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2018/01/05

女性ジャズ・ヴォーカル (1)

ビリー・ホリデイやニーナ・シモンのような天才歌手以外にも、サラ・ヴォーン、エラ・フィッツジェラルド、カーメン・マクレーといった有名な黒人女性歌手がいて、名盤も数多く、昔はジャズ・ヴォーカルと言えばまずは彼女たちのレコードを聴いたものだ。ただこういう歌手は、日本人的には濃い、重い、と感じる人も多く、代わってもっと軽くて聴きやすい白人女性歌手も非常に好まれた。アニタ・オデイ、クリス・コナー、ヘレン・メリル、ペギー・リーといった人たちが代表的で、やはり本格的なジャズ・ヴォーカルが楽しめたが、それ以外にも、もっと軽くて、アクの弱い、しかしジャジーな味わいのある白人女性歌手も昔はたくさんいて、そういう歌手の世界もなかなか捨てがたいものだ(その分野のマニアも昔からいる)。私的には、日本の年末はやはり昔の演歌が似合うように思うが、正月に女性ジャズ・ヴォーカルを聴いて1年をスタートするのも悪くない。ただし時節柄、胃にもたれそうな重い歌より、やはり軽く爽やかな、古き良き時代の白人女性歌手の歌でものんびり聴いて過ごす方がいい。ジャズ臭は薄く、中にはポピュラー音楽に近いものもあるが、その代わり現代の歌からは絶対に聞こえてこない、何とも言えない味やノスタルジーが感じられ、たまに聴くと非常に癒されるのである。

Night in Manhattan
Lee Wiley
(1951 Columbia)
黒人以外の女性ジャズ・ヴォーカルとしてはミルドレッド・ベイリー Mildred Bailey (1907-51) がまず挙げられるが、やはり同じスウィング時代に登場した歌手としてはリー・ワイリー Lee Wiley (1908-75) がいちばん有名で、同じような生年だがベイリーより長生きしたこともあって、彼女はモダン・ジャズ時代になってから数多くのレコードを残している。したがって伴奏陣の演奏も古色蒼然としたものではなく、また容姿の印象もあって、ワイリーの歌唱はよりモダンで、あでやかで、かつエレガントだ。代表的なアルバムは、何をさておいても『Night in Manhattan』(1951 Columbia)だろう。素晴らしいジャケット・デザインと、1曲目<Manhattan>のワイリーのハスキーで、しっとりした歌声を聴いただけで、1950年前後のニューヨークにタイムスリップできる。ビバップ以降の、過激で高速のモダン・ジャズが全盛だった時代に、ニューヨークではこうしたゆったりしたヴォーカル・アルバムも作られ、楽しまれていたのである(まあ白人だけだろうが)。ワイリーのアルバムをもう1枚挙げるなら、『West of the Moon』(1956 RCA)だろう。こちらはストリングスをバックに、ワイリーもさらに脂が乗って素晴らしい歌唱を繰り広げており、ややこしい政治問題も顕在化していなかった、シンプルで、明るく、ゴージャスなハリウッド的アメリカ全盛期の空気がそのまま伝わって来る傑作アルバムだ。ノスタルジーあふれるアルバム・タイトル曲がことさら素晴らしい。

Sings Ballads
Rosemarry Cloony
(1985 Concord)
ローズマリー・クルーニー Rosemarry Cloony (1928-2002) は、歌手以外にも女優、タレントとしても活躍した人で、ジャズ、ポピュラー音楽の分野で数多くレコーディングしている。クルーニーの歌唱はとにかく何を歌っても「屈託がない」。声も発音も発声も情感も、くぐもることなく、妙な癖もひねりもなく、きれいに軽やかに出て来るので、こちらも何も考えずに聴け、素直に耳に届くが、やはりそこにはジャジーな味わいもある。これは歌手としての彼女の個性であり、それはそれですごいことだと思う。声質も歌唱もリー・ワイリーの延長線上にあるように感じるが、ワイリーよりは男性的かつクールで、アメリカ白人女性のジャズ・ヴォーカルを代表する人だと思う。西海岸のジャズ・ミュージシャンたち(Scott Hamilton-ts, Warren Vache-cor, Ed Bickert-g 他)によるセクステットが伴奏し、既にベテランになっていたクルーニーが有名バラードのみをゆったりと歌った『Sings Ballads』(1985 Concord)は、数多い彼女のアルバム中でも、そうした個性がいちばん良く出ているレコードだ。録音も非常にクリアで、ストレスがないので、ヴォーカル、ホーンの音色、ギターの響きを含めて、うるさいこと、細かいことを言わずに、ひたすらリラックスして楽しめる最良の女性ジャズ・ヴォーカル・アルバムの1枚である。

Where is Love?
Irene Kral
(1976 Choice)
もう一人素晴らしいと思う歌手はアイリーン・クラール Irene Kral (1932-78) だ。乳がんで亡くなる少し前、1974年に録音された『Where is Love?(Choice) は、彼女が残した最高傑作である。男性的で屈託のないローズマリー・クルーニーとは対照的で、アメリカ人女性とは思えないような屈託のある(?)実にきめ細かな情感を、歌詞一つ一つの言葉に乗せて歌う人だ。こういう白人女性歌手もいるのだ、と初めて聴いたときはびっくりした記憶がある。このアルバムでは、アラン・ブロードベント Alan Broadbent のピアノ伴奏だけで、どの曲もしっとりと語るように歌い上げている。いわばアメリカ風シャンソンの趣があって、小さなサロンで、彼女が目の前で歌っているような、非常に親密で不思議な感覚を覚えるアルバムである。トリスターノの弟子だったとは思えないような、歌に寄り添うブロードベントの非常に繊細なピアノも美しい。後年ダイアナ・クラールもカバーした<When I Look in Your Eyes>をはじめ、どの曲も素晴らしいが、個人的好みを言えば、やはり冒頭のごく短い<I like You, You’re Nice>の、語るがごとき歌唱が絶品だと思う。

ただ、これらの古いヴォーカル・アルバムは、どれもLPで聴くのとCD(データも)で聴くのとでは、やはり受ける印象がまったく違う(私は両方持っている)。LPで聴ける濃密な声や楽器の質感、場の空気が、どういうわけか電子化されると嘘のようになくなって、どこかさっぱりしてしまうのである。今のように、最初から音源を加工したりせず、アナログ盤を前提にしたほとんど手を加えていない録音なので、やはり音の鮮度が違う。LPレコードの人気が復活するのも当然だろう。特に昔のジャズ・ヴォーカルは、やはりアナログ盤で聴くと圧倒的に声がリアルになり、歌を聴く楽しみが倍化する。

2017/06/15

リー・コニッツを聴く #7:ピアノ・デュオ

1967年の全編デュオのアルバム「デュエッツDuetts」(Milestone)以来、コニッツはピアノレス・トリオと並んで、デュオのフォーマットを好んできた。インプロヴィゼーションのためのスペースがより広いことがその理由で、自分のコンセプトをより自由に実行でき、かつ相手の音をより緊密に聴くことができるからだ。一方、50年代半ば以降、自身がリーダーのバンドを持たなかったコニッツは、60年代後半からはヨーロッパでの活動が増え、北欧、ドイツ、イタリア、フランスなど各国の現地ミュージシャンとの他流試合を重ねていて、さながら「アルト一本渡り鳥」のような人だった。オーストリアが自身のルーツの一つであり、またその後近年までドイツのケルンに住んでいたように、クラシックの伝統とフリー・インプロヴィゼーションの発展など、ジャズだけでなく様々な音楽を受け入れてきたヨーロッパの懐の深さが、コニッツにとっては居心地が良かったのだろう。そうした経験がその後のコニッツの音楽に影響を与えたとも言えるが、その過程でヨーロッパ各国のミュージシャンとの人脈も形成し、その中から有望な人たちを発掘することにも貢献してきた。

Toot Sweet
with Michael Petrucciani
1982 Owl
ピアニスト、ミシェル・ペトルチアーニ Michael Petrucciani (1962-99) との邂逅もそのひとつであり、1982年にフランスOwlレーベルに録音されたデュオ・アルバム「トゥート・スウィート Toot Sweet」でのコニッツとの共演をきっかけに、ペトルチアーニがアメリカや世界のジャズ・マーケットに初めて紹介されることになった。録音時コニッツは55歳、ペトルチアーニはデビュー間もない19歳でコニッツとは初顔合わせのセッションだった。まだ19歳のペトルチアーニは巨匠との一対一の共演という場に、おそらくさすがに緊張と尊敬の入り混じった複雑な心理だったろうが、コニッツの繰り出すアブストラクトな独特のフレーズに対し、見事に音楽的応答をこなしている。また、このアルバムでのコニッツのサウンドは、厚くハスキーに録れていて、ペトルチアーニの華麗なピアノ・サウンドと好対照だ。それぞれのソロ各1曲を含む6曲はいずれも聴きごたえがあるが、中でも約16分に及ぶ<ラウンド・アバウト・ミッドナイト>と<ラヴァー・マン>という2曲に聞ける両者の長く美しい、かつ刺激的な対話は、「汲めども尽きぬ」という表現がまさにふさわしい即興デュオのひとつの極致だろう。ソロやデュオ作品というのは、ずっと聴き続けるのが結構大変なものが多いが、このアルバムはそうではなく、インプロヴィゼーションを通じた二人の対話には最後まで興味がつきることがない。

Solitudes
with Enrico Pieranunzi
1988 Philology
マーシャル・ソラール他とのイタリア録音がきっかけで、コニッツにとってヨーロッパの中でもイタリアとの交流が特に深いものになった。その後イタリアのレーベルPhilologyに数多くの録音を残しており、エンリコ・ピエラヌンツィ Enrico Pieranunzi とのピアノ・デュオ「ソリチュード Solitudes」(1988) もその1枚である。ピエラヌンツィは自己のソロやトリオでの活動の他、ジョニー・グリフィンやチェット・ベイカーと、また80年代はコニッツとも頻繁に共演していたが、二人が共演したアルバムとして残されているのは本作のみのようである(調べた範囲で)。ピエラヌンツィはクラシック的な構築感のある美しい演奏が多いが、かなりフリー的表現も試みる人で、それは80年代に共演したコニッツの影響が大きいと語っている。このアルバムでは、二人がよく知られているスタンダード全11曲(+別テイク3曲)にチャレンジしている。コニッツはこの後1990年代にもペギー・スターンなどピアニストとのデュオ作品をPhilologyに残しているが、当然のごとく各アルバムには二人の奏者間の対話独特の味があって、それぞれが違い、それぞれが楽しめる。デュオというのは、普通は聴き手にもある種の緊張を強いるものだが、イタリア録音のこれらのアルバムは、お国柄もあってどことなくリラックスしているところが良い。しかし、さすがにピエラヌンツィとのこのCDは、82年のミシェル・ペトルチアーニとのデュオに近いハードなジャズ的緊張感もそこはかとなく漂わせていて、じっくり聴くことを要求する。

Italian Ballads Vol.1
with Stefano Battaglia
1993 Philology
コニッツとステファノ・バターリア Stefano Battaglia (1965-) のデュオ「イタリアン・バラッズ Italian Ballads Vol.1」(1993 Philology)は、タイトルが示すように、よく知られたイタリアのポピュラー曲を素材にしている。この当時66歳のコニッツは2度目の絶頂期であり、安定した、成熟したプレイを聞かせていた時期で、一方バターリアはまだ20代後半の若さで、ライナーの写真ではスキンヘッドの今と違って長い髪をしている。コニッツは80年代以降のデュオ録音では、非常にアブストラクトな表現をするときと、繊細に美しくメロディを歌わせるときがある。他の作品と違ってこのアルバムでは全体としてアブストラクトな表現を避け、丁寧にメロディを歌わせることに徹しており、安定したピッチで、微妙な音色とニュアンスによって「歌う」表現を試みている。素材そのものが通俗的で、感傷的な歌ものだということもあるが、バターリアのクラシカルでクールな美しいピアノ伴奏を得て、それをどこまで洗練されたジャズ・デュオにできるかがテーマだったろう。そして見事にそれに成功していると思う。何も考えずに、深夜いつまでもじっと聴いていたくなるような、クールで美しいデュオである。

Live-Lee
with Alan Broadbent
2000 Milestone
「ライヴ・リー Live-Lee(2000 Milestone) は、ロサンジェルスのクラブ「ジャズ・ベイカリー」でアラン・ブロードベントAlan Broadbent (1947-) とのデュオをライヴ録音したアルバム。全11曲で、スタンダード中心の選曲だが、お馴染みトリスターノの<317 East32nd>と<Subconscious-Lee>も取り上げている。ブロードベントはニュージーランド出身という珍しいピアニストで、コニッツが完全に師の元を去った後のトリスターノ・スクールで、1966年から約2年間トリスターノに直々に師事した人だ。その間コニッツたちと同じく、レスター・ヤングのソロを研究するという指導を受けている。その後ウッディ・ハーマンをはじめ、ネルソン・リドル、ヘンリー・マンシーニ等の楽団編曲の経験を経て、歌手ナタリー・コールの伴奏者、編曲者、さらにチャーリー・ヘイデンのカルテット・ウエストに参加、また歌手ダイアナ・クラールの編曲者としても活動し、グラミー賞も2度受賞している。しかしこのアルバム以前にコニッツとの共演記録はない。そういうわけで、このアルバムはトリスターノ・スクールの先輩と後輩による同窓デュオのようだとも言える。ブロードベントは、歌手アイリーン・クラール Irene Kral (1932-78) との素晴らしいデュオ・アルバム、「ホェア・イズ・ラヴ? Where Is Love?(1974 Choice) での寄り添うような見事な歌伴が記憶に残っているが、その後も女性ヴォーカリストの伴奏を手がけているように、非常に繊細な表現をする人だ。ここでのコニッツのプレイはいつも通り、時々出て来るアブストラクトな感じと、メロディアスな部分が微妙に入り混じっていて、2人の対話が不思議な心地良さを感じさせるデュオ・アルバムとなった。