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2019/06/01

Bill Evans with Horns(1)

映画『Bill Evans; Time Remembered』を見たこともあって、久しぶりにビル・エヴァンスのレコードを初期のものから聴き直してみた。エヴァンスと言えばまずピアノ・トリオで、超有名盤中心にジャズファンなら誰でも知っているようなレコードがほとんどだ。しかし、あまり紹介されることはないが、リーダー作は少ないながら、ホーン楽器の入ったコンボへの参加作品も結構多い。エヴァンスのコンボ共演盤における音楽的頂点は、言うまでもなくマイルス・デイヴィスの『Kind of Blue』だが、それ以外のレコードでは一定水準には達していても、エヴァンスの参加によって、これぞという決定的名盤が生まれたことはなかったようだ。マイルス・バンド参加時のように、グループとして作り込む時間があったケースは例外で、エヴァンス独自の音楽世界を表現するには、即席コンボではなく、やはりソロ、デュオ、リーダーとして率いるトリオまでがふさわしい、ということなのだろう。

今回あらためて感じたのは、エヴァンスがホーン楽器と共演したときの、バンドの編成やホーン奏者との "相性" についてである。相性というのは、理由はよく分からないが、何となくウマが合うとか合わないとかいうもので、ジャズ・ミュージシャンの世界でも技量とは別に、バンド編成の好みや奏者間の相性というものが当然あるだろう。たとえば共演相手なら、人種や血筋、性格や個性、演奏スタイルに加え、音楽的コンセプト、ジャズ観のような音楽家としての哲学が大きく影響するのではないかと思う。とはいえ、実際に即興セッションをやる現場でいちばん重要なのは、ジャズの場合 ”頭” ではなく、バンド全体や、互いの持つリズムやハーモニーに対する根本的な "感覚"(=何を心地良いと感じるか)だろう。それには音楽的技量やスタイルに加え、育った環境やキャリアがあるだろうが、突き詰めるとその人の生得的な資質、つまり血筋から来るものが影響しているようにも思う。いずれにしろ、エヴァンスのコンボ共演レコードを聴いていると、そうした相性の影響というものを強く感じる。(グローバル化した現代では、みんな生まれた時から世界中の音楽を耳にしながら成長し、かつ学習もしているので、吸収している情報量が圧倒的に違う。だから感覚的な次元の相性さえ、昔に比べてずっとバリアが少なくなっていることだろう)

もう一つ感じたのは、ピアノ・トリオのリーダー作だけ聴いているとあまり気づかないが、ホーン楽器が入った編成のコンボと共演したときの若きエヴァンスのピアノ・サウンドは、バッキングからソロに入った途端(たとえ短いフレーズでも)、瞬時にその場の “空気” を変えてしまうほど斬新だということだ。エヴァンスのピアノは、現代のジャズ・ピアノの底流であり雛形と言うべきもので、あまりに聴き馴染んでいるために、今の耳で聴くと、サウンドの美しさは別として、それほど “個性的” だとは感じない。しかしデビュー当時のエヴァンスのサウンドのインパクトは、生み出した音楽はまったく異質だが、ある意味で、あの時代のセロニアス・モンクと実は同じくらい強烈だったのではないかと思う(もちろん、歴史的に振りかえれば当然のことなのだが)。モンクの場合も、自身のリーダー作ではなく、他の作品に客演した数少ない初期のレコードで、そのユニークさ、インパクト(つまり当時の普通の演奏とのギャップ)が実際にどういうものだったかを聞くことができる。1950年代半ばという時代に、この二人がいかに独創的な音の世界を持ったピアニストだったかが、ハードバップ全盛期の主要レコードを時系列で聴いてゆくと、あらためてよくわかって興味深い。エヴァンスの ”相性” の問題も、結局のところ、この時代を超えた独創性に帰結するのかもしれない。

The Jazz Workshop
George Russell
1956 RCA
モンクの斬新さがよくわかるのは、ソニー・ロリンズの作品に加え、特にマイルス・デイヴィスの『Bag’s Groove』と『Modern Jazz Giants』の2枚(1954) における短いソロがその代表だ。一方、エヴァンスの場合それが鮮明な作品は、実質的デビュー作とも言えるジョージ・ラッセルの『The Jazz Workshop』(1956) だろう。1950年代半ばに、マイルスにも影響を与えた独自理論で既にモードを指向し、当時としては圧倒的にモダンだったジョージ・ラッセルの音楽と、既にラッセルやトリスターノを研究していたエヴァンスの音楽的相性の良さは当然で、その後エヴァンスは、ラッセルの『New York, New York(1959)、『Jazz in the Space Age(1960)、『Living Time』(1972) という3枚のアルバムに参加している。とても1956年録音とは思えないセクステット(アート・ファーマー-tp, ハル・マキュージック-as、バリー・ガルブレイス-g、ミルト・ヒントン-b、ポール・モチアン-ds)による『The Jazz Workshop』では<Ezz-Thetic>をはじめとして、タイトル通りラッセルの実験的かつ革新的な曲と演奏が並ぶが、そこで最初から最後まで当時のエヴァンスのモダンなピアノが聞こえて来る。特にエヴァンスのために書かれた<Concert for Billie the Kid>をはじめ、随所に聞ける若きエヴァンス(27歳)のピアノは、ため息が出るほど斬新かつシャープでスリリングである。初のリーダー作であるピアノ・トリオ『New Jazz Conceptions』を吹き込んだのがこの録音とほぼ同時期で、そこでも、その後の内省的な、いわゆるエヴァンス的ピアノ・トリオの世界に行く手前の(たぶんドラッグの手前でもある?)、デビュー当時のエヴァンスの若々しくフレッシュな演奏が聞ける。まったくの個人的趣味ではあるが、ジャズに限らず音楽界の巨人やスターになる人たちというのは、まだ未完成で粗削りだが、その時代、その年齢、その瞬間にしかできない表現の中に、未来の可能性を強く感じさせるようなデビュー時代の新鮮な歌や演奏が、聴いていていちばん刺激的で面白い。

1958 Miles
Miles Davis
1958 CBS/Sony
エヴァンスは次に、ラッセルの作品で共演したハル・マキュージックの『Cross Section Saxes(1958)、アート・ファーマーの『Modern Art(1958) など、当時全盛のハードバップ的世界とは異なるクールな演奏を指向するプレイヤーのアルバム に参加しつつ、マイルス・バンドとそのメンバーとの共演を重ね、徐々に音楽的洗練の度合いを高めて行く。そしてその頂点となったのが、コルトレーン、キャノンボールを擁したマイルス・デイヴィス・セクステットによる『Kind of Blue(1959) だ 。『1958 Miles』(1958) というアルバムは、その頂点に辿り着く直前の、セクステットのLP未収録音源を集めた日本制作盤(CBS/Sony)である。池田満寿夫のジャケット・デザインもそうだが、当時エヴァンスが傾倒していた禅の思想を反映するように、余分なものを削ぎ落し、まさにジャズにおける ”端正” の美を絵に描いたようなシンプルで美しい演奏が続く。聴きやすく、美しく、モダンで、かつジャズとして優れた内容を持つこれらの演奏全体のトーンを支配しているのが、マイルスの美意識と共に、ビル・エヴァンスのピアノであることは誰の耳にも明らかだ。ジャズ・レコード史上の頂点でもある『Kind of Blue』の価値も、音楽的コンセプトと楽曲の提供を含めたエヴァンスの参加があってこそだということがよくわかる。

The Blues and 
the Abstract Truth
Oliver Nelson
 1961 Impulse!
1960年前後に、エヴァンスがマイルス・バンド以外に参加したコンボ作品には、チェット・ベイカー(tp) の『Chet』(1958/59)、リー・コニッツ (as) のVerveの何枚かの盤(1959)、キャノンボール・アダレイ(as) との『Know What I Mean』(1961)、デイヴ・パイク(vib) の『Pike’s Peak』(1961) などがあるが、総じて、当時まだ主流だったいわゆるハードバップ的作品に、エヴァンスのモダンなサウンドはミスマッチでとまでは言わなくとも、正直あまり合っているとは思えない(勿体ない?)。またワンホーン作品(カルテット)もピアノ・トリオほどの緊密性がないので、中途半端な感じがして、意外と面白味がない。やはりコンボにおけるこの時代のエヴァンスの斬新なピアノがいちばん効果的だったのは、マイルスが見抜いたように、マルチ・ホーンをはじめとする複数の楽器による重層的で、かつモダンなサウンドを持った作品であり、マイルス・バンドでの諸作を除けば、その代表はオリヴァー・ネルソンの『The Blues and the Abstract Truth (ブルースの真実)』(1961) だろう。これは『Exploration』直後の録音であり、当時新進の作編曲家ネルソンのサックスと、フレディ・ハバード(tp)、エリック・ドルフィー(as,fl)、ジョージ・バーロウ(bs)、ポール・チェンバース(b)、ロイ・ヘインズ(ds) というオールスター・バンドに、エヴァンスのピアノが加わると、伝統的ブルースを基調にしながら、より現代的なサウンドを目指したネルソンの曲にアブストラクト感が一層加わって、当時の他のどんなバンドでも絶対に表現できない、きわめて美しくモダンなブルースの世界が出現する。だから名曲<Stolen Moments>をはじめ、何度聞いても飽きない新鮮さがこのアルバムにはある。

Interplay
1962 Riverside
61年夏にラファロを事故で失ったショックからエヴァンスは不調に陥るが、この時期には、フレディ・ハバード(tp)、ジム・ホール(g) とのクインテットによる人気盤『Interplay』(1962) を録音している。企画を提案したエヴァンスは、トランペットには相性の良いアート・ファーマーを希望していたが、ファーマーの都合により当時新人だったフレディ・ハバードを起用することになり、結果としてこのアルバムは、クールでモダンというよりも、スタンダード曲を中心にハバードのプレイをフィーチャーした、アップテンポで明るい印象のハードバップ的色彩が濃厚な作品になった。エヴァンスは、時々は自分を解放して、思い切りストレート・アヘッドな演奏をしてみたくなることがあると語っているが、このアルバムはまさにその種の演奏を中心にしたものなのだろう。確かに聴いていて、どれもストレスのない気持ちのいい演奏が続く。しかし上述のように、個人的には、トリオ作品を含めてエヴァンスのピアノはこうした曲調、演奏は、基本的に似合っていないように感じる。どうしても「無理して弾いている」感が付きまとうからだ(もちろんこれは個人的感覚であり、それが好みの人もいるだろうが)。

Loose Blues
1962/1982 Riverside
この時代の私的好みの1枚は、むしろ『Loose Blues (ルース・ブルース)(1962録音/1982リリース) の方だ 『Interplay』と同時期に、似たようなメンバーで録音されているが、ジム・ホールとフィリー・ジョー・ジョーンズ(ds) は変わらず、ハバードに替わりズート・シムズ(ts)、パーシー・ヒースに替わってロン・カーター(b)が参加しているところが違う。当時はRiversideの倒産や、エヴァンスのVerve移籍問題などもあって、この録音は結局お蔵入りとなり、リリースされたのはエヴァンスの死後で、録音後20年たった1982年だった。派手なInterplayに対して、『Loose Blues』はエヴァンスの自作曲を中心にした地味なアルバムだ。初めての曲が多く、演奏の一部に満足できなかったという理由でお蔵入りにしたらしいが、ゆったりしたテンポと、ズートとホールの陰翳のあるサウンドは、エヴァンス的にぴたりとはまって、完成度は別にして、個人的にはこのアルバムの方がずっと気に入っている。これが初録音と思われるTime Remembered>は、ズート、ホール、エヴァンスの3人の叙情的かつアンニュイな雰囲気のプレイが非常に美しい。エヴァンスとジム・ホールはそもそも相性が良く、この数ヶ月前に、ピアノとギターによる名作デュオ『Undercurrent』を録音して息も合っているし、異例とも言える人選であるズートの温かく、歌心のあるテナーも実に良い味で、クールで繊細なエヴァンスのサウンドと予想以上によく調和している。これを聴くと、エヴァンスとズート・シムズの共演がこのレコードだけだった、というのは非常に残念に思える。

2017/06/02

リー・コニッツを聴く #1:1950年代初期

私は前記レニー・トリスターノのLP「鬼才トリスターノ」B面のリラックスしたライヴ録音を通じて、初めてリー・コニッツ Lee Konitz (1927-) を知り、その後コニッツのレコードを聴くようになった。だが最初に買ったコニッツのレコード「サブコンシャス・リー Subconscious-Lee(Prestige) は、トリスターノのA面と同じく、当時(1970年代)の私には、リズムも、音の連なりも、それまで聴いていたジャズとまったく違う不思議な印象で、最初はまるでピンと来なかった。それもそのはずで、「鬼才トリスターノ」B面のコニッツの演奏は1955年当時のもので、師の元を離れて3年後、既に自らのスタイルを確立しつつある時期の演奏であり、一方「サブコンシャス・リー」はその5年も前の1949/50年の録音で、まだトリスターノの下で「修行中」のコニッツの演奏が収録されたものだったからだ。

Subconscious-Lee
1949/50 Prestige
1940年代後半は、全盛だったビバップの気ぜわしい細切れコードチェンジとアドリブ、派手な喧騒に限界を感じたり、誰も彼もがパーカーやバド・パウエルの物真似のようになった状況に飽き足らなかったミュージシャンが、それぞれ次なるジャズを模索していた時代だった。マイルス・デイヴィス、ジェリー・マリガンやレニー・トリスターノもその中心にいたが、3人ともビバップの反動から、より構造を持ち、エモーションを抑えた、知的な音楽を指向していた。当時リー・コニッツもマイルス、マリガンと「クールの誕生」セッションに参加するなど、彼ら3人と密接に関わりつつ、レスター・ヤングとチャーリー・パーカーという巨人2人から継承したものを消化して、自らの音楽を創り出そうと修練している時期だった。Prestigeのボブ・ワインストックがリー・コニッツのリーダー・アルバムを作る提案をしたが、当初予定していたトニー・フラッセラ(tp) との共演話が流れ、結果としてコニッツがトリスターノやシェリー・マン(ds)に声をかけ、師匠とビリー・バウアー(g)、ウォーン・マーシュ(ts)等トリスターノ・スクールのメンバーも参加して、1949/1950年にSPで何度かに分散して吹き込まれた録音を集めたのがアルバム「Subconscious-Lee」である。またこれはPrestigeレーベルの最初のレコードとなった。そういうわけで当初はトリスターノのリーダー名で発表されたようだが、後年コニッツ名義に書き換えられたという話だ。

1950年前後に録音された他のジャズ・レコードを聴くと、このアルバムの演奏が、ビバップに慣れた当時の聴衆の耳に如何に新しく(奇異に)響いたかが想像できる。ここでのトリスターノ、コニッツとそのグループのサウンドと演奏は、今の耳で聴いてもまさに流麗で、スリリングで、かつ斬新だ。アルバム・タイトル曲で、コニッツが作曲した複雑なラインを持つ<Subconscious-Lee>は、今ではコニッツのテーマ曲であり、かつジャズ・スタンダードの1曲にもなっている。また得意としたユニゾンとシャープな高速インプロヴィゼーションのみならず、<Judy>や<Retrospection>のようなバラード演奏における陰翳に満ちたトリスターノのピアノも美しい。トリスターノ派の演奏は、その時代なかなか理解されず、難解だ、非商業的だ、ジャズではない等々ずっと言われ続けていたが、まさにアブストラクトなこれらの演奏を聴くとそれも当然かと思う。1950年という時代には、彼らの感覚が時代の先を行き過ぎているのだ。当時20代初めだったイマジネーション溢れるコニッツは、ここでは疑いなく天才である。彼の若さ、SPレコードを前提にした1曲わずか3分間という時間的制約、そしてトリスターノ派の即興に対する思想と音楽的鍛錬が、このような集中力と閃きを奇跡的に生んだのだろう。個人的感想を言えば、トリスターノとコニッツは、このアルバムで彼らの理想とするジャズを極めてしまったのではないか、という気さえする。

Conception
1949/50 Prestige
同時期1949年から51年にかけての録音を集めたPrestigeのコニッツ2枚目のアルバムが「コンセプション Conception」だ。オムニバスだが単なる寄せ集めというわけではなく、当時一般に ”クール・ジャズ” と呼ばれ、ビバップの次なるジャズを標榜して登場し、その後のハードバップにつながる、ある種の音楽的思想を持ったジャズを目指したプレイヤーの演奏を集めたものだ。リー・コニッツが6曲、マイルス・デイヴィスが2曲、スタン・ゲッツが2曲、ジェリー・マリガンが2曲、とそれぞれがリーダーのグループで演奏している。当時コニッツのサウンドを評価していたマイルスは「クールの誕生」でも共作・共演しており、コニッツ名義のこのレコーディングにマイルスも参加したもので、コニッツとマイルス唯一のコンボでの共演作だ。ジョージ・ラッセルが斬新な2曲を提供していて、名曲<Ezz-Thetic>はこれが初演である。コニッツはまだトリスターノの強い影響下にある時代で、師匠はいないがスクールのメンバーだったサル・モスカ (p)、ビリー・バウアー (g)、アーノルド・フィシュキン (ds) もここに参加している。サル・モスカなどトリスターノそのもののようだし、初期の独特の硬質感と透明感を持つ、シャープかつ流れるようななコニッツのアルト・サウンドも素晴らしい。マイルスの参加で、トリスターノ色が若干薄まってはいるが、それでもコニッツ・グループの6曲の演奏を聞いた後では、マイルス、ゲッツ、マリガンの他のグループの演奏が今となっては実に「普通のジャズ」に聞こえる(主流という意味)。こうして並べて聞くと、コニッツたちが「クール」という一緒くたの呼び名を嫌った理由もわかるが、しかし当時(昭和25年である)はここに収められたどのグループの演奏も非常に「モダン」であったはずで、コニッツがいささか(当時のジャズを)突き抜けた存在だったということだろう。どの演奏もとても良いので、そういう歴史的な視点も入れて聞くとより楽しめるアルバムだ。

Konitz Meets Mulligan
1953 Pacific Jaz
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リー・コニッツとジェリー・マリガンGerry Mulligan (1927-96) は、ギル・エヴァンスと同じくコニッツが1947年にクロード・ソーヒル楽団に入ったとき以来の付き合いだ。マイルス・デイヴィスの「クールの誕生」バンドでの共同作業を経て、コニッツがスタン・ケントン楽団に入団してからも、マリガンは楽団へのアレンジメント楽曲の提供と共演を通じてコニッツと親しく交流していた。1953年、ケントン楽団在籍中のコニッツに、既にLA在住だったマリガンが、当時チェット・ベイカーChet Bakerと一緒に出演していたクラブ「Haig」へ出演しないかと声を掛け、3人を中心にしたピアノレス・コンボの活動を始めた。「コニッツ・ミーツ・マリガンKonitz Meets Mulligan」(1953 Pacific Jazz)は、この時の「Haig」でのライヴ演奏をPacific Jazzのリチャード・ボックとマリガンが録音したものに、他のスタジオ録音を加えてリリースされたものだ。3人の他にマリガンのレギュラー・リズム・セクションだったカーソン・スミス(b)、ラリー・バンカー(ds) が加わったクインテットによる演奏である。

コニッツはその前年にトリスターノの元を離れ、それまでとまったく肌合いの異なるコマーシャル・ビッグバンド、それも重量級のケントン楽団のサックス・セクションに所属していた。そこで強烈なブラス・セクションの音量と拮抗するという経験を経て、それまでの透明でシャープだが線の細い、コニッツ固有のアルトサックスの音色に力強さと豊かさを加えつつあった。トリスターノ伝来のインプロヴィゼーション技術に、ビル・ラッソらによるケントン楽団のモダンで大衆的なアレンジメントの演奏経験が加わり、さらにそこに力強さが加味されたわけで、そのサウンドの浸透力は一層高まっていた。このアルバムに聴ける、マリガンもベイカーの存在もかすむような、まさに自信に満ち溢れた切れ味鋭い、縦横無尽とも言うべきコニッツのソロは素晴らしいの一言だ。中でも <Too Marvelous for Words> と<Lover Man>における流麗でクールなソロは、コニッツのインプロヴィゼーション畢生の名演と言われている。またコニッツ生涯の愛奏曲となる <All the Things You Are>も、ここではおそらく最高度とも言える素晴らしい演奏だ。「Subconscious-Lee」の独創と瑞々しさに、その後につながる飛翔寸前の力強さが加わったのが、このアルバムでのコニッツと言えるだろう。この後50年代半ばまでコニッツは絶頂期とも言える時期を迎え、ジャズ誌のアルトサックス部門のポール・ウィナーをチャーリー・パーカーと争うまでに人気も高まり、初の自身のバンドを率い(Storyville時代)、さらにAtlanticというメジャー・レーベル時代に入ることになる。