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2018/11/25

ジャズ・ギターを楽しむ(3)ジム・ホールの "対話"

Berlin Festival
Guitar Workshop
1968 MPS
1967年に、ヨアヒム・E・ベーレントとジョージ・ウィーンの共同企画で、ベルリンで開催された ”Berlin Festival Guitar Workshop” というコンサートをライヴ録音したレコードがある。私は昔、主に全盛期のバーデン・パウエルの超絶ギターを聴くために、このレコード(LP、後にCDも)を購入した。ジャズ・ギターの歴史を振り返るという趣向で企画されたこのコンサートでは、エルマー・スノーデンの素朴だが味わいのあるバンジョーによる2曲、バディ・ガイのアーシーなブルース・ギターとヴォーカル2曲、バーニー・ケッセルの流れるようなモダンなジャズ・ギター2曲、そしてジム・ホールの<Careful>とバーニー・ケッセルとのデュオ<You Stepped out of a Dream>と続き、最後にバーデン・パウエル・トリオが登場して、<イパネマの娘>、<悲しみのサンバ>、<ビリンバウ>の3曲を圧倒的なスピードと迫力で弾き切って、会場の熱狂的な歓声で終えるという構成のレコードだ。CDではベーレントによるMCもカットされていて、パウエルへの会場の熱狂ぶりがLPほどは伝わって来ない。だが、このレコードを何度も聴くうちに、ケッセルとのデュオも含めて、パウエルとはまったく対照的な、ここでのジム・ホールのクールで抑制のきいた独特のギター・サウンドの味わいに、むしろ徐々に魅力を感じるようになった。ジョー・パスのような解放感や華やかさはないが、時間と共に、そのモダンで、かつ渋い演奏の素晴らしさがじわじわと伝わって来る名人芸を聞かせる――ジム・ホールとはそういうギタリストである。そのホール独特の個性と魅力が、もっとも発揮できるフォーマットがデュオではないかと思う。ジャズのデュオというのはコンボと違って、一聴すると単調に感じられることも多く、また息詰まるようなムードが苦手な人もいるだろうが、奏者にとっては曖昧なプレイが許されない、常に緊張を強いられるフォーマットでもあり、それだけにミュージシャンの技量とセンスによっては、素晴らしく高度な音楽が生まれることがある。

Undercurrent
Bill Evans & Jim Hall
1963 United Artist
ジム・ホール(Jim Hall 1930-2013)の演奏で、もっともよく聞かれているレコードは、おそらくビル・エヴァンスとの共作デュオ、『アンダーカレント Undercurrent』(1963 United Artistだろう。これはジャズファンなら知らない人はいないくらい有名なレコードであり、ジャズ史上、全編ピアノとギターのデュオだけで、これ以上美しい演奏を収めたアルバムはない。単に美しいだけではなく、最初から最後まで緊張感が途切れず、互いに反応し合う両者のインタープレイ(対話)がジャズ的に素晴らしいのだ。ホールはこれ以前に、ジョン・ルイスの『John Lewis Piano』(1957 Atlantic) でも、Two Lyric Pieces (Pierrot/Colombine)>という10分を超える曲で、ルイスと静謐で美しく見事なデュオを演奏している(b、dsもバックでサポート)。その後エヴァンスとはもう1作『Intermodulation』(1966 Verve)も録音している。

First Edition
George Shearing /Jim Hall
1981 Concord
ホールはその後、盲目のピアニスト、ジョージ・シアリングとも同様のデュオ・アルバム『First Edition』(1981 Concord) を吹き込んでいて、これは演奏曲目、シアリングとホールの対話共に、抒情的で非常に美しいアルバムだ(手持ちのLPしかなく、今はCDが入手できないのが残念だが)。1986年にはモントルーでミシェル・ペトルチアーニと共演し(『Power of Three』、ウェイン・ショーターも参加)、2004年には、エンリコ・ピエラヌンツィと『Duologues』(Cam Jazz) を録音している。ジム・ホールは、もちろんデュオ以外でも様々なコンボ演奏に参加してきたモダン・ギターの筆頭と言うべきヴァーサタイルなギタリストだが、ピアノ・トリオにおけるインタープレイを確立したのが、ビル・エヴァンスだとすれば、ギターとピアノによる対話という演奏フォーマットを開拓、確立したのはやはりジム・ホールだろう。このコンセプトの現代版が、パット・メセニーとブラッド・メルドーによる『Metheny Mehldau』(2006 Nonesuch)で、このアルバムの中でも、二人の美しいギターとピアノのデュオを何曲か聞くことができる。

Dialogues
1995 Telarc
ジム・ホールのデュオの相手はピアノだけに留まらず、1972年にはベースのロン・カーターと『Alone Together』(Milestone)を録音し、1978年には同じくレッド・ミッチェルとクラブ「Sweet Basil」で共演している(未CD化)。さらに1990年のモントルー・ジャズ祭では、チャーリー・ヘイデンのベースともデュオで共演した(Impulse! によるCDリリースは、二人の没後2014年)。その後、ついにギター(ビル・フリゼール、マイク・スターン)、テナーサックス(ジョー・ロヴァーノ)、フリューゲルホーン(トム・ファレル)、アコーディオン(ギル・ゴールドスタイン)という、5人の異種楽器奏者を共演相手に2曲づつ演奏したアルバム『Dialogues』(1995 Telarc) を発表する。ベース (Scott Colley)、ドラムス (Andy Watson) も参加しているが、サポートに徹していて目立たないので、実質的にはホールのデュオ作品と言っていい。リー・コニッツ (as) が、1960年代に同様のコンセプトで、『Lee Konitz Duets』(1967 Milestone) というかなりアブストラクトな完全デュオ・アルバムを録音している。コニッツとジム・ホールの共通点は、広いスペース(演奏空間)を好み、共演者のプレイにじっと耳を傾け、密接に "対話" し、そのやり取りを通じてインスパイアされることで、自身のインプロヴィゼーションの可能性を拡大したいという願望を常に抱いている、内省的で、同時に野心的なジャズ・ミュージシャンであることだ。デュオはその究極とも言えるフォーマットだが、ジャズにおける "対話" とは、単に互いを尊重し協調するだけではなく、時には音楽上の "対決" すらあり得るスリリングな場でもあり、そこからどのような音楽的成果が生まれるのか、ということに醍醐味がある。異種楽器を共演相手に選んだ『Dialogues』は、そうしたデュオのスリルと新鮮さを追求しようとする実験的精神が強く、そのため曲目も全10曲のうち<Skylark1曲を除いて、ジム・ホールの自作曲だけで構成されている。カンディンスキーの抽象画 (Impression Ⅲ- Konzert) によるジャケットが象徴しているように、コニッツの盤ほどではないが、アブストラクトな要素が増しているので、その世界を楽しめる聴き手と、入り込めないように感じる聴き手がいるのは仕方がないだろう。そこで評価が分かれるが、私はこのアルバムの持つ空気が好きで、各曲も演奏もユニークかつ刺激的で楽しめるし、また空間を生かしたTelarc 録音もあって、どのデュオも非常に美しいと思う。70年代に売れた『Concierto (アランフェス協奏曲)』(1975 CTI) のような分かりやすい路線の例があっても、ジム・ホールは、ジャズ・ギタリストとしては珍しく、本質的にコマーシャルな音楽を指向するミュージシャンではないのである。本盤に参加しているビル・フリゼールとの共通点もそこにあり、師弟とも言える両者のギター・デュオは、その意味でも非常に刺激に満ちている。私的には、マイク・スターンとジョー・ロヴァーノとのデュオも非常に楽しめた。

Jim Hall & Pat Metheny
1999 Telarc
”対話” を探求し続けたジム・ホールが、究極の地点に達したかと思われるデュオ作品が、パット・メセニーとのギター・デュオ『Jim Hall & Pat Metheny』(1999 Telarc) だ。全17曲のうち、6曲がピッツバーグでのライヴ録音、その他がスタジオ録音で、スタンダード曲、メセニー、ホールの自作曲の他、<Improvisation>と題した5曲の純粋な即興デュオが収録されている非常に多彩な内容を持つレコードだ。メセニーはここで、エレクトリック・ギターの他、各種アコースティック・ギターも使い分けてジム・ホールと対峙している(ホールが左、メセニーが右チャンネル)。メセニーにとっては尊敬する大先輩との共演であり、一方ホールにとっては、息子のような年齢の当代一の人気ギタリストとのデュオという、これ以上ない興味深い相手で、張りきって臨んだことは間違いないだろう。メセニーは純ジャズという範疇のギタリストではなく、全方位のミュージシャンではあるが、多彩な演奏技術ばかりでなく、紡ぎ出すメロディ・ラインには普通のジャズ・ギタリストにはない特筆すべき美しさがある。一方のジム・ホールは、まさに純ジャズの世界を突き詰めてきたギタリストであり、音数の少ないシンプルなメロディ、独特のトーン、ハーモニーを駆使して、大きなスペースの中で共演相手と対話する名手である。同じ楽器を使いながら、一見音楽的に混じり合いそうにない両者が、デュオという世界でどういう化学反応を起こすかが聴きどころのアルバムだ。そしてその期待を裏切らない、全体に静謐だが変化に富み、調和しながらもスリリングで、しかも美しい、見事なギターによる対話となった。演奏は多少アブストラクトな曲も含めて、どれも聴きごたえがあって楽しめるが、中でもメセニー作の<Ballad Z>、<Farmer’s Trust>、<Into the Dream>、<Don’t Forget>、ホール作の<All Across the City>などの美しいバラード曲は、広々とした空間で溶け合う二人のギター・サウンドを捉えたTelarcならではの録音もあって、まるで夢幻の境地へ導かれるかのような素晴らしさだ(ジャズ的には珍しい、空間における間接音の響きを重視するTelarc 録音の真価を味わうには、ステレオ装置の音量を、ある程度上げて聴く必要がある)。これらの曲はまさに、ジム・ホールの "対話" の原点とも言うべきビル・エヴァンスとの『Undercurrent』の美しい世界を、2台のギターによって再現したかのようである。

2017/05/12

Bossa Nova #4:バーデン・パウエル

いわゆる穏やかなボサノヴァとは対極にあるのが、ギタリストのバーデン・パウエル Baden Powell (1937-2000) の音楽だ。ここに挙げた邦題「黒いオルフェーベスト・オブ・ボサノヴァ・ギター」というCDは、1960年代に演奏されたバーデンの代表曲を集めたベスト・アルバムで、昔から何度もタイトル名やジャケット・デザインを変えて再発されている。今や古典だが、彼が最も脂の乗った時期の演奏であり、どの曲も演奏も素晴らしいので、いつになっても再発されるのだろう。ここでは<悲しみのサンバ Samba Triste>などバーデンの代表曲の他に、<イパネマの娘>などボサノヴァの名曲もカバーしているが(タイトルもそうだが)、彼のギターの本質はいわゆるボサノヴァではない。アフロ・サンバと呼ばれる、アフリカ起源のサンバのリズムを基調としたより土着的なブラジル音楽がそのルーツであり、ボサノヴァのリズムと響きを最も感じさせるジョアン・ジルベルトが弾くギターのコードとシンコペーションと比べれば、その違いは明らかだ。だからサンバがジャズと直接結びついて生まれたボサノヴァと違い、バーデンの音楽からはあまりジャズの匂いはしない。このアルバムで聴けるように、彼のギターは力強く情熱的で、圧倒的な歯切れの良さとブラジル独特のサウダージ(哀感)のミックスがその身上だ。特にコードを超高速で刻む強烈なギター奏法は、40年以上前のガット・ギター音楽に前人未踏の独創的世界を切り開いた。もちろんバーデンもボサノヴァから影響を受け、またボサノヴァに影響を与えた。だからその後のブラジル音楽系のギタリストは、ジョアン・ジルベルトと並び、多かれ少なかれバーデン・パウエルの影響を受けている。

60年代全盛期のバーデン・パウエルは世界中で支持されたが、当時のその神がかったすごさは、1967年にドイツで開催された「Berlin Festival Guitar Workshop」(MPS) という、ブルース奏者(バディ・ガイ)やジャズ・ギター奏者(バーニー・ケッセル、ジム・ホール)等と共に参加したコンサート・ライヴ・アルバムで聞くことができる(このコンサートをプロデュースしたのはヨアヒム・ベーレントとジョージ・ウィーン)。ここでは <イパネマの娘> 、<悲しみのサンバ>、 <ビリンバウ> の3曲をリズム・セクションをバックに演奏しているが、いくらかスタティックな他のスタジオ録音盤とは大違いの、迫力とスピード、ドライブ感溢れる超高速の圧倒的演奏で会場を熱狂させている(CDではMCがカットされたりしていて、LPほどはこの熱狂が伝わってこないが)。この時代1960年代後半は、バーデンは特にヨーロッパで圧倒的な支持を得ていたが、ベトナム反戦、学生運動、公民権闘争など当時の激動の世界が、フリー・ジャズやバーデンのギターから聞こえる既成の枠を突き破ろうとする新しさと激しさに共感していたのだろう。バーデンはセロニアス・モンクやジョアン・ジルベルトと同様に、その奇行や変人ぶりでも有名だったが、こうした素晴らしい音楽を創造した天才たちというのは、いわば神からの贈り物であり、常人が作った人間世界の決まり事を尺度にあれこれ言っても仕方がない人たちであって、正直そんなことはどうでもいいのである。

バーデン・パウエルは、映画「男と女」(1966) にも出演したフランス人俳優、歌手、詩人、またフランス初のインディ・レーベル 「サラヴァ Saravah」主宰者としても知られる文字通りの自由人ピエール・バルー Pierre Barouh (1934-2016)との親交を通じて、フランスにブラジル音楽を広めた一人でもあった。バルーも、バーデンの協力を得ながら曲を作り、自らブラジル音楽をフランス語で歌い、フランスにボサノヴァを広めた。彼はまた日本人ミュージシャンたちとの親交でも有名な人だが、Saravah創設50周年を迎えた昨年12月末に82歳で急死した。そのバルー追悼として最近再発されたDVDサラヴァ- 時空を越えた散歩、または出会い」(ピエール・バルーとブラジル音楽1969~2003)は、1969年のブラジル訪問以降、バーデン・パウエル他のブラジル人ミュージシャンたちとの交流を通じて、バルーがどのようにブラジル音楽を理解していったのか、その旅路を自ら記録した映像作品だ。若きバルーやバーデンと、ピシンギーニャ他のブラジル人ミュージシャンたちが居酒屋に集まって即興で演奏する様子(ギターはもちろんすごいが、歌うバーデンの声の高さが意外だ)などを収めた貴重なドキュメンタリー・フィルムは、バルーのブラジル音楽への愛情と尊敬が込められた素晴らしい作品だ

バーデン・パウエルは1970年に初来日して、その驚異的なギターで日本の人々を感激させている(ジョージ・ウィーンがアレンジしたこの時のツアーには、セロニアス・モンクもカーメン・マクレー等と参加していた)。日本でそのバーデン・パウエルのギター奏法から大きな影響を受けたと思われるのが、歌手の長谷川きよし(1949-)やギタリストの佐藤正美(1952-2015)だ。長谷川きよしのデビューは1969年で、<別れのサンバ>に代表される初期の曲で聴けるサンバやボサノヴァ風ギターには、バーデンのギターの影響が濃厚だ。バーデンを敬愛していた佐藤正美はより明快に影響を受けていて、1990年のCD「テンポ・フェリス Tempo Feliz」(EMI)は、バーデンへのオマージュとして聞くことのできる優れたアルバムだが、ここでの演奏はボサノヴァ色をより強めたものだ。背景に海辺の波の音を入れた録音には賛否があったようだが、これはこれで非常にブラジル的なムードが出ていて、リラックスして聴けるので私は好きだ。昔、渡辺香津美との共演ライヴで聴いた佐藤正美のギターも実に素晴らしかった。その後、独自のコンセプトで様々な演奏と多くのアルバムを残した佐藤正美氏は、残念ながら2015年にバーデン・パウエルと同じ享年63歳で亡くなった。

2017/05/03

Bossa Nova #1:女性ヴォーカル

春が終わり、初夏になるとボサノヴァを聴きたくなる。そこで小野リサのコンサートに出かけた。これまでライヴを聞き逃してきたのでCDでしか聞いたことがなく、「生」の小野リサは初めてだ。聞けば来年はデビュー30周年になるのだそうだ。自分の中ではずっとデビュー当時の彼女しかイメージがなかったが、もうそれなりの年齢になっているということであり、なるほどこちらも歳を取るわけである。長年の私の小野リサ愛聴盤は25年前の「ナモラーダ Namorada」(1992 BMG)だ。トゥーツ・シールマンズのハーモニカや、当時の彼女のシンプルな歌とギターが気に入っているからだ。今回のコンサートはピアノの林正樹他3管のセクステットをバックにして、ボサノヴァだけでなく、ジャズあり、サルサあり、ロックあり、ポップスあり、近年フィーチャーしている日本の歌ありという多彩な構成だった。さながら小野リサのカラオケみたいな趣がないではないが、彼女を小野リサたらしめるあのハスキーでソフトな歌声も、超複雑なメロディの音程を決してはずさないブラジル仕込みの安定したピッチも、もちろんそのリズム感もそうだが、ポルトガル語、英語、日本語を駆使して歌う彼女の歌はやはり素晴らしい。未だにたどたどしい、のんびりした日本語の語りもかえって好感が持てる。しかしポルトガル語の歌が、何と言ってもやはり最高だ。生の小野リサのステージは非常に楽しめた。

私はジャズとボサノヴァをほぼ同時併行で聴き始めたので、ボサノヴァのレコードもこれまでずいぶん聴いてきた。ボサノヴァ・ヴォーカルはジョアン・ジルベルトを別にすれば、やはり女性の歌声が合っている。日本で有名な女性ボサノヴァ歌手というと、古くはアストラッド・ジルベルトであり、今はやはり小野リサだろうが、ブラジルには素晴らしい女性歌手がまだまだいる。私が聴いてきたそういう歌手の一人がナラ・レオンNara Leão (1942-1989)で、彼女の「美しきボサノヴァのミューズ Dez Anos Depois」(1971 Polydor)では、まさにボサノヴァの本道とも言うべき歌唱が聞ける。このアルバムは、ナラ・レオンが1960年代後期にブラジル独裁政権の抑圧から逃れてフランスに一時的に亡命していた時代、歌からしばらく遠ざかっていた1971年のパリで、しかも世界的ボサノヴァ・ブームが去った後に、彼女にとって初めてボサノヴァだけを録音したものだ。大部分がギターとパーカッションによる非常にシンプルな伴奏で24の有名曲を選んでいるが、決してフランス的なアンニュイなボサノヴァではない。

パリで外交官をしていたヴィニシウス・ヂ・モラエスの戯曲を基にした、フランス・ブラジルの合作映画「黒いオルフェ」(1959年)の音楽(ルイス・ボンファ)や、ボサノヴァをフランスに広めたピエール・バルーが出演し、バーデン・パウエルもギターで参加した映画「男と女」(1966)のテーマなど、古くからフランスとブラジルの音楽的結びつきは強い。言語は違うが、シャンソンの語り口とボサノヴァの囁くような歌唱にも共通点があり、クレモンティーヌに代表されるフランスの女性歌手によるフレンチ・ボッサも昔から人気だ。またボサノヴァを生んだ要素の一つ、ジャズ受容の歴史もそうであり、この二つの国には目に見えない音楽的つながりがあるようだ。ナラ・レオンにもフランス人の血が流れていたということなので、この人は言わば生まれながらのボサノヴァ歌いだったのだろう。この時代のブラジルの政治状況を知る人はあまりいないだろうし、当時の音楽家と政治の関わりを今想像するのは難しいが、ここでの歌唱は、パリという街が持つ独特の空気と、故国を離れざるを得なかった当時の彼女の心象を色濃く反映したもののように思える。ジョアン・ジルベルトと同様に、シンプルで美しい最高のボサノヴァが聞けるが、1960年代のジョアンや他の歌手から感じる、哀しみと明るさが入り混じったいわゆるサウダージとは異なる、もっと陰翳の濃い、シャンソン的な深い表現がどのトラックからも聞えてくる。透き通るような、遠くに向かって歌い掛けるような、達観したような彼女の声と歌唱は独特だ。そこに、バルバラのようなシャンソン歌手の歌唱の中にもある何か、ジャンルを超えた普遍的な音楽だけが持っている、人の心に訴えかける力のようなものを感じる。それはまたビリー・ホリデイやニーナ・シモンの、いくつかのジャズ・ヴォーカル名盤から聞こえてくるのと同じ種類のものだ。

もう一人の女性歌手はアナ・カランAna Caram (1958-)だ。アナ・カランはブラジル・サンパウロ出身だが、歌とギターによる弾き語りで1989年にアメリカCheskyレーベルから「Rio After Dark」でメジャー・デビューした。その後何枚か同レーベルでアルバムを吹き込んでいて、この「Blue Bossa」は2001年にリリースしたもの。私が所有しているアントニオ・カルロス・ジョビンが参加したデビュー作と、次作「Bossa Nova(1995)、そしてこの「Blue Bossa」の3枚はいずれも良いが、アメリカ制作ということもあり、上記ナラ・レオン盤とは違っていずれもジャズ色が強く、サウンドもモダンで洗練されている。そしてデビュー時からその素直でクセのない歌とギター、Cheskyレーベル特有のナチュラルな録音によるアコースティック・サウンドが彼女のアルバムの魅力だ。地味だし、ヴォーカルにこれと言った特色は無いのだが、なぜか時折聴きたくなるような温かく、聴いていて心が落ち着くとても自然な歌の世界を持っている。このアルバムにはジャズ・スタンダードとブラジル作品を併せて12曲が収録されているが、本人がギターも弾いているのは1曲だけで、後はバック・バンドに任せて歌に徹している。サックスを含むクインテットによるジャズ的アレンジで聞かせていて、それがまた洗練されたボサノヴァの味わいを一層感じさせる。また声と楽器の音が自然に聞こえるレーベル特有の録音も非常に良い。タイトル曲のジャズ・スタンダード<Blue Bossa>を始めとして、どの曲も柔らかい歌声、包み込むようなサックスの音色が美しく、特にボサノヴァ好きなジャズファンがリラックスして楽しめるアルバムだ。