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2018/02/22

The Jazz Guitar : ウェス・モンゴメリー

ギターは楽器として手軽なこともあって、今では世界中どこでも誰でも弾くようになった大衆的楽器だ。日本でも演歌から始まり、フォーク、ロック、ジャズどんな音楽でも演奏でき、伴奏もできる。しかし、その手軽で、柔軟で、融通性の良いところが、逆に「奏者としての個性」を出すのが意外に難しい楽器にしている。アコースティック・ギターはまだその個性が出しやすいのだが、モダン・ジャズの場合は何せ音量を上げるために電気を通して音を増幅するという、他のジャズ楽器にはなかったひと手間がかかり、しかも当時は、出て来るサウンドを現代のように様々に加工できなかった。だから少なくとも1950年代後半までのモダン・ジャズ黄金期には、ホーン奏者のように、一音聴いただけで奏者の個性を感じ取れるようなギタリストは、そうはいなかったのである。

The Incredible Jazz Guitar
1960 Riverside
その中で、まさに “The Jazz Guitar"と言えるほどの個性を感じさせるのは、私にはウェス・モンゴメリー Wes Montgomery (1923-68) をおいて他にない。もちろん他のギタリストのレコードも散々聴いてきたが、未だにウェスほど「これぞジャズ」という魅力と香りを感じさせてくれるプレイヤーはいないのである。ただし私的には、ポップ路線に向かう前(つまり大衆的人気の出る前)、1965年頃までのウェスだ。1960年に、トミー・フラナガン(p)、パーシー・ヒース(b)、アルバート・ヒース(ds)というカルテットで吹き込んだリバーサイド2枚目のアルバム『The Incredible Jazz Guitar』(Riverside)のヒット以降、1968年に45歳で急死するまでの、わずか10年足らずの、日の当たった短い活動期間の前半部ということになる。ジャズ・ギターには、ヨーロッパではジャンゴ・ラインハルト、アメリカではチャーリー・クリスチャンというパイオニアがいたし、ビバップ以降のモダン・ジャズ時代になって白人ではタル・ファーロウ、バーニー・ケッセル、ジム・ホールら、黒人は少ないながらケニー・バレルのような優れたギタリストも現れたが、ウェス自身のアイドルだったクリスチャン以降、ソロ楽器の一つとしてのギターの存在を有無を言わせず確立したのは何と言ってもやはりウェス・モンゴメリーである。演奏イディオムそのものに革新的なものはなく伝統的ジャズの延長線にあったが、何よりその創造的演奏技法とジャズ界に与えた影響の大きさにおいて、サックスにおけるチャーリー・パーカー、ピアノのバド・パウエルに比肩する存在であり、ウェス以降のジャズ・ギター奏者はすべて彼の影響下にいると言っても過言ではない。ウェスのギターこそ、ジャズ・ギターの本流であり、それと同時に、60年代後期のA&Mでの諸作を通じて、70年代のフュージョン・ギターへと続く流れを作った源流でもあった。

Echoes of Indiana Avenue
1957-58
2012 Resonance Records
親指によるフィンガー・ピッキングと、オクターヴ奏法、ブロック・コード奏法を組み合わせた圧倒的なドライヴ感を持った独創的プレイによって、ウェス以降ジャズにおけるギターは、アンサンブルの中でフロント・ラインとしてソロも弾ける独立した楽器として初めて認知されたと言える。その影響はジャズ・ギターに留まらず、今日に至るまでのギター音楽に途方もなく深い影響を与え続けている。ウェスは独学で、譜面を読めず耳で覚えたという話は有名だが、もしこれが事実だとすれば、これこそウェスの演奏が持つ独創性とジャズの精神を象徴するものであり、その演奏がいつまでも新鮮さを失わない理由でもあるだろう。つまり、本来ギター同様にコード楽器でもあり、個性を出すのが難しい楽器だったピアノで独創的サウンドを開発したセロニアス・モンクと同じく、ギターというコード楽器を用いながらコードによる呪縛から逃れ、テクニックとイマジネーションを駆使して常に ”メロディ” を軸にした即興演奏に挑戦したところにウェスの音楽の本質と魅力があるからだ。ピアノやオルガンと共演してもサウンド同士が喧嘩することなく常に調和し、ソロも単音のホーン・ソロのようにまったく違和感なく共存できるのも、ウェスの演奏がフィンガーだけでなく、コード奏法を使っていても常にメロディを指向しているからだ。一言で言えば、ギターが単音とコードの双方で常に "唄っている" のである。ウェスのバラード・プレイの素晴らしさも、後のフュージョン・ギターへの流れを作ったのもそれが理由だ。そして何物にも縛られないかのように強力にドライブし、飛翔するウェスの太く温かい音とメロディからは、出て来るサウンドは異なるが、モンクの音楽に通じるジャズ的「自由」を強く感じる。また若い時期1940年代終わりのライオネル・ハンプトン楽団時代を除き、ニューヨークではなくインディアナポリスという閉じられた環境を中心に活動していたことが、この独自のサウンド開発に貢献していたことは間違いないだろう。キャノンボール・アダレイによって発掘され、リバーサイドでデビューする前のこの時代(1957-58年)のウェスを記録したレコード『Echoes of Indiana Avenue(Resonance Records) 2012年にリリースされたが、モンゴメリー兄弟やメル・ラインなど、地元プレイヤーたちと地元クラブで共演する当時のウェスの素顔が捉えられた、貴重な素晴らしい記録である。だがこの制約のために、50年代半ばのハードバップ全盛期にはニューヨークのスター・プレイヤーたちと共演する機会がなく、60年代になってから初めて脚光を浴びた ”遅れてやって来たスター”という経歴もモンクと共通している点だ。したがってこの天才ジャズ・ギタリストの演奏を記録したメジャー・レーベル録音は、1968年に亡くなるまで、上記スタジオ録音によるリバーサイドの諸作以降、ヴァーヴ、A&Mのリーダー・アルバムだけだ。 

Full House
1962 Riverside
今聴いても、とても半世紀以上前の演奏とは思えないような60年代前半のウェスのレコードはどれも名盤と言っても過言ではないが、誰もが名盤と認め、また個人的にも好きなレコードは、上記『The Incredible Jazz Guitar』以外だと、やはりライヴ演奏のダイナミックさを捉えた『Full House』(1962 Riverside)、『Smokin' At the Half Note Vol.1&2』(1965 Verve)いう2作だが、私の場合はもう1作1965年のパリ「シャンゼリゼ劇場」の白熱のコンサート・ライヴがそれに加わる。『Full House』は、ウィントン・ケリー(p)、ポール・チェンバース(b)、ジミー・コブ(ds)という、当時のマイルス・バンドのリズムセクションに加え、ジョニー・グリフィン(ts)が入ったクインテットによる演奏で、サンフランシスコのクラブ(Tsubo club)におけるライヴ録音だ。これはもう、最高のクラブ録音の1枚としか言えないだろう。リズムセクションの素晴らしさ、ジョニー・グリフィンのテナーを従えたウェスの躍動感も文句のつけようがない。

In Paris
1965
2017 Resonance Records
かなりの録音を残したリバーサイドが倒産した後、1964にウェスはヴァーヴに移籍するが、その後19653月のイタリアに始まる生涯でただ一度のヨーロッパ・ツアー時に、パリ「シャンゼリゼ劇場」でのカルテット/クインテットの演奏をフランス放送協会(ORTF)がライヴ録音した。この音源は1970年代になって日本でも『Solitude』(BYG)という2枚組LPでリリースされ、CD時代にいくつかのバージョンもリリースされてきた。ただし、これらはすべて著作権料の支払いのない海賊盤だった
のだという。昨年発売されたResonance RecordsによるIn Paris』(CD/LP) はそこをクリアし、オリジナルテープをリミックスしたもので、モノラル録音だが、それまでのレコードにあったハロルド・メイバーン(p)とリズムセクション(アーサー・ハーパー-b、ジミー・ラブレース-ds)が引っ込んでいた全体のバランスが改善し、メイバーンのあのダイナミックな高速ピアノも大分よく聞こえるようになった。音も全体にクリアで厚みが出て、聴感上のダイナミックレンジが改善されているので、ライヴ当日の、このグループのダイナミックで圧倒的な演奏の素晴らしさがさらに増している。自作の<Four on Six>、コルトレーンの<Impressions>などの得意曲では、まさにめくるめくようなドライブ感で飛翔するウェス最高の演奏が、さらに良い音で楽しめるのは実に嬉しい。昔から思っていることだが、パリに来たアメリカのジャズメンはみな本当に良い演奏を残すのだ。1950年代から、人種差別なくジャズを芸術として受け入れてくれたこの街と聴衆に、彼らはミュージシャンとしておそらく深い部分でインスパイアされるものがきっとあったのだと思う。アメリカではこの頃はフリーやロック指向が強まっていて、ウェス自身も当時はVerveA&Mと続く大衆路線に向かっていた時期だったが、パリの聴衆を前にして、ここでは圧倒的な "ジャズ" を本気で、また実にリラックスして披露している。当時パリ在住だった旧友ジョニー・グリフィン(ts) の<'Round Midnight>などの一部(3曲/10曲)参加も、ジャズ指向とリラックス・ムードの増加に一役買っていただろう。この躍動感溢れるコンサートを捉えた録音は、ジャズ史上屈指のライヴ録音の一つであり、私的にはウェス・モンゴメリーのベスト・アルバムだ。

Smokin' At The Half Note
1965 Verve
続く『Smokin’ At The Half Note』(LP Vol.1&2)は、上記パリ公演から3ヶ月後の1965年の6月から11月にかけての録音で、ウィントン・ケリー(p)、ポール・チェンバース(b)、ジミー・コブ(ds)というピアノ・トリオにウェスが加わった演奏を集めたものだ。当時彼らはレギュラー・カルテットとして演奏を重ねていたようだが、これはその当時にニューヨークのクラブ「Half Note」で録音されたライヴ演奏を中心にしたものだ。現CDはLPのVol 1&2から11曲が1枚に収録されたステレオで、音も非常にクリアな良い録音だ。ウェスと相性の良いウィントン・ケリー・トリオの弾むようなリズムをバックにしたウェスの演奏の素晴らしさはもちろんだが、ラジオ放送用のMCも入って実にリラックスして楽しめるクラブ・ライヴで、上記パリ公演と共にウェスのライヴ録音の傑作だ。

Guitar On The Go
1963 Riverside
もう1枚、個人的に好きなレコードは『Guitar On The Go』(1963 Riverside)である。ジャズファンには誰しも思い入れのあるレコードがあるものだが、これは私にとってはそういうレコードだ。なぜなら、1960年代後半の高校時代に生まれて初めて買ったジャズ・レコードだからだ。田舎のレコード店で、ジャズはたいした枚数も置いていなかったが、当時LPは高価で高校生には大金だったので、最終的にコルトレーンの『Ballads』と、どちらにするか迷った末に買ったのがウェスのこのレコードだった。今思えば、そのときは録音後既に5年ほど経っているわけで、前年1967年はコルトレーン、この年はウェスが亡くなっていたのだ。だからリアルタイムとは言えないが、この演奏を初めて聴いたときの衝撃は今でも忘れられない。1曲目の<The Way You Look Tonight>で、ウェスのギターがスピーカーから流れ出した途端、世の中にこんなにモダンでカッコいい音楽が存在しているのか、というくらい感激し、これで私はジャズ(とギター)に嵌ったわけである。このレコードはウェスにメル・ライン(org)、ジミー・コブ(ds)という旧知の相手と組んだシンプルなギター・トリオだが、今聴いても、軽く流れるようなウェスのモダンなギターと、メル・ラインのハモンド・オルガンが実にリラックスした気持ちの良いジャズを聞かせてくれる。それにこのアルバム・ジャケットもジャズっぽくて良かった。コルトレーンではなくウェスにしたのも実はこのジャケットのせいだ。

この時代のリバーサイドのLPレコードは録音にはバラつきがあるが、ジャケットはモンクに加え、ビル・エヴァンス、キャノンボール・アダレイ、このウェス・モンゴメリーなど、どのレコードをとってもデザインが素晴らしく、ブルーノートと並んでジャズ・レコード史を代表するジャケットだが、リバーサイドは特に知的センスに溢れたデザインに特徴がある。モンク伝記の中では、プロデューサーのオリン・キープニューズはあまり良い人に書かれていなくて、イメージが変わってしまったが、デザイナーとしてポール・ベーコン他を起用するなど、やはり当時のジャズ・プロデューサーとしては優れたアート感覚を持った人だったのだろう。モンクの場合、二人の相性の問題もあったし、キープニューズが上記のような同時代の新進スター・プレイヤーたちのプロデュースに忙しかったために、割りを食ったと言えるのかもしれない。

2018/02/04

”ジャズを考える” ジャズ本

昔は雑誌を含めてジャズに関する本はたくさん出版されていた。大方のジャズファンは、ジャズのレコードを聴きながら、セットでそれらの本を読むのを楽しみにしていたので、私もそうだが、今でも本棚の中に雑誌の特集号を含めて数多くの昔のジャズ本が並んでいる人が多いのではないかと思う。これらは大ざっぱに分けると、(1)ジャズ史やミュージシャンの伝記類、(2)有名レコード(名盤)、有名ミュージシャン紹介と著者の分析・感想、(3)ジャズの「聴き方」の類、(4)ジャズという「音楽そのもの」について考え、語る評論、という4つの形態があったように思う。加えて、ここにジャズとオーディオ、録音との関係を語った本がある。当然だが、これは大体歴史順にもなっていて、まずは啓蒙書、教養書のような(1)で基本的なことを学習し(60-70年代)、実際のジャズを聴こうと(2)で数多くの音源、レコードの存在と内容を学び、聴き(主に70年代)、もっと深く楽しむために(3)でジャズとミュージシャンたちをどう聴いたらよいかを学び(70-80年代)、(4)でさらに深くジャズという音楽全体を理解し、考察する(80-90年代)というように、時代ごとの日本のジャズシーンと聴衆の在り方を反映したものになっている。(ただしジャズを政治思想と結びつけて語る本も70年代にはあったが、それらは音楽書としては除く。)こうして見ると、真面目な日本のジャズファン(聴き手)は、何十年もずっと知識を吸収し学習していたかのようである。つまり学習しないとよくわからないのが日本におけるジャズだった、とも言えるし、本来「場」の音楽だったジャズのライヴ演奏そのものが日本では少なかったために、演奏現場と乖離した、レコードを通した芸術論や抽象論が常に優位に立ってきた歴史を表しているとも言えるのだろう。

昨年2017年は「ジャズ(録音)100年」キャンペーンやモンク生誕100年ということもあって、私のモンク訳書を含めて、珍しく多くのジャズ本が出版されたようだ。モンク訳書は伝記だが、モダン・ジャズと人間としてのミュージシャンの真実と魅力を史実に即して描いたもので、他にいくつか出版された日本のジャズ史に関する本と共に(1)に該当するだろう。その他の何冊かの新刊書に共通しているのは、70年代のフュージョン以降混沌として連続性が失われ、わかりにくくなったジャズ史を一度整理し、現代のジャズの実態、今後のジャズの行方を知りたいという、ジャズに関心はあってもよく知らない若い人たちのニーズを特に見据えた企画だろう。これらは主として (2) のレコード情報 と、(3) のジャズの聴き方に分類できるだろうし、いつの時代にも一定数の読者が存在してきた分野である。一方、近年の売れ筋書籍の特徴はジャズ本というより「ジャズ教則本」の増加だ。アメリカでも日本のamazonでも、ジャズ関連書籍ランキング上位にはこうした教則本の類が並んでいる。前にも書いたが、今はジャズを “聴くだけ” の人が減り、“演奏もする” 人が非常に増えていることが背景にある。素人がカッコ良さと演奏技術の高度さを求めて、ポピュラー音楽の演奏自体を突き詰めて行くと、最後は結局、和声やコード進行で理論化されたジャズに行き着いて、“ジャズっぽい” 演奏を指向するものなので、これは当然の動きだろう。特にいちばんポピュラーで手っ取り早いギターにその傾向が強い。教則本もジャズ教室も昔は数が限られていたものだが、今は教える人や書く人も増えて、いくらでもあるし、ネット動画を併用した教則本も大人気だ。「みんなでジャズを演ろう」という時代である。

東京大学の
アルバート・アイラー
2009 文芸春秋
だがこの傾向に “はずみ” を付けたのは、2000年代に入ってからだが、10年ほど前に書かれた菊地成孔・大谷能生両氏によるジャズ生成の歴史と基本体系を、具体例を入れながら語った一連の著作(『東京大学のアルバート・アイラー』他)ではないかと思う。ジャズ理論や楽譜による講義ではなく、プロのジャズ奏者の立場から音楽としての “ジャズの総体” を語った初めての本格的ジャズ本であり、上記(1)から(4)のジャズ本にはなかった視点で興味深く、かつわかりやすく書かれている。「聴く」ジャズから「演る」ジャズに潮流を変えた転機となったとも言える本であり、この本に触発され、ジャズをずっと身近に感じ、演奏することに向かった人たちも多かったのではないだろうか。それと同時に聴く側ではなく、ジャズ・ミュージシャン側がモノを書き、発信するという流れの始まりでもあった。山下洋輔氏の著作は別として、それ以前は、プロ・ミュージシャンとは音で勝負する存在であり、言葉や文章ではない、という暗黙の前提が世の中にあったからだろう(だが、彼らは本来、概してお喋りな人たちなのだ)。それから10年、今やレコード情報はもちろんのこと、ネット上では私のようなド素人の駄文からプロのジャズ・ミュージシャンまで、世界中であらゆる言説やコメントが洪水のように日夜乱れ飛ぶ時代となった。単行本、雑誌、ネットという伝達形態にもはや境界はなく、今や情報それ自体には大して価値も希少性もない。処理し切れないほどの大量の情報がネットを中心にしたあらゆる媒体に溢れ、コピペとリツイートの氾濫で同じ情報があちこちで飛び交い、その場限りの気の利いた刹那のコメントと、その反応だけにみんなが一喜一憂している。まるで「洞察」や「思考」という言葉があることすら知らないかのようだ(本当に知らないような気もする)。ついには字を読むのすら面倒になって、今は写真や動画など、ひと目でわかるヴィジュアル情報全盛である。何でも早くて短けりゃ良い、というものでもなかろうと思うが、しかしこうなった以上、もう後戻りはできないのが人間だ。

ジャズを放つ
細川周平・編
 1990 洋泉社
一方、もっと昔のジャズ本の中には、今となっては知識情報以上の価値がないものもあるが、特に(4)の「ジャズを考える」というジャンルには、今読んでも興味深く優れた内容の本もある。というか、今では到底書くのが無理だろうという内容の本だ。これは情報の量やその新旧とかいう問題ではなく、思考の量と質の問題だ。いくら新情報を積み上げたところで、思考の深度を補うことはできない。特にバブルの終わり頃からその崩壊後に出版されたジャズ本は、瀕死の状態にあった古典的ジャズへの郷愁と諦観、ジャズの未来の可能性を見つけたいという希望、ジャズシーンに喝(カツ)を入れたいという願望がない混ぜになった、非常に微妙で複雑な当時の状況がよく表れている。今や古典だろうが、『ジャズを放つ』(細川周平・編 洋泉社 1990)はその代表とも言える本で、ミュージシャン(クラシックを含む)、音楽学者、批評家、ライター等、20名の各論者の文章を集めたアンソロジーだが、当時のジャズを取り巻く状況が、ジャズの歴史を遡ることを含めて多面的に描かれた、深みがあり、また非常に読んで面白い本だ。私が持っているのは1990年の初版だが、1997年に新版が出ている。やっつけ仕事のような “ムック本” 全盛の今、これだけの陣容で一冊の本をまとめようとしても、もはやライターそのものの数が足らないだろう。もうジャズを、というより、音楽を聴いて、理屈をこねまわすような面倒くさいことをする人も、それを読む人もいなくなってしまったのだろうと推察する。

ジャズ・ストレート・アヘッド
加藤総夫
1993 講談社
『ジャズ・ストレート・アヘッド』(加藤総夫 講談社1993)は、アマチュアだがビッグバンドでピアノを弾き、編曲も担当していたという加藤氏が雑誌等に書いた80年代後半からの論稿を集めた本で、「奏者」という視点を入れて書かれた初のジャズ本かもしれない。それ以前は、ジャズ批評は主に聴き手側の印象論だけで書かれていたものだが、楽理や演奏体験を踏まえた奏者の側からの視点でジャズの限界と可能性を論じたもので、特にデューク・エリントンの深い研究から生まれたモンク論を含めた独自のジャズ解析と言説は、当時は非常に新鮮で刺激的だった。氏は同時期にもう一冊『ジャズ最後の日』(洋泉社 1993)という同種の本も出していて、こちらも面白い。ただ難点は、従来の印象論を打ち砕こうとする意識が強かったのかどうかはわからないが、あまりに明晰で、独特の屈折した文体は(バブル時代の風潮とも関係しているのか?)、読んでいるうちに段々と追い詰められて、“ジャズ・アンドロイド” に上から説教されているような気がしてくるところだろう(私だけかもしれないが)。加藤氏はその後ジャズからは足を洗い、現在は本業であるお医者さんに専念しているようだが、この30年近く前のジャズの限界と近未来の姿を予見した論稿と、現在のジャズの姿を見比べて、どう思われているだろうか。

ジャズ解体新書
後藤雅洋対談集
1992 JICC
もう1冊は、今やジャズ界の重鎮とまで言われているジャズ喫茶「いーぐる」店主の後藤雅洋氏の対談集『ジャズ解体新書』(JICC 1992)だ。ジャズ喫茶店主の書いた本は後藤氏を含めて当時たくさん出版されていて、私も大部分読んでいたと思うが、ほとんどは基本的知識、レコードとミュージシャンに関する個人的感慨や意見を述べたものだった。とはいえ、聴き込んだジャズレコードの枚数は、みなさん全員が一般のジャズファンの比ではないし、宣伝臭いジャズ雑誌の論評とは違う、それぞれ個性的な聴き方は大いに参考になり、また楽しんだ記憶がある。後藤氏のこの対談本は、油井正一氏、ピーター・バラカン氏、上記の加藤氏、細川周平氏の他、佐藤允彦氏のようなジャズ・ミュージシャンなど、対談相手が多彩で、ジャズを巡るそれぞれの対話の内容が非常に面白い。油井氏との話も傑作だが、特に加藤氏や佐藤允彦氏などの奏者側と、聴き手側のプロとも言える後藤氏とのやり取りが興味深い。加藤氏とはすれ違ったままで終わった感があるが、奏者側と聴き手との対峙という見方もできるし、ある意味ジャズの本質と深く関りのある問題を論じている。またピアニスト佐藤允彦氏とのインプロヴィゼーションを巡る対話は、よくある来日ジャズ・ミュージシャンとの軽いインタビューとは異なる深みと面白さがあり、私の訳書「リー・コニッツ」の対話世界とも通じるものがあって、もっと長い二人の対話が読みたかったほどだ。日本には、こうしたジャズ演奏者の内面に切り込むような内容を持った本や対談は、この本以前も、後もないように思う。 

一つ残念に思うのは、たとえば米国のナット・ヘントフや、ラルフ・J・グリーソン、ホイットニー・バリエットのように、音楽としてのジャズ批評眼だけでなく、人間としてのミュージシャンに対する愛を感じさせ、演奏の背後にある社会や人間の深い世界を読み解く力と、それを読者に伝える能力を有する批評家やライターが、日本にはついに現れなかったように思えることだ(私が知らないだけかもしれないが)。音楽としての歴史の長さと厚みの違いと言ってしまえばそれまでだが、演奏現場と聴き手が、歴史的にも文化的にも密接に結びつくという伝統が浅く、輸入音楽をレコードを通じて理解・吸収するのがまずは第一という、日本古来の海外文化受容の形態から来る特性でもあり、ジャズ・メディアの性格ともども宿命的なものなのだろう。しかしどの国であろうと、良い聴き手のいない音楽は、結局良い音楽とはならない。時々勘違いしている人がいるが、ジャズ演奏ができる人が必ずしもジャズの良い聴き手とは限らないのだ。ジャズに限らず、あらゆる芸術がそうだが、鑑賞・批評は創作とは別の感性と能力を必要とするからだ。だから演奏現場と音楽情報双方でジャズがかつてなく拡散し、音楽としての垣根も低くなり、さらに演奏者の裾野さえも広がってきたこれからは、ジャズの歴史を知り、理論と技術を理解し、かつ優れた感性と分析力を備えた新しい時代の作家や批評家が出現して、ジャズの本当の魅力を広く、わかりやすく伝えていって欲しいものだと思う。(ただし、その音楽をずっと ”ジャズ” と呼ぶかどうかはまた別の話だろうが。)