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2017/06/23

3枚の「バラード」アルバム

Ballads
John Coltarne
1962 Impulse
「全編がバラード」というジャズ・レコードは一般に単調になりがちで、聴き手を飽きさせずに最後まで聞かせるだけの魅力を維持するのは難しい。だから奏者にとっても難易度が高く、同時にジャズ・ミュージシャンとしてのセンスが問われるものであり、昔はよほどの力量と自信がないと挑戦できなかったと言われている(イージー・リスニングやBGM的なレコードはまた別である)。だからそうして残された名盤の数はそれほど多くない。その中でもっともよく知られているのが、ジョン・コルトレーン John Coltrane (1926-1967) がカルテットで録音した文字通りの「バラード Ballads」(1962 Impulse)だ。1960年代、フリーに突き進んでいた頃のコルトレーンが一休みして鼻歌を歌ったものだとか、色々な評価をされてきたが、コルトレーンは既に50年代から歌心のあるバラード・プレイを数多く残しているし、セロニアス・モンクとの邂逅によってその技術とセンスにさらに磨きをかけていた。したがって、このアルバムは当時ジャズの本流にいたコルトレーンが持つ本質の一部を抽出した集大成と言うべきものだろう。今やジャズ・バラードのデフォルトのような存在になっており、誰が聴いても納得の永遠のジャズ・レコードの1枚だ。 

A Ballad Album
Warne Marsh
1983 Criss Cross
もう一人のテナー奏者ウォーン・マーシュ Warne Marsh は、生涯を通じて「リズム」を極める道を進んだ。譜面上の小節線からの解放と自由を目指したマーシュは、特にリズムに対する優れた感覚を持った真に独創的なインプロヴァイザーだった。その特徴は、独特の複雑なリズム感、高音域の多用、小節線を意識させない漂うような長いメロディ・ライン、そしてトリスターノ派特有のエモーションを排したべたつかないクールな表現だ。マーシュの「ア・バラード・アルバム A Ballad Album」(1983 Criss Cross)は、1987年にロサンジェルスのクラブで演奏中に倒れて亡くなる4年前、晩年のマーシュがバラードに挑戦したアルバムだ。よく知られたスタンダードのバラードやミディアム・テンポの曲で構成されており、ルー・レヴィーの美しいピアノ他とのカルテットによる演奏である。微妙に揺れ動く、漂うようなタイム感で、ゆったりと曲を料理することを楽しむかのような演奏は、トリスターノ派の原点と言うべきレスター・ヤングのあのリラックスした演奏を思い起こさせ、聴く側も全編でその独特の味わいをくつろいで楽しむことができる隠れたバラード名盤である。

Ballad Session
Mark Turner

2000 Warner Bros.
1965年生まれのマーク・ターナー Mark Turner は、特に強い影響を受けたミュージシャンとして、上記ジョン・コルトレーンとウォーン・マーシュの2人の名前を挙げている。新世代のテナーサックス奏者とはいえ、コルトレーンは珍しくはないが、マーシュの名前を挙げるのは極めて異例だ。バークリー時代に出会ったトリスターノ派の音楽に、バークリー・メソッドにはない独自性を見て新鮮なショックを受け、その後トリスターノやマーシュの研究を始めたという話だ。このアルバム「バラード・セッション Ballad Session」(2000 Warner Bros.) では、スタンダードの名曲とウェイン・ショーター、ハービー・ハンコック、ポール・デスモンド、カーラ・ブレイなどのオリジナル曲という多彩な選曲によるバラード演奏に挑戦している。ケヴィン・ヘイズ(p)、カート・ローゼンウィンケル(g)、ラリー・グレナディア(b)、ブライアン・ブレイド(ds)によるカルテット、クインテット、トリオと編成も多彩だ。ターナーのテナーはコルトレーンとマーシュを融合し自身の中で消化することによって、固有のサウンドを生み出すことを目指してきたものだろう。このアルバムは、バラード・アルバムをそれぞれ録音している先人二人へのオマージュとして聞くこともでき、全体を通して時折コルトレーンと、とりわけマーシュのサウンドが聞こえて来る。先人に比べると当然ながらモダンで、サウンドの肌合いも乾いているが、同時にずっと深くクールに沈潜してゆく音楽だ。ここでのローゼンウィンケルのギターは、ターナーとの相性も、アルバム・コンセプト的にも素晴らしいと思う。

コルトレーンとマーシュの音楽的方向性を考えると、片や最後はジャズという枠を超えた世界に突き進んだジャズの巨人の一人であるのに対し、片やジャズの枠組みの内部で、白人の非主流派としてどこまで独自の表現が可能かということを深く地道に突き詰めようとした、名声とはまったく無縁の人だ。黒人と白人ということも含めて2人には一見共通項がないように見えるが、非常に思索的で内省的な人格を持ち、生涯にわたって自分の信じる音楽をストイックに追求し続けたという点ではよく似ている。ベクトルの向かう方向が違っただけだ。マーク・ターナーの音楽から受ける印象からすると、おそらく資質的にこの2人に近いものがあるがゆえに、先人の音楽に共通する、範とすべき何かを見出したのだろう。

2017/06/12

リー・コニッツを聴く #6:1970年代以降

Lee Konitz」を翻訳する前に私が聴いていたコニッツのレコードは1960年代までで、70年代以降のレコードははっきり言って聞いたことがなかった。70年代以降コニッツは大量にレコーディングしていたが、日本ではこれまであまり紹介されていなかったこともある。だが、本文のインタビュー中で触れている録音記録をフォローするために、かなりの数のレコードを初めて聴いてみた。その中で印象に残ったレコードを何枚か挙げてみたい。

Jazz á Juan
1974 SteepleChase
Jazz á Juan」は、1974年フランスのアンティーブ・ジャズ祭におけるリー・コニッツ・カルテットのライヴ録音(Steeple Chase)である(メンバーは、マーシャル・ソラール-p、ニールス・ペデルセン-b、ダニエル・ユメール-ds)。アルジェリア系フランス人のソラールはフランスを代表する高い技術を持ったピアニストだが、コニッツとは同年齢(1927年生まれ)で、ソラールによれば1950年代初めのスタン・ケントン楽団訪欧の際に、パリのクラブ・サンジェルマンで行われたジャム・セッションに当時ハウス・ピアニストだったソラールが参加したのがコニッツとの最初の共演だったという。その後1968年に前記「European Episode」と「Impressive Roma」(Campi)で二人は初めて共演レコーディングを行なった。「Motion」(1961)や「Duets」(1967)での空間をたっぷりと使った演奏を聞くと、ソラールというフランス流の華麗で饒舌なピアニストと一体うまく行くのかと思えそうだが、これが意外にも相性が良かったようで、上記アルバムやこのライヴ演奏を含めて、その後二人は何度か共演し、またミュージシャンとして長い付き合いを続けることになった。ソラールのみならずベースのペデルセンも饒舌な人だと思うが、ソロ空間以上に、ここはコニッツ流の相手からの反応と対話を楽しむ、という点で彼の好みに合ったのだろう。当時のジャズ復活という気運もあって、またライヴということもあり、ここでのコニッツはフリーの度合も難解さ加減も適度で、しばらくなかったような自由と躍動感あふれる(コニッツ的に)演奏が続く。これをサポートするダニエル・ユメールの反応の速いめりはりのあるドラムスも非常にいい。コニッツのオリジナル1曲の他はスタンダードの有名曲が5曲だが、いつもほどは解体していないので少なくともテーマ部分はわかる(ピアノのせいもあるが)。この時代の他の録音を全部聴いたわけではないが、コニッツが10重奏団に挑戦した「リー・コニッツ・ノネット」と並んで、このレコードは70年代コニッツを代表する1作と言えるだろう。

The New York Album
1987 Soul Note
80年代に入るとコニッツはピアニスト、ハロルド・ダンコと組んで正式なグループではないが双頭カルテットで演奏しつつ、実質的なリーダーとしてヨーロッパや日本へのツアーを含めて活動を続けていた。比較的短期間の活動ではあったが、「The New York Album (1987 Soul Note)は、「Ideal Scene」(1986同)と並んで、そのカルテット時代に録音した80年代を代表する1作だろう。リズム・セクションは何人か入れ換わっていたが、このCDではマーク・ジョンソン(b)、アダム・ナスバウム(ds) が共演している。このアルバムは、演奏からみなぎるカルテットの一体感と解放感、ジャズ的グルヴ、選曲、メロディアスな表現など、すべてにおいて優れていて、私的にはコニッツの80年代のベスト・アルバムだと思う。こういう高い完成度を持った自身のカルテットとしての演奏は、傾向は違うが50年代半ばのStoryville時代以来と言える。スタンダード2曲、コニッツのオリジナル2曲の他、<Candlelight Shadows>(ダンコ作)、<Everybody’s Song but My Own>(ケニー・ウィーラー作)、<September Waltz>(フランク・ウンシュ作)、という3曲のコニッツの盟友ミュージシャンのオリジナル曲との選曲バランスが良く、またどの曲もメロディが非常に美しいのが特徴だ。何よりコニッツも、ダンコを始めとするリズム・セクションも、時にハードに、時にソフトに全体として実に伸び伸びと演奏しているところがいい。したがってコニッツのアブストラクト度もいつもより低く、リズムもシンプルで、メロディを素直にリリカルに歌わせているので非常にわかりやすい。おそらくメロディアスで伸びやかな演奏というこのアルバムの延長ラインで、90年代のペギー・スターン(p)と組んだハッピーなブラジリアン・バンドへと向かったのだろう。

Thingin'
1995 Hatology
1990年代のコニッツは、50年代に続く生涯2度目のピークとも言える充実した時期を迎えており、ハードで抽象的な表現から益々リリカルでメロディックな演奏に変貌しつつあった。「シンギンThingin’」は、リー・コニッツ(as)、ドン・フリードマン(p)、アッティラ・ゾラー(g) のトリオによるスイス・タルウィルでのクラブ・ライヴ録音だ(1995 Hatology)。ハンガリー生まれのギタリスト、アッティラ・ゾラーに50年代末にアメリカ移住を勧めたのがコニッツであり、その後ゾラーはフリードマンと共にフリー・ジャズを指向し、60年代後半にはコニッツも加わり三者で共演している。したがって、このアルバムは言わば旧知のベテラン同士の邂逅である。場所がスイスで、かつクラブ・ライヴということもあるのか、リラックスした3者の静かで緻密なインタープレイが実に楽しくまた美しい。録音も素晴らしく、アルトサックス、ピアノ、ギターそれぞれの音色、さらにそれらが混じり合い空間に響き渡る様子が見事に捉えられている。コニッツ作 <Thingin’>(<All The Things You Are>が原曲のライン)で軽やかに始まり、ゾラー、フリードマンの各ソロ曲を含め全7曲で、いずれもスローないしミディアム・テンポのオリジナル中心の構成だ。わかりやすくメロディックなコニッツのアルト、相変わらず透明感あふれる響きが美しいフリードマンのピアノ、無駄がそぎ落とされたタイトでクリーンなゾラーのギター、という3つの楽器が微妙に溶け合い、互いに反応し合う会話の流れが素晴らしい。3人ともにフリーの経験を経ていて、またレニー・トリスターノからの影響もあり、陳腐なジャズとは無縁のサウンドを求めている点で互いの音楽的資質と感性が近いのだろう。特に、フリードマンとコニッツは、この時期日本で共演したカルテットのライヴ録音(1992 カメラータ)もそうだが、おそらくリズムと空間の使い方、求めるサウンドの美に共通するものがあって、互いにストレスなく自由に会話できる非常に相性の良い相手だと思う。録音時点で60歳を超えるベテラン3者の美しいインタープレイが紡ぎ出す音空間に、ひたすら耳を傾け心地良さに浸れる秀作である。

Parallels
with Mark Turner
2000 Chesky Records
もう1枚は、200012月リー・コニッツ73歳の時に、Chesky Recordsによってニューヨーク市チェルシーにあるSt. Peter’s教会でSACD/CD Hybrid録音されたアルバム「パラレルズ Parallels」だ。全8曲の内、コニッツが当時から高く評価していたギタリスト、ピーター・バーンスタインとのカルテット演奏に加え、マーク・ターナー(ts)4曲でゲスト参加したクインテットによる演奏が収められている。リズム・セクションはスティーヴ・ギルモア(b)とビル・グッドウィン(ds)。スタンダード2曲の他は、コニッツのオリジナル曲4曲(Subconscious-Lee、Palo Alto他)、トリスターノ作が1曲(317 East 32nd)、コニッツ・ターナー共作(Eyes)が1曲という構成。Cheskyの音はナチュラル過ぎてジャズの録音には向かない気がする時もあるが、コニッツのアルトサックスの微妙な音色を味わうには非常に適している。コニッツの録音としては、1992年の日本でのカメラータによるライヴ録音以来のナチュラルさだ。コニッツのアルトサウンドはアコースティックな良い録音でないと、特に晩年になって本人が常に意図している微妙なサウンド・テクスチュアの変化が捉えきれない。サウンドにしまりがなくなったとか色々言われていたが、今さら半世紀以上前のトリスターノ時代と比べられても迷惑だろうし、年齢を考えたらそれは当たり前のことで、むしろ本人はまったく違う美意識でその時期の自分のリアルなサウンドを常に再構築しようとしているのだ。本アルバムの聴きどころは、やはりマーク・ターナーとの共演だ。ターナーはトリスターノ派、とりわけウォーン・マーシュから受けた影響を広言してきた人だが、特にトリスターノの<317 East 32nd>やコニッツの<Subconscious-Lee>に聞けるコニッツとのユニゾン・プレイなどを聞くと、息もぴったりでまさにコニッツ&マーシュの往年の演奏を、時代を超えて見事に再現しているかのようで楽しい。ピーター・バーンスタインのギターは、あのビリー・バウアーに比べるとずっとオーソドックスで、バランスのとれた現代的なサウンドだ(当たり前だが)。録音のナチュラルさもあって、色々な意味で、特に往年の演奏を聞いてきた人たちにとっては、近年のコニッツの作品の中では最も楽しめるアルバムだろう。