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2017/08/10

ジャズ映画を見る (2)

一般的にジャズ映画と呼ばれている中で一番多いのは、ジャズ・ミュージシャン本人を描いた伝記的映画だ。「グレン・ミラー物語」(1954や「ベニー・グッドマン物語」(1956など白人ビッグバンドのリーダーを描いた映画が古くからあって、私も昔テレビで見た程度だが、いかにも往時のハリウッド的な作りの映画だった記憶がある。我々の世代だと、一番記憶に残っているのは、やはり1980年代の「ラウンド・ミッドナイトRound Midnight」(1986年)と、「バードBird」(1988年)だろうか。(しかし、これらの映画も既に30年も前の作品だと思うと、つくづく時の流れを感じる。当時の日本はバブル真只中で、一方でアメリカはまだIT革命前の不況に喘いでいた時代だった。)

「ラウンド・ミッドナイト」は、フランス人のベルトラン・タヴェルニエ (1941-) が監督・脚本、ハービー・ハンコック (1940-) が音楽を担当した米仏合作映画である。基本はピアニスト、バド・パウエル  (1924-66) がパリに移住していた時代 (1959-64) に、パトロンとしてパウエルを支え続けたフランス人、フランシス・ポードラ (1935-97) が書いた評伝 “Dance of The Infidels”(異教徒の踊り)で描かれたパウエルの物語だが、そこにテナーサックスのレスター・ヤング (1909-59) の生涯の逸話もミックスしている。この二人のジャズの巨人をモデルにした主人公、テナー奏者デイル・ターナー役を、パウエルと同時期にパリに住み、共演もしていたデクスター・ゴードン (1923-90) が演じている。ハンコック(p)とボビー・ハッチャーソン(vib)も実際に役を演じ、またフレディ・ハバード(tp)、ウェイン・ショーター(ts)、ロン・カーター(b)、ビリー・ヒギンズ(ds)、トニー・ウィリアムズ(ds)、ジョン・マクラフリン(g)、さらにチェット・ベイカー(tp)など、当時の錚々たる現役ジャズ・ミュージシャンたちが、ジャズクラブの演奏シーンに登場している。そしてもちろん、映画のタイトル「ラウンド・ミッドナイト」によって、この曲の作曲者であるもう一人のジャズの巨人で、パウエルを兄のように支え続けたセロニアス・モンクへのオマージュも表現している。フランス人監督が、落ちぶれた晩年のジャズの巨人を1960年前後のパリを舞台に描いた世界なので、ジャズ映画とはいえ、映像、演出ともに陰翳の濃い映画全体のトーンはやはりフランス映画的で、ほの暗く、しっとりしていて、アメリカ映画的な乾いた単純明快な描き方ではない。パリ時代のバド・パウエルは様々に語られてきたが、実際はこの映画で描かれた以上に悲惨な状態だったのだろう。しかし、その時代にパウエルが残したどのレコードからも、演奏技術の衰え云々を超えて、天才にしか表現できない味わいと寂寥感が伝わって来る。この映画で描かれているのも、まさに沈みゆく夕陽のような晩年の天才の最後の日々だ。主演のデクスター・ゴードンは、この映画での枯れた演技を高く評価されたが(地のままだという説もあるが)、ハッチャーソンやハンコックも含めて、即興で生きるジャズメンというのは、やはり演技力もたいしたものだと思う。なおデイル・ターナーが娘チャンに捧げた印象的なメロディを持つ曲は、ハンコックがこの映画のために書いた ”Chan’s Song (Never Sad)” という曲である。映画オープニングのモンクの曲 ”Round Midnight” と同じく、ミュート・トランペットのような音でこの曲がエンディングで流れるが、これは両方ともボビー・マクファーリンによる高音スキャット・ヴォーカルなのだそうである。この曲は今やジャズ・スタンダードになっていて、私が好きなのは、マイケル・ブレッカー(ts)のアルバム  ”Nearness of You:The Ballad Book” (2001 Verve) 冒頭の演奏で、ハンコック自身のピアノの他、パット・メセニー(g)、チャーリー・ヘイデン(b)、ジャック・デジョネット(ds)が参加している。この演奏は美しくまた素晴らしい。

映画「バード」は、言うまでもなく天才アルトサックス奏者チャーリー・パーカー (1920-55) の生涯を描いたもので、製作・監督は筋金入りのジャズファンであるクリント・イーストウッドだ。1930年サンフランシスコ生まれのイーストウッドは、少年時代に西海岸にやって来たパーカーの演奏を実際に聴いている。映画中の演奏シーンでは、パーカーの録音から、パーカーのソロ部分だけを抜き出し、その音(ライン)に合わせて、レッド・ロドニー(tp. 1927-94. 実際にパーカーと共演し、映画でも 南部ツアー時の “アルビノ・レッド” として描かれている)、チャールズ・マクファーソン(as)、ウォルター・デイヴィス・ジュニア (p)、ロン・カーター(b)などが実際に演奏した音楽を使うという凝りようである。したがってパーカーの演奏シーンの音楽はもちろん素晴らしい。物語はパーカーの少年時代からの多くの逸話や、相棒だったディジー・ガレスピー (1917-93) との交流も出て来るが、ほとんどはドラッグによって破滅に向かう天才パーカーの苦悩と、それを支えるチャン・パーカー夫人 (1925-99) との夫婦の情愛を描いたもので、映画は当時存命だった彼女の監修も経て制作している。パーカー役のフォレスト・ウィテカーは、演技はともかく、外見(顔や体型や仕草)がパーカーの私的イメージと違い過ぎて、正直どうもピンと来ない。鶴瓶に似ているとかいう話もあったが、実際のパーカーは、もっと凄みもあって(鶴瓶にもあるが)、もっとカッコ良かったんじゃなかろうか、と思う(ジャズに限らないが、いつの時代も人気の出るカリスマ的ミュージシャンは、何と言ってもカッコ良さが大事なはずなので)。それと、チャン夫人の回想が中心になっているためだと思うが、映画全体のムードと流れが暗く、重苦しい。パーカーがドラッグまみれだったのは確かだろうが、本当はもっとあっただろう、ジャズとパーカーの音楽の持つ明るく陽気な部分があまり描かれていないのが残念なところだ(印象に残ったのは、ユダヤ式結婚式のシーンくらいだ)。クリント・イーストウッドのジャズへの愛情の深さは伝わって来るものの、一方で彼の基本的ジャズ観が表れているのかもしれない。

同時期のもう一作は、スパイク・リー (1957-)監督・制作の「モ・ベター・ブルースMo’Better Blues(1990)で、実在のモデルはいないが、1960年代後半にニューヨーク・ブルックリンで生まれたジャズ・トランペッターとその仲間たちの音楽、友情、恋愛、挫折を描いた映画である。フランス人、白人アメリカ人による重厚な上記2本の映画とは違って、もっと若い(当時30歳代初め)アフリカ系アメリカ人の監督が、ジャズとミュージシャンたちをテンポ良く、比較的軽く明るく描いた作品だ(制作費も安かったらしい)。当時スパイク・リーが、クリント・イーストウッドの「バード」に刺激されて制作したという話もあって、リー監督本人も、主人公デンゼル・ワシントンの幼なじみの小男マネージャー役(ジャイアントというあだ名)で、準主役的に登場してコミカルな演技を披露している(田代まさし、みたいだが)。当時まだ30歳台の主役デンゼル・ワシントン (1954-) は実にセクシーでカッコ良く、ジョン・コルトレーンの風貌と、ソニー・ロリンズの外見を足して2で割ったような雰囲気があるし、特にトランペットの演奏シーンでの男っぽい立ち姿は若き日のロリンズのようで本当にサマになっている。音楽も、リー監督とほぼ同世代のブランフォード・マルサリス(sax)、テレンス・ブランチャード(tp)といった一流ミュージシャンが制作に関わっているので演奏シーンでは本格的なジャズが聞ける。クラブにジャズを聴きに来るのは今や(1980年代)日本人とドイツ人ばかりで、黒人はまったく来ないと主人公が嘆くセリフとか、ピアニストの面倒をあれこれと見るフランス人女性のパトロンがフランス語でまくしたてたり、ミンガスの自伝タイトルから取ったジャズクラブ名(Beneath the Underdog)が出て来たり、パーカーやコルトレーンのレコードを偏愛する姿、さらに後半からは疾走するコルトレーンの「至上の愛」をバックに物語が進み、最後に主人公がやっと結婚して、生まれた子供の名前をマイルスにするというオチもあって、ジャズへのオマージュが全編に溢れている。カラフルなエンドロールのバックに流れるジャズ讃歌のような(たぶん)ラップも非常に楽しい。話としては単純だが何よりテンポが軽快なこともあって、同時代の3本の映画の中で、私的に一番ジャズを感じさせたのはこの「モ・ベター・ブルース」だった(もちろん人それぞれの好みによると思うが)。やはり各監督の資質、ジャズ観に加え、過去を振り返るのと、今 (1980年代当時) を描こうとする作り手の姿勢が、映画全体の印象と関係しているのだろう。 

この他、ジャズを取り上げた最近の洋画は、今年封切り時に映画館で見た「ラ・ラ・ランド」で、この映画についてはブログの別の記事で書いている。同じ監督の「セッション」や、一時引退時のマイルス・デイヴィスを描いた「マイルス・アヘッド」(2016)、チェット・ベイカーを描いた「ボーン・トゥー・ビー・ブルー」(2015) などはまだ見ていないが、いずれ機会があれば見てみたいと思う。ミュージシャンの伝記系以外の映画なら、日本でも上野樹里の「スウィング・ガールズ」(2004) があったし、先日テレビでは筒井康隆原作の「ジャズ大名」(1986)をやっていたが、時代劇とジャズという奇想天外な組み合わせ、お遊びたっぷりの演出で非常に面白かった。タモリや山下洋輔まで出演していたのでびっくりした(知らなかった)。こういうジャズを題材に取り上げた映画は、漫画「坂道のアポロン」もついに映画化されるように、すぐれた作者がいて、良いテーマがあれば、これからも作られてゆくだろう。

2017/03/25

映画「ラ・ラ・ランド」にモンクが・・・

Straight No Chaser
1966/67 CBS
映画は最近ほとんど見ていないし、そもそもミュージカルもあまり興味はないのだが、観に行った妻の「モンクが出てたわよ・・・」という一言で、久々に重い腰を上げて評判の映画「ラ・ラ・ランド La La Land」を観に映画館まで出かけた。正確にはモンクが出ていたわけではなく、映画の冒頭でジャズ・ピアニストを目指す主人公(ライアン・ゴズリング)が、レコード(LP)に合わせてピアノを練習しているシーンが出て来るのだが、その曲というのがセロニアス・モンクが弾く〈荒城の月〉だったのだ。1966年のモンク2度目の日本ツアーで、日本人の誰かが教えた滝廉太郎のこの曲(*)の持つマイナーな曲想をモンクが気に入り、日本公演で披露したところ大受けし、帰国後のニューポート・ジャズ・フェスティバルで初演し、そこでも喝采を浴びたので、その後モンク・カルテットのレパートリーに加えたという話がロビン・ケリーの「Thelonious Monk」に出て来る。(当時のモンクは曲作りに苦労するようになっていて、新曲がなかなか書けなかったことも背景にある。)

(*追記4/7: 先日Webを見ていたら、ANAの広報ページ<Sky Web 2007年>のインタビューで、1966年のモンク来日時に写真を撮っていた「新宿DUG」のオーナー中平穂積氏が、お礼としてモンクにあげたオルゴールの曲が「荒城の月」だったと語っている。この演奏アイデアの源は中平氏のオルゴールだったようだ。ニューポートで初演したときに中平氏は現地にいて感激して泣いた、という話もしている。)

その後、この曲はモンクのアルバム「ストレート・ノー・チェイサーStraight, No Chaser」(CBS 1966/67)に〈Japanese Folk Song〉という(大雑把な)曲名で収録されているので、主人公が聞いていたのはたぶんこのレコードだろう。妻がなぜモンクの演奏だと気づいたかというと、家で私がずっとかけていたモンクの音源の中にこの〈荒城の月〉があり、妻もそれを何度も耳にしていて覚えてしまったからだ。このアルバムは、モンクの有名なブルースであるアルバム・タイトル曲や、冒頭のいかにもモンク的な〈ロコモーティヴ〉、デューク・エリントンのバラードをチャーリー・ラウズ(ts)が美しく演奏した〈I Didn’t Know About You〉、モンクのピアノ・ソロによる賛美歌など、全体として非常にリラックスした演奏が楽しめるレコードだ。監督のデミアン・チャゼルが、なぜその場面で「モンクの荒城の月」をあえて選んだのか、その意味や意図は不明だ(日本の観客に受けると思ったのだろうか?)。

A Celebration of
Hoagy Carmichael
1982 Concord
 
同じく映画の最初のところで、主人公のアパートを訪ねた姉が椅子に座っていると、帰宅した主人公が「その椅子は(ホーギー)カーマイケルが座った貴重な椅子なんだから・・・」と言って、姉から椅子を取り上げるシーンがある。たぶんカーマイケルが何者なのか知らない人がほとんどだと思うが、Hoagy Carmichael1899年生まれの白人のジャズ・ピアニスト、歌手で(デューク・エリントンと同じ生年)、ビックス・バイダーベック(白人でクール・ジャズの始祖と言われている)、ルイ・アームストロングなどと共演したが、何より作曲家として有名な人だ。〈Stardust〉,〈Georgia On My Mind〉,Slylark〉など、どことなく哀愁のある数々の名曲を作曲しており、これらはジャズ・スタンダードとして、白人、黒人を問わず多くのミュージシャンに取り上げられている。私は彼のレコードそのものは持っていないのだが、その名曲をデイヴ・マッケンナDave Mckennaという白人ピアニスト(ソロピアノの名人)が、ピアノソロでライヴ録音したレコードは持っている。それがConcordレーベルの「Celebration of Hoagy Chamichael」(1982)というレコードである。

このレコードは私の愛聴盤でもあり、マッケンナがとにかくゆったりと、次々に奏でるカーマイケルの名曲は、目の前で演奏されているような臨場感のある録音の生々しさもあって、1人でじっくり聴いていると本当にリラックスして聴き入ってしまう素晴らしいレコードだ。その中でも特に好きな曲は、1938年作曲の〈ザ・ニアネス・オブ・ユーThe Nearness Of You〉で、ネド・ワシントンによる歌詞を含めて原曲はいかにもアメリカを感じさせる甘いバラードだが、枯れた風情のマッケンナのピアノが実にしみじみとして味わい深いのだ。マイケル・ブレッカーの文字通りの「ニアネス・オブ・ユー」(2001 Verve)というアルバムで、ジェイムズ・テイラーがこれも味のある歌を聞かせるヴォーカル・バージョンもあり、他にもノラ・ジョーンズやダイアナ・クラールもカバーしている。映画「ラ・ラ・ランド」中のオリジナル曲は、冒頭の〈Another Day of Sun〉 や、主演女優エマ・ストーンがシャンソン風に歌う〈Audition(夢追い人)〉など、全体として優れた楽曲が多いとは思うが、主役の2人を結ぶロマンスの鍵となる肝心のソロ・ピアノ〈Mia & Sebastian’s Themeという曲らしい〉が、ジャズでもなければクラシックでもないような中途半端な曲で、これだけは「何だかなあ・・・」と思った。私なら、ここにマッケンナがソロで演奏する〈ザ・ニアネス・オブ・ユー〉をかぶせるのになあ、とつくづく思った。こちらは正真正銘のジャズ・ピアノであり、しかもアメリカ的ロマンチシズムに溢れる美曲だからだ。(映画を見た人は、騙されたと思って、ぜひこのレコードのこの曲を一度聴いて比較してみてください。)

映画<La La Land>
Soundtrack
ハリウッドで作り、しかもロサンジェルスを舞台にしたミュージカル映画なので、「ジャズ」がモチーフになってはいても、その扱いが浅く、全体として「白人が作りました感」は否めない。しかし私には、(そんなもんだと思っているので)そこは別に気にならない。「ラウンド・ミドナイト」も「バード」も見たが、何せ映画でジャズをテーマにして描くのは難しいのだ。ジャズの演奏をうまく使った古いフランス映画(「死刑台のエレベーター」とか「危険な関係」)もあるが、最高の「ジャズ映画」と言えばやはり「真夏の夜のジャズ」(1958)と、セロニアス・モンクの「ストレート・ノー・チェイサー」(1988)という2つのドキュメンタリー映画だろう。とはいえ、私はミュージカルについてはたいした知識もなく、過去の作品へのオマージュやパロディと思われる部分の面白さ等が理解できたわけではないが、主役は男女ともに良かったし、踊りも楽曲も良く(上記ソロピアノを除き)、映画としては十分に楽しめた。

この映画の主題を簡単に言うと、「常に進化しなければ」という脅迫観念に捉われているアメリカ人が、絶え間ない進化の陰で捨ててきた「古き良きもの」(映画では、ジャズはその象徴として描かれているにすぎない)に対してどことなく感じているある種の罪悪感と、「頑張れば夢はいつか叶うものだ」という、楽天的な古来のアメリカン・ドリームの2つを組み合わせたごく月並みなものだと思う。アメリカ人が無意識のうちに共有しているこの2つの要素を、これもアメリカ伝統のロマンスを軸にしたミュージカル映画というパッケージにくるんだ見事な3点セットになっているからこそ、多くの「アメリカ人」の心の琴線に触れ、支持されたのだろう。グローバリゼーション(アメリカ化)によって、今やその2つとも世界共通の普遍的なモチーフなので世界中で受け入れられているのだろうが、この映画を称賛する他の国の人たちが、アメリカ人ほど「切実に」そこに共感しているのかどうか、それはわからない。