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2017/10/13

モンクを聴く #5:with Sonny Rollins (1953 - 57)

本書によれば、ソニー・ロリンズ(1930-) は高校時代からモンクの自宅に通って学習し、モンクから音楽的薫陶を受けていたということなので、モンクをある意味師匠のように尊敬していたのだろう。モンクもテナー奏者としてのロリンズの高い能力を最初から認めていて、あまり口出しはしないでロリンズのミュージシャンとしての成長を見守っていたようだ。そうした関係もあって、ロリンズはおそらくモンクの音楽的意図を読み取る能力が誰よりも長けていたのだと思う。この2人のレコードでの共演からは音楽上ほとんど破綻が感じられず、どの演奏も非常にスムースで完成度が高い。音楽的相性から見ても、モンクに最も合っていたホーン奏者はソニー・ロリンズだったと思う。ロリンズと共演する時は、モンクのピアノだけが浮き上がるようなことがなく、二人のサウンドが自然に調和していてまったく違和感を感じさせないからだ。モンクはロリンズを高く評価し、クラブ・ギグで何度か共演しながら、ずっと自分のバンドのメンバーに欲しがっていた。しかしロリンズが成長して一本立ちしつつあったこともあり、レコードや短期間のギグでの共演を除き、結局ロリンズがモンク・バンドのレギュラー・メンバーになることはなかった。

Thelonious Monk
and Sonny Rollins
(1954 Prestige)
第12章 p242
2人の最初のレコード上の共演は、プレスティッジでの19531113日録音のモンクの自作3曲<レッツ・コール・ディス>、<シンク・オブ・ワン>、<13日の金曜日>で、次が195410月録音の<アイ・ウォント・トゥー・ビー・ハッピー>、<ザ・ウェイ・ユー・ルック・トゥナイト(今宵の君は)>、<モア・ザン・ユー・ノウ>というスタンダード3曲である。1953年録音は、本書にあるように、モンクとロリンズの到着が遅れ、おまけにインフルエンザでレイ・コープランド(tp)が倒れ、代わって急遽ジュリアス・ワトキンス(fh)が参加して、パーシー・ヒース(b)とウィリー・ジョーンズ(ds)によるセクステットで演奏したもので、いつ終わるのか…と有名な<13日の金曜日>が収録されている。1954年録音のスタンダード曲は、プレスティッジによるロリンズのリーダー・セッションに、モンクがエルモ・ホープに代わってサイドマンとして参加したもので、ロリンズのテナーサックスにトミー・ポッター(b)とアート・テイラー(ds)が参加したカルテットによる演奏である。

Monk
(1954 Prestige)
第14章 p265
プレスティッジは名演と言われる54年の<モア・ザン・ユーノウ>のみをロリンズのアルバム『ムーヴィング・アウト Moving Out』に入れ、54年の他のスタンダード2曲と53年の<13日の金曜日>という計3曲、さらにのピアノ・トリオ(アート・ブレイキー-ds、パーシー・ヒース-b)による54年録音<ワーク>、<ナッティ>というモンク作品2曲を加えて、『Thelonious Monk & Sonny Rollins』というアルバムとしてリリースした。53年の残り2曲は、545月の他のセッション(レイ・コープランド-tp、フランク・フォスター-ts、カーリー・ラッセル-b、アート・ブレイキー-ds)と組み合わせて、『Monk』という別のLPでリリースするという、何を考えていたのかよくわからない、ややこしいアルバム構成になっている(私も調べてみて初めて全体の構成がわかった)。当時23、4歳のロリンズはまだ成長途上にあったが、既に堂々とした、流れるようなテナープレイは、やはりモンクとの長い交流と相性の良さを感じさせるものだ。

Brilliant Corners
(1956 Riverside)
第16章 p313
ソニー・ロリンズが上記54年録音の2年後に参加し、モンクの最高傑作とされるアルバムが、195610月と12月に3回のセッションでリバーサイドに録音された『ブリリアント・コーナーズ Brilliant Corners』である。ロリンズは当時クリフォード・ブラウン/マックス・ローチ、マイルス・デイヴィスなどとセッションを重ね、同年6月には傑作『サキソフォン・コロッサス Saxophone Colossus』(Prestige) を録音するなど、飛ぶ鳥を落とす勢いだった。モンクの素晴らしいピアノ・ソロ<アイ・サレンダー・ディア>を除き、モンク自作の4曲が収録されており、<ブリリアント・コーナーズ>、<バルー・ボリバー・バルーズアー>、<パノニカ>という新作3曲は、アーニー・ヘンリー(as)、オスカー・ペティフォード(b)、マックス・ローチ(ds)が参加したクインテットによる演奏である。25テイクを要した難曲<ブリリアント・コーナーズ>の演奏を巡って、モンクと口論して辞めたオスカー・ペティフォードに代わって、<ベムシャ・スウィング>のみポール・チェンバース(b)が、また直前にディジー・ガレスピーのバンドに加わったアーニー・ヘンリーに代わってクラーク・テリー(tp)が参加している。このうち新作<パノニカ >と<バルー・ボリバー・バルーズアー>の2曲は、言うまでもなく、火事にあうなど大変な時期にモンクに手を差しのべてくれたニカ夫人に捧げたものだ。あのニカ夫人のイメージがまさに浮かび上がって来るような、チェレスタで始まる<パノニカ>のメロディとリズムは、一度聴くと忘れられないほど印象的だ。ブルース<バルー・ボリバー…>は、モンクをはじめとしたミュージシャンが頻繁に出入りしたため、ニカ夫人が退去を迫られたボリバー・ホテルを(たぶん)皮肉って付けた曲名だろう。タイトル曲を含めたこのアルバム録音時の状況と逸話は本書に詳しいが、モンクのソロで演奏されるバラード<アイ・サレンダー・ディア>、マックス・ローチの<ベムシャ・スウィング>におけるドラム・プレイ、さらにモンクとたっぷり練習した全盛期のロリンズのソロはもちろん、その後間もなくして亡くなったアーニー・ヘンリーのアルトサックスは音色、フレーズ共に本当に素晴らしい。わかりやすいハードバップ全盛の1956年という時代にあって、独創的としか言いようのない、我が道を行くこのサウンドを創造したモンクも、それぞれのプレイヤーの演奏も、どの曲も本当に素晴らしく、モンクの最高傑作の名に恥じないアルバムだ。

Sonny Rollins Vol.2
(1957 Blue Note)
第17章 p326
ロリンズとモンクの共演作4枚目のアルバムは、『ブリリアント・コーナーズ』の半年後、19574月にブルーノートに録音されたロリンズのリーダー作『Sonny Rollins Vol.2』。ロリンズの絶頂期であり、参加メンバーも大物ばかりで、J.J.ジョンソン(tb)を加えた2管クインテットによる超豪華ジャムセッションである。モンクにとっては、ブルーノート初録音からちょうど10年目にあたり、6月の『モンクス・ミュージック』録音、7月の「ファイブ・スポット」出演の直前である。モンクはリバーサイドのソロ・アルバム『ヒムセルフ』録音の合間をぬって、ハッケンサックのヴァン・ゲルダー・スタジオに出かけている。アルフレッド・ライオンやヴァン・ゲルダーとも久々に再会し、また気心の知れたメンバーとの共演にリラックスして客演したモンクは、全6曲のうち自作の2曲に参加している。ポール・チェンバース(b)、アート・ブレイキー(ds)とのカルテットでバラード<リフレクションズ>を、J.J.ジョンソン(tb)とホレス・シルヴァー(p)も加わったクインテットで、ブルース<ミステリオーソ>を演奏している。ロリンズやブレイキーをはじめ、参加メンバーはモンク旧知のミュージシャンばかりで、これぞモダン・ジャズというべき演奏はどれも素晴らしいが、他の典型的ハードバップの演奏の中にモンクの2曲が入ると、やはりそこだけどこか空気が違うことがよくわかる。<ミステリオーソ>はモンクがロリンズ、シルヴァーがJ.J.ジョンソンのバックで弾いているので、モンク的ブルースというよりもハードバップ的色合いが濃い。ロリンズのワンホーン・カルテットによる<リフレクションズ>ではモンクのみがピアノを弾いているが、2人の初録音から3年半が経過し、テナー奏者として既に完成の域に達していたロリンズとモンクは、ここでも素晴らしく息の合った演奏に仕上げている。この邂逅によって、モンクとロリンズは二人の頂点とも言える演奏を録音したと言えるだろう。

モンクのことが好きだったロリンズは、その後いつでも共演する準備はあったようだが、1958年にジョニー・グリフィンの後任として「ファイブ・スポット」で短期間共演するといった機会を除き、残念ながらその後2人の共演レコードは残されていない。

2017/10/06

モンクを聴く #2 : Piano Trio (1952 - 56)

モンクのピアノ・ソロは美しいが独白特有の緊張感が常に感じられ、ある種の厳しさがあるので(コロムビア盤は別だが)、しょっちゅう聞きたいとは思わない。一方コンボは音楽としては非常に面白いのだが、曲全体の複雑な構造とリズム、ホーンなどバンド編成と声部に気を取られて、モンクの音そのものがやや聞き取りにくい時がある。トリオはその中間で、何よりモンクのピアノの音が中心なのでよく聞こえるし、リズムセクションが入るので活気が出て、モンク独特のリズム、アクセントも、ドラムス相手に瞬時に反応するモンクの意図もよく聞こえて来る。編成がシンプルなので曲のメロディも骨格もよく見え、ひと言で言えば聞いていて分かりやすくて楽しい。絵画で言えば、ソロはデッサン、コンボは油絵、トリオは水彩画に例えられるだろうが、そこは何を描いてもモンクはモンクで、しかも抽象画だ。

Genius of Modern Music Vol.1
(1947 Blue Note)
第10章
しかし、モンクはライヴの場でもそうだが、ピアノ・トリオの録音数も思いのほか少なく、単独アルバムとしてはプレスティッジとリバーサイドに吹き込んだ3枚だけだ。当然ながら「作曲家」モンクとしては、シンプルなトリオよりも、やはり基本的にホーン・セクションを入れた重層的なサウンドで自分の音楽を表現したかったからだろう。録音としては194710月に、ブルーノートに吹き込んだアート・ブレイキー(ds)とジーン・ラメイ(b)とのトリオが最初で、そこでは<ルビー・マイディア>、<ウェル・ユー・ニードント>、<オフ・マイナー>、<イントロスペクション>の自作曲4曲に加え、<ナイス・ワーク・イフ・ユー・キャン・ゲット・イット>、<パリの4月>という計6曲を録音している。モンクはピアノ・トリオのドラマーとしてアート・ブレイキーを好んでいたが、これはやはり1940年代のバド・パウエルとのジャムセッション巡りの時代からの長い交流と師弟関係があって、気心が知れていたことと、ブレイキーのスウィンギングで力強いドラミングがモンクの好みだったからだろう。

Thelonious Monk Trio
(1952/54 Prestige)
第12章 p237
モンク初の単独のトリオ・アルバムは、プレスティッジと契約後の初録音となった1952年の『Thelonious Monk Trio』だ。現在のCDには全10曲が収録され、自作曲8曲、スタンダード2曲という構成で、52年10月録音の4曲にアート・ブレイキー(ds)とゲイリー・マップ(b)を使い、同年12月録音の4曲ではドラムスにマックス・ローチを起用した。本書に書かれているように、ブルーノートでは売れず、仕事のない長く苦しい時期を経て、ようやく新規レーベルと契約して心機一転したモンクの気迫が伝わって来るような、溌剌とした、明るく、力強い演奏が続く。スタジオのピアノの調律が狂っていようとお構いなしに、一緒に鼻歌を歌いながら楽しそうに弾くモンクの声もはっきりと聞こえて来る。トリオというシンプルな編成もあるのだろう、ブルーノート時代の、非ビバップというコンセプトにこだわって頭を使い過ぎたかのような、ある種芸術指向の強い複雑な音楽とは別のモンクの姿が見えて来る。現CD冒頭の<ブルー・モンク>は、2年後の19549月に別途ヴァン・ゲルダー・スタジオで初録音されたもので、アート・ブレイキー(ds)とパーシー・ヒース(b)がサポートしているが、このブルースはまさに 「モダン・ジャズのイメージ」 を代表する演奏だ。モンクも後年この<ブルー・モンク>が大好きな曲だと言っている。後にビッグバンドでも再演した息子に捧げた<リトル・ルーティ・トゥーティ>の活気とユーモア、デンジル・ベストとの共作<ベムシャ・スウィング>の躍動するリズム、ミディアム・スローのバラード<リフレクションズ>、ソロ演奏<ジャスト・ア・ジゴロ>(これも1954年の別録音)の美しさなど、その後のモンク・スタンダードとなる名曲と名演ぞろいだ。ピアノ・トリオというシンプルな編成と全曲3分以内という短さもあって、モンクの素顔を捉えたような飾り気のないストレートな解釈と弾むようなリズムで、RVGリマスター盤の録音も良く、どの曲を聞いても非常に気持ちが良い。シンプルに演奏してはいても、1952年から54年という時代を思えば、ここでのサウンドとメロディは斬新で、開放感に溢れ、モンクがいかに先進的な音楽家だったかがよくわかる。私がモンクを好きになったのもこのアルバムを聞いてからだ。モンクを初めて聴きたいという人がいるなら、ソロやコンボではなく、ピアノ・トリオを、中でもまずこのアルバムを勧めたい。これを聴いて文句があるようなら、縁がなかったと思ってモンクは諦めた方が良い。

Thelonious Monk
Plays Duke Ellington
(1955 Riverside-stereo)
第15章 p282-
モンクの次のトリオ・アルバムは、リバーサイドに移籍後の初録音、19557月の『プレイズ・デューク・エリントン Plays Duke Ellington』である。プレスティッジ盤は2曲を除き、すべてモンクの自作曲だったが、当時モンクのオリジナル曲はまだ大衆向けとは言えないと考えていたプロデューサーのオリン・キープニューズは、もっとわかりやすい曲を演奏したトリオ・アルバムを作って、まずモンクを売り出そうとした。そこで最初に選んだのがデューク・エリントンの作品だった。長い付き合いのオスカー・ペティフォード(b)とケニー・クラーク(ds)というリズムセクションをモンクは選んだ。本書に書かれているように、このアルバムには「リバーサイドに言われたモンクが渋々作った」とかいう見方を含めて様々な評価があったが、大筋としては「控えめな印象」という表現が一番多かったようだ。しかし著者がネリー夫人や息子トゥートの発言として書いているように、尊敬するデューク・エリントンの作品を取り上げたこのレコードの録音に、実際モンクは並々ならぬ意義を感じていたという。ブラシ・ワーク中心のケニー・クラークのドラミングも含めて、プレスティッジ盤に比べて全体的に「モンクらしさ」が控えめで、ある種大人しく、上品な作品であることは間違いない。やはりエリントンという大先達の作品だけを取り上げるという挑戦は、モンクと言えどもかなり緊張して臨んだことは間違いないだろうし、普通のスタンダード曲に比べてエリントンの曲の完成度が高くて、モンク流の解釈と再構成も慎重にならざるを得なかったのかもしれない。本書に書かれた録音時のモンクのエピソード(譜読みにたっぷり時間をかけた)からも、そうした心理があった可能性がある。選曲はエリントンの有名なナンバーのみで、<スウィングしなけりゃ意味ないね>、<ソフィスティケイティッド・レディ>、<キャラバン>など全9曲で、<ソリチュード>のみがソロ演奏である。

The Unique
Thelonious Monk
(1956 Riverside-stereo)
第16章 p304
リバーサイドの次のトリオ・アルバムは、翌19563月、4月に録音した『ザ・ユニーク・セロニアス・モンク The Unique Thelonious Monk』である。オスカー・ペティフォードのベースは変わらず、既にヨーローッパに移住していたケニー・クラークに代わってアート・ブレキーをドラムスに起用している。エリントンに続き、今度は、全曲スタンダードのモンク流解釈をトリオで聞かせようというリバーサイドの戦略だ。<ティー・フォー・ツー>、<ハニー・サックル・ローズ>など、よく知られたスタンダード曲のみ7曲を演奏している。ビリー・ホリデイの愛唱歌だった<ダーン・ザット・ドリーム>は、モンクが最も好んだバラード曲の一つだ。同じくバラードの<メモリーズ・オブ・ユー>のみソロ演奏だが、本書でも書かれているように、この曲を愛奏していたモンクのストライド・ピアノの先生だったアルバータ・シモンズをおそらく偲んだもので、その後モンク愛奏曲の一つともなった。何より曲のメロディ、とりわけ古い歌曲を愛したモンクが両バラードともに慈しむかのように繊細にメロディを弾いている様子が聞こえて来る。このレコードでは、エリントン盤とは異なり、モンク流の曲の解釈と再構成をかなり取り入れており、またアート・ブレイキーの参加がモンクを煽っていたことは間違いないだろう。結果としてこのアルバムは、プレスティッジの自作曲中心のアルバムと対を成す、ピアノ・トリオにおけるモンク流スタンダード解釈のショーケースとなっている。

Thelonious Monk
Plays Duke Ellington
(1955 Riverside-mono)
エリントン盤をはさんで、これら50年代のピアノ・トリオ3作における自作曲とスタンダードのモンク流解釈と演奏を聴き比べてみると非常に面白い。なお、リバーサイドの上記2作品アルバム・ジャケットは、モノラルとステレオ・バージョンの2種類がある。本書に書かれているように、現在CDに主として使われている上記ジャケット写真は、いずれも売り上げ増を狙ったリバーサイドがステレオ・バージョン用に作ったものだ。ちなみに左のジャケットはモノラル盤の『Plays Duke Ellington』オリジナル・ジャケットである。まだ30歳代半ばのスリムなモンクが写っている。

モンクはこの15年後、1971年のアート・ブレイキー(ds)とアル・マッキボン(b)を起用した最後のスタジオ録音『ロンドン・コレクション London Collection Vol.2』(Black Lion)まで、トリオだけのアルバムは録音していない。