>の初録音、トリオでは1947Roostの<Off Minor>(モンクによるブルーノート録音より前である)、1954Verveの<Round Midnight>くらいしか思いつかない。二人は音楽的には師弟関係にあり、兄弟のように親しい間柄でもあり、モンクはパウエルに捧げた代表曲<In Walked Bud>も作曲している(1947年)。モンクの曲を演奏するのに、パウエル以上にふさわしいピアニストはいなかったと思うが、パウエルは意外にもモンクの曲をあまり録音していない(たぶん売れないという制作者側の商業的理由や、モンクの曲を演奏できるミュージシャンがいなかったからだろう)。このアルバムでモンクの曲を取り上げたいきさつはよくわからないが、同じ年1961年4月18日にモンクが7年ぶりにパリ公演を行なって大成功を収め、その時にパウエルとも再会しているので、おそらくそうしたことからモンク作品の案が出て来たのだろう。

アルバム全8曲のうちモンク作品は<Off Minor>,<Ruby, My Dear>,<Thelonious>,<Monk’s Mood>という4曲で、当時の現地レギュラーメンバー、ピエール・ミシュロ(b) とケニー・クラーク(ds) がサポートしており、録音も非常にクリアだ。他のレコードを含めてパリ時代に録音されたパウエルの演奏には、もちろん往年のような凄みや切れ味はないが、モンクがそうだったように、技術の巧拙を超えた晩年の天才にしか表現できない情感があり、当時のパウエルのモンクに対する温かな心情が伝わって来るようなこのレコードが私は昔から大好きだ。特にしみじみとした<Ruby, My Dear>は、この曲のあらゆる演奏の中で最も美しい解釈だと思うし、私はパウエルのこの演奏がいちばん気に入っている。アルバム・ジャケットを飾る抽象画とデザインは、ニカ男爵夫人によるもので、本書に描かれたこの3人の当時の関係を彷彿させる点でも、このレコードからは、単にモンクの曲をパウエルが演奏したということ以上の特別な何かを感じる。本書にも書かれているように、パウエルが亡くなる1年前の1965年、レナード・フェザーとのインタビューで、このレコードの<Ruby, My Dear>の感想を訊かれたモンクが「ノーコメントだ」と答えているのも、モンクの心の中に、言葉にできない当時のパウエルへの様々な思いが去来していたからだろうと思う。

Monk on Monk
T.S.Monk
(1997 N2K Encoded Music)
終章 p66
0
『モンクを聴く』シリーズ最後のアルバムは、人間セロニアス・モンクを最もよく知る男、息子でドラマーのトゥートことT.S.モンク(1949 -)が、父親の生誕80周年に自らプロデュースした『モンク・オン・モンク Monk on Monk』(N2K、1997年2月録音) である。1990年代当時の新旧の大物ミュージシャンが集結し、全曲モンク作品を取り上げた10-12人編成のアコースティック・ビッグバンドよるこのアルバムのモチーフになっているのは、言うまでもなく父親モンクの2回のビッグバンドのコンサートだ(彼は2回とも会場にいたという)。

曲目は以下の8曲で、ほとんどモンクの家族、親族、友人にちなんだ有名曲ばかりを選んでいる。
Little Rootie Tootie/ Crepuscule with Nellie/ Boo Boo’s Birthday/ Dear Ruby (=Ruby, My Dear)/ Two Timer (="Five Will Get You Ten" by Sonny Clark)/ Bright Mississippi/ Suddenly (=In Walked Bud)/ Ugly Beauty/ Jackie-ing

総勢20人を越える参加メンバーも豪華で、編曲したT.S.モンク(ds)、ドン・シックラー(tp)に加え、ホーンはウェイン・ショーター(sax)、グローバー・ワシントJr (ts)、ロイ・ハーグローヴ(fgh)、ウォレス・ルーニー(tp)、アルトゥール・サンドバル(tp) や、父親の旧友デヴィッド・アムラム(fh)、エディ・バート(tb)、クラーク・テリー(tp) などが参加し、各曲でそれぞれが素晴らしいソロを聞かせる。ベースはロン・カーター、デイヴ・ホランド、クリスチャン・マクブライドが、またピアノはハービー・ハンコック、デヴィッド・マシューズに加え、ジェリ・アレン、ダニーロ・ペレスというポスト・モンク世代を代表するピアニストが交代で担当している。そして2曲入ったヴォーカルは、『Underground』(1967) でジョン・ヘンドリックスが歌詞を付けて歌った<In Waked Budを、ダイアン・リーヴスとニーナ・フリーロンが見事なデュエットで聞かせ、モンクが詞を付けたいとずっと思っていた<Ruby, My Dear>をケヴィン・マホガニーが初めて歌詞 (by Sally Swisher) 付きの甘いバラードとして歌っている。モダン・ジャズの香りがまだ比較的残っていた90年代の感覚で、モンクの音楽をアコースティック・ビッグバンドとヴォーカルというフォーマットで多彩に解釈したこのアルバムは、オールスター・バンドにありがちな月並みな演奏ではなく、父親の音楽を内側から捉えていた息子による新鮮なアレンジメントと参加メンバーの素晴らしさで、どの曲も演奏も非常に楽しめる。父モンクの時代とは異なり、楽器の質感が伝わり、見通しも良いクリアな90年代的録音 (by ルディ・ヴァン・ゲルダー) も気持ちが良い。

House of Music
T.S.Monk Band
(1980 Atlantic)
第29章 p654, 終章 p660
T.S.モンクは1977年に立ち上げたR&BのT.S.モンク・バンドを率い、以来ミュージシャンとして活動する傍ら、1984年に早逝した妹バーバラ(ボーボー)・モンクの、亡き父親に改めて光を当てるという遺志を引き継ぎ、セロニアス・モンク財団および同ジャズ学院 (Thelonious Monk Institute of Jazz) を1986年に創設、運営し、次世代のジャズ・ミュージシャンを教育、支援する組織を初めて作るという、米国ジャズ史上画期的な仕事を成し遂げた人だ。『Monk on Monk』がリリースされた1998年にT.S.モンクが受けたインタビューの記事を読んだが、非常に興味深い。モンクに関する本は、当時存命だったネリー夫人が書かない以上、母親が亡くなるまでは手を付けないし、それまでは誰でも書くのは自由だが、モンク家として公認はしないと述べている。その後2002年にネリー夫人が亡くなったことで、ロビン・ケリー教授の本書(2009年出版)を初めてモンク財団として公認し、執筆にあたって資料提供なども協力したということのようだ。(オリン・キープニューズの息子がモンク伝記を書くという噂がずっとあったが、本書で書かれたモンクとキープニューズの関係を知ると、それは難しそうだったということはわかる。ただし真の理由は不明だが)。彼が最も影響を受けたドラマーは、常に身近にいてその下で修行もしたマックス・ローチ(1924-2007) よりも、むしろアート・ブレイキー(1919-90) だという。自らバンドを率いてきたこともあって、ブレイキーは単なるドラマーでなく、ジャズ・メッセンジャーズというバンドのリーダーとしてずっとチームを率いてきたからだ、というのがその理由だ。昔のジャズ・スターはみなそうした「バンド」から生まれて来たものだが(リー・モーガン、ウェイン・ショーター、80年代のウィントン・マルサリスもメッセンジャーズ出身だ)、現代のジャズ界からは若いミュージシャンを昔のように育て、支えて行くための基盤が失われている。モンク・ジャズ学院は彼らを育て、支援し、さらにセロニアス・モンク・国際コンペティションのような音楽イベントを通じて、才能ある無名の若手を世の中に送り出すマーケティング的機能と役目も果たしているのだという。自分は父親のような音楽上のパイオニアではなく、バンドや組織を統率するリーダーとしてジャズに関わっている、というのがこの当時の彼の認識だ。つまり、父モンクのジャズ界への重要な貢献の一つでもあった、サンファンヒルの小さなアパートメントに若いミュージシャンたちを集めて指導していた、あのジャズ私塾の精神を引き継いでいるのだ。彼は現在もこの方向に沿って、全米に拡大した広範な活動を続けている。T.S.モンクは、やはり両親の強い血筋と薫陶を感じさせる、強固なヴィジョンと意志を持った人物である。

2017/02/19

セロニアス・モンク生誕100年

リー・コニッツ(Lee Konitz 1926 -)と並んで、私の好きなもう一人のジャズ・ミュージシャンがセロニアス・モンク(Thelonious Monk 1917-1982)である。

今年2017年はモンク生誕100年にあたる。ということは、モンクが生きていれば100歳ということになり、日本流に言えば大正6年生まれで、日本の団塊世代の父親の世代の人だ。日本でもそうだが、この時代の父親(あるいは祖父)の世代には実業家でも芸術家でも、今では考えられないような破天荒な人生を送った人が多い。モンクも天才の例に漏れず奇人、変人というレッテルを貼られ、モダン・ジャズの源となったビバップに多大な音楽的貢献をしたにもかかわらず、チャーリー・パーカーとディジー・ガレスピーだけが脚光を浴び、その真価が長い間認められず苦労の多い人生を送った。モンクの音楽と人生はあまりに個性的、独創的であるがために、多くの謎と伝説に満ちており、これまでその「実像」はアメリカ国内でさえ正確に理解されていたとは言い難かった。そのセロニアス・モンクの実像を描くことに初めて挑戦したのが、ロビン・ケリー氏(Robin.D.G.Kelley UCLA教授 米国史)が2009年に発表した「Thelonious Monk: The Life and Times of an American Original」で、独創的ジャズ音楽家セロニアス・モンクの誕生から死に至る生涯と音楽を、著者が14年間にわたる緻密な調査と分析に基づいて描いたノンフィクションの物語である。2009年の初版以降、ジャズと米国黒人史の関係を密接に描き、モンクにまつわる数々の謎や伝説の背景を初めて明らかにした書籍としてアメリカでは大きな反響を呼び、また高い評価を得てきた。

https://www.amazon.co.jp/Thelonious-Monk-Times-American-Original/dp/1439190461
著者は19世紀奴隷制時代のモンクの曽祖父まで遡って物語を始め、人種差別問題を軸にした米国の社会・政治史をモンクの個人史と併行して描くことによって、人間モンクとその音楽世界だけでなく、背景にあった米国固有の社会との関連も探ろうとしている。そして、そこからモンクの音楽的独創性の根幹を明らかにしようと試み、またモンクがモダン・ジャズ形成史において果たした役割と貢献、さらに独創的な人物や天才だけが抱える人間的苦悩も同時にあぶり出そうとしている。1982年のモンク没後、レコードや音楽分析を主体にした評伝や、音楽家モンクの断面を切り取ったすぐれた評論やエッセイもいくつか書かれているが、本書は伝説や逸話の単なる寄せ集めではない、多面的、社会学的手法で「人間モンクの実像」を描くことに挑戦した初めての本格的伝記であり、同時にアフリカ系アメリカ人の著者による初のモンク伝記でもある。

本書中で描かれているモンクを巡るエピソードや批評は、これまでも大筋として語られてきた有名な逸話や言説も多いが、モンク家から録音テープなど新資料の提供をはじめとする特別な協力を得るとともに、著者自身が新たに多くのインタビューを実施し、そこから事実として確度の高い情報を選択して取り上げている。特に息子のセロニアス・ジュニア(T.S・モンク)、姪や甥といったモンク家親族からの直接情報は、これまで活字では語られていないものがほとんどだ。それによって個人としてのモンクの人格や魅力、精神の病、様々な行動の裏側にあった人間味など、奇人や偶像化された謎の音楽家としてではなく、ひとりの人間としてのモンクを従来にない緻密さで生々しく描いている。さらにモンクの友人、マネージャーのハリー・コロンビー、大パトロンだったニカ男爵夫人、プロデューサー、クラブオーナーたちとの交流など、モンクを愛し、モンクを支え続けた人たちのことも詳細に語られている。

本書の舞台は、主として今から半世紀以上前、20世紀半ばのアメリカのジャズ界だ。チャーリー・パーカーやマイルス・デイヴィスを中心とした従来のモダン・ジャズ正史とは別の角度から光を当てることで、モンクという人物を通してこれまで見えなかったジャズ史の影のような部分が初めて明らかにされ、ジャズの世界の奥行きと陰翳が改めて浮き彫りにされている。読んでいると当時のアメリカとニューヨークの原風景、ジャズ・ミュージシャンたちの生活をはじめ、そうした時代の情景と香りが漂ってくるようだ。特にモンクとコールマン・ホーキンズ、バド・パウエル、エルモ・ホープ、ディジー・ガレスピー、マイルス、ロリンズ、コルトレーン他の主要ミュージシャンたちとの音楽的、人間的交流が、「ファイブ・スポット」他のニューヨークのジャズクラブを中心にした演奏活動と共にリアルに描かれていて、録音されたレコードを中心に築かれてきた日本におけるジャズの風景とまったく違うことに今更ながら気づかされる。

英語で600ページに及ぶ大作となった本書は、個人的には「マイルス・デイヴィス自叙伝」に匹敵する面白さがあると思うが、著者が歴史学者ということもあって、マイルス本にあるハッタリやテンション(邦訳にもよるだろうが)、「リー・コニッツ」のようなジャズ演奏思想的な深みはないものの、基本的には真面目で誠実な人柄だったモンクの人間味と、同じく真面目な著者のモンクへの深い愛情が、行間から滲み出て来るような良書である。