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2019/10/16

”オーケストラ plays JAZZ " in 八王子 (東響&山中千尋)

2008年以来毎年開催されてきたという「八王子音楽祭」が、今年2019年は ”Shall We Jazz?” と題したジャズ特集だった。9月末に9日間にわたって、市内や中心街のあちこちの店やスポットで、コンサートやライヴ演奏他の多彩なジャズ・プログラムが実行されるという、びっくりするような企画である。なぜ最近ジャズ・フェス(祭)が日本中の街で流行っているのか不思議に思って分析中なのだが、「ついに八王子、お前もか !?」という印象だ。JR中央線沿線でジャズと言えば、古くは吉祥寺、高円寺、荻窪あたりのジャズ喫茶だし、ジャズ・フェスでは1990年代に始まった ”阿佐ヶ谷ジャズストリート” が有名だが、三鷹以西の立川、八王子方面はこれまであまりジャズとは縁がない街という印象だった。特に八王子音楽祭は、いつもはイチョウホールを中心にしてクラシック音楽にフォーカスした初夏のイベントだったし、これだけ大々的にジャズを取り上げた企画は記憶する限り初めてのように思う。メインイベントの一つとして9月23日にはイチョウホールで国府弘子と岡本真夜のコンサートが行なわれたが、928日にオリンパスホールで行なわれた ”オーケストラ plays JAZZ” もメイン企画の一つで、新進の原田慶太楼が指揮する東京交響楽団が、定期公演として山中千尋トリオ(山本裕之-b、橋本現輝-ds)を迎えて、ジャズ曲を中心に演奏するというコンサートだ。

毎年秋には大きなホールでのジャズ・コンサートに出かけるのが恒例になっていて、一昨年は東京ジャズ、去年は秋吉敏子&ルー・タバキンだったが、今年は6月の角田健一ビッグバンド(紀尾井ホール)に続き、山中千尋のこのコンサートにした。クラシックとジャズが出会うというこの種の企画は、小曽根真が同じ八王子オリンパスホールで、東京フィルと ”Jazz Meets Classic” というコンサートをこれまでに何度か開いていて、私はそれも数回聴いている。山中千尋をライヴで聴くのは、2017年の紀尾井ホールでの文春コンサート以来で、あのときはモンクを現代的に解釈したエレピ演奏が中心だったが、今回は全曲アコースティック・ピアノによる演奏なので、楽しみにしていた。本当はジャズクラブで聞いてみたいのだが、都内だと結構演奏機会も限られ、チケットの入手も大変なのだ。今回は大ホールだが、かなり前方の席だったので、トリオの演奏ぶりも非常によく見え、迫力があって、楽しめた。また大ホールでストリングスが響き渡るフルオーケストラのサウンドはジャズとはまた別の魅力があって、いつ聞いても気持ちが良いものだ。クラシックのコンサートも以前は時々行っていたのだが、咳払いすら気にしながら緊張して聴くあの雰囲気が、リラックスして聴くのが好きなジャズファンとしてはどうも苦手で、段々足が遠のいた。その点、ジャズも一緒のこうしたコンサートだと、緊張感も薄れて多少気楽に聴けるところがいい。

"オーケストラplays JAZZ"
2019-09-28
八王子オリンパスホール
山中トリオによる<エスターテ~サマータイム>(たぶん)の美しいメドレーで始まり、続いて東響との「ラプソディ・イン・ブルー」(ジョージ・ガーシュイン)、アンコールはトリオによる<八木節>、休憩をはさんで東響の「デューク・エリントン」(C・カスター編)、「シンフォニック・ダンス」(レナード・バーンスタイン)というプログラムだった。ガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」(1924) はクラシックに分類されているが、“イン・ブルー” が示すように、ジャズの語法でクラシックの狂詩曲を作ったという、ある種のフュージョンである。日本でも山下洋輔、小曽根真、大西順子など、名だたるジャズ・ピアニストがチャレンジしてきたように、ジャズ側からクラシック音楽の世界に “正式に” 足を踏み入れることのできるたぶん唯一の有名曲だ。好みもあるだろうが、これまで聞いてきた限り、この曲はクラシック的なリズムを基調にした几帳面な演奏はあまり面白みがないように思う。ジャズ的スウィングとグルーヴがどこかしらずっと聞こえて来るような演奏が楽しい。また何箇所かあるピアノによるカデンツァのパートは、奏者によってまったく違う個性のインプロヴィゼーションが聞けるが、ジャズファンからすると、そこがこの曲のいちばんの聴きどころだ(クラシックファン的にはこのあたりはどうなのだろうか? ド素人的には、この曲の譜面はいったいどういう構成と表記になっているのだろうか、といつも気にしながら聞いてきた。)今回オーケストラと共演した山中千尋トリオのスリリングな超高速・超強力演奏は、個人的にはもう文句なく最高だった。リニアに疾走する彼女の高速ピアノからは、いつも何とも言えないカタルシスを感じる。同じ女性ジャズ・ピアニストでも、どちらかと言えばヘビーで男性的な大西順子のピアノとは対照的なサウンドで、ダイナミックでいながら空中を翔んでいるような軽やかさがあるのだ。あの小柄な身体から、どうやってあのパワーが出て来るのかと思うくらい、ぞくぞくするほどパワフルでスウィンギングな演奏だった。アンコールのトリオによるおハコ<八木節>も、当然ながら超絶のドライヴ感で弾きまくり、相変わらず楽しく素晴らしい。オーケストラの団員も、終始驚愕の目で彼女のピアノを凝視していたのが印象的だった。クラシック界の奏者から見たジャズ・ピアニストというのは、やはり驚異の存在なのだろうと思う。

Symphonic Dances
from "West Side Story"
生のクラシックのフルオーケストラをそれほど聞き込んでいるわけではないので、構成面でのピアノとのバランスや、音楽的、技術的表現に関する部分はよく分からないが、売り出し中の原田慶太楼の指揮は山中千尋と同じく若さとリズム感にあふれ、豪快なアクションでこちらもパワフルにオーケストラを率いていたように思う。ほとんどアメリカ育ちの人のようなので、クラシックのみならず、ジャズやアメリカンポップスのリズム感が身についているのだろう、ガーシュインでの山中トリオとの連携もリズム的にまったく違和感がなく、もたつきも古臭さもなく、またエリントンもバーンスタインも、見事にオーケストラ全体を “スウィング” させていた。何よりアメリカ流に、堅苦しくなく、楽しそうに指揮しているところが良い。「デューク・エリントン」はカルヴィン・カスターという人が、<Sophisticated Lady>他のエリントンの名作4曲をオーケストラ用にアレンジした曲らしい。初めて聞いた演奏だったが、エリントンはそもそもこうしたアレンジに向いた楽曲を書いてきたわけで、当然ながらこれはなかなか面白かった。バーンスタインが作曲した、ミュージカル『ウエスト・サイド・ストーリー』からの曲「シンフォニック・ダンス」はよく知っているメロディが続き、非常に楽しめた。ただ最後がピアニッシモで消え入るように終わったが、それで終了とは気づかない聴衆から拍手が来ないまま、数秒してから指揮者が督促して拍手が起こる、という滅多にない珍妙な幕切れとなった。それまでの演奏があまりにダイナミックだったので、昔のミュージカル映画や曲の「構成」を知らない聴衆(私も含め)が、最後も派手な終わり方をするのだろう、と何となく予想していたからだと思う。だがこのあたりも、純クラシック曲の演奏会ではなく、いかにもアメリカ的、ジャズ的大らかさがあって良かったのではないだろうか。アンコールを、聴衆もよく知っていて、分かりやすく威勢の良い「マンボ」の楽章できっちりと締めたので安心した。

ラジオ収録中の山中、原田両氏(右二人)
八王子音楽祭Tweetsより
終演後、八王子ユーロードの特設ブースで行なわれた八王子FMの公開ラジオ番組収録に、原田、山中両氏が参加したトークがあり、そこへも出かけた。原田氏が実は元々サックス奏者を目指していたのでジャズもよく分かっている、という話をしていたが、その指揮ぶりからなるほどと納得した。またピアノ奏者と指揮者が、演奏中どう互いを観察しているのか、という内輪話も二人から聞けて面白かった。番組収録後には、モンク生誕100年にあたる2017年に出版した私の訳書『セロニアス・モンク 独創のジャズ物語』を取り上げ、その書評を日本経済新聞で書いていただいた山中千尋氏に直接お礼を申し上げる機会がようやく得られ、約2年間の胸のつかえが下りた。出版不況下で、モンクというユニークではあるがいわゆる人気者とは言えない音楽家の伝記であり、かつ長すぎるという理由で出版社から軒並み断られていたのを、シンコーミュージックがやっと出版してくれた本だったが、加えてジャズ界や出版界とは縁もゆかりもない人間が翻訳した本でもあり、専門誌は別として普通はなかなか一般メディアでは取り上げてもらえないものだ。しかし同じ年に、『Monk Studies』というモンクにトリビュートした新アルバムをリリースしていたジャズ・ピアニストである山中氏による全国紙での書評のおかげで、ずいぶんと本の知名度も上がったと出版社から聞いている。だが彼女は基本的に米国在住で、私はSNSもツイッターもやっていないので、これまで直接お礼する方法がなかったのである(幸運にも、今年出版した次書『パノニカ』も、仏文学者で、放送大学教授の宮下志朗氏に読売新聞で書評を書いていただいたが、実は宮下先生にもまだお礼を申し上げていない…)。また、これはまったくの偶然なのだが、実は彼女と同郷出身である旨お伝えした。ジャズ版<八木節>に即反応するのもそのためだが、こうして八王子で直接お目にかかれたのも不思議な縁である。握手してもらった手が華奢で小さいことにも驚いた。ジャズ・ピアニストという人種は私にはまさにワンダーランドの住人で、常に驚嘆するしかないのだが、あの手で、よくあのピアノ演奏ができるものだ、とあらためて本当にびっくりした。山中さんには、今後とも「ジャズ」の世界で活躍していただきたい、とつくづく思う。

2017/11/02

モンクを聴く #15 : Tribute to Monk

MONK'stra Vol.1
John Beasley
(2017 Mack Avenue)
モンク作品を演奏した ”Play Monk” あるいは ”Tribute to Monk” 的レコードは昔からたくさんある。一つは単に楽曲(素材)として取り上げ、比較的有名なモンク作品を、いわゆるジャズ・スタンダードとして演奏した性格のものであり、もう一つはモンクの音楽、あるいは音楽家モンクに対する尊敬や思い入れを込めて、ミュージシャンが自身のモンク作品演奏を通して文字通りトリビュートしたレコードだ。後者としてはスティーヴ・レイシーの作品(1958) が有名だが、日本でもピアニスト八木正生(1932-91) が全曲モンク作品のアルバム『Masao Yagi Plays Thelonious Monk』を作っているし(1959)モンク全盛期にはジョニー・グリフィンとエディ・ロックジョー・デイヴィスが『Lookin’ at Monk!』(1961) を録音し、その後もランディ・ウェストン、チャーリー・ラウズといったモンクと親しかったミュージシャンがアルバムを作っている。だがこうしたモダン・ジャズ時代以降も、様々なジャズ・ミュージシャンがモンクの音楽の再解釈に挑んできた。今年はモンク生誕100年ということもあり、ジョン・ビーズリー John Beasley (1960 -) の「モンケストラ MONK'estra」がビッグバンドで斬新な試みに挑戦しており(残念ながら今週の「ブルーノート」でのライヴは聞き逃した)、日本でも山中千尋が全曲モンク作品ではないが『Monk Studies』(Universal) というトリオ・アルバムを発表している。しかも1950年代、60年代の多くの芸術家たちを魅了したように、汲めども尽きない謎と魅力があるモンクの音楽と、モンクという存在そのものがジャズ以外の音楽、さらには音楽以外の芸術分野のアーティストでさえ未だに触発し続けている。

Reflections
Steve Lacy Plays
Thelonious Monk
(1958 New Jazz)
第21章 p434
モンクを本格的に研究した最初のジャズ・ミュージシャンが、モダン・ジャズ時代におけるソプラノサックスのパイオニア、スティーヴ・レイシー Steve Lacy (1934-2004) で、その2作目のリーダー・アルバムが、全曲モンク作品に挑戦した『リフレクションズ Reflections: Steve Lacy Plays Thelonious Monk』(New Jazz, 195810月録音)だった。(ただし別項に記したように、フランスのテナー奏者バルネ・ウィランは1957年1月に、全曲ではないがモンク作品を6曲取り上げたアルバム『Tilt
を既に録音している。)ビバップではなく、シドニー・ベシェら、ディキシーランドやシカゴスタイルの古い音楽の影響をルーツとするレイシーが、次に向かったのがモンクに触発されていたセシル・テイラーであり、1957年夏にモンクが登場する半年以上前に、「ファイブ・スポット」にテイラー・ユニットのメンバーとして出演している。テイラーというフィルターを通してモンクを知るようにったレイシーが、他の奏者のような比較的分かりやすいモンク作品ばかり取り上げなかったのは当然だろう。同じくモンクの影響を受けていたマル・ウォルドロン(p)、セシル・テイラーと共演していたビュエル・ネイドリンガー(b)、当時新進のドラマーだったエルヴィン・ジョーンズ(ds)というカルテットがこのアルバムで取りあげたのは、タイトル曲<Reflections>の他、<Four in One>,<Hornin’ In>,<Bye-Ya>,<Let’s Call This>,<Ask Me Now>,<Skippy>という計7曲のモンク作品である。1957年のズート・シムズ(ts) による<Bye-Ya>以外は(当時は未発表だったバルネ・ウィランの<Let's Call This>もある)、それまでモンク以外誰も演奏したことがない曲ばかりだった。レイシーはモンク作品のメロディ、ハーモニー、リズムという構造を徹底的に研究することから始め、モンクが実際にはせいぜい20曲程度の常時レパートリーしかなかったのに対して、50曲以上のモンク作品をレパートリーにできるまで自身の中に吸収したと言われている。

レイシーのソプラノサックスは、モンクと同じく一度嵌ると病みつきになるほど個性的だが、そのメロディとサウンドもモンク同様に常に温かく美しい。モンクだけを演奏したレイシー初期のこのアルバムでは、まるで二人のサウンドが合体したかのように聞こえる。モンク・バラードの傑作で、レイシーがシンプルに淡々と吹くタイトル曲<Reflections>の懐かしさ漂うメロディは、シンプルゆえにいつまでも耳に残るほど印象的だ。モンクに傾倒していたレイシーが書き留めたと言われる有名な「モンク語録」も、これまでにも多くが知られ、また本書にもいくつか出て来るが、どれも実に興味深く、ジャズの神髄を捉えた言葉ばかりだ。レイシーがあるインタビューで述べた、「画家ユトリロがパリのモンマルトルを描いたように、モンクはニューヨークという街そのものを音楽で描いていたのだ」、という表現もまたモンクの音楽の本質の一部を捉えた名言だろう。そのレイシーが初めてモンク・クインテットのメンバーとして共演した、19606月からの16週におよぶ「ジャズ・ギャラリー」での貴重な長期ギグを、リバーサイドがまたしても録音しなかったのは返すがえすも悔やまれる。レイシーは60年代を通じて、ピアノレスというフォーマットでモンク作品の探求を続け、1963年にはラズウェル・ラッド(tb)、ヘンリー・グライムス(b)、 デニス・チャールズ(ds)というカルテットで、2作目となる全曲モンク作品のLP『School Days』(Emanem) をライヴ録音で残している(ただし発表されたのは12年後)。その後ヨーロッパ中心の活動を続けた後、1970年代にはパリに移住し、70年代半ばにはプロデューサー間章を仲立ちにして、富樫雅彦(ds)、吉沢元治(b)ら日本のミュージシャンとも共演している。その生涯を通じて、レイシーの音楽の根底にあったのは常にセロニアス・モンクだった。

A Portrait of Thelonious
(Orig.Rec.1961/
1965 Columbia)
第26章 p563
モンク作品を取り上げた中で別格とも言えるレコードが、バド・パウエル (1924-66) 196112月17日にパリで録音したピアノ・トリオ、『A Portrait of Thelonious』である。これはキャノンボール・アダレイがパリでプロデュースした音源で、実際には1965年になってコロムビアからリリースされている。パウエルがモンク作品を演奏したのは1944年のクーティ・ウィリアムズ楽団時代の<Round Midnight>の初録音、トリオでは1947Roostの<Off Minor>(モンクによるブルーノート録音より前である)、1954Verveの<Round Midnight>くらいしか思いつかない。二人は音楽的には師弟関係にあり、兄弟のように親しい間柄でもあり、モンクはパウエルに捧げた代表曲<In Walked Bud>も作曲している(1947年)。モンクの曲を演奏するのに、パウエル以上にふさわしいピアニストはいなかったと思うが、パウエルは意外にもモンクの曲をあまり録音していない(たぶん売れないという制作者側の商業的理由や、モンクの曲を演奏できるミュージシャンがいなかったからだろう)。このアルバムでモンクの曲を取り上げたいきさつはよくわからないが、同じ年1961年4月18日にモンクが7年ぶりにパリ公演を行なって大成功を収め、その時にパウエルとも再会しているので、おそらくそうしたことからモンク作品の案が出て来たのだろう。

アルバム全8曲のうちモンク作品は<Off Minor>,<Ruby, My Dear>,<Thelonious>,<Monk’s Mood>という4曲で、当時の現地レギュラーメンバー、ピエール・ミシュロ(b) とケニー・クラーク(ds) がサポートしており、録音も非常にクリアだ。他のレコードを含めてパリ時代に録音されたパウエルの演奏には、もちろん往年のような凄みや切れ味はないが、モンクがそうだったように、技術の巧拙を超えた晩年の天才にしか表現できない情感があり、当時のパウエルのモンクに対する温かな心情が伝わって来るようなこのレコードが私は昔から大好きだ。特にしみじみとした<Ruby, My Dear>は、この曲のあらゆる演奏の中で最も美しい解釈だと思うし、私はパウエルのこの演奏がいちばん気に入っている。アルバム・ジャケットを飾る抽象画とデザインは、ニカ男爵夫人によるもので、本書に描かれたこの3人の当時の関係を彷彿させる点でも、このレコードからは、単にモンクの曲をパウエルが演奏したということ以上の特別な何かを感じる。本書にも書かれているように、パウエルが亡くなる1年前の1965年、レナード・フェザーとのインタビューで、このレコードの<Ruby, My Dear>の感想を訊かれたモンクが「ノーコメントだ」と答えているのも、モンクの心の中に、言葉にできない当時のパウエルへの様々な思いが去来していたからだろうと思う。

Monk on Monk
T.S.Monk
(1997 N2K Encoded Music)
終章 p66
0
『モンクを聴く』シリーズ最後のアルバムは、人間セロニアス・モンクを最もよく知る男、息子でドラマーのトゥートことT.S.モンク(1949 -)が、父親の生誕80周年に自らプロデュースした『モンク・オン・モンク Monk on Monk』(N2K、1997年2月録音) である。1990年代当時の新旧の大物ミュージシャンが集結し、全曲モンク作品を取り上げた10-12人編成のアコースティック・ビッグバンドよるこのアルバムのモチーフになっているのは、言うまでもなく父親モンクの2回のビッグバンドのコンサートだ(彼は2回とも会場にいたという)。

曲目は以下の8曲で、ほとんどモンクの家族、親族、友人にちなんだ有名曲ばかりを選んでいる。
Little Rootie Tootie/ Crepuscule with Nellie/ Boo Boo’s Birthday/ Dear Ruby (=Ruby, My Dear)/ Two Timer (="Five Will Get You Ten" by Sonny Clark)/ Bright Mississippi/ Suddenly (=In Walked Bud)/ Ugly Beauty/ Jackie-ing

総勢20人を越える参加メンバーも豪華で、編曲したT.S.モンク(ds)、ドン・シックラー(tp)に加え、ホーンはウェイン・ショーター(sax)、グローバー・ワシントJr (ts)、ロイ・ハーグローヴ(fgh)、ウォレス・ルーニー(tp)、アルトゥール・サンドバル(tp) や、父親の旧友デヴィッド・アムラム(fh)、エディ・バート(tb)、クラーク・テリー(tp) などが参加し、各曲でそれぞれが素晴らしいソロを聞かせる。ベースはロン・カーター、デイヴ・ホランド、クリスチャン・マクブライドが、またピアノはハービー・ハンコック、デヴィッド・マシューズに加え、ジェリ・アレン、ダニーロ・ペレスというポスト・モンク世代を代表するピアニストが交代で担当している。そして2曲入ったヴォーカルは、『Underground』(1967) でジョン・ヘンドリックスが歌詞を付けて歌った<In Waked Budを、ダイアン・リーヴスとニーナ・フリーロンが見事なデュエットで聞かせ、モンクが詞を付けたいとずっと思っていた<Ruby, My Dear>をケヴィン・マホガニーが初めて歌詞 (by Sally Swisher) 付きの甘いバラードとして歌っている。モダン・ジャズの香りがまだ比較的残っていた90年代の感覚で、モンクの音楽をアコースティック・ビッグバンドとヴォーカルというフォーマットで多彩に解釈したこのアルバムは、オールスター・バンドにありがちな月並みな演奏ではなく、父親の音楽を内側から捉えていた息子による新鮮なアレンジメントと参加メンバーの素晴らしさで、どの曲も演奏も非常に楽しめる。父モンクの時代とは異なり、楽器の質感が伝わり、見通しも良いクリアな90年代的録音 (by ルディ・ヴァン・ゲルダー) も気持ちが良い。

House of Music
T.S.Monk Band
(1980 Atlantic)
第29章 p654, 終章 p660
T.S.モンクは1977年に立ち上げたR&BのT.S.モンク・バンドを率い、以来ミュージシャンとして活動する傍ら、1984年に早逝した妹バーバラ(ボーボー)・モンクの、亡き父親に改めて光を当てるという遺志を引き継ぎ、セロニアス・モンク財団および同ジャズ学院 (Thelonious Monk Institute of Jazz) を1986年に創設、運営し、次世代のジャズ・ミュージシャンを教育、支援する組織を初めて作るという、米国ジャズ史上画期的な仕事を成し遂げた人だ。『Monk on Monk』がリリースされた1998年にT.S.モンクが受けたインタビューの記事を読んだが、非常に興味深い。モンクに関する本は、当時存命だったネリー夫人が書かない以上、母親が亡くなるまでは手を付けないし、それまでは誰でも書くのは自由だが、モンク家として公認はしないと述べている。その後2002年にネリー夫人が亡くなったことで、ロビン・ケリー教授の本書(2009年出版)を初めてモンク財団として公認し、執筆にあたって資料提供なども協力したということのようだ。(オリン・キープニューズの息子がモンク伝記を書くという噂がずっとあったが、本書で書かれたモンクとキープニューズの関係を知ると、それは難しそうだったということはわかる。ただし真の理由は不明だが)。彼が最も影響を受けたドラマーは、常に身近にいてその下で修行もしたマックス・ローチ(1924-2007) よりも、むしろアート・ブレイキー(1919-90) だという。自らバンドを率いてきたこともあって、ブレイキーは単なるドラマーでなく、ジャズ・メッセンジャーズというバンドのリーダーとしてずっとチームを率いてきたからだ、というのがその理由だ。昔のジャズ・スターはみなそうした「バンド」から生まれて来たものだが(リー・モーガン、ウェイン・ショーター、80年代のウィントン・マルサリスもメッセンジャーズ出身だ)、現代のジャズ界からは若いミュージシャンを昔のように育て、支えて行くための基盤が失われている。モンク・ジャズ学院は彼らを育て、支援し、さらにセロニアス・モンク・国際コンペティションのような音楽イベントを通じて、才能ある無名の若手を世の中に送り出すマーケティング的機能と役目も果たしているのだという。自分は父親のような音楽上のパイオニアではなく、バンドや組織を統率するリーダーとしてジャズに関わっている、というのがこの当時の彼の認識だ。つまり、父モンクのジャズ界への重要な貢献の一つでもあった、サンファンヒルの小さなアパートメントに若いミュージシャンたちを集めて指導していた、あのジャズ私塾の精神を引き継いでいるのだ。彼は現在もこの方向に沿って、全米に拡大した広範な活動を続けている。T.S.モンクは、やはり両親の強い血筋と薫陶を感じさせる、強固なヴィジョンと意志を持った人物である。

2017/06/25

紀尾井ホールで山中千尋を聴く

紀尾井ホールで行なわれた山中千尋の「文春トークライブ」に出かけた。当日6月21日はセロニアス・モンクへトリビュートした新アルバム「Monk Studies」(ユニバーサル)発売日であり、しかもたまたま彼女の21枚目のレコードなのだそうだ。前半はトーク中心、後半はモンクの曲を中心にしたライブという構成。モンクの曲は<ルビー・マイ・ディア>、<リズマニング>、<ハッケンサック>、<パノニカ>という代表曲をエレクトリック・キーボード、エレクトリック・ベース(中林董平)、ドラムス(大村亘)というトリオで演奏。アコースティック・ピアノをトリオで弾いたのは前半冒頭の曲(タイトルは知らない)と、アンコールの<八木節>2曲だけだ。ソロ演奏はなし。文春主催と会場が影響しているのか、この日の聴衆は見たところ普通のジャズ・コンサートとどことなく違う雰囲気で、ジャズでもなければクラシックでもない混成隊のような不思議な構成に見えた。

「極私的5つのピアノ名演と名曲」と題した前半のトークでは、神舘和典氏(音楽ライター)を相手にグレン・グールド、ミシェル・ペトルチアーニ、ジョー・ザビヌル、ポール・マッカートニー、ブラッド・メルドーという5人について、それぞれの奏者の好きな点や裏話を語った。ザビヌルやウェイン・ショーターの天才性や変人ぶり、メルドーのお茶目な性格などの話は面白かった。音楽家、ピアニストとしての影響は、中でもペトルチアーニがもっとも大きいようだ。幼稚園児のときに既に父親が好きだったグレン・グールドのレコードを聴いていて、アンプのイコライザーをいじって演奏中のグールドの唸り声が変化するのを面白がったり、トーレンスのアナログ・レコードプレーヤーをいじりまわしてレコードと針を傷だらけにした話などを聞くと、既にして筋金入りの音楽好きだったと想像される。好きなマッカートニーの曲(ついでながら彼の曲と声には、常に哀愁があると私は思う)にインスパイアされて小学生のときに作曲した2曲を、今の教え子の小学生の女の子が登場してヴァイオリンで弾き、山中千尋がピアノで伴奏した。紀尾井ホールの美しい響きも相まって、両方ともとても良い曲だった。こうした話からも、やはり自由な発想、好奇心が旺盛なこと、もともと作曲の才があること、そして自分ならではの世界を創りたいという願望が小さい頃からあったことがわかる。クラシック・ピアノで入学した桐朋学園を卒業後、アメリカに渡ってバークリーでジャズの道に進んだのも(1997年)、そうした彼女の生まれ持った資質が選ばせたのだろう。まさにジャズ向きな人だったのだ。

そう考えると、今回のセロニアス・モンクへのオマージュと言うべきアルバム「Monk Studies」の意味もわかる。モンクは基本的には作曲家であり、そして束縛を嫌い、誰よりも自由を愛し、誰のものでもない独創的世界を創り出した芸術家だったからだ。さらにその死後になっても、早逝した娘のバーバラ、その遺志を継いだ息子T.S.モンクの尽力でセロニアス・モンク・インスティチュート・オブ・ジャズが設立され、モンク・コンペティションが開催されるなど、アメリカのジャズの発展と未来に向けて非常に大きな貢献もしてきた。そうした日本ではあまり知られていない、あるいは誤解されているモンクの偉大さを、今回のような場でジャズ・ピアニスト本人の口から(初めて)語ってくれたことは、モンクファンとしては単純に嬉しい。当夜のモンク代表曲の演奏も、魅力的だが難しいモンク作品をモチーフにしながら、リスペクトを忘れずに、しかし同時にモンク・ワールドから飛び出して、どこまで自分ならではの音楽世界が提示できるかという挑戦だろう。アコースティック・ピアノではなくエレクトリック・キーボードを使ってオルガンや管楽器のアンサンブル的サウンドを出したり、モンクの音楽の大きな特長である独特の "リズム" を彼女なりに解釈、消化して、現代のリズムセクションとのコラボでどこまで新たな表現として拡張できるか、というのがおそらくテーマだったろう。その意味では非常に斬新な試みだったと思う。またこの日のライブは日本人のプレイヤーが相手だったが、発売したレコードでは米国のプレイヤー、8月末から国内で行なう予定のツアーでは別の女性リズムセクションを選んでいるようだ。それぞれのリズムセクションを相手に、どのような変化を見せながら、独自の表現世界をどう発展させてゆくのか非常に興味深く、また楽しみだ。 

ただし、新アルバムの予備知識はモンクということ以外まったく無しで行ったこと、また会場が紀尾井ホールということもあって、アコースティック・ピアノの演奏を期待していたので、ほとんどがエレクトリック・トリオの演奏だったのには少々面食らった。ライブの場合アコースティックでもエレクトリックでも私はあまり気にしないのだが、おそらくこのホールは音の響きが良すぎて(上品すぎて?)、ジャズ的ダイナミズムが薄まることと、また私にはエレクトリック楽器の音にどうしても残響がまとわりつく感じがした(2曲だけのアコースティック・トリオは音も演奏も素晴らしく、もっと聴いてみたかった)。エレクトリック・トリオの音はジャズクラブで聴けば、もっとジャズ的グルーヴがダイレクトに伝わってくるのだろう(予定しているツアーではクラブ中心のようだ)。しかしモンクファンとして言わせてもらえば、せっかく「Monk Studies」に取り組んだ以上、願わくはその第2弾として、アコースティック・バンドで、ホーンセクションを入れて(ビッグバンド的に)、モンクの世界を現代的解釈とアレンジで再構築する、という試みにもぜひ挑戦してもらいたい。そのフォーマットなら彼女のアレンジ能力もさらに生きるだろうし、モンクの音楽には、そうした挑戦を受け入れるだけの懐の深さと、発展可能性がまだまだあると思う。

それにしても小柄なのに超パワフルな演奏を聴くと、山中千尋はまさに秋吉敏子、大西順子に続く、スケールの大きな日本人女性ジャズ・ピアニストの星だ。アンコールで弾いた彼女の地元・桐生の<八木節>は初めて生で聴いたが、そのスピード感といい、スウィング感、力強さといい、最高だった。さすが上州女子だ。会場では新アルバムCDを販売していて、買えばコンサート後に山中千尋本人からサイン入りクリアファイルを手渡される(ただし握手は不可)という特典付きだったので、近くで顔を見てみたかったが、休憩時間のCD販売時も、コンサート後も、すごい行列(自分と同じような中高年おっさん群?)だったので、行列の嫌いな私はあきらめて帰った。