Saxophone Colossus Sonny Rollins (1956 Prestige) |
Saxophone Colossus by Aidan Levy (2022 Hachette Books) |
The Bridge Sonny Rollins (1962 RCA) |
"A Great Day in Harlem" by Art Kane (Aug.12, 1958) |
ロリンズ近影 |
Saxophone Colossus Sonny Rollins (1956 Prestige) |
Saxophone Colossus by Aidan Levy (2022 Hachette Books) |
The Bridge Sonny Rollins (1962 RCA) |
"A Great Day in Harlem" by Art Kane (Aug.12, 1958) |
ロリンズ近影 |
英語版ジャズ用語集の一例 |
ジャズだけに限らないが、よく見る簡単な語句でも音楽用語の意味は特殊だ。たとえば名詞 ”time" は「拍子」で、4/4拍子は "four-four (time)" だし、3/4拍子は "three-four (time)"だ。また ”value" とは「音価」(音の長さのこと)で、 "note" は「音符」、"whole note" は「全音符」、"half note" とは「二分音符」で、「四分音符」は "quarter note" だ。(この「二分」と「四分」とは、割合のことではなく、全音符-whole note-を2つ、4つに分けた長さ、という意味だと今ごろ理解したのも、英語表現への疑問からだった。8分音符以降も同じ)。"changes" とは変化ではなく曲中のコード構成(進行)のことだし、"chops" は肉切りではなく、楽器演奏技術(技量)を指す。
動詞系もたとえば "trading section"とは貿易課のことではない。日本では「バース交換」と呼ぶのが普通のようだが、この「バース」とはいったい何のことかと調べたら、実は "bars" すなわち複数の 「小節 (bar)」のことで(英語発音では「バーズ」だろう)、奏者間の4小節とか8小節の短い掛け合い演奏 (trading 4s, とか8sと表記)のことだとわかった。ときどき見かける 「ヴァース交換」 という日本語表記が混乱の元だ(日本語の「小節」は、英語では "bar" の他に "measure" とも "meter"とも表記されることがあるのでややこしい)。日本では普通に使うブルースやロックギターの「チョーキング」(キュイーンと弦を上下にずらして音をスラーさせる技)も、英語では "bend (ing)" (曲げる)だ。 "sit in"「飛び入り演奏」などはよく知られているが、"lay out" は、あるパートの演奏だけを一時休止すること、"stroll" は文字通り、その間ぶらつくようにプレイすること、"lay (laid) back" はゆったりとしたフィーリングでプレイすること、"play cold" はぶっつけ本番、"noodling" は適当に慣らし演奏すること (ラーメン屋のチャルメラから来ているのか?と思ったがそうではない)等々…これらはジャズ用語のほんの一部だ。
マイルズ・デイヴィス? マイルス・デイビス? |
ただし今は、聞いたことのない単語や人名の発音でも、何語であろうとインターネットの音声辞書でネイティヴの発音でほとんどが確認でき、「実際の発音に近い」日本語表記が可能になったので、今後は昔のようなことは減るだろう。串刺し検索のできるWeb辞書や、モノの画像情報もそうだが、「百聞は一見に如かず」がいとも簡単に可能になって、たぶん昔の翻訳者が何のことかといちばん苦労していた問題が噓のように、なんでもインターネットで即座に分かる時代になった。
地名などで、どこに点[・]を入れるかも、決まりはあるようで、ない。New Yorkは本来の表記基準ならニュー・ヨークとすべきだろうが、慣例表記はニューヨークだし、Los Angels ロス・アンジェルスもロサンゼルスだし、San Francisco サン・フランシスコもサンフランシスコで、みな同じように前人が最初に使用した表記がそのまま使用されて一般化し、日本語として定着したものだ。アルトサックスもアルト・サックスも、テナーサックスもテナー・サックスもそうで、決まりはない。私は縦書きの場合[・]が途中に入ると読みにくい(うるさい)ので、日本語化した単語は[・]なしの表記を好んでいる。ジャズ書の翻訳文は人名、楽器名、曲名、地名などカタカナ表記がどうしても多く、見た目がごちゃごちゃしがちなので、それをうるさく感じさせずに、できるだけ縦書き日本語として「視覚的に」スムースに読ませる工夫も必要で、たとえば頻出するジャズクラブ名や新聞・雑誌名などは「xxxx」とカッコ付きにして、他の一般カタカナ語句と区別して、すぐに分かるようにしているのもその一つである。
日本語の漢字、ひらがな、カタカナの歴史もそうだが、ラテン語の英米語への浸透、変形、定着が示すように、外来語の発音や表記は、歴史的な試行が積み重なって徐々に定着してゆくもので、「原語の発音」にあまり拘泥して白黒つけるものでもないと思う。その民族、文化圏に適した表現に時間をかけて自然に収斂してゆくものだろう。特に日本という国は、そうした外来文化の吸収に関しては、2,000年に及ぶ独特の技術(?)蓄積があるので、どんな外来語も。いずれはもっとも適切な発音や表現に落ち着き、定着してゆくのだろうと思う。
ところで、本記事の(1)冒頭に記したように、団塊の世代が漸減して市場が縮小するとともに、ジャズを「聴く人」が減り、出版社も編集者もジャズを「知る人」も減り、何より本自体が売れなくなった今の時代、この種の特殊な(ジャズ)翻訳書が出版社側の企画からスタートすることはほぼないと言える。読者層が限られ「売れない」ことに加え、出版社からすると、翻訳書は「儲からない」のだ。バブル時代以降らしいが、日本への著作権料が高騰して、高い印税を原著者や版権者にまず支払わなければならず、さらに翻訳者にも別途翻訳料を支払い(昔に比べるとずっと安いようだが)、今は写真など図版類にも個別に著作権料を別途支払う必要があって、近年はこれも高騰しているらしい。原書掲載の写真類をカットしたり、時に代替したりするのは、それが理由だ。しかも、ジャズ本などは典型的だと思うが、翻訳書は一部を除いて大量の印刷部数になるケースも稀で、せいぜい千から数千部程度で、規模の経済が有効ではない(村上本は別として)。だから、国内本を出版するよりも、1冊あたりの原価が大幅に高くなるという宿命がある(翻訳書の価格が高いのはそれが理由だ)。しかも翻訳者は、長い時間と労力を費やす割に一般的に印税は低く、労働の対価としても、まったく見合っていないケースが大半だ。今後AI翻訳化がさらに進めば、ますますそうなるだろう。というわけで、出版社、翻訳者ともに経済的にはあまりハッピーな世界ではないのだ。それにもかかわらず、ジャズを含めて、いわば特殊な芸術ジャンルの翻訳書が今でも世に出ている理由は、翻訳者と出版社(編集者)の「熱意」以外の何物でもない。一部の大ヒット作を除けば、マイナーな翻訳書の出版で大儲けした人などいないと言っていい。訳者も出版社もほぼボランティアに近い条件で、いわば情熱だけで出版しているのに近いケースが大部分だろう。儲けようとしてやっているのではなく、あくまで情熱と、出版することに価値と意味がある(埋もれさせるのは勿体ない、日本語で読んで楽しんでくれる人がまだ世の中にいる)と信じているから、出版社も赤字覚悟でやっているようなもので、いわばボランティアに近いのだ。
(続く)
Thelonious Monk Robin DG Kelley |
アメリカ人の伝記好きの理由はいろいろと想像できるが、一つには、国としての歴史が短いので、余計に自分たちの「歴史」を大事にして、「国家としてのアイデンティティ」を共有したいという社会的なニーズが強いことだと思う。もう一つは移民による国家なので、自身の「ルーツ」を知りたいという強い潜在的願望を多くのアメリカ人が個人として持っているからだろう。そして3番目が、その個人が新世界で闘って生き抜くという、建国以来の「個人主義」とそこから派生した「ヒーロー像」という伝統だろう。創造性と革新性が米国型ヒーローの特徴であり、デジタル時代以降の創造的ビジネス変革者なら、ビル・ゲイツ、スティーヴ・ジョブズ、今なら最近評伝が出たイーロン・マスク(南ア出身)などが、そういうヒーローだ。
ジャズミュージシャン個人の伝記もたくさん書かれていて、調べてみると大物ミュージシャンにはほとんど自伝とか評伝がある。しかし「読み物」として、外国のジャズファンが読んでも興味を持てるような普遍性のある本はそれほど多くはないだろうと思う。パーカー、ホリデイ、マイルスやコルトレーンのような大物、あるいはモンクのような謎多き人物(インタビュー記録がほとんどない)を除けば、よほどの個人的ファンでもないかぎり、有名ジャズマンといえども、単に事実を並べただけのような伝記類はそう面白いものではない、というのが個人的な感想だ。ジャズ・アーティストの誰もが、魅力的で立派な人物なわけでもないし(むしろその逆の人が多い?)、また伝記に書いて面白いような人生を送ったわけでもないだろう。もう一つは、やはり音楽家やその人生に対する「著者」独自の視点と洞察が、文章の底に常に流れていなければ、異文化圏の人間が読んで感動したり、興味を抱くことはないだろう。伝記には物語性もないと面白くない。したがって著者の「筆力」も当然ながら重要だ。
The Baroness Hannah Rothchild |
英国ロスチャイルド家出身のニカ男爵夫人(パノニカ)は、当時のジャズ界全体の大パトロンで、パーカーとモンクの最後を自宅で看取ったという伝説的人物だ。『パノニカ(原題:The Baroness)』はノンフィクション伝記なのだが、破天荒な人生を歩んだ謎の大叔母(祖父の妹)の誰も知らなかった人生の足跡を、ハナ・ロスチャイルド氏が親族ならではの視点と情報で辿りつつ、著者の一人語りで、ある種「20世紀小説的な」筆致で描いているので、翻訳中は小説を訳しているような気がしていた。実話とは思えないような圧倒的スケールの人生もあって、読後感も伝記というより、小説を読んだような気がする作品である(著者は女性映像作家であり、小説家でもある)。特に、ニカがNYに移る前の前半生部分は、ヨーロッパにおけるロスチャイルド家の謎の歴史や実態を描いた貴重な情報も含まれている。この2冊ともに、謎多き個人の伝記であると同時に、20世紀という時代の深層、アメリカという国家、20世紀半ばのジャズ界とそこで生きるミュージシャンたちの暮らしや、相互の人間的、音楽的なつながりが生き生きと浮かんで来るところが、私的には読んでいて非常に面白く、日本語に翻訳してみたいと思った理由だ。
Miles: The Autobiography Quincy Troupe |
自分で訳した上記2冊を除けば、私がこれまで日本語で読んで「面白い」と思ったジャズマン伝記は、『マイルス・デイヴィス自叙伝』(クインシー・トループ 1989/中山康樹・訳 1991)だけだ。なんといっても、ジャズの本流中の本流であるマイルスの「一人語り」という形式がいい。そして上記モンク本もそうだが、こうしたジャズ史上に残る大物ミュージシャンの伝記は、本人だけでなく、ジャズの時代的、音楽的背景、周辺の人物との様々な関係なども同時に描かれているので、それがまさに「ジャズ史そのもの」になっているのである。それも事実だけでなく、裏面史や、人生や、微妙な人間関係が具体的に見えてくる。だから、マイルスの人生と音楽に加えて、登場人物も含めてジャズ史的な読み方をしても面白くないはずがないのだ。
ただし、この本は「ノンフィクション」としては原書、訳書ともに少し問題(?)があったようだ。原書はクインシー・トループのマイルスへの「インタビュー」に基づく聞き書き(共著)だが、「自叙伝」と呼ぶには情報引用の出所、編集の問題(内容のどこまでが著者とのインタビューに基づくものか?)があり、訳書は翻訳者による無断改編が多いという。昔はこのへんは寛容で、かなり手を加えた訳書も多かったようだが、今はいずれも出版にあたって普通は厳しくチェックされる。原著の「引用」部分は出典を明示することが求められるし、訳書の「改編」は原著者、版元の承諾が前提である。私は自分の訳書はすべて基本的に原書通りに完訳(パラグラフの変更や、テキスト抜粋なし)しているが、『セロニアス・モンク』の場合、長すぎてどこも出版してくれないので、やむなく一部をカットして短縮したし、他の訳書も含めて、一部の章タイトル名など日本人には分かりにくい部分を変更しているが、いずれも「事前に著者の了承」を得たうえで行なっている。しかし、そうした点を別とすれば、中山康樹・訳のマイルス自叙伝は、ジャズファンが読んで楽しめる日本語ジャズ伝記の筆頭だろう。
ところで、今年出版した私の訳書『カンバセーション・イン・ジャズ』の中で、ラルフ・J・グリーソンが行なった12人のミュージシャンへのインタビューのうち、他は「です、ます」調なのに、ディジー・ガレスピーの章だけ口語体に近い表現になっているが、「原文」はどうなっているんだ?と疑問を呈している、さるブログ記事を読んだ。まあ、そう思うのも無理はないし、日本語への翻訳で常に問題になる点だろう。異言語(文化)間には、単語の意味を含めて完全な「等価」表現はない。そこを微妙に「調節」して、違和感なく他言語に置き換える技術が翻訳である。ガレスピーの場合は、二人の「関係性」を日本語の「書き言葉」で表すために、あえてガレスピーだけそういう訳文にしたのである。原書の英語は、録音したインタビューの口語表現を著者(トビー・グリーソン)が文字起こしする際に、ほとんどすべて普通の文体に編集して書いている。だからガレスピーの章も、多少くだけた表現が多いが、基本的には他と同じ会話文体だ(口語表現をそのまま文章にすることは普通はない)。この二人は同年齢であり(1917年生まれ、モンクとも同じ生年)、家族ぐるみの付き合いをしていて、グリーソン家が1964年のガレスピーの米大統領選出馬の応援までしていた仲なので、グリーソンの「自宅」で行なったプライベートな対話時に、堅苦しい表現で「話すはずがない」からだ。
一方、他のインタビュイーはTV出演時のデューク・エリントン(1998年生まれ)を除き、これもグリーソンの自宅での対談だが、全員グリーソンより「年下」で、なおかつジャーナリスト、ジャズ評論家として当時のグリーソンは当然それなりの人物として尊敬されていた。だから、いくらフランクなアメリカといえども、一流ミュージシャンたちが「タメ口で話す」はずもなく、当然それなりの態度と言葉遣いをしていただろう。つまり、そこも「想像」である。英語には日本語のようなあからさまな敬語表現が少ないが(あるにはある)、会話の場合、話し手の「トーン(話しぶり、短縮表現など)」がかなりそこを表現している。だから「書き言葉」としての日本語訳の文章は、性別、年齢や、上下関係など、「日本文化的に見て」違和感のない表現にするのが望ましいと思う。そこは、不自然にならない限り訳者の裁量範囲なのだ。私は原テキストに忠実に、逐語的に翻訳することを心掛けているが、マイルス自叙伝も含めて「作家的な」翻訳者だと、このへんはかなり表現に幅が出てくるだろう。個々の人格や個性に関しても、原書テキストのトーンを大きく逸脱することなく、訳文の表現で、ある程度は違いが出せると思う。この本の場合、12人のミュージシャンは、ジャズ界での実績や演奏の個性、原文のリズムや使用する言葉(短縮など)を勘案して、それぞれの「人物の雰囲気」が感じられる訳文になるように心がけた。たとえばジョン・コルトレーン、ジョン・ルイス、ビル・エヴァンスのような生真面目な雰囲気のある人たちと、クインシー・ジョーンズやフィリー・ジョー・ジョーンズのようなやんちゃな感じのタイプとでは印象が違うと思う。今はヴィジュアルやオーディオの記録も簡単に視聴でき、リズムを含めた話し方、話しぶりの情報も、実際に目や耳で確認できるので、それも参考にしてできるだけ訳文に反映させるようにしている。特にリズムには話し手の個性が出る。この本で面白かったのは、12人の発言を訳してみて、レコードなどで聞ける彼らの「音楽」と、インタビューでの「語り口」に、明らかに「相関がある」のを感じたことで、そこにジャズという音楽の本質がよく表れていると思う。
もう一点、英日翻訳者にとっては当たり前のことだが、英語では、大統領もホームレスも、男も女も、大人も子供も、1人称の主語「私」は「I」しかない。「私、アタシ、俺、オレ、僕、ボク、ワシ、自分、おいら、おいどん、拙者……」などと多様な表現で、その人の性別、立場、地位とか性格まで表す日本語のような豊富な語彙は英語の主語にはない(複数のweも、2人称youも、3人称he/sheも同様)。上述した中山康樹氏訳の『マイルス・デイヴィス自叙伝』では、独白するマイルスはずっと「オレ」で通している。第三者も「奴」が多い。もちろん原書はすべて「I, (my, me)」であり、「he (his, him)」である。共著者クインシー・トループとの対話とはいえ、品のない「マザファッカー」という語を連発するジャズマン・マイルスが、「私は」とか「僕は」とか言ったらやはり妙なので、ここは「俺」でもなく、視覚的にも「オレ」がいちばんぴったりだ、と訳者が判断したのだろう。これを「私」で始めたら、全体のトーンがまったく違う物語になったことだろう。そのいかにも「らしい」マイルスの語り口のおかげもあって、この本は面白い「日本語」の読み物になったのである。ただそのイメージがあまりにハマりすぎて、それ以降(私もそうだが)マイルスはいつも「オレ」と言わないとサマにならないのが困ったところでもある。当然だが、マイルスが「私は」と真面目な顔(?)で言っていたときも彼の人生にはあったはずだ(実際の人間マイルス・デイヴィスは知的で、シャイで、繊細な人だったと言われている)。今の生成AI翻訳は、このへんも、「主語」を選択することで、訳文はどうにでも書き分けられるようだ。ただし周知のように、日本語は「私は」とか、「それが」とかの「主語」なしでも文章が成立するところが、英語と異なる。(続く)
Lennie Tristano Eunmi Shim |
Lee Konitz Andy Hamilton |
ジャズは黒人――アフリカ系アメリカ人が中心となって生まれ、発展した音楽だが、いわゆる白人ジャズ・ミュージシャンも数多い。日本ではこうして「黒人」に対して「白人」ミュージシャンとひと言で呼ぶが、アメリカの白人といっても様々なバックグラウンドを持つ人たちの集まりで(もちろん黒人もそうだ)、ジャズの場合いちばん多いのはいわゆるWASPではなく、ユダヤ系アメリカ人である。ハリウッドの映画産業から始まり、ガーシュインやアーヴィング・ヴァーリンのようなポピュラー音楽作曲家、ブルーノートのアルフレッド・ライオンやフランシス・ウルフ、プレスティッジのボブ・ワインストックやアイラ・ギトラーのようなレコード・プロデューサー、ナット・ヘントフ、レナード・フェザーのようなジャズ評論家、ジョージ・ウィーンのようなジャズ興行主、大物ミュージシャンでは古くはベニー・グッドマンはもちろん、本書で出自を公言しているリー・コニッツやスティーヴ・レイシーの他にも、ギル・エヴァンス、ビル・エヴァンス、スタン・ゲッツも、ユダヤ系移民の子孫だと言われている。その他バート・バカラック、ジョン・ゾーンのような音楽家もそうだし、アメリカのクラシック音楽の世界でもその傾向は同じだ(バーンスタインなど)。
ユダヤ人には特別な能力があるからだとか、陰謀論的な見方とか、根拠の曖昧な議論には与しない。ジャズを含めてそもそも「芸能」というものが、主として(宿命的に支配者層にはなれない)被差別階層の人たちによって作り上げられてきたのは、アメリカだけでなく、諸外国や日本の芸能の歴史を見ても明らかだからだ。元々、様々な社会的ハンディを背負って生き、進路の選択肢が限られているがゆえに、個人としての才能、能力を最大限生かせる分野に人生を賭ける――という生き方を選ぶしか方法がないので、結果的にそこで名を遺した人が多いということではないかと思う。アメリカという新しく複雑な移民国家では、人種間競争が厳しく、ヒエラルキー形成の歴史も短いので、それがより顕著な形で表れているということを学習したのも、数冊のジャズ書の翻訳を実際に手掛けて、翻訳過程でその背景を知ったからだ。黒人の音楽を白人が「拝借」して商業的に成功させた、という見方が一般にあるが、芸術的な観点から見れば、そんな単純なものとは言えない。どんなミュージシャンにも、それぞれ「個人としての」歴史や背景があるのだ。トリスターノや初期のコニッツから感じられる強靭な意志と音楽的テンションの源は、当時のビバップという「本流の黒人」が作った強力で魅力的なジャズの世界の内側から、何とかして「自分たち固有の音楽」を創り出したい、という「傍流の白人」アーティストとしての強い芸術的願望であることも、コニッツの本を通じて初めて理解した。トリスターノがもっとも敬愛していたのは、ビバップの権化チャーリー・パーカーとバド・パウエルなのだということも、この本で初めて知った。日本のギタリスト高柳昌行の音楽を知ったのも、トリスターノ派が起点だった。
Steve Lacy Jason Weiss |
Conversations in Jazz Ralph J Gleason |
Notes and Tones Arthur Tailor |
中高年が残り少なくなってきた人生をどう楽しむか、人それぞれ考え方があるだろうが、今の私の楽しみの一つは「20世紀ジャズ博物館」を渉猟することだ。20世紀半ばに生まれたモダン・ジャズは時代を先導する音楽だったが、そのジャズの「核たる部分」は今や古典であり、残されたジャズDNAが多様な音楽に拡散し、浸透し、その中でジャズは今も生き続けている、というのがいろいろ考えた末の私の認識だ。ただし本来「ルールがないのがルールである」という自由な精神を持ち、ジャズを生んだアメリカと同じく多様な文化の混合物、つまり雑種であるジャズDNAの生命力は強靭であり、今後さらに薄く拡散しながら膨張を続けることだろう。したがって、その核となった部分が収納された「20世紀ジャズ博物館」は、私にとっては宝の山だ。録音、映像記録はもちろん、ジャズの時代とその音楽、人物たちを描写し、語った、国内外の「ジャズ本」もその一部であり、そこから面白いものを探し出すのが楽しみなのだ。数は減ったかもしれないが、そういう楽しみ方をしているジャズファンはまだまだいると思うし、日本ではほとんど紹介されたことのない海外ジャズ書の自力翻訳出版も、その一環としてやってきた。
定年退職後、その翻訳出版を半分趣味で始めて10年経った。その間5冊の翻訳書を出版したので、ほぼ2年に1冊というペースとなり、これは「死ぬまでに10冊」を目標にした当初の計画通りである。そのきっかけというか目的は、本ブログを開始した初期の「ジャズを『読む』」という3本の連載記事(2017年3月)で書いた通りである。要は、自分で面白いと思ったジャズ本を、「日本語で読めるもの」にしたい、ということだった。「演る」を除き、趣味としてのジャズの面白さは《「聴く」→「読む」→「知る」→「考える」→「聴く」》という終わりのないサイクルにある、というのが私的ジャズ観なので、「読む」という行為はジャズを楽しむための必須要件なのだ。
時にネガティヴな使い方もされる「蘊蓄」(うんちく)と呼ばれる知識集積も、単に「聴く」だけではない、この「読む」→「知る」→「考える」というプロセスで培われるもので、ジャズが他のポピュラー音楽と異なるのは、クラシック音楽と同じく、この知的プロセス単独でも十分に楽しめるだけの、歴史と深さと多様性を持っている音楽だからである。曲や楽理や演奏技術に加え、米国史、ジャズ史、ジャズ・ミュージシャンの個人史とその人生など、周辺情報を深く知れば知るほど、ジャズを「聴く」ことが楽しくなる。そこを「面倒くさい」と思うような人は、そもそもジャズ好きにはならないだろう。
長年生きてきて思うのは、大雑把に分けると、年齢や性別を問わず、いつの時代も人間はやはり「寄らば大樹」という権力志向、上昇指向の強い体制派と、「そんなの関係ねぇ」という反権力の自由派の2通りに分類できそうだということだ。もちろんどんな人間にも両面があるし、世の中的には両者ともに必要だが、そのバランスが個人や組織や社会の在り方を決める。ジャズ好き人間はどう考えても昔からやはり後者なのだろうと思う。権力好き(?)なジャズマンとかジャズファンも中にはいるかもしれないが、あまり想像しにくい。スティーヴ・レイシーが語ったように、ジャズとは本質的に反体制、反定型の音楽、つまり出来上がった世界や決め事に抗ったり、そこから脱出したりして、常に「制約からの自由」を追い求める音楽であり、そこにこそ世界中の人々の心に響き、そこに共感する――という音楽としてのジャズが持つ魅力と普遍性があるのだと思う。
私はどうも昔から、エラそうにしている(「主流」然とした)ヒトやモノが嫌いな性分だ。モノにだって一見してエラそうに見えるモノはあるし、クルマやオーディオでも、そういう匂いのする製品は昔からある。クルマやオーディオならコンパクトで、機能的で、スッキリしたデザインの機械が好きだ。どの世界であれ、中心的存在のヒトやモノはもちろんそれなりにリスペクトするが、それよりもあまり目立たないけれど、実は非常に良い仕事をしているヒトやモノが好きな性分なのだ。ジャズにもパーカーやマイルスのように、歴史的に主流というべき人たちは当然ながらいるが、ジャズの魅力は、基本的にそれが必ずしもヒエラルキーにはならず、また聴き手にもそれを感じさせず、目立たないながら個性のある優れたミュージシャンも数多く存在し、そうした人たちの演奏も平等に楽しめるところにある(あった)。自分の訳書で取り上げてきたジャズマンの顔ぶれを見てもそうだし、ピアニストなら独創的なモンクや、いぶし銀のような魅力があるトミー・フラナガンやバリー・ハリスに魅力を感じるのも同じ理由だ。
ジャズ演奏にはソロもあれば、小編成から大編成のアンサンブルまであり、楽器の種類も、演奏の形態も多様だし、そこに参加するミュージシャンも多彩だ。とはいえ、ジャズとは基本的には「自由な個人の音楽」であるところが重要なのだと思う。誰か第三者が正確に書いた譜面を楽器でなぞり、その世界の枠内で完成された美や個性を追求するクラシック音楽との違いがそこにある。誰にも似ていない自分だけの声(voice) を自由に追い求めるのがジャズ・ミュージシャンの性であり、他のミュージシャンや楽器と共演することで、そこからまた別のサウンドを新たに生み出す過程にジャズの醍醐味がある。だがあくまで大前提は、まず奏者一人一人が「独自のサウンド」を持っていることなのだ。バンドメンバー個々人のサウンドを「ブレンド」して生み出すデューク・エリントンの音楽が、米国でなぜあれだけ評価され、崇拝されているのか――それはジャズという音楽の持つ「個と集団」という本質的関係を、自らのバンド音楽の中で高い次元で調和させることを常に目指し、しかもそれを実現してきたからで、エリントンの目指した音楽そのものが「ジャズ」を見事に体現していたからである。ジャズに関する英語の原書は、現役の会社員時代から読んでいて、ときどき面白い原書に出会うと、日本ではなぜこうした「面白いジャズ本」が出版されないのだろうか、とずっと疑問に思っていた(「面白い」と言っても自分がそう感じるだけの話で、他の人はそうは思わない可能性もあるが…)。はっきり言って、今も私の本棚にずらりと並んでいる1970年代から読んできた数多くのジャズ本も含めて、日本で出版されてきたジャズ関連書籍(教則本や演奏技術書の類を除く)のほぼ80%が、著者の解説や感想文付き「レコード・カタログ」だ。続く10%が翻訳書を中心にしたパーカー、マイルス、コルトレーンなどジャズ巨人の伝記類と、ジャズ解説書も兼ねたジャズ通史で、この2タイプが、時代と著者は違えど(多少の新情報を加えながら)繰り返し出版されてきた(これは日本のジャズ受容史と関係する話で、日本人ほどジャズの「レコード」を聴いてきた国は世界中探してもない。一般人にはジャズのナマ演奏がほとんど聴けなかったというのが、いちばん大きな理由で、そこは明治以降のクラシック音楽の受容史と同じことだ)。そして残る10%(以下?)がマイナーなジャズ・ミュージシャン、批評、思想、楽理等に関するコアな本だろう。これらが少ない理由は、言うまでもなく、出版しても売れない(需要が少ない)類の本だったからだろう。
だから教則本や演奏技術書(今はこの分野の本ばかりだが)を除くほとんどのジャズ本は、「レコード紹介」を通じた演奏、楽曲、ミュージシャン、楽器の解説書だ。もちろんそれはそれで読んで面白いのだが、私のような長年の読者からすると、さすがにもう飽きた。また、芸術批評の対象に値するようなすぐれた「ジャズ・レコード」は、(私見では)1990年代でほぼ終わっていると思う。ジャズは「マイルスさえ聞いていればいい」とか乱暴なことを言う人がいたせいで、(売れることもあって)毎年のように出るマイルス本も、もうおなか一杯だ。数少ない例外的に面白かったジャズ本は、批評家なら相倉久人、また山下洋輔氏や、菊地成孔・大谷能生両氏というジャズ演奏家の書いた本、さらにマイク・モラスキー氏のように外から見た日本のジャズなど、ジャズという音楽そのもの、その歴史、特質、影響、他音楽との関係などが、独自の視点で書かれている本が新鮮で面白かった。もう一つ、定期的に出版され、ジャズ本としては例外的に「売れて」いるのが作家・村上春樹氏が執筆した本(自著、訳書)だが、これはジャンルとしてのジャズ本というよりも、「村上本」として人気があるということだろう。
私は元来、分野やメディアに関わらず、著名な人物が「本音で語るインタビュー」が好きだ。ジャズも例外ではなく、初の訳書『リー・コニッツ』もそうだし、最近も『カンバセーション・イン・ジャズ』という、1960年頃の批評家ラルフ・J・グリーソンのインタビュー記録を復刻した本を翻訳出版した。伝統的に、米国のジャズ・ジャーナリズムの基本は「インタビュー」であり、なおかつ日本と違って、ミュージシャンといえども、自分の言葉で個人としての意見を述べ、発信せざるを得ない社会文化的背景があるので(黙っていると、何も考えていないアホだと見なされる。アメリカ人が、しょうもないことでも、とにかく堂々と何でも喋るのはそのせいである)、音楽に限らず、芸術の世界全般に多くのアーティストに対する優れたインタビュー記録が残されてきた。だから米国のノンフィクションのジャズ本の多くは、ジャズ・ミュージシャンの演奏記録と共に、本人あるいは周囲の人間に対するインタビューに基づいた情報(一次史料)を基にして書かれている。その中にはアーティストの個人史として、あるいは20世紀芸術論として、21世紀の今でも(だからこそ)十分に読む意味と価値がある書籍も含まれている。そこが日本の一般的ジャズ本との大きな違いだろう。「インタビュー」という、ある種の即興演奏に近い「対話」形式、インタビューする側の知見と力量、対話を通じて互いに相手を触発する言語表現力、結果としての対談内容の質と深度に、文化的な違いも含めて日米間には大きな差があるように思う。日本では昔から「書いたもの > 語ったもの」という暗黙の価値基準があるように思え、その場限りで消える対話、対談に重きが置かれて来なかった(軽く見られる)歴史があるからだと思う。そして当然だが、少なくとも「英語」を完璧に駆使できない限り、20世紀の日本人が当時の米国のジャズ・ミュージシャンたちの音楽思想や、本心、本音をリアルタイムの「インタビュー」を通して聞き出すことは簡単ではなかっただろう。加えて、同じ国や共同体の一部で生きるという実体験がなければ、背景も含めた言葉の真の意味を理解することは難しいだろう。だから、英語ネイティヴによって語られた本、書かれた本が、やはり私が知りたいと思っているジャズの世界を楽しみ理解するためには必要なのだ。(続く)
最近のTVドラマは、マンガやアニメの実写版のように、早いテンポの荒唐無稽なストーリーや、軽い人物描写ばかりで、元来そういうドラマを面白がって、結構好きだった私でもいささか食傷気味だ。21世紀に入ってから、音楽、映像、テキストすべてが「アートからエンタメ」に変容して、今や面白くないと、後の配信市場でも稼げない。その方向に行かざるを得ない作り手側も、それを好む視聴者側も、ほぼ同世代が世の中の中心になっているので、需要・供給両面で軽くて面白いエンタメ作品ばかりが増えることになる。消えつつある団塊世代や年配者も楽しめ、じっくりと味わえる、昔の文芸作品的なドラマはほぼ消えたと言っていい。現在、それに唯一挑戦できるドラマ供給者が、スポンサーフリーのNHKなのである。
この3月から5月にかけて放映されたNHK BSのプレミアムドラマ『グレースの履歴』(全8回)は、そういう風潮の中で、久々に物語そのものと、映像、音楽、登場人物の演技等、全盛期のテレビ作品にしか見られなかった丁寧な作りと高い質を持った大人のドラマだった。ヨーロッパの一人旅の途上、事故で急逝した妻の遺した車(グレース)のカーナビに導かれて、二人の過去を辿ることになる夫の旅路を繊細に描く物語だ。最新作『グレースの履歴』でも、尾野真千子、滝藤賢一という夫婦の両主役に加え、源作品では欠かせない柄本 佑の自然な演技が光っていた。尾野真千子は、時おり関西風味が強すぎると感じることもあるが、やはりさすがの演技力で、物語の主人公・美奈子の独特の存在感をここまで表現できる女優はなかなかいないだろう。夫の希久夫役の滝藤賢一はTBSの『半沢直樹』で初めて知った人だが、様々な役柄がこなせる幅のある役者だ。近年では、広瀬アリスとの日テレのコメディ『探偵が早すぎる』で大いに笑わせてもらった。本作『グレースの履歴』では、真面目な、理系の「受け身の男」を演じて、実に良い味を出していた。その他、伊藤英明、宇崎竜童もよかったが、意外にも(?)広末涼子が希久夫の元恋人役を好演していたと思う。
映像美は源 孝志作品の要であり、本作でも3人目(?)の主人公「HONDA S800(エスハチ)」の深紅の車体の美しさを存分に生かして、湘南、信州、琵琶湖、瀬戸内、四国松山を巡る主人公のドライブと共に、各地の海、森、農道、並木、高原、湖などの背景にエスハチを溶け込ませた映像がふんだんに見られる。特に冒頭やエンディングで、尾野真千子の運転するS800がメタセコイアの並木道(滋賀県高島市らしい)を走る画、滝藤が信州の長い一本道の農道を走る画は美しい。クルマ好きにはたまらないドラマでもあるが、NHK制作なので社名「HONDA」への言及は控え目だ。しかし作者の「HONDA」への思い入れは、原作の小説を読むと非常に深いものがあることが分かる。今は消えてしまったが、20世紀の日本の夢を乗せた、この初の日本製ライトウェイト・スポーツカーの持つ、どこへでも身軽に飛んで行ける軽快さ、自由さが、主人公二人を結びつけ、人生を導く鍵なのだ。
ドラマを見てから『グレースの履歴』の原作小説を読んでみた。この本は源 孝志自身が2010年に『グレース』というタイトルで出版し(文芸社)、2018年に文庫本で『グレースの履歴』と改題して改めて発行されている(河出文庫)。著者がまだテレビ界でブレイクする以前に書かれた小説のようだが、やはり「脚本」を読んでいるように映像が目に浮かんで来る、非常にヴィジュアル・イメージを喚起する語り口の作家だということが分かる。ただし、ドラマを先に見ているので、登場人物のイメージがどうしてもテレビの印象に引っ張られ、テレビの俳優がそのまま浮かんでくる。ヴィジュアル情報が与える強烈さを再認識したが、先に小説を読んでいたら、どんな俳優がテレビ版には合っているのか想像できたか――と考えてみたのだが、もうイメージが湧いて来ない。坂道のアポロン |
1960年代にモードを手にして芸術の域に達し、一方、当時の政治状況を反映して難解さと抽象度を増したフリージャズで自己解体してしまったかのようなジャズが、その「反動」で、最初に「ポップ化(=大衆化)」したのは世の中が穏やかになった1970年代である。主導したのはもちろん60年代末のマイルス・デイヴィスの電化ジャズであり、その弟子筋のハービー・ハンコックのファンクや、チック・コリア、ウェザーリポートなど、ジャンルをミックスしたようなジャズが続々登場し、その後70年代半ばから「フュージョン」として本格的に大衆化した時期がそれだ。同じ頃デューク・エリントンが亡くなり、マイルスが一時引退し、モンクも引退し…という史実が象徴するように、それまで隆盛だった「モダン・ジャズ」は、ここでほぼ30年の進化の歴史を終える。しかし、この時点から80年代末までは、それまでの余韻とウィントン・マルサリスの登場などもあって、ポップ化したものの、まだ主がジャズであり従がポップス側という「イメージ」が世の中的にも成り立っていた。特に日本では、バブルに向かっていた好景気が、ジャズ=高級=大人の音楽という従来のイメージを支え、ジャズクラブの隆盛に見られたように、聴き手も音楽市場もそれをエンジョイしていたからだ。
Roy Hargrove The Vibe (Novus, 1992) |
現代は、20世紀のようにジャズが越境してポップス側を徐々に「侵食している」という構図ではなく(これは昔ながらのジャズ側からの視点だ)、資本の論理がより強まって、巨大化したビジネスになったポップス市場全体にジャズが呑み込まれ、その内部で攪拌され、希釈され、分解し、細かな「ジャズ粒子」となって拡散しながら、現代のポップス全体に溶け込みつつある、というイメージではないかと思う。20世紀はじめに音楽的進化をほぼ終えた西洋クラシック音楽が、完成されていた和声の基本体系を提供して、100年前にジャズの生みの親の一人になったわけだが、これを歴史的に見れば、ジャズとは「クラシックのポップ化」の一環として生まれた音楽だった、とも言えるだろう。近年のクラシック音楽のさらなるポップ化ぶりはすさまじいものがあるが、続いてその子供であるジャズもまったく同じ道を歩んでいるとも言える。21世紀における音楽のポップ化とは、ある意味で、現代資本主義が20世紀までの芸術を食いつぶす過程、すなわち20世紀までの純粋芸術解体プロセスの一環なのである。
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「ジャズのポップ化」を牽引しているのは消費側(聴く側)だけではない。ジャズ誌「スイングジャーナル」が休刊して10年以上経つが、今やジャズ界で隆盛なのは「聴き手側」の情報誌よりも「演奏者側の本」で、ジャズ理論だけでなく、ギターを筆頭に、ピアノ、サックス、ドラムス、ベースなどの教則本、楽譜、奏法解説など、昔は考えられなかったほど多種多様な楽器別のジャズ誌や本が増殖している。この基調を形成し、それまでの「聴くだけ」のファンでなく、ジャズを「演る」ことの面白さに若者を目覚めさせたきっかけの一つが、出版物にまだ力があった15年ほど前、’00年代半ばの菊地成孔、大谷能生両氏による、ジャズの歴史と理論を「ジャズ演奏者側」の視点で初めて語った一連の著作(マイルス、バークリー、東大アイラ―本)にあることは間違いないだろう。その後2013年から連載が始まり、「BRUTUS」今号にも特別掲載されている、若き主人公がミュージシャンとして成長する姿を熱く描く、ジャズ系スポ根(?)漫画『ブルージャイアント』も、その流れを強めたことだろう。つまり、ジャズを演奏する側の数が昔に比べて圧倒的に増えたが、彼らは当然ながら聴く側の人でもあり、結果として、聴き手のジャズや楽理に関する知識も昔とは比べられないほど高度化しているということでもある。毎年日本各地で開催される「ジャズフェス」の数の多さには本当にびっくりするが、加えて、蕎麦屋やラーメン屋やファミレスやショッピングセンターで、BGMとして流れる「匿名ジャズ」が当たり前になったように、ジャズの音楽としての垣根も低くなり、日常生活の中で普通に聞こえてくる音楽になった。こうして感覚的にも、日本人全体のジャズ・リテラシーが大幅に高まって、ポップ化を加速しているのだろう。
今や何をもって「ジャズ」と呼ぶのかもはっきりしなくなり、そう呼ぶことにいったい意味があるのか、という疑問さえ湧いてくるのが現代の日本の音楽シーンだ。印象からすれば、「ジャズ」とも呼べるし「ポップス」とも呼べるような「ジャズっぽい音楽」が急増している、という表現がいちばんしっくりと来るが、それをジャズ目線で俯瞰的に見れば、常に時代と共に変容してゆくジャズという音楽の、「現時点の姿」にすぎないとも言える。とはいえ、たとえジャズそのものがどう変化しようと、聴き手側 も「同時に」変化してゆくのは困難なのだ。たとえば、20世紀半ばの「黄金期のモダン・ジャズ」(=ジャズという音楽の基本モデル)を同時代の音楽として聴きながら青春時代を送った人たちにとっては、それがデフォルトであり、「ジャズ」とは今でもその時代における意味、感覚、体験を喚起する具体的言語であり音楽なのだ。それ以前のスウィング・ジャズも、後のフュージョン世代もそこは同じだ。これは、「生きた時代」 が違うのだから仕方がない。音楽を聴くということはきわめて個人的な体験であり、いつの時代も、感受性がいちばん豊かな青年期に、いちばん感銘を受けた音楽は無意識のうちにその人の身体の奥深くまで浸透し、人は生涯それを忘れることができないからだ。それが音楽の持つ力であり、音楽と人間との関係というものだろう。つまり、音楽は「その時代の聴き手」を選ぶということである。
60歳、70歳になっても、現在進行形の新しい音楽に関心を持ち、それを鑑賞し批評できる感性を持ったスーパー中高年(&老人)も中にはいるだろうが、基本的に 「contemporary (同時代の)音楽」 の主役は常に若者であり、いつの時代も若者の感性だけが新たな魅力を持ったその時代のアートを 「発見」 してきたわけで、年寄りにはその能力も出番もないと思った方が賢明だろう。若者は今現在と未来に生き、先の短い年寄りが過去を振り返るのは人間として当たり前のことであり、世の中はそれがうまくバランスすることで健全さを維持してきた。だから、一時期のように(「ど・ジャズ」と呼んで) 過去の音楽をバカにしたり、反対に(「あんなモノはジャズじゃない」と言って)現代の音楽に価値を認めないといった、世代を対立させ分断するような不毛な議論ではなく、ジャズという、ひと繋がりの長く、深く、幅広い歴史を持った音楽を愛する聴き手として、互いに補完し合い棲み分けることが可能なのだ、という認識が大事だと思う。
「21世紀のポップス」とは、ある意味で、クラシックやジャズという近代芸術音楽の集大成ともいうべき要素と構造と技術から成る非常に「高度な音楽」であり、21世紀のポップスの聴衆も、それらを苦も無く楽しめるほどの音楽的感性とリテラシーを備えた人たちだと言うこともできるだろう。音楽を構成する素材とアイデアは、20世紀までに、もうあらかた出尽くした感があるので、たとえテクノロジー面での 「進化」 は続いても(AIやコンピュータが生み出す音楽なども含め)、21世紀の音楽そのものにあるのは 、 完成した部品の新たな組み合わせで得られる「変化ないし多様化」 だけではないだろうか(大谷さんは、それを「リ・デザイン」と呼んでいる)。伝統的に、外国からやって来たものを何でも取り込んで「日本化」 してしまうのが得意な我が国でも、現在のJ-POPの音楽的進化(作曲者、演奏者、聴衆)を見ていると、ジャズ側の延長線上というよりも、むしろ大衆音楽としての 「J-POPという総体」の中から、やがて日本独自の音楽とジャズが融合した、真の「J-JAZZ」と呼ぶべき新たな音楽ジャンルが生まれて来るのではないか、という予感さえする。今号の「BRUTUS」にはそれを感じさせる星野原さんも登場しているが、ジャズの技術や要素を自然に取り入れた近年のJ-POPのサウンド、それを演奏する一部アーティストの洗練ぶりは、まさに世界レベルだと思う。むしろJ-POPこそが、日本ジャズ独自の進化系だと思えるほどで、この音楽は21世紀の今後に向かってさらに進化してゆく可能性を秘めていると思う。
100年前にアフリカ、ヨーロッパ、カリブ海からの様々に異なる音楽的、文化的、社会的要素が混淆、融合して北米のニューオーリンズという場所で偶然生まれ、その後米国の発展と繁栄を背景に世界中へと拡散していった「 JAZZ と呼ばれてきた音楽」が持っている最大の特質は、やはり「雑種のDNA」なのだろう(つまり、この音楽はアメリカという国家そのものだ)。「ジャズは死んだ」と何べん宣告されても、どっこいどこかでしぶとく生き残っていく強靭さがその象徴なので、以前は「ゾンビ」 のような音楽だと思っていたが、最近はやはり「雑種」という出自が、その生命力の源なのだとあらためて思うようになった。アメリカ生まれのどんな音楽も、ある意味で雑種と言えるが、ジャズの持つ「雑種性」 はそのスケールと深度と多様性が違う。それゆえその本質が、固定した枠組みに縛られず(自由)、一箇所、一ジャンルに留まらず(越境)、状況 に応じて自在に変化し、膨張を続ける(変容)――という類を見ない音楽になったのだろう。今や空気のように当たり前に存在し、時代に応じて変化し続けるこの音楽がこれからも「JAZZ/ジャズ」と呼ばれるのかどうかは分からない。しかし、20世紀に北米の一地方で起きた音楽上の化学反応と同様のことが、21世紀にはおそらく世界的規模で、地球上のどの地域でも起こり得る、あるいは既にそれが起きつつあるのは確かだと思う。その音楽が、名称はともかく、やがて「21世紀のジャズ」となるのだろう。
表題訳書『カンバセーション・イン・ジャズ / ラルフ・J・グリーソン対話集』(トビー・グリーソン編、小田中裕次訳、大谷能生監修・解説)が、リットーミュージックから来年1月に出版されます。
原書『The Ralph J. Gleason Interviews: Conversations in Jazz』(2016 Yale Univ. Press) は、20世紀米国の著名な音楽ジャーナリスト、ラルフ・J・グリーソン(1917 - 75)が、モダン・ジャズ全盛期の1959年から61年にかけて、サンフランシスコの自宅を訪れた当時の一流ジャズ・ミュージシャンたちと行なった私的インタビューの録音テープを元にした書籍です。1975年のグリーソンの死後、90年代になって自宅倉庫で見つかったテープの文字起こし作業を子息のトビー・グリーソン氏が手掛け、そこから選んだ計14名のミュージシャンとのインタビューを編集し、2016年にイェール大学出版局から書籍として初めて発表したもので、大部分が未発表の対談記録です。邦訳版の本書『カンバセーション・イン・ジャズ』は、原書からヴォーカリスト2名を除く12名を選び、編者による導入部分と、インタビューを書き起こしたテキスト全文を収載しています。昔のジャズファンなら誰でも知っている大物ミュージシャンばかりですが、現代の読者は必ずしもそうではないという時代背景を考慮し、各ミュージシャンの略歴およびインタビュー当時の代表的レコード情報を、参考資料として訳者が補足しています。グリーソンが約2年の間に対談したのは以下のジャズ・ミュージシャンたちです。当時まだ20代半ばの新人だったクインシー・ジョーンズから、絶頂期のコルトレーンやビル・エヴァンス、グリーソンと同年齢で親しかったディジー・ガレスピー(当時41歳)、さらに61歳のレジェンド、デューク・エリントンまで、幅広い年齢層と多彩なミュージシャンで構成されています。
♦ジョン・コルトレーン ♦クインシー・ジョーンズ ♦ディジー・ガレスピー ♦ジョン・ルイス ♦ミルト・ジャクソン ♦パーシー・ヒース ♦コニー・ケイ ♦ソニー・ロリンズ ♦フィリー・ジョー・ジョーンズ ♦ビル・エヴァンス ♦ホレス・シルヴァー ♦デューク・エリントン
Ralph J. Gleason |
ラルフ・J・グリーソンは、セロニアス・モンク、ディジー・ガレスピーと同年の1917年(大正6年)、ニューヨーク市生まれのジャズ、ロック、ポピュラー音楽批評家です。1930年代、コロンビア大学在学中に米国初となるジャズ批評誌を創刊し、第二次大戦後は「サンフランシスコ・クロニクル」紙の専属コラムニストとして活動。ナット・ヘントフ Nat Hentoff と並ぶ20世紀米国を代表する音楽ジャーナリストとして、サンフランシスコを拠点に西海岸ポピュラー音楽の潮流を主導しただけでなく、ヘントフと同じく、その批評対象は音楽を超えて政治、社会、文化の領域にまで及んでいました。また「ダウンビート」誌の副編集長兼批評家(1948-60)として同誌の他、「ニューヨーク・タイムズ」紙、「ガーディアン」紙等、多数の主要メディアにも寄稿し、フランク・シナトラ、マイルス・デイヴィス、ボブ・ディラン、サイモンとガーファンクルなど、ジャズとポピュラー音楽界の当時の大スターたちへのインタビューや、主要レコードのライナーノーツ執筆も数多く手がけています。さらにジャズだけでなく、西海岸を中心にしたロック分野にも深く関わり、60年代後半からはジェファーソン・エアプレイン、グレイトフル・デッドなどの西海岸ロックバンドを評価、支持し、1967年には音楽雑誌「ローリングストーン」を共同創刊するなど、ロック批評の分野でも活躍していました。
グリーソンはまた、カリフォルニア州モントレーで現在も開催している「モントレー・ジャズ・フェスティバル」の創設 (1958)、テレビ番組『Jazz Casual』(SF/KQED公共放送)の司会(1960-68)、ディジー・ガレスピーの大統領選出馬応援(1964)、デューク・エリントンのドキュメンタリー映画の制作 (1968) など、多面的な活動で20世紀米国文化の根幹としてのジャズ、ポピュラー音楽の価値を語り、ミュージシャンたちを支援し続けました。没後の1990年には、グリーソンの功績を讃えて、ポピュラー音楽に関する優れた「音楽書」に授与される ”The Ralph J. Gleason Music Book Award" が創設されました。21世紀に入ってから途切れていた同賞が、今年(2022年)米国「ロックの殿堂」(Rock & Roll Hall of Fame)、ニューヨーク大学他の共催で、20年ぶりに復活し、2022年度の同賞には『Liner Notes for the Revolution: The Intellectual Life of Black Feminist Sound』(Daphne A. Brooks)が選ばれています。ジャズと米国の歴史は切っても切れない関係にありますが、ジャズレコード、特にすぐれた「ライヴ録音」は、時としてタイムカプセルを開けたときのような驚きと感動を聴き手に与えることがあります。古いインタビュー記録である本書から感じるのも、まさしく同種の新鮮さと驚きであり、60年という歳月を飛び越えて、モダン・ジャズ全盛期のアーティストの肉声と時代の空気が生々しく伝わってきます。そして本書のインタビュー全体を通読することで、1930年代のスウィング時代のビッグバンドから、第2次大戦後のビバップを経て、1950年代のスモール・コンボ中心のモダン・ジャズ時代へと移り変わるジャズ史の流れが、各ミュージシャンの個人史、人間関係、体験談等を通じてリアルに浮かび上がって来ます。
ジャズはまたミュージシャン個人の哲学や思想、感情を「話し言葉」のように楽器の「サウンド」を通じて表現する音楽芸術です。インタビューは逆に、そのサウンド表現に代わって、彼らが文字通り「自分の言葉」で音楽家としての思想を直接的に表現する場です。ミュージシャンの人格や哲学と、彼らの演奏表現のダイレクトな関係にこそジャズの魅力と真実があると考えている私のようなジャズ好きにとっては、この「言語とサウンド」の関係、すなわち各ミュージシャンの音楽的個性と、その背後にある人間性が、彼らの具体的な「言葉」を通して、どのインタビューからもはっきりと伝わってくるところが本書のもう一つの魅力と言えます(どこまでそのニュアンスを翻訳で伝えられたかは分かりませんが)。半世紀以上前の古い記録ですが、本書にはジャズという音楽と、ジャズを演奏するミュージシャンたちをより深く理解し、楽しむためのヒントがたくさん散りばめられていると思います。
その古い記録を、21世紀の今ごろになって翻訳出版するのには理由があります。本書を起点にして、その後20世紀後半に米国で出版されたジャズ・ミュージシャンへの同形式のインタビュー書を何冊か選び、それらをシリーズ化して翻訳出版することを企画しています。ただし私のようなオールドジャズファンの回顧に偏ることなく、ジャズ史的考察と音楽的な背景を、専門家の視点で客観的に分析・検証していただくために、プロの音楽家かつ批評家であり世代的にも若い大谷能生さんに、「Jazz Interviews Vol.1」と題した本書を含めたシリーズ全体の監修と解説をお願いしています。それらのジャズ・インタビュー本を年代順にシリーズ化して翻訳出版することによって、これまである意味で偏っていたり、あるいは曖昧な印象が強かった「20世紀後半のジャズ史」を、ジャズ・ミュージシャンたちの肉声で内部から辿る(日本語の)「オーラル・ヒストリー」として、よりリアルに描いてみたいと考えています。
今後の翻訳対象書籍は既に何冊か選定していますが、現在の出版界の状況から、この企画を実現するにはジャズファンからの強いご支持が必要と思います。本書への感想、あるいは今後の企画に対するご要望、ご提案等をお持ちの方は、リットーミュージック宛、もしくは本ブログ「Contact」を通じて、小田中裕次宛に直接ご意見をお聞かせいただくようお願いいたします。
昨年出版された『中牟礼貞則:孤高のジャズ・インプロヴァイザーの長き軌跡』(久保木靖・編著、リットーミュージック)を読んだ。今年89歳(!)になる大ベテラン・ジャズ・ギタリスト中牟礼貞則(なかむれ・さだのり 1933-)との回顧録的インタビューを中心に、親しいジャズ関係者の証言、コラム、ディスコグラフィなどで構成された書籍だが、中牟礼貞則が演奏した未発表の貴重な音源を収めたCDが添付されているところが普通のジャズ本と違う。教則本ではなく、ジャズ・ミュージシャンが自ら語る音楽や人生を、テキスト(本人の言葉)とサウンド(実際の演奏記録)でパッケージした書籍は、単なる音や映像だけの記録とはまた異なる味わいとリアリティがあって、非常に楽しめる形態だと思う。
情報が有り余る現代では、ネット上のどこにでも書いてあるような、通り一遍のジャズ情報や知識をまとめただけのジャズ本に、もはや存在価値はないだろう。しかし、一流ジャズ・ミュージシャンの「生の声」を聞くインタビューを中心にした本は、上っ面の情報ではなく、時として人生やジャズという音楽の本質に触れる非常に奥深い対話が聞けるところに、音楽書として時代を超えた価値がある。また、ジャズのような即興音楽に携わるミュージシャンは、総じて発想も会話もユニークで、ユーモアやオリジナリティに富んでいる人が多いので、読んで(聞いて)いて退屈しない。そして何よりも(自分で訳した『リー・コニッツ』や『 スティーヴ・レイシー』がその典型だが)、ジャズ・ミュージシャンが「なぜ、そういうサウンドの演奏をするのか?」「何を考えて、演奏しているのか?」――という、聴き手にとって素朴だが本質的な疑問に対する答の一部が、「本人」の口から直に語られるところがいちばん面白いのである(ただし、それにはインタビューする側に、ジャズ知識はもちろん、そうした対話へと導くインタビュー技術が必要だが)。人生の履歴、ジャズ学習の経緯、交友関係、影響を受けたミュージシャン、目指していた音楽、実際の音楽的嗜好、個人としての思想――等々、演奏で表現される「ミュージシャン固有の音楽」の背後にある様々な人間的要素が、楽器の音とは別に奏者の肉声を通して伝わって来る。そこから、素人の耳では音楽的に聞き取るのが難しい部分や、ミュージシャン自身の音楽哲学、人間性に関する様々なヒントが感じられ、演奏をより深く理解できる気がして、ジャズを聴く楽しみが倍化するのである。しかし、アメリカではアーティストへのインタビューをまとめた書籍は一般的だが、日本では雑誌などの短いインタビュー記事にほぼ限られる。特に「一人の日本人ジャズ・ミュージシャン」だけを対象にして、編集本ではなく、本人の肉声をほぼそのまま収載した本格的なインタビュー本は、これまで出版されていないと思う(秋吉敏子の本がいちばん近いが)。ジャズ・ギタリスト中牟礼貞則の長い音楽人生をインタビュー中心に辿った本書は、そういう意味で本邦初となる書籍だろう。Lennie Tristano Atlantic 1956 |
Conversation TBM 1975 |
本書に添付されているCD収録曲は、当然だがまったく知らなかった演奏ばかりだ。銀座にあった高級ナイトクラブ「ファンタジア」でのライヴ演奏4曲(1956年=昭和31年)、その41年後、名古屋のジャズクラブ「Jazz Inn Lovely」でのリー・コニッツ Lee Konitz (as)とのデュオ演奏4曲 (1997)、2曲のソロ演奏 (2020)、これら10曲がすべて未発表の私家録音という貴重な音源である。1956年のライヴ録音は、トリスターノ派的クール・ジャズを中牟礼のギターと2管のセクステットで演奏しているが、当時トリスターノ音楽のいちばんの理解者と言われていた徳山陽 (1925-) のピアノ演奏を、私はこのCDで初めて聴いた。1956年という時代にあって、まさにトリスターノばりのラインを持った硬質なピアノに驚くが、上京して5年ほどで、まだ20代前半の中牟礼のモダンなギターにもびっくりする。演奏はもちろん、選曲もトリスターノ派のオリジナルや彼らが好んだ曲ばかりで、まさにビバップの横浜「モカンボ」(1954)と、実験的な銀座「銀巴里」(1963)という、日本ジャズ史上、時代の最先端を行く両ジャズ・セッションの中間に位置する演奏である。進化論的ジャズ史で言えば、「モカンボ」はアメリカの10年遅れのビバップ、「ファンタジア」は5年遅れのクール、そして「銀巴里」での前衛的実験の頃に、ほぼアメリカに追いついた日本ジャズが、その後高柳、山下洋輔、富樫雅彦などの60年代フリージャズ活動を経て、70年代についに独自の世界に到達したという歴史を、いわばこの1956年の演奏が裏書きしているとも言えるだろう。
2つ目の録音、1997年のリー・コニッツと中牟礼貞則の共演を、まさか21世紀の今頃になって聴けるとは思わなかった。コニッツには多くのデュオ作品があるが、1967年の『Lee Konitz Duets』を除き、ほとんどがピアノとのデュオであり、ギターとのデュオ演奏はなかったと思う。ギター奏者との共演も、1950年代のビリー・バウアー以降は、ケニー・ウィーラーの『Angel Song』(1996)でのビル・フリゼール、ドン・フリードマン(p)とのトリオによる『Thingin'』(1996)でのアッティラ・ゾラー、マーク・ターナー(ts)との『Parallels』(2000)でのピーター・バーンスタインなど、数える程である。
1990年代のリー・コニッツ (1927- 2020) の演奏は、当然ながら(中牟礼たちが傾倒した)カミソリのように鋭いインプロヴィゼーションを次から次へと生み出していた1950年代前半とは異なる音楽に変貌していた。しかし私見だが、当時のコニッツはジャズ音楽家として二度目のピークを迎えていた時期だったと思っている。60歳を過ぎた80年代後半から、コニッツは初めて自身がリーダーになったコンボを率い、ブラジル音楽に熱中したり、ストリングスと共演したり、上記デュオ作品やトリオに挑戦したり、自由で多彩な演奏活動を世界中で繰り広げていて、90年代半ばには日本にも数回来日してコンサート公演や録音を残している。このデュオは、その折にケイコ・リー(vo) の名古屋でのライヴ時の前座として共演したものだという。コニッツ好みのスタンダード曲が並ぶが、コニッツも中牟礼も、50年代のトリスターノ的音楽からはすっかり離れ、既に両者とも独自の音楽を形成していた時期の演奏である。本書で中牟礼は、このときの共演についてはクールな言葉で回想しているが、やはり青春時代に傾倒した音楽を象徴するミュージシャンと40年後に直接共演するという場であり、胸中には、おそらく他の人間には分からない何かが湧き上がっていたことだろう。(私の勝手な思い込みかもしれないが)このデュオは、そうした歳月を経てきた二人のベテラン・ミュージシャンの、言葉を超えた感慨を感じさせる邂逅セッションであり、個人的には非常に楽しめた。この時70歳だったリー・コニッツは、2020年4月にコロナのために92歳で亡くなった。
実に良いジャケットだ… |
ロビン・ケリー氏と著書 |