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2017/06/08

リー・コニッツを聴く #4:Verve

Very Cool
1957 Verve
Tranquility
1957 Verve
50年代中期、Storyville時代の3作品は知性とエモーションのジャズ的バランスが見事で、私的にはコニッツの白眉だと思うが、Atlanticを経てさらにトリスターノの世界から解き放たれ、ジャズ的に寛容さが出て柔軟になっていった時代の演奏も、非常に心地良いジャズで私はこれも好きだ。Verveに移籍後初のアルバム「Very Cool」(1957)は、ドン・フェラーラ (tp) を加えた2管クインテット(サル・モスカ-p、ピーター・インド-b、シャドウ・ウィルソン-ds) による演奏で、ハードバップ的サウンドが強まるが、その中に依然コニッツ的クールさと斬新さが光る演奏だと思うし、それはまたコニッツの成熟と演奏家としての多様性の拡大とも言える。確かにテンションは往時に比べれば弱いが、その代りジャズ的リラクゼーションが増して上質な音楽として今聴いても古びず楽しめるアルバムだ。「Tranquility」(1957) はアルバム・タイトル(平穏)と脱力ジャケット写真が表している通り、ビリー・バウアーのギタートリオ(ヘンリー・グライムス-b, デイヴ・ベイリー-ds) をバックに、さらにリラックス度が増したコニッツが聞ける(このあたりで、おいおい大丈夫か…?と言いたくなるが)。

Meets Jimmy Guiffree
1959 Verve
You and Lee
1959 Verve
最初あまりピンと来なかったが、じっくり聴いてみるとなかなか楽しめる演奏だと思うようになったのが「Lee Konitz Meets Jimmy Guiffree」と「You and Lee」という1959年の2枚のアルバムだ。当時新進の若手奏者だったビル・エヴァンス(p)が前者の全曲、後者も4曲(残り4曲はジム・ホールのギター)参加している。ジミー・ジュフリーは映画「真夏の夜のジャズ」ではボブ・ブルックマイヤー、ジム・ホール と共にテナー・サックスで登場するが、当時は編曲者としてもモダンなジャズを手掛けていて、この後60年代初めには、ポール・ブレイ(p)、スティーヴ・スワロウ(b) と共にヨーロッパのフリー・インプロヴィゼーションに先駆ける内省的なフリー・ジャズの世界も追求していた。この2作品も当時としては非常にモダンなアレンジメントで、滑らかで、上品だが時にダンサブルとも言えるような演奏もあり、多彩な音楽を作りあげている。聴きなじむと、どの曲も高度だが実に気持ちのいい演奏で、ある種のノスタルジーも感じさせ、今の時代にイージー・リスニング的に聴くと非常にいい。コニッツはクロード・ソーンヒル楽団時代や、「クールの誕生」バンドなど、この種のアンサンブルは得意としてきた分野で、この頃は円熟の域に入りつつあって、どの演奏も余裕たっぷりで貫録さえ感じさせるほどだ。ビル・エヴァンスもまさに上昇期だったが、ここではソロをあまり取ることもなく、時々閃きを感じさせるフレッシュなバッキングでサポート役に徹している。全体的にハイレベルの演奏で、まさにあの時代の「スムース・ジャズ」とでも呼べるようなモダンで洗練されたアンサンブルである。

Motion
1961 Verve
1960年前後、オーネット・コールマンのような新世代フリー・ジャズ・ミュージシャンが台頭し、マイルスは「カインド・オブ・ブルー」でモードを手がけ、コルトレーンも「ジャイアント・ステップス」を経て徐々にフリーに向かっていく中、上記アルバムジャケットの変遷に見るように、益々リラックスした "ゆるい"(?)作品が増えていたVerve後半のコニッツは、おそらく「このままではいかん…」と危機感を募らせたのではないかと想像する(あくまで想像です)。そこで生まれたVerve時代最後の作品が、アルトサックス、ドラムス、ベースのピアノレス・トリオによる「モーション Motion(1961)である。このアルバムは間違いなく「Subconscious-Lee」と並ぶリー・コニッツの最高傑作だが、後者が師トリスターノの強い影響下にあった若い時期のものであるのに対し、「Motion」はコニッツがその後約10年間をかけて到達した自身の音楽の集大成とも言えるものだ。インプロヴィゼーションのための自由空間を制約するコード楽器との共演をコニッツは徐々に好まなくなり、60年代以降トリオやデュオでの演奏が増えて行くが、その方向を決定づけたのはこの「Motion」で得られた自信だろう。それくらいここでのコニッツは自信に満ち、豊かで伸びやかな演奏を展開している。「リー・コニッツ」で本人が述べているように、”知的でクール” と見られていたコニッツと、当時コルトレーンのグループにいた ”ホットでワイルド” なエルヴィン・ジョーンズ(ds)との初の組み合わせは、当時誰が見ても異質で意外なものだった。コルトレーンとの共演ぶりから相性面で不安を感じていたコニッツだったが、前日の夜「ヴィレッジ・ゲート」でコルトレーンとの激しいライヴ演奏をこなし、翌朝早くに録音現場に現れたエルヴィンの人柄と、予想外の驚くべき繊細さと絶妙なタイム感でリズムを繰り出すその演奏にすっかり感激したという。10年にわたり晩年のトリスターノの専属ベーシストだったソニー・ダラス(b)、エルヴィンともコニッツとも旧知で、そのベースワークは二人の間を取り持ちながら緊張感溢れる演奏を支えている。当日のこの3人の演奏技術と人間的コンビネーションが相まって、この傑作が生まれたのだろう。

収録全5曲ともスタンダードだが、コニッツの演奏から聞こえてくる原曲のメロディは、得意曲 <Foolin’ Myself> を除くとどれも希薄で、エルヴィンの繰り出すリズムに反応しながら冒頭からほぼ全編が緊迫した即興ラインの連続である。そこに聴ける創造力と音楽的テンションは、アルトサックスによるジャズ・インプロヴィゼーションの極致と言えるものだろう。ピアノのようなコード楽器のないことが、自由なインプロヴィゼーション空間を生み出すというコニッツの持論に頷かざるを得ないように、3つの楽器がそれぞれ独立したリズムとラインを刻みながら空間で見事に溶け合う、という最高度のジャズ的グルーヴを味あわせてくれる傑作だ。しかしながら、この久々の傑作を作ったにもかかわらず、この後60年代からのコニッツは、ジャズを取り巻く世界の変貌もあって、ジャズ・ミュージシャンとして最も厳しい時代を生きることになる。

2017/06/06

リー・コニッツを聴く #3:Atlantic

1950年代半ば以降の約10年間というのは文字通りモダン・ジャズ黄金期であり、特にその頂点と言えるのは50年代後期で、ハードバップ、ファンキー、モードなど、それぞれのスタイルや演奏コンセプトを持ったミュージシャンたちでまさに百花繚乱の時代だった。その間マイルス・デイヴィスはハードバップからモードへと舵を切り、セロニアス・モンクはようやく独自の音楽の認証を得て脚光を浴び始め、ジョン・コルトレーンはシーツ・オブ・サウンドの開発を始め、オーネット・コールマンは新たなフリー・ジャズを提案し、アート・ブレイキーはジャズ・メッセンジャーズでさらに大衆にアピールし…という具合に、誰もが新たなジャズの創造と、果実を手に入れることを目指して活発に活動していた時代だった。またモンクを除けば、当時のリーダーたちはみな30歳前後で、創造力も活力も溢れていた。そのジャズ全盛期にリー・コニッツはどうしていたのだろうか?

Lee Konitz with Warne Marsh
1955 Atlantic
自身の哲学に忠実で常にブレないコニッツは、その間も独自の道をひたすら歩んでいた。短かったStoryville時代を経て、コニッツはついにメジャー・レーベルであるAtlanticと契約する。その最初のアルバムが「リー・コニッツ・ウィズ・ウォーン・マーシュ Lee Konitz with Warne Marsh」(1955)だ。このアルバムは、コニッツにとって最も有名な録音の1枚だが、メンバーがウォーン・マーシュ(ts)、サル・モスカ(p)、ロニー・ボール(p)、ビリー・バウアー(g)、というトリスターノ派に加え、オスカー・ペティフォード(b)、ケニー・クラーク(ds) というバップ系の黒人リズム・セクションが参加したセクステットであるところが、それまでのコニッツのリーダー・アルバムとは異なる。コニッツのアルト、マーシュのテナーによる対位法を基調とした高度なユニゾンは、トリスターノのグループ発足後約7年を経ており、テナーの高域を多用するマーシュと、アルトをテナーのように吹くコニッツとの双子のような音楽的コンビネーションは既に完成の域に達していたはずで、ここでも全体に破綻のない見事な演奏を聴くことができる。しかしペティフォード、クラークという強力なリズム・セクションの参加が、トリスターノ派とは異なる肌合いを与えているせいなのか、当時の他のコニッツのワン・ホーン・アルバムに比べると、バランスはいいのだがどこか独特のシャープネスや閃きのようなものが欠けていて「重い」、という印象を以前から個人的に抱いていた。アンディ・ハミルトンの「Lee Konitz」を読むと、当時常用していたマリファナの影響で、リーダー録音であったにもかかわらず、実は録音当日の体調が思わしくなく、本人もこの録音における自分の演奏には満足しておらず、特にマーシュとの一体感に問題があったとコメントしている。自己評価が非常に厳しい人なので割り引いて考える必要もあるが、確かに名盤だが、何となく50年代の他のアルバムと違う印象を持った理由がわかった気がした。とは言え、飛翔しつつあったコニッツ、マーシュという、この時代のトリスターノ派の最盛期の共演を代表するアルバムであることは確かだ。

Lee Konitz Inside Hi-Fi
1956 Atlantic
その後コニッツは1956年に「Lee Konitz Inside Hi-Fi」、「Worthwhile Konitz」、さらに「Real Lee Konitz」という3枚のLPAtlanticに吹き込む。(正確に言えば、「Worhwhile Konitz」はAtlantic本社に残された未発表音源を日本のワーナー・パイオニアが1972年に編集したLPが原盤である。)「Inside Hi-Fi」はサル・モスカ(p)、ビリー・バウアー(g)、ピーター・インド/アーノルド・フィシュキン(b)、ディック・スコット(ds)とのカルテットによる1956年の別々のセッションを収めたもので、コニッツはそこでテナーも吹いている。その時サル・モスカが参加した録音の残りのセッションと、同年のジミー・ロウルズ(p)、リロイ・ヴィネガー(b)、シェリー・マン(ds)という、珍しい西海岸のプレイヤーと有名曲を演奏したLA録音を組み合わせたのが日本編集の「Worthwhile」である。

Real Lee Konitz
1957 Atlantic
Real Lee Konitz」は1957年2月のピッツバーグでのクラブ・ライヴを、ベース奏者で録音技師でもあったピーター・インドが録音し、それをコニッツが後でテープ編集して仕上げたといういわくつきのレコードだが、完成した演奏は素晴らしい(ビリー・バウアー-g、ディック・スコット-ds、一部ドン・フェラーラ-tp)。テープ編集は今どきは当たり前に行なわれている録音方法だが、当時なぜコニッツがこの手法を取り入れたのかは調べたが不明だ。それ以前からテープ編集が得意だった師匠レニー・トリスターノの影響だったのかもしれない。”Real" の意味を考えたくなるが、これがAtlantic 最後の作品となった。


Worthwhile Konitz
1956 Warner Pioneer(LP)
他の2枚のLPは今でもCDで入手可能だが、日本編集盤のLP「Worthwhile Konitz」は単体ではCDリリースされておらず、唯一これら3枚のAtlanticLP音源をまとめた2枚組コンピレーションCDで、私が保有しているThe Complete 1956 Quartets」(American Jazz Classics)でのみ聴けるが、このCDは今は入手困難のようだ(ただしMozaicのコンプリート版には収録されているだろう)。Atlantic時代は、言うまでもなくStoryvilleに続くコニッツの絶頂期であり、これらのアルバムにおける演奏はどれも高い水準を保ち、当時のコニッツの音世界が楽しめる。選曲もポピュラー曲が増え、アブストラクトさもさらに薄まり、一言で言えば聴きやすくわかりやすい演奏に変貌していることが明らかだ。

2017/06/02

リー・コニッツを聴く #1:1950年代初期

私は前記レニー・トリスターノのLP「鬼才トリスターノ」B面のリラックスしたライヴ録音を通じて、初めてリー・コニッツ Lee Konitz (1927-) を知り、その後コニッツのレコードを聴くようになった。だが最初に買ったコニッツのレコード「サブコンシャス・リー Subconscious-Lee(Prestige) は、トリスターノのA面と同じく、当時(1970年代)の私には、リズムも、音の連なりも、それまで聴いていたジャズとまったく違う不思議な印象で、最初はまるでピンと来なかった。それもそのはずで、「鬼才トリスターノ」B面のコニッツの演奏は1955年当時のもので、師の元を離れて3年後、既に自らのスタイルを確立しつつある時期の演奏であり、一方「サブコンシャス・リー」はその5年も前の1949/50年の録音で、まだトリスターノの下で「修行中」のコニッツの演奏が収録されたものだったからだ。

Subconscious-Lee
1949/50 Prestige
1940年代後半は、全盛だったビバップの気ぜわしい細切れコードチェンジとアドリブ、派手な喧騒に限界を感じたり、誰も彼もがパーカーやバド・パウエルの物真似のようになった状況に飽き足らなかったミュージシャンが、それぞれ次なるジャズを模索していた時代だった。マイルス・デイヴィス、ジェリー・マリガンやレニー・トリスターノもその中心にいたが、3人ともビバップの反動から、より構造を持ち、エモーションを抑えた、知的な音楽を指向していた。当時リー・コニッツもマイルス、マリガンと「クールの誕生」セッションに参加するなど、彼ら3人と密接に関わりつつ、レスター・ヤングとチャーリー・パーカーという巨人2人から継承したものを消化して、自らの音楽を創り出そうと修練している時期だった。Prestigeのボブ・ワインストックがリー・コニッツのリーダー・アルバムを作る提案をしたが、当初予定していたトニー・フラッセラ(tp) との共演話が流れ、結果としてコニッツがトリスターノやシェリー・マン(ds)に声をかけ、師匠とビリー・バウアー(g)、ウォーン・マーシュ(ts)等トリスターノ・スクールのメンバーも参加して、1949/1950年にSPで何度かに分散して吹き込まれた録音を集めたのがアルバム「Subconscious-Lee」である。またこれはPrestigeレーベルの最初のレコードとなった。そういうわけで当初はトリスターノのリーダー名で発表されたようだが、後年コニッツ名義に書き換えられたという話だ。

1950年前後に録音された他のジャズ・レコードを聴くと、このアルバムの演奏が、ビバップに慣れた当時の聴衆の耳に如何に新しく(奇異に)響いたかが想像できる。ここでのトリスターノ、コニッツとそのグループのサウンドと演奏は、今の耳で聴いてもまさに流麗で、スリリングで、かつ斬新だ。アルバム・タイトル曲で、コニッツが作曲した複雑なラインを持つ<Subconscious-Lee>は、今ではコニッツのテーマ曲であり、かつジャズ・スタンダードの1曲にもなっている。また得意としたユニゾンとシャープな高速インプロヴィゼーションのみならず、<Judy>や<Retrospection>のようなバラード演奏における陰翳に満ちたトリスターノのピアノも美しい。トリスターノ派の演奏は、その時代なかなか理解されず、難解だ、非商業的だ、ジャズではない等々ずっと言われ続けていたが、まさにアブストラクトなこれらの演奏を聴くとそれも当然かと思う。1950年という時代には、彼らの感覚が時代の先を行き過ぎているのだ。当時20代初めだったイマジネーション溢れるコニッツは、ここでは疑いなく天才である。彼の若さ、SPレコードを前提にした1曲わずか3分間という時間的制約、そしてトリスターノ派の即興に対する思想と音楽的鍛錬が、このような集中力と閃きを奇跡的に生んだのだろう。個人的感想を言えば、トリスターノとコニッツは、このアルバムで彼らの理想とするジャズを極めてしまったのではないか、という気さえする。

Conception
1949/50 Prestige
同時期1949年から51年にかけての録音を集めたPrestigeのコニッツ2枚目のアルバムが「コンセプション Conception」だ。オムニバスだが単なる寄せ集めというわけではなく、当時一般に ”クール・ジャズ” と呼ばれ、ビバップの次なるジャズを標榜して登場し、その後のハードバップにつながる、ある種の音楽的思想を持ったジャズを目指したプレイヤーの演奏を集めたものだ。リー・コニッツが6曲、マイルス・デイヴィスが2曲、スタン・ゲッツが2曲、ジェリー・マリガンが2曲、とそれぞれがリーダーのグループで演奏している。当時コニッツのサウンドを評価していたマイルスは「クールの誕生」でも共作・共演しており、コニッツ名義のこのレコーディングにマイルスも参加したもので、コニッツとマイルス唯一のコンボでの共演作だ。ジョージ・ラッセルが斬新な2曲を提供していて、名曲<Ezz-Thetic>はこれが初演である。コニッツはまだトリスターノの強い影響下にある時代で、師匠はいないがスクールのメンバーだったサル・モスカ (p)、ビリー・バウアー (g)、アーノルド・フィシュキン (ds) もここに参加している。サル・モスカなどトリスターノそのもののようだし、初期の独特の硬質感と透明感を持つ、シャープかつ流れるようななコニッツのアルト・サウンドも素晴らしい。マイルスの参加で、トリスターノ色が若干薄まってはいるが、それでもコニッツ・グループの6曲の演奏を聞いた後では、マイルス、ゲッツ、マリガンの他のグループの演奏が今となっては実に「普通のジャズ」に聞こえる(主流という意味)。こうして並べて聞くと、コニッツたちが「クール」という一緒くたの呼び名を嫌った理由もわかるが、しかし当時(昭和25年である)はここに収められたどのグループの演奏も非常に「モダン」であったはずで、コニッツがいささか(当時のジャズを)突き抜けた存在だったということだろう。どの演奏もとても良いので、そういう歴史的な視点も入れて聞くとより楽しめるアルバムだ。

Konitz Meets Mulligan
1953 Pacific Jaz
z
リー・コニッツとジェリー・マリガンGerry Mulligan (1927-96) は、ギル・エヴァンスと同じくコニッツが1947年にクロード・ソーヒル楽団に入ったとき以来の付き合いだ。マイルス・デイヴィスの「クールの誕生」バンドでの共同作業を経て、コニッツがスタン・ケントン楽団に入団してからも、マリガンは楽団へのアレンジメント楽曲の提供と共演を通じてコニッツと親しく交流していた。1953年、ケントン楽団在籍中のコニッツに、既にLA在住だったマリガンが、当時チェット・ベイカーChet Bakerと一緒に出演していたクラブ「Haig」へ出演しないかと声を掛け、3人を中心にしたピアノレス・コンボの活動を始めた。「コニッツ・ミーツ・マリガンKonitz Meets Mulligan」(1953 Pacific Jazz)は、この時の「Haig」でのライヴ演奏をPacific Jazzのリチャード・ボックとマリガンが録音したものに、他のスタジオ録音を加えてリリースされたものだ。3人の他にマリガンのレギュラー・リズム・セクションだったカーソン・スミス(b)、ラリー・バンカー(ds) が加わったクインテットによる演奏である。

コニッツはその前年にトリスターノの元を離れ、それまでとまったく肌合いの異なるコマーシャル・ビッグバンド、それも重量級のケントン楽団のサックス・セクションに所属していた。そこで強烈なブラス・セクションの音量と拮抗するという経験を経て、それまでの透明でシャープだが線の細い、コニッツ固有のアルトサックスの音色に力強さと豊かさを加えつつあった。トリスターノ伝来のインプロヴィゼーション技術に、ビル・ラッソらによるケントン楽団のモダンで大衆的なアレンジメントの演奏経験が加わり、さらにそこに力強さが加味されたわけで、そのサウンドの浸透力は一層高まっていた。このアルバムに聴ける、マリガンもベイカーの存在もかすむような、まさに自信に満ち溢れた切れ味鋭い、縦横無尽とも言うべきコニッツのソロは素晴らしいの一言だ。中でも <Too Marvelous for Words> と<Lover Man>における流麗でクールなソロは、コニッツのインプロヴィゼーション畢生の名演と言われている。またコニッツ生涯の愛奏曲となる <All the Things You Are>も、ここではおそらく最高度とも言える素晴らしい演奏だ。「Subconscious-Lee」の独創と瑞々しさに、その後につながる飛翔寸前の力強さが加わったのが、このアルバムでのコニッツと言えるだろう。この後50年代半ばまでコニッツは絶頂期とも言える時期を迎え、ジャズ誌のアルトサックス部門のポール・ウィナーをチャーリー・パーカーと争うまでに人気も高まり、初の自身のバンドを率い(Storyville時代)、さらにAtlanticというメジャー・レーベル時代に入ることになる。