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2023/03/04

BRUTUS「JAZZ is POP !」を読む

雑誌「BRUTUS」3月1日号の特集「JAZZ is POP!」を読んだ。良くも悪くも、まさに現代のジャズシーンをそのまま表しているタイトルで、新進からベテランのミュージシャン、批評家など多彩なメンバーが現代のジャズとポップスの関係を語っている。私の近刊訳書『カンバセーション・イン・ジャズ』の監修・解説をお願いしたミュージシャン&批評家の大谷能生さんも、興味深い一文を寄稿している(「JAZZの100年を一気読み。」)。19世紀西洋絵画の歴史と対比するという独自の視点で、ジャズの総体と、現代の「ポップ化」に至る歴史的変遷とその意味・背景を解説しているが、この号のタイトルからすると、マクロな視座でジャズの変容を分かりやすく伝えるこの一文こそ「巻頭」に置くべき文章ではないかと思った(ジャズ誌ではないので、仕方ないか)。分野によらず、重箱の隅をつつくような細かな断片情報ばかりが目立つ現代日本で、こうした視点でジャズという音楽全体を俯瞰し、相対化できる批評家はもう少ないと思う。私の訳書の監修・解説をお願いしたのもそれが理由である。

1960年代にモードを手にして芸術の域に達し、一方、当時の政治状況を反映して難解さと抽象度を増したフリージャズで自己解体してしまったかのようなジャズが、その「反動」で、最初に「ポップ化(=大衆化)」したのは世の中が穏やかになった1970年代である。主導したのはもちろん60年代末のマイルス・デイヴィスの電化ジャズであり、その弟子筋のハービー・ハンコックのファンクや、チック・コリア、ウェザーリポートなど、ジャンルをミックスしたようなジャズが続々登場し、その後70年代半ばから「フュージョン」として本格的に大衆化した時期がそれだ。同じ頃デューク・エリントンが亡くなり、マイルスが一時引退し、モンクも引退し…という史実が象徴するように、それまで隆盛だった「モダン・ジャズ」は、ここでほぼ30年の進化の歴史を終える。しかし、この時点から80年代末までは、それまでの余韻とウィントン・マルサリスの登場などもあって、ポップ化したものの、まだ主がジャズであり従がポップス側という「イメージ」が世の中的にも成り立っていた。特に日本では、バブルに向かっていた好景気が、ジャズ=高級=大人の音楽という従来のイメージを支え、ジャズクラブの隆盛に見られたように、聴き手も音楽市場もそれをエンジョイしていたからだ。

Roy Hargrove
The Vibe (Novus, 1992)
しかし日本のバブル崩壊と時を同じくして、1990年前後にマイルス・デイヴィス、アート・ブレイキー、スタン・ゲッツなど、20世紀最後のジャズアイコンが相次いで消え、それと共にジャズとポップスが主客転倒してゆくのが90年代からである。ロイ・ハーグローヴという人は、ちょうどその端境期に登場したトランぺッターで、彼を見出したウィントン・マルサリスがモダン・ジャズに引導を渡し、どっぷりと古いジャズ側(博物館)に回帰して行ったのに対し、ハーグローヴはモダン・ジャズの香りをまだ残しつつ、重心はR&B、ヒップホップなど、既に21世紀のジャズ側に移行している非常にイキのいい斬新なアーティストだった。だから私にとって「20世紀最後のジャズマン」は、ロイ・ハーグローヴであり(もう一人はサックスのジェイムズ・カーターだった)、「ブルーノート東京」で90年代に見た、まだ20歳代のやんちゃなハーグローヴのライヴの記憶は、今思えば、あたかもモダン・ジャズの「フィナーレ」のようだった。現代のジャズを代表するアーティストの一人であるロバート・グラスパーと、そのハーグローヴの関係を今号の「BRUTUS」で知って、なるほど、と合点がいった。しかし、そのハーグローヴも2018年に49歳という若さであっさり亡くなってしまった。

現代は、20世紀のようにジャズが越境してポップス側を徐々に「侵食している」という構図ではなく(これは昔ながらのジャズ側からの視点だ)、資本の論理がより強まって、巨大化したビジネスになったポップス市場全体にジャズが呑み込まれ、その内部で攪拌され、希釈され、分解し、細かな「ジャズ粒子」となって拡散しながら、現代のポップス全体に溶け込みつつある、というイメージではないかと思う。20世紀はじめに音楽的進化をほぼ終えた西洋クラシック音楽が、完成されていた和声の基本体系を提供して、100年前にジャズの生みの親の一人になったわけだが、これを歴史的に見れば、ジャズとは「クラシックのポップ化」の一環として生まれた音楽だった、とも言えるだろう。近年のクラシック音楽のさらなるポップ化ぶりはすさまじいものがあるが、続いてその子供であるジャズもまったく同じ道を歩んでいるとも言える。21世紀における音楽のポップ化とは、ある意味で、現代資本主義が20世紀までの芸術を食いつぶす過程、すなわち20世紀までの純粋芸術解体プロセスの一環なのである。

amazonジャズ書籍の
独走ベストセラー本

「ジャズのポップ化」を牽引しているのは消費側(聴く側)だけではない。ジャズ誌「スイングジャーナル」が休刊して10年以上経つが、今やジャズ界で隆盛なのは「聴き手側」の情報誌よりも「演奏者側の本」で、ジャズ理論だけでなく、ギターを筆頭に、ピアノ、サックス、ドラムス、ベースなどの教則本、楽譜、奏法解説など、昔は考えられなかったほど多種多様な楽器別のジャズ誌や本が増殖している。この基調を形成し、それまでの「聴くだけ」のファンでなく、ジャズを「演る」ことの面白さに若者を目覚めさせたきっかけの一つが、出版物にまだ力があった15年ほど前、’00年代半ばの菊地成孔、大谷能生両氏による、ジャズの歴史と理論を「ジャズ演奏者側」の視点で初めて語った一連の著作(マイルス、バークリー、東大アイラ―本)にあることは間違いないだろう。その後2013年から連載が始まり、「BRUTUS」今号にも特別掲載されている、若き主人公がミュージシャンとして成長する姿を熱く描く、ジャズ系スポ根(?)漫画『ブルージャイアント』も、その流れを強めたことだろう。つまり、ジャズを演奏する側の数が昔に比べて圧倒的に増えたが、彼らは当然ながら聴く側の人でもあり、結果として、聴き手のジャズや楽理に関する知識も昔とは比べられないほど高度化しているということでもある。毎年日本各地で開催される「ジャズフェス」の数の多さには本当にびっくりするが、加えて、蕎麦屋やラーメン屋やファミレスやショッピングセンターで、BGMとして流れる「匿名ジャズ」が当たり前になったように、ジャズの音楽としての垣根も低くなり、日常生活の中で普通に聞こえてくる音楽になった。こうして感覚的にも、日本人全体のジャズ・リテラシーが大幅に高まって、ポップ化を加速しているのだろう。

今や何をもって「ジャズ」と呼ぶのかもはっきりしなくなり、そう呼ぶことにいったい意味があるのか、という疑問さえ湧いてくるのが現代の日本の音楽シーンだ。印象からすれば、「ジャズ」とも呼べるし「ポップス」とも呼べるような「ジャズっぽい音楽」が急増している、という表現がいちばんしっくりと来るが、それをジャズ目線で俯瞰的に見れば、常に時代と共に変容してゆくジャズという音楽の、「現時点の姿」にすぎないとも言える。とはいえ、たとえジャズそのものがどう変化しようと、聴き手側 も「同時に」変化してゆくのは困難なのだ。たとえば、20世紀半ばの「黄金期のモダン・ジャズ」(=ジャズという音楽の基本モデル)を同時代の音楽として聴きながら青春時代を送った人たちにとっては、それがデフォルトであり、「ジャズ」とは今でもその時代における意味、感覚、体験を喚起する具体的言語であり音楽なのだ。それ以前のスウィング・ジャズも、後のフュージョン世代もそこは同じだ。これは、「生きた時代」 が違うのだから仕方がない。音楽を聴くということはきわめて個人的な体験であり、いつの時代も、感受性がいちばん豊かな青年期に、いちばん感銘を受けた音楽は無意識のうちにその人の身体の奥深くまで浸透し、人は生涯それを忘れることができないからだ。それが音楽の持つ力であり、音楽と人間との関係というものだろう。つまり、音楽は「その時代の聴き手」を選ぶということである。

60歳、70歳になっても、現在進行形の新しい音楽に関心を持ち、それを鑑賞し批評できる感性を持ったスーパー中高年(&老人)も中にはいるだろうが、基本的に 「contemporary (同時代の)音楽」 の主役は常に若者であり、いつの時代も若者の感性だけが新たな魅力を持ったその時代のアートを 「発見」 してきたわけで、年寄りにはその能力も出番もないと思った方が賢明だろう。若者は今現在と未来に生き、先の短い年寄りが過去を振り返るのは人間として当たり前のことであり、世の中はそれがうまくバランスすることで健全さを維持してきた。だから、一時期のように(「ど・ジャズ」と呼んで過去の音楽をバカにしたり、反対に(「あんなモノはジャズじゃない」と言って)現代の音楽に価値を認めないといった、世代を対立させ分断するような不毛な議論ではなく、ジャズという、ひと繋がりの長く、深く、幅広い歴史を持った音楽を愛する聴き手として、互いに補完し合い棲み分けることが可能なのだ、という認識が大事だと思う。

「21世紀のポップス」とは、ある意味で、クラシックやジャズという近代芸術音楽の集大成ともいうべき要素と構造と技術から成る非常に「高度な音楽」であり、21世紀のポップスの聴衆も、それらを苦も無く楽しめるほどの音楽的感性とリテラシーを備えた人たちだと言うこともできるだろう。音楽を構成する素材とアイデアは、20世紀までに、もうあらかた出尽くした感があるので、たとえテクノロジー面での 「進化」 は続いても(AIやコンピュータが生み出す音楽なども含め)、21世紀の音楽そのものにあるのは 、 完成した部品の新たな組み合わせで得られる「変化ないし多様化」 だけではないだろうか(大谷さんは、それを「リ・デザイン」と呼んでいる)。伝統的に、外国からやって来たものを何でも取り込んで「日本化」 してしまうのが得意な我が国でも、現在のJ-POPの音楽的進化(作曲者、演奏者、聴衆)を見ていると、ジャズ側の延長線上というよりも、むしろ大衆音楽としての 「J-POPという総体」の中から、やがて日本独自の音楽とジャズが融合した、真の「J-JAZZ」と呼ぶべき新たな音楽ジャンルが生まれて来るのではないか、という予感さえする。今号の「BRUTUS」にはそれを感じさせる星野原さんも登場しているが、ジャズの技術や要素を自然に取り入れた近年のJ-POPのサウンド、それを演奏する一部アーティストの洗練ぶりは、まさに世界レベルだと思う。むしろJ-POPこそが、日本ジャズ独自の進化系だと思えるほどで、この音楽は21世紀の今後に向かってさらに進化してゆく可能性を秘めていると思う。

100年前にアフリカ、ヨーロッパ、カリブ海からの様々に異なる音楽的、文化的、社会的要素が混淆、融合して北米のニューオーリンズという場所で偶然生まれ、その後米国の発展と繁栄を背景に世界中へと拡散していった「 JAZZ と呼ばれてきた音楽」が持っている最大の特質は、やはり「雑種のDNA」なのだろう(つまり、この音楽はアメリカという国家そのものだ)。「ジャズは死んだ」と何べん宣告されても、どっこいどこかでしぶとく生き残っていく強靭さがその象徴なので、以前は「ゾンビ」 のような音楽だと思っていたが、最近はやはり「雑種」という出自が、その生命力の源なのだとあらためて思うようになった。アメリカ生まれのどんな音楽も、ある意味で雑種と言えるが、ジャズの持つ「雑種性」 はそのスケールと深度と多様性が違う。それゆえその本質が固定した枠組みに縛られず(自由)、一箇所、一ジャンルに留まらず(越境)、状況 に応じて自在に変化し、膨張を続ける(変容)――という類を見ない音楽になったのだろう。今や空気のように当たり前に存在し、時代に応じて変化し続けるこの音楽がこれからも「JAZZ/ジャズ」と呼ばれるのかどうかは分からない。しかし、20世紀に北米の一地方で起きた音楽上の化学反応と同様のことが、21世紀にはおそらく世界的規模で、地球上のどの地域でも起こり得る、あるいは既にそれが起きつつあるのは確かだと思う。その音楽が、名称はともかく、やがて「21世紀のジャズ」となるのだろう。

2022/12/08

訳書『カンバセーション・イン・ジャズ』出版

表題訳書『カンバセーション・イン・ジャズ / ラルフ・J・グリーソン対話集』(トビー・グリーソン編、小田中裕次訳、大谷能生監修・解説)が、リットーミュージックから来年1月に出版されます。

原書『The Ralph J. Gleason Interviews: Conversations in Jazz』(2016 Yale Univ. Press) は、20世紀米国の著名な音楽ジャーナリスト、ラルフ・J・グリーソン(1917 - 75)が、モダン・ジャズ全盛期の1959年から61年にかけて、サンフランシスコの自宅を訪れた当時の一流ジャズ・ミュージシャンたちと行なった私的インタビューの録音テープを元にした書籍です。1975年のグリーソンの死後、90年代になって自宅倉庫で見つかったテープの文字起こし作業を子息のトビー・グリーソン氏が手掛け、そこから選んだ計14名のミュージシャンとのインタビューを編集し、2016年にイェール大学出版局から書籍として初めて発表したもので、大部分が未発表の対談記録です。邦訳版の本書『カンバセーション・イン・ジャズ』は、原書からヴォーカリスト2名を除く12名を選び、編者による導入部分と、インタビューを書き起こしたテキスト全文を収載しています。昔のジャズファンなら誰でも知っている大物ミュージシャンばかりですが、現代の読者は必ずしもそうではないという時代背景を考慮し、各ミュージシャンの略歴およびインタビュー当時の代表的レコード情報を、参考資料として訳者が補足しています。

グリーソンが約2年の間に対談したのは以下のジャズ・ミュージシャンたちです。当時まだ20代半ばの新人だったクインシー・ジョーンズから、絶頂期のコルトレーンやビル・エヴァンス、グリーソンと同年齢で親しかったディジー・ガレスピー(当時41歳)、さらに61歳のレジェンド、デューク・エリントンまで、幅広い年齢層と多彩なミュージシャンで構成されています。

♦ジョン・コルトレーン ♦クインシー・ジョーンズ ♦ディジー・ガレスピー ♦ジョン・ルイス ♦ミルト・ジャクソン ♦パーシー・ヒース ♦コニー・ケイ ♦ソニー・ロリンズ ♦フィリー・ジョー・ジョーンズ ♦ビル・エヴァンス ♦ホレス・シルヴァー ♦デューク・エリントン

Ralph J. Gleason
1960年代にグリーソンが司会をしていたテレビ番組『Jazz Casual』出演時(1960年)のデューク・エリントンを除き、インタビューは全て、西海岸でのライヴやツアーの合間にバークレーのグリーソン邸を訪れたミュージシャンたちが、同家の居間でごくプライベートな環境で行なったものです。ジャズ黄金時代ならではの豪華メンバーに加え、リラックスした環境下で行なわれたフランクな対話であることが、本書のもう一つの価値です。マイルス・デイヴィスをはじめ、多くのアーティストから信頼されていたジャーナリストであり、インタビューの名手でもあったグリーソンの的確で簡潔な質問に対して、本音で語るジャズ・ミュージシャンたちの肉声を捉えている点が、大幅な編集をしがちな雑誌や新聞に掲載されたインタビュー記事との大きな違いです。中でも、インパルス移籍直後のジョン・コルトレーン、ウィリアムズバーグ橋への隠遁事件直前のソニー・ロリンズ、ビジネス的野心に燃える若きクインシー・ジョーンズ、黄金トリオ結成後間もないビル・エヴァンス、新機軸のジャズ・カルテットを成功裡に運営していたジョン・ルイス他MJQ全員のインタビューはきわめて貴重であると共に、当時の彼らの本音や悩みが率直に語られており、ジャズ史的興味が尽きません。

ラルフ・J・グリーソンは、セロニアス・モンク、ディジー・ガレスピーと同年の1917年(大正6年)、ニューヨーク市生まれのジャズ、ロック、ポピュラー音楽批評家です。1930年代、コロンビア大学在学中に米国初となるジャズ批評誌を創刊し、第二次大戦後は「サンフランシスコ・クロニクル」紙の専属コラムニストとして活動。ナット・ヘントフ Nat Hentoff と並ぶ20世紀米国を代表する音楽ジャーナリストとして、サンフランシスコを拠点に西海岸ポピュラー音楽の潮流を主導しただけでなく、ヘントフと同じく、その批評対象は音楽を超えて政治、社会、文化の領域にまで及んでいました。また「ダウンビート」誌の副編集長兼批評家(1948-60)として同誌の他、「ニューヨーク・タイムズ」紙、「ガーディアン」紙等、多数の主要メディアにも寄稿し、フランク・シナトラ、マイルス・デイヴィス、ボブ・ディラン、サイモンとガーファンクルなど、ジャズとポピュラー音楽界の当時の大スターたちへのインタビューや、主要レコードのライナーノーツ執筆も数多く手がけています。さらにジャズだけでなく、西海岸を中心にしたロック分野にも深く関わり、60年代後半からはジェファーソン・エアプレイン、グレイトフル・デッドなどの西海岸ロックバンドを評価、支持し、1967年には音楽雑誌「ローリングストーン」を共同創刊するなど、ロック批評の分野でも活躍していました。

グリーソンはまた、カリフォルニア州モントレーで現在も開催している「モントレー・ジャズ・フェスティバル」の創設 (1958)、テレビ番組『Jazz Casual』(SF/KQED公共放送)の司会(1960-68)、ディジー・ガレスピーの大統領選出馬応援(1964)、デューク・エリントンのドキュメンタリー映画の制作 (1968) など、多面的な活動で20世紀米国文化の根幹としてのジャズ、ポピュラー音楽の価値を語り、ミュージシャンたちを支援し続けました。没後の1990年には、グリーソンの功績を讃えて、ポピュラー音楽に関する優れた「音楽書」に授与される ”The Ralph J. Gleason Music Book Award" が創設されました。21世紀に入ってから途切れていた同賞が、今年(2022年)米国「ロックの殿堂」(Rock & Roll Hall of Fame)、ニューヨーク大学他の共催で、20年ぶりに復活し、2022年度の同賞には『Liner Notes for the Revolution: The Intellectual Life of Black Feminist Sound』(Daphne A. Brooks)が選ばれています。
100年を超える歴史を持つ音楽ジャズを生んだ米国は、ジャーナリズムの国でもあり、ジャズも演奏記録とその批評に加えて、メディアやジャーナリストによるジャズ・ミュージシャンへの「直接インタビュー」を通して、その歴史が記録されてきた音楽です。そこが、輸入音楽としてレコードの鑑賞と録音情報を中心にしてジャズの歴史が築かれてきた日本との違いです。複数のジャズ音楽家と複数のインタビュアーの組み合わせによるアンソロジー形式のインタビュー本は過去に何冊か出版されており、一人の音楽家だけを対象にした本も、マイルス・デイヴィスの自叙伝や私が訳したリー・コニッツ、 スティーヴ・レイシーをはじめ、これまでに何冊か書かれています。しかし「複数の」ジャズ・ミュージシャンを対象に、同時代を生きていた「単独の」人物がインタビューする形式の対談をまとめた本は少なく、ジャズ史的にも貴重です。なぜなら、これによって各音楽家が語る個人的体験や思想だけでなく、その背景となるインタビュー当時のジャズシーン全体が、一人のインタビュアーの固定された視点を通してフォーカスされ、より明瞭に浮かび上がってくるからです。本書は、公民権運動の高まり、ベトナム戦争本格参戦、ロックやポピュラー音楽の爆発的膨張、フリー・ジャズの発展等、激動の1960年代が始まろうとしていた米国で、モダン・ジャズ黄金時代を生きていたミュージシャンたちが見ていた当時のジャズシーンと彼らのジャズ観を、一流の音楽ジャーナリストが鋭く切り取った貴重な歴史ドキュメントとも言えます。

ジャズと米国の歴史は切っても切れない関係にありますが、ジャズレコード、特にすぐれた「ライヴ録音」は、時としてタイムカプセルを開けたときのような驚きと感動を聴き手に与えることがあります。古いインタビュー記録である本書から感じるのも、まさしく同種の新鮮さと驚きであり、60年という歳月を飛び越えて、モダン・ジャズ全盛期のアーティストの肉声と時代の空気が生々しく伝わってきます。そして本書のインタビュー全体を通読することで、1930年代のスウィング時代のビッグバンドから、第2次大戦後のビバップを経て、1950年代のスモール・コンボ中心のモダン・ジャズ時代へと移り変わるジャズ史の流れが、各ミュージシャンの個人史、人間関係、体験談等を通じてリアルに浮かび上がって来ます。

ジャズはまたミュージシャン個人の哲学や思想、感情を「話し言葉」のように楽器の「サウンド」を通じて表現する音楽芸術です。インタビューは逆に、そのサウンド表現に代わって、彼らが文字通り「自分の言葉」で音楽家としての思想を直接的に表現する場です。ミュージシャンの人格や哲学と、彼らの演奏表現のダイレクトな関係にこそジャズの魅力と真実があると考えている私のようなジャズ好きにとっては、この「言語とサウンド」の関係、すなわち各ミュージシャンの音楽的個性と、その背後にある人間性が、彼らの具体的な「言葉」を通して、どのインタビューからもはっきりと伝わってくるところが本書のもう一つの魅力と言えます(どこまでそのニュアンスを翻訳で伝えられたかは分かりませんが)。半世紀以上前の古い記録ですが、本書にはジャズという音楽と、ジャズを演奏するミュージシャンたちをより深く理解し、楽しむためのヒントがたくさん散りばめられていると思います。

その古い記録を、21世紀の今ごろになって翻訳出版するのには理由があります。本書を起点にして、その後20世紀後半に米国で出版されたジャズ・ミュージシャンへの同形式のインタビュー書を何冊か選び、それらをシリーズ化して翻訳出版することを企画しています。ただし私のようなオールドジャズファンの回顧に偏ることなく、ジャズ史的考察と音楽的な背景を、専門家の視点で客観的に分析・検証していただくために、プロの音楽家かつ批評家であり世代的にも若い大谷能生さんに、「Jazz Interviews Vol.1」と題した本書を含めたシリーズ全体の監修と解説をお願いしています。それらのジャズ・インタビュー本を年代順にシリーズ化して翻訳出版することによって、これまである意味で偏っていたり、あるいは曖昧な印象が強かった「20世紀後半のジャズ史」を、ジャズ・ミュージシャンたちの肉声で内部から辿る(日本語の)「オーラル・ヒストリー」として、よりリアルに描いてみたいと考えています。

今後の翻訳対象書籍は既に何冊か選定していますが、現在の出版界の状況から、この企画を実現するにはジャズファンからの強いご支持が必要と思います。本書への感想、あるいは今後の企画に対するご要望、ご提案等をお持ちの方は、リットーミュージック宛、もしくは本ブログ「Contact」を通じて、小田中裕次宛に直接ご意見をお聞かせいただくようお願いいたします。

2020/10/25

訳書『スティーヴ・レイシーとの対話』出版

表題邦訳書が10月末に月曜社から出版されます。

20世紀に生まれ、100歳を越えた音楽ジャズの歴史は、これまでに様々な視点や切り口で描かれ、もはや語り尽くされた感があります。しかし「即興 (improvisation)」 こそが音楽上の生命線であるジャズは、つまるところ、限られた数の優れた能力と個性を持つ「個人」が実質的に先導し、進化させてきた音楽です。こうした見方からすると、ジャズ史とは、ある意味でそれらのジャズ・ミュージシャンの「個人史」の総体であると言うこともできます。大部分がミュージシャン固有の知られざる実体験の集積である個人史は、その人の人生で実際に起きたことであり、ジャズの巨人と呼ばれた人たちに限らず、多くのジャズ・ミュージシャンの人生には、これまで語られたことのない逸話がまだ数限りなくあります。そこから伝わって来るのは、抽象的な、いわゆるジャズ史からは決して見えてこない事実と、時代を超えて現代の我々にも響く、普遍的な意味と価値を持つ物語やメッセージです。変容を続けた20世紀後半のジャズの世界を生き抜いた一人の音楽家に対して、半世紀にわたって断続的に行なわれたインタビューだけで構成した本書は、まさにそうした物語の一つと言えます。

スティーヴ・レイシー (Steve Lacy 1934-2004) は、スウィング・ジャズ時代以降ほとんど忘れられていた楽器、「ソプラノサックス」をモダン・ジャズ史上初めて取り上げ、生涯ソプラノサックスだけを演奏し続けたサックス奏者 / 作曲家です。また「自由と革新」こそがジャズの本質であるという音楽哲学を生涯貫き、常に未踏の領域を切り拓くことに挑戦し続けたジャズ音楽家でもあります。1950年代半ば、モダン・ジャズが既に全盛期を迎えていた時代にデビューしたレイシーは、ジャズを巡る大きな時代の波の中で苦闘します。そして1965年に30歳で故郷ニューヨークを捨ててヨーロッパへと向かい、その後1970年から2002年に帰国するまで、33年間パリに住んで音楽活動を続けました。本書は、そのスティーヴ・レイシーが米国、フランス、イギリス、カナダ他の音楽誌や芸術誌等で、1959年から2004年に亡くなるまでの45年間に受けた34編のインタビューを選び、それらを年代順に配列することによって、レイシーが歩んだジャズ人生の足跡を辿りつつ、その音楽思想と人物像を明らかにしようとしたユニークな書籍です。本書の核となるPART1は、不屈の音楽哲学と音楽家魂を語るレイシーの名言が散りばめられた34編の対話集、PART2は、ほとんどが未発表のレイシー自筆の短いノート13編、PART3には3曲の自作曲楽譜、また巻末には厳選ディスコグラフィも収載されており、文字通りスティーヴ・レイシーの音楽人生の集大成と言うべき本となっています。

原書は『Steve Lacy; Conversations』(2006 Duke University Press) で、パリから帰国してボストンのニューイングランド音楽院で教職に就いたレイシーが2004年に亡くなった後、ジェイソン・ワイス Jason Weiss が編纂して米国で出版した本です。編者であるワイスは、1980年代初めから10年間パリで暮らし、当時レイシーとも親しく交流していたラテンアメリカ文学やフリー・ジャズに詳しい米国人作家、翻訳家です。本書中の何編かの記事のインタビュアーでもあり、また全体の半数がフランス語で行なわれたインタビュー記事の仏英翻訳も行なっています。「編者まえがき」に加え、各インタビューには、レイシーのその当時の音楽活動を要約したワイス執筆の導入部があり、全体として一種のレイシー伝記として読むことができます。

一人のジャズ・ミュージシャンの生涯を、ほぼ「インタビュー」だけで構成するという形式の書籍は、知る限り、私が訳した『リー・コニッツ』だけのようです。しかしそれも、数年間にわたって一人の著者が、「一対一の対話で」集中的に聞き取ったことを書き起こしたもので、本の形式は違いますがマイルス・デイヴィスの自叙伝もそこは同じです。それに対し本書がユニークなのは、45年もの長期間にわたって断続的に行なわれたインタビュー記事だけで構成していることに加え、インタビュアーがほぼ毎回異なり、媒体や属する分野、職種が多岐にわたり(ジャズ誌、芸術誌、作家、詩人、音楽家、彫刻家…他)、しかも国籍も多様であるところです。このインタビュアー側の多彩な構成そのものが、結果的にスティーヴ・レイシーという類例のないジャズ音楽家を象徴しており、それによって本書では、レイシーの人物とその思想を様々な角度から探り、多面的に掘り下げることが可能となったと言えます。ただし、それには聞き手はもちろんのこと、インタビューの受け手の資質も重要であり、その音楽哲学と並んで、レイシーが鋭敏な知性と感性、さらに高い言語能力を備えたミュージシャンであることが、本書の価値と魅力を一層高めています。

本書のもう一つの魅力は、レイシーとセロニアス・モンクとの音楽上の関係が具体的に描かれていることです。モンクの音楽を誰よりも深く研究し、その真価を理解し、生涯モンク作品を演奏し続け、それらを世に知らしめた唯一の「ジャズ・ミュージシャン」がスティーヴ・レイシーです。私の訳書『セロニアス・モンク』(ロビン・ケリー)は、モンク本人を主人公として彼の人生を描いた初の詳細な伝記であり、『パノニカ』(ハナ・ロスチャイルド)では、パトロンとしてモンクに半生を捧げ、彼を支え続けたニカ男爵夫人の生涯と、彼女の視点から見たモンク像が描かれています。そして本書にあるのが三番目の視点――モンクに私淑して師を身近に見ながら、その音楽と、音楽家としての真の姿を捉えていたジャズ・ミュージシャン――というモンク像を描くもう一つの視点です。レイシーのこの「三番目の視点」が加わることで、謎多き音楽家、人物としてのモンク像がもっと立体的に見えて来るのではないか、という期待がありました。そしてその期待通り、本書ではレイシーがかなりの回数、具体的にモンクの音楽と哲学について語っており、モンクの楽曲構造の分析とその裏付けとなるレイシーの体験、レイシー自身の演奏と作曲に与えたモンクの影響も明らかにされています。ニューヨークのジャズクラブ「ファイブ・スポット」と「ジャズ・ギャラリー」を舞台にした、ニカ夫人とモンク、レイシーの逸話、またソプラノサックスを巡るレイシーとジョン・コルトレーンの関係など、1950年代後半から60年代初頭にかけてのジャズシーンをリアルに彷彿とさせるジャズ史的に貴重な逸話も語られています。そして何より、モンクについて語るレイシーの言葉には常に温かみがあり、レイシーがいかにモンクを敬愛していたのかが読んでいてよく分かります。

本書で描かれているのは、ジャズの伝統を継承しつつ、常にジャズそのものを乗り越えて新たな世界へ向かおうとしたスティーヴ・レイシーの音楽の旅路と、その挑戦を支えた音楽哲学です。20世紀後半、世界とジャズが変容する中で苦闘し、そこで生き抜いたレイシーの音楽形成の足跡と、独自の思想、哲学が生まれた背景が様々な角度から語られています。レイシーが生来、音楽だけでなく写真、絵画、演劇などの視覚芸術、文学作品や詩など言語芸術への深い関心と知識を有するきわめて知的な人物であったこと、それら異分野芸術と自らの音楽をミックスすることに常に関心を持ち続けていた音楽家であったことも分かります。後年のレイシー作品や演奏の中に徐々に反映されゆくそうした関心や嗜好の源は、レイシーにとってのジャズ原体験だったデューク・エリントンに加え、セシル・テイラー、ギル・エヴァンス、セロニアス・モンクという、レイシーにとってモダン・ジャズのメンターとなった3人の巨匠たちで、彼らとの前半生での邂逅と交流が、その後のレイシーの音楽形成に決定的な影響を与えます。

さらにマル・ウォルドロン、ドン・チェリー、ラズウェル・ラッドなど初期フリー・ジャズ時代からの盟友たち、テキストと声というレイシー作品にとって重要な要素を提供した妻イレーヌ・エイビ、フリー・コンセプトを共同で追求したヨーロッパのフリー・ジャズ・ミュージシャンや現代音楽家たち、テキストやダンスをミックスした芸術歌曲(art song)や文芸ジャズ(lit-jazz) を共作したブライオン・ガイシン他の20世紀の詩人たち、ジュディス・マリナや大門四郎等の俳優・ダンサーたち、富樫雅彦や吉沢元治のような日本人前衛ミュージシャン――等々、スティーヴ・レイシーが単なるジャズ即興演奏家ではなく、芸術上、地理上のあらゆる境界線を越えて様々なアーティストたちと交流し、常にそこで得られたインスピレーションと人的関係を基盤にしながら、独自の芸術を形成してゆく多面的な音楽家だったこともよく分かります。

翻訳に際しては、いつも通り、原文の意味が曖昧に思える箇所は著者にメールで質問して確認しています。ワイス氏によれば、本書は英語版原書と今回の日本語版の他は、数年前にイタリア語版が出版されただけで、オリジナル記事の半数がフランス語のインタビューであるにもかかわらず、フランス語版は出ていないそうです(イタリアのおおらかさと、フランス国内で芸術活動をする《アメリカ人》に対するフランス的反応のニュアンスの対比は、本書中のレイシーの発言からも想像できます)。

なお、この本はレイシーの音楽人生と思想に加え、フリー・ジャズを含めた曲の構造とインプロヴィゼーションの関係、またソプラノサックスとその演奏技術に関するレイシーの哲学や信念など、ジャズに関わる専門的なトピックもかなり具体的に語られています。そこで今回は、サックス奏者で批評家でもある大谷能生さんに、プロのミュージシャンの視点から、レイシーとその音楽に関する分析と考察を別途寄稿していただくことにしました。タイトルは『「レイシー・ミュージック」の複層性』です。どうぞ、こちらもお楽しみに。

(*) 月曜社のHP/ブログもご参照ください。https://urag.exblog.jp/240584499/

2017/05/18

菊地成孔、高内春彦の本を読む

菊地成孔と高内春彦は2人ともジャズ・ミュージシャンだが、片や山下洋輔のグループで実質的なプロ活動を始め、以来日本での活動が中心のサックス奏者兼文筆家、片やアメリカ生活の長いギタリスト兼作曲家というキャリアの違いがある。今回読んだ菊地氏の本は2015年の末に出版されているので既に大分時間が経っているが、最近(4月)、高内氏の書いたジャズ本が出たこともあって、2人のジャズ・ミュージシャンが書いた2冊の本を続けて読んでみた。これはまったくの個人的興味である。共通点はジャズ・ミュージシャンが書いた本ということだけだ。本のテーマもまるで違うし、文筆も主要な仕事の一つとしてマルチに活動している人と、ジャズ・ミュージシャン一筋の人という違いもあるので、本の出来云々を比較するつもりはなく、以下に書いたのはあくまで読後の個人的感想だということをお断りしておきたい。

高内氏はジャズ・ギター教則本は何冊か書いているようだが、これまで本格的な著作はなく、この本「VOICE OF BLUE -Real History of Jazz-舞台上で繰り広げられた真実のジャズ史をたどる旅」(長いタイトルだ…)が初めてのようだ。80年代初めの渡米以降アメリカ生活が長く、それに本人よりも女優の奥さんの方が有名人なので、いろいろ苦労もあったことだろう。しかし、なんというか、自然体というのか、のんびりしているというのか、構えない人柄や生き方(おそらく)が、この本全体から滲み出ているように感じた。私が知っていることもあれば、初めて知ったこともあり、特に1970年代以降のアメリカのジャズ現場の話は、これまであまり読んだことがなかったので参考になる部分も多かった。ただ英語表現(カタカナ)がどうしても多くなるのと、カジュアルな言い回しを折り混ぜた文体は、肩肘張らずに読める一方で、どこか散漫な印象も受ける。歴史、楽器、民族など博学な知識が本のあちこちで披露されていることもあって何となく集中できないとも言える。モードの解析や、ギタリストらしい曲やコード分析など収載楽譜類も多いが、これらはやはりジャズを学習している人や音楽知識のある人たちでないと理解するのが難しいだろう。一方、デューク・エリントンを本流とするアメリカのジャズ史分析や、ジャズの捉え方、NYのジャズシーンの実状、新旧ミュージシャン仲間との交流に関する逸話などは、著者ならではの体験と情報で、私のようなド素人にも面白く読めた。伝記類を別にすれば、こうしたアメリカでの個人的実体験と視点を基にしてジャズを語った日本人ミュージシャンの本というのはこれまでなかったように思う。ただし全体として構造的なもの、体系的な流れのようなものが希薄なので、あちこちで書いたエッセイを集めた本のような趣がある。また常に全体を冷静に見渡している、というジャズ・ギタリスト兼作曲家という職業特有の視点が濃厚で、技術や音楽に関する知識と分析は幅広く豊富だが、逆に言えば広く浅く、あっさりし過ぎていて、ジャズという音楽の持つ独特の深み、面白味があまり伝わって来ない。たぶん一般ジャズファン対象というよりも、ジャズ教則本には書ききれない音楽としてのジャズの歴史や背景をジャズ学習者にもっと知ってもらおう、という啓蒙書的性格の本として書かれたものなのだろう。ただしジャズへの愛情、構えずに自分の音楽を目指すことの大事さ、という著者の思想と姿勢は伝わってきた。

一方の「レクイエムの名手 菊地成孔追悼文集」は文筆家としての菊地成孔が書いたもので、ジャズそのものを語った本ではない。クールな高内氏と対照的に、こちらは独特のテンションを持った語り口の本だ。これまでに私が読んだ菊地氏の本は、10年ほど前の大谷能生氏との共著であるジャズ関連の一連の著作だけだが、これらは楽理だけではなく、ジャズ史と、人と、音楽芸術としてのジャズを包括的に捉え、それを従来のような聴き手や批評家ではなく、ミュージシャンの視点で描いた点で画期的な本だと思うし、読み物としてもユニークで面白かった。これらの本格的ジャズ本と、ネット上で菊地氏が書いたものをほんの一部読んできただけなので、この本「レクイエムの名手」は私にとっては予想外に新鮮だった(彼のファンからすれば何を今更だろうが)。個人的接点の有無は問わず、親族から友人、有名人まで、「この世から失われた人(やモノ)」を10年以上にわたって個別に追悼してきたそれぞれの文章は、各種メディアに掲載したりラジオで語ってきたものだ。それらをまとめた本のタイトルを、原案の(自称)「死神」あらため「追悼文集」にしたという不謹慎だが思わず笑ってしまうイントロで始まり、エンディングを、死なないはずだったのに本の完成間近に亡くなったもう一人の「死神」、尊敬する相倉久人氏との「死神」対談で締めくくっている。私のまったく知らない人物の話(テーマ)も出て来るのだが、読んでいるとそういう知識はあまり関係なく、彼の語り口(インプロヴィゼーション)を楽しめばいいのだと徐々に思えてくる。音楽を聞くのと一緒で、その虚実入り混じったような、饒舌で、だが哲学的でもあり、かつ情動的な語り口に感応し楽しむ人も、そうでない人もいるだろう。中には独特の修辞や文体に抵抗を感じる人もいるかもしれないが、現代的で、鋭敏な知性と感性を持った独創的な書き手だと私は思う。

年齢を重ねると、周囲の人間が徐々にこの世を去り、時には毎月のように訃報を聞くこともあるので、死に対する感受性も若い時とは違ってくる。自分に残された時間さえも少なくなってくると、亡くなった人に対する「追悼」も切実さが徐々に薄まり、自分のことも含めて客観的にその人の人生を振り返るというある種乾いた意識が強くなる。これは人間として当然のことだと思う(だが若くして逝ってしまった人への感情はそれとは別だ)。そういう年齢の人間がこの本から受ける読後感を一言で言えば、「泣き笑い」の世界だろうか。泣けるのにおかしい、泣けるけど明るいという、「生き死に」に常についてまわる、ある種相反する不可思議な人情の機微を著者独特の文体で語っている。文章全体がジャズマン的諧謔と美意識に満ちていて、しみじみした項もあれば笑える箇所もあるが、そこには常に「やさぐれもの」に特有の悲哀への感性と、対象への深い人間愛を感じる。独特の句読点の使い方は、文中に挿入すると流れを損なう「xxx」の代替のようでもあり、彼の演奏時のリズム(休止やフィル)、つまりは自身の身体のリズムに文章をシンクロさせたもののようにも思える。カッコの多用も、解説や、過剰とも言える表現意欲の表れという側面の他に、演奏中に主メロディの裏で挿入するカウンターメロディのようにも読める(文脈上も、リズム上も、表現者としてそこに挿入せずにはいられない類のもの)。文章の底を流れ続けるリズムのために、文全体が前へ前へと駆り立てるようなドライブ感を持っているので、先を読まずにいられなくなる。「追悼」をメインテーマに、菊地成孔がインプロヴァイズする様々なセッションを聴いている、というのがいちばん率直な印象だ。そしてどのセッションも楽しめた。

特に印象に残ったのは、氏の愛してやまないクレージー・キャッツの面々やザ・ピーナッツの伊藤エミ、浅川マキ、忌野清志郎、加藤和彦など、やはり自分と同時代を生きたよく知っているミュージシャンの項だ。私は早逝したサックス奏者・武田和命 (1939-1989) が、一時引退後に山下洋輔トリオ(国仲勝男-b、森山威男-ds)に加わって復帰し、カルテット吹き込んだバラード集「ジェントル・ノヴェンバー」(1979 新星堂)を、日本のジャズが生んだ最高のアルバムの1枚だと思っている。このアルバムから聞こえてくる譬えようのない「哀感」は、絶対に日本人プレイヤーにしか表現できない世界だ。どれも素晴らしい演奏だが、冒頭のタッド・ダメロンの名曲<ソウルトレーン SoulTrane>を、「Mating Call」(1956 Prestige) における50年代コルトレーンの名演と聞き比べると、それがよくわかる。哀しみや嘆きの感情はどの国の人間であろうと変わらないはずだが、その表わし方はやはり民族や文化によって異なる。山下洋輔の弾く優しく友情に満ちたピアノ(これも日本的美に溢れている)をバックに、日本人にしか表せない哀感を、ジャズというフォーマットの中で武田和命が見事に描いている。菊地氏のこの本から聞こえてくるのも、同じ種類の「哀感」のように私には思える。それを日本的「ブルース」と呼んでもいいのだろう。彼のジャズ界への実質的デビューが、1989年に亡くなった武田和命を追悼する山下洋輔とのデュオ・セッションだった、という話をこの本で初めて知って深く感じるものがあった。会ったことも生で聴いたこともないのだが、山下氏や明田川氏などが語る武田氏にまつわるエピソードを読んだりすると、武田和命こそまさに愛すべき「ジャズな人」だったのだろうと私は想像している。時代とタイプは違うが、本書を読む限り、おそらく菊地成孔もまた真正の日本的「ジャズな人」の一人なのだろう。その現代の「ジャズな人」が、昔日の「ジャズな人」を追悼する本書の一節は、それゆえ実に味わい深かった。 

2人のジャズ・ミュージシャンが書いた本は両書とも楽しく読めた。また2人とも心からジャズを愛し生きて来たことがよくわかる。だが高内氏の本はジャズを語った本なのだが、私にはそこからジャズがあまり聞こえてこない。一方菊地氏の本はジャズそのものを語った本ではないが、私にはどこからともなくずっとジャズが聞こえてくる。もちろん私個人のジャズ観や波長と関係していることだとは思うが、この違いはそもそも本のテーマが違うからなのか、文章や文体から来るものなのか、著者の生き方や音楽思想から来るものなのか、あるいは日本とアメリカという、ジャズを捉える環境や文化の違いが影響しているのか、判然としない。年齢は1954年生まれの高内氏が菊地氏より10歳近く年長だ。1970年代半ばの若き日に、フュージョン(氏の説明ではコンテンポラリー)全盛時代の本場アメリカで洗礼を受け、以来ほぼその国を中心に活動してきたギタリストと、バブル時代、実質的にジャズが瀕死の状態にあった80年代の日本で同じく20歳代を生きたサックス奏者…という、演奏する楽器や、プロ奏者としてのジャズ原体験の違いが影響しているのか、それとも単に個人の資質の問題なのか、そこのところは私にもよくわからない。

2017/03/05

ジャズを「読む」(2)

ジャズは「演る」か「聴く」もので、「読む」もんじゃない…としたり顔で言う人も昔いたが、そこはどうなんだろうか?

今や誰でも普通に音楽を聞いて楽しんでいるが、一般的に言えば、そこで普通に聞いて(hear)楽しんで終わる人(大多数)と、「なぜこう楽しいのか?」と、じっと聴いて(listen)ある種の疑問を持つ人(少数)に分かれるように思う。疑問を持った人は、その疑問、すなわち音楽の中身や、演奏する人間に普通は興味を持つ。そこから音楽の分析に走る人もいれば(楽器を「演る」人になる可能性が高い)、背景を知ろうと、演奏する人物やグループを詳しく知ろうと調べたがる人もいる(もっぱら「聴く」人になる)。そして「語る」人もそこから出てくる。音楽について書かれたものを「読む」という行為はおそらくこの両者に共通で、彼らにとってはその過程も音楽の「楽」しみの一部なのだ。

何せ、ジャズを含めて楽器演奏による「音楽」という抽象芸術そのものには本来意味がないのだから、感覚的な快楽に加えて、その意味を自由に(勝手に)想像したり、探ることに楽しみを覚える「聴く」人も当然いる。だからその対象が複雑であれば複雑なほど、分からなければ分からないほど、興味を深め(燃え)、それについて語りたがる人も中には当然いる。ジャズを「演る」人たちも、実は大抵はお喋りで「語る」人たちだということを知ったのは、ジャズを聴き出してかなり経ってからのことだった。マイルス、モンク、コルトレーンなどモダン・ジャズの大物のイメージからすると、ジャズメンはみな寡黙な人たちだと思い込んでいたのだ(この3人は実際に寡黙だったようだ)。よくは分からないが、彼らがよく喋り、「語る」のは、やはり自分の演奏だけでは言い足りないものをどこかで補いたいという潜在的欲求を、表現者として常々感じているからではないか、という気がする。ただ、饒舌な人のジャズはやはり一般に饒舌で、そこはジャズという音楽の本質が良く表れていると思う。

文芸春秋・文庫
(初版2005年)
ところで「歌」というのは、音楽の要素「メロディ」や「リズム」という抽象的なものを「言語」と組み合わせることによって、具体的世界を提示するものだ(人類史的には逆で、たぶん歌が先だったのだろうが)。だがその瞬間、抽象的な音の羅列だったものが、明瞭な「意味」を持つ言語によってある世界を形成し、聞く人はその世界が持つ意味の内部に捉われ、外部へと向かう自由な想像は閉ざされる。しかし、それは何よりも分かりやすいので、音響的快感とともに容易に人の心をつかむことができる。抽象的な音を具体的世界の提示に変換しているからである。宗教音楽から始まり、民俗音楽、ブルース、ロック、ポップス、日本の演歌、歌謡曲、フォーク…歌詞を持つ音楽はすべて同じだ。

ビバップに始まるモダン・ジャズという音楽は、ある意味でこの道筋を逆行したものだと言える。つまり祭りや儀式、教会、ダンス場や、飲み屋など、人が集まるような場所で歌われ、演奏され、共有されていた具体的でわかりやすい歌やメロディを、楽器だけの演奏によってどんどん抽象化し、元々のメロディの背後にハーモニーを加え、それを規則性を持ったコード進行で構造化し、それをさらに代理和音で複雑化し、速度を上げ、全体を即興による「分かりにくい」音符だけの世界に変換し、さらに行き着くところまで抽象化を進めた結果袋小路に陥り、ついには構造を解体してしまった。この過程は一言で言えば、既成のものからの「開放の希求」と「想像する精神」が生んだものと言えるだろう。だが考えてみれば何百年ものクラシック音楽の歴史の道筋も要は同じであり、20世紀にその西洋音楽を片親として生まれたジャズは、たった数十年の間に、この道筋を目まぐるしい時代の変化と共に「高速で」極限まで歩んだということだろう。ジャズがクラシック音楽と大きく異なり、音楽上の重要なアイデンティティの一つと言えるのは、抽象的な即興演奏と言えども、演奏者個人の人格や、個性や、思想が強烈に現れることだ。ラーメン屋で流れるジャズを聞いて、これは誰が、いつ、誰と演奏したレコードだ、とブラインドフォールド・テストのようにオールド・ジャズファンが瞬時に反応してしまうのもそれが理由だ。だから顔の見えない(voiceの聞こえてこない)ジャズ、誰が演奏しているのかわからないジャズは、ジャズ風ではあってもジャズではない。「やさしい、分かりやすいジャズ」であっても、顔がよく見える(voiceがよく聞こえてくる)ジャズはジャズである……という具合に、ジャズを「語る」人もめっきりいなくなってしまった。

新潮社 2014年
粟村政明、植草甚一、油井正一、相倉久人、平岡正明、中上健次のような批評家や文人たちが大いにジャズを語った後、ジャズ喫茶店主の皆さんが語った本が続き、山下洋輔氏のような「演る」人も語り、中山康樹氏のようなライターがマイルスを語り……一時は随分多くのジャズ本が出版されて私もほとんど読んでいたと思う。今は初心者向けジャズ入門書やレコード紹介本、楽理分析を主体としたジャズ教則本とジャズ演奏技法、そしてお馴染みのマイルス本ばかりになった。最近、唯一目立つのは、時代状況を反映して、過去を振り返り日本ジャズ史を「語る」作業だ。もはや古典となったモダン・ジャズの歴史と原点を射程に入れつつ「語った」骨のある近年のジャズ書は、私が知る限り菊地成孔、大谷能生両氏が(二人とも「演る」人だ)書いた一連の著作だけだが、それすらもう10年以上の年月が過ぎてしまった。そしてもう一人は、従来からコンスタントに翻訳によってジャズの世界を伝え、近年もジェフ・ダイヤーの短編小説集「バット・ビューティフル」(2011年)、モンクについてのエッセイや論稿からなる翻訳アンソロジー(2014年)など、相変わらずジャズへの愛情を持ち続けている村上春樹氏である。「読む」人にとっては寂しい限りだが、音楽があまりに身近になってモノと同じく消費され(リスペクトされなくなり)、昔のように音楽書が売れない、ジャズ書などさらに売れない、ジャズを「読む」人も減った(それどころか普通の本も読まなくなった)、だから出版社も青息吐息、という状態では書籍上で語りたくとも語れない、という人も実際は多いのだろう。 (続く)