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2020/07/31

あの頃のジャズを「読む」 #5:ジャズ批評家(相倉久人)

ジャズの歴史物語
2018 角川ソフィア文庫
1970年代になると、安価な国産アナログLPレコードが大量に流通するようになり、オーディオもレコードも買えるようになったジャズファン層向け市場が大きく成長していた。ジャズ雑誌には「ジャズ評論家」と呼ばれた人たちが書いた、毎月各社から大量に発売される新譜レコード(復刻盤含)、名盤の解説やレコード評が掲載されていた。当時は他に情報源がなかったので、普通のジャズファンは、まずそれらのレビューを参考にして、気に入りそうなレコードを選んで購入していたわけである。当然だが、市場拡大につれ、レコードを売りたいレコード会社と、その広告を主たる収入源としていたジャズメディアとの間に、商業主義が忍び込む構造が益々強まった。1960/70年代の有名なジャズ評論家としては、野口久光、植草甚一、いソノてルヲ、大橋巨泉、油井正一、相倉久人、久保田二郎、粟村正昭、岩波洋三、大和明、佐藤秀樹、岡崎正通のような人たちがいた。これら評論家の中には、単なるレコード評、ミュージシャン評にとどまらず、ジャズという音楽全体を俯瞰する視点で書いた本格的な論稿、書籍を発表する人たちもいた。当時の「本流」と言うべき代表的批評家が、モンクやパーカーと同世代であり、同時代の音楽としてジャズと向き合ってきた油井正一(1918 - 98)である。ジャズの基本知識を分かりやすく軽妙に解説している油井の代表作で、今や古典と言うべきジャズ入門書『ジャズの歴史物語』(1972 スイングジャーナル社)は、3代目となる角川文庫版が2018年に出版され、半世紀近く読み続けられている名著だ。

一方、大正生まれの油井より一世代ほど後、昭和一桁生まれの相倉久人(あいくら・ひさと 1931 - 2015)は、1960年代の「前衛」を代表する批評家であり、単なる批評家に留まらず、日本独自のジャズ創出に注力した「ジャズ思想家」と呼ぶべき人物でもあった。当時のジャズ評論家が、レコード・コレクター、元ミュージシャン、デザイナー、作家、ジャズ誌編集者などの前歴や本業を持っていたのに対し、戦争末期(1945)の中学時代に難関だった陸軍幼年学校を受験し、合格、入学するも、わずか4ヶ月後に終戦を迎え、その後東大文学部美学科に入学したが、ジャズに夢中になってジャズ喫茶に入り浸って大学を中退、その後雑誌編集の手伝いをしたのがジャズ人生の始まり……という変わり種だった。楽器を演奏せず、レコードもレコードプレーヤーも持たず、当時有楽町にあった「コンボ」というジャズ喫茶だけが主な情報源で、大橋巨泉やいソノてルヲ、銀座のクラブへ出演する途中に同店へ立ち寄っていた秋吉敏子や渡辺貞夫をはじめとするジャズ・ミュージシャンたちとも交流していた。やがて60年代になると、高柳昌行たちの実験的ジャズ演奏現場に直接関わるようになり、そうした体験を通じて自らの目と耳を鍛えることで、独自のジャズ観と思想を作り上げていった。

相倉久人ジャズ著作大全
上巻/2013 DU BOOKS
前に触れたように、私が1970年頃に初めて買った相倉久人のジャズ本『現代ジャズの視点』(1967)は、ジャズ初心者には難しすぎて面白くも何ともなかったが、今は多少は分かるようになった同書と、初の単行本『モダン・ジャズ鑑賞』(1963) に加え、1954年の初の記名論稿を<上巻>に、『ジャズからの挨拶』(1968) と『ジャズからの出発』(1973) という後期2作を<下巻>に収め、1954年から70年代初めにかけて発表した単行本4部作を完全収載し、相倉の最晩年になって出版したのが『相倉久人ジャズ著作大全』(上/下巻、2013 DU BOOKS)である。ジャズをより深く理解したいという人向けの本であり、歯ごたえのない「薄い、軽い、速い」という本ばやりの昨今だが、相倉が20年近くにわたって様々な媒体に寄稿した文章を編纂した、この「分厚く、濃い」<上/下2巻>をじっくりと読めば、ジャズとは何か、日本のジャズ史がどのようなものだったのか、そのほぼすべてが表層ではなく「より深いレベルで」理解できる。ジャズという音楽の歴史、ジャズをどう聴くか、なども通り一遍の解説ではないし、相倉がほぼリアルタイムで聴いていた60年代のコルトレーン、マイルス、ロリンズ、ミンガス、ドルフィー他に関する分析と批評も実に深く鋭い。さらに当時は誤った、あるいは曖昧な理解が多かったレニー・トリスターノ、セロニアス・モンク、セシル・テイラー等に関する論稿などは、あの時代の日本に、ここまで深く、的確に彼らの音楽の本質を理解していた批評家がいたのか、と驚くほど洞察力に富むものだ。

私がジャズに熱中した70年代には、相倉久人という名前をメディア上で聞くことはほとんどなくなっていた。理由は1971年に相倉が完全にジャズ界を去り、しかも60年代半ばに思想対立のために絶縁した「スイングジャーナル」誌が完全に相倉の存在を無視していたからだろう。しかし、1960年代という「政治とジャズの時代」に、もっとも熱くジャズと向き合い、独自の批評を展開していたのは相倉久人だった。ただし、その主対象は海外ミュージシャンのレコードや、50年代から既に表舞台にいた有名日本人ジャズマンというよりも、当時、日本独自のジャズを創造すべく地道に挑戦していた一群の若いジャズ・ミュージシャンと彼らの演奏活動にあった。自分でもジャズを演奏したかったが、楽器ができないので、やむなく「言葉」でジャズに関わった、と繰り返し述べているように、相倉にとってのジャズは娯楽ではなく、本ブログ#4までに書いたようなジャズレコードを集め、それを再生して楽しむ普通のジャズの聴き手の世界とは無縁だ。ジャズとは、レコードの音溝に記録された死んだ音楽ではなく、常に生きて動いている「行為」そのもののことであり、聴き手も鑑賞ではなく同時に参加する音楽だと捉えていた。60年代の著作を読めば分かるが、当時の相倉久人ほどストイックな深い視点で「ジャズとは何か?」という問いに対峙した「批評家」は、後にも先にも日本にはいないと思う。

相倉久人ジャズ著作大全
下巻/2013 DU BOOKS
1950年代から続く、アメリカのコピーが主流だった日本の商業的ジャズに飽き足らず、60年代初めにシャンソン喫茶「銀巴里」を拠点に、日本独自のジャズを生み出そうと模索し始めていた高柳昌行(g) や金井英人(b) 等の実験的ミュージシャンたちに加わった相倉が、やがて銀座「ジャズギャラリー8」や新宿「ピットイン」などのクラブで司会を務めつつ、山下洋輔、富樫雅彦といった当時新進のジャズ・ミュージシャンたちと交流し、彼らを理論的に導き、精神的に支えながら現場に関わり続けた経緯も本書に詳しい。「司会とは<言葉>によるジャズ演奏行為だ」というのが持論で、セロニアス・モンク(1963年)やジョン・コルトレーン(1966年)、さらにオーネット・コールマン(1967年)の初来日公演という、日本ジャズ史に残る記念すべき大イベントの司会進行も、30代の若さでいながら当意即妙の話術(インプロ)でこなした(全東京公演の司会をしたモンクを銀座に案内したが、予想通りほとんど会話はなく、その代りに一緒に来日していたネリー夫人、ニカ夫人と楽屋で会話したらしい)。加えて<下巻>には、相倉がジャズから離れていった70年代初めの、ロックやフォーク、演歌や歌謡曲というジャンルへの関心の高まりを示す初期の批評文も収められている。特に日本の歌謡曲の歌詞とメロディ、それを唄う青江三奈、北島三郎、藤圭子といった名歌手の「うた」とは何かに触れた文章は非常に興味深く、「日本のうた」の世界を、ジャズの理解と同じく原点から見直し、独自の視点で観察、分析する音楽評論はそれまでの日本にはなかっただろう。そこに洋の東西を問わない相倉の音楽思想の根幹が見えるようだ。そしてこれらが、70年代以降ジャズを離れた相倉のポピュラー音楽批評活動の出発点となった。

自らを「宇宙人」(!?) と称し、鋼鉄のようにクールで強靭な思想と理論で武装し、既成概念にとらわれず、権威に媚びず、徒党を組まず、60年代を通じてブレることなく独自のジャズ批評の世界を追求したのが相倉久人だった。血気盛んだった60年代半ばには、権威を振りかざす当時の「スイングジャーナル」編集部と喧嘩別れし、その後も武田和命や日本のフリー・ジャズに批判的な同誌の姿勢と対決するなど、権威や商業主義とは常に一線を画して批評活動を続けた。ジャズとは、あくまで「奏者と聴衆による共同行為」であると捉え、その「場」から生じる音楽エネルギーが相互にどう伝達され、そこに何が生じるのかという「力学」をチャート化し、物理学者のようにクールに分析する60年代の相倉久人のジャズ論は観念的かつ抽象的で難解だ。レコードや紙上の情報だけではなく、実際の演奏現場で鍛えた「プロの聴き手」相倉の思想を、ポピュラー音楽として、あるいはレコードで聴くジャズが一般的だった当時のメディアや普通のジャズファンがどこまで理解し、共感できたかは確かに疑問だ。当時ジャズ演奏の楽理やメソッドを真に理解していたのは、限られた数のプロ・ミュージシャンたちだけだった時代である。娯楽として「レコードを聴くだけ」の素人に至っては、素晴らしいジャズの即興演奏が、まるでマジックとしか思えないように聞こえた時代なのだ(私もその一人だった)。「音楽を語る」と言えば、ほとんどテクニカルな分析ばかりになった現代から見たら、信じ難いほどディープな議論を当時の相倉は提示していたわけである。

しかし「言葉による批評」をジャズ演奏行為と同一視する相倉の文章を今になって読むと、当時の時代背景や文脈なしには理解できないような言説を唱える人間が多かった中で、相倉の言葉には、それらを捨象しても何の問題もなく理解できる、時代を超えた普遍性があるのだ。現代の感覚からすると、政治の時代だった60年代的左翼フレーバーが濃厚に感じられることは否定できないし、一部論稿には「革命云々」といった過激な60年代的タームも多用されているが、当時の相倉に自ら政治活動に関与する意図はなく、ジャズという音楽がその出自のゆえに本質的に内包する属性(反体制的精神)が、ブラック・パワーやスチューデント・パワーが噴出していたあの時代の精神と激しく反応し共鳴している、ということを指摘しているだけだ。(そして、時代を先導し、時代の気分を象徴する音楽と言われていたジャズを、時代がついに追い越してしまったと相倉が感じたのが1970年前後だった。)ジャズという音楽の表層ではなく、歴史的視野を踏まえてその本質を捉えるという点で、相倉久人に並ぶ論客はいなかった。常に音楽社会学、音楽文化論的視点でジャズを見渡し、独自の美学と理論で貫かれた知的で骨のある文章を読み通すのは簡単ではないが、こうした論理的で硬質な文章を書くジャズ批評家は当時の日本には他に存在しなかったし、今もいない。相倉久人の60年代ジャズ思想を網羅した「ジャズ著作大全」は、油井正一の名著と並んで、日本のジャズ書アーカイブの筆頭に置かれるべき本だろう。

至高の日本ジャズ全史
2012 集英社新書
ジャズを離れた相倉久人は、晩年の2000年代になってから、何冊か回顧録的なジャズ本を出版している。ほとんどは上記「大全」からのダイジェスト的内容で、その一冊『至高の日本ジャズ全史』(2012 集英社新書)は、特に戦後から1960年代にかけての日本独自のジャズ形成史に焦点を当てて、批評家としての相倉の視点からあらためて振り返ったものだ。オビの文言は大仰だが、日本ならではの「国産ジャズ創出」への当時の熱気が伝わってくるような裏話がたくさん書かれている。有楽町「コンボ」と横浜「モカンボ」を結ぶ、ビバップ時代の守安祥太郎、秋吉敏子、ハンプトン・ホーズ他、もう名前も知らない人が大部分だと思われる実に多彩なジャズ・ミュージシャンたちの逸話と、その後60年代に日本産のジャズ創出を目指した前衛的ミュージシャンたちの活動など、その渦中にいた相倉ならではの観察と分析が興味深い。巻末には、山下洋輔を挟んで相倉の孫弟子のような存在でもある菊地成孔との、お喋りな自称・死神同士(?)による70年代以降のジャズを俯瞰する面白い対談も掲載されている。

ところで、元々はアメリカ生まれのジャズだが、「アメリカのモノマネではないジャズを」、「純国産かつ本物のジャズを」という、相倉久人や高柳昌行といった前衛指向の人たちが1960年代になって描いたという「ジャズの土着化」ヴィジョンが、当時のソニーやホンダのような日本企業が掲げていた目標と「同質」であるところが個人的には非常に興味深い。これもまた、60年代の進歩的、左翼的政治思想と共に、当時の日本全体を覆っていた「時代の空気」の一部だったのだろう。この本の中で、共同で演劇とジャズの融合を試みていた紅テントの唐十郎が、相倉久人のことを、先頭に立って組織を引っ張るタイプではなく、組織形成を促す「触媒のような人物」だと評した、という話が出て来る。相倉久人の本質は、自由を好み、あらゆる権威や支配/被支配を嫌うアナーキストであり、人を巻き込むオルガナイザーというよりも、新たな「こと」や「人」を生み出す環境を醸成し、そこに創造の喜びを見出すインキュベーターだったのだと思う。つまり人物そのものが「ジャズ的」だった。相倉を師匠と呼んだ山下洋輔が、その後の日本ジャズ界でどのような役割を演じてきたのかを見れば、アーティストを見極める相倉のインキュベーターとしての先見性がよく分かる。

60年代を通じてジャズ批評家として行動していた相倉だったが、もっとも期待をかけていた山下洋輔が1969年にフリー・ジャズのトリオを発足させ、目指していた日本オリジンのジャズを実現し、活動が軌道に乗りかけたと判断すると、「言葉」によって日本のジャズを孵化(incubate) させ、テイクオフさせるという自分の役目はもう終わった、と語って1971年にジャズ界からさっさと足を洗う(理由はもちろんそれだけではない)。その後は前衛映画制作に関わったり、ロック、ポップス、歌謡曲という異ジャンル音楽の批評家へと転身し、レコード大賞審査員やヤマハのコンテストの審査委員長を務める……など、あくまで「単独で」音楽ジャンルをクロスオーヴァーしてゆくこの軽快な足取りは、どう見てもアナーキストである。しかし相倉の盟友でもあった平岡正明のような政治的匂いがせず、しかし単なる批評家でもなく、常に「創作現場」の情況を見渡し、興味を持つと、そこに「行動する批評家」として自ら関わってゆくところが相倉久人なのである。

油井正一と相倉久人という私が好きな二人のジャズ批評家は、60年代から70年代初めにかけて「保守本流」と「前衛」という、いわば対照的な批評活動をしていたが、両者ともに魅力的な人物だった。単なるモノ書きではなく、油井はラジオ放送で、相倉は様々なイベント司会(MC)で、「言葉」を操って場を仕切ってゆくパフォーマーとしての優れた能力があった。しかも二人とも、本やラジオでの対談で分かるように、深い知識と教養がありながら偉ぶらず、飄々としていて会話が実に面白いのだ(これらも非常に大事なジャズ的要素だ)。ジャズに関する幅広く深い知識を有し、有力メディアを通じて分かりやすい語り口で大衆を啓蒙したモダニストが油井正一だとすれば、独自のジャズ美学を構築し、日本人のジャズ創作現場と常に密着しながら、彼らを鼓舞、扇動した一匹狼のアナーキストが相倉久人だった――とも言えようか。しかし、この二人の代表的批評家が「1970年頃までのジャズ」を語った本が、今も十分読むに値するという事実こそ、その後の半世紀、追記すべきほどの大きな歴史的進化がジャズにはなかった、ということの証左なのだろう。

2017/05/18

菊地成孔、高内春彦の本を読む

菊地成孔と高内春彦は2人ともジャズ・ミュージシャンだが、片や山下洋輔のグループで実質的なプロ活動を始め、以来日本での活動が中心のサックス奏者兼文筆家、片やアメリカ生活の長いギタリスト兼作曲家というキャリアの違いがある。今回読んだ菊地氏の本は2015年の末に出版されているので既に大分時間が経っているが、最近(4月)、高内氏の書いたジャズ本が出たこともあって、2人のジャズ・ミュージシャンが書いた2冊の本を続けて読んでみた。これはまったくの個人的興味である。共通点はジャズ・ミュージシャンが書いた本ということだけだ。本のテーマもまるで違うし、文筆も主要な仕事の一つとしてマルチに活動している人と、ジャズ・ミュージシャン一筋の人という違いもあるので、本の出来云々を比較するつもりはなく、以下に書いたのはあくまで読後の個人的感想だということをお断りしておきたい。

高内氏はジャズ・ギター教則本は何冊か書いているようだが、これまで本格的な著作はなく、この本「VOICE OF BLUE -Real History of Jazz-舞台上で繰り広げられた真実のジャズ史をたどる旅」(長いタイトルだ…)が初めてのようだ。80年代初めの渡米以降アメリカ生活が長く、それに本人よりも女優の奥さんの方が有名人なので、いろいろ苦労もあったことだろう。しかし、なんというか、自然体というのか、のんびりしているというのか、構えない人柄や生き方(おそらく)が、この本全体から滲み出ているように感じた。私が知っていることもあれば、初めて知ったこともあり、特に1970年代以降のアメリカのジャズ現場の話は、これまであまり読んだことがなかったので参考になる部分も多かった。ただ英語表現(カタカナ)がどうしても多くなるのと、カジュアルな言い回しを折り混ぜた文体は、肩肘張らずに読める一方で、どこか散漫な印象も受ける。歴史、楽器、民族など博学な知識が本のあちこちで披露されていることもあって何となく集中できないとも言える。モードの解析や、ギタリストらしい曲やコード分析など収載楽譜類も多いが、これらはやはりジャズを学習している人や音楽知識のある人たちでないと理解するのが難しいだろう。一方、デューク・エリントンを本流とするアメリカのジャズ史分析や、ジャズの捉え方、NYのジャズシーンの実状、新旧ミュージシャン仲間との交流に関する逸話などは、著者ならではの体験と情報で、私のようなド素人にも面白く読めた。伝記類を別にすれば、こうしたアメリカでの個人的実体験と視点を基にしてジャズを語った日本人ミュージシャンの本というのはこれまでなかったように思う。ただし全体として構造的なもの、体系的な流れのようなものが希薄なので、あちこちで書いたエッセイを集めた本のような趣がある。また常に全体を冷静に見渡している、というジャズ・ギタリスト兼作曲家という職業特有の視点が濃厚で、技術や音楽に関する知識と分析は幅広く豊富だが、逆に言えば広く浅く、あっさりし過ぎていて、ジャズという音楽の持つ独特の深み、面白味があまり伝わって来ない。たぶん一般ジャズファン対象というよりも、ジャズ教則本には書ききれない音楽としてのジャズの歴史や背景をジャズ学習者にもっと知ってもらおう、という啓蒙書的性格の本として書かれたものなのだろう。ただしジャズへの愛情、構えずに自分の音楽を目指すことの大事さ、という著者の思想と姿勢は伝わってきた。

一方の「レクイエムの名手 菊地成孔追悼文集」は文筆家としての菊地成孔が書いたもので、ジャズそのものを語った本ではない。クールな高内氏と対照的に、こちらは独特のテンションを持った語り口の本だ。これまでに私が読んだ菊地氏の本は、10年ほど前の大谷能生氏との共著であるジャズ関連の一連の著作だけだが、これらは楽理だけではなく、ジャズ史と、人と、音楽芸術としてのジャズを包括的に捉え、それを従来のような聴き手や批評家ではなく、ミュージシャンの視点で描いた点で画期的な本だと思うし、読み物としてもユニークで面白かった。これらの本格的ジャズ本と、ネット上で菊地氏が書いたものをほんの一部読んできただけなので、この本「レクイエムの名手」は私にとっては予想外に新鮮だった(彼のファンからすれば何を今更だろうが)。個人的接点の有無は問わず、親族から友人、有名人まで、「この世から失われた人(やモノ)」を10年以上にわたって個別に追悼してきたそれぞれの文章は、各種メディアに掲載したりラジオで語ってきたものだ。それらをまとめた本のタイトルを、原案の(自称)「死神」あらため「追悼文集」にしたという不謹慎だが思わず笑ってしまうイントロで始まり、エンディングを、死なないはずだったのに本の完成間近に亡くなったもう一人の「死神」、尊敬する相倉久人氏との「死神」対談で締めくくっている。私のまったく知らない人物の話(テーマ)も出て来るのだが、読んでいるとそういう知識はあまり関係なく、彼の語り口(インプロヴィゼーション)を楽しめばいいのだと徐々に思えてくる。音楽を聞くのと一緒で、その虚実入り混じったような、饒舌で、だが哲学的でもあり、かつ情動的な語り口に感応し楽しむ人も、そうでない人もいるだろう。中には独特の修辞や文体に抵抗を感じる人もいるかもしれないが、現代的で、鋭敏な知性と感性を持った独創的な書き手だと私は思う。

年齢を重ねると、周囲の人間が徐々にこの世を去り、時には毎月のように訃報を聞くこともあるので、死に対する感受性も若い時とは違ってくる。自分に残された時間さえも少なくなってくると、亡くなった人に対する「追悼」も切実さが徐々に薄まり、自分のことも含めて客観的にその人の人生を振り返るというある種乾いた意識が強くなる。これは人間として当然のことだと思う(だが若くして逝ってしまった人への感情はそれとは別だ)。そういう年齢の人間がこの本から受ける読後感を一言で言えば、「泣き笑い」の世界だろうか。泣けるのにおかしい、泣けるけど明るいという、「生き死に」に常についてまわる、ある種相反する不可思議な人情の機微を著者独特の文体で語っている。文章全体がジャズマン的諧謔と美意識に満ちていて、しみじみした項もあれば笑える箇所もあるが、そこには常に「やさぐれもの」に特有の悲哀への感性と、対象への深い人間愛を感じる。独特の句読点の使い方は、文中に挿入すると流れを損なう「xxx」の代替のようでもあり、彼の演奏時のリズム(休止やフィル)、つまりは自身の身体のリズムに文章をシンクロさせたもののようにも思える。カッコの多用も、解説や、過剰とも言える表現意欲の表れという側面の他に、演奏中に主メロディの裏で挿入するカウンターメロディのようにも読める(文脈上も、リズム上も、表現者としてそこに挿入せずにはいられない類のもの)。文章の底を流れ続けるリズムのために、文全体が前へ前へと駆り立てるようなドライブ感を持っているので、先を読まずにいられなくなる。「追悼」をメインテーマに、菊地成孔がインプロヴァイズする様々なセッションを聴いている、というのがいちばん率直な印象だ。そしてどのセッションも楽しめた。

特に印象に残ったのは、氏の愛してやまないクレージー・キャッツの面々やザ・ピーナッツの伊藤エミ、浅川マキ、忌野清志郎、加藤和彦など、やはり自分と同時代を生きたよく知っているミュージシャンの項だ。私は早逝したサックス奏者・武田和命 (1939-1989) が、一時引退後に山下洋輔トリオ(国仲勝男-b、森山威男-ds)に加わって復帰し、カルテット吹き込んだバラード集「ジェントル・ノヴェンバー」(1979 新星堂)を、日本のジャズが生んだ最高のアルバムの1枚だと思っている。このアルバムから聞こえてくる譬えようのない「哀感」は、絶対に日本人プレイヤーにしか表現できない世界だ。どれも素晴らしい演奏だが、冒頭のタッド・ダメロンの名曲<ソウルトレーン SoulTrane>を、「Mating Call」(1956 Prestige) における50年代コルトレーンの名演と聞き比べると、それがよくわかる。哀しみや嘆きの感情はどの国の人間であろうと変わらないはずだが、その表わし方はやはり民族や文化によって異なる。山下洋輔の弾く優しく友情に満ちたピアノ(これも日本的美に溢れている)をバックに、日本人にしか表せない哀感を、ジャズというフォーマットの中で武田和命が見事に描いている。菊地氏のこの本から聞こえてくるのも、同じ種類の「哀感」のように私には思える。それを日本的「ブルース」と呼んでもいいのだろう。彼のジャズ界への実質的デビューが、1989年に亡くなった武田和命を追悼する山下洋輔とのデュオ・セッションだった、という話をこの本で初めて知って深く感じるものがあった。会ったことも生で聴いたこともないのだが、山下氏や明田川氏などが語る武田氏にまつわるエピソードを読んだりすると、武田和命こそまさに愛すべき「ジャズな人」だったのだろうと私は想像している。時代とタイプは違うが、本書を読む限り、おそらく菊地成孔もまた真正の日本的「ジャズな人」の一人なのだろう。その現代の「ジャズな人」が、昔日の「ジャズな人」を追悼する本書の一節は、それゆえ実に味わい深かった。 

2人のジャズ・ミュージシャンが書いた本は両書とも楽しく読めた。また2人とも心からジャズを愛し生きて来たことがよくわかる。だが高内氏の本はジャズを語った本なのだが、私にはそこからジャズがあまり聞こえてこない。一方菊地氏の本はジャズそのものを語った本ではないが、私にはどこからともなくずっとジャズが聞こえてくる。もちろん私個人のジャズ観や波長と関係していることだとは思うが、この違いはそもそも本のテーマが違うからなのか、文章や文体から来るものなのか、著者の生き方や音楽思想から来るものなのか、あるいは日本とアメリカという、ジャズを捉える環境や文化の違いが影響しているのか、判然としない。年齢は1954年生まれの高内氏が菊地氏より10歳近く年長だ。1970年代半ばの若き日に、フュージョン(氏の説明ではコンテンポラリー)全盛時代の本場アメリカで洗礼を受け、以来ほぼその国を中心に活動してきたギタリストと、バブル時代、実質的にジャズが瀕死の状態にあった80年代の日本で同じく20歳代を生きたサックス奏者…という、演奏する楽器や、プロ奏者としてのジャズ原体験の違いが影響しているのか、それとも単に個人の資質の問題なのか、そこのところは私にもよくわからない。

2017/03/05

ジャズを「読む」(2)

ジャズは「演る」か「聴く」もので、「読む」もんじゃない…としたり顔で言う人も昔いたが、そこはどうなんだろうか?

今や誰でも普通に音楽を聞いて楽しんでいるが、一般的に言えば、そこで普通に聞いて(hear)楽しんで終わる人(大多数)と、「なぜこう楽しいのか?」と、じっと聴いて(listen)ある種の疑問を持つ人(少数)に分かれるように思う。疑問を持った人は、その疑問、すなわち音楽の中身や、演奏する人間に普通は興味を持つ。そこから音楽の分析に走る人もいれば(楽器を「演る」人になる可能性が高い)、背景を知ろうと、演奏する人物やグループを詳しく知ろうと調べたがる人もいる(もっぱら「聴く」人になる)。そして「語る」人もそこから出てくる。音楽について書かれたものを「読む」という行為はおそらくこの両者に共通で、彼らにとってはその過程も音楽の「楽」しみの一部なのだ。

何せ、ジャズを含めて楽器演奏による「音楽」という抽象芸術そのものには本来意味がないのだから、感覚的な快楽に加えて、その意味を自由に(勝手に)想像したり、探ることに楽しみを覚える「聴く」人も当然いる。だからその対象が複雑であれば複雑なほど、分からなければ分からないほど、興味を深め(燃え)、それについて語りたがる人も中には当然いる。ジャズを「演る」人たちも、実は大抵はお喋りで「語る」人たちだということを知ったのは、ジャズを聴き出してかなり経ってからのことだった。マイルス、モンク、コルトレーンなどモダン・ジャズの大物のイメージからすると、ジャズメンはみな寡黙な人たちだと思い込んでいたのだ(この3人は実際に寡黙だったようだ)。よくは分からないが、彼らがよく喋り、「語る」のは、やはり自分の演奏だけでは言い足りないものをどこかで補いたいという潜在的欲求を、表現者として常々感じているからではないか、という気がする。ただ、饒舌な人のジャズはやはり一般に饒舌で、そこはジャズという音楽の本質が良く表れていると思う。

文芸春秋・文庫
(初版2005年)
ところで「歌」というのは、音楽の要素「メロディ」や「リズム」という抽象的なものを「言語」と組み合わせることによって、具体的世界を提示するものだ(人類史的には逆で、たぶん歌が先だったのだろうが)。だがその瞬間、抽象的な音の羅列だったものが、明瞭な「意味」を持つ言語によってある世界を形成し、聞く人はその世界が持つ意味の内部に捉われ、外部へと向かう自由な想像は閉ざされる。しかし、それは何よりも分かりやすいので、音響的快感とともに容易に人の心をつかむことができる。抽象的な音を具体的世界の提示に変換しているからである。宗教音楽から始まり、民俗音楽、ブルース、ロック、ポップス、日本の演歌、歌謡曲、フォーク…歌詞を持つ音楽はすべて同じだ。

ビバップに始まるモダン・ジャズという音楽は、ある意味でこの道筋を逆行したものだと言える。つまり祭りや儀式、教会、ダンス場や、飲み屋など、人が集まるような場所で歌われ、演奏され、共有されていた具体的でわかりやすい歌やメロディを、楽器だけの演奏によってどんどん抽象化し、元々のメロディの背後にハーモニーを加え、それを規則性を持ったコード進行で構造化し、それをさらに代理和音で複雑化し、速度を上げ、全体を即興による「分かりにくい」音符だけの世界に変換し、さらに行き着くところまで抽象化を進めた結果袋小路に陥り、ついには構造を解体してしまった。この過程は一言で言えば、既成のものからの「開放の希求」と「想像する精神」が生んだものと言えるだろう。だが考えてみれば何百年ものクラシック音楽の歴史の道筋も要は同じであり、20世紀にその西洋音楽を片親として生まれたジャズは、たった数十年の間に、この道筋を目まぐるしい時代の変化と共に「高速で」極限まで歩んだということだろう。ジャズがクラシック音楽と大きく異なり、音楽上の重要なアイデンティティの一つと言えるのは、抽象的な即興演奏と言えども、演奏者個人の人格や、個性や、思想が強烈に現れることだ。ラーメン屋で流れるジャズを聞いて、これは誰が、いつ、誰と演奏したレコードだ、とブラインドフォールド・テストのようにオールド・ジャズファンが瞬時に反応してしまうのもそれが理由だ。だから顔の見えない(voiceの聞こえてこない)ジャズ、誰が演奏しているのかわからないジャズは、ジャズ風ではあってもジャズではない。「やさしい、分かりやすいジャズ」であっても、顔がよく見える(voiceがよく聞こえてくる)ジャズはジャズである……という具合に、ジャズを「語る」人もめっきりいなくなってしまった。

新潮社 2014年
粟村政明、植草甚一、油井正一、相倉久人、平岡正明、中上健次のような批評家や文人たちが大いにジャズを語った後、ジャズ喫茶店主の皆さんが語った本が続き、山下洋輔氏のような「演る」人も語り、中山康樹氏のようなライターがマイルスを語り……一時は随分多くのジャズ本が出版されて私もほとんど読んでいたと思う。今は初心者向けジャズ入門書やレコード紹介本、楽理分析を主体としたジャズ教則本とジャズ演奏技法、そしてお馴染みのマイルス本ばかりになった。最近、唯一目立つのは、時代状況を反映して、過去を振り返り日本ジャズ史を「語る」作業だ。もはや古典となったモダン・ジャズの歴史と原点を射程に入れつつ「語った」骨のある近年のジャズ書は、私が知る限り菊地成孔、大谷能生両氏が(二人とも「演る」人だ)書いた一連の著作だけだが、それすらもう10年以上の年月が過ぎてしまった。そしてもう一人は、従来からコンスタントに翻訳によってジャズの世界を伝え、近年もジェフ・ダイヤーの短編小説集「バット・ビューティフル」(2011年)、モンクについてのエッセイや論稿からなる翻訳アンソロジー(2014年)など、相変わらずジャズへの愛情を持ち続けている村上春樹氏である。「読む」人にとっては寂しい限りだが、音楽があまりに身近になってモノと同じく消費され(リスペクトされなくなり)、昔のように音楽書が売れない、ジャズ書などさらに売れない、ジャズを「読む」人も減った(それどころか普通の本も読まなくなった)、だから出版社も青息吐息、という状態では書籍上で語りたくとも語れない、という人も実際は多いのだろう。 (続く)