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2020/03/07

Play ”MONK"(2)

The Thelonious Monk
Orchestra at Town Hall
1959 Riverside
モンク作品をラージ・アンサンブルで演奏する、というコンセプトは魅力的だと思うが、それを最初に手掛けたのはモンク自身だった。1959年のRiverside時代に、当時ジュリアード音楽院の教授で大のモンク・ファンだったホール・オヴァートン Hall Overton (1920-72) との共同編曲で、モンクはビッグバンドのコンサート・ライヴ『The Thelonious Monk Orchestra At Town Hall』を録音し、さらに1963年にはコロムビアでもう一作同じくオヴァートンとライヴ・コンサート・アルバムを残している(Big Band and Quartet in Concert』)。いずれもテンテット(10人編成)で、モンクの過去のコンボ演奏のサウンドを、より大きな編成のバンドによる演奏で拡張するというコンセプトであり、自分の過去のレコード演奏をオヴァートンと綿密に分析しながら、最終アレンジメントを仕上げていったとされている。いわばある種の "Monk Plays Monk" である。モンクはその後のヨーロッパ・ツアー時にも同様の編成でコンサートを行なっているので、このアイデアとフォーマットにはモンク自身がずっと興味を持ち続けていたようだ。(詳細は本ブログ 2017年10月の「モンクを聴く#9: Big Band」をご参照)

モンクはソロが良いと昔から言われてきたのは、まず曲が難しいこともあるが、モンクの意図と彼がイメージしているサウンドを理解し、実際に演奏でそれを表現できる奏者が限られていたからだ。そのスモール・コンボではなかなか完全には表現し難い、複雑なリズムとハーモニー、内声部の動きを持つモンク作品のサウンドを、 ”ラージ・アンサンブル” によって表現するのは、アレンジャーにとってさらにハードルが高いはずだが、確かに非常に興味深いチャレンジではあるだろう。モンク本人でさえそう感じていたからこそ、何度も挑戦したわけだが、モンクが直接関与した編曲に基づく演奏すら当初酷評されたように、成功させるのは簡単ではない。そもそもモンクの音楽自体が当たり前の語法に則っていないし(それが魅力なわけでもあり)、小編成コンボでもサウンド的に満足していたわけではない曲を大編成バンドで拡張して表現するのは、前にもどこかで書いたが、大キャンバスにほぼ即興で抽象画を描くようなものなので、成功させるには並大抵ではない編曲能力とセンス、演奏能力が要求されるからだ。しかし難しいが、仮に成功したら、他の音楽や演奏では決して味わえない素晴らしく魅力的なジャズになる可能性もある。

以下に挙げるのは、これまでに私が探して聴いた「ラージ・アンサンブルによる全曲モンク作品」というレコードだが、もちろんド素人の私に演奏の優劣を判断する能力はないので、あくまで参考として個人的な印象を書いただけである。演奏の評価はプロの音楽家や、聴き手それぞれの視点や嗜好で判断すべきことだが、いずれにしろこの聴き比べは、モンク好きなら楽しめる作業であることは確かだ(ただ、モンク好きでビッグバンドも好き、あるいはビッグバンド好きでモンクも好き、という人がいるのかどうかはよく分からないが…)。それに、レコード(CDでもデータでも)の場合、大型スピーカーで大音量で鳴らせれば別だが、中型以下のスピーカーで聴くビッグバンドは正直言って魅力が半減する。どうしても、迫力に欠け、低域に比べて高音部がやかましく聞こえるからだ。ライヴで聴く優秀な大編成バンドのジャズ・サウンドは、一度聴くと病みつきになるくらい素晴らしいのだが……。

90年代ではまず、ドラマーで息子のT.S.モンク(1949-) がドン・シックラー Don Sickler(1944-)の編曲で、上記モンク録音を参考にしながら、父の生誕80周年に共同で発表した、10-12人編成のオールスターバンドによる父親へのトリビュート・アルバムMonk on Monk』(1997 N2K)がある。豪華オールスターに気を使いすぎたのか、どの曲も整然とアレンジされすぎていて、モンク的破綻(?)や意外性がなく、どこか物足りないという感は否めないが、古臭くはなく、かと言って新しさを狙った風でもなく、非常にオーソドックスなアレンジの演奏だ。しかし、なにしろヴァン・ゲルダ―による現代的なクリーンで厚みのある録音で、きっちりとアレンジされたモンクの名曲を、モンクをよく知る一流プレイヤーたちが次から次へと演奏するサウンドを聴いていると、これはこれで単純に気分が良く、私的にはとても楽めるレコードだ。(収録曲、メンバー詳細等は、2017年11月の本ブログ 「モンクを聴く#15:Tribute to Monk」 をご参照)

The Bill Holman Band
Brilliant Corners
The Music of Thelonious Monk
1997 JVC
同じ時期(1997年)に発表されたもう1枚が、JVCがプロデュースしたビル・ホルマンBill Holman(1927-)のバンドによる『Brilliant Corners:The Music of Thelonious Monk』だ。ホルマンは、スタン・ケントン直系の西海岸の伝統的アレンジャーで、能力とセンスは折り紙付きなのだろうが、モンクの音楽との相性がどうかと思っていた(60年代末に、モンク/オリヴァー・ネルソンというCBSでの残念な組み合わせの前例があるので)。結果は予想通りというべきか、確かに流麗、ゴージャス、モダンな演奏は素晴らしいのだが、洗練されすぎているためか、ごく普通のビッグバンドのサウンドのように聞こえ、モンクを全面に出してタイトルを謳うほどの個性的なモンク解釈が感じられないような気がする。だが、たぶんこれは好みの問題なのだろう。
* 収録曲は以下の10曲。
 Straight, No Chaser /Bemsha Swing /Thelonious /'Round Midnight /Bye-Ya /Misterioso /Friday the 13th /Rhythm-A-Ning /Ruby, My Dear /Brilliant Corners

Standard Time Vol.4
Marsalis Plays Monk

 1999 Sony
まったく知らなかったのだが、意外なことに、ウィントン・マルサリス Wynton Marsalis(1961-) がモンク作品をノネット編成で演奏した『Standard Time Vol.4: Marsalis Plays Monk』というレコードをリリースしている(1999 Sony ただし録音は93/94)。超有名曲をあえてはずした選曲になっているところが、ウィントンらしいと言えようか。予想されたことだが、印象としてはまさしくマルサリス的モンクで、まったく別の音楽(クラシック?)のように聞こえるところもある。何というか、熱さとか、ユーモアとか、ウィットとか、温かみとか、基本的にモンクの音楽の属性というべき要素がことごとく除去されて、全体が蒸留されたような、アクのないサウンドだ。ニューオリンズのように聞こえる部分もあって面白い工夫も見られるのだが、基本的には滑らかで上品、低刺激なモンクなので、大きく好みが分かれるだろう。とはいえ、これらの演奏から、マルサリス的解釈による作曲家モンクへの敬意というものが、素人の耳にもどことなく伝わって来ることも確かだ。
* 収録曲は以下の14曲。
Thelonious /Evidence /We See /Monk's Mood /Worry Later/Four in One /Reflections /In Walked Monk (Marsalis) /Hackensack /Let's Cool One /Brilliant Corners /Brake's Sake /Ugly Beauty /Green Chimneys

考えてみると、上記3枚のCDはいずれも1990年代の演奏と録音であり、アレンジャーも参加プレイヤーたちも、モンクと同時代を生きていたメンバーがほとんどだ。だから1950/60年代のモンクの天才と斬新さを記憶し、みんなが身体でそれを覚えているがゆえに、基本的にモンクのイメージをなぞるような正統的リスペクトになるのかもしれない。そう思って聴けば、これらはいずれも良くできた楽しめるレコードだろう。

それから20年近くを経て、ピアニストのジョン・ビーズリーJohn Beasley (1960-) がMONK’stra Vol.1』&『Vol.22016&2017 Mack Avenue)という2枚のアルバムを発表している(Vol.1 /9曲、Vol.2 /10曲)。モンクを大編成バンドで演奏すべく2013年に結成された「モンケストラ」は、基本15/16人編成のラージ・アンサンブルで、こちらはアレンジャーも若く、生きた時代も違うので、好き勝手とまでは言わないが、かしこまらないで、現代のリズムやグルーヴを大胆に取り入れたかなり遊びの精神が入った多彩なアレンジになっている。そもそもモンク自身がある意味ルール破りの達人だったわけで、こうした型破りな挑戦は、現在のアーティストがモンクをリスペクトする一つの方法でもあるだろう。しかし私的には、2作品ともに全体としてあれこれ奇を衒いすぎた感が強く(いじりすぎでうるさい)、あまり「ジャズ」的なグルーヴを感じさせないのが残念だ。それとビル・ホルマンもモンケストラもそうだが、いずれも西海岸のビッグバンドだ。これはあくまで個人的感覚にすぎないが、そのせいかサウンドがどことなく(オリヴァー・ネルソン盤ほどではないにしても)、モンクにしてはやや明るく、きらびやかすぎるように聞こえる。個人的には、モンクの音楽はやはり、ニューヨークの景色に似合った、しぶく艶消しのサウンドがよく似合うように思う。

The Monk; Live at Bimhuis
狭間美帆
2018 Universal
The Monk: Live at Bimhuis』(Universal) は、狭間美帆がオランダの ”メトロポール・オーケストラ” を指揮して、モンク作品全7曲を演奏した最新CDだ2017年10月(狭間が出演した「東京ジャズ」のすぐ後)にアムステルダムの「ビムハウス」で、モンク生誕100周年記念コンサートの一環としてライヴ収録された演奏で、7曲のうち<Round Midnight>、<Ruby My Dear>など4曲は、モンクの ”ソロピアノ” 演奏を元にして編曲したものだという。作曲家モンクの頭の中で ”鳴り響いていたはずの音” を、オーケストラのサウンドで表現するという試みであり、これはモンクがホール・オヴァートンと「タウンホール」コンサート向けに行なった編曲手法と同じだ。世界で唯一と言われるジャズ・フィルハーモニック・オーケストラによる斬新な演奏は、モンク的フレーバーを感じさせながら、何よりもカラフルな「現代のジャズ」を感じさせるところが素晴らしい。上記2枚の録音のLA的輝きよりも、サウンドにヨーロッパ的陰翳と、ある種の重さが感じられるところも私的には好みだ。単なるアレンジャーではなく、作曲家という狭間のバックグラウンドが、こうした斬新なアレンジと演奏を可能にしているのだろう。狭間美帆は2017年の「東京ジャズ」で自ら指揮し、素晴らしい演奏を聞かせてくれたデンマークラジオ・ビッグバンドの首席指揮者に2019年10月から就任しており、今後も益々活躍が楽しみな作曲家・アレンジャーだ。秋吉敏子に次いで、日本のジャズ界から世界で活躍するこうした才能が現れたことを非常に嬉しく思う。今年2020年5月の「東京ジャズ(プラス)」にも3年ぶりに出演するらしいので、今から楽しみにしている。
* 収録曲は以下の7曲。
Thelonious /Ruby My Dear /Friday The 13th /Hackensack /Round Midnight /Epistrophy /Crepuscule With Nellie

2017/10/21

モンクを聴く #9:Big Band (1959 - 68)

モンクはビッグバンドのレコードを3作品残している。モンク本人ですら苦労したビッグバンドによる編曲と演奏は、いわば大キャンバスに描く抽象画と同じくらい難しいことだろう。しかし「メロディからハーモニーが聞こえて来る」というモンク作品を、大編成バンドのカラフルなサウンドで解釈するというこの試みは、今でも非常に魅力的だと個人的には思っている。これは現代のジャズにとっても、まだまだ掘り下げるに値する数少ない分野の一つではないだろうか。山中千尋や狭間美帆のような女性アーティストがチャレンジしているように、ジャズに限らず、モンクの音楽を現代の感覚で解釈、表現するという世界に挑戦するミュージシャンがこれからも現れて欲しい。

The Thelonious Monk
Orchestra at Town Hall
(1959 Riverside)
第20章 p393
モンク初のビッグバンド(テンテット:10重奏団)の公演と正式録音は、リバーサイド時代の1959228日の「タウンホール」コンサートである(『The Thelonious Monk Orchestra At Town Hall』)。これは1946年に、モンクがディジー・ガレスピーのバンドを遅刻が理由でクビになって以来のビッグバンド参加であり、しかもコンサートのすべてをモンクの自作曲で行なうという画期的な企画だった。ずっとモンクを尊敬し、モンクの音楽を深く理解していた当時ジュリアード音楽院教授だったホール・オヴァートンを編曲者としてモンクは指名する。この時ビッグバンドのリハーサルを行なっていたニューヨーク6番街のロフトにオヴァートンたちと住んでいたのが、写真集「水俣 MINAMATA」で知られる社会派の写真家W・ユージン・スミス(1918-78)だった。オーディオマニアでもあったスミスがロフトで録音していた貴重なテープから、ロビン・ケリーが本書中で一部を書き起こしたモンクとホール・オヴァートンの会話とリハーサルの模様は、モンクの思想と手法を語るものとして非常に興味深いものだ。またこのテープは、これまでオヴァートンが単独で編曲したと思われていたコンサートの音楽が、実はモンクと緊密なやり取りをしながら、いわば共同で書かれていたことを示す証拠となった。
カルテットとテンテットによる当日のメンバーとCD収録曲は以下の通り。
<メンバー> Donald Byrd (tp) Eddie Bert (tb) Bob Northern (fh) Jay McAllister (tuba) Phil  Woods (as) Charlie Rouse (ts) Pepper Adams (bs) Thelonious Monk (p) Sam Jones (b) Art Taylor (ds)
<CD収録曲> Thelonious/ Friday The 13th/ Monk's Mood/ Little Rootie Tootie/ Off Minor/ Crepuscule With Nellie/ In Walked Bud/ Blue Monk/ Rhythm-A-Ning

演奏内容と評価は本書に詳しいが、当日の会場の反応はすこぶる良かったものの、1952年のモンク初のピアノ・トリオの演奏をビッグバンドで再現し、高い評価を得た<リトル・ルーティ・トゥーティ>を除き、結果的に批判的なコンサート評が多かったために、リバーサイドはその後スポンサーも兼ねて予定していた8都市を巡るコンサート・ツアーを中止した。この予想外の判断によって、このコンサートに大きなエネルギーを注ぎ込んだばかりか、当時キャバレーカードがなく、ツアー公演に唯一の収入を見込んでいたモンクは落胆し、リバーサイドとの関係も決定的に悪化した。さらにモンクの精神状態もその後しばらくは不調となり、4月にはボストンの「ストーリーヴィル」出演後に行方不明になるという事件を起こす。ところが、このライヴ・アルバムは1959年のリリース後、非常に高い評価を得るようになるのである。ジャズ・コンサート批評の難しいところだが、これがジャズ、特にモンクのようなエモーション一発ではない複雑で高度な音楽を、ライヴで1回聞いただけの批評の危うさだと言える。一般的にジャズとはそういうもので、だからこそ録音とレコードの価値があるわけだが、中でもモンクのように、何度も繰り返して聴かないと、その本当の素晴らしさがわからないジャズというものはあるのだ、という実例の一つだろう。

Big Band and Quartet
in Concert
(1963 Columbia)
第25章 p515
モンク2度目のビッグバンド公演が、コロムビア時代19631230日の「フィルハーモニック・ホール」でのコンサートで(『Big Band and Quartet in Concert』)、ホール・オヴァートンが再び編曲を担当した。モンクがビッグバンドに求めていた理想は困難ではあるが明快なもので、単に楽器の数を増やしただけの定型的大編成バンドではなく、スモール・コンボと同じように自由な即興演奏に近いスウィングする音楽をラージ・アンサンブルで実現することだった。「タウンホール」での音調が低域部が重かったという反省から、メンバーにはサド・ジョーンズ(corn)とスティーヴ・レイシー(ss) を新たに加え準備を進めていたが、1122日のダラスでのケネディ大統領暗殺事件によって1129日に予定されていた公演日程が1ヶ月先送りとなった(タイム誌が予定していた、モンクの表紙とカバーストーリーを掲載した号も発売延期となった)。今回はモンク・カルテットを間に挟んだ3部構成とし、高域部の強化によって明るい響きになったビッグバンドは好評で、特に『At the Blackhawk』のソロを引用した<フォア・イン・ワン>が最も高い評価を得た。こちらは追加曲も収録した2CDで、録音が非常にクリアなので、各パートの音も明瞭で快適なサウンドだ。
カルテットとテンテットによる当日のメンバーとCD収録曲は以下の通り
<メンバー> Thad Jones (cort) Nick Travis (tp) Eddie Bert (tb) Steve Lacy (ss) Phil Woods (as,cl) Charlie Rouse (ts) Gene Allen (bs, cl, bcl) Thelonious Monk (p) Butch Warren (b) Frankie Dunlop (ds)
<CD収録曲> Bye-Ya/ I Mean You/ Evidence/ Epistrophy/ (When It's) Darkness On The Delta/ Oska T./ Misterioso/ Played Twice/ Four In One/ Light Blue 

「タウンホール」直後の不評とは違い、「フィルハーモニック・ホール」での公演は論評を含めて大成功となった。モンクは自分の功績の一つとして「インプロヴァイズするジャズを、ビッグバンドという形態で実現したことだ」と後年述べているが、確かにこれも、モンクとオヴァートンが共同で作り上げた独創的音楽の一つだったと言えるだろう。その後モンクは196710月の6度目のヨーロッパ・ツアー時にも、ジョージ・ウィーンの提案でオクテット、ノネットによるバンドを率いてイギリス、ドイツ、フランス他で演奏し好評を博しているが(ジョニー・グリフィンやフィル・ウッズを擁したこのバンドの映像の一部が、映画『ストレート・ノー・チェイサー』に残されている)、ドイツのベルリン・ジャズ祭では、ヨアヒム・ベーレントとテオ・マセロのレコーディング企画提案にもかかわらず、コロムビア上層部の支持が得られなかったためにこの企画はお流れとなった。ただし、ヨーロッパの現地放送局が録音したこの時の公演は、いくつかアルバムとなって後にリリースされている。

Monk's Blues
(1968 Columbia)
第27章 p585
モンク最後のビッグバンドのアルバムが、196811月にロサンゼルスでスタジオ録音された『モンクス・ブルース Monk’s Blues』で、前年のヨーロッパでのモンクのビッグバンドの演奏に触発されたテオ・マセロがプロデュースし、当時売れっ子アレンジャーだったオリヴァー・ネルソンを編曲者に指名したレコードだ。モンクのバンドに加え、LAの現地ミュージシャンを数多く起用した16人のオーケストラで、大編成の強力なバンドによる「ロックやR&Bの要素を取り入れたクロスオーバー的味付けの音楽」という、あの時代を感じさせるコンセプトだ。この録音では、モンクはピアニストとしてフィーチャーされただけで、曲の構成全体に関与していたわけではなく、モンクとオヴァートンの協働作業で作り上げた上記2つのビッグバンドとはまったくコンセプトが違うものだった。モンク自身は録音には協力的だったようだが(仕事として)、セロニアス・モンクの曲を「素材」にしただけで、モンク的音楽世界からはまったく乖離しているとして、このアルバムはプロデュサーのマセロ本人を含めて各メディアや批評家からは酷評された。今の耳でモンク入りの珍しいイージーリスニング・ジャズとして聞けば、なるほどと思えるが、それまで長年「モンク固有の音楽」を聴いてきた当時の批評家たちにとっては受け入れ難かったのだろう。CDの録音はエコーがかかったようで、ホーン群の高域も強調され過ぎて、若干うるさい。マネージャーのハリー・コロンビーが、モンクと一緒にLAのネルソンの豪邸を訪問した際の観察と、このレコードの感想が本書に書かれているが、まさに対照的な二人の音楽家の対比が非常に面白い。
収録曲は以下の通り(テオ・マセロ作の2曲がこっそり入っている)。
Let's Cool One/ Reflections/ Little Rootie Tootie/ Just a Glance at Love (Macero)/ Brilliant Corners/ Consecutive Seconds (Macero)/ Monk's Point/ Trinkle, Tinkle/ Straight, No Chaser/ Blue Monk/ Round Midnight

ところで、1960年代という時代背景もあるのだろうが、このアルバムも含めてコロムビア時代のモンク作品のジャケット・デザインはどれも薄味で、モンクの音楽世界を表現していないように個人的には思える(凝った「アンダーグラウンド」も)。テオ・マセロはプロデューサーとして、コロムビア時代のマイルス・デイヴィスを録音編集の技術を駆使して「創作」した功労者だったが、初期の頃からモンクのファンでもあった。だからモンクへの尊敬と愛情は持ち続けていたし、モンクの売り出しに大きな力を注いだのも事実だと思うが、レコード作りのコンセプトがモンクの音楽の本質と徐々にずれて行ったことと、それを加速した売り上げを至上命題としたコロムビアの商業主義によって、結局コロムビアという会社とアーティスト・モンクの板挟みのような状況に追い込まれて行ったのではないかと想像する。「聴き手が理解するまで、妥協せずに自分の信じる音楽をやり続けろ」と語っていたように、モンクは基本的に作曲家であり、マイルスのように時代や聴衆のニーズを見抜いて自分の音楽を変えることのできる器用な音楽家ではなかったからだ。モンクとコロムビアとの契約は1970年まで継続するが、結局この1968年の『Monk's Blues』が、モンクにとってコロムビアへの、またメジャー・レーベルへの最後の録音となった。

2017/09/15

「作曲家」 セロニアス・モンク(1)

Brilliant Corners
(1956 Riverside)
『セロニアス・モンク 独創のジャズ物語』のロビン・ケリーの原書には、モンクのアルバム、映像作品の簡単なリストが参考資料として巻末についているだけで、詳細なレコード情報などはない。ただし、初録音情報などを記した自作曲のリストがある。既述のように、この本はモンクの音楽やレコードの分析を主題にしたものではなく、またその種の本は既にいくつも書かれているので、著者も敢えて付け加えるつもりはなかったのだろう。ただし本文中には、年代ごとにレコーディング・セッションと演奏曲に関するかなり詳細な記述がある。しかし、それらは文章の流れの中で触れており、またジャケット写真を含めてリリースされたレコードに関する情報がほとんどないので、読んでいてどのレコードなのか具体的に知りたいと思う読者もいることだろう。今はインターネットで調べればほとんどの情報は個別に辿ることができるが、それでは読者に不親切なので、コニッツの本と同じくジャケット写真付きの簡単なディスコグラフィーを作成して、巻末に参考用として添付しようかと思っていたが、既述の通り大部の本となってしまい、ページ数の制約もあるので、自作曲のリスト共々今回は難しいということになった。そういうわけで、モンクの代表的レコードについて、本書を参照しながら時系列で確認できるようなレコード・ガイドをこのブログ上で書こうかと考えていた。ところが、考えているうちに、それは何か違うのかなと思い始めた。モンクには『ブリリアント・コーナーズ』のような傑作とされる名盤も確かにあるのだが、それは、例えばマイルスの『カインド・オブ・ブルー』やコルトレーンの『至上の愛』、ビル・エヴァンスの『ワルツ・フォー・デビー』のような、誰もが思いつくジャズの決定的名盤とは、一般的人気度という見方は別にしても、どこか「性格」が違うでのではなかろうかという疑問である。

リー・コニッツの時と同じく、モンクの本を翻訳中ずっとモンクのレコードを聴きながら作業していたのだが、何度も繰り返して聴いているうちに改めてその感を深めたことがある。それは、モンクの演奏は1940年代のまだ若い時も、中年になった1960年代も、音楽の骨格そのものにはほとんど変化がないということだ。普通のジャズ・ミュージシャンは、年齢と経験を重ねてゆくうちに、時代と共にその演奏スタイルやサウンドも徐々に進化あるいは変化してゆくものだ。ディスコグラフィーに沿った年代別の聴き方をしていると、素人耳にもそれははっきりとわかるもので、聴き手としてはそこがまたジャズの面白い部分でもある。ところがモンクは、初のリーダー作である1947年のブルーノート録音の時から既にモンクそのもので、最後のスタジオ録音となった1971年のブラック・ライオンの『ロンドン・コレクション』に至るまで、音楽上の造形にはほとんど基本的に変わりがないように聞こえる。もちろん年代や、録音時のコンディションや、共演相手によって演奏には当然ある程度の変化はあるのだが、基本的には30歳代も50歳代の音楽も一緒なのだ。要するに、モンクは最初からずっと「素晴らしくモンク」なのである。本人も、またネリー夫人も語っていたように、何十年も前と何も変わったことはやっていないのに、1950年代の終わり頃になってから音楽家として急に脚光を浴び、世間の認証が得られたのは、「世の中のモンクの聴き方」の方が変化したからだ、ということなのだろう。ジャズ・ミュージシャンとしてこれは特異で驚くべきことに違いないし、ジャズ史にこのような人物は他にはいない。

プロのジャズ・ミュージシャンや批評家、真にコアなモンクファンを別にすれば、おそらく普通のジャズファンは、レコードを聴きながらジャズ・ピアニストとしてのモンクの演奏を楽しみ、聴いているのではないかと思うし、私もこの本を読むまでは長年そういう聴き方をしていた。もちろん作曲家であることも、<ラウンド・ミッドナイト>や<ルビー・マイ・ディア>のような名曲の作曲者であることも知識としては当然知ってはいたが、レコードを聴くときは普通のジャズ・ピアニストを聴くときのように聴いていたし、同じ曲を何度も取り上げていても、代表的レコードから聞こえてくるその個性的な演奏の魅力を単に楽しんでいた。モンクの音楽を分析的に聞いたところで(しかもド素人が)少しも面白くないし、モンクにしかないあの開放感と不思議なサウンド、リズム、メロディを素直に楽しむのがいちばんいいからだ。しかし上述の自分の観察から、またこの本を読んで改めて理解したのは、モンクという音楽家はピアニスト以前に、本質的にまず「作曲家=composer」なのだということだった。

モンクは、即興演奏だけの単なるジャズ・ピアニストではなく、コンポーザー(作曲家)、アレンジャー(編曲者)、インプロヴァイザー(即興演奏家)という3つの資質を併せ持った稀有なジャズ・ミュージシャンだと言われている。タッド・ダメロンのようなビバップの作曲家もいるが、演奏家としてはモンクのような存在感はなく、またジャズの巨人と呼ばれてきた人たち、例えばマイルス・デイヴィスは作曲より、むしろ常に曲と演奏の全体的構造を考えるアレンジャーとしての資質が強く、ジョン・コルトレーンやソニー・ロリンズはほぼ真正のインプロヴァイザーだったと言えるだろう。そしてビル・エヴァンスやキース・ジャレットのようなピアニストを含めて、大方のジャズ・ミュージシャンはこのインプロヴァイザー型である。しかしクラシック音楽の世界では、モーツァルトやベートーヴェンの時代までは、音楽家は一人でこの3つの技術を持っているのが当たり前だったが、その後の歴史でこれらは徐々に分化し、曲を作る人、演奏する人、さらには全体の指揮をする人というように、専業化が進んで今のようになったと言われている(ただしショパンのように、ピアニストの一部には自作曲を演奏した音楽家もいた)。ジャズも初期の段階では、これらの技術は未分化だったが、クラシック同様に徐々に作曲(ポピュラー曲)、編曲、演奏という分化した専門技術から成る音楽となって行ったようだ。ジャズの始祖とも言われるバディ・ボールデンの後、それらの技術を一人で「統合」し、多くの有名曲を作り、編曲し、ピアノを通じてビッグバンドという自らの「楽器」を指揮することで、黒人音楽の伝統の上に高度な水準の音楽を創造した史上初の「ジャズ音楽家」が、スウィング時代に現れたデューク・エリントンである。ジャズ史におけるエリントンの偉大さはそこにあり、そして曲を単なる素材にした即興演奏の価値が一層重視されるようになったビバップ以降のモダン・ジャズ時代に、この3つの要素を統合し、一人3役の能力を持った音楽家として登場したのがセロニアス・モンクなのである。エリントンがモンクの音楽を直ちに理解したこと、モンクとエリントンの互いへの敬意を示す本書中のいくつかの逸話は、したがって非常に説得力のあるものだ。

Genius of Modern Music
(1947- 52 Blue Note)
モンクは1930年代から既に作曲を始めていたようだが、驚くことに、モンクの作った有名曲の多くが、まだ若かった1940年代(20歳代)に既に作曲されている。本書で描かれているようにモンク初のリーダーセッションとなったのが、1947年モンク30歳の時に、これらの自作曲を引っ提げて臨んだブルーノートへのスタジオ録音である。ブルーノートのアルフレッド・ライオンたちは、194710月から11月にかけて、セクステット、トリオ、クインテットで計3回、19487月にミルト・ジャクソンを入れたカルテットで1回、その後しばらくして19517月に同じくクインテットで1回、最後の録音となった19525月のセクステットで1回、と都合6回の録音セッション(78回転SP盤)を行なっている。1947年の録音では、<ルビー・マイ・ディア>、<ウェル・ユー・ニードント>、<オフ・マイナー>、<イン・ウォークト・バド>、<ラウンド・ミッドナイト>などが、1948年録音では<エヴィデンス>、<ミステリオーソ>、<アイ・ミーン・ユー>、<エピストロフィー>などが、1951年録音には<フォア・イン・ワン>、<ストレート・ノー・チェイサー>、<クリス・クロス>、<アスク・ミー・ナウ>、1952年録音には<スキッピー>、<ホーニン・イン>、<レッツ・クール・ワン>などが収録されている。こうして録音リストを見ると、実は上記ブルーノートにおける録音の時点で、モンクは既に自身の「名曲」の大半を作曲していたことがわかる。したがってこれらブルーノートの初期セッションをLP時代にまとめたレコード『Genius of Modern Music Vol.1,2,3』(Vol.3はミルト・ジャクソン名義)こそ、まさに音楽家セロニアス・モンクの原点だと言える。聴いていると、これらの演奏が1940年代の大部分の聴衆の耳には、あまりに先進的かつ個性的に聞こえ、理解できなかったという話もよくわかる。そして、上記セッションで気づくもう一点は、モンクが、ソロ以外のすべての演奏フォーマット(トリオ、カルテット、クインテット、セクステット)で録音していることだ。ブルーノートはメンバーの構成、人選を当初モンクに一任していたので、ビバップとは異なるコンセプトで自作してきた曲が、それぞれのフォーマットでどのような「サウンド」になるのか、モンクはひょっとして初期の録音の場で周到に実験していたのではないだろうか(あくまで想像です)。

At Town Hall (Live)
(1959 Riverside)
こうした1940年代のキャリアから見ても、モンクをモンクたらしめているのは何よりも作曲家 (composer) の資質だと言えるだろう(ただし本書に書かれているように、ピアノ奏者としてなかなか認められなかった当時の状況が、結果的にモンクの創造エネルギーをより作曲に向かわせたという一面はあるかもしれない)。そしてエリントンが自らのオーケストラで追求したように、モンクはソロの他に、トリオ、コンボ、さらには後年の「タウンホール」のビッグバンドなど、様々なアンサンブル・フォーマットで、これらの自作曲を「再解釈」しながら、新たな「サウンド」を探求し続けていたのだろう。つまり何よりも「作曲」こそが、モンクという音楽家の真のアイデンティティであり、音楽上の基盤だった。本書に書かれている1959年の「タウンホール」コンサートの準備段階で、モンクと編曲者ホール・オヴァートンの会話を録音したテープは貴重な記録だ。そこでモンクの曲を習得していたオヴァートンに対して、「聴くのは曲じゃない、サウンドだ」と語ったように、自身が作った「曲の構造とメロディ」から生み出し得る様々な「サウンドの可能性」を探求するために、モンクは生涯にわたって自作曲を数限りないヴァリエーションで解釈(アレンジ)し、演奏(インプロヴァイズ)し続けていたのだということが、ド素人の私にも「ようやく」分かったのである。

モンクの音楽は様々に語られてきたが、その全体像を短い言葉で的確に説明するのは不可能だろう。しかし唯一、1982年のモンクの死の直後、ジャズ批評家ホイットニー・バリエットが述べた、「モンクのインプロヴィゼーションは彼の作品が融解したものであり、モンクの作品は彼のインプロヴィゼーションを凍結したものだ」という比喩はまさに至言だと思う。「作曲と即興」が可逆的に一体化したものこそがモンクの音楽の本質だという見方である。普通の耳には摩訶不思議に響くのも、誰にもまねができないのも、思考するジャズ・ミュージシャンをいつまでも触発し続けるのも、そのような音楽は他に類例のない存在だからだ。そしてそこが、与えられた曲を単なる素材にして、自身のアレンジや即興演奏で様々に解釈する「普通の」ジャズ・ミュージシャンとモンクが根本的に違う部分なのだ。
(#2に続く)