ページ

2017/05/31

レニー・トリスターノの世界 #3

レニー・トリスターノの音楽コンセプトが、その後アメリカにおけるジャズの深層に様々な影響を与えていたことは事実だが、それを直接継承した音楽家はリー・コニッツやウォーン・マーシュのような弟子の他、一世代後のピアニストで同じく弟子だったコニー・クローザーズなどの限られた人たちだけだったようだ。しかし1970年代に入って、日本でそのコンセプトを継承し、自らのジャズとして追及し続けたミュージシャンが存在した。それがギタリストの高柳昌行 (1932-91) である。 

「クール・ジョジョ Cool Jo-Jo」(1978 Three Blind Mice) は、弘勢憲二(p&ep)、井野信義(b)、山崎泰弘(ds)からなる高柳昌行のカルテット “セカンド・コンセプト”  がトリスターノ派ジャズに挑戦したアルバムである。選曲はレニー・トリスターノの<317 East 32nd>など2曲、リー・コニッツの<Subconscious-Lee>など3曲、ロニー・ボール作1曲、高柳自作曲が2曲という構成で、CDには4曲の別テイクが追加されている。高柳は当時、阿部薫(as)とのデュオ「解体的交感」(1970) や、“ニュー・ディレクション”という別グループによるフリー・ジャズ追求を経て、一方で伝統的4ビートによるトリスターノ派のクール・コンセプションをこのグループで追求していた。作品タイトル「クール・ジョジョ」(ジョジョは高柳の愛称)はそれを表している。このアルバムに聴ける演奏は、言うまでもなく日本におけるクール・コンセプションの最高峰の記録だろう。高柳のギターは、トリスターノのグループにおけるリー・コニッツの役割になるが、そのラインをコニッツのアルトサックスのラインと比較しながら聴くと実に興味深い。このグループではもう1枚、ライヴ録音として本作の1週間前に吹き込まれたアルバム「セカンド・コンセプト」(ライヴ・アット・タロー)が残されている(ベースは森泰人)。

高柳昌行の即興思想とアルバム・コンセプトについて、本作録音後の1980年のあるインタビューで、高柳自身がこう述べている。

『クールという言葉でたまたま呼ばれているが、あの音楽の内面は凄まじく熱いものだよ。外面的には冷たく見えても、精神的な部分は手がつけられないほど熱く燃えているんだ。日本でエネルギッシュだとかホットだとかいう言葉で表されるものは身体が燃え上がるような状態を言うようだが、本当は内面的に燃え上がっていなければ、熱いとは言えないと思うな。そして、その燃える部分はやはりアドリブだと思う。ジャズの命は何と言ってもアドリブなんだ。ミュージシャンが自身を最大限に表出できるクリエイティブな部分、アドリブが強烈な勢いを持っていなければだめだ、と今さらのように思うよ。
 トリスターノ楽派の音楽にはそれがあるんだ。平たく言えばジャズってのは、ニグロの腰ふりダンスだ。しかし、音楽として存在し続けるためには高度な内容を持たなければならない。そういう意味で、最も純粋なものを持っているのが、トリスターノだと思うわけ。音の羅列(られつ)の仕方だとか、ハ-モニ-など追求していくと、その高度な音楽性には脱帽するしかないよ。現時点で考えてみてもその音楽性は1歩以上進んでいるよ。建築の世界に移して考えてみればよくわかるが、パーカーは装飾過多のゴシック建築、トリスタ-ノの音楽は、シンプルで優美な直線と曲線を見事に組み合わせた近代建築なんだ。現代にも通じる美の極致だよ。シンプルなホリゾンタル・ライン、それでいて、信じられない程良く考え抜かれた曲線性、そして複雑この上ない音の羅列。<サブコンシャス・リ->なんて<恋とは何でしょう>のあんな簡単なコード進行からあれだけのリフ・メロディを生み出すなんて、ちょっと信じられないものがあるよ。こうして僕がしつこいまでにトリスターノを追う理由の一つがそれなんだ。僕はジャズの音楽家だし、そういうジャズの内面的な質の高さを伝えていきたいんだ。
 猿マネして黒人の雰囲気を伝えるのがジャズじゃないよ。自分の中で、自分なりに消化されたものをアドリブとして表出する。それこそが今僕がやり続けていきたいことなんだ。それを失っちゃったら全部白紙。これは最後の歯ドメでもあるわけ。でも、そういういいものはなかなか理解されないよね。これは明白な事実だから、あえて言う必要もないが、音楽的な純粋さとコマーシャル性は両立しないものなんだ。となれば、首のすげかえを心配してこうした音楽をとり上げようとするプロデューサーがいなくなるのも当然だよね。そこへいくとTBMの藤井(武社長)さんは大将なわけでね。ジャズの本当に熱い部分に真剣に取り組んでくれて、うれしいよね』
高柳昌行に師事していたギタリストには大友良英、廣木光一のような人たちがいるが、本コメントは、同じく一時期師事していたギタリスト、友寄隆哉氏のブログ内論稿から転載したものです。)

リー・コニッツ本人を除き、トリスターノ派の音楽の本質をこれほど正確に表現している言葉はこれまで聞いたことがない。”クール” については、「リー・コニッツ」のインタビューで後年コニッツが述べているのと同じ趣旨のことを語っているし、他のインタビューでのフリー・インプロヴィゼーションに対する思想も、「テーマも何もない白紙から始めるべきだ」というコニッツとほぼ同じことを言っている。2人はジャズ音楽家として共通する哲学を持っていたのだろう。高柳昌行という人は強烈な個性を持ったカリスマ的人物だったようだが、トリスターノ派の音楽を求道者とも言えるほどの情熱を持って理解し、尊敬し、しかも「日本人のジャズ」としてそれに挑戦しようとしていたジャズ・ミュージシャンが、当時の日本(フュージョン時代)にいたことに驚く。悠雅彦氏のライナーノーツによれば、この録音テープを児山紀芳氏が米国に持ち込み、リー・コニッツとテオ・マセロに聞かせたところ、その素晴らしさに二人ともびっくりし、コニッツは予定していた来日時に高柳と共演したいという提案までしたらしい。残念ながら来日がキャンセルになったために、共演はかなわなかったようだ。コニッツの演奏スタイルは、当時はかなり変貌してはいたものの、もし二人の共演が実現していたら、どんなに刺激的で興味深い演奏になっただろうかと想像せずにいられない。

2017/05/29

レニー・トリスターノの世界 #2

前項のように、昔からAtlanticの「鬼才…」や「ソロ」ばかり紹介されるために、変人ぶりや難解で高踏的なイメージだけが定着してしまったが、限られてはいるものの、中には聴き手がリラックスしてトリスターノの名人ぶりを楽しめるレコードも残されている。Lennie Tristano All Stars」(RLR 2009)というCDは、トリスターノがシカゴからニューヨークに出てきた翌19478月にクラブ「Café Bohemia」(Pied Piper)で録音されたライヴ演奏と、19646月のクラブ「Half Note」でのTV中継ライヴ(Look Up & Live)からの3曲をカップリングした珍しいレコードだ。47年のライヴは、ビル・ハリス(tb)、フリップ・フィリップス(ts)、ビリー・バウアー(g)、チャビー・ジャクソン(b)、デンジル・ベスト(ds)という、ウッディ・ハーマン楽団のメンバーを中心にしたコンボにトリスターノが飛び入りしたもののようだ。未だスウィング色の強い、喧騒のビバップ・コンボに「潜入した」当時28歳のここでのトリスターノは、CMではないがまさに異星から来た「宇宙人トリスターノ」だ。ハリスやフィリップスの実にスウィンギングな熱演に客席から掛け声もかかり、ダンスも踊れそうな音楽に一応は合わせているが、リズム、ライン、コードとも時々周囲と全く違う異次元のサウンドを繰り出し、特にトリスターノのソロに入ると一気に場が冷え込み、演奏メンバーもクラブの客も面喰らっている様子が手に取るようにわかる。トリスターノがニューヨークのジャズシーンに突如出現した当時のインパクトが目に見えるようにわかって実におもしろい。このCDは録音もプアで基本的には好事家向けだが、トリスターノ・ファンなら初期のトリスターノと、当時のニューヨークのクラブでのビバップの雰囲気を知る貴重な記録として非常に楽しめる。それからワープして17年後、すっかりモダンになった1964年の「Half Note」ライヴ録音3曲は、リー・コニッツ、ウォーン・マーシュという弟子たちとトリスターノ最後の共演である(ソニー・ダラス-b、ニック・スタビュラス-ds)。このライヴ演奏翌年のヨーロッパ・ツアーを最後に、トリスターノはほぼ人前で演奏することはなくなる。
もう1枚は、ピアノ・トリオ「Manhattan Studio」(1955/56 Jazz Records)だ。'50年代初めにトリスターノは彼のジャズ教室のための練習と録音を目的にマンハッタンに小さなスタジオ(317 East 32nd)を作ったが、このレコードは1955/56年にかけて、そのスタジオで記録された演奏を集めた私家録音盤である。40年代の超革新的な姿勢も、このアルバムと同時期のAtlantic盤での録音ギミックもなく、ピーター・インド(b)、トム・ウェイバーン(ds)という二人の弟子をリズム・セクションに従えて、ごく当たり前のピアノ・トリオとして演奏している。コンボやソロが多く、またトリスターノのトリオと言えば50年代初めの数曲の演奏を除き、ビリー・バウアーのギターとベースによるものしかないので、ベースとドラムスによるトリオ演奏だけから成るアルバムはこの1枚だけだ。ここでは流れるようなスピードと美しさ溢れる「素顔の」トリスターノの素晴らしいピアノが堪能できる。9曲の内、自作2曲を除き、他7曲はトリスターノにしては珍しく全てスタンダードを弾いている。いつものようにいきなりくずさずに、どの曲もストレートにメロディを弾いていて、ごく普通の4ビートのピアノ・トリオとして構えずに聴け、トリスターノのインプロヴィゼーションの世界がわかりやすい。複雑さもなく、こんなにリラックスした雰囲気で、楽しそうに(たぶん)スウィングして弾いているトリスターノは他の録音では絶対に聴けない。弟子たちと自分のスタジオで、好きな曲を自由に弾いている様子が伝わってきて、他のアルバムで常につきまとう聴き手に強いる緊張感がここにはない。リズム・セクションも1950年代半ばの普通のピアノ・トリオのリラックスしたバッキングで、よく言われる正確で律儀なメトロノーム的な伴奏だけではない。しかしフォーマットは普通だが、演奏そのものはやはりトリスターノで、50年代半ばという時代を思えばその音世界の斬新さは相変わらずだが、同時にそのドライブ感と、次から次へ出てくる美しいフレーズとメロディ・ラインはまさにバド・パウエル並みで、これにはびっくりする。

数は少ないがリラックスして楽しめるライヴ音源もまだ残されている。数年前に発掘されリリースされたCDだが、19514月に故郷のシカゴに帰って、「ブルー・ノート・クラブ」に出演したレニー・トリスターノ・セクステットの未発表ライヴ録音全14曲を収めた2枚組CD「Chicago in April 1951」Uptown)がそれだ。これまでトリスターノのライヴ音源はプアなものが多かったが、これはピアノとホーンの音について言えば予想以上にクリアで、おそらくこれまでのグループによるクラブ・ライヴ録音ではベストの音質だろう。しかもトリスターノが時々MCをやりながら演奏していて、その声もクリアで、これにも驚く(初めて彼の声を聞いた)。リー・コニッツ(as)、ウォーン・マーシュ(ts)に、同じくトリスターノ門下だったウィリー・デニス(tb)が加わり、リズム・セクションにバディ・ジョーンズ(b)、ミッキー・シモネッタ(ds)を配した3管セクステットによる演奏である。このCDはトリスターノがまだ32歳の時の録音で、コニッツ、マーシュを含むグループとしての一体感も完成の域に達していた時期でもあり、おそらく音楽的には絶頂期にあっただろう。本作はプレイヤーとして全盛期のトリスターノの素晴らしいピアノと、グループのリラックスしたクラブ・ライヴ演奏が、初めてクリアな音で楽しめる貴重盤である。
そしてもう1枚のライヴ録音は、翌1952年カナダ・トロント(UJPOホール)でのコンサート・ライヴ「Live in Tronto 1952(Jazz Records)で、こちらはリー・コニッツ (as)、ウォーン・マーシュ (ts)、ピーター・インド (b)、 アル・レヴィット (ds) というクインテットによる演奏。ビリー・バウアー (g) はツアーに参加しなかったものの、メンバーはいわば当時のトリスターノ派全員集合である。このトロントでのライヴは、当初実験的要素もあったコニッツ、マーシュを従えたバンドを立ち上げてから5年近く経っており、グループとしての音楽的コンセプトも各自の役割も全員に浸透し、互いの理解も深まった段階に達していたことだろう。一発勝負のライヴでありながら、6曲すべてにおいて全員その流れるようにスムースで切れ味の良いユニゾン、アドリブともに見事で、ビバップとは異なる手法によるジャズ史上最高レベルの集団即興演奏だと言われている。トリスターノが希求していた理想のジャズが、ある意味ここで完成されたとも言えるだろう。ところがコニッツはこの公演の翌月トリスターノの元を離れ、トリスターノが以前から評価していなかったスタン・ケントン楽団に入団し、結果このトリスターノ・バンドは実質的に解散することになるのである。

1940年代のシカゴ時代、コニッツが十代の時から師事していた師匠とその高弟は、ここについに袂を分かつ。音楽上よりも経済的な理由だったとは言え、このトロント直後の片腕リー・コニッツの離反がトリスターノに与えた衝撃がいかに大きかったかが想像できる。マーシュは ’55年まで留まったが、前項に記したように、1952年のこの一件後トリスターノは徐々に公の場に出なくなり、マンハッタンのスタジオにこもってフリー・ジャズや多重録音などのジャズ研究とジャズ教師に専念するようになる。トリスターノとコニッツはその後ついに完全には和解せず、時折の共演を除き、かつての師弟関係は失われる。1959年の「Half Note」で、トリスターノの代役として急遽参加したビル・エヴァンスと、コニッツ、マーシュが共演したライヴ演奏(Verve) にも、実はそうした師弟間の葛藤と裏事情が伺われる逸話が残されている。そして上記1964年の「Half Note」での共演を最後に、以後2人は二度と顔を合わせることはなかった。だが「リー・コニッツ」のインタビューで、70年代半ばになってから2人が交わした電話ごしの会話のことをコニッツが語っているが、久々の会話を終えたトリスターノの嬉しそうな姿を、当時の弟子コニー・クローザーズから後年伝え聞いたコニッツが、思わず落涙した話は胸を打つものがある。

トリスターノ派ミュージシャン以外にも、セシル・テイラーやチャールズ・ミンガス、ポール・ブレイ、ビル・エヴァンス等への影響を含めて、トリスターノの革新的コンセプトがその後のジャズに与えた音楽的影響は決して小さくはなかったが、アメリカではそれはずっと無視されるか、過小評価されてきた。彼は小さくてもいいので自分のジャズクラブが欲しいとずっと言っていたそうだ。大衆には受けなくとも、自分の音楽を理解してくれる聴衆が少しでもいれば、そこで思う存分演奏したいと考えたのだろう。商業主義への妥協を拒んだ人生ゆえに、’78年に59歳で亡くなるまでにその願いは結局かなわなかった。しかし20世紀半ばのアメリカという国には、このような「理念」を持つジャズ音楽家も存在したのである。

2017/05/27

レニー・トリスターノの世界 #1

「ジャズにも色々あるのだ」ということを初めて知ったのが、1970年代に盲目のピアニスト、レニー・トリスターノ  (1919-1978) の「 Lennie Tristano(邦題:鬼才トリスターノ) (1955 Atlantic) というレコードを聴いたときだった。それまで聴いていた "普通の" ジャズ・レコードとはまったく肌合いの違う音楽で、クールで、無機的で、構築的な美しさがあり、ある種クラシックの現代音楽のような雰囲気があったからで、ジャズ初心者には衝撃的なものだった。しかし、それ以来この独特の世界を持ったアルバムは私の愛聴盤となった。
1954/55年に録音されたLP時代のA面4曲の内の2曲<Line Up>と<East 32nd Street>は、ピーター・インド(b)、ジェフ・モートン(ds)というトリスターノ派リズム・セクションの録音テープを半分の速度にして再生しながら、その上にトリスターノがピアノのラインをかぶせて録音し、最後にそれを倍速にして仕上げたものだとされている(ただし諸説ある)。<Line Up>は、<All of Me>のコード進行を元にして、4/4と7/4という2つの拍子を用いたインプロヴィゼーションで、初めて聴いたときには思わずのけぞりそうになったほどだが、この緊張感に満ちた演奏は今聴いても実に刺激的だ。他のA面2曲<Turkish Mambo>とRequiem>は、トリスターノのピアノ・ソロによる多重録音である。<Turkish Mambo>4/45/812/87/8という4層の拍子が同時進行する複雑なポリリズム構造を持つ演奏だという(音楽学者Yunmi Shimによる分析)。もう1曲の<Requiem>は、音楽家として互いに深く尊敬し合っていたチャーリー・パーカー(1955年没)を追悼した自作ブルースで、トリスターノのブルース演奏は極めて珍しいものだが、これも素晴らしい1曲だ。武満徹の「弦楽のためのレクィエム」は、トリスターノのこの曲に触発されたものだと言われている。また後年トリスターノの弟子となる女性ピアニスト、コニー・クローザーズもこの曲を聴いてクラシックからジャズに転向したという。2人ともトリスターノの音楽の中に、ジャズとクラシック現代音楽を繋ぐ何かを見出したということだろう。このA面で聴ける構造美とテンション、深い陰翳に満ちた演奏は、トリスターノの天才を示す最高度の質と斬新さを持つ、ジャンルを超えた素晴らしい「音楽」だと思う。

LP時代のB5曲はうって変わって、リー・コニッツ(as)が加わったカルテットが、スタンダード曲をごく普通のミディアム・テンポで演奏しており、1955年6月にニューヨークの中華レストラン内の一室でライヴ録音されたものだ。(コニッツはこの数日後に、「Lee Konitz with Warne Marsh」をAtlanticに吹き込んでいる。)スタン・ケントン楽団を離れたコニッツが自己のカルテットを率いていた絶頂期だったが、ここではリズム・セクションにアート・テイラー(ds)、ジーン・ラメイ(b)というトリスターノ派ではないバップ奏者を起用していることからも、A面のトリスターノの「本音」とも言える音楽世界との差が歴然としている。しかし、この最高にリラックスした演奏もまた、ピアニストとしてのトリスターノの一面である。実は本来は、このカルテットのライヴ演奏のみでアルバムを制作する予定だったが、満足できない演奏があったコニッツの意見で、5曲だけが選ばれ、代わってトリスターノのスタジオ内に眠っていた上記4曲を「発見」したAtlanticが、それらをA面として収録してリリースした、ということだ(その後このライヴ演奏のみを全曲収録したCDも発表された)。アルバムの最終コンセプトはたぶんトリスターノが考えたのだろうが、A面はトリスターノの「本音」、B面は「こわもて」だけじゃないんですよ、という自身のコインの両面を伝えたかった彼のメッセージのようにも聞こえる(勝手な想像です)。ただしそれはあくまでLPアルバム時代の話であり、CDやバラ聴きネット音源ではこうした作品意図や意味はもはや存在しない。残念なことである。
トリスターノは、チャーリー・パーカーと同年1919年にシカゴで生まれた。9歳の時には全盲となり、シカゴのアメリカ音楽院入学後はジャズだけでなくクラシック音楽の基礎も身に付け、20代初めから既に教師として教えるようになっていた。1946年にビバップが盛況となっていたニューヨークに進出し、シカゴ時代からの弟子だったリー・コニッツも間もなく師の後を追った。リー・コニッツ(as)、ウォーン・マーシュ(ts)、ビリー・バウアー(g)、ピーター・インド(b)、アル・レヴィット(ds)というトリスターノのグループは、既に1948年頃からフリー・ジャズの実験を初めており、1949年のアルバム「Crosscurrents」(Capitol)で、<Intuition>、<Digression>というジャズ史上初の集団即興による2曲のフリー・ジャズ曲を録音している。当時彼らはクラブ・ギグやコンサートでも実際に演奏している。ただしそれらは対位法を意識していたために、曲想としてはクラシック音楽に近いものだった。当然ながらクラブなどでは受けないので、その後グループとしてのフリー演奏は止めたが、1951年にマンハッタンに開設した自身のスタジオで、トリスターノはフリー・ジャズ、多重録音の実験を続けていたのだ。(多重録音は今では普通に行なわれているが、70年近く前にこんな演奏を自分で録音して、テープ編集していた人間がいたとは信じられない。テオ・マセロがマイルスの録音編集作業をする15年以上も前である。)

亡くなる2年前、1976年に日本のEast WindからLPでリリースされたレニー・トリスターノ最後のアルバムが「メエルストルムの渦 Descent into the Maelstrom」だ1975年に、当時スイング・ジャーナル誌編集長だった児山紀芳氏とEast Windが、隠遁生活に入っていたトリスターノと直接交渉して、過去の録音記録からトリスターノ自身が選んだ音源をまとめたものだそうだ。ただし音源は1952年から1966年にかけての5つのセッションを取り上げていて、中に1950年代前半(上記「鬼才トリスターノ」音源より前である)に録音したこうした多重録音の演奏が3曲収録されている。アルバム・タイトル曲<メエルストルムの渦>はエドガ・アラン・ポーの同名小説から取ったもので、録音されたのは1953年であり、当時としては驚異的なトリスターノのフリー演奏が聞ける。一人多重録音による無調のフリー・ジャズ・ピアノで、重層化したリズムとメロディがうねるように進行してゆく、まさにタイトル通りの謎と驚きに満ちた演奏だ。セシル・テイラー、ボラー・バーグマンなどのアヴァンギャルド・ジャズ・ピアニスト登場の何年も前に、トリスターノは既にこうした演奏に挑戦していたのである。1952年(195110月という記録もある)のピーター・インド(b)、ロイ・ヘインズ(ds)との2曲のトリオ演奏(Pastime、Ju-Ju)もピアノ部分が多重録音である。他の演奏は “普通の” トリスターノ・ジャズであり、1965年のパリでの録音を含めてピアノソロが5曲、1966年当時のレギュラー・メンバーだったソニー・ダラス(b)、ニック・スタビュラス(ds)とのトリオが同じく2曲収録されている。本人がセレクトした音源だけで構成されていることもあり、Atlantic2作品と共に、このアルバムはトリスターノの音楽的メッセージが最も強く込められた作品と言えるだろう。

1950年前後、トリスターノはインプロヴィゼーション追求の過程で、微妙に変化する複雑な「リズム」と、ホリゾンタルな長く強靭な「ライン」を組み合わせることによって、ビバップの延長線上に新しいジャズを創造しようとしていた。特に強い関心を持っていたのはポリリズムを用いた重層的なリズム構造だ。そのためリズム・セクションに対する要求水準は非常に高く、当時彼の要求に応えられるドラマーやベーシストはほとんどおらず、ケニー・クラークなどわずかなミュージシャンだけだったと言われている。よく指摘されるメトロノームのように変化のないリズムセクションも、その帰結だったという説もある。要するに、上記多重録音のレコードは、「それなら自分一人で作ってしまおう」と考えたのではなかったかと想像する。だからある意味で、これらの多重録音による演奏はトリスターノの理想のジャズを具体化したものだったとも言える。だが多重録音と速度調整という「操作」をしたことで、ジャズ即興演奏の即時性に反するという理由だと思うが、当時彼のAtlantic盤は批評家などから酷評された。その後しばらく経った1962年に、これらの演奏の延長線として、録音操作無しの完全ソロ・ピアノによるアルバム「ザ・ニュー・トリスターノThe New Tristano」(Atlantic)を発表して、自らの芸術的理想をついに実現したのである。

前作の演奏加工への批判に対する挑戦もあり、1曲を除き、完全なソロ・ピアノである。疾走する左手のベースラインと右手の分厚いブロック・コードを駆使して、複雑なリズム、メロディ、ハーモニーを一体化させてスウィングすべく、一人ピアノに向かって「自ら信じるジャズ」を演奏する姿には鬼気迫るものがあっただろうと想像する。盲目だったが彼の上半身は強靭で(ゴリラのようだったと言われている)、その強力なタッチと高速で左右両手を縦横に使う奏法を可能にしていた。収録された7曲のうち<You Don’t Know What Love Is>以外は「自作曲」だが、このアルバムに限らずトリスターノは、既成曲のコード進行に乗せてインプロヴァイズした別のLine(メロディ)に別タイトルをつけるので、原曲はほとんどスタンダード曲である。この姿勢が彼のジャズに対する思想(「即興」こそがジャズ)を表している。たとえば <Becoming>は<What Is This Thing Called Love>,<Love Lines>は<Foolin’ Myself>,<G Minor Complex>は<You’d Be So Nice To Come Home To> などだ。原曲がわかりやすいものもあれば、最初からインプロヴァイズしていて曲名を知らなければわからないものもある。同じく<Scene And Variations>の原曲は <My Melancholy Baby> で、<Carol>、<Tania>、<Bud>という3つのサブタイトルは彼の3人の子供の名前だ。Budは当然ながら、崇拝していたバド・パウエルにちなんで名づけたものだ。クールでこわもて風トリスターノの人間味を感じる部分である。

不特定の客が集まる酒を扱うクラブでの演奏を嫌がり、売上至上主義の商売に批判的で、その手助けをしたくない、というトリスターノの姿勢は若い頃シカゴ時代から基本的に変わらなかった。未開の領域で、自身の信じるビバップの次なるジャズを創造するという姿勢がより強固になっていった40年代後半以降、この傾向はさらに強まる。ジャズという音楽、アメリカという国の成り立ちを考えると、これが如何に当時の音楽ビジネスの常識からかけ離れていたかは明らかだろう。ニューポート・ジャズ祭への出演要請も事前の手続き上のトラブルから断ったりしているが、60年代のヨーロッパでのライヴなど、コンサート形式ならたとえpayが低くても基本的に参加する意志はあったようだ。しかし、クラブでも、コンサート・ホールでもその数少ないライヴ演奏記録は常に新鮮でスリリングな最高のジャズである。ただし、その音楽が本質的に内包する高い緊張感と非エモーショナルな性格から、ジャズにリラクゼーションを求める層に受けないのは昔も今も同じだろう

2017/05/24

ジャズ・レコードから聞こえてくるもの

アンディ・ハミルトンの「Lee Konitz」を翻訳しながら、レニー・トリスターノやリー・コニッツ、ウォーン・マーシュ他のトリスターノ派のミュージシャンたちのレコードをずっと聴いていた(私の場合、手持ちのCD音源を取り込んだPCオーディオなので、好きな部分だけを何回でも繰り返し聴ける)。文章の意味がはっきりしない部分は著者にメールで問い合わせて確認していたが、本文中で録音記録に触れる部分があると、その音楽的背景を知るにはネット情報などの説明だけでなく、実際にそれらの音源を自分の耳で聴いたり、可能ならネット動画で確かめるのがいちばん確実で、それによって翻訳表現もより正確なものになるからだ。半分趣味とはいえ、ジャズ伝記類の翻訳は報われることの少ない仕事だと思うが、一ジャズファンという立場からすると、ジャズという音楽やミュージシャンの人生に関して知らなかったことを新たに発見してゆく楽しみだけでなく、これまで聴いたこともなかったような音源を聴く楽しみも与えてくれるので、苦労も相殺されるように感じている。今現在のジャズを聴く楽しみももちろん捨てがたいのだが、何せ、死ぬまでかかっても聴ききれないほどの膨大な音源が、モダン・ジャズにはまだまだ残されているのだ。それらの中には自分にとって決してカビのはえた骨董などでない、未知の宝物が眠っている可能性もある。その宝の山を掘り返す楽しみは何物にも代えがたいもので、歳を重ね、先が短くなるほど尚更そう感じるようになる。私にとってはジャズに古いも新しいもなく、良いものは良い、ということだけだ。

翻訳中には、こうして聴いていたレコードの情報を確認するために、
信頼性の高い海外のジャズ音楽家別ディスコグラフィー(discography) をいくつかネットで探して参照し、それらのデータを手持ちのLPCDの記載情報や、ネット上のレコード情報と照合する作業も並行して行なっていた。今はネットで個別レコード情報はかなり手に入るが、ミュージシャン別にまとまったものが意外に少ないし、そうした情報には結構いい加減なものも多い。結果として、何となく自分でトリスターノ派ミュージシャンのディスコグラフィー(英語版)を作ることになり、現在入手可能な150件近いトリスターノやコニッツ他の音源情報(LPCD)を表にまとめてみた(下表)。<録音年/アルバム・カバー/タイトル/録音日時・場所/演奏メンバー/演奏曲名/レーベル>をExcelを使って一覧表にしただけのものだが、これはたぶん日本初の試みだろう(今どき、そういうモノ好きな人がいるとも思えないので)。ジャズに興味のない人から見たら、いったい何をやっているのかと思うだろうが、これは、レコードや音源をたくさん所有していた昔のジャズマニアやレコードコレクターなら、たぶん一度は自分で作ってみたり、購入したりしたことがある類のレコード・リストである。私はそこまでのマニアでもコレクターでもないのでやったことはないが、昔なら大変な時間と労力を必要とする作業だっただろう。しかし今の時代は、インターネットとコンピュータを駆使すればあっという間に…とまでは言えないまでも、それほどの時間をかけずとも、そこそこのものを作成することが可能だ。ただし、それはネット上に公開された英語の原データとテキストを使い、そのほとんどを英語のままコピペ、再配列して作成したからで、これを日本語化(カタカナ表記)しようと思ったらさらにどれだけの労力が必要になるか想像したくもない。(これは趣味の世界なので別にどうということもないのだが、こうしたことからも、分野を問わず、ネット上に膨大な言語情報アーカイブを持つ英語圏の国々や人々が、どれだけ情報量も、情報処理速度上も、優位に立っているかよくわかる。つまり、誰でもいつでも参照可能な知的蓄積が他言語とは比較にならないほど膨大だということで、残念ながらこの点で日本語は圧倒的に不利なのだ。)やる以上は、ということで当初は完全ディスコグラフィーを訳書に掲載することを目指していたのだが、最終的には完成本のページ数制約のために、アルバム数を相当削り、また字数の多い演奏曲名部分を割愛せざるを得なかったので、イメージは原リストとは大分違うものになった。

トリスターノ派の音楽や人物に関しては、日本国内の公開情報はもちろんのこと、翻訳を開始した2013年頃にはネット上で公開されていた英語情報さえ非常に限られていた(今は格段に情報量が増えているが)。マイルスやコルトレーンなどの情報は、微に入り細にわたってそれこそ腐るほどあるのに、他にもたくさんいたジャズの天才や素晴らしいミュージシャンたちの音楽や人生の話は、日本ではほとんど表面的で断片的な紹介か、神話や伝説の次元に留まったままなのだ。今のように誰もがネットで情報を入手したり自分から発信できる時代と違い、昔は出版メディアが力を持っており、特に80年代バブル以降は、商業性を優先したメディアが限られた情報だけをあたかもジャズの全てであるかのよう伝えてきたこともあって、70年代までコアなジャズファンが楽しんできたマイナーなジャズやミュージシャンの情報は徐々に忘れ去られていった。パーカーとマイルスだけ聴いていればあとはどうでもいい、というような乱暴なことを言う人たちがいたせいもあるだろう。義憤というほどではないが、「リー・コニッツ」の翻訳を思い立ち、出版にこぎつけたモチベーションの一つは、本の内容の面白さもさることながら、そうした日本のジャズ文化に挑戦しようと思ったことだ。上述した自前のトリスターノ派ディスコグラフィーも、これまで日本では見たこともないものだが、もちろん日本のファンの中には数多くの彼らのレコードを所有し、場合によっては自分でディスコグラフィーを作成したりしている人もいることだろう。しかし訳書「リー・コニッツ」では、何としても、簡略版でもいいから、彼らの音楽の足跡をひと目で辿れるようなわかりやすいディスコグラフィーを併載し、それによって、一人でも多くの人に彼らの音楽にもっと興味を持ってもらいたかった(原著にこの資料はなく、また著者のハミルトン氏は哲学の人なので、コニッツの音楽思想への関心はあっても、そういういかにも日本的なアプローチに興味はないようだったが、提案は快諾してくれた)。信頼性にも問題がある断片ネット情報を読者が個別に見に行くのではなく、ミュージシャンの物語と、信頼できる音楽情報が一体となった「本」というパッケージで読めば、彼らの世界が一目瞭然で、読者としては単純に便利であり、しかもその方が楽しめるからだ。そこに実際の演奏記録(レコード)を聴く機会が加われば、さらに楽しみが深まると思う。

1970年代以降のジャズは、「ビッチェズ・ブリュー Bitches Brew(1970 CBS) に象徴されるマイルス・デイヴィスのコンセプトの支配的影響もあって、演奏家個人の技術や魅力よりも、一言で言えば全体としてコントロールされた集団即興に音楽の重心がシフトした。個性の出しにくいエレクトリック楽器の普及と、演奏後の録音編集という新技術がそこに加わったために、結果として、演奏現場で独自のサウンドで瞬間に感応する即興演奏で生きていた個々のジャズ演奏家の存在感が相対的に薄まって行くことになった。ロックやポップスの台頭、社会と聴衆の変化などが背景にあるのはもちろんだが、その後のジャズにカリスマ的ミュージシャンが現れにくくなったのも、個人から制御された集団へのシフトというジャズの基本的フォーマットの変化が主因の一つだろう。本来モダン・ジャズは、強力な個人が互いに個性と創造性をぶつけ合いながら作り上げた自由な音楽というところに最大の魅力があった。だからジャズ全盛期の真に創造的なミュージシャンの音楽からは、何物にも制約されない個人の強烈な創造エネルギーが今でも感じられるのだ。それはパーカーも、トリスターノも、コニッツも、モンクも同じである。そういう音楽家には人間としてもユニークな個性と魅力があり、彼らが送った人生にもまた不思議な引力がある。「出て来た音がすべてだ」という考え方も一方にあるが、私が個人的に興味を引かれるのは、単なるジャズ史的な位置づけや残された音源の音楽的評価ではなく、彼らの音楽と、それを生み出した人間との関係だ。ジャズ演奏家としての音楽哲学と思想を存命の本人が語った「リー・コニッツ」は、その意味で私にとっては実に刺激的な本だった。

翻訳中に自分で作ったディスコグラフィーを眺めながらレコードを聴いていると、彼らが送った時代や人生が何となく見えてくる。本に書かれた時代背景や人生だけでなく、彼らの音楽的個性や、音楽的に目指していたものが何だったのかということが、ド素人のジャズファンと言えどもおぼろげながら見えてくるのである。いつの時代も、優れた音楽家は一つの場所にじっとしているわけではない。常に進化しようとしているし、自らの目標に向かって努力し、変化してゆくものだ。また音楽的に一直線に上昇してゆくわけでもなく、調子の良い時も、悪い時期もあるし、場合によっては最初に録音したレコードを超えられずに一生を終える人もいる。出会った師や仲間に大きな影響を受け、音楽が次々と変遷する人もいる。生きている人間ならみな当然のことであり、私にはそこが面白いのだ。そうして作られたレコードから聞こえてくるのは抽象的な音に過ぎないのだが、そこに至るまでのジャズ音楽家の思想や、生き方や、苦悩を知ると、1枚のレコードがまったく違うものに聞こえてくる。今や手に負えないほど拡散しているジャズという音楽のフラグメントを追うのではなく、ミュージシャン個人や、時間軸というテーマで切り取る聴き方は、音源が昔とは比較にならないほど豊富で入手しやすい現代においては、ジャズを楽しむ良い方法の一つだと思う。それはまた日本人ならではの、レコードによる緻密で、繊細で、感覚的なジャズ鑑賞術をさらに掘り下げたジャズの楽しみ方にもなると思う。ジャズは何よりも自由な音楽なのであり、だからその聴き方もまた自由であるべきだ。様々なミュージシャンの名前やレコード名、楽理、ジャズ演奏技術の詳細を知らなくても、ジャズを楽しむ方法はいくらでもあるのだ。

基本的素材がほぼ出尽くしたと思われる20世紀に続く今は、現代の感覚でそれらをいかに変化させ、組み合わせ、あるいは新技術を駆使して、新しいフォーマットを創造するかがジャズに限らずあらゆるアーティストの宿命と言えるだろう。それが現代のアーティストにとって最大の命題であり、決して簡単なことではないだろうが、いずれそこから真に新しいアートが創造されることを期待もしている。だが一方で、今や過去の素材の一つにすぎないモダン・ジャズ黄金期の優れたミュージシャンの音源を聴くと、現代の音楽には望むべくもない、未来を信じ、ゼロから何かを生み出した行為にしか存在しないような強烈なエネルギーと創造性を感じることも事実だ。当時録音されたジャズ・レコードからは、我々を触発するそうした時代の空気と音楽家の精神が伝わってくる。私がレコードを聴くのは単なる<ド>ジャズ回顧ではなく、当時のレコードの音から今でもそれが聞こえてくるからだ。レコードという記録媒体に残されたモダン・ジャズは、20世紀半ばという時代と、アメリカという特殊な国を象徴する音楽だが、間違いなく現代世界の音楽の底流を作ったグローバルな音楽でもあり、今や時代を超えた価値を持つ古典だ。いまさら必要以上に持ち上げたり、貶めるようなことを言う対象でもなく、個々人が自由に聴いて、自由に想像し、自由に楽しむべき音楽遺産なのである。

***************************************************************
「リー・コニッツ ジャズ・インプロヴァイザーの軌跡」を翻訳しながら、備忘録のように書き留めてきたトリスターノやコニッツのレコードに関するメモを基に、彼らの主要レコードを次回から紹介したいと思います。これらの音源が、本書に書かれたトリスターノやコニッツの音楽と思想を理解する手助けとなること、それによって本書を読む楽しみが一層深まることを願っています1枚の有名レコードを聴いただけではわからない、ミュージシャン像や音楽が見えてくるようなものにしたいと思いますが、何度も言うようですが、基本的にド素人の感想文なので、できれば細部への突っ込みはご遠慮いただくようお願いします。私が知る限り、コニッツをはじめとするトリスターノ派の音楽思想や演奏技術の分析は、本書を高く評価していただいている名古屋の鈴木学氏(「鈴木サキソフォンスクール」主宰)が長年研究されてきたので、そうした分野に関心のある方は、鈴木先生のホームページにアクセスしていただければ、参考になる情報がきっと得られると思います。

2017/05/18

菊地成孔、高内春彦の本を読む

菊地成孔と高内春彦は2人ともジャズ・ミュージシャンだが、片や山下洋輔のグループで実質的なプロ活動を始め、以来日本での活動が中心のサックス奏者兼文筆家、片やアメリカ生活の長いギタリスト兼作曲家というキャリアの違いがある。今回読んだ菊地氏の本は2015年の末に出版されているので既に大分時間が経っているが、最近(4月)、高内氏の書いたジャズ本が出たこともあって、2人のジャズ・ミュージシャンが書いた2冊の本を続けて読んでみた。これはまったくの個人的興味である。共通点はジャズ・ミュージシャンが書いた本ということだけだ。本のテーマもまるで違うし、文筆も主要な仕事の一つとしてマルチに活動している人と、ジャズ・ミュージシャン一筋の人という違いもあるので、本の出来云々を比較するつもりはなく、以下に書いたのはあくまで読後の個人的感想だということをお断りしておきたい。

高内氏はジャズ・ギター教則本は何冊か書いているようだが、これまで本格的な著作はなく、この本「VOICE OF BLUE -Real History of Jazz-舞台上で繰り広げられた真実のジャズ史をたどる旅」(長いタイトルだ…)が初めてのようだ。80年代初めの渡米以降アメリカ生活が長く、それに本人よりも女優の奥さんの方が有名人なので、いろいろ苦労もあったことだろう。しかし、なんというか、自然体というのか、のんびりしているというのか、構えない人柄や生き方(おそらく)が、この本全体から滲み出ているように感じた。私が知っていることもあれば、初めて知ったこともあり、特に1970年代以降のアメリカのジャズ現場の話は、これまであまり読んだことがなかったので参考になる部分も多かった。ただ英語表現(カタカナ)がどうしても多くなるのと、カジュアルな言い回しを折り混ぜた文体は、肩肘張らずに読める一方で、どこか散漫な印象も受ける。歴史、楽器、民族など博学な知識が本のあちこちで披露されていることもあって何となく集中できないとも言える。モードの解析や、ギタリストらしい曲やコード分析など収載楽譜類も多いが、これらはやはりジャズを学習している人や音楽知識のある人たちでないと理解するのが難しいだろう。一方、デューク・エリントンを本流とするアメリカのジャズ史分析や、ジャズの捉え方、NYのジャズシーンの実状、新旧ミュージシャン仲間との交流に関する逸話などは、著者ならではの体験と情報で、私のようなド素人にも面白く読めた。伝記類を別にすれば、こうしたアメリカでの個人的実体験と視点を基にしてジャズを語った日本人ミュージシャンの本というのはこれまでなかったように思う。ただし全体として構造的なもの、体系的な流れのようなものが希薄なので、あちこちで書いたエッセイを集めた本のような趣がある。また常に全体を冷静に見渡している、というジャズ・ギタリスト兼作曲家という職業特有の視点が濃厚で、技術や音楽に関する知識と分析は幅広く豊富だが、逆に言えば広く浅く、あっさりし過ぎていて、ジャズという音楽の持つ独特の深み、面白味があまり伝わって来ない。たぶん一般ジャズファン対象というよりも、ジャズ教則本には書ききれない音楽としてのジャズの歴史や背景をジャズ学習者にもっと知ってもらおう、という啓蒙書的性格の本として書かれたものなのだろう。ただしジャズへの愛情、構えずに自分の音楽を目指すことの大事さ、という著者の思想と姿勢は伝わってきた。

一方の「レクイエムの名手 菊地成孔追悼文集」は文筆家としての菊地成孔が書いたもので、ジャズそのものを語った本ではない。クールな高内氏と対照的に、こちらは独特のテンションを持った語り口の本だ。これまでに私が読んだ菊地氏の本は、10年ほど前の大谷能生氏との共著であるジャズ関連の一連の著作だけだが、これらは楽理だけではなく、ジャズ史と、人と、音楽芸術としてのジャズを包括的に捉え、それを従来のような聴き手や批評家ではなく、ミュージシャンの視点で描いた点で画期的な本だと思うし、読み物としてもユニークで面白かった。これらの本格的ジャズ本と、ネット上で菊地氏が書いたものをほんの一部読んできただけなので、この本「レクイエムの名手」は私にとっては予想外に新鮮だった(彼のファンからすれば何を今更だろうが)。個人的接点の有無は問わず、親族から友人、有名人まで、「この世から失われた人(やモノ)」を10年以上にわたって個別に追悼してきたそれぞれの文章は、各種メディアに掲載したりラジオで語ってきたものだ。それらをまとめた本のタイトルを、原案の(自称)「死神」あらため「追悼文集」にしたという不謹慎だが思わず笑ってしまうイントロで始まり、エンディングを、死なないはずだったのに本の完成間近に亡くなったもう一人の「死神」、尊敬する相倉久人氏との「死神」対談で締めくくっている。私のまったく知らない人物の話(テーマ)も出て来るのだが、読んでいるとそういう知識はあまり関係なく、彼の語り口(インプロヴィゼーション)を楽しめばいいのだと徐々に思えてくる。音楽を聞くのと一緒で、その虚実入り混じったような、饒舌で、だが哲学的でもあり、かつ情動的な語り口に感応し楽しむ人も、そうでない人もいるだろう。中には独特の修辞や文体に抵抗を感じる人もいるかもしれないが、現代的で、鋭敏な知性と感性を持った独創的な書き手だと私は思う。

年齢を重ねると、周囲の人間が徐々にこの世を去り、時には毎月のように訃報を聞くこともあるので、死に対する感受性も若い時とは違ってくる。自分に残された時間さえも少なくなってくると、亡くなった人に対する「追悼」も切実さが徐々に薄まり、自分のことも含めて客観的にその人の人生を振り返るというある種乾いた意識が強くなる。これは人間として当然のことだと思う(だが若くして逝ってしまった人への感情はそれとは別だ)。そういう年齢の人間がこの本から受ける読後感を一言で言えば、「泣き笑い」の世界だろうか。泣けるのにおかしい、泣けるけど明るいという、「生き死に」に常についてまわる、ある種相反する不可思議な人情の機微を著者独特の文体で語っている。文章全体がジャズマン的諧謔と美意識に満ちていて、しみじみした項もあれば笑える箇所もあるが、そこには常に「やさぐれもの」に特有の悲哀への感性と、対象への深い人間愛を感じる。独特の句読点の使い方は、文中に挿入すると流れを損なう「xxx」の代替のようでもあり、彼の演奏時のリズム(休止やフィル)、つまりは自身の身体のリズムに文章をシンクロさせたもののようにも思える。カッコの多用も、解説や、過剰とも言える表現意欲の表れという側面の他に、演奏中に主メロディの裏で挿入するカウンターメロディのようにも読める(文脈上も、リズム上も、表現者としてそこに挿入せずにはいられない類のもの)。文章の底を流れ続けるリズムのために、文全体が前へ前へと駆り立てるようなドライブ感を持っているので、先を読まずにいられなくなる。「追悼」をメインテーマに、菊地成孔がインプロヴァイズする様々なセッションを聴いている、というのがいちばん率直な印象だ。そしてどのセッションも楽しめた。

特に印象に残ったのは、氏の愛してやまないクレージー・キャッツの面々やザ・ピーナッツの伊藤エミ、浅川マキ、忌野清志郎、加藤和彦など、やはり自分と同時代を生きたよく知っているミュージシャンの項だ。私は早逝したサックス奏者・武田和命 (1939-1989) が、一時引退後に山下洋輔トリオ(国仲勝男-b、森山威男-ds)に加わって復帰し、カルテット吹き込んだバラード集「ジェントル・ノヴェンバー」(1979 新星堂)を、日本のジャズが生んだ最高のアルバムの1枚だと思っている。このアルバムから聞こえてくる譬えようのない「哀感」は、絶対に日本人プレイヤーにしか表現できない世界だ。どれも素晴らしい演奏だが、冒頭のタッド・ダメロンの名曲<ソウルトレーン SoulTrane>を、「Mating Call」(1956 Prestige) における50年代コルトレーンの名演と聞き比べると、それがよくわかる。哀しみや嘆きの感情はどの国の人間であろうと変わらないはずだが、その表わし方はやはり民族や文化によって異なる。山下洋輔の弾く優しく友情に満ちたピアノ(これも日本的美に溢れている)をバックに、日本人にしか表せない哀感を、ジャズというフォーマットの中で武田和命が見事に描いている。菊地氏のこの本から聞こえてくるのも、同じ種類の「哀感」のように私には思える。それを日本的「ブルース」と呼んでもいいのだろう。彼のジャズ界への実質的デビューが、1989年に亡くなった武田和命を追悼する山下洋輔とのデュオ・セッションだった、という話をこの本で初めて知って深く感じるものがあった。会ったことも生で聴いたこともないのだが、山下氏や明田川氏などが語る武田氏にまつわるエピソードを読んだりすると、武田和命こそまさに愛すべき「ジャズな人」だったのだろうと私は想像している。時代とタイプは違うが、本書を読む限り、おそらく菊地成孔もまた真正の日本的「ジャズな人」の一人なのだろう。その現代の「ジャズな人」が、昔日の「ジャズな人」を追悼する本書の一節は、それゆえ実に味わい深かった。 

2人のジャズ・ミュージシャンが書いた本は両書とも楽しく読めた。また2人とも心からジャズを愛し生きて来たことがよくわかる。だが高内氏の本はジャズを語った本なのだが、私にはそこからジャズがあまり聞こえてこない。一方菊地氏の本はジャズそのものを語った本ではないが、私にはどこからともなくずっとジャズが聞こえてくる。もちろん私個人のジャズ観や波長と関係していることだとは思うが、この違いはそもそも本のテーマが違うからなのか、文章や文体から来るものなのか、著者の生き方や音楽思想から来るものなのか、あるいは日本とアメリカという、ジャズを捉える環境や文化の違いが影響しているのか、判然としない。年齢は1954年生まれの高内氏が菊地氏より10歳近く年長だ。1970年代半ばの若き日に、フュージョン(氏の説明ではコンテンポラリー)全盛時代の本場アメリカで洗礼を受け、以来ほぼその国を中心に活動してきたギタリストと、バブル時代、実質的にジャズが瀕死の状態にあった80年代の日本で同じく20歳代を生きたサックス奏者…という、演奏する楽器や、プロ奏者としてのジャズ原体験の違いが影響しているのか、それとも単に個人の資質の問題なのか、そこのところは私にもよくわからない。

2017/05/15

Bossa Nova(番外編): ボサノヴァ・コニッツ

ボサノヴァ特集(?)の最後を飾るのは、やや好事家向けになるがジャズ・アルトサックス奏者リー・コニッツのボサノヴァだ。コニッツはブラジル音楽、とりわけアントニオ・カルロス・ジョビンのファンだったが、同業者のスタン・ゲッツが1960年代初めにテナーでボサノヴァを取り上げて大ヒットさせたこともあって、以来自分では手をつけてこなかったそうである(自伝での本人談。悔しかったのか?)。しかし1980年代から第2期黄金期を迎えていた(と私は思う)コニッツは、60歳を過ぎた1989年にブラジル人ミュージシャンと作った「リー・コニッツ・イン・リオ」(M.A.Music)を皮切りに、そのスタン・ゲッツの葬儀(1991年)で出会ったラテン音楽好きの女性ピアニスト、ペギー・スターン Peggy Stern (1948-) と活動を開始したこともあって、90年代に入ってからブラジル音楽を取り上げた作品を積極的にリリースした。ただし、それらはいずれもジャズ・ミュージシャン、リー・コニッツ流解釈によるブラジル音楽であり、”普通の” ボサノヴァを期待すると面食らうこともある。

ペギー・スターン(p, synt)とのデュオ「ジョビン・コレクションThe Jobim Collection」(1993 Philology)は、アントニオ・カルロス・ジョビンの作品のみを演奏したアルバムだ。非常に評判が良かったらしいが、Philologyというイタリアのマイナー・レーベルでの録音だったこともあって発売枚数が少なく、今は入手しにくいようだ(私も中古を手に入れた)。ゲッツから遅れること30年、ようやく手掛けたボサノヴァとジョビンの名曲の一つひとつを楽しむかのように、コニッツにしてはアブストラクトさを控え、珍しく感傷と抒情を衒いなく表した演奏が多い (本人もそう認めている)。コニッツならではの語り口による陰翳に富んだボサノヴァは、これはこれで非常に魅力的である。またデュオということもあって、各曲ともほとんど3分から5分程度で、ブラジル音楽を取り上げた他のバンドによるアルバムに比べ、メロディを大事にしながらどの曲もストレートに歌わせているところも良い。ペギー・スターンはピアノとシンセサイザーを弾いているが、どの曲でも非常に美しくモダンで、かつ息の合ったサポートでコニッツと対話している。馴染み深いジョビンの有名曲が並びどれも良い演奏だが、ここではメロディのきれいな<Zingaro>、<Dindi>、コニッツ本人も好きだと言う<Luiza>での両者のデュオが特に美しい。

その後コニッツは、日本のヴィーナス・レーベルからボサノヴァのアルバム「ブラジリアン・ラプソディ」(1995)と「ブラジリアン・セレナーデ」(1996)という2枚のレコードをリリースしている。「ラプソディ」にはペギー・スターンがピアノで参加し、「セレナーデ」はトランペットのトム・ハレル、ブラジル人ギタリストのホメロ・ルバンボ、ピアノのデヴィッド・キコスキー他を加えた2管セクステットによるジャズ・ボッサで、こちらも8曲中5曲がアントニオ・カルロス・ジョビンの有名作品だ。ジョビンの曲は、基本的にジャズ・スタンダードのコード進行を元にしているので、ジャズ・ミュージシャンにとっては非常に馴染みやすいのだという。だが、そのメロディはやはりどの曲もブラジルらしい美しさに満ちている。他の3曲は、<リカード・ボサ・ノヴァ>、トム・ハレルとコニッツのタイトル曲がそれぞれ1曲で、このレコードではいずれもオーソドックスなジャズ・ボッサを演奏している。

もう1枚はマイナー盤だが、コニッツが ”イタリア人” のボサノヴァ歌手兼ギタリストのバーバラ・カシーニ Barbara Casini (1954-)と、ボサノヴァの名曲をカバーしたトリオによるアルバム「Outra Vez」(2001 Philology)だ。ギターに同じくイタリア人のサンドロ・ジベリーニ Sandro Gibelini がガットとエレクトリック・ギター両方で参加している。バーバラ・カシーニは初めて聴いたが、コニッツがそのタイム・フィーリングの素晴らしさを称賛しているだけあって非常に良い歌手だ。声はジョイス Joyce (1948-)に似ているが、かすかにかすれていて、しかし良く通るきれいな歌声だ。小編成のボサノヴァ演奏ではガット・ギターが普通で、エレクトリック・ギターは珍しいと思うが、ジベリーニはまったく違和感なくこなしていて、ジム・ホールを彷彿とさせる柔らかく広がる音色が全体を支え、カシーニの歌声、コニッツのアルトサックスの音色ともよく調和している。このCDではコニッツがアルトに加えて、なんと2曲スキャットで(!)参加している。このコニッツのヴォーカルをクサしているネット記事を見かけたことがあるが(このCDを聴いていた人がいるのにも驚いたが)、私は「悪くない」と思う。うまいかどうかは別にして、録音当時73歳にしてリズム、ラインとも実に味のある ジャズ” ヴォーカルを聞かせていると思う。まず「歌う」ことがコニッツのインプロヴィゼーションの源なので(自伝によれば)、歌のラインは彼のサックスのラインと同じなのだ。半世紀前のカミソリのように鋭いアルトサウンドを思い浮かべて、カシーニをサポートするたゆたうような優しいサックスとヴォーカルを聴いていると、過ぎ去った月日を思い、まさにサウダージを感じる。

2017/05/12

Bossa Nova #4:バーデン・パウエル

いわゆる穏やかなボサノヴァとは対極にあるのが、ギタリストのバーデン・パウエル Baden Powell (1937-2000) の音楽だ。ここに挙げた邦題「黒いオルフェーベスト・オブ・ボサノヴァ・ギター」というCDは、1960年代に演奏されたバーデンの代表曲を集めたベスト・アルバムで、昔から何度もタイトル名やジャケット・デザインを変えて再発されている。今や古典だが、彼が最も脂の乗った時期の演奏であり、どの曲も演奏も素晴らしいので、いつになっても再発されるのだろう。ここでは<悲しみのサンバ Samba Triste>などバーデンの代表曲の他に、<イパネマの娘>などボサノヴァの名曲もカバーしているが(タイトルもそうだが)、彼のギターの本質はいわゆるボサノヴァではない。アフロ・サンバと呼ばれる、アフリカ起源のサンバのリズムを基調としたより土着的なブラジル音楽がそのルーツであり、ボサノヴァのリズムと響きを最も感じさせるジョアン・ジルベルトが弾くギターのコードとシンコペーションと比べれば、その違いは明らかだ。だからサンバがジャズと直接結びついて生まれたボサノヴァと違い、バーデンの音楽からはあまりジャズの匂いはしない。このアルバムで聴けるように、彼のギターは力強く情熱的で、圧倒的な歯切れの良さとブラジル独特のサウダージ(哀感)のミックスがその身上だ。特にコードを超高速で刻む強烈なギター奏法は、40年以上前のガット・ギター音楽に前人未踏の独創的世界を切り開いた。もちろんバーデンもボサノヴァから影響を受け、またボサノヴァに影響を与えた。だからその後のブラジル音楽系のギタリストは、ジョアン・ジルベルトと並び、多かれ少なかれバーデン・パウエルの影響を受けている。

60年代全盛期のバーデン・パウエルは世界中で支持されたが、当時のその神がかったすごさは、1967年にドイツで開催された「Berlin Festival Guitar Workshop」(MPS) という、ブルース奏者(バディ・ガイ)やジャズ・ギター奏者(バーニー・ケッセル、ジム・ホール)等と共に参加したコンサート・ライヴ・アルバムで聞くことができる(このコンサートをプロデュースしたのはヨアヒム・ベーレントとジョージ・ウィーン)。ここでは <イパネマの娘> 、<悲しみのサンバ>、 <ビリンバウ> の3曲をリズム・セクションをバックに演奏しているが、いくらかスタティックな他のスタジオ録音盤とは大違いの、迫力とスピード、ドライブ感溢れる超高速の圧倒的演奏で会場を熱狂させている(CDではMCがカットされたりしていて、LPほどはこの熱狂が伝わってこないが)。この時代1960年代後半は、バーデンは特にヨーロッパで圧倒的な支持を得ていたが、ベトナム反戦、学生運動、公民権闘争など当時の激動の世界が、フリー・ジャズやバーデンのギターから聞こえる既成の枠を突き破ろうとする新しさと激しさに共感していたのだろう。バーデンはセロニアス・モンクやジョアン・ジルベルトと同様に、その奇行や変人ぶりでも有名だったが、こうした素晴らしい音楽を創造した天才たちというのは、いわば神からの贈り物であり、常人が作った人間世界の決まり事を尺度にあれこれ言っても仕方がない人たちであって、正直そんなことはどうでもいいのである。

バーデン・パウエルは、映画「男と女」(1966) にも出演したフランス人俳優、歌手、詩人、またフランス初のインディ・レーベル 「サラヴァ Saravah」主宰者としても知られる文字通りの自由人ピエール・バルー Pierre Barouh (1934-2016)との親交を通じて、フランスにブラジル音楽を広めた一人でもあった。バルーも、バーデンの協力を得ながら曲を作り、自らブラジル音楽をフランス語で歌い、フランスにボサノヴァを広めた。彼はまた日本人ミュージシャンたちとの親交でも有名な人だが、Saravah創設50周年を迎えた昨年12月末に82歳で急死した。そのバルー追悼として最近再発されたDVDサラヴァ- 時空を越えた散歩、または出会い」(ピエール・バルーとブラジル音楽1969~2003)は、1969年のブラジル訪問以降、バーデン・パウエル他のブラジル人ミュージシャンたちとの交流を通じて、バルーがどのようにブラジル音楽を理解していったのか、その旅路を自ら記録した映像作品だ。若きバルーやバーデンと、ピシンギーニャ他のブラジル人ミュージシャンたちが居酒屋に集まって即興で演奏する様子(ギターはもちろんすごいが、歌うバーデンの声の高さが意外だ)などを収めた貴重なドキュメンタリー・フィルムは、バルーのブラジル音楽への愛情と尊敬が込められた素晴らしい作品だ

バーデン・パウエルは1970年に初来日して、その驚異的なギターで日本の人々を感激させている(ジョージ・ウィーンがアレンジしたこの時のツアーには、セロニアス・モンクもカーメン・マクレー等と参加していた)。日本でそのバーデン・パウエルのギター奏法から大きな影響を受けたと思われるのが、歌手の長谷川きよし(1949-)やギタリストの佐藤正美(1952-2015)だ。長谷川きよしのデビューは1969年で、<別れのサンバ>に代表される初期の曲で聴けるサンバやボサノヴァ風ギターには、バーデンのギターの影響が濃厚だ。バーデンを敬愛していた佐藤正美はより明快に影響を受けていて、1990年のCD「テンポ・フェリス Tempo Feliz」(EMI)は、バーデンへのオマージュとして聞くことのできる優れたアルバムだが、ここでの演奏はボサノヴァ色をより強めたものだ。背景に海辺の波の音を入れた録音には賛否があったようだが、これはこれで非常にブラジル的なムードが出ていて、リラックスして聴けるので私は好きだ。昔、渡辺香津美との共演ライヴで聴いた佐藤正美のギターも実に素晴らしかった。その後、独自のコンセプトで様々な演奏と多くのアルバムを残した佐藤正美氏は、残念ながら2015年にバーデン・パウエルと同じ享年63歳で亡くなった。

2017/05/09

Bossa Nova #3:ジャズ・ボッサ

ジャズ・ボッサ系のインストものと言えば、やはりギターを中心にしたアルバムを聴くことが多いが、唯一の例外が、毎年夏になると聴いている、ストリングスの入ったアントニオ・カルロス・ジョビン Antonio Carlos Jobim (1927-94) の「波 Wave」(1967 A&M) だ。ジャズファンでなくとも誰でも知っている超有名なアルバムだがジョビンの書いたボサノヴァの名曲が、ストリングスの美しい響きとジョビンのピアノ、リラックスしたリズムで包まれたイージーリスニング盤である(制作はクリード・テイラー)。全編爽やかな風が吹き抜けるような演奏は、非常に気持ちが良くて何も考えたくなくなる。いつでも聴けるし、おまけに何度聴いても飽きない。(そう言えば夏だけでなく1年中聴いているような気もする。)ジョビンのこのアルバムに限らず、よくできたボサノヴァにはやはり人を穏やかな気分にさせるヒーリング効果があると思う。

ジェリー・マリガン Gerry Mulligan (1927-96) が女性ヴォーカルのジャンニ・デュボッキJane Duboc (1950-)と組んだ「パライソ Paraiso(楽園)」(1993 Telarc) は、スタン・ゲッツとブラジル人ミュージシャンがコラボした1960年代の作品に匹敵する素晴らしいアルバムだと思う。1曲目<Paraiso> のワクワクするようなサンバのリズムで始まる導入部から最後の曲<North Atlantic Run> まで、タイトル通り全編とにかく明るく開放的なリズムと歌声、美しいサウンドで埋め尽くされている。唯一の管楽器であるジェリー・マリガンのバリトンサックスに加え、他のブラジル人ミュージシャンたちによるギター、ピアノ、ドラムス、パーカッション各演奏それぞれが強力にスウィングしていて、音楽的な聴かせどころも満載である。またジャズにしてはいつも「音が遠い」Telarcレーベルの他のアルバムと違い、空間が豊かでいながら、声と楽器のボディと音色をクリアーに捉えた録音も素晴らしく、とにかく聴いていて実に気持ちのいいアルバムだ。ブラジル人作曲家ジョビン、モラエス、トッキーニョの3作品以外の8曲は、マリガンがこのアルバムのために書き下ろした自作曲にデュボッキがポルトガル語の歌詞をつけたものだという。マリガンのバリトンサックスの軽快で乾いた音色と、デュボッキの透き通るような歌声が、聴けばいつでも 「楽園」 に導いてくれる "ハッピージャズ・ボッサの傑作である。

「ジャズ・サンバ・アンコール Jazz Samba Encore」(1963 Verve) は、スタン・ゲッツ(ts) がチャーリー・バード(g)と共演してヒットさせた「Jazz Samba」(1962 Verve) の続編という位置づけのアルバムだ。アメリカ人リズム・セクションも参加しているが、ピアノにアントニオ・カルロス・ジョビン、ギターにルイス・ボンファ Luiz Bonfá (1922-2001) 、ヴォーカルにマリア・トレード Maria Toledo (当時のボンファの奥さん)というブラジル人メンバーが中心となって、ジャズ色の強い”アメリカ製”ブラジル音楽といった趣の強かった「Jazz Samba」に比べ、よりブラジル色を打ち出している。当時のスタン・ゲッツはゲイリー・マクファーランド(vib)、チャーリー・バードらと立て続けに共演してブラジル音楽を録音しており、ボンファたちとこのレコードを録音した翌月に吹き込んだのが、ジョアン&アストラッド・ジルベルトと共演した「Getz/Gilberto」だった。ルイス・ボンファは「カーニバルの朝」の作曲者としても知られるブラジルの名ギタリストで、このアルバムでもボンファのギターには味わいがある。ジルベルト夫妻盤にも負けない、この時代のベスト・ジャズ・ボッサの1枚。

イリアーヌ・イーリアス Eliane Elias (1960-)はクラシック・ピアノも演奏するブラジル出身のジャズ・ピアニストだ。80年代にランディ・ブレッカーと結婚して以降、その美貌もあってボサノヴァのピアノやヴォーカル・アルバムをアメリカで何枚も出している。ヴォーカルは私的にはあまりピンと来ないが(このアルバムでも1曲歌っている)、ピアノはクラシック的な明晰なタッチと、ブラジル風ジャズがハイブリッドしたなかなか良い味があると思う。中でもアントニオ・カルロス・ジョビンの曲を取り上げ、エディ・ゴメス(b)とジャック・デジョネット(ds)、ナナ・ヴァスコンセロス(perc)がバックを務めた初期の「Plays Jobim」(1990 Blue Note) は愛聴盤の1枚だ。彼女をサポートする強力な3人の技もあって、ジョビンの静謐なムードを持つ美しい曲も、快適にスウィングする曲も、どちらも非常に楽しめるピアノ・ボッサ・アルバムだ。

もう1枚は超マイナー盤だが、のんびりと涼しい海辺で聴きたくなるような、ギターとピアノのデュオによるイタリア製ボッサ・アルバムSossego」(2001 Philology)だ。ポルトガル語のタイトルの意味を調べたら平和、静か、リラックスなどが出てくる。多分「安息」が最適な訳語か。そのタイトルに似合うスローなボサノヴァと、<Blue in Green>などのジャズ・スタンダードの全13曲をほぼデュオで演奏したもの。ギターはイリオ・ジ・パウラ Irio De Paula(1939-)というブラジル人で、70年代からイタリアで活動しているギタリスト。ピアノのレナート・セラーニ Lenato Sellani (1926-)はイタリアでは大ベテランのジャズ・ピアニストだ。調べたら二人ともイタリアで結構な数のアルバムをリリースしている。録音時は二人とも60歳過ぎのベテラン同士なので、当然肩肘張らないリラックスした演奏が続く。人生を知り尽くした大人が静かに対話しているような音楽である。聴いていると、海辺の木陰で半分居眠りしながら夢でも見ているような気がしてくる。この力の抜け具合と、涼しさを感じさせるサウンドが私的には素晴らしい。

2017/05/06

Bossa Nova #2:ジョアン・ジルベルト

アントニオ・カルロス・ジョビンと並んで、ジョアン・ジルベルト João Gilberto (1931-) はボサノヴァそのものだ。というか歌のボサノヴァとはジョアン・ジルベルトのことだ、と言ってもいいくらいだ。「ジョアン・ジルベルトの伝説」(1990 World Pacific) というレコードは、ジョアンの初期1959年から60年代初めの頃の3枚の作品を編集した全36曲からなるアルバムだったが、ジョアンの承諾なしに発売したため訴訟問題となって現在は再発できない状況らしい。しかしカルロス・ジョビンの代表曲<想いあふれて Chega de Saudade>から始まるこのレコードは、まさにボサノヴァの名曲のオンパレードで、全曲を通して若きジョアン・ジルベルトの瑞々しい歌声と、ボサノヴァ・ギターの原点というべきあの独特のシンコペーションによるギター・プレイが聴ける。「ボサノヴァとは何か」と聞かれたら、このレコードを聴けと言えるほど素晴らしい内容である。今は中古で探すか、バラ売りされている初期レコードのCDを探すしかないようだ。(同じタイトルで現在ユニヴァーサルから出ている別ジャケットCDは、ジョアン公認と書かれているが、収録内容は異なるようだ)


「ゲッツ/ジルベルト Getz/Gilberto」(1963 Verve)は、当時ヨーロッパから帰国し、ギターのチャーリー・バード Charlie Byrd (1922-99)と共演した「ジャズ・サンバ Jazz Samba(Verve 1962) 他でブラジル音楽に挑戦していたテナーサックス奏者、スタン・ゲッツとジョアン・ジルベルトがアメリカで共作した歴史的名盤だ。録音時ジョアンはこのコラボには満足していなかったようだが(ジャズとボサノヴァの感覚の違いだろう)、結果としてこのレコードはアメリカで大ヒットしてグラミー賞を受賞する。アントニオ・カルロス・ジョビンもピアノで参加し、クールなゲッツのサックスも気持ちの良い響きだし、ジョアンも、当時の妻アストラッド・ジルベルトともに若く瑞々しい歌声がやはりいい。特にアストラッドが英語で歌った<イパネマの娘>が大ヒットし、この後Verveに何枚かゲッツとの共作が吹き込まれている。演奏されたどの曲も超有名で、今やジャズ・ボッサの古典だが、ジャズという音楽とプレイヤーを媒介にしたこのアルバムの大ヒットが起点となって、その後ボサノヴァがワールド・ミュージックの一つとしてブレイクしたのは紛れもない事実である。半世紀経った今聴いても新鮮な響きを失わないという一点で、このアルバムが時代を超えた真にすぐれた音楽作品であることが証明されている

ジョアン・ジルベルトはその後も多くの素晴らしいレコードを残しているが、私はどちらかと言えばスタジオ録音よりライヴ・アルバムが好みだ。ジャズもそうだが、ライヴにはスタジオでの緊張感や「作られ感」がなく、中にはミスしたり完成されていない演奏もあるのだが、一般に伸び伸びとした解放感が感じられ、聴衆の反応と呼吸を合わせてインスパイアされるプレイヤーの「喜び」のようなものが聞こえてくるからだ。演奏や録音の出来不出来より、そうした現場感がなによりリアルで楽しいのである(もちろん実際のライヴ会場にいるのが最高なのだが)。特にジョアンのような音楽は、聴き手あっての場がやはりふさわしいと思う。ジョアンのライヴ録音と言えば、1985年のモントルー・ジャズ祭での「ジョアン・ジルベルト・ライヴ・イン・モントルー João Gilberto Live in Montreux」が素晴らしいライヴ・アルバムだ。若い時代のような瑞々しさはないが、ここでは実に円熟した歌唱が聞ける。会場の盛り上がる反応もよく捉えられていて、それでジョアンが乗ってくる様子もよくわかる。何よりギター1本と歌だけで、これだけのステージをやれるというのがとにかくすごい。


もう1枚のライヴ・アルバム「Eu Sei Que Vou Te Amarはそれから9年後の1994、ジョアン64歳の時のブラジル・サンパウロでのライヴ録音である。TV放送とか、たぶん収録曲数を増やすために編集されているので、終わり方や曲間が不自然な部分もあるが、そこはブラジル製(?)と思えば気にはならない。また声もギターの音もクリアで、ナチュラルに録れており、響きも良い。客人の立場だったモントルーと違い、地元の聴衆を前にしているせいか、どことなく気楽さが感じられるし、歳は取ったが声もギターの調子もこの日は良いようだ(たぶん?)。あまり気にしたことはないが、やはりポルトガル語の歌詞による微妙な表現のおもしろさとか歌唱技術は、現地の人にしかわからないニュアンスというものがあるのだろう。とにかく非常にリラックスしたジョアンの歌とギターによる名曲の数々が、ライヴ会場にいるかのように楽しめる1枚だ。

2017/05/03

Bossa Nova #1:女性ヴォーカル

春が終わり、初夏になるとボサノヴァを聴きたくなる。そこで小野リサのコンサートに出かけた。これまでライヴを聞き逃してきたのでCDでしか聞いたことがなく、「生」の小野リサは初めてだ。聞けば来年はデビュー30周年になるのだそうだ。自分の中ではずっとデビュー当時の彼女しかイメージがなかったが、もうそれなりの年齢になっているということであり、なるほどこちらも歳を取るわけである。長年の私の小野リサ愛聴盤は25年前の「ナモラーダ Namorada」(1992 BMG)だ。トゥーツ・シールマンズのハーモニカや、当時の彼女のシンプルな歌とギターが気に入っているからだ。今回のコンサートはピアノの林正樹他3管のセクステットをバックにして、ボサノヴァだけでなく、ジャズあり、サルサあり、ロックあり、ポップスあり、近年フィーチャーしている日本の歌ありという多彩な構成だった。さながら小野リサのカラオケみたいな趣がないではないが、彼女を小野リサたらしめるあのハスキーでソフトな歌声も、超複雑なメロディの音程を決してはずさないブラジル仕込みの安定したピッチも、もちろんそのリズム感もそうだが、ポルトガル語、英語、日本語を駆使して歌う彼女の歌はやはり素晴らしい。未だにたどたどしい、のんびりした日本語の語りもかえって好感が持てる。しかしポルトガル語の歌が、何と言ってもやはり最高だ。生の小野リサのステージは非常に楽しめた。

私はジャズとボサノヴァをほぼ同時併行で聴き始めたので、ボサノヴァのレコードもこれまでずいぶん聴いてきた。ボサノヴァ・ヴォーカルはジョアン・ジルベルトを別にすれば、やはり女性の歌声が合っている。日本で有名な女性ボサノヴァ歌手というと、古くはアストラッド・ジルベルトであり、今はやはり小野リサだろうが、ブラジルには素晴らしい女性歌手がまだまだいる。私が聴いてきたそういう歌手の一人がナラ・レオンNara Leão (1942-1989)で、彼女の「美しきボサノヴァのミューズ Dez Anos Depois」(1971 Polydor)では、まさにボサノヴァの本道とも言うべき歌唱が聞ける。このアルバムは、ナラ・レオンが1960年代後期にブラジル独裁政権の抑圧から逃れてフランスに一時的に亡命していた時代、歌からしばらく遠ざかっていた1971年のパリで、しかも世界的ボサノヴァ・ブームが去った後に、彼女にとって初めてボサノヴァだけを録音したものだ。大部分がギターとパーカッションによる非常にシンプルな伴奏で24の有名曲を選んでいるが、決してフランス的なアンニュイなボサノヴァではない。

パリで外交官をしていたヴィニシウス・ヂ・モラエスの戯曲を基にした、フランス・ブラジルの合作映画「黒いオルフェ」(1959年)の音楽(ルイス・ボンファ)や、ボサノヴァをフランスに広めたピエール・バルーが出演し、バーデン・パウエルもギターで参加した映画「男と女」(1966)のテーマなど、古くからフランスとブラジルの音楽的結びつきは強い。言語は違うが、シャンソンの語り口とボサノヴァの囁くような歌唱にも共通点があり、クレモンティーヌに代表されるフランスの女性歌手によるフレンチ・ボッサも昔から人気だ。またボサノヴァを生んだ要素の一つ、ジャズ受容の歴史もそうであり、この二つの国には目に見えない音楽的つながりがあるようだ。ナラ・レオンにもフランス人の血が流れていたということなので、この人は言わば生まれながらのボサノヴァ歌いだったのだろう。この時代のブラジルの政治状況を知る人はあまりいないだろうし、当時の音楽家と政治の関わりを今想像するのは難しいが、ここでの歌唱は、パリという街が持つ独特の空気と、故国を離れざるを得なかった当時の彼女の心象を色濃く反映したもののように思える。ジョアン・ジルベルトと同様に、シンプルで美しい最高のボサノヴァが聞けるが、1960年代のジョアンや他の歌手から感じる、哀しみと明るさが入り混じったいわゆるサウダージとは異なる、もっと陰翳の濃い、シャンソン的な深い表現がどのトラックからも聞えてくる。透き通るような、遠くに向かって歌い掛けるような、達観したような彼女の声と歌唱は独特だ。そこに、バルバラのようなシャンソン歌手の歌唱の中にもある何か、ジャンルを超えた普遍的な音楽だけが持っている、人の心に訴えかける力のようなものを感じる。それはまたビリー・ホリデイやニーナ・シモンの、いくつかのジャズ・ヴォーカル名盤から聞こえてくるのと同じ種類のものだ。

もう一人の女性歌手はアナ・カランAna Caram (1958-)だ。アナ・カランはブラジル・サンパウロ出身だが、歌とギターによる弾き語りで1989年にアメリカCheskyレーベルから「Rio After Dark」でメジャー・デビューした。その後何枚か同レーベルでアルバムを吹き込んでいて、この「Blue Bossa」は2001年にリリースしたもの。私が所有しているアントニオ・カルロス・ジョビンが参加したデビュー作と、次作「Bossa Nova(1995)、そしてこの「Blue Bossa」の3枚はいずれも良いが、アメリカ制作ということもあり、上記ナラ・レオン盤とは違っていずれもジャズ色が強く、サウンドもモダンで洗練されている。そしてデビュー時からその素直でクセのない歌とギター、Cheskyレーベル特有のナチュラルな録音によるアコースティック・サウンドが彼女のアルバムの魅力だ。地味だし、ヴォーカルにこれと言った特色は無いのだが、なぜか時折聴きたくなるような温かく、聴いていて心が落ち着くとても自然な歌の世界を持っている。このアルバムにはジャズ・スタンダードとブラジル作品を併せて12曲が収録されているが、本人がギターも弾いているのは1曲だけで、後はバック・バンドに任せて歌に徹している。サックスを含むクインテットによるジャズ的アレンジで聞かせていて、それがまた洗練されたボサノヴァの味わいを一層感じさせる。また声と楽器の音が自然に聞こえるレーベル特有の録音も非常に良い。タイトル曲のジャズ・スタンダード<Blue Bossa>を始めとして、どの曲も柔らかい歌声、包み込むようなサックスの音色が美しく、特にボサノヴァ好きなジャズファンがリラックスして楽しめるアルバムだ。