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2022/08/10

夏のジャズ(1)

真冬の生まれなので、暑い夏はそもそも苦手だ。今年のような酷暑は最悪である。本来ジャズは夏向きのホットな音楽だが、避暑地や夜のジャズクラブでのライヴならともかく、日本の蒸し暑い夏に、狭い日本の家の中で、レコードで聴くホットなジャズはやはり暑苦しい。最近は歳のせいもあって、聴くのに気力、体力を要するようなヘビーなジャズ(昔のジャズ)をじっくり聴くことはめっきり減った。夏場はとりわけそうで、ボサノヴァや、ポップス系統のリラックスして聞き流せる音楽、ジャズでも、重くなく軽快、あるいはクールさを感じさせるサウンドを持つ演奏をどうしても聴きたくなる。それに暑くて、難しいことを考えるのも億劫なので、一聴クールでも、「思考」することを要求するようなテンションの音楽も私的にはアウトだ。ジャケットも暑苦しくない、見た目が涼し気なデザインが好ましい(これらは、あくまで個人的趣味嗜好の話なので、もちろん賛同できない人もいるだろうと思います)。

Jim Hall & Pat Metheny
(1999 Telarc)

夏場に聴いて、もっとも気持ちの良いジャズは何かと言えば、これもまったくの個人的好みだが、その答は「ジャズギター」だ。ロックやポップスと違い、オーソドックスなジャズギターはアコースティック系でも、エレクトリック・ギターでも、基本的サウンドは「クール」である。もちろん奏者にも依るが、たとえばジム・ホールJim Hall (1930-2013) の演奏はエレクトリック・ギターだが、クールなサウンドのジャズギターの代表だ。ホールにソロ・アルバムはない(と思う)が、ビル・エヴァンスとの『Undercurrent』を筆頭に、ロン・カーター、レッド・ミッチェル、チャーリー・ヘイデンというベース奏者との「デュオ作品」があって、いずれも名人芸というべきジム・ホールの見事なインタープレイが楽しめる。ここに挙げたパット・メセニーPat Metheny (1954-) とのギターデュオ・アルバムも、名人二人による演奏、サウンド共に最高にクールだ。ジム・ホールはエレクトリック・ギターだけだが、メセニーはアコースティック、エレクトリック両方を弾き分けて変化のあるデュオ演奏にしている。特に、美しいメロディを紡ぎ出すメセニーとの、息の合った繊細なバラード演奏(Ballad Z, Farmer's Trust, Don't Forget, All Across the City等)が素晴らしい。クラシック録音が専門のTelarcレーベル特有の、空間の響きを生かした、ジャズっぽくないクールな録音も夏場はいい。

Small Town
(2017 ECM)
サウンド・コンセプトという点で、クールなジム・ホールの延長線上にいるギタリストがビル・フリゼール Bill Frisell (1951-) だ。聴けば分かるが(ド素人なので技術的なことは分からないが)、二人の「サウンド」は非常によく似ている。たぶんギターのトーンと、音の間引き具合、スペース(空間)の使い方から受ける印象が、そう感じさせるのだろう。フリゼールはずっと、ジャズというジャンルを超えた音楽を追及していて、「アメリカーナ」というローカル・アメリカの文化・伝統に根差した、より幅の広い音楽領域を視野に入れた世界を探求している(より土着的、大衆的で、分かりやすい音楽とも言える)。「ヴィレッジ・ヴァンガード」でのライブ録音の本作『Small Town』は、トーマス・モーガンThomas Morgan (1981-) のベースとのデュオ演奏で、静謐な音空間の中に深い知性を感じさせながら、一方で、やさしく包みこむようなフリゼールのギターが相変わらず魅力的だ。本作ではなんと、トリスターノ時代のリー・コニッツの代表作で、今やジャズ・スタンダード曲の一つ「Subconscious Lee」も取り上げている。ギターによる同曲の演奏は(高柳昌行の録音以外)聴いたことはなく、このフリゼールの演奏はなかなかの聞きものである。ちなみに、私の訳書『リー・コニッツ ジャズ・インプロヴァイザーの軌跡』の中で、フリゼールがコニッツとの共演体験について語っているインタビューがあるが、コニッツの音楽の特徴をミュージシャン視点で語っていて非常に面白い。このCDに加えて、もう1枚(同じ時の録音の)デュオアルバム『Epistrophy』(2019 ECM) もその後リリースしていて、そこではセロニアス・モンクの表題曲に加えて「Pannonica」も弾いている(フリゼールはモンク好きでもある)。

My Foolish Heart
(2017 ECM)
夏場に「涼しさ」をいちばん感じさせる音楽は、(ボサノヴァもそうだが)やはりナイロン弦のガットギターを使うジャズだろう。フュージョン系ならアール・クルーEarl Klugh だが、クールなECM系のジャズならラルフ・タウナーRalph Towner (1940-) がいる。タウナーは自己のバンド「オレゴン」に加えて、1970年代から『Diary』(1974) など、単独でECMに数多くの録音を残しており、特に静謐な空間に響きわたる独特のソロ・ギターは、冬場はサウンドが冷え冷えしすぎて、個人的にはあまり聴く気が起こらないのだが、夏場に聴くと逆にそのクールなサウンドが非常に気持ちがいい。タウナーはスチールの12弦アコギの演奏も多く、そちらはさらにシャープでエッジのきいたサウンドだが、柔らかでかつクールなナイロン弦ギターのソロ演奏も多く(いずれもECM)、『Ana』(1996) 『Anthem』(2001)『My Foolish Heart』(2017) などは、いずれも静謐かつ美しいギターサウンドが聴けるアルバムだ。

Time Remembered
(1993 Verve)
ビル・エヴァンスが演奏していた代表曲を、ガットギターだけの「アンサンブル」でクールかつクラシカルに演奏した、ジョン・マクラフリンJohn McLaughlin (1942-) の『Time Remembered:Plays Bill Evans 』(1993) も、美しく涼やかなサウンドで、夏になると聴きたくなるレコードだ。マクラフリンは60年代末にマイルス・デイヴィスの『Bitches Brew』他へ参加して以降、マハビシュヌ・オーケストラでのジャズ・ロック、パコ・デ・ルシア、アル・ディメオラとのギター・トリオ、クラシック分野への挑戦など、超絶技巧を駆使して多彩なジャンルで演奏活動を行なってきた真にヴァーサタイルなギタリストだ。マクラフリンと4人のクラシックギター奏者、アコースティック・ベースというセプテット編成のこの作品は、崇拝していたビル・エヴァンスへのオマージュとして1993年にイタリア・ミラノで制作したアルバムで、空間に美しく響く繊細なサウンドは、ビル・エヴァンスの世界を見事にギターで再現している。

Moon and Sand
(1979 Concord)
ガットギターによる夏向きのアルバムを、もう1枚あげれば、ケニー・バレル Kenny Burrell (1931-) がギター・トリオ(John Heard-b, Roy McCurdy-ds)で吹き込んだ、ラテン風味が散りばめられた『Moon and Sand』(1979 Concord) だろうか 。ケニー・バレルは、チャーリー・クリスチャン、ウェス・モンゴメリーに次ぐ黒人ギタリストで、ブルース・フィーリングに満ちた数多くのジャズ・アルバムを残してきたが、ガット・ギターの演奏にもかなり挑戦している。ギル・エヴァンスのオーケストラと共作した『Guitar Forms(ケニー・バレルの全貌)』(1965 Verve) でも、何曲か渋いガットギターを披露している。アルバム・タイトル曲「Moon and Sand」もその中の1曲だ。本作でも10曲のうち半数がガットギターの演奏で、Concordということもあって、全体的印象としてはイージーリスニング風だ。とはいえ、「どう弾いても」ブルージーになってしまう、というバレルのギタープレイが楽しめる好盤だ。このCDは今は入手困難らしく、ネット上ではとんでもないような価格がついているが、調べたところ、他のバレルのアルバムと合体させた2枚組CD『Stolen Moments』(2002)が同じConcordから「普通の」値段でリリースされていて、その2枚目に本作が収められているので、入手したい人はそちらを購入することを勧めます。

Jazz
(1957 Jubilee)
昔はB級名盤として、たまに取り上げられていた地味なアルバムが、ジョー・ピューマ Joe Puma (1927-2000) の『Jazz』(1957 Jubilee) という、ヒネリのないそのまんまのタイトルのレコードだ。ピューマがまた、これといった特徴のない奏者で(ジミー・レイニーの音に似ている)、このアルバムが日本でなぜ結構知られていたかと言えば、前年に『New Jazz Conceptions』でRiversideからデビューしたばかりのビル・エヴァンスが、ピアノで3曲参加しているからだろう。LPのA面3曲は、ピューマとエディ・コスタ Eddie Costa のヴィブラフォン、オスカー・ペティフォードのベースというトリオ、B面3曲がピューマ、ビル・エヴァンス、ポール・モチアンのドラムスに、ペティフォードのベースというカルテットによる演奏だったが、CDもそのままだ。その後、ペティフォードの代わりにスコット・ラファロがベースで加わって、あのビル・エヴァンス・トリオが誕生したのだろう。全体にオスカー・ペティフォードのがっしりとしたベースが中心のサウンド(モノラル録音)で、そこにピューマのギター、コスタのヴァイブ、エヴァンスのピアノという3者がスムースかつクールにからむ――という、まあこれといった特徴のない演奏が淡々と続くアルバムなのだが、そのあっさり感が逆に夏向きで(?)気持ちが良い。コスタのヴァイブもクールでいいが、短いながらも、デビュー間もない若きエヴァンスのシャープなピアノは、いつ聴いてもやはり斬新だ。

Guitar On The Go
(1963 Riverside)
ウェス・モンゴメリーWes Montgomery (1923-67) は、オクターブ奏法を駆使して、ブルージーかつドライヴ感のあるホットな演奏をする奏者というイメージが強いが、ウェスの代表的アルバムに収録されているバラード演奏などを聴くと、非常に美しくセンシティブなサウンドが聞こえてきて、単にテクニックばかりでなく、深い歌心のあるギタリストでもあることがよく分かる。『Guitar On The Go』(1963) はそのウェスが、故郷インディアナポリス以来の盟友メル・ラインMel Rhyne のオルガン・トリオをバックに、いかにもリラックスして演奏したRiverside時代最後のアルバムで、Verveへ移籍後ポップなウェスに変身する前のピュア・ジャズ作品である。とはいえ、どの曲もメル・ラインのアーシーかつグルーヴィーなオルガンが実に気持ちよく響き、そこにウェスの滑らかなメロディ・ラインがきれいに乗って、まさにスムース・アンド・メローを絵に描いたような、気持ちの良い演奏である(夜寝る前にこれを聴くと、ぐっすりと眠れる)。ちなみにこのアルバムは、今から半世紀以上前の高校生時代に、私が人生で初めて買った思い出深いジャズ・レコード(当時の新譜)である。こういうレコードを聴くと、モダン・ジャズはいつまで経っても古びない音楽だなと、つくづく思う。

2018/11/25

ジャズ・ギターを楽しむ(3)ジム・ホールの "対話"

Berlin Festival
Guitar Workshop
1968 MPS
1967年に、ヨアヒム・E・ベーレントとジョージ・ウィーンの共同企画で、ベルリンで開催された ”Berlin Festival Guitar Workshop” というコンサートをライヴ録音したレコードがある。私は昔、主に全盛期のバーデン・パウエルの超絶ギターを聴くために、このレコード(LP、後にCDも)を購入した。ジャズ・ギターの歴史を振り返るという趣向で企画されたこのコンサートでは、エルマー・スノーデンの素朴だが味わいのあるバンジョーによる2曲、バディ・ガイのアーシーなブルース・ギターとヴォーカル2曲、バーニー・ケッセルの流れるようなモダンなジャズ・ギター2曲、そしてジム・ホールの<Careful>とバーニー・ケッセルとのデュオ<You Stepped out of a Dream>と続き、最後にバーデン・パウエル・トリオが登場して、<イパネマの娘>、<悲しみのサンバ>、<ビリンバウ>の3曲を圧倒的なスピードと迫力で弾き切って、会場の熱狂的な歓声で終えるという構成のレコードだ。CDではベーレントによるMCもカットされていて、パウエルへの会場の熱狂ぶりがLPほどは伝わって来ない。だが、このレコードを何度も聴くうちに、ケッセルとのデュオも含めて、パウエルとはまったく対照的な、ここでのジム・ホールのクールで抑制のきいた独特のギター・サウンドの味わいに、むしろ徐々に魅力を感じるようになった。ジョー・パスのような解放感や華やかさはないが、時間と共に、そのモダンで、かつ渋い演奏の素晴らしさがじわじわと伝わって来る名人芸を聞かせる――ジム・ホールとはそういうギタリストである。そのホール独特の個性と魅力が、もっとも発揮できるフォーマットがデュオではないかと思う。ジャズのデュオというのはコンボと違って、一聴すると単調に感じられることも多く、また息詰まるようなムードが苦手な人もいるだろうが、奏者にとっては曖昧なプレイが許されない、常に緊張を強いられるフォーマットでもあり、それだけにミュージシャンの技量とセンスによっては、素晴らしく高度な音楽が生まれることがある。

Undercurrent
Bill Evans & Jim Hall
1963 United Artist
ジム・ホール(Jim Hall 1930-2013)の演奏で、もっともよく聞かれているレコードは、おそらくビル・エヴァンスとの共作デュオ、『アンダーカレント Undercurrent』(1963 United Artistだろう。これはジャズファンなら知らない人はいないくらい有名なレコードであり、ジャズ史上、全編ピアノとギターのデュオだけで、これ以上美しい演奏を収めたアルバムはない。単に美しいだけではなく、最初から最後まで緊張感が途切れず、互いに反応し合う両者のインタープレイ(対話)がジャズ的に素晴らしいのだ。ホールはこれ以前に、ジョン・ルイスの『John Lewis Piano』(1957 Atlantic) でも、Two Lyric Pieces (Pierrot/Colombine)>という10分を超える曲で、ルイスと静謐で美しく見事なデュオを演奏している(b、dsもバックでサポート)。その後エヴァンスとはもう1作『Intermodulation』(1966 Verve)も録音している。

First Edition
George Shearing /Jim Hall
1981 Concord
ホールはその後、盲目のピアニスト、ジョージ・シアリングとも同様のデュオ・アルバム『First Edition』(1981 Concord) を吹き込んでいて、これは演奏曲目、シアリングとホールの対話共に、抒情的で非常に美しいアルバムだ(手持ちのLPしかなく、今はCDが入手できないのが残念だが)。1986年にはモントルーでミシェル・ペトルチアーニと共演し(『Power of Three』、ウェイン・ショーターも参加)、2004年には、エンリコ・ピエラヌンツィと『Duologues』(Cam Jazz) を録音している。ジム・ホールは、もちろんデュオ以外でも様々なコンボ演奏に参加してきたモダン・ギターの筆頭と言うべきヴァーサタイルなギタリストだが、ピアノ・トリオにおけるインタープレイを確立したのが、ビル・エヴァンスだとすれば、ギターとピアノによる対話という演奏フォーマットを開拓、確立したのはやはりジム・ホールだろう。このコンセプトの現代版が、パット・メセニーとブラッド・メルドーによる『Metheny Mehldau』(2006 Nonesuch)で、このアルバムの中でも、二人の美しいギターとピアノのデュオを何曲か聞くことができる。

Dialogues
1995 Telarc
ジム・ホールのデュオの相手はピアノだけに留まらず、1972年にはベースのロン・カーターと『Alone Together』(Milestone)を録音し、1978年には同じくレッド・ミッチェルとクラブ「Sweet Basil」で共演している(未CD化)。さらに1990年のモントルー・ジャズ祭では、チャーリー・ヘイデンのベースともデュオで共演した(Impulse! によるCDリリースは、二人の没後2014年)。その後、ついにギター(ビル・フリゼール、マイク・スターン)、テナーサックス(ジョー・ロヴァーノ)、フリューゲルホーン(トム・ファレル)、アコーディオン(ギル・ゴールドスタイン)という、5人の異種楽器奏者を共演相手に2曲づつ演奏したアルバム『Dialogues』(1995 Telarc) を発表する。ベース (Scott Colley)、ドラムス (Andy Watson) も参加しているが、サポートに徹していて目立たないので、実質的にはホールのデュオ作品と言っていい。リー・コニッツ (as) が、1960年代に同様のコンセプトで、『Lee Konitz Duets』(1967 Milestone) というかなりアブストラクトな完全デュオ・アルバムを録音している。コニッツとジム・ホールの共通点は、広いスペース(演奏空間)を好み、共演者のプレイにじっと耳を傾け、密接に "対話" し、そのやり取りを通じてインスパイアされることで、自身のインプロヴィゼーションの可能性を拡大したいという願望を常に抱いている、内省的で、同時に野心的なジャズ・ミュージシャンであることだ。デュオはその究極とも言えるフォーマットだが、ジャズにおける "対話" とは、単に互いを尊重し協調するだけではなく、時には音楽上の "対決" すらあり得るスリリングな場でもあり、そこからどのような音楽的成果が生まれるのか、ということに醍醐味がある。異種楽器を共演相手に選んだ『Dialogues』は、そうしたデュオのスリルと新鮮さを追求しようとする実験的精神が強く、そのため曲目も全10曲のうち<Skylark1曲を除いて、ジム・ホールの自作曲だけで構成されている。カンディンスキーの抽象画 (Impression Ⅲ- Konzert) によるジャケットが象徴しているように、コニッツの盤ほどではないが、アブストラクトな要素が増しているので、その世界を楽しめる聴き手と、入り込めないように感じる聴き手がいるのは仕方がないだろう。そこで評価が分かれるが、私はこのアルバムの持つ空気が好きで、各曲も演奏もユニークかつ刺激的で楽しめるし、また空間を生かしたTelarc 録音もあって、どのデュオも非常に美しいと思う。70年代に売れた『Concierto (アランフェス協奏曲)』(1975 CTI) のような分かりやすい路線の例があっても、ジム・ホールは、ジャズ・ギタリストとしては珍しく、本質的にコマーシャルな音楽を指向するミュージシャンではないのである。本盤に参加しているビル・フリゼールとの共通点もそこにあり、師弟とも言える両者のギター・デュオは、その意味でも非常に刺激に満ちている。私的には、マイク・スターンとジョー・ロヴァーノとのデュオも非常に楽しめた。

Jim Hall & Pat Metheny
1999 Telarc
”対話” を探求し続けたジム・ホールが、究極の地点に達したかと思われるデュオ作品が、パット・メセニーとのギター・デュオ『Jim Hall & Pat Metheny』(1999 Telarc) だ。全17曲のうち、6曲がピッツバーグでのライヴ録音、その他がスタジオ録音で、スタンダード曲、メセニー、ホールの自作曲の他、<Improvisation>と題した5曲の純粋な即興デュオが収録されている非常に多彩な内容を持つレコードだ。メセニーはここで、エレクトリック・ギターの他、各種アコースティック・ギターも使い分けてジム・ホールと対峙している(ホールが左、メセニーが右チャンネル)。メセニーにとっては尊敬する大先輩との共演であり、一方ホールにとっては、息子のような年齢の当代一の人気ギタリストとのデュオという、これ以上ない興味深い相手で、張りきって臨んだことは間違いないだろう。メセニーは純ジャズという範疇のギタリストではなく、全方位のミュージシャンではあるが、多彩な演奏技術ばかりでなく、紡ぎ出すメロディ・ラインには普通のジャズ・ギタリストにはない特筆すべき美しさがある。一方のジム・ホールは、まさに純ジャズの世界を突き詰めてきたギタリストであり、音数の少ないシンプルなメロディ、独特のトーン、ハーモニーを駆使して、大きなスペースの中で共演相手と対話する名手である。同じ楽器を使いながら、一見音楽的に混じり合いそうにない両者が、デュオという世界でどういう化学反応を起こすかが聴きどころのアルバムだ。そしてその期待を裏切らない、全体に静謐だが変化に富み、調和しながらもスリリングで、しかも美しい、見事なギターによる対話となった。演奏は多少アブストラクトな曲も含めて、どれも聴きごたえがあって楽しめるが、中でもメセニー作の<Ballad Z>、<Farmer’s Trust>、<Into the Dream>、<Don’t Forget>、ホール作の<All Across the City>などの美しいバラード曲は、広々とした空間で溶け合う二人のギター・サウンドを捉えたTelarcならではの録音もあって、まるで夢幻の境地へ導かれるかのような素晴らしさだ(ジャズ的には珍しい、空間における間接音の響きを重視するTelarc 録音の真価を味わうには、ステレオ装置の音量を、ある程度上げて聴く必要がある)。これらの曲はまさに、ジム・ホールの "対話" の原点とも言うべきビル・エヴァンスとの『Undercurrent』の美しい世界を、2台のギターによって再現したかのようである。

2018/06/29

ジャズ的陰翳の美を楽しむ(2)

Milt Jackson Quartet
1955 Prestige
ヴィブラフォン(ヴァイブ)という楽器は、その深い響きと音色そのものが、そもそも独特の陰翳を持っている。オールド・ジャズファンは、この音を聞くとあっという間にジャズの世界に引き込まれる。ジャズでヴァイブと言えば、まずミルト・ジャクソン(Milt Jackson 1923-99)であり、MJQでの演奏を含めて、どの参加アルバムもまさにブルージーな味わいがある。売れっ子だったのでミルト・ジャクソンの参加アルバムはそれこそ数多く、スローからアップテンポの曲まで、何でもこなしてしまうが、この『Milt Jackson Quartet』(1955 Prestige) は中でも地味な方のアルバムだ。ジャケットもそうで、よく言えばシブいということになるのだろうが、リーダーのミルトが淡々とヴィブラフォンを叩いているだけで、ホーンもなければ、盛り上がりも、ひねりもない地味な演奏が続くが、なぜか時々取り出して無性に聴きたくなるアルバムの1枚なのだ。カルテットだがパーシー・ヒース (b)、コニー・ケイ (ds) MJQと同メンバーなので、違う点はジョン・ルイスではなくホレス・シルバーのピアノ、それとリーダーがMJQとは違いミルト本人という点だ。シルヴァ-のピアノはサポートに徹して大人しいが、ジョン・ルイスにはないジャズ的な風味を強く加えている。MJQと違ってミルトがリーダーなので、リラックスして実に気持ち良さそうに自由にヴァイブを叩いているのが伝わってくる。スタンダードのブルースとバラードという選曲もあって、ブルージーかつメロディアスで、音楽に雑味がなく、MJQのような “作った” というニュアンスもなく、ミルトの美しいヴァイブの音色とともに、まさしく "あの時代の モダン・ジャズ" そのものというムードがアルバム全体に漂っている。時々妙に聴きたくなるのは、多分このせいだ。

Pike's Peak
Dave Pike
1961 Epic
もう1枚のヴァイブ・アルバムは、白人ヴァイブ奏者デイヴ・パイク (Dave Pike 1938-2015) がリーダーのカルテット『パイクス・ピーク Pike's Peak』(1961 Epic) だ。パウル・クレーの絵を彷彿とさせるジャケットが象徴するように、これも全体に実にブルージーなアルバムだ。パイクはその後ラテン系音楽のレコードを何枚か残しているように、ラテン的リズムが好きだったようで、このアルバムでも<Why Not>や<Besame Mucho>のような躍動感あるリズムに乗った演奏が収録されているが、一方<In a Sentimental Mood>や<Wild is the Wind>のようなスローなバラードも演奏していて、全曲に参加しているビル・エヴァンスのピアノがそこに深みと上品な味を加えている。当時絶頂期だったエヴァンスは、相棒のスコット・ラファロ(b)を突然の事故で失った後の参加で、いわば傷心からのリハビリの途上にあったが、アップテンポでもスローな曲でもさすがというバッキングとソロを聞かせる。このアルバムでは、特にラストの<Wild is the Wind>が、曲そのものがいいこともあるが、パイクの密やかで情感に満ちた演奏と、それに控えめにからむエヴァンスが素晴らしい(ただしキース・ジャレットと同じで、パイクがユニゾンでスキャットしながら弾いているところが気になる人がいるかもしれないが)。

John Lewis Piano
1957 Atlantic
ピアニスト、ジョン・ルイス (John Lewis 1920-2001) MJQのリーダーとして有名だが、個人リーダー名義のソロやトリオ、コンボでも多くのレコードを残している。"ヨーロッパかぶれ" とか言われることもあるが、クラシックの影響の強いその演奏は、"配合のバランス" がうまくはまると、アメリカの黒人によるジャズとクラシック音楽の見事な融合が聴ける作品もある。『ジョン・ルイス・ピアノ』(1957 Atlantic) もそうしたレコードの1枚で、タイトル通りMJQというグループとは別に自己のピアノの世界を追求したもので、静謐で、知的で、深い陰翳の感じられる、ある意味で稀有なジャズアルバムだ。パーシー・ヒース (b)、 コニー・ケイ(ds) というMJQのメンバーに、ジム・ホール、バリー・ガルブレイスというギター奏者を加えた演奏から構成されている。全曲ゆったりとした演奏が続くが、演奏の白眉は、ギターのジム・ホール (Jim Hall 1930-2013)との10分を超える最後のデュオ曲<Two Lyric Pieces (Pierrot/Colombine)>だ。底知れぬ静寂感、深い響きと余韻は、おそらくこの二人にしか表現できない世界だろう。

Chet
Chet Baker
1959 Riverside
ヴォーカリスト兼トランぺッター、チェット・ベイカー (Chet Baker 1929-88) の『チェット Chet』(1959 Riverside)は、基本的にスローなスタンダード、バラード演奏を集めたもので、チェットのヴォーカルは収録されていない。ペッパー・アダムス(bs)、ハービー・マン(fl)、ビル・エヴァンス(p)、ケニー・バレル(g)、ポール・チェンバース(b)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)、コニー・ケイ(ds)と、当時のオールスターを集めた割に、これも一聴地味なアルバムで、演奏メンバーはチェットとベースのチェンバースを除き曲ごとに入れ替わっている。しかし白人チェット・ベイカーは、ヴォーカルもそうだが、トランペットの音色とフレーズそのものに、黒人的なブルージーさとは別種の深い余韻と陰翳を感じさせる稀有なトランペッターであり、このアルバムでも独特のダークかつアンニュイな雰囲気を漂わせ、すべての曲が深い夜の音楽だ。目立たないが、当時チェンバース、フィリー・ジョー共々マイルスバンドにいたビル・エヴァンスのピアノも当然このムードに一役買っている。どの曲もテンポがほとんど変化しないこともあって、単調と言えば単調なのだが、聴いているとついうとうとしてしまうほど気分が落ち着く。サウンドが夜のしじまにしみじみと響き渡る寝る前あたりに聴くと、心地良い眠りにつける。

Take Ten
Paul Desmond
1963 RCA
同じ陰翳でも深く濃いものではなく、明るく淡い光のグラデーションのような微妙な音の響きが感じ取れる繊細な演奏もある。白人アルトサックス奏者ポール・デスモンド (Paul Desmond 1924-77) が、ジム・ホール (g) という最良のパートナーと組んだ、地味だが粋なアルバムがピアノレス・カルテットによる『Take Ten』(1963 RCA)だ。二人が紡ぎ出す美しく繊細な音で全ての曲が満たされ、ジム・ホールのセンス溢れる絶妙なギターと、デスモンドのアルトサックスの美しく長いメロディ・ラインを堪能できる。縦にダイナミックに動くピアノのリズム、コードに合わせているデイブ・ブルーベックのコンボ参加の時とは異なり、ホールのギターの滑らかなホリゾンタルな音の流れに、どこまでも柔らかく透明感溢れるデスモンドのアルトサックスの音が美しく溶け合って、実に洗練された極上のイージー・リスニング・ジャズとなった。<黒いオルフェ> のテーマなどボサノヴァの名曲のカバーも勿論良いが、 <Alone Together>や<Nancy> などのスタンダード・ナンバーの密やかな味わいが素晴らしい。

2017/06/08

リー・コニッツを聴く #4:Verve

Very Cool
1957 Verve
Tranquility
1957 Verve
50年代中期、Storyville時代の3作品は知性とエモーションのジャズ的バランスが見事で、私的にはコニッツの白眉だと思うが、Atlanticを経てさらにトリスターノの世界から解き放たれ、ジャズ的に寛容さが出て柔軟になっていった時代の演奏も、非常に心地良いジャズで私はこれも好きだ。Verveに移籍後初のアルバム「Very Cool」(1957)は、ドン・フェラーラ (tp) を加えた2管クインテット(サル・モスカ-p、ピーター・インド-b、シャドウ・ウィルソン-ds) による演奏で、ハードバップ的サウンドが強まるが、その中に依然コニッツ的クールさと斬新さが光る演奏だと思うし、それはまたコニッツの成熟と演奏家としての多様性の拡大とも言える。確かにテンションは往時に比べれば弱いが、その代りジャズ的リラクゼーションが増して上質な音楽として今聴いても古びず楽しめるアルバムだ。「Tranquility」(1957) はアルバム・タイトル(平穏)と脱力ジャケット写真が表している通り、ビリー・バウアーのギタートリオ(ヘンリー・グライムス-b, デイヴ・ベイリー-ds) をバックに、さらにリラックス度が増したコニッツが聞ける(このあたりで、おいおい大丈夫か…?と言いたくなるが)。

Meets Jimmy Guiffree
1959 Verve
You and Lee
1959 Verve
最初あまりピンと来なかったが、じっくり聴いてみるとなかなか楽しめる演奏だと思うようになったのが「Lee Konitz Meets Jimmy Guiffree」と「You and Lee」という1959年の2枚のアルバムだ。当時新進の若手奏者だったビル・エヴァンス(p)が前者の全曲、後者も4曲(残り4曲はジム・ホールのギター)参加している。ジミー・ジュフリーは映画「真夏の夜のジャズ」ではボブ・ブルックマイヤー、ジム・ホール と共にテナー・サックスで登場するが、当時は編曲者としてもモダンなジャズを手掛けていて、この後60年代初めには、ポール・ブレイ(p)、スティーヴ・スワロウ(b) と共にヨーロッパのフリー・インプロヴィゼーションに先駆ける内省的なフリー・ジャズの世界も追求していた。この2作品も当時としては非常にモダンなアレンジメントで、滑らかで、上品だが時にダンサブルとも言えるような演奏もあり、多彩な音楽を作りあげている。聴きなじむと、どの曲も高度だが実に気持ちのいい演奏で、ある種のノスタルジーも感じさせ、今の時代にイージー・リスニング的に聴くと非常にいい。コニッツはクロード・ソーンヒル楽団時代や、「クールの誕生」バンドなど、この種のアンサンブルは得意としてきた分野で、この頃は円熟の域に入りつつあって、どの演奏も余裕たっぷりで貫録さえ感じさせるほどだ。ビル・エヴァンスもまさに上昇期だったが、ここではソロをあまり取ることもなく、時々閃きを感じさせるフレッシュなバッキングでサポート役に徹している。全体的にハイレベルの演奏で、まさにあの時代の「スムース・ジャズ」とでも呼べるようなモダンで洗練されたアンサンブルである。

Motion
1961 Verve
1960年前後、オーネット・コールマンのような新世代フリー・ジャズ・ミュージシャンが台頭し、マイルスは「カインド・オブ・ブルー」でモードを手がけ、コルトレーンも「ジャイアント・ステップス」を経て徐々にフリーに向かっていく中、上記アルバムジャケットの変遷に見るように、益々リラックスした "ゆるい"(?)作品が増えていたVerve後半のコニッツは、おそらく「このままではいかん…」と危機感を募らせたのではないかと想像する(あくまで想像です)。そこで生まれたVerve時代最後の作品が、アルトサックス、ドラムス、ベースのピアノレス・トリオによる「モーション Motion(1961)である。このアルバムは間違いなく「Subconscious-Lee」と並ぶリー・コニッツの最高傑作だが、後者が師トリスターノの強い影響下にあった若い時期のものであるのに対し、「Motion」はコニッツがその後約10年間をかけて到達した自身の音楽の集大成とも言えるものだ。インプロヴィゼーションのための自由空間を制約するコード楽器との共演をコニッツは徐々に好まなくなり、60年代以降トリオやデュオでの演奏が増えて行くが、その方向を決定づけたのはこの「Motion」で得られた自信だろう。それくらいここでのコニッツは自信に満ち、豊かで伸びやかな演奏を展開している。「リー・コニッツ」で本人が述べているように、”知的でクール” と見られていたコニッツと、当時コルトレーンのグループにいた ”ホットでワイルド” なエルヴィン・ジョーンズ(ds)との初の組み合わせは、当時誰が見ても異質で意外なものだった。コルトレーンとの共演ぶりから相性面で不安を感じていたコニッツだったが、前日の夜「ヴィレッジ・ゲート」でコルトレーンとの激しいライヴ演奏をこなし、翌朝早くに録音現場に現れたエルヴィンの人柄と、予想外の驚くべき繊細さと絶妙なタイム感でリズムを繰り出すその演奏にすっかり感激したという。10年にわたり晩年のトリスターノの専属ベーシストだったソニー・ダラス(b)、エルヴィンともコニッツとも旧知で、そのベースワークは二人の間を取り持ちながら緊張感溢れる演奏を支えている。当日のこの3人の演奏技術と人間的コンビネーションが相まって、この傑作が生まれたのだろう。

収録全5曲ともスタンダードだが、コニッツの演奏から聞こえてくる原曲のメロディは、得意曲 <Foolin’ Myself> を除くとどれも希薄で、エルヴィンの繰り出すリズムに反応しながら冒頭からほぼ全編が緊迫した即興ラインの連続である。そこに聴ける創造力と音楽的テンションは、アルトサックスによるジャズ・インプロヴィゼーションの極致と言えるものだろう。ピアノのようなコード楽器のないことが、自由なインプロヴィゼーション空間を生み出すというコニッツの持論に頷かざるを得ないように、3つの楽器がそれぞれ独立したリズムとラインを刻みながら空間で見事に溶け合う、という最高度のジャズ的グルーヴを味あわせてくれる傑作だ。しかしながら、この久々の傑作を作ったにもかかわらず、この後60年代からのコニッツは、ジャズを取り巻く世界の変貌もあって、ジャズ・ミュージシャンとして最も厳しい時代を生きることになる。