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2019/04/19

徒然なるピアノ・トリオ(1)

今どきは、TV番組のBGMはもちろん、蕎麦屋でもラーメン屋でも居酒屋でも、店の中でジャズが当たり前のように聞こえてくるので、日常のBGMとしてのジャズという存在は、もはや何の違和感もなくなっている。昔のように耳を澄まして真剣にジャズを聴く人はもう一握りだろう。しかし昔から、真剣に聴くべき本格的なジャズがある一方で、イージーリスニング的に聞ける肩の凝らないジャズはあったし、聴く側にもそういうニーズがあった。一言で「ジャズ」と言っても、その裾野は広く、様々な楽しみ方ができる様々な演奏が存在してきたのである。昔からのジャズファンは、本格的な有名ジャズ・レコードとは別に、そうした個人的な愛聴盤を何枚か、かならず持っていることだろう。つまり、ぼんやりとしたまま、あるいは軽い読書をしながら、あるいは軽く一杯飲みながら、聞くともなしにゆったりと流して聴けるジャズである。一般に、ジャズは抽象的で、しかも(ヴォーカルを除き)歌詞がなく、具体的イメージが浮かびにくい音楽なので、そういう聞き方に適している。思考や会話の邪魔にならず、音楽側に思考が引っ張られず、一方で空間を満たす音には、どこかポップス系とは違う、ある種の情感を刺激する要素があるので、むしろ思考や会話を促すからだ。現在、巷にジャズBGMが溢れているのは、俗に言うおシャレ度もあるだろうが、ジャズの持つこの抽象性も大きな理由だ。(しかし、昔からのコアなジャズファンにとっては、抽象的どころか、奏者の名前、顔やアルバム名、曲名までが頭に浮かんで来てしまうほど具体的記憶と結びついていることが多いので、時に逆効果でもある。)

今もそうだが、そういうジャズはピアノ・トリオが圧倒的に多い。ただしそれは、パウエル、モンク、エヴァンスといった、唯一無二の個性を持ったジャズ史に残るような独創的なピアニストの演奏ではない(エヴァンスは既にそういう聴き方もされているが)。天才や超一流ではないが、優れた演奏技術と独特の味わいを持つ名人級ピアニストの演奏であることが多い。中にはホテルのラウンジで聞くような カクテル・ピアノと侮蔑的に呼ばれたような奏者もいたし、そういう演奏もあったし、その手の線を狙って作られたレコードもあった。ところが、名人級のピアニストの場合、あえて狙ったような企画でも、当たり前だが、腕が良いので結果として素晴らしいジャズ・アルバムになってしまうこともある。もちろん、狙わずとも、演奏した曲の曲調によっては、一聴イージーリスニング的に聞こえるが、しかし優れた内容の作品もある。コンピレーション・アルバムを別にしても、この手のジャズ・レコードは数多くあるし、ピンキリの世界でもあり、また線引きも難しいが、きちんとしたプレイヤーによる良質の「ジャズ・アルバム」であることを第一条件とすれば、基本的には――1曲の演奏時間が短く(5分前後?)、個性があまり強くなく、重くなく、メロディが聴き取りやすく、スローからミディアム・テンポで、聴いていて心が落ち着く、ある種ムーディな雰囲気を持つ演奏である――ことが共通点だろう。ただし聴く側の個人的な好みも、もちろんある。もう一つは、録音が貧弱ではなく、オーディオ的にも聴いていて快感を感じるような、気持ちの良い録音であることも大事な条件だ。

Moodsville
Tommy Flanagan
1960 Prestige
そうして徒然なるままに聴けて、なおかつジャズとして良質、という主旨でピアノ・トリオのアルバムを選んだら、筆頭に来るのはやはりトミー・フラナガンTommy Flanagan (1930-2001) だろう。1960年録音の『Moodsville 9』というアルバム (トミー・ポッター-b, ロイ・ヘインズ-ds) は、タイトルが表すように、Prestigeレーベルの企画作品で、何十枚もあるレコードの9番目という意味で、ソフトでメローな演奏ばかりを奏者ごとに集めた ”Moodsville” というシリーズものの1枚だ(-villeとは、村、街、場所などを意味する接尾語)。しかし単なるイージーリスンングに堕さないところがトミー・フラナガンたる所以である。フラナガンは、本ブログ別項でも何度か紹介しているが、フレーズ(メロディ)の美しさ、都会的洗練、アクのなさ、流麗な演奏という点では断トツのピアニストであり、しかも、どんな企画やセッションでも決して手を抜かず、安直な演奏をしないところが素晴らしい。このアルバムは、スローからミディアムテンポのスタンダード曲の演奏が中心だが、とにかく全編にわたって演奏が穏やかで気品があり、メロディ・ラインが美しく、ヴァン・ゲルダー録音の音も相まって、静かに耳を傾けられ、しかも聞き飽きしない深みのあるピアノ・トリオである。フラナガンには、もちろん本格的なジャズ名盤も数多いが、こうした優れたトリオ作品が他にも何枚もある。現代的なワイドレンジ録音でフラナガンの美音が楽しめる後期のアルバムは、『Jazz Poet』(1989 Timeless)、『 Sea Changes』(1996 Alfa)などだ。

First Time Ever
Barry Harris
1998 Alfa
バリー・ハリス Barry Harris (1929 -)も、トミー・フラナガンと並んで、どのアルバムを聴いても決してハズレのない、バップ時代を知る数少ない存命のピアニストだ。手抜きをせず、駄作というものが一切なく、同時にハリスならではの、聴けば聴くほど味の出る、いぶし銀のようなしぶい味わいが最大の魅力だ。一聴地味に聞こえるその演奏には、押しつけがましさがないので、聞き流すこともできるが、じっと耳を傾けて深く味わうことできるという点で、稀有なピアニストだ。ジャズとは一つの「言語」なので、技術の巧拙以上に、演奏に奏者の人柄、人格というものが語り口としてはっきりと表れる音楽だ。お喋りで、目立ちたがる人はそういう演奏になるし、無口で控えめな人は、演奏もやはりそうなる。フラナガンやハリスは、きっと控えめで誠実な人物なのだと思う。私的愛聴盤は何と言ってもブログ別項で紹介した3枚だが、中でも『In Spain』(1991 Nuba) は、深々とした現代的録音でハリスの演奏の味わいが最高に楽しめる1枚だ。90年代後半に日本でリリースされたLive at Dug』(1997 Enja)と『First Time Ever』(1998 Alfa) も、ハリスの魅力が、いずれも現代的なレンジの広い、クリアな録音で楽しめるアルバムだ。前者は稲葉国光(b)、渡辺文雄(ds)との新宿のクラブ「Dug」でのライヴ録音、後者はジョージ・ムラーツ(b)、リロイ・ウィリアムズ(ds)という旧知のベテランとのスタジオ録音であり、ハリス66歳時のトリオ演奏だ。控えめながら、噛めば噛むほど味わいの深まるハリスの演奏は、何もかもが派手で慌ただしい現代では、たぶん聴く(弾く)ことのできない滋味あふれる貴重なジャズ・ピアノである。

When There Are Grey Skies
Red Garland
1963 Prestige
レッド・ガーランド Red Garland (1923-84) の『When There Are Grey Skies』(1963 Prestige、ウェンデル・マーシャル-b, チャーリー・パーシップ-ds)は、タイトルが象徴するように、スローでブルーな曲を中心に、ガーランドが醸し出す密やかな哀愁が非常に素晴らしいアルバムだ。ガーランドと言えば、代表的ピアノ・トリオ『Groovy』や、有名なマイルスとのセッションをはじめ、ブルースやミディアム・テンポの曲に聴ける、ころころと転がるような気持ちの良いピアノが持ち味で、本作でも何曲かはそれが聞ける。しかし<Sonny Boy>、<St.James Infirmary>、<Nobody Knows the Trouble I See> という3曲のような、哀感のある、微妙で繊細な演奏も実は非常にうまい。50年代録音には、『All Kinds of Weather』(1958 Prestige) という季節や天候を音で描いたレコードもあり、こちらも地味だがとても味わいのあるアルバムだ。もう1枚、ガーランドには『Nearness of You(1962 Jazzland)というアルバムがあって、こちらはスロー・バラードだけを集めた一種の企画ものなのだろうが、全編ガーランドの粘るような、独特の味わいのあるバラード・プレイが楽しめる。

Kiss of Spain
Duke Jordan
1989 3361*Black
デューク・ジョーダン Duke Jordan (1922-2006) も、トミー・フラナガンと同じく、メロディではなく、あえて “美旋律”と呼びたくなるような、日本人好みの美しいフレーズを紡ぎ出す名人である。チャーリー・パーカーとの共演時代から始まり、ヨーロッパ移住後のSteepleChase時代までに、数多くの優れたアルバムをリリースしているが、80年代以降は日本でも何枚か録音を残した。中でも、山中湖のペンション3361*Blackがプロデュースし、そこで録音したレコードは私の愛聴盤だ。『Kiss of Spain』(1989) はその1枚で、富樫雅彦のドラムス、井野信義のベースという異例の組み合わせによるピアノ・トリオである。あの富樫が入っているので、聞き流すという類の演奏ではないが、しかしスタンダード曲中心のジョーダンのピアノ自体は、相変わらずの優しさと叙情に満ちた聴きやすいものなので、富樫雅彦の繰り出す繊細なリズムも同時に楽しみながら、ゆったりと浸ることのできる素晴らしいピアノ・トリオであることに違いはない。馴染みのある<As Time Goes By>、<All the Things You are>、<When You Wish Upon a Star>などのバラード曲もカバーしており、アコースティック感あふれる気持ちの良い録音も、3361シリーズの魅力の一つである。ただし、低音域をきちんと再生できる良いオーディオ装置の方が、より深くこの演奏の味わいを楽しめると思う。

2018/12/27

男のバラード

今年も間もなく暮れようとしていて、また一つ年を取る。人間、一般的に年を取ると、たまにはいいとしても、激しい演奏、速い演奏の音楽からは徐々に遠ざかるのが普通だ。そういう音楽は、聴くだけでも体力が必要とされるからだ(そうでない人、死ぬまで元気な?人も、中にはいるのだろうが)。そこで最近は、ジャズでもゆったりしたテンポのレコードを聴く機会がどうしても増える。血湧き肉は躍らないが、来し方や短い行く末に思いを馳せながら、じっくり感慨に浸ることもできるし、心静かに美しいサウンドそのものに感動することもできる。そうなるとバラード系になるが、一言でジャズのバラード演奏と言っても、メロウなものから非常にハードなものまで様々なものがある。これに楽器の種類が加わるので、演奏もレコードも数多く多彩だ。一般的にはジャズ・バラードというと、ソフトで叙情的な音楽を想像するが、中には「男のバラード」(昭和歌謡のタイトルみたいだが)とでも呼びたくなるような、全体に骨のある、ハードな雰囲気を持つバラード演奏やアルバムもある。単にやさしく、ソフトで、美しいだけではない、男性的な音楽表現が感じられる演奏である。こういうレコードを、たまに聴くと非常に気持ちが良い。背筋がピンとするような気がする。ピアノでもそういう奏者はいるし(たとえばモンク)、ギターでもいるが(たとえばパット・マルティーノ)、いずれも楽器の性格上そうはっきりとした表現は難しい。トランペットやアルトサックスは、繊細な、抒情的な、あるいはエネルギッシュな演奏はあっても、基本的にトーンが高いので、どうしても渋く、男性的な哀愁を感じさせるサウンドとは言い難い。そうなると、やはりテナーサックス系の奏者とアルバムになる。その代表格として私的に思い浮かぶのは、古くはコールマン・ホーキンズやベン・ウェブスター、ビバップ以降ではソニー・ロリンズやバルネ・ウィラン、バリトンサックスだがジェリー・マリガンなどだ。ただ、それ以外にもそうした奏者はいるし、ここに挙げたようなレコードもある。いずれのアルバムも、ジャケット写真からして男っぽさが溢れるようである。

The Message
J.R.Monterose
1959 Jaro
最初の1枚は、J.R.モンテローズ(J.R.Monterose 1927-93)の『The Message』(1959 Jaroだ。モンテローズはそう有名な奏者ではなく、生涯のリーダー作の数も限られているが、スタッカートを多用したその豪快さ、男性的な音色と表現で昔からコアなファンが多い。このアルバムは文字通りモンテローズの代表作で、トミー・フラナガン(p)、ジミー・ギャリソン(b)、ピート・ラ・ロッカ(ds) というワン・ホーン・カルテットによるモンテローズのオリジナル作のダイナミックな演奏と共に、<Violets for Your Furs (コートにすみれを)>と<I Remember Clifford>という2曲のジャズ・バラードの名曲が収録されている。コルトレーンの有名なVioletes…>はソフトな演奏だが、モンテローズのこのアルバムでの演奏は、もっと男性的な哀愁がたっぷりと感じられるもう一つの世界だ。そして<I Remember....>は、クリフォード・ブラウンの死を悼んだ名曲で、幾多の名演があるが、私は中でも、晩年のバド・パウエルの「Golden Circle」(1962 Steeple Chase) における超スローなピアノ演奏と並んで、モンテローズのこの演奏がいちばん好きだ。このタメとサックスのカスレ具合と、男っぽい情感のこもった演奏は、他の奏者では決して聞けないモンテローズならではのバラードで、まさしくジャズ・バラード史上に残る名演だろう。ただし、濃い演奏なので、たまに聴くのがよい。

Ballads
Dexter Gordon
Blue Note (comp)
デクスター・ゴードン (Dexter Gordon 1923-90) が、1960年代前半にBlue Noteに録音した8枚の有名アルバムから(ただし70年代の下記8.を除く)1曲ずつスタンダードのバラード演奏をピックアップしたコンピレーション・アルバム『Ballads』もそうした1枚だ。デクスターの男らしく悠然としたテナーによるスローナンバーが、まとめて聴ける。私が買ったのは1990年代だったように思うが、未だにカタログから消えず、継続販売されている。コンピレーションCDでこれだけ息の長いものは、ジャズでは珍しいことからも、このアルバムの人気ぶりが想像できる。演奏曲目(オリジナル・アルバム、リリース年)は以下。
1. Darn That Dream (One Flight Up 1964) / 2. Dont Explain (A Swingin' Affair 1962) / 3. Im a Fool to Want You (Clubhouse 1965) / 4. Ernies Tune (Dexter Calling 1961) / 5. Youve Changed (Doin’ Allright 1961) / 6. Willow Weep for Me (Our Man in Paris 1963) / 7. Guess I'll Hang My Tears Out to Dry (Go 1962) / 8. Body and Soul (Nights at the Keystone Corner Vol.3 1978)

ドナルド・バードが(1)、フレディ・ハバードが (3),(5)で参加している他はデクスターのワンホーンである。また当然だが参加ピアニストも多彩で、ケニー・ドリュー(1, 4)、ソニー・クラーク(2, 7)、バリー・ハリス (3)、ホーレス・パーラン(5)、バド・パウエル(6)、ジョージ・ケイブルス(8)と、それぞれの奏者の伴奏の違いも楽しめる。(6) は映画『Round Midnight』(1988)でデクスターが演じたバド・パウエル本人との共演だ。

Beautiful!
Charles McPherson
1976 Xanadu
チャールズ・マクファーソン(Charles McPherson 1939-)は、チャーリー・パーカーを範として、60年代から活動してきたアルトサックス奏者で、モダン・ジャズの主役世代からは一世代以上遅れて登場した。『Beautiful!』(1976 Xanadu) は、そのマクファーソンがデューク・ジョーダン(p)、サム・ジョーンズ(b)、リロイ・ウィリアムズ(ds) とのカルテットで録音したワンホーン・アルバムだ。楽器はテナーではなくアルトなのだが、マクファーソンには60年代の Prestige時代から、アルト吹きとしてはどこか悠揚迫らざる男らしい風情があって、特に渋く味わいのあるワンホーン・アルバムとして私は昔からこのレコードが好きだ。理由の一部は、デューク・ジョーダンの滋味溢れるピアノも聞けるからだ。名演<But Beautiful> と <Body & Soul> というバラードに聞ける、ジョーダンのピアノの語り口と美しいメロディラインが、サム・ジョーンズのがっちりした太いベースに支えられたマクファーソンのワンホーン・アルトにぴったりなのである。バリー・ハリスなどもそうだが、70年代の4ビート・ジャズは今改めて聴くと、どの作品もジャズの豊かなエッセンスが感じられて実にいい。黄金の50年代、発展と変遷の60年代を経て、生き残って円熟した(半ば枯れた)ジャズメンが、肩肘の力を抜いて、フリーでもフュージョンでもない、自分の本当にやりたい音楽を素直に演奏したからだろう、皆とてもいい味を出している

Spirit Sensitive
Chico Freeman
1979 India Navigation
Spirit Sensitive』(1979 India Navigation) は、チコ・フリーマン(Chico Freeman 1949-)は前衛ジャズの人という、当時の大方の印象をくつがえした、70年代を代表する名バラード・アルバムで、シンプルかつ骨太の男らしいバラードが聞ける。このレコードは、最初日本ではPaddle Wheel(キング)のLPで出て、その後、米Analogue Productionから高音質CDとLPで再発された。Autumn in New York>から始まる全6曲がバラードで、ジョン・ヒックスのピアノが美しい<It Never Entered My Mind>が好きで一番聴いているが、実はアナログ・プロ盤のこのトラックは最初の日本盤とはテイクが違う。もともと録音のいいアルバムだが、音質もややソリッドなキング盤に比べると、アナログ・プロ盤はずっと音に厚みがある。特に全編大活躍するセシル・マクビーの骨太ベース、華麗なジョン・ヒックスのピアノの響き、ビリー・ハートのドラムスなども音の重量感が違う。当然フリーマンのテナーも太く豪快で、独特の男っぽいバラードの世界が一層楽しめる。(しかし評判が良かったこともあって、マクファーソンもこのフリーマンも、それぞれ続編と言うべきバラード・アルバムをその後出しているが、残念ながら2匹目のドジョウとはならなかったと思う。やはり、こういう作品を制作するには ”男としての旬” というものがあるのだろう。)

Gentle November
武田和命
1979 Frasco
 
最後に日本人プレイヤーをげると、やはり本ブログ別項でも紹介したテナーサックス奏者、武田和命(かずのり、1939-89)の最初にして最後のリーダー作『ジェントル・ノヴェンバー Gentle November』(1979 Frasco) だろう。山下洋輔(p)、国仲勝男(b)、森山威男(ds) とのワンホーン・カルテットで、<Soul Trane>他のコルトレーンにちなむ4曲と、武田の自作曲4曲からなるバラード集だ。これは上記アメリカ人ジャズマンの演奏とは何かが違う、まさに "草食系男子" のジャズ・バラードの世界である。つまり日本人の男にしか吹けない哀切さと抒情が、1枚のレコードいっぱいに満ち溢れている。哀しみや、やるせなさという感情は、当然ながらどの国の民族にもあるが、その表現の仕方はそれぞれの文化によって異なる。大げさな表現を好む民族もいれば、抑えた控えめな表現を好む民族もいて、日本人は後者の代表だ。その日本的悲哀の情を、ジャズというユニヴァーサルな音楽フォーマットの中で、これほど深く、繊細に表現した演奏は聴いたことがない。武田を支える山下トリオの、いつになく控えめで友情に満ちたバッキングもそうだ。60年代の、山下洋輔たちとのフリージャズ時代以降、早逝するまでの武田和命のジャズマン人生と、語り継がれる人柄を思いながら聴くと、一層このレコードの味わいが深まる。このレコードは日本男児のバラードを見事に表現した、文字通り日本ジャズ史に残る名盤である。

2018/04/06

仏映画『危険な関係』4Kデジタル・リマスター版を見に行く

日本映画の新作『坂道のアポロン』に続き、恵比寿ガーデン・シネマで特別上映されている仏映画の旧作『危険な関係 (Les Liaisons Dangereuses 1960)』4Kデジタル・リマスター版を見に行った。この映画のサウンドトラックになっているジャズ演奏の謎と背景については、当ブログで何度か詳しく書いてきた。ただこれまでネットやテレビ画面でしか見ていなかったので、リマスターされたモノクロ大画面で、セロニアス・モンクやアート・ブレイキーの演奏を大音量で聞いてみたいと思っていたので出かけてみた。

18世紀の発禁官能小説を原作にしたロジェ・ヴァディムのこの映画は、その後何度もリメイクされるほど有名な作品だが、その理由は、単に色恋好きのフランス人得意の退廃映画という以上に、男女間の愛の不可思議さと謎を描いた哲学的なテーマが感じ取れるからだろう。もちろん出演するジェラール・フィリップ、ジャンヌ・モロー他の俳優陣が良いこともあるし、ジャズをサウンドトラックにしたモノクロ映像と音楽の斬新なコンビネーションの効果もある。映画の筋はわかっているので、今回は主にジャズがサウンドトラックとしてどう使われているのかということに注意しながら見ていた。この映画の音楽担当の中心だったモンクの<クレパスキュール・ウィズ・ネリー>で始まるチェス盤面のタイトルバックは、再確認したが、アート・ブレイキーのグループ、デューク・ジョーダンたちの名前は出てくるが、画面にアップになってトランペットを演奏するシーンがあるケニー・ドーハムの名前だけ、やはりなぜか見当たらなかった。映画の画面に登場するジャズ・プレイヤーで目立つのは、ドーハムの他、当然ながら当時売り出し中の若いフランス人バルネ・ウィラン(ts)、パリに移住して当時は10年以上経っていたはずのケニー・クラーク(ds)に加え、デューク・ジョーダン(p)の後ろ姿などで、特にもはや地元民のケニー・クラークのドラムス演奏シーンがよく目立つように使われている。

サウンドトラックの楽曲としては、やはりアート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズによる<危険な関係のブルース(No Problem)>が、派手な演奏ということもあって、冒頭から最後までいちばん目立った使い方をされていて、特にジャンヌ・モローの顔のアップが印象的なエンディングに強烈に使われているので、彼らのレコードが映画の公開後ヒットしたというのも頷ける。ただし以前書いたように、この曲はデューク・ジョーダン作曲であり、しかもブレイキー、リー・モーガン(tp)、ボビー・ティモンズ(p)、ジミー・メリット(ds)というメッセンジャーズ側は、バルネ・ウィランを除き映画には出ないで音だけで、代わってジョーダンを含む上記のメンバーが出演している(もちろんセリフはないが)という非常にややこしい関係になっている。モンクの演奏は、この映画のサウンドトラックに使われた1959年のバルネ・ウィランを入れたクインテット(チャーリー・ラウズ-ts、サム・ジョーンズ-b、アート・テイラー-ds)によるスタジオ録音テープが、音楽監督マルセル・ロマーノの死後2014年に55年ぶりに発見されて、昨年CDやアナログレコードでも発表されたので、映画中の演奏曲名もよくわかるようになった。しかしじっと見ていると、いかにもモンクの曲らしい<クレパスキュール・ウィズ・ネリー>と<パノニカ>の独特のムードが、男女間の退廃的なテーマを扱ったこの典型的なフランス映画の内容にいちばんふさわしいことが改めてよくわかる。そしてモンクの他の楽曲もそうだが、当時はやった派手な映画のテーマ曲に比べて、モンクの音楽がどれもまったく古臭くなっていないところにも驚く。監督ロジェ・ヴァディムは、やはりジャズがよくわかっている人だったのだろう。

Les Liaisons Dangereuses 1960
(1959 Rec/2017
Sam Records/Saga Jazz)
『危険な関係』は1959年制作(公開は1960年)の映画だが、この時代1960年前後は、1940年代後半からのビバップ、クール、ハードバップ、モードというスタイルの変遷を経て、音楽としてのモダン・ジャズがまさに頂点を迎えていたときである。ブレイキー他によるハードバップの洗練と黒人色を強めたファンキーの流れに加え、マイルス・デイヴィスによるモードの金字塔『カインド・オブ・ブルー』の録音も1959年、飛翔直前のジョン・コルトレーンの『ジャイアント・ステップス』も同じく1959年、我が道を行くモンクもCBSに移籍直前のもっとも充実していた時期、さらにギターではウェス・モンゴメリーが表舞台に登場し、ピアノではビル・エヴァンスの躍進もこの時代であり、音楽としてのパワーも、プレイヤーや演奏の多彩さも含めて、ジャズ史上のまさに絶頂期だった。ジャズはもはや大衆音楽ではなく、ハイアートとしても認知されるようになり、当時の思想を反映する音楽としてヨーロッパの知識人からの支持も得て、中でもヌーベルバーグのフランス映画と特に相性が良かったために、この『危険な関係』、マイルスの『死刑台のエレベーター』、MJQの『大運河』などを含めて多くの映画に使われた。実は私は『危険な関係』(日本公開は1962年)をリアルタイムで映画館で見ていないのだが、こうしてあらためて60年近く前の映画を見ても、映像と音楽のマッチングの良さは、なるほどと納得できるものだった。1960年代の日本では、のっぺりと明るいだけのアメリカ映画と違って、陰翳の濃いイタリア映画やフランス映画が今では考えられないほど人気があって、何度も映画館に通ったことも懐かしく思い出した。アメリカ生まれではあるが、アフリカやフランスの血も混じったいわばコスモポリタンの音楽であるジャズと、常に自由を掲げた開かれた国フランスの映画は実にしっくりと馴染むのだ。

しかしこの時代を境に、べトナム戦争や公民権運動など、60年代の政治の時代に入るとモダン・ジャズからはわかりやすいメロディ“が徐々に失われてゆき、ロックと融合してリズムを強調したり、ハーモニーの抽象化や構造の解体を指向するフリージャズ化へと向かうことになる。だから、いわゆる「古き良き」モダン・ジャズの時代はここでほぼ終わっているのである。スウィング時代の終焉を示唆する1945年終戦前後のビバップの勃興がジャズ史の最初の大転換とすれば、二度目の転換期となった1960年前後は、いわゆるモダン・ジャズの終焉を意味したとも言える。その後1960年代を通じて複雑化、多様化し、拡散してわかりにくくなったジャズの反動として、政治の時代が終わった1970年代に登場した明るくわかりやすいフュージョンが、メロディ回帰とも言える三度目の転換期だったとも言えるだろう。さらに、アメリカの景気が落ち込んだ1980年代の新伝承派と言われた古典回帰のジャズは、そのまた反動だ。1990年代になってIT革命でアメリカ経済が息を吹き返すと、またヒップホップを取り入れた明るく元気なものに変わる。こうしてジャズは、音楽としてわかりやすく安定したものになると、自らそれをぶち壊して、もっと差異化、複雑化することを指向し、それに疲れると、今度はまたわかりやすいものに回帰する、という自律的変化の歴史を繰り返してきた。別の言い方をすれば大衆化と芸術化の反復である。マクロで見れば、その背後に社会や政治状況の変化があることは言うまでもない。なぜなら、総体としての商業音楽ジャズは、時代とそこで生きる個人の音楽であり、その時代の空気を吸っている個々の人間が創り出すリアルタイムの音楽だからである。聴き手もまた同じだ。だから時代が変わればジャズもまた変化する。ジャズはそうした転換を迎えるたびに「死んだ」と言われてきたのだが、実はジャズは決して死なないゾンビのような音楽なのだ。逆にそういう見方をすると、セロニアス・モンクというジャズ音楽家が、いかに時代を超越した独創的な存在だったかということも、なぜ死ぬまで現世の利益と縁遠い人間だったかということもよくわかる。映画の画面から流れる<パノニカ>の、蝶が自由気ままにあてどなく飛んでいるようなメロディを聴いていると、その感をいっそう強くする。

ところでこの映画は、昨年7月に亡くなった名女優ジャンヌ・モローを追悼して新たにリマスターされたものらしく、公開は同館で324日から始まっていて、413日まで上映される予定とのことだ。しかし私が座ったのは真ん中あたりの席だったが、この映画館の構造上どうしても見上げる感じになるので首が疲れるし、下の字幕と大きな画面の上辺を目が行ったり来たりするので目も疲れる。年寄りは高くなった後方席で、画面を俯瞰するような位置で見るのが画も音もやはりいちばん楽しめると思った。この映画館の音量は、『坂道のアポロン』と『ラ・ラ・ランド』の中間くらいの大きさで、まあ私的には許容範囲だった。観客層の平均年齢は平日の昼間だったので、予想通りかなり高年齢のカップルが多かった。昼間働いている普通の人には申し訳ないようだが、まあ今はどこへ行っても平日の昼間はこんな感じである。また面白そうなジャズがらみの映画が上映されたら行ってみようと思う。

2017/04/18

フレンチの香り:バルネ・ウィラン

ジャズはアメリカの音楽と思われているが、実はその生い立ちにはフランスの血が混じっている。ジャズ発祥の地と言われるニューオリンズは、元はフランス植民地であり、移入されたヨーロッパの音楽と、そこで生まれたクリオールと呼ばれるフランス系移民と黒人との混血の人たちによってニューオリンズ・ジャズが生まれたとされている。アジアの植民地でもそうだったが、異人種の隔離にこだわるアングロサクソン系と異なり、植民地支配にあたって現地人と融合することを厭わないフランスは、結果としてジャズの生みの親の一人になったのである。ジャンゴ・ラインハルト(ベルギー人ギタリスト)に代表されるように20世紀前半からフランスでもジャズが盛んだったが、1950年代に入って,そのジャズが ”モダン” になって言わばフランスに里帰りした。

ジョン・ルイスやマイルス・デイヴィスなどのアメリカのジャズプレイヤーがフランスを訪れ、「死刑台のエレベーター」や、モンクとアート・ブレイキーの「危険な関係」など、映画音楽の世界を通じて折からのヌーベルバーグの文化、芸術活動とも大きく関わった。マイルスなどはシャンソン歌手ジュリエット・グレコとのロマンスまで残しているほどだ。1950年代以降ケニー・クラーク、バド・パウエル、デクスター・ゴードン等々、数多くのジャズ・ミュージシャンが、黒人差別が根強く、生きにくいアメリカを離れてパリに移住した。上に書いたようなジャズとの歴史的関係もあり、フランスは日本と同じく、ジャズとそのプレイヤーを差別なく受け入れ、芸術と認めた国と民族であり、だから彼らはこの二つの国が好きだったのである。サックス奏者バルネ・ウィラン Barney Wilen (1937-1996)も、実はアメリカ人(父)とフランス人(母)を両親に持つハーフということだ。20歳の時に「死刑台のエレベーター」(録音1957)の音楽でマイルス・デイヴィスと、22歳の時に「危険な関係」(1959)でセロニアス・モンク、アート・ブレイキーらと共演している。マーシャル・ソラール(p)やピエール・ミシュロ(b)のようなプレイヤーと並んで、ホーン奏者としてフランスでは当時もっともよく知られたジャズ・ミュージシャンだった。当時のウィランの映像を見ても、アメリカの一流ミュージシャンたちにまったく引けを取らず、堂々と渡り合ってプレイしている。

ウィランは1956年にジョン・ルイス(p)やMJQとの共演盤でメジャー・デビューしていたが、初リーダー・アルバムとなったのは翌1957年、19歳の時に出したLP「ティルト Tilt」(Swing/Vogue)である。このアルバムは別メンバーによる2回のセッションからなり、興味深いのは、ハードバップ・スタンダードの4曲(A面)に加え、セロニアス・モンク作の4曲(B面)を取り上げていることだ。その4曲とは〈ハッケンサック〉、〈ブルー・モンク〉、〈ミステリオーソ〉、〈シンク・オブ・ワン〉で、後にリリースされたCDには、さらに〈ウィ・シー〉、〈レッツ・コール・ディス〉という2曲のモンク作品が追加されている。さらに驚くのは、録音日時が1957年1月であり、ということはモンクが同年コルトレーンと「ファイブ・スポット」に登場する7月より前、また傑作「ブリリアント・コーナーズ」(Riverside)のリリース前、すなわちモンクがアメリカでもまだあまり注目を浴びていなかった時だったことだ。モンクは1954年にパリ・ジャズ祭に出演してヨーロッパ・デビューしていたものの、その時はフランスでも散々な評判で、唯一ソロ・ピアノを評価したVogueに非公式に録音した(ラジオ放送用。Prestigeと契約中だったため)ソロ・アルバムを残しただけだ(これは名盤)。ウィランがここでモンク作品を取り上げたということは、彼がその時点で既にモンクのことをよく知り、その作品を評価していた証であり、フランスでもモンクを評価する動きが既にあったことを意味している。これが、1959年の「危険な関係」サウンドトラックでのモンクとウィランの共演につながっていったと解釈するのが妥当だろう。同時に、フランスが当時いかにジャズに対する興味と慧眼を持つ国だったか、ということも意味している。確かにパリはジャズの似合う街なのだ。

1959年に「危険な関係」撮影のためにパリを訪問していたケニー・ドーハム(tp)、デューク・ジョーダン(p)他とのクインテットで、パリのジャズクラブ「クラブ・サンジェルマン」にウィランが出演したときのライヴ録音盤が「バルネ Barney」(RCA)というレコードだ。フレンチ・ハードバップの香りのする若きウィラン、躍動感に満ちたドーハムやジョーダンのプレイ、またウィランとジョーダンの歌心あふれるバラード〈Everything Happens to Me〉など、聴きどころ満載の素晴らしいレコードだ。モノラルではあるが、当時のパリのジャズクラブの空気まで感じられるようなクリアな録音が演奏を一層引き立てていて、まさに「危険な関係」の時代にタイムスリップしたかのようなライヴ感が味わえる。その後このライヴ録音からは、モンクの〈ラウウンド・ミドナイト〉を含む未発表曲を加えた「モア・フロム・バルネ」もリリースされている。

ウィランは60年代にはフリー・ジャズに接近したり、一時演奏活動を休止した時期もあったようだが、その後復活し、90年代には日本のレーベルにも多くの録音を残していて、それらはいずれも評価が高い作品だ。「フレンチ・バラッズ French Ballads」(1987 IDA)は、復活後のバルネ・ウィラン50歳の時のフランス録音で、フランス人ミュージシャンとフランスの歌曲を演奏したレコードだが、ここではテナーとソプラノを吹いている。ウィランの演奏には太くハード・ボイルド的にブローする部分と、包み込むような柔らかい音色による陰翳の深い表現が混在している。若い時から彼のバラード演奏にはフランス風のある種独特の香気・味わいが備わっていた。その演奏にはやはりアメリカのジャズ・ミュージシャンとはどこか違うテイスト、フランス風の抒情と男性的色気のようなものが漂っていて、バラード演奏にそれが顕著だ。このアルバムでも〈詩人の魂〉,〈パリの空の下で〉,〈枯葉〉 などの有名なシャンソン、あるいはミッシェル・ルグランの作品を演奏しているが、いずれも本場ならではの解釈と、フランス風の香気に満ちた演奏である。

2017/04/14

仏映画「危険な関係」サウンドトラックの謎

ルイ・マル監督の「死刑台のエレベーター」(1957)にはマイルス・デイヴィス、ロジェ・ヴァディム監督の「大運河」(1957)にはMJQ、エドゥアール・モリナロ監督の「殺られる」(1959)にはアート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズというように、当時ヌーベルバーグと呼ばれた新潮流の象徴だったフランス映画には盛んにジャズが使われていた。映画「危険な関係」は、ロジェ・ヴァディム監督による1959年制作の作品である。フランスの貴族を描いた18世紀の官能小説が原作で、舞台を20世紀のパリに置き換え、退廃的な上流階級の恋愛模様をジェラール・フィリップとジャンヌ・モローが演じている映画だ(後年何度かリメイク映画化されている)。小説と同じく映画も反社会的だと物議をかもし、フランスやイギリスでは当初上映禁止になったらしい。ロビン・ケリーの「Thelonious Monk」に、この「危険な関係」のサウンドトラックとモンクにまつわる面白い裏話が出て来る。私は映画そのものを見ておらず、映画にモンクが関係していることも知らず、この映画に関係する所有ジャズ・レコードは、デューク・ジョーダン(p)がリーダーの「危険な関係のブルース」(1962) だけだったこともあり、この話は意外だった。そこで、この映画と音楽の背景について調べたのだが、映画、音楽ともにネット上でも様々な説明があって、どこにもはっきりしたことが書いていないので、自分でさらに詳細な情報に当たり整理してみた。すると驚くような事実(おそらくだが)が浮かび上がったのである。

「死刑台のエレベーター」にマイルス・デイヴィスを起用した音楽監督、マルセル・ロマーノからモンクに打診があったのは1958年である。モンクは不評だったヨーロッパ・デビュー(1954年のパリ・ジャズ祭に出演した)後はヨーロッパを訪問していなかったが、1957年夏に「ファイブ・スポット」にジョン・コルトレーンと共に登場し、ようやく注目を浴び始めていた当時のモンクをニューヨークで直接見たロマーノが、モンクの音楽をサウンドトラックとして使いたいと申し入れてきたのだ。しかし当時ボストンのクラブ「ストーリーヴィル」出演時に奇妙な行動をし、その後一時行方不明になったりしていたモンクは情緒不安定な状態にあり、なかなかその申し入れを受諾しなかった。ロジェ・ヴァディムもニューヨークまでやって来て、何とかモンクの了承を取り付けようとしたが、モンクはなお首を縦に振らなかった。1959年の夏、映画が完成した後にモンクはやっと承諾したものの、映画のサウンドトラックための新曲は結局書けず、その代わりに当時アメリカ・デビューをしたばかりのフランス人テナー奏者バルネ・ウィランを自分のカルテットに加えて、〈オフ・マイナー〉、〈クレパスキュール・ウィズ・ネリー〉、〈パノニカ〉など、当時リバーサイドに吹き込んでいた既存曲をあらためて映画用に録音した。ところがロマーノは、万が一モンクがダメだった場合に備えて、デューク・ジョーダン(p)にも作曲を依頼しておいたのである。そこでモンクのグループ(チャーリー・ラウズ-ts、サム・ジョーンズ-b、アート・テイラー-ds)と同じ時に同じスタジオで、バルネ・ウィランを加えたアート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズによるジョーダン作の曲も録音したのだ。

この映画の音楽担当は確かにセロニアス・モンクとクレジットされているのだが、上映後大ヒットしたのは、当時人気絶頂だったアート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズのサウンドトラック・レコード「危険な関係」(1960 Fontana)であり、しかも作曲者名としてクレジットされているのは、デューク・ジョーダンではなく全曲ジャック・マーレイ(Jaques Marray)という人物だった。一説によれば、映画中に出て来るナイトクラブでの演奏シーンには、デューク・ジョーダン(p)、ケニー・ドーハム(tp)、バルネ・ウィラン(ts)、ポール・ロベール(b)、ケニー・クラーク(ds)が登場するが、実はそのシーンの音楽は、アート・ブレイキー(ds)、リー・モーガン(tp)、ボビー・ティモンズ(p)、ジミー・メリット(b)にバルネ・ウィラン(ts)が加わった演奏で置き換えられているというのだ。それはニューヨークで、モンクのカルテットと同じ時に録音された演奏ということである。つまりドーハム、ジョーダンやクラークは映画に顔だけは出したが彼らの演奏は使われず、一方ブレイキーのグループは映画には登場しなかったが演奏は使われ、かつそのサウンドトラック・レコードは大ヒットしたというわけである。そしてフランスの当時の新人スタープレイヤー、バルネ・ウィランは3つのセッションいずれにも参加しているのである。

ジャック・マーレイという人物はデューク・ジョーダンの仮名だという説もあるが、ジョーダンは1962年になって「危険な関係のブルース」という映画で使用された曲 ("No Problem")を演奏したレコードを出している(私が持っているもの)。そしてそれはチャーリー・パーカー夫人だったドリス・パーカー所有のパーカー・レコードがリリースしたもので、夫人自身が書いたそのライナー・ノーツには、ブレイキーのオリジナル・サウンドトラックにはジョーダンの作曲にもかかわらず別人の名前が誤って使われており、このレコードこそ本当の作曲者による演奏だとはっきり書いてある。このレコードのメンバーは、ソニー・コーン(tp)、チャーリー・ラウズ(ts)、エディ・カーン(b)、アート・テイラー(ds)である。ジャック・マーレイは確かに実在の作曲家らしく、この映画の音楽も一部担当していたようだが、なぜジョーダンではなく彼の曲としてクレジットされていたのかは調べたがわからなかった。パーカーが可愛がっていたジョーダンを、夫人が当時の経済的苦境から救うためにリリースしたものだと言われているので、この話が真実だった可能性は高い。

ところでモンクの音楽は実際にどう使われたのだろうか? オリジナル映画を確認したところ、映画冒頭のチェスの盤面を使ったタイトルバックの音楽はモンクの〈クレパスキュール・ウィズ・ネリー〉である。音楽担当としてのモンク、ジャック・マーレイ、バルネ・ウィラン、モンクのグループ、ブレイキーのグループ、デューク・ジョーダン、ケニー・クラークの名前は全員が出て来る。だがケニー・ドーハム他の名前はない。バルネ・ウィランを加えたモンク・グループの演奏が〈パノニカ〉他計7曲と、モンクによるゴスペル聖歌のピアノ・ソロ1曲で、これらが映画のほぼ全編に使われている。特に〈クレパスキュール…〉と〈パノニカ〉がメインテーマ曲で、この2曲は何度も聞こえてくる。ブレイキーのグループの演奏が主としてパーティやクラブなど華やかな場面で使用されているのに対して、モンクの音楽は大部分が男女間の微妙な情景の背景音楽として挿入されている。アブストラクトでどことなく不安なムードを醸し出すモンクのサウンドが、このフランス映画のアンニュイで危なげなムードにぴたりとはまって、ロジェ・ヴァディムがなぜモンクの音楽を使いたかったのかがよくわかる。一方ケニー・ドーハム、バルネ・ウィラン、ケニー・クラーク、デューク・ジョーダン(背中だけ?)は確かに画面に登場している。その演奏は明らかにボビー・ティモンズのピアノやリー・モーガンのトランペットなどメッセンジャーズ側のものだが、そこでの音楽「全部」がアート・ブレイキー側の音源なのかどうかはわからなかった(ケニー・ドーハムの顔とトランペット・プレイは何度かアップになっているので、一部はその音をそのまま使っている可能性もある。それが全部リー・モーガンの音だとしたらひどい話なので…)。またモンクが演奏したサウンドトラックは映画中だけで使われ、レコード化されなかった(おそらく映画用新曲が書けなかったために、当時リバーサイドに吹き込んだばかりの曲だけを使ったからだろう)。

本来なら、新曲によるサウンドトラックはもちろん、ナイトクラブでの演奏シーンにはモンクが登場したはずで、また撮影に合わせてパリでのコンサート、クラブ・ライヴも別途企画されていたのだが、モンクの不調でこうした企画はすべてお流れとなってしまったのだ。どうなるかはっきりしなかった当時のモンクを不安視したヴァディムとロマーノが、とにかくバルネ・ウィランをフィーチャーして企画を練り直し、結果として安全策として準備していたジョーダンの曲と、ブレイキーのグループの演奏が脚光を浴びたということなのだろう。この映画の日本公開は1962年で、モンクの初来日は翌1963年だった。映画と完全に一体化したマイルス・デイヴィスの「死刑台のエレベーター」とは対照的に、「危険な関係」の音楽として普通に思い浮かべるのは華々しいブレイキーかジョーダンであり、この映画をモンクの音楽と共に記憶しているジャズファンもほとんどいないのではないだろうか(少なくとも私の世代では)。しかしこのエピソードも、いかにもモンクらしいと言うべきか。

(追記 2017 7/5)
知らなかったのだが、気が付いたら、何とこのとき以降お蔵入りになっていたと思われる、モンクのカルテットにバルネ・ウィランが加わった上記演奏(1959) が、今年になってCD/LP「Les Liaisons Dangereuses 1960」(SAM RECORDS/SAGA) として発売されていた。映画中で聞こえるモンクの演奏はこれが音源である。