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2022/08/20

夏のジャズ(2)

夏場にはラテン系など、音数の多い賑やかな音楽を楽しむという人もいるだろうが、私の場合、基本的には音数があまり多くない、空間を生かした、文字通り風通しの良い音楽に「涼しさ」を感じる。夏に聴きたくなるジャズというと、前記事のように、どうしてもギター中心のサウンドになるが、ホーンも、ピアノも、ヴォーカルも、それぞれやはり夏向きの演奏はあるし、またそういう奏者もいる。

In Tune
(1973 MPS)

「山本潤子」の記事で書いたが、80年代はじめに「ハイ・ファイ・セット Hi-Fi Set」が出したジャズ寄りのレコードを集中して聴いていたところ、夏場に聴く「ジャズ・コーラス」も、なかなか気持ちがいいものだと改めて感じた。そこで(ご無沙汰していたが)昔ずいぶん聴いた、オスカー・ピーターソン Oscar Peterson (1925-2007) が自身のトリオ名義でプロデュースした男女4人組(女声1人)コーラス・グループ 、"シンガーズ・アンリミッティド The Singers Unlimited" の『In Tune』(1973) を久々に聴いてみた。"The Singers Unlimited" は、70年代に『A Capella』他の美しいコーラスアルバムを数多くリリースしているが、1971年に録音されたメジャー・デビューとも言える本アルバムでも非常に気持ちの良いコーラスを聞かせている。ピーターソンのピアノは個人的にはあまり趣味ではないが、このアルバムではピアノトリオがコーラスの背後で控え目な演奏に徹していて、かつMPSらしいソリッドな音質もあって、どのトラックも楽しめる。特に好きだったLPのB面1曲目「The Shadow of Your Smile」の冒頭のアカペラのコーラスハーモニーは、夏場に聴くとやはり気持ちが良い(CDでは6曲目)。

 In Harvard Square
 (1955 Storyville)
ホーン楽器だと、夏場はやはり涼しげなアルトサックス系がいい。そこで文字通り「クールな」リー・コニッツ Lee Konitz (1927-2020) を聴くことが多い。どちらかと言えば、あからさまな情感 (emotion) の発露が低めで、抽象度が高いコニッツの音楽は、聴いていて暑苦しさがないので基本的に何を聴いても夏向き(?)だ。だが私の場合、トリスターノ時代初期のハードなインプロ・アルバムはテンションが高すぎて、あまり夏場に聴こうという気にならない。頭がすっきりする秋から冬あたりに、集中して真剣に音のラインを辿るように聴くと、何度聴いてもある種のカタルシスを感じられる類の音楽だからだ。だから夏場に聴くには、1950年代半ばになって、人間的にも丸みが出て(?)からStoryvilleに吹き込んだワン・ホーン・カルテットの3部作(『Jazz at Storyville』『Konitz』『In Harvard Square』)あたり、あるいは50年代末になってVerveに何枚か吹き込んだ、ジム・ホールやビル・エヴァンスも参加した比較的肩の力を抜いたアルバム(『Meets Jimmy Guiffree』『You and Lee』)とかが、リラックスできていい。ここに挙げた『In Harvard Square』は、Ronnie Ball(p), Peter Ind(b), Jeff Morton(ds) というカルテットによる演奏。Storyville盤は3枚ともクールネスとバップ的要素のバランスがいいが、このアルバムを聴く機会が多いのは、全体に漂うゆったりしたレトロな雰囲気と、私の好きなビリー・ホリデイの愛唱曲を3曲も(She's Funny That Way, Foolin' Myself, My Old Flame)、コニッツが取り上げているからだ(コニッツもホリデイの大ファンだった)。

Cross Section Saxes
(1958 Decca)
リー・コニッツのサウンドに近いクールなサックス奏者というと、ほとんど知られていないが、ハル・マキュージック Hal McKusick (1924-2012) という人がいる(人名発音はややこしいが、昔ながらの表記 "マクシック" ではなく、マキュージックが近い)。上記リー・コニッツのVerve盤や、『Jazz Workshop』(1957) をはじめとするジョージ・ラッセルの3作品に参加していることからも分かるように、そのサウンドはモダンでクールである。本作『Cross Section Saxes』(1958 ) の他、何枚かリーダー作を残していて、いずれも決して有名盤ではないが私はどれも好きで愛聴してきた。押しつけがましさがなく、空間を静かに満たす知的なサウンドが夏場にはぴったりだ。1950年代後期、フリージャズ誕生直前のモダン・ジャズの完成度は本当に素晴らしく(だからこそ ”フリー” が生まれたとも言える)、黒人主導のファンキーなジャズと、主に白人ジャズ・ミュージシャンが挑戦していた、こうしたモダンでクールなジャズが同時に存在していた――という、まさにジャズ史の頂点というべき時代だった。本作もアレンジはジョージ・ラッセルや、ジミー・ジュフリーなど4名が担当し、マキュージック(as, bc他) 、アート・ファーマー(tp)、ビル・エヴァンス(p)、バリー・ガルブレイス(g)、ポール・チェンバース(b)、コニー・ケイ(ds)他――といった多彩なメンバーが集まって、6人/7人編成で新たなジャズ創造に挑戦する実験室(workshop)というコンセプトで作られた作品だ。このアルバムの価値を高めているのも、デビュー間もないビル・エヴァンスで、ここで聴けるのはマイルス・デイヴィスの『Kind of Blue』(1959) 参加前夜のエヴァンスのサウンドだ。その斬新なピアノが、どのトラックでもモダンなホーン・サウンドのアクセントになっている。

Pyramid
(1961 Atlantic)
夏場に、ギターと並んでもっとも涼しさを感じさせるのがヴィブラフォン(ヴァイブ)のサウンドだ。モダン・ジャズのヴァイブと言えば、第一人者はもちろんMJQのミルト・ジャクソン Milt Jackson (1923-99) である。MJQと単独リーダー作以外も含めると、ジャクソンが参加した名盤は数えきれない。何せヴァイブという楽器は他に演奏できる人間が限られていたので、必然的にあちこち客演する機会が多くなって、特に大物ミュージシャンのアルバムへ参加すると、それがみな名盤になってしまうからだ。1940年代後半から50年代初めにかけてのパーカー、ガレスピー、モンク等との共演後、1951年にガレスピー・バンドの中から "ミルト・ジャクソン・カルテット(MJQ)" を立ち上げるが、翌52年頃からピアニスト、ジョン・ルイス John Lewis (1920-2001) をリーダーとする "モダン・ジャズ・カルテット(こちらもMJQ)" (パーシー・ヒース-b, ケニー・クラーク後にコニー・ケイ-ds) へと移行した。よく知られているように、MJQはジャズとクラシックを高いレベルで融合させ、4人の奏者が独立して常に対等の立場で演奏しながら、ユニットとして「一つのサウンド」を生み出すことを目指したグループで、ルイスの典雅なピアノと、ジャクソンのブルージーなヴィブラフォンがその室内楽的ジャズ・サウンドの要だった。その後70年代の一時的活動中断を経て、1997年までMJQは存続し、ジャクソンはその間ずっと在籍した。MJQの名盤は数多いが、モダン・ジャズ全盛期1959/60に録音された『Pyramid』は、比較的目立たないが、彼らのサウンドが絶妙にブレンドされた、クールで最高レベルのMJQの演奏が味わえる名盤だ。

Affinity
(1978 Warner Bros)
ピアノはそもそもの音がクールなので、夏向きの音楽と言えるが、やはり「涼し気な」演奏をする奏者と、そうでないホットな人はいる。ビル・エヴァンス Bill Evans (1931- 80) はもちろん前者だが、上で述べたコニッツの場合と同じく、夏場はリラクゼーションが大事なので、エヴァンス特有の緊張感のあるピアノ・トリオよりも、ハーモニカ奏者トゥーツ・シールマンToots Thielemans (1922-2016) 他との共演盤『Affinity』あたりが、いちばん夏向きだろう(マーク・ジョンソン-b、エリオット・ジグモンド-dsというトリオに、ラリー・シュナイダー-ts,ss,flも参加)。これは1980年に亡くなったビル・エヴァンス最晩年の頃の演奏で、若い時代の鋭く内省的な演奏というよりも、どこか吹っ切れたような伸び伸びした演奏に変貌していた時期で、本作からもそれを感じる。ベルギー生まれのシールマンは、1950年代はじめに米国へ移住後、数多くのジャズやポピュラー音楽家と共演してきたハーモニカの第一人者。夏場、特に夕方頃に聴くハーモニカの哀愁を帯びたサウンドは清々しく、とりわけ「Blue in Green」などは心に染み入る。

The Cure
(1990 ECM)
キース・ジャレット Keith Jarret (1945-) の健康状態に関するニュースが聞こえてくると、ジャズファンとしては悲しいかぎりだ。ついこの間もバリー・ハリス(p) の訃報を聞いたばかりで、20世紀のジャズレジェンドたちが一人ずつ消えてゆくのは、本当にさびしい。ピアノを弾くのが困難でも、キースには、せめて長生きしてもらいたいと思う。そういうキースのアルバムは、すべてが「クール」と言っていいが、演奏の底に、何というか、ジャズ的というのとはまた別種の「情感」が常に流れているところに独自の魅力があるピアニストだと個人的には思っている。80年代以降の「スタンダード・トリオ」(ゲイリー・ピーコック-b, ジャック・デジョネット-ds) 時代のレコードは、ほぼ全部聴いていると思うが、私の場合ここ10年ほどいちばんよく聴くのは、トリオも熟成した後期になってからのレコード『Tribute』(1989) や、ここに挙げた『The Cure』(1990) だ。モンク作の「Bemsha Swing」(実際はデンジル・ベスト-ds との共作)や、自作曲「The Cure」、エリントンの「Things Ain't…」など、ユニークな選曲のアルバムだが、なかでもバラード曲「Blame It on My Youth」(若気の至り)の、ケレン味のないストレートな唄わせぶりが最高に素晴らしくて何度聴いたか分からない。この後ブラッド・メルドーや、カーステン・ダールといったピアニストたちが、この曲を取り上げるようになったのは(キース自身、その後のソロ・アルバム『The Melody at Night, with You』(1999) でも再演している)、ナット・キング・コール他の歌唱でも知られるこの古く甘いスタンダード曲を、クールで美しい見事なジャズ・バラードに昇華させたキースの名演に触発されたからだろう。ニューヨーク・タウンホールでのライヴで、相変わらず響きの美しい、気持ちの良い録音がトリオの演奏を引き立てている。

Mostly Ballads
(1984 New World)
もう一人は、まだ現役だが、やはり白人ピアニストのスティーヴ・キューン Steve Kuhn (1938-) だろうか。若い頃は耽美的、幻想的と称されていたキューンのピアノだが、私的印象では、どれも凛々しく知的な香りがするのが特徴で、一聴エモーショナルな演奏をしていても、その底に常にクールな視座があり、ホットに燃え上がるということがない。しかしその透徹したサウンドはいつ聴いても美しく、またクールだ。初期のトリオ演奏『Three Waves』(1966) や、ECM時代のアルバムはどれも斬新でかつ美しい。本作『Mostly Ballads』(1984) は私の長年の愛聴盤で(オーディオ・チェックにも使ってきた)、ソロとベース(ハーヴィー・シュワルツ Harvie Swartz)とのデュオによる、静かで繊細なバラード曲中心の美しいアルバムだ。響きと空気感をたっぷりと取り込むDavid Bakerによる録音も素晴らしく、大型スピーカーで聴くと、キューンの美しいピアノの響きに加えて、ハーヴィー・シュワルツのベースが豊かな音で部屋いっぱいに鳴り響くのだが、小型SPに変えてしまった今の我が家では、もうあのたっぷりした響きが味わえないのが残念だ。

Complete
London Collection
(1971 Black Lion)
「クール」とか「涼しい」をテーマにすると、どうしても白人ジャズ・ミュージシャンばかりになってしまうが(自分の趣味の問題もある)、ピアノではもう一人、実はセロニアス・モンク Thelonious Monk (1917- 82) の演奏、それもソロ・ピアノは暑苦しさが皆無なので、夏に聴くと非常に心が落ち着く気持ちの良い音楽だ。モンクのソロ・アルバムの枚数は4枚しかないが、もう1つが、モンク最後のスタジオ録音になった『London Collection』(1971) のソロで、録音もクリアで聴いていて非常に気持ちが良い。3枚組CDでリリースされた本作品のソロは、alt.takeを含めてVol.1とVol.3に収録されていて、晩年になってもソロ演奏だけは衰えなかったモンクが楽しめる。LP時代には発表されず、CD版のVol.3の最後に追加されたソロで、「Chordially」と名付けられた「演奏」は、モンクが録音本番前に様々な「コードchord」を連続して弾きながらウォーミングアップしている模様を約9分間にわたって記録した音源だ(ちなみに、英語の "cordially" は、「心をこめて」という意味の副詞である。タイトル "chordially" は、モンクらしい言葉遊びだろうと推測している)。翌1972年からウィーホーケンのニカ邸に引き籠る前、欧州ツアー中のロンドンで記録された文字通りセロニアス・モンク最後の「ソロ演奏」であり、比類のない響きの美しさがなぜか胸に迫って、涼しさを通り越して、もの悲しくなるほど素晴らしい。

2022/08/10

夏のジャズ(1)

真冬の生まれなので、暑い夏はそもそも苦手だ。今年のような酷暑は最悪である。本来ジャズは夏向きのホットな音楽だが、避暑地や夜のジャズクラブでのライヴならともかく、日本の蒸し暑い夏に、狭い日本の家の中で、レコードで聴くホットなジャズはやはり暑苦しい。最近は歳のせいもあって、聴くのに気力、体力を要するようなヘビーなジャズ(昔のジャズ)をじっくり聴くことはめっきり減った。夏場はとりわけそうで、ボサノヴァや、ポップス系統のリラックスして聞き流せる音楽、ジャズでも、重くなく軽快、あるいはクールさを感じさせるサウンドを持つ演奏をどうしても聴きたくなる。それに暑くて、難しいことを考えるのも億劫なので、一聴クールでも、「思考」することを要求するようなテンションの音楽も私的にはアウトだ。ジャケットも暑苦しくない、見た目が涼し気なデザインが好ましい(これらは、あくまで個人的趣味嗜好の話なので、もちろん賛同できない人もいるだろうと思います)。

Jim Hall & Pat Metheny
(1999 Telarc)

夏場に聴いて、もっとも気持ちの良いジャズは何かと言えば、これもまったくの個人的好みだが、その答は「ジャズギター」だ。ロックやポップスと違い、オーソドックスなジャズギターはアコースティック系でも、エレクトリック・ギターでも、基本的サウンドは「クール」である。もちろん奏者にも依るが、たとえばジム・ホールJim Hall (1930-2013) の演奏はエレクトリック・ギターだが、クールなサウンドのジャズギターの代表だ。ホールにソロ・アルバムはない(と思う)が、ビル・エヴァンスとの『Undercurrent』を筆頭に、ロン・カーター、レッド・ミッチェル、チャーリー・ヘイデンというベース奏者との「デュオ作品」があって、いずれも名人芸というべきジム・ホールの見事なインタープレイが楽しめる。ここに挙げたパット・メセニーPat Metheny (1954-) とのギターデュオ・アルバムも、名人二人による演奏、サウンド共に最高にクールだ。ジム・ホールはエレクトリック・ギターだけだが、メセニーはアコースティック、エレクトリック両方を弾き分けて変化のあるデュオ演奏にしている。特に、美しいメロディを紡ぎ出すメセニーとの、息の合った繊細なバラード演奏(Ballad Z, Farmer's Trust, Don't Forget, All Across the City等)が素晴らしい。クラシック録音が専門のTelarcレーベル特有の、空間の響きを生かした、ジャズっぽくないクールな録音も夏場はいい。

Small Town
(2017 ECM)
サウンド・コンセプトという点で、クールなジム・ホールの延長線上にいるギタリストがビル・フリゼール Bill Frisell (1951-) だ。聴けば分かるが(ド素人なので技術的なことは分からないが)、二人の「サウンド」は非常によく似ている。たぶんギターのトーンと、音の間引き具合、スペース(空間)の使い方から受ける印象が、そう感じさせるのだろう。フリゼールはずっと、ジャズというジャンルを超えた音楽を追及していて、「アメリカーナ」というローカル・アメリカの文化・伝統に根差した、より幅の広い音楽領域を視野に入れた世界を探求している(より土着的、大衆的で、分かりやすい音楽とも言える)。「ヴィレッジ・ヴァンガード」でのライブ録音の本作『Small Town』は、トーマス・モーガンThomas Morgan (1981-) のベースとのデュオ演奏で、静謐な音空間の中に深い知性を感じさせながら、一方で、やさしく包みこむようなフリゼールのギターが相変わらず魅力的だ。本作ではなんと、トリスターノ時代のリー・コニッツの代表作で、今やジャズ・スタンダード曲の一つ「Subconscious Lee」も取り上げている。ギターによる同曲の演奏は(高柳昌行の録音以外)聴いたことはなく、このフリゼールの演奏はなかなかの聞きものである。ちなみに、私の訳書『リー・コニッツ ジャズ・インプロヴァイザーの軌跡』の中で、フリゼールがコニッツとの共演体験について語っているインタビューがあるが、コニッツの音楽の特徴をミュージシャン視点で語っていて非常に面白い。このCDに加えて、もう1枚(同じ時の録音の)デュオアルバム『Epistrophy』(2019 ECM) もその後リリースしていて、そこではセロニアス・モンクの表題曲に加えて「Pannonica」も弾いている(フリゼールはモンク好きでもある)。

My Foolish Heart
(2017 ECM)
夏場に「涼しさ」をいちばん感じさせる音楽は、(ボサノヴァもそうだが)やはりナイロン弦のガットギターを使うジャズだろう。フュージョン系ならアール・クルーEarl Klugh だが、クールなECM系のジャズならラルフ・タウナーRalph Towner (1940-) がいる。タウナーは自己のバンド「オレゴン」に加えて、1970年代から『Diary』(1974) など、単独でECMに数多くの録音を残しており、特に静謐な空間に響きわたる独特のソロ・ギターは、冬場はサウンドが冷え冷えしすぎて、個人的にはあまり聴く気が起こらないのだが、夏場に聴くと逆にそのクールなサウンドが非常に気持ちがいい。タウナーはスチールの12弦アコギの演奏も多く、そちらはさらにシャープでエッジのきいたサウンドだが、柔らかでかつクールなナイロン弦ギターのソロ演奏も多く(いずれもECM)、『Ana』(1996) 『Anthem』(2001)『My Foolish Heart』(2017) などは、いずれも静謐かつ美しいギターサウンドが聴けるアルバムだ。

Time Remembered
(1993 Verve)
ビル・エヴァンスが演奏していた代表曲を、ガットギターだけの「アンサンブル」でクールかつクラシカルに演奏した、ジョン・マクラフリンJohn McLaughlin (1942-) の『Time Remembered:Plays Bill Evans 』(1993) も、美しく涼やかなサウンドで、夏になると聴きたくなるレコードだ。マクラフリンは60年代末にマイルス・デイヴィスの『Bitches Brew』他へ参加して以降、マハビシュヌ・オーケストラでのジャズ・ロック、パコ・デ・ルシア、アル・ディメオラとのギター・トリオ、クラシック分野への挑戦など、超絶技巧を駆使して多彩なジャンルで演奏活動を行なってきた真にヴァーサタイルなギタリストだ。マクラフリンと4人のクラシックギター奏者、アコースティック・ベースというセプテット編成のこの作品は、崇拝していたビル・エヴァンスへのオマージュとして1993年にイタリア・ミラノで制作したアルバムで、空間に美しく響く繊細なサウンドは、ビル・エヴァンスの世界を見事にギターで再現している。

Moon and Sand
(1979 Concord)
ガットギターによる夏向きのアルバムを、もう1枚あげれば、ケニー・バレル Kenny Burrell (1931-) がギター・トリオ(John Heard-b, Roy McCurdy-ds)で吹き込んだ、ラテン風味が散りばめられた『Moon and Sand』(1979 Concord) だろうか 。ケニー・バレルは、チャーリー・クリスチャン、ウェス・モンゴメリーに次ぐ黒人ギタリストで、ブルース・フィーリングに満ちた数多くのジャズ・アルバムを残してきたが、ガット・ギターの演奏にもかなり挑戦している。ギル・エヴァンスのオーケストラと共作した『Guitar Forms(ケニー・バレルの全貌)』(1965 Verve) でも、何曲か渋いガットギターを披露している。アルバム・タイトル曲「Moon and Sand」もその中の1曲だ。本作でも10曲のうち半数がガットギターの演奏で、Concordということもあって、全体的印象としてはイージーリスニング風だ。とはいえ、「どう弾いても」ブルージーになってしまう、というバレルのギタープレイが楽しめる好盤だ。このCDは今は入手困難らしく、ネット上ではとんでもないような価格がついているが、調べたところ、他のバレルのアルバムと合体させた2枚組CD『Stolen Moments』(2002)が同じConcordから「普通の」値段でリリースされていて、その2枚目に本作が収められているので、入手したい人はそちらを購入することを勧めます。

Jazz
(1957 Jubilee)
昔はB級名盤として、たまに取り上げられていた地味なアルバムが、ジョー・ピューマ Joe Puma (1927-2000) の『Jazz』(1957 Jubilee) という、ヒネリのないそのまんまのタイトルのレコードだ。ピューマがまた、これといった特徴のない奏者で(ジミー・レイニーの音に似ている)、このアルバムが日本でなぜ結構知られていたかと言えば、前年に『New Jazz Conceptions』でRiversideからデビューしたばかりのビル・エヴァンスが、ピアノで3曲参加しているからだろう。LPのA面3曲は、ピューマとエディ・コスタ Eddie Costa のヴィブラフォン、オスカー・ペティフォードのベースというトリオ、B面3曲がピューマ、ビル・エヴァンス、ポール・モチアンのドラムスに、ペティフォードのベースというカルテットによる演奏だったが、CDもそのままだ。その後、ペティフォードの代わりにスコット・ラファロがベースで加わって、あのビル・エヴァンス・トリオが誕生したのだろう。全体にオスカー・ペティフォードのがっしりとしたベースが中心のサウンド(モノラル録音)で、そこにピューマのギター、コスタのヴァイブ、エヴァンスのピアノという3者がスムースかつクールにからむ――という、まあこれといった特徴のない演奏が淡々と続くアルバムなのだが、そのあっさり感が逆に夏向きで(?)気持ちが良い。コスタのヴァイブもクールでいいが、短いながらも、デビュー間もない若きエヴァンスのシャープなピアノは、いつ聴いてもやはり斬新だ。

Guitar On The Go
(1963 Riverside)
ウェス・モンゴメリーWes Montgomery (1923-67) は、オクターブ奏法を駆使して、ブルージーかつドライヴ感のあるホットな演奏をする奏者というイメージが強いが、ウェスの代表的アルバムに収録されているバラード演奏などを聴くと、非常に美しくセンシティブなサウンドが聞こえてきて、単にテクニックばかりでなく、深い歌心のあるギタリストでもあることがよく分かる。『Guitar On The Go』(1963) はそのウェスが、故郷インディアナポリス以来の盟友メル・ラインMel Rhyne のオルガン・トリオをバックに、いかにもリラックスして演奏したRiverside時代最後のアルバムで、Verveへ移籍後ポップなウェスに変身する前のピュア・ジャズ作品である。とはいえ、どの曲もメル・ラインのアーシーかつグルーヴィーなオルガンが実に気持ちよく響き、そこにウェスの滑らかなメロディ・ラインがきれいに乗って、まさにスムース・アンド・メローを絵に描いたような、気持ちの良い演奏である(夜寝る前にこれを聴くと、ぐっすりと眠れる)。ちなみにこのアルバムは、今から半世紀以上前の高校生時代に、私が人生で初めて買った思い出深いジャズ・レコード(当時の新譜)である。こういうレコードを聴くと、モダン・ジャズはいつまで経っても古びない音楽だなと、つくづく思う。

2020/07/03

あの頃のジャズを「読む」 #3:レコード

「幻の名盤読本」
スイングジャーナル
1974年4月
ジョン・コルトレーン(67年)、アルバート・アイラー(70年)の連続死で、1970年代に入ったアメリカでは既にフリー・ジャズもほぼ終わりつつあり、マイルスの電化ジャズが登場しても、ロックに押されてジャズ人気は相対的に下降気味だった。ところが一方、1970年代半ばの日本では、1950/60年代録音のアナログLPレコードが、いわば新譜と同じか、場合によってはそれ以上に価値あるものとして扱われていた。ジャズは、興味を持つと次から次へと聴きたくなる中毒性のある音楽なので、レコード・コレクターと言われる人たち以外の普通のジャズファンでさえ、ジャズ雑誌の「幻の名盤」特集などを、わくわくしながら読んで、当時はあちこちにあったレコード店を何軒も探し回ったりしていた。こうした動きに呼応して、60年代ほどではなかったにしても、アメリカのベテラン・ミュージシャンたちが盛んに来日していた(本国では仕事が減ってきたこともあって)。もちろん、70年代のジャズ新譜や、日本人ミュージシャンの演奏をリアルタイムで聴いて楽しんでいた人もいただろうが、大部分の「普通のジャズファン」は、まずは1950/60年代のマイルスやコルトレーンの名演や、それまであまり知られていなかったミュージシャンたちの名盤と言われるレコードをジャズ喫茶や自宅で初めて聴いて、その素晴らしさに感激していたと思う。都会の一部を除き、海外や日本のミュージシャンのライヴ演奏を聴く場も機会も当時は限られていたので、大方のジャズファンにとっては、たとえ過去のものであっても、ジャズの本場アメリカのレコードという音源が依然として魅力的かつ貴重だったのである。

いずれにしろ、おそらく60年代よりもずっと早く海外の音楽情報が伝わったはずにもかかわらず、70年代の日本には、リアルタイムのジャズシーンとは別に、アメリカと実際10 - 15年くらいのタイムラグがある「レコードを中心にした日本独自のローカルジャズシーン」が存在していたということである。これはやはり、既にあったジャズ喫茶という存在とともに、「スイングジャーナル」誌を中心とするジャズメディアが、レコード業界やオーディオ産業と共に作った特殊な日本的構造と言っていいのだろう。当時まだ若かった私のような新参のジャズファンは、知らずに洗脳されつつ、その世界を大いに楽しんでいたことになる。60年代はよく知らないが、オーディオへの関心を含めたジャズの大衆化、コマーシャル化を推進した1970年代の「スイングジャーナル」誌には、後で振り返れば功罪共にあるのだろうが、ジャズという音楽の面白さ、素晴らしさを、できるだけ多くの音楽ファンに知ってもらおうとする「志」も、同時に感じられたことも確かである(80年代以降は?だが)。特に、私が今でも何冊か所有している70年代に発行されたジャズレコードの特集号は貴重であり、解説付きレコードカタログとして非常にクオリティが高いものだ。

「私の好きな1枚の
ジャズ・レコード」
1981 季刊ジャズ批評別冊
『季刊ジャズ批評』は、当時はコアなジャズファンを対象としたジャズ雑誌で、『別冊』ムック本を定期的に出版していた。1981年の別冊「私の好きな1枚のジャズ・レコード」は、ミュージシャンや、作家他の各界ジャズファンが、それぞれ思い入れの深いジャズ・ミュージシャンのレコード1枚(計110人)について語った文章(1978/80既出文)を収載したもので、日本人がジャズレコードに寄せる独特の思いが全編に溢れている。執筆者の多彩さにも驚くが、中には、ジャズへの愛情のみならず、その人の人生までもが1枚のレコードを通して、しみじみと伝わって来るようなすぐれたエッセイもある。その後も同様の企画があったが、この時代に書かれた文章のような熱さと深みは当然だが望むべくもない。ジャズクラブのように、同一の時空間で演奏者と聴衆が共有する1回性の「ライヴ即興演奏」こそがジャズの醍醐味だ、と考えるモラスキー氏のような普通のアメリカ人(かどうかは分からないが)が、こうした日本人のレコード偏重を奇異に思ったのもまた当然だろう。特に彼は、聴き手(鑑賞側)というだけではなく、自分でもジャズピアノを弾く演奏側という立場でもあるところが視点の違いに関係しているように思う(一般に、ジャズ・ミュージシャンは過去に録音された自分の演奏にあまり興味を持たない人が多いようだ。現在の自分の演奏、前に進むことのほうが大事だからだろう)。

「レコード」に対するジャズファンのこの特殊な姿勢は、日本における明治以来の西洋クラシック音楽の輸入、教化、普及という受容史も大いに影響していると思う。つまり生演奏を滅多に聴けないがゆえに、複製代替物ではあるが、レコードという当時はまだ「貴重な」メディアを通して西洋の音楽を「拝聴する」、という姿勢が学校教育などを通じて自然に形成されてきたからだ。クラシック音楽と同様に、60年代には芸術音楽だと思われていた貴重なジャズのレコードを、つい「鑑賞する」という態度で聴くのも、普通の聴き手にとっては自然なことだった。ジャズを聴きながら「踊る」などとんでもない話で、じっと目を閉じて、音だけを聴いて演奏の「イメージ」を膨らませるわけである(踊らずとも、指や足でリズムはとっていた)。それ以前からあったクラシック音楽の「名曲喫茶」がそうだったように、たとえ再生音楽であっても「高尚な場と音楽」を提供する側(ジャズ喫茶店主)が、何となく偉そうで権威があるような立ち位置になるのも、クラシックの世界と同じ構造なのだ。「店内での会話・私語厳禁」という信じられないような「掟」を標榜していたジャズ喫茶があったのも、咳払いや、何気に音を立てることにもビクビクする、あのクラシックのコンサート会場で現在でも見られる光景と根は同じである。(行ったことがないので知らないが、アメリカのクラシックのコンサート会場でも同じなのだろうか? それともお国柄で、みんなリラックスして例の調子で聴いているのだろうか?)

Cool Struttin'
Sonny Clark / 1958 Blue Note
もう1点は「オーディオ」の役割とも関わることで、何度も繰り返し再生し、鑑賞できるレコードだからこそ、音や演奏の持つ「細部の美」に気づき、そこに「こだわり」が生まれる。これは芸術評価における日本的繊細さや美意識の伝統(特に陰翳美に対する)から来るもので、既にクラシック音楽鑑賞でこうした文化的伝統は形成されていた(アメリカ文化はダイナミックだが、基本的に何事も平板で大雑把だ)。そのためには再生される「音響のクオリティ」が大事で、生演奏を彷彿とさせるレベルのサウンドが望ましい。趣味のオーディオが際限なく泥沼化しやすいのも、この「高音質へのこだわり」のせいであり、本来ダイナミックでオープン、つまりどう展開するのか分からない「アメリカ的な大雑把さ」が魅力であるジャズという音楽と、スタティックで「整然としたミクロの美」にとことんこだわる日本的嗜好の融合が、日本におけるジャズの風景を独特なものにしてきた最大の理由だと言えるだろう。

特に1950年代後半のジャズレコードは、単なる1回性の即興演奏を録音したものだけではなく(プレスティッジの多くはそうだったらしいが)、ブルーノートやリバーサイドの名盤のように、スタジオに特別編成のメンバーを集めたり、ヴァンゲルダーのような優れた録音エンジニアによって高い録音クオリティを確保したり、プロデューサーのいる場で何度もリハを重ね、総合的にじっくりと作り込んだ「作品」という性格が強いアルバムも多かった(たとえば、1956年のセロニアス・モンクのアルバム同名曲<Brilliant Corners>の演奏は、リバーサイドのプロデューサーだったオリン・キープニューズが、25回の「未完成」録音テイクをテープ編集して完成させたものだ、という話は極端な例として有名だ。これはその後のマイルス/テオ・マセロ合作を経て、音楽ジャンルに関わらず、今では当たり前に行なわれている録音手法である。)。それらは確かに1回だけの「生演奏」とは違うが、繰り返して聴く価値のある演奏が収録された「ジャズ作品」と考えられていたし、事実優れた演奏やアルバムも多かった。だからソニー・クラーク Sonny Clarkというピアニストとその作品『クール・ストラッティン Cool  Struttin'』(1958 Blue Note) の存在を知らない、あるいはそのレコードに聴ける、翳のある独特のピアノの音色の魅力が分からないアメリカ人は、「本当にジャズを聴いているのか?」と思う日本人が多かったのである。

LPレコードに今でも人気がある理由の一つは、そうした時代の演奏とサウンドを再現するには、音源をデジタル化したり、圧縮したりして加工された音ではなく、当時のアナログ録音手法に則った再生方式の方が原理的に「より忠実で再現性が高い」、という考え方があるからだ。そして、たとえ疑似体験と言えども、それを最大限楽しむには、ジャズという音楽が持つエネルギーが聴き手に十分に伝わり、同時に演奏の細部も聞き取れるような高音質で、かつ音量を上げた再生が望ましいのである。こうした日本人の持つ嗜好や美意識、つまりは「オタク文化」を、米国のジャズ文化との比較を交えた日米文化論としてもっと掘り下げたら、モラスキー氏の『ジャズ喫茶論』はさらに深いレベルの議論になったようにも思う。

Waltz for Debby
Bill Evans / 1961 Riverside
 
ジャズとは常に「生きている」音楽であり、毎回の演奏に「想定外」のことが起こるところがその魅力と醍醐味なのに、レコードという缶詰音楽は、いかに名演、素晴らしい録音であっても、同じ音が繰り返し聞こえてくるだけの、所詮は「想定内」のいわば過去の音楽にすぎない、という見方の違いが根本的な部分だろう。「ジャズ(音楽)はライヴがいちばん」という認識は、「音源」が簡単に、自由に入手でき、貴重なものではなくなった現代では当然ながら高まっているが、生演奏を聴く機会がまだ少なく、西洋音楽鑑賞法の伝統が濃厚で、芸術鑑賞に独特の視点があった半世紀前の日本の時代状況を考えれば、聴き手がジャズという音楽に向き合う姿勢(ジャズ観)という点で、(ジャズの歴史的背景云々は別としても)そもそも日米間には大きな相違があったのではないかと思う。だから上記日本側の見方とは反対に、「日本人はジャズが分かっていない…」という見方が米国側の一部にあった(今もある?)のもまた当然なのだろう。しかし、面白くもない下手くそなジャズライヴを100回聴くより、好きなミュージシャンが演奏する1950年代の名盤を、ジャズ喫茶や自宅の優れたオーディオ装置でじっくりと聴いて楽しんだ方がよっぽどいい、という考え方が一方にあることも確かだ。ビル・エヴァンスのライヴ録音『Waltz for Debby』のレコードを、エヴァンス好きな日本人が耳を澄ませてじっと聴き入っているときに、「ヴィレッジ・バンガード」の(たぶん)アメリカ人女性客がバカ笑いする大声がスピーカーから響きわたる……という絵柄も、よく考えると、ある意味で実にシュールだ。

2019/06/15

Bill Evans with Horns(2)

Live at the Half Note
Lee Konitz
1959/1994 Verve
エヴァンスはクールで先進的なトリスターノ派の音楽とも相性が良さそうに思えるのだが、リー・コニッツが自伝でも述べているように、コニッツとエヴァンスの共演はあまりうまくいった例はないようだ。1959年にはVerveのコニッツのレコーディングに何度か参加し、さらにウォーン・マーシュ(ts) も参加したクインテット(ジミー・ギャリソンーb、ポール・モチアン-ds)による『Live at the Half Note(1959録音/1994リリースにも参加している。これはトリスターノとコニッツの久々の再会セッションで、クラブ「Half Note」での長期ライヴ期間中の共演だった。コニッツとマーシュは当時は好調だったし、ユニゾン・プレイを含めたここでの二人の演奏の出来は相変わらず素晴らしいと思うが、その晩トリスターノが出演できないという理由でコニッツに急遽呼ばれたエヴァンスは、代役でいきなり参加したという事情もあったのか、時おりの短いソロを除いて控えめなバッキング(ほとんど無音のときもある)に終始し、ここではまったく存在感がない。この録音のエヴァンスが適切な状況判断で音を選んでいた、という好意的なP・ペッティンガーの見方にはあまり賛同できない出来だと思う。このライヴ・セッションは、同年春の『Kind of Blue』録音と同時期で、エヴァンス的には決して調子の悪い時期だったとも思えず、むしろラファロ、モチアンとの新トリオ結成に向けて昇り調子だったはずだ。当時、トリスターノとコニッツの間の確執が背景にあった中で急遽受けた代役だったこと、あるいはエヴァンスのドラッグの問題なども関係して、当日はメンタル的にも演奏に乗れなかったのかもしれない(このレコードには、トリスターノがらみの面白い裏話がまだまだあるので、理由はいろいろ想像できる)。いずれにしろ当時売り出し中だったエヴァンスの不調を理由に、Verveはこの録音を結局お蔵入りしにし、1994年まで発表しなかった。コニッツはその後1960年代半ばに、ヨーロッパのコンサート・ライヴ(『Together Again』1965)でも共演しているが(エヴァンスは一部のみ参加、このときもエヴァンスの体調が悪く(たぶんドラッグ)パッとしない演奏に終わっている

Crosscurrents
1978 Fantasy
『Half Note』から20年近く経って、コニッツ、マーシュ、エヴァンス最後の共演となった『Crosscurrents』(1978)でも、あまり相性の良さを感じないが、コニッツはレイドバック気味の自分の演奏に対して、オンタイム (just) で弾くエヴァンスのピアノがリズム的にしっくり来なかったという表現をしている。要は、どこか追い立てられるような気配のあるエヴァンス相手だとリラックスできない、ということのようだが、78年という時期を考えると、コニッツが受けた印象は正直なものだったのかもしれない。エヴァンスの伝記を書いたP・ペッティンガーは、コニッツのピッチが徐々にシャープさを増して来たことを理由に挙げており、『Crosscurrents』では共演したウォーン・マーシュもピッチが不安定だったと、このアルバムが低評価だった理由は二人のホーン奏者のピッチだという見方をしている。確かにそう聞こえるし、コニッツも自分のシャープ気味なピッチのことは認めているが、それよりやはり基本的相性の問題、つまりハーモニーへの嗜好や、リズムへの乗り方が違うことの方が影響が大きいようにも思える。コニッツとエヴァンスは、結局のところ音楽的に相性が悪いのだと思う。Half Note』でもそうだが、柔らかなサウンドも、変幻自在の独特リズム感からも、むしろウォーン・マーシュの方が、サウンド、リズム両面でエヴァンスのピアノとはマッチしているように聞こえる。マーシュのバラード・プレイには非常に魅力があると思っているが、『Crosscurrents』でも、特に<Every Time We Say Goodbye>で、マーシュとエヴァンスによる何とも言えず不思議に美しいバラードの世界が聞ける。これも、揺れるピッチのせいだと言えないことはないかもしれないが、ふわふわと浮遊するがごとくの、この不思議なバラード演奏が私は昔から好きだ。

Stan Getz & Bill Evans
1964/1973 Verve
エヴァンスのワン・ホーン・カルテットでは、いろんな意味でいちばん楽しめ、聴きごたえがあるのは、やはりスタン・ゲッツ(ts)との共演盤だろう。ゲッツは他のテナー奏者とは才能の次元が違うミュージシャンなので、相性云々を超えて、ジャズ・レジェンド同士の演奏はやはり風格が違う。ただこの二人は、遊び人と大学教授(昔の)くらい人格の雰囲気の違いがあるので、真面目なエヴァンス的には決して真にリラックスして共演できる相手ではなかっただろうと思う。『Stan Getz & Bill Evans』(1964) は、当時ボサノヴァのヒットで絶好調だったゲッツとエヴァンスという大物同士の組み合わせだったが、両者ともに満足できない演奏があったことが理由でお蔵入りになっていたものを、1973年にVerveが(勝手に)リリースした作品だ。エルヴィン・ジョーンズ(ds)、ロン・カーター(b)、リチャード・デイヴィス(b)  が参加したこのアルバムは、エルヴィンの個性的ドラミングもあって、いかにも60年代半ばというジャズ・サウンドを感じさせ、全体として初共演としては決して悪くない出来だと思う。ただメンバー構成が異質なこともあって、互いの出方を伺うような雰囲気があり、そこがどことなく硬さを感じさせる理由だろう。(ところで、このレコード・ジャケットの日の丸らしきものには、何か意味があるのだろうか?)

But Beautiful
1974/1996  Fantasy
それから10年後に新たに録音されたのがオランダ、ベルギーでのライヴ演奏(カルテット、トリオ)を収めたCD『But Beautiful』(1974, エディ・ゴメス-b, マーティ・モレル-ds) だ。73年にリリースされた上記レコードの反響を受けて企画されたコンサート・ライヴということだが、こちらもリリースされたのは20年以上経った1996年である(もちろん二人とも亡くなった後)。ここでは相変わらず流麗でセンシティヴなゲッツのテナーと、当時はたぶんまだ元気だったエヴァンスのピアノが美しく絡んで、名人同士の絶妙のコラボレーションを聞くことができる。64年当時からは二人とも年齢と経験を重ねており、何よりエヴァンスの当時のレギュラー・トリオにゲッツが客演したライヴという条件もあって、どの曲もリラックスした心地良い演奏だ。<But Beautiful>や、<The Peacocks>などのバラードにおけるゲッツのテナーと、それを支えるエヴァンスのピアノはさすがに美しい。ゲッツとエヴァンスという大物二人の個人的相性が実際はどうだったのかはよく分からないが、ヘレン・キーンのライナーノーツによれば、トリオ演奏のために待ち時間が伸びていたゲッツが、(たぶんイライラして)登場後、予定外だった曲<Stan's Blues>をいきなり吹いて、気分を害したエヴァンスが途中で演奏を止めたという話や、次の会場ではそのお詫びの印なのか、ゲッツがエヴァンスの誕生日であることを紹介して<Happy Birthday>のメロディを吹くなど(実際にCDに入っている)、いったいどっちなのかよく分からないエピソードもある。二人仲良くにこやかに微笑むジャケット写真がその象徴なのだろうか? しかしこれも、どう見ても合成写真なのがどうも気になる……

Quintessence
1976 Fantasy
1970年代のコンボ代表作は、ハロルド・ランド(ts)、ケニー・バレル(g)、レイ・ブラウン(b)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds) というクインテットによる『Quintessence』(1976) だろう。50年代ハードバップはエヴァンスとは水と油だったと思うが、これは60年代の『Interplay』の再現のようなアルバムで、当時はすっかり枯れて渋さを増したドラムスのフィリー・ジョーのみそのままで、ジム・ホールに代ってバレルのギター、ハバードのトランペットに代ってランドのテナー、パーシー・ヒースに代って相変わらず重量感のあるブラウンのベース、というメンバーだ。どう見ても、エヴァンスではなくてオスカー・ピーターソンの方が似合いそうな組み合わせだが、フュージョン全盛の70年代半ばのこの頃は、こうした大物を集めたバップ・リバイバル的企画のレコードが数多くリリースされていた。ジャズ的緊張感こそないが、さすがに全員ベテランならではの余裕と味わいを深めた、実に安定したバンドによるリラックスできるアルバムだ。ケニー・バレルはエヴァンスとは初共演ということらしいが、やはりバレルのブルージーなギターはいつ聞いても素晴らしい。ここでのエヴァンスからは、あの神経質な昔からは考えられないほど、非常にリラックスしたムードが感じられ、おそらくベテラン・メンバーの醸し出す余裕と安定感にどっぷりと浸って演奏していたのだろう。

Affinity
1978 Warner Bros
70年代からもう1作挙げるとしたら、マーク・ジョンソン(b), エリオット・ジグモント(ds)というレギュラー・トリオに、トース・シールマンズ Toots Thielemans (harm)、ラリー・シュナイダー(as,ts,fl) が加わった異色アルバムAffinity(1978)だろう。シールマンズのハーモニカをフィーチャーした、あの時代を象徴するような肩の凝らないイージーリスニング的な聞き方もできるレコードだが、デュオ、トリオ、カルテットと編成を変えたり、エヴァンスがエレピを弾いたり、あれこれ工夫を凝らして、楽しめるアルバムに仕上がっている。体力、精神ともに安定感を欠いて行った晩年のエヴァンスのトリオ演奏に聞ける、追い立てられるような、何とも言えない切迫感や緊張感はここにはなく、シールマンズの哀愁と懐かしさ溢れる、美しいハーモニカのサウンドと共演するのを楽しむかのように、リラックスしたエヴァンスの最後の姿が浮かんで来るようだ。その意味でも、夕暮れ時に聴くのにぴったりのアルバムである。

2019/06/01

Bill Evans with Horns(1)

映画『Bill Evans; Time Remembered』を見たこともあって、久しぶりにビル・エヴァンスのレコードを初期のものから聴き直してみた。エヴァンスと言えばまずピアノ・トリオで、超有名盤中心にジャズファンなら誰でも知っているようなレコードがほとんどだ。しかし、あまり紹介されることはないが、リーダー作は少ないながら、ホーン楽器の入ったコンボへの参加作品も結構多い。エヴァンスのコンボ共演盤における音楽的頂点は、言うまでもなくマイルス・デイヴィスの『Kind of Blue』だが、それ以外のレコードでは一定水準には達していても、エヴァンスの参加によって、これぞという決定的名盤が生まれたことはなかったようだ。マイルス・バンド参加時のように、グループとして作り込む時間があったケースは例外で、エヴァンス独自の音楽世界を表現するには、即席コンボではなく、やはりソロ、デュオ、リーダーとして率いるトリオまでがふさわしい、ということなのだろう。

今回あらためて感じたのは、エヴァンスがホーン楽器と共演したときの、バンドの編成やホーン奏者との "相性" についてである。相性というのは、理由はよく分からないが、何となくウマが合うとか合わないとかいうもので、ジャズ・ミュージシャンの世界でも技量とは別に、バンド編成の好みや奏者間の相性というものが当然あるだろう。たとえば共演相手なら、人種や血筋、性格や個性、演奏スタイルに加え、音楽的コンセプト、ジャズ観のような音楽家としての哲学が大きく影響するのではないかと思う。とはいえ、実際に即興セッションをやる現場でいちばん重要なのは、ジャズの場合 ”頭” ではなく、バンド全体や、互いの持つリズムやハーモニーに対する根本的な "感覚"(=何を心地良いと感じるか)だろう。それには音楽的技量やスタイルに加え、育った環境やキャリアがあるだろうが、突き詰めるとその人の生得的な資質、つまり血筋から来るものが影響しているようにも思う。いずれにしろ、エヴァンスのコンボ共演レコードを聴いていると、そうした相性の影響というものを強く感じる。(グローバル化した現代では、みんな生まれた時から世界中の音楽を耳にしながら成長し、かつ学習もしているので、吸収している情報量が圧倒的に違う。だから感覚的な次元の相性さえ、昔に比べてずっとバリアが少なくなっていることだろう)

もう一つ感じたのは、ピアノ・トリオのリーダー作だけ聴いているとあまり気づかないが、ホーン楽器が入った編成のコンボと共演したときの若きエヴァンスのピアノ・サウンドは、バッキングからソロに入った途端(たとえ短いフレーズでも)、瞬時にその場の “空気” を変えてしまうほど斬新だということだ。エヴァンスのピアノは、現代のジャズ・ピアノの底流であり雛形と言うべきもので、あまりに聴き馴染んでいるために、今の耳で聴くと、サウンドの美しさは別として、それほど “個性的” だとは感じない。しかしデビュー当時のエヴァンスのサウンドのインパクトは、生み出した音楽はまったく異質だが、ある意味で、あの時代のセロニアス・モンクと実は同じくらい強烈だったのではないかと思う(もちろん、歴史的に振りかえれば当然のことなのだが)。モンクの場合も、自身のリーダー作ではなく、他の作品に客演した数少ない初期のレコードで、そのユニークさ、インパクト(つまり当時の普通の演奏とのギャップ)が実際にどういうものだったかを聞くことができる。1950年代半ばという時代に、この二人がいかに独創的な音の世界を持ったピアニストだったかが、ハードバップ全盛期の主要レコードを時系列で聴いてゆくと、あらためてよくわかって興味深い。エヴァンスの ”相性” の問題も、結局のところ、この時代を超えた独創性に帰結するのかもしれない。

The Jazz Workshop
George Russell
1956 RCA
モンクの斬新さがよくわかるのは、ソニー・ロリンズの作品に加え、特にマイルス・デイヴィスの『Bag’s Groove』と『Modern Jazz Giants』の2枚(1954) における短いソロがその代表だ。一方、エヴァンスの場合それが鮮明な作品は、実質的デビュー作とも言えるジョージ・ラッセルの『The Jazz Workshop』(1956) だろう。1950年代半ばに、マイルスにも影響を与えた独自理論で既にモードを指向し、当時としては圧倒的にモダンだったジョージ・ラッセルの音楽と、既にラッセルやトリスターノを研究していたエヴァンスの音楽的相性の良さは当然で、その後エヴァンスは、ラッセルの『New York, New York(1959)、『Jazz in the Space Age(1960)、『Living Time』(1972) という3枚のアルバムに参加している。とても1956年録音とは思えないセクステット(アート・ファーマー-tp, ハル・マキュージック-as、バリー・ガルブレイス-g、ミルト・ヒントン-b、ポール・モチアン-ds)による『The Jazz Workshop』では<Ezz-Thetic>をはじめとして、タイトル通りラッセルの実験的かつ革新的な曲と演奏が並ぶが、そこで最初から最後まで当時のエヴァンスのモダンなピアノが聞こえて来る。特にエヴァンスのために書かれた<Concert for Billie the Kid>をはじめ、随所に聞ける若きエヴァンス(27歳)のピアノは、ため息が出るほど斬新かつシャープでスリリングである。初のリーダー作であるピアノ・トリオ『New Jazz Conceptions』を吹き込んだのがこの録音とほぼ同時期で、そこでも、その後の内省的な、いわゆるエヴァンス的ピアノ・トリオの世界に行く手前の(たぶんドラッグの手前でもある?)、デビュー当時のエヴァンスの若々しくフレッシュな演奏が聞ける。まったくの個人的趣味ではあるが、ジャズに限らず音楽界の巨人やスターになる人たちというのは、まだ未完成で粗削りだが、その時代、その年齢、その瞬間にしかできない表現の中に、未来の可能性を強く感じさせるようなデビュー時代の新鮮な歌や演奏が、聴いていていちばん刺激的で面白い。

1958 Miles
Miles Davis
1958 CBS/Sony
エヴァンスは次に、ラッセルの作品で共演したハル・マキュージックの『Cross Section Saxes(1958)、アート・ファーマーの『Modern Art(1958) など、当時全盛のハードバップ的世界とは異なるクールな演奏を指向するプレイヤーのアルバム に参加しつつ、マイルス・バンドとそのメンバーとの共演を重ね、徐々に音楽的洗練の度合いを高めて行く。そしてその頂点となったのが、コルトレーン、キャノンボールを擁したマイルス・デイヴィス・セクステットによる『Kind of Blue(1959) だ 。『1958 Miles』(1958) というアルバムは、その頂点に辿り着く直前の、セクステットのLP未収録音源を集めた日本制作盤(CBS/Sony)である。池田満寿夫のジャケット・デザインもそうだが、当時エヴァンスが傾倒していた禅の思想を反映するように、余分なものを削ぎ落し、まさにジャズにおける ”端正” の美を絵に描いたようなシンプルで美しい演奏が続く。聴きやすく、美しく、モダンで、かつジャズとして優れた内容を持つこれらの演奏全体のトーンを支配しているのが、マイルスの美意識と共に、ビル・エヴァンスのピアノであることは誰の耳にも明らかだ。ジャズ・レコード史上の頂点でもある『Kind of Blue』の価値も、音楽的コンセプトと楽曲の提供を含めたエヴァンスの参加があってこそだということがよくわかる。

The Blues and 
the Abstract Truth
Oliver Nelson
 1961 Impulse!
1960年前後に、エヴァンスがマイルス・バンド以外に参加したコンボ作品には、チェット・ベイカー(tp) の『Chet』(1958/59)、リー・コニッツ (as) のVerveの何枚かの盤(1959)、キャノンボール・アダレイ(as) との『Know What I Mean』(1961)、デイヴ・パイク(vib) の『Pike’s Peak』(1961) などがあるが、総じて、当時まだ主流だったいわゆるハードバップ的作品に、エヴァンスのモダンなサウンドはミスマッチでとまでは言わなくとも、正直あまり合っているとは思えない(勿体ない?)。またワンホーン作品(カルテット)もピアノ・トリオほどの緊密性がないので、中途半端な感じがして、意外と面白味がない。やはりコンボにおけるこの時代のエヴァンスの斬新なピアノがいちばん効果的だったのは、マイルスが見抜いたように、マルチ・ホーンをはじめとする複数の楽器による重層的で、かつモダンなサウンドを持った作品であり、マイルス・バンドでの諸作を除けば、その代表はオリヴァー・ネルソンの『The Blues and the Abstract Truth (ブルースの真実)』(1961) だろう。これは『Exploration』直後の録音であり、当時新進の作編曲家ネルソンのサックスと、フレディ・ハバード(tp)、エリック・ドルフィー(as,fl)、ジョージ・バーロウ(bs)、ポール・チェンバース(b)、ロイ・ヘインズ(ds) というオールスター・バンドに、エヴァンスのピアノが加わると、伝統的ブルースを基調にしながら、より現代的なサウンドを目指したネルソンの曲にアブストラクト感が一層加わって、当時の他のどんなバンドでも絶対に表現できない、きわめて美しくモダンなブルースの世界が出現する。だから名曲<Stolen Moments>をはじめ、何度聞いても飽きない新鮮さがこのアルバムにはある。

Interplay
1962 Riverside
61年夏にラファロを事故で失ったショックからエヴァンスは不調に陥るが、この時期には、フレディ・ハバード(tp)、ジム・ホール(g) とのクインテットによる人気盤『Interplay』(1962) を録音している。企画を提案したエヴァンスは、トランペットには相性の良いアート・ファーマーを希望していたが、ファーマーの都合により当時新人だったフレディ・ハバードを起用することになり、結果としてこのアルバムは、クールでモダンというよりも、スタンダード曲を中心にハバードのプレイをフィーチャーした、アップテンポで明るい印象のハードバップ的色彩が濃厚な作品になった。エヴァンスは、時々は自分を解放して、思い切りストレート・アヘッドな演奏をしてみたくなることがあると語っているが、このアルバムはまさにその種の演奏を中心にしたものなのだろう。確かに聴いていて、どれもストレスのない気持ちのいい演奏が続く。しかし上述のように、個人的には、トリオ作品を含めてエヴァンスのピアノはこうした曲調、演奏は、基本的に似合っていないように感じる。どうしても「無理して弾いている」感が付きまとうからだ(もちろんこれは個人的感覚であり、それが好みの人もいるだろうが)。

Loose Blues
1962/1982 Riverside
この時代の私的好みの1枚は、むしろ『Loose Blues (ルース・ブルース)(1962録音/1982リリース) の方だ 『Interplay』と同時期に、似たようなメンバーで録音されているが、ジム・ホールとフィリー・ジョー・ジョーンズ(ds) は変わらず、ハバードに替わりズート・シムズ(ts)、パーシー・ヒースに替わってロン・カーター(b)が参加しているところが違う。当時はRiversideの倒産や、エヴァンスのVerve移籍問題などもあって、この録音は結局お蔵入りとなり、リリースされたのはエヴァンスの死後で、録音後20年たった1982年だった。派手なInterplayに対して、『Loose Blues』はエヴァンスの自作曲を中心にした地味なアルバムだ。初めての曲が多く、演奏の一部に満足できなかったという理由でお蔵入りにしたらしいが、ゆったりしたテンポと、ズートとホールの陰翳のあるサウンドは、エヴァンス的にぴたりとはまって、完成度は別にして、個人的にはこのアルバムの方がずっと気に入っている。これが初録音と思われるTime Remembered>は、ズート、ホール、エヴァンスの3人の叙情的かつアンニュイな雰囲気のプレイが非常に美しい。エヴァンスとジム・ホールはそもそも相性が良く、この数ヶ月前に、ピアノとギターによる名作デュオ『Undercurrent』を録音して息も合っているし、異例とも言える人選であるズートの温かく、歌心のあるテナーも実に良い味で、クールで繊細なエヴァンスのサウンドと予想以上によく調和している。これを聴くと、エヴァンスとズート・シムズの共演がこのレコードだけだった、というのは非常に残念に思える。

2019/05/07

映画『ビル・エヴァンス タイム・リメンバード』を見に行く

たぶん、昔からの大方のジャズファンはそうではないかと思うが、レコードも散々聴き、関連情報も何度も見聞きし、伝記(『How My Heart Sings』, 1999, Peter Pettinger 著) も読んでいるので、正直、今更ビル・エヴァンスの伝記映画も……と思っていた。モンクと違って、エヴァンスには内外の文献情報だけでなく映像記録も多く、それをネット上でもかなり見ることができるので、DVDがあるのも知っていたが、持っていなかったのだ。しかし「日本だけの劇場公開」というコピーについ釣られて、(ヒマなこともあり)話題の映画『ビル・エヴァンス タイム・リメンバード(原題 Time Remembered : Life & Music of Bill Evans)』(2015、ブルース・スピーゲル監督)を見に、連休中に吉祥寺まで出かけた。PARCO の地下に映画館(UPLINK)があるのもまったく知らず、一時住んでいて、その後もよく来た久々の吉祥寺では、ほとんど浦島太郎状態だった。人が多く、活気があって、雑然とした街並みは相変わらずだが、やたらと増えた知らない店やカフェやらで、周辺の景色はずいぶん変わっていた。そもそも、昔よく行ったジャズ喫茶 “Funky” は、このPARCOのあたりにあったのだ。今は少し移動した場所で飲食店(名前は “Funky” で同じ)になっているが、うす暗い地下で鳴り響いていたJBLパラゴンの強烈な音は今でも覚えている。1970年代半ばのことだ。

Live in Tokyo
CBS/Sony 1973
ビル・エヴァンス (1929 -1980) はもちろんその当時は現役で、何度か来日もしていた。前にもどこかで書いたが、私は確か二度目の来日時(1976年?)に、新宿厚生年金会館での公演を見たように思う。1973年の初来日時のレコード(郵便貯金ホール)の写真を見ると、もう髪と髭を伸ばしたあの70年代のエヴァンスの風貌なので、二度目もほぼこの姿で登場したはずだが、どういうわけかそれもよく覚えていない。そのときも、この映画のパンフも含めて写真によく使われているように、首を90度前屈してピアノにのめり込むような例の姿勢で弾いていたと思うのだが、実際そうだったと言い切る自信はない。単にそういう刷り込まれたイメージを反芻しているだけかもしれないし、あるいは実際にそうだった可能性もある。だが、いつの時代も、どんなジャンルでも、アーティストにとってそうしたイメージは大事だ。ひと目でその人だと認識できるヴィジュアル・イメージと、加えてジャズの場合は特に音そのもの、その人にしか出せないサウンド・イメージが重要である。何かに憑かれたように首を傾けてピアノを弾くビル・エヴァンスのヴィジュアル・イメージは、彼の人生を描いたこのドキュメンタリー映画の中でも ”正しく” 表現されていた。上映中ずっと流れ続ける、美しいが、常に深い翳のあるピアノ・サウンドも、まさしくエヴァンスの人生そのものを表現していた。

New Jazz Conceptions
1957 Riverside
この映画は、ロシア系移民の子孫であるエヴァンス の51年という比較的短い生涯を、駆け足で最初から辿るドキュメンタリーで(上映時間は1時間20分だ)、ほとんどがレコードを中心とした音源、残されたエヴァンスのインタビュー音声、演奏を記録した映像(たぶんテレビ)に加え、親族やミュージシャンたちへのインタビューで構成されている。ポール・モチアン(ds)、ジャック・デジョネット(ds)、ゲイリー・ピーコック(b)、チャック・イスラエルズ(b)など、エヴァンス・トリオで共演したミュージシャン、ジョン・ヘンドリックス(vo)、トニー・ベネット(vo)、ジム・ホール(g)、ビリー・テイラー(p)、ドン・フリードマン(p) などのエヴァンスと同時代のミュージシャンや、Riversideのプロデューサーだったオリン・キープニューズ(ずいぶん太って別人のようだ)、唯一の現役(?)ピアニスト、エリック・リードなどが次々に登場して、それぞれエヴァンスの音楽や行動についてコメントしてゆく。ただし、流れる音楽もそうだが、インタビュー画面も急ぎ足、かつ細切れ、つぎはぎのパッチワークのようで、画面展開が目まぐるしい印象があり、もっと各人のコメントをじっくりと聞いてみたい気がした。しかし、そのほとんどが故人となった今では、エヴァンスを語る彼らのコメントは貴重なものだし、動くスコット・ラファロ (b) の映像も良かった。親族や関係者(非ミュージシャン)たちのコメントは、これまで見たことがなかったし、身近な人間として彼らが見ていたいくつかの逸話が初めて聞けて、これらは興味深かった。エヴァンスの出自と家庭、内向的で利己的な性格、クラシックの知見がマイルス他のジャズ界に与えた音楽的影響、ジャズの世界で繊細な白人が美の探求者として生きる過酷さ、生涯抜け出すことができなかったドラッグの泥沼など、ある程度知っていたことではあるが、映像でそれらを年代順に辿ると、あらためてエヴァンスに対する様々な思いが浮かんでくる。映画館のスクリーンが予想外に小ぶりで拍子ぬけしたが、器が小さいこともあって、音量を含めた音響面に関する不満はなく、ピアノ、ベース、ドラムス、各楽器の音が、それぞれ深く、かつクリアにバランスよく聞こえた。唯一の不満は日本語字幕の表示で、背景が明るいとよく読めない画面がかなり多かった(こっちの年のせい?)。たぶんテレビ映像では問題ないのかもしれないが、映画館のスクリーンでは、これは問題だろう。もう少し何とかならなかったものだろうか。

Everybody Digs Bill Evans
1959 Riverside
音楽面では、代表的レコードをかなりの枚数取り上げていたが、これもダイジェスト版CDのようで目まぐるしく、エヴァンスのレコードや演奏をよく知るジャズファンは別にして、馴染みのない人たちのために、もっとじっくりと聞かせる方がいいのではないかと感じた(元のDVDがそういう作りなので仕方がないが、モンクの映画ではもっと個々の演奏をきちんと聞かせている)。今振り返れば、晩年の一部の演奏を除き、基本的にエヴァンスの作品に駄作はなく、すべてが素晴らしいとしか言えないが、スコット・ラファロ と共演したRiversideの諸作は当然として、私的エヴァンス愛聴盤は①『New Jazz Conceptions(1956)、②『Everybody Digs Bill Evans(1958)、そして③『Explorartions(1961)というピアノ・トリオ3枚である(数字は録音年)。溌溂として、新鮮で、切れ味の良い①、ジャズ・ピアノにおけるバラード・プレイの極致と言うべき演奏が収められた②、三者の深く味わいのあるインタープレイが全編で聞ける③の3枚は、何度聴いても飽きるということがない。映画でも、特に②と③が名盤として紹介されていたが、意外だったのは、私がいちばん好きな③が、実は三人(エヴァンス、ラファロ、モチアン)の人間関係がぎくしゃくしていた時に録音されたものだ、という話だった。これは知らなかったので帰ってから確認すると、伝記にもそういう逸話が短く書かれていた。ラファロからも注意されていたように、エヴァンスのドラッグ耽溺が原因だった。このアルバムに聞ける、何とも言えない憂い、沈潜したムードと不思議な緊張感が漂う美は、そのことが背景にあったからのようだ。これが、体調も良く、みんなで仲良くやっていれば良い演奏が生まれるわけではない、というジャズの持つ不思議さなのだろう(演奏者自身のその時の意識と、聴き手側が受け取る印象の違いということでもある。こうした例はジャズではよくある)。また、若きエヴァンスが風にそよぐカーテンの向こうから端正な顔でじっとこちらを見ている、一見、知的で静かで美しいが、どことなくこの世の世界とは思えないような不思議な印象を与えるジャケット写真が、実はゴミため のように乱雑なエヴァンスのアパートメント自室内で、いちばんそれが目立たない窓際で撮られたものだった、というエピソードも実にエヴァンス的だ。つまり、内部(精神)に満ちた混沌、葛藤と、外部に向けて表現された美の世界(演奏)とのギャップである。ただし、エヴァンス的にはそれで ”均衡” していたのだとも言えるが。

Explorations
1961 Riverside
ビル・エヴァンスの人生は、大まかなことはほぼ知っているので、映画の中にそれほど目新しいエピソードはなかった。エヴァンスには、セロニアス・モンクのような神話や謎めいた逸話はなく、モンクの傑作ドキュメンタリー映画『ストレート・ノー・チェイサー Straight, No Chaser』(1988、クリント・イーストウッド制作)のように、本人の日常の行動を間近に追った映像記録も映画中にほとんどないので、映像そのものに特に新鮮な驚きはない。ただ、盟友スコット・ラファロの事故死(1961年)によるショックから徐々に立ち直り(ドラッグからは逃れられなかったが)、70年代に入ってから再婚して子供も生まれ、束の間の幸福そうな結婚生活の一部を記録した映像は、初めて見たこともあって、その明るい雰囲気が意外であり非常に印象的だった。それがエヴァンスの人生で最良の瞬間だったのかもしれない。しかしそのときでさえ、長年にわたって彼を支えてきた前妻(内縁)の自殺(1973年)という死の影をエヴァンスは引きずっていたのである。その後、再びドラッグに溺れ、新しい家族とも別れ、さらに幼少期から彼のただ一人の庇護者であり、敬愛してきた兄の自殺(1979年)という一撃で、エヴァンスの人格と人生は完全に崩壊する。

チャーリー・パーカー以降、モダン・ジャズ時代のジャズマンの多くがドラッグで破滅的人生を送ったのは周知のことで、エヴァンスもその一人だった。しかし同じように生涯ドラッグ漬けで、最後には肉体も精神も崩壊したセロニアス・モンクの人生が、全体に奇妙で、おぼろげで、くすんだような色彩なのに、どこかゆったりとして、その音楽同様に明るさとユーモアさえ感じさせるのと対照的に、この映画で描かれている死をモチーフにしたかのような人生、そしてリー・コニッツが指摘したように、何かに追われるがごとくオンタイムで前のめり気味に弾くピアノと同じく、に急いだエヴァンスの人生の印象は、ずっと暗く沈んだ色調のままである。その色調こそが、まさしくエヴァンスが弾くピアノの根底にあるもので、ジャズファンが愛するビル・エヴァンスの、ピュアで、深く、沈み込むような濃い陰翳を持つサウンドの美しさは、そうした彼の人生から生まれたものだったことがよくわかる。

2018/11/25

ジャズ・ギターを楽しむ(3)ジム・ホールの "対話"

Berlin Festival
Guitar Workshop
1968 MPS
1967年に、ヨアヒム・E・ベーレントとジョージ・ウィーンの共同企画で、ベルリンで開催された ”Berlin Festival Guitar Workshop” というコンサートをライヴ録音したレコードがある。私は昔、主に全盛期のバーデン・パウエルの超絶ギターを聴くために、このレコード(LP、後にCDも)を購入した。ジャズ・ギターの歴史を振り返るという趣向で企画されたこのコンサートでは、エルマー・スノーデンの素朴だが味わいのあるバンジョーによる2曲、バディ・ガイのアーシーなブルース・ギターとヴォーカル2曲、バーニー・ケッセルの流れるようなモダンなジャズ・ギター2曲、そしてジム・ホールの<Careful>とバーニー・ケッセルとのデュオ<You Stepped out of a Dream>と続き、最後にバーデン・パウエル・トリオが登場して、<イパネマの娘>、<悲しみのサンバ>、<ビリンバウ>の3曲を圧倒的なスピードと迫力で弾き切って、会場の熱狂的な歓声で終えるという構成のレコードだ。CDではベーレントによるMCもカットされていて、パウエルへの会場の熱狂ぶりがLPほどは伝わって来ない。だが、このレコードを何度も聴くうちに、ケッセルとのデュオも含めて、パウエルとはまったく対照的な、ここでのジム・ホールのクールで抑制のきいた独特のギター・サウンドの味わいに、むしろ徐々に魅力を感じるようになった。ジョー・パスのような解放感や華やかさはないが、時間と共に、そのモダンで、かつ渋い演奏の素晴らしさがじわじわと伝わって来る名人芸を聞かせる――ジム・ホールとはそういうギタリストである。そのホール独特の個性と魅力が、もっとも発揮できるフォーマットがデュオではないかと思う。ジャズのデュオというのはコンボと違って、一聴すると単調に感じられることも多く、また息詰まるようなムードが苦手な人もいるだろうが、奏者にとっては曖昧なプレイが許されない、常に緊張を強いられるフォーマットでもあり、それだけにミュージシャンの技量とセンスによっては、素晴らしく高度な音楽が生まれることがある。

Undercurrent
Bill Evans & Jim Hall
1963 United Artist
ジム・ホール(Jim Hall 1930-2013)の演奏で、もっともよく聞かれているレコードは、おそらくビル・エヴァンスとの共作デュオ、『アンダーカレント Undercurrent』(1963 United Artistだろう。これはジャズファンなら知らない人はいないくらい有名なレコードであり、ジャズ史上、全編ピアノとギターのデュオだけで、これ以上美しい演奏を収めたアルバムはない。単に美しいだけではなく、最初から最後まで緊張感が途切れず、互いに反応し合う両者のインタープレイ(対話)がジャズ的に素晴らしいのだ。ホールはこれ以前に、ジョン・ルイスの『John Lewis Piano』(1957 Atlantic) でも、Two Lyric Pieces (Pierrot/Colombine)>という10分を超える曲で、ルイスと静謐で美しく見事なデュオを演奏している(b、dsもバックでサポート)。その後エヴァンスとはもう1作『Intermodulation』(1966 Verve)も録音している。

First Edition
George Shearing /Jim Hall
1981 Concord
ホールはその後、盲目のピアニスト、ジョージ・シアリングとも同様のデュオ・アルバム『First Edition』(1981 Concord) を吹き込んでいて、これは演奏曲目、シアリングとホールの対話共に、抒情的で非常に美しいアルバムだ(手持ちのLPしかなく、今はCDが入手できないのが残念だが)。1986年にはモントルーでミシェル・ペトルチアーニと共演し(『Power of Three』、ウェイン・ショーターも参加)、2004年には、エンリコ・ピエラヌンツィと『Duologues』(Cam Jazz) を録音している。ジム・ホールは、もちろんデュオ以外でも様々なコンボ演奏に参加してきたモダン・ギターの筆頭と言うべきヴァーサタイルなギタリストだが、ピアノ・トリオにおけるインタープレイを確立したのが、ビル・エヴァンスだとすれば、ギターとピアノによる対話という演奏フォーマットを開拓、確立したのはやはりジム・ホールだろう。このコンセプトの現代版が、パット・メセニーとブラッド・メルドーによる『Metheny Mehldau』(2006 Nonesuch)で、このアルバムの中でも、二人の美しいギターとピアノのデュオを何曲か聞くことができる。

Dialogues
1995 Telarc
ジム・ホールのデュオの相手はピアノだけに留まらず、1972年にはベースのロン・カーターと『Alone Together』(Milestone)を録音し、1978年には同じくレッド・ミッチェルとクラブ「Sweet Basil」で共演している(未CD化)。さらに1990年のモントルー・ジャズ祭では、チャーリー・ヘイデンのベースともデュオで共演した(Impulse! によるCDリリースは、二人の没後2014年)。その後、ついにギター(ビル・フリゼール、マイク・スターン)、テナーサックス(ジョー・ロヴァーノ)、フリューゲルホーン(トム・ファレル)、アコーディオン(ギル・ゴールドスタイン)という、5人の異種楽器奏者を共演相手に2曲づつ演奏したアルバム『Dialogues』(1995 Telarc) を発表する。ベース (Scott Colley)、ドラムス (Andy Watson) も参加しているが、サポートに徹していて目立たないので、実質的にはホールのデュオ作品と言っていい。リー・コニッツ (as) が、1960年代に同様のコンセプトで、『Lee Konitz Duets』(1967 Milestone) というかなりアブストラクトな完全デュオ・アルバムを録音している。コニッツとジム・ホールの共通点は、広いスペース(演奏空間)を好み、共演者のプレイにじっと耳を傾け、密接に "対話" し、そのやり取りを通じてインスパイアされることで、自身のインプロヴィゼーションの可能性を拡大したいという願望を常に抱いている、内省的で、同時に野心的なジャズ・ミュージシャンであることだ。デュオはその究極とも言えるフォーマットだが、ジャズにおける "対話" とは、単に互いを尊重し協調するだけではなく、時には音楽上の "対決" すらあり得るスリリングな場でもあり、そこからどのような音楽的成果が生まれるのか、ということに醍醐味がある。異種楽器を共演相手に選んだ『Dialogues』は、そうしたデュオのスリルと新鮮さを追求しようとする実験的精神が強く、そのため曲目も全10曲のうち<Skylark1曲を除いて、ジム・ホールの自作曲だけで構成されている。カンディンスキーの抽象画 (Impression Ⅲ- Konzert) によるジャケットが象徴しているように、コニッツの盤ほどではないが、アブストラクトな要素が増しているので、その世界を楽しめる聴き手と、入り込めないように感じる聴き手がいるのは仕方がないだろう。そこで評価が分かれるが、私はこのアルバムの持つ空気が好きで、各曲も演奏もユニークかつ刺激的で楽しめるし、また空間を生かしたTelarc 録音もあって、どのデュオも非常に美しいと思う。70年代に売れた『Concierto (アランフェス協奏曲)』(1975 CTI) のような分かりやすい路線の例があっても、ジム・ホールは、ジャズ・ギタリストとしては珍しく、本質的にコマーシャルな音楽を指向するミュージシャンではないのである。本盤に参加しているビル・フリゼールとの共通点もそこにあり、師弟とも言える両者のギター・デュオは、その意味でも非常に刺激に満ちている。私的には、マイク・スターンとジョー・ロヴァーノとのデュオも非常に楽しめた。

Jim Hall & Pat Metheny
1999 Telarc
”対話” を探求し続けたジム・ホールが、究極の地点に達したかと思われるデュオ作品が、パット・メセニーとのギター・デュオ『Jim Hall & Pat Metheny』(1999 Telarc) だ。全17曲のうち、6曲がピッツバーグでのライヴ録音、その他がスタジオ録音で、スタンダード曲、メセニー、ホールの自作曲の他、<Improvisation>と題した5曲の純粋な即興デュオが収録されている非常に多彩な内容を持つレコードだ。メセニーはここで、エレクトリック・ギターの他、各種アコースティック・ギターも使い分けてジム・ホールと対峙している(ホールが左、メセニーが右チャンネル)。メセニーにとっては尊敬する大先輩との共演であり、一方ホールにとっては、息子のような年齢の当代一の人気ギタリストとのデュオという、これ以上ない興味深い相手で、張りきって臨んだことは間違いないだろう。メセニーは純ジャズという範疇のギタリストではなく、全方位のミュージシャンではあるが、多彩な演奏技術ばかりでなく、紡ぎ出すメロディ・ラインには普通のジャズ・ギタリストにはない特筆すべき美しさがある。一方のジム・ホールは、まさに純ジャズの世界を突き詰めてきたギタリストであり、音数の少ないシンプルなメロディ、独特のトーン、ハーモニーを駆使して、大きなスペースの中で共演相手と対話する名手である。同じ楽器を使いながら、一見音楽的に混じり合いそうにない両者が、デュオという世界でどういう化学反応を起こすかが聴きどころのアルバムだ。そしてその期待を裏切らない、全体に静謐だが変化に富み、調和しながらもスリリングで、しかも美しい、見事なギターによる対話となった。演奏は多少アブストラクトな曲も含めて、どれも聴きごたえがあって楽しめるが、中でもメセニー作の<Ballad Z>、<Farmer’s Trust>、<Into the Dream>、<Don’t Forget>、ホール作の<All Across the City>などの美しいバラード曲は、広々とした空間で溶け合う二人のギター・サウンドを捉えたTelarcならではの録音もあって、まるで夢幻の境地へ導かれるかのような素晴らしさだ(ジャズ的には珍しい、空間における間接音の響きを重視するTelarc 録音の真価を味わうには、ステレオ装置の音量を、ある程度上げて聴く必要がある)。これらの曲はまさに、ジム・ホールの "対話" の原点とも言うべきビル・エヴァンスとの『Undercurrent』の美しい世界を、2台のギターによって再現したかのようである。