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2019/11/03

秋の夜長は "男性" ジャズヴォーカルで(1)

《いつの間にか、本ブログ「Contact」のフォームから私宛メールが届かなくなっていました。もしこの間にメッセージを送付した方がいれば、お詫びいたします。修復を試みましたが、原因不明で復帰しないので、別のフォームを使った「新Contact」に変更しました。PCからもスマホからも送信できることを確認しています》
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「秋の夜長をジャズヴォーカルで…」といったフレーズを昔はよく耳にしたものだ。今や完全に死語で、そうした日々が過ぎ去って久しい。(いまどきの秋の夜は、みんな何を聴いているのだろうか?)ただし当時から、その場合の ”ジャズヴォーカル” とは、普通は女性ジャズヴォーカルのことで、”男性” ジャズヴォーカルを指したものではなかった。そもそも聴き手が少ないジャズの中でも、いちばん人気がないのが男性ジャズヴォーカルだ、と昔から日本では言われてきた。基本的にジャズヴォーカルは英語で唄うので、まずジャズ歌手そのものの数が少ないし、意味の分からない英語の歌の仕事も日本ではあまりないので、職業としては苦しい。ジャズ好きは男が多く、女性ジャズファンの絶対数が少ないことも大きな理由の一つだろう。一方、女性ヴォーカルはいつの時代もそれなりの人気と安定した需要がある。ジャズ界でもビリー・ホリデイ以来多くのスター歌手がいるし、今でもダイアナ・クラールやノラ・ジョーンズ、メロディ・ガルド-のように、日本でも人気のある魅力的な女性ヴォーカリストは多い(だが11月のダイアナ・クラールの来日ツアー公演S席15,000円は、いくら何でも高すぎだろう。オペラなみ? 行こうと思ったが、高すぎてやめた)。

当然だが、アメリカには昔から素晴らしい(R&Bやポピュラーソングも唄える)男性ジャズヴォーカリストがたくさんいた。ルイ・アームストロング、ビリー・エクスタイン、フランク・シナトラ、メル・トーメ、トニー・ベネットなどが代表的歌手だが、日本では相当古くからのジャズファンを除けば、こうした男性ヴォーカルを好んで聞く人はあまりいないだろう。私も古今東西、ジャンルも男女も問わないヴォーカル好きだが、さすがに男性ジャズヴォーカルは持っているレコードの数も少ないし、滅多に聴かない。けれど、なぜかたまに無性に古い男性ヴォーカルのレコードを聴きたくなるときがあって、落ち着いた大人の男が唄う、古風だが、しかし今でも時にモダンに響く歌声を聴くと、女性ヴォーカルとはまた違う味わいがあって、しみじみと「いいもんだ」と思う。英語の歌詞の細部の意味は分からなくても一向に構わない。ジャズで唄った昔のスタンダード曲は、ほとんど原曲がポピュラー曲なので、愛だの恋だのといったありふれた言葉しか使っていないし、ジャズヴォーカルでは歌詞の細部よりも、声と歌い方の個性、それに伴奏を含めた全体の ”サウンド” が大事であり、いちばんの魅力だからだ(ただし、これは非英語圏の聴き手にとっての話で、歌手や演奏者にとって原曲の歌詞とその解釈はもちろん非常に大事だ)。歌詞の意味が理解できれば、より楽しめることは間違いないが、日本人リスナーがジャズヴォーカルを聴く場合、歌詞の意味がよく分からないがゆえに逆に癒される(つまり楽器ではなく ”人間の声による抽象的なサウンド” によって)、という不思議なヴォーカル世界を楽しめるのである。これが、分かりやすいメロディと、メッセージ性のある歌詞のコンビネーションが大事な他のポピュラー曲とジャズヴォーカルとの違いだろう。

男性ヴォーカルの私的好みは、どちらかと言えばフランク・シナトラ系の唄い上げるタイプ(キャバレー系)よりも、渋くしっとり唄う歌手だ。いちばんのお気に入りはナット・”キング”・コール Nat King Cole (1919 - 65)で、1951年に自己のピアノ・トリオを解散した後は、歌唱がポピュラー寄りすぎるという当時の批判に奮起したコールが、ゲストにホーン伴奏陣を迎えて全面的にジャズ色を出して唄った『After Midnight』(1957 Capitol) が、個人的には最高のヴォーカル・アルバムだ。ジャケットが象徴するように、軽快で、オシャレで、滑らかで気持ちのよい声と華麗なピアノで、1950年代の古き良きアメリカの姿が、そのまま音楽の中から聞こえてくるようなハッピーなレコードである。私が持っているCD1987年の『Complete After Midnight』で、<ルート66>、<キャラバン>、<キャンディ>他の当時のポピュラー曲も唄ったコールのヒット曲オンパレードだ。

もう1枚、コールのポピュラーシンガーとしての大ヒット曲<モナ・リザ>、<L・O・V・E>, <Paper Moon>、<枯葉> 他を中心に、ジャズ寄りからポピュラー寄りまで、様々なスタイルの歌唱と演奏を収録したゴージャスなUnforgettable』(EMI) も素晴らしい。私が買った左記Deluxeバージョンには、1991年に娘のナタリー・コール Natalie Cole(1950 - 2015) が、時空を超えた仮想デュオで父親と共演し、リバイバル・ヒットした<Unforgettable>のトラックも追加されていて、文字通り忘れ難く素晴らしいレコードだ。今は当時の有名なヒット曲を中心にしたコンピレーションCDも他に何種類かリリースされているが、コールは何を唄っても素晴らしいので、どれを選んでも良いと思う。

モダン・ジャズ期の唄うジャズマンとして、一般的にまず思い浮かべるのはチェット・ベイカーChet Baker1929 - 88)だろう。『Chet Baker Sings』(1954 Pacific) が何と言ってもいちばん有名だが、チェットのトランペットとヴォーカル、ラス・フリーマン(p)、レッド・ミッチェル(b)に、バド・シャンク(fl)とストリングスも加わった『Chet Baker Sings and Plays』(1955  Pacific)も、西海岸のジャズらしく軽快で非常に楽しめるヴォーカル・アルバムだ。どちらかと言えば、全体にリラックスできるこちらのレコードの方をむしろ好んで聴いてきた。アルバム冒頭のチェットのおハコ曲<Let’s Get Lost>もこれがたぶん初演だろう。このレコードはLPも所有しているが、コラージュを使ったジャケット・デザインも、ジャズっぽさと、チェットのムードがどことなく感じられて眺めていて楽しい。若きチェットの1950年代のアルバムは、どれをとってもトランペット、ヴォーカルの両方を楽しめる。

それから30年後の1986年にオランダで録音され、海外ではTimelessレーベルから『As Time Goes By』、『Cool Cat』として別々にリリースされた録音が、日本では独自の選曲による『ラヴ・ソング Love Song』(1986 BMG) というタイトルでリリースされた(当時「スイングジャーナル」誌のゴールド・ディスクに選定)。<I'm a Fool to Want You>、<You and the Night and the Music>、<As Time Goes By>他の、日本人好みのバラード系のしっとりした歌と演奏を集めたアルバムで、Harold Danko(p)、Jon Burr (b), Ben Riley (ds)とのカルテットによる演奏。ダンコは当時ヨーロッパでリー・コニッツ(as)と組んでいたピアニスト、ライリーは60年代にセロニアス・モンク・バンドのレギュラー・ドラマーだった人で、二人とも非常にシュアなプレイヤーだ。この録音は1988年に亡くなる直前の晩年のチェットなので、周知のように既に歯はなく、したがって歌の出来もなんとも言いようがないが、チェット・ベイカーに ”はまる” 人がいるのもわかるような気がする、独特のアンニュイで深い表現(それをある意味で陰鬱とか、鬼気迫るとか言う人もいるだろうが)にはなんとも言えない不思議な魅力がある。こういうジャズヴォーカルは、確かに他の歌手では聞けない世界である。スタン・ゲッツと同じく、ドラッグに依存した人生を歩んだ破滅型の白人ジャズ・ミュージシャンに共通する才気と音楽的魅力なのだろう。このCDは今は廃盤なので、中古しか入手できないようだ。しかし今はネットで根気よく探せば、ほとんどのレコードは入手できる。(配信による曲のバラ聴きでは、ミュージシャンのその時代における「作品」として作られた古いジャズ・アルバムの多くは、その本質と魅力をしめないように思う。)

2018/06/29

ジャズ的陰翳の美を楽しむ(2)

Milt Jackson Quartet
1955 Prestige
ヴィブラフォン(ヴァイブ)という楽器は、その深い響きと音色そのものが、そもそも独特の陰翳を持っている。オールド・ジャズファンは、この音を聞くとあっという間にジャズの世界に引き込まれる。ジャズでヴァイブと言えば、まずミルト・ジャクソン(Milt Jackson 1923-99)であり、MJQでの演奏を含めて、どの参加アルバムもまさにブルージーな味わいがある。売れっ子だったのでミルト・ジャクソンの参加アルバムはそれこそ数多く、スローからアップテンポの曲まで、何でもこなしてしまうが、この『Milt Jackson Quartet』(1955 Prestige) は中でも地味な方のアルバムだ。ジャケットもそうで、よく言えばシブいということになるのだろうが、リーダーのミルトが淡々とヴィブラフォンを叩いているだけで、ホーンもなければ、盛り上がりも、ひねりもない地味な演奏が続くが、なぜか時々取り出して無性に聴きたくなるアルバムの1枚なのだ。カルテットだがパーシー・ヒース (b)、コニー・ケイ (ds) MJQと同メンバーなので、違う点はジョン・ルイスではなくホレス・シルバーのピアノ、それとリーダーがMJQとは違いミルト本人という点だ。シルヴァ-のピアノはサポートに徹して大人しいが、ジョン・ルイスにはないジャズ的な風味を強く加えている。MJQと違ってミルトがリーダーなので、リラックスして実に気持ち良さそうに自由にヴァイブを叩いているのが伝わってくる。スタンダードのブルースとバラードという選曲もあって、ブルージーかつメロディアスで、音楽に雑味がなく、MJQのような “作った” というニュアンスもなく、ミルトの美しいヴァイブの音色とともに、まさしく "あの時代の モダン・ジャズ" そのものというムードがアルバム全体に漂っている。時々妙に聴きたくなるのは、多分このせいだ。

Pike's Peak
Dave Pike
1961 Epic
もう1枚のヴァイブ・アルバムは、白人ヴァイブ奏者デイヴ・パイク (Dave Pike 1938-2015) がリーダーのカルテット『パイクス・ピーク Pike's Peak』(1961 Epic) だ。パウル・クレーの絵を彷彿とさせるジャケットが象徴するように、これも全体に実にブルージーなアルバムだ。パイクはその後ラテン系音楽のレコードを何枚か残しているように、ラテン的リズムが好きだったようで、このアルバムでも<Why Not>や<Besame Mucho>のような躍動感あるリズムに乗った演奏が収録されているが、一方<In a Sentimental Mood>や<Wild is the Wind>のようなスローなバラードも演奏していて、全曲に参加しているビル・エヴァンスのピアノがそこに深みと上品な味を加えている。当時絶頂期だったエヴァンスは、相棒のスコット・ラファロ(b)を突然の事故で失った後の参加で、いわば傷心からのリハビリの途上にあったが、アップテンポでもスローな曲でもさすがというバッキングとソロを聞かせる。このアルバムでは、特にラストの<Wild is the Wind>が、曲そのものがいいこともあるが、パイクの密やかで情感に満ちた演奏と、それに控えめにからむエヴァンスが素晴らしい(ただしキース・ジャレットと同じで、パイクがユニゾンでスキャットしながら弾いているところが気になる人がいるかもしれないが)。

John Lewis Piano
1957 Atlantic
ピアニスト、ジョン・ルイス (John Lewis 1920-2001) MJQのリーダーとして有名だが、個人リーダー名義のソロやトリオ、コンボでも多くのレコードを残している。"ヨーロッパかぶれ" とか言われることもあるが、クラシックの影響の強いその演奏は、"配合のバランス" がうまくはまると、アメリカの黒人によるジャズとクラシック音楽の見事な融合が聴ける作品もある。『ジョン・ルイス・ピアノ』(1957 Atlantic) もそうしたレコードの1枚で、タイトル通りMJQというグループとは別に自己のピアノの世界を追求したもので、静謐で、知的で、深い陰翳の感じられる、ある意味で稀有なジャズアルバムだ。パーシー・ヒース (b)、 コニー・ケイ(ds) というMJQのメンバーに、ジム・ホール、バリー・ガルブレイスというギター奏者を加えた演奏から構成されている。全曲ゆったりとした演奏が続くが、演奏の白眉は、ギターのジム・ホール (Jim Hall 1930-2013)との10分を超える最後のデュオ曲<Two Lyric Pieces (Pierrot/Colombine)>だ。底知れぬ静寂感、深い響きと余韻は、おそらくこの二人にしか表現できない世界だろう。

Chet
Chet Baker
1959 Riverside
ヴォーカリスト兼トランぺッター、チェット・ベイカー (Chet Baker 1929-88) の『チェット Chet』(1959 Riverside)は、基本的にスローなスタンダード、バラード演奏を集めたもので、チェットのヴォーカルは収録されていない。ペッパー・アダムス(bs)、ハービー・マン(fl)、ビル・エヴァンス(p)、ケニー・バレル(g)、ポール・チェンバース(b)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)、コニー・ケイ(ds)と、当時のオールスターを集めた割に、これも一聴地味なアルバムで、演奏メンバーはチェットとベースのチェンバースを除き曲ごとに入れ替わっている。しかし白人チェット・ベイカーは、ヴォーカルもそうだが、トランペットの音色とフレーズそのものに、黒人的なブルージーさとは別種の深い余韻と陰翳を感じさせる稀有なトランペッターであり、このアルバムでも独特のダークかつアンニュイな雰囲気を漂わせ、すべての曲が深い夜の音楽だ。目立たないが、当時チェンバース、フィリー・ジョー共々マイルスバンドにいたビル・エヴァンスのピアノも当然このムードに一役買っている。どの曲もテンポがほとんど変化しないこともあって、単調と言えば単調なのだが、聴いているとついうとうとしてしまうほど気分が落ち着く。サウンドが夜のしじまにしみじみと響き渡る寝る前あたりに聴くと、心地良い眠りにつける。

Take Ten
Paul Desmond
1963 RCA
同じ陰翳でも深く濃いものではなく、明るく淡い光のグラデーションのような微妙な音の響きが感じ取れる繊細な演奏もある。白人アルトサックス奏者ポール・デスモンド (Paul Desmond 1924-77) が、ジム・ホール (g) という最良のパートナーと組んだ、地味だが粋なアルバムがピアノレス・カルテットによる『Take Ten』(1963 RCA)だ。二人が紡ぎ出す美しく繊細な音で全ての曲が満たされ、ジム・ホールのセンス溢れる絶妙なギターと、デスモンドのアルトサックスの美しく長いメロディ・ラインを堪能できる。縦にダイナミックに動くピアノのリズム、コードに合わせているデイブ・ブルーベックのコンボ参加の時とは異なり、ホールのギターの滑らかなホリゾンタルな音の流れに、どこまでも柔らかく透明感溢れるデスモンドのアルトサックスの音が美しく溶け合って、実に洗練された極上のイージー・リスニング・ジャズとなった。<黒いオルフェ> のテーマなどボサノヴァの名曲のカバーも勿論良いが、 <Alone Together>や<Nancy> などのスタンダード・ナンバーの密やかな味わいが素晴らしい。

2018/03/22

映画『坂道のアポロン』を見に行く (2)

映画中で演奏されていた曲を聴いていたら懐かしくなって、昔聴いていたLPCDを久しぶりにあれこれ引っ張り出して聴いてみた。みな有名曲なので、当時は耳タコになるくらい聴いていたレコードばかりだ。
Moanin'
Art Blakey
1959 Blue Note
オールド・ジャズファンなら知らない人はいない『モーニン Moanin’』(1959 Blue Note) は、ドラマー、アート・ブレイキー(1919-90)の出世作であり、このアルバムをきっかけにして、ブレイキーはジャズの中心人物としての地位を固めてゆく。続く『危険な関係』、『殺られる』のようなフランス映画のサウンドトラックのヒットで、ヨーロッパでも知られるようになり、その後1961年に初来日して、日本にファンキーブームを巻き起こし、日本におけるジャズの人気と認知度を一気に高めた功労者でもある。当時のモンク、マイルス、コルトレーンたちが向かったジャズの新たな方向とは違い、50年代半ばから主流だったハードバップの延長線上にファンキーかつモダンな編曲を導入したベニー・ゴルソン(ts)が、より大衆的なメッセンジャーズ・サウンドを作り出してジャズ聴衆の層を拡大した。このアルバムのメンバーは、この二人にリー・モーガン(tp)、ボビー・ティモンズ(p)、ジミー・メリット(ds)が加わったクインテット。録音されたのが『アポロン』の時代より78年前ということもあって、昔はそれほど感じなかったのだが、今聴くと、実にテンポがのんびりしていることに気づく。訳書『セロニアス・モンク』の中で、ブレイキーとモンクとの親しい間柄の話も出て来るが、二人の個人的関係や、“メッセンジャーズ”というバンド名と人種差別、イスラム教(アラーの使者)との関係など、この本を読むまで知らなかったことも多い。このメンバーからはリー・モーガンがブレイクして大スターになるが、ブレイキーはその後もウェイン・ショーター(ts)80年代のウィントン・マルサリス(tp)をはじめ、メッセンジャーズというバンドを通じて、長年にわたってジャズ界の大型新人を発掘、育成してきた功労者でもある。アルバム・タイトルでもある冒頭曲<モーニン>は、NHK「美の壺」のテーマ曲でもあり、日本人の記憶にもっとも深く刻印されたジャズ曲の一つで、まさに『アポロン』の中心曲にふさわしい。

Never Let Me Go
Robert Lakatos
2007 澤野工房
<マイ・フェイバリット・シングス My Favorite Things>は、もちろんミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』の劇中曲で、日本では今はJRCMでも知られているが、ジャズでこの曲が有名になったのは、ジョン・コルトレーン(1926-67) がソプラノサックスで演奏した同名タイトルのアルバムを発表してからだ(1961 Atlantic)。コルトレーンはその後この曲を愛奏曲にしたが、さすがにこれは聞き飽きた。それ以降ジャズではあらゆる楽器でカバーされてきたし、近年のピアノではブラッド・メルドー(p)のライヴ・ソロのバージョン(2011)が素晴らしい演奏だ。しかしコルトレーンの演奏と、何せ元メロディの美しさと3拍子のリズムがあまりに際立って印象的なので、どういじってもある枠から逸脱しにくいところが難しいと言えば難しい曲だ。そういう点から、むしろオーソドックスに徹したロバート・ラカトシュRobert Lakatos1965-)のモダンなピアノ・トリオ『ネバー・レット・ミー・ゴー Never Let Me Go』2007 澤野工房)の中の演奏が、手持ちのレコードの中ではいちばん気に入っている。ラカトシュはハンガリー出身の、クラシックのバックグラウンドを持つピアニストで、澤野には何枚も録音している。演奏はクールでタッチが美しいが、同時にハンガリー的抒情と温か味、ジャズ的ダイナミズムも感じさせる非常に完成度の高いピアニストだ。このアルバムは録音が素晴らしいこともあって、タイトル曲をはじめ、他のジャズ・スタンダードの選曲もみな美しく透明感のある演奏で、誰もが楽しめる現代的ピアノ・トリオの1枚だ。

Chet Baker Sings
1954/56 Pacific
チェット・ベイカーChet Baker(1929-88)は、若き日のその美貌と、アンニュイで中性的な甘いヴォーカルで、1950年代前半の西海岸のクール・ジャズの世界では、ジェリー・マリガン(bs)と共に圧倒的人気を誇ったトランぺッター兼歌手だ。しかし外面だけでなく、メロディを基にしたヴァリエーションを、ヴォーカルとトランペットで自在に展開する真正のジャズ・インプロヴァイザーとして、リー・コニッツも高く評価する実力を持ったジャズ・ミュージシャンでもあった。またベイカー独特の浮遊するような、囁くようなヴォーカルは、ボサノヴァのジョアン・ジルベルトの歌唱法にも影響を与えたと言われている。『チェット・ベイカー・シングス Chet Baker Sings』1954/56 Pacific)は、そのベイカー全盛期の歌と演奏を収めた代表アルバムであると共に、『アポロン』で(たぶん)唄われた<バット・ノット・フォー・ミー>に加え、<マイ・ファニー・ヴァレンタイン>などの有名曲も入った、あの時代のノスタルジーを感じさせながら、いつまでも古さを感じさせない文字通りオールタイム・ジャズ・レコードの定盤でもある。ただし問題はベイカーの人格だったようで、アート・ペッパーやスタン・ゲッツなど当時の他の白人ジャズメンの例に漏れず、その後ドラッグで人生を転落して行き、前歯が抜け、容貌の衰えた晩年も演奏を続けたものの、結局悲惨な最後を遂げることになるという、絵に描いたような昔のジャズマン人生を全うした。

Portrait in Jazz
Bill Evans

1959 Riverside
<いつか王子様が Someday My Prince Will Come>もディズニーの有名曲のジャズ・カヴァーだが、デイヴ・ブルーベック(p)の『Dave Digs Disney』1957 Columbia)、マイルス・デイヴィスの同タイトルのアルバム(1961 Columbia)と並んで、やはりいちばん有名なピアノ・バージョンはビル・エヴァンス(1929-80) の演奏だ。エヴァンスはライヴ演奏も含めて何度もこの曲を録音しているが、やはり『ポートレート・イン・ジャズ Portrait in Jazz』1959 Riverside)が、エヴァンスの名声と共に、ジャズにおけるこの曲の存在を高めた代表的演奏だろう。スコット・ラファロ(b)、ポール・モチアン(ds)とのピアノ・トリオによるこのアルバムは、この時代の他の3枚のリバーサイド録音盤と合わせて、言うまでもなくエヴァンス絶頂期の演奏が収められたジャズ・ピアノ・トリオの名盤の1枚だ。収録された他の曲どれをとっても、現代のジャズ・ピアノへと続く道筋を創造したエヴァンスのイマジネーションの素晴らしさ、原曲が見事に解体されてゆくスリルとその美しさ、三者の緊密なインタープレイ、というピアノ・トリオの醍醐味が堪能できる傑作だ。

2017/06/02

リー・コニッツを聴く #1:1950年代初期

私は前記レニー・トリスターノのLP「鬼才トリスターノ」B面のリラックスしたライヴ録音を通じて、初めてリー・コニッツ Lee Konitz (1927-) を知り、その後コニッツのレコードを聴くようになった。だが最初に買ったコニッツのレコード「サブコンシャス・リー Subconscious-Lee(Prestige) は、トリスターノのA面と同じく、当時(1970年代)の私には、リズムも、音の連なりも、それまで聴いていたジャズとまったく違う不思議な印象で、最初はまるでピンと来なかった。それもそのはずで、「鬼才トリスターノ」B面のコニッツの演奏は1955年当時のもので、師の元を離れて3年後、既に自らのスタイルを確立しつつある時期の演奏であり、一方「サブコンシャス・リー」はその5年も前の1949/50年の録音で、まだトリスターノの下で「修行中」のコニッツの演奏が収録されたものだったからだ。

Subconscious-Lee
1949/50 Prestige
1940年代後半は、全盛だったビバップの気ぜわしい細切れコードチェンジとアドリブ、派手な喧騒に限界を感じたり、誰も彼もがパーカーやバド・パウエルの物真似のようになった状況に飽き足らなかったミュージシャンが、それぞれ次なるジャズを模索していた時代だった。マイルス・デイヴィス、ジェリー・マリガンやレニー・トリスターノもその中心にいたが、3人ともビバップの反動から、より構造を持ち、エモーションを抑えた、知的な音楽を指向していた。当時リー・コニッツもマイルス、マリガンと「クールの誕生」セッションに参加するなど、彼ら3人と密接に関わりつつ、レスター・ヤングとチャーリー・パーカーという巨人2人から継承したものを消化して、自らの音楽を創り出そうと修練している時期だった。Prestigeのボブ・ワインストックがリー・コニッツのリーダー・アルバムを作る提案をしたが、当初予定していたトニー・フラッセラ(tp) との共演話が流れ、結果としてコニッツがトリスターノやシェリー・マン(ds)に声をかけ、師匠とビリー・バウアー(g)、ウォーン・マーシュ(ts)等トリスターノ・スクールのメンバーも参加して、1949/1950年にSPで何度かに分散して吹き込まれた録音を集めたのがアルバム「Subconscious-Lee」である。またこれはPrestigeレーベルの最初のレコードとなった。そういうわけで当初はトリスターノのリーダー名で発表されたようだが、後年コニッツ名義に書き換えられたという話だ。

1950年前後に録音された他のジャズ・レコードを聴くと、このアルバムの演奏が、ビバップに慣れた当時の聴衆の耳に如何に新しく(奇異に)響いたかが想像できる。ここでのトリスターノ、コニッツとそのグループのサウンドと演奏は、今の耳で聴いてもまさに流麗で、スリリングで、かつ斬新だ。アルバム・タイトル曲で、コニッツが作曲した複雑なラインを持つ<Subconscious-Lee>は、今ではコニッツのテーマ曲であり、かつジャズ・スタンダードの1曲にもなっている。また得意としたユニゾンとシャープな高速インプロヴィゼーションのみならず、<Judy>や<Retrospection>のようなバラード演奏における陰翳に満ちたトリスターノのピアノも美しい。トリスターノ派の演奏は、その時代なかなか理解されず、難解だ、非商業的だ、ジャズではない等々ずっと言われ続けていたが、まさにアブストラクトなこれらの演奏を聴くとそれも当然かと思う。1950年という時代には、彼らの感覚が時代の先を行き過ぎているのだ。当時20代初めだったイマジネーション溢れるコニッツは、ここでは疑いなく天才である。彼の若さ、SPレコードを前提にした1曲わずか3分間という時間的制約、そしてトリスターノ派の即興に対する思想と音楽的鍛錬が、このような集中力と閃きを奇跡的に生んだのだろう。個人的感想を言えば、トリスターノとコニッツは、このアルバムで彼らの理想とするジャズを極めてしまったのではないか、という気さえする。

Conception
1949/50 Prestige
同時期1949年から51年にかけての録音を集めたPrestigeのコニッツ2枚目のアルバムが「コンセプション Conception」だ。オムニバスだが単なる寄せ集めというわけではなく、当時一般に ”クール・ジャズ” と呼ばれ、ビバップの次なるジャズを標榜して登場し、その後のハードバップにつながる、ある種の音楽的思想を持ったジャズを目指したプレイヤーの演奏を集めたものだ。リー・コニッツが6曲、マイルス・デイヴィスが2曲、スタン・ゲッツが2曲、ジェリー・マリガンが2曲、とそれぞれがリーダーのグループで演奏している。当時コニッツのサウンドを評価していたマイルスは「クールの誕生」でも共作・共演しており、コニッツ名義のこのレコーディングにマイルスも参加したもので、コニッツとマイルス唯一のコンボでの共演作だ。ジョージ・ラッセルが斬新な2曲を提供していて、名曲<Ezz-Thetic>はこれが初演である。コニッツはまだトリスターノの強い影響下にある時代で、師匠はいないがスクールのメンバーだったサル・モスカ (p)、ビリー・バウアー (g)、アーノルド・フィシュキン (ds) もここに参加している。サル・モスカなどトリスターノそのもののようだし、初期の独特の硬質感と透明感を持つ、シャープかつ流れるようななコニッツのアルト・サウンドも素晴らしい。マイルスの参加で、トリスターノ色が若干薄まってはいるが、それでもコニッツ・グループの6曲の演奏を聞いた後では、マイルス、ゲッツ、マリガンの他のグループの演奏が今となっては実に「普通のジャズ」に聞こえる(主流という意味)。こうして並べて聞くと、コニッツたちが「クール」という一緒くたの呼び名を嫌った理由もわかるが、しかし当時(昭和25年である)はここに収められたどのグループの演奏も非常に「モダン」であったはずで、コニッツがいささか(当時のジャズを)突き抜けた存在だったということだろう。どの演奏もとても良いので、そういう歴史的な視点も入れて聞くとより楽しめるアルバムだ。

Konitz Meets Mulligan
1953 Pacific Jaz
z
リー・コニッツとジェリー・マリガンGerry Mulligan (1927-96) は、ギル・エヴァンスと同じくコニッツが1947年にクロード・ソーヒル楽団に入ったとき以来の付き合いだ。マイルス・デイヴィスの「クールの誕生」バンドでの共同作業を経て、コニッツがスタン・ケントン楽団に入団してからも、マリガンは楽団へのアレンジメント楽曲の提供と共演を通じてコニッツと親しく交流していた。1953年、ケントン楽団在籍中のコニッツに、既にLA在住だったマリガンが、当時チェット・ベイカーChet Bakerと一緒に出演していたクラブ「Haig」へ出演しないかと声を掛け、3人を中心にしたピアノレス・コンボの活動を始めた。「コニッツ・ミーツ・マリガンKonitz Meets Mulligan」(1953 Pacific Jazz)は、この時の「Haig」でのライヴ演奏をPacific Jazzのリチャード・ボックとマリガンが録音したものに、他のスタジオ録音を加えてリリースされたものだ。3人の他にマリガンのレギュラー・リズム・セクションだったカーソン・スミス(b)、ラリー・バンカー(ds) が加わったクインテットによる演奏である。

コニッツはその前年にトリスターノの元を離れ、それまでとまったく肌合いの異なるコマーシャル・ビッグバンド、それも重量級のケントン楽団のサックス・セクションに所属していた。そこで強烈なブラス・セクションの音量と拮抗するという経験を経て、それまでの透明でシャープだが線の細い、コニッツ固有のアルトサックスの音色に力強さと豊かさを加えつつあった。トリスターノ伝来のインプロヴィゼーション技術に、ビル・ラッソらによるケントン楽団のモダンで大衆的なアレンジメントの演奏経験が加わり、さらにそこに力強さが加味されたわけで、そのサウンドの浸透力は一層高まっていた。このアルバムに聴ける、マリガンもベイカーの存在もかすむような、まさに自信に満ち溢れた切れ味鋭い、縦横無尽とも言うべきコニッツのソロは素晴らしいの一言だ。中でも <Too Marvelous for Words> と<Lover Man>における流麗でクールなソロは、コニッツのインプロヴィゼーション畢生の名演と言われている。またコニッツ生涯の愛奏曲となる <All the Things You Are>も、ここではおそらく最高度とも言える素晴らしい演奏だ。「Subconscious-Lee」の独創と瑞々しさに、その後につながる飛翔寸前の力強さが加わったのが、このアルバムでのコニッツと言えるだろう。この後50年代半ばまでコニッツは絶頂期とも言える時期を迎え、ジャズ誌のアルトサックス部門のポール・ウィナーをチャーリー・パーカーと争うまでに人気も高まり、初の自身のバンドを率い(Storyville時代)、さらにAtlanticというメジャー・レーベル時代に入ることになる。